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自民党最後のリベラル派 加藤紘一氏逝去

-自民党元幹事長の加藤紘一氏が亡くなった。今よりずっと自由闊達であり多士済々な人材が揃っていたのがかつての自民党だった。その中で加藤紘一(以下敬称略)は「プリンス」と呼ばれ、党内の多くから将来の総理候補と目されていた。というような型どおりの紹介よりも、私の出身県・山形県が生んだ稀有な政治家であった加藤紘一の死を悼みたい。もっとも実家のある鶴岡市にいたのは中学校途中までらしいが、鶴岡第三中学校時代は鶴岡市始まって以来の秀才との誉れ高かったという。その後加藤家は東京に移住し、加藤は麹町中学、都立日比谷高校を経て東大法学部卒後外務省に入省した。自民党衆院議員だった父・加藤精一の死去に伴い、跡を継ぐ形で1972年12月総選挙で旧山形2区から立候補当選し政界入りした。所属派閥は池田勇人元総理を起源とする宏池会である。宏池会はその後大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一という総理を輩出した名門派閥だが、リベラル色が強く、岸信介創始の清和会のような謀略性に乏しく“お公家集団”とヤユされたこともある(現在は岸田文雄外相の「岸田派」)。そんな中で加藤は、宮澤内閣で官房長官、橋本内閣で幹事長など着実に総理のイスに近づいていった。しかし総理目前の加藤に思いがけない事態が待ち受けていた。というより自ら火中に身を投じたというべきか、いわゆる「加藤の乱」によって運命は急暗転するのである。これは時の森喜朗内閣に対する野党提出の内閣不信任案に、加藤派と(加藤の盟友の山崎拓率いる)山崎派が同調する構えを見せた“事件”である。もしこの両派の同調が順当に行けば、森内閣は総辞職か解散かしかなかったのである。その一部始終を述べる事はできないが、(当時幹事長)野中広務や橋本龍太郎・宮澤喜一・小泉純一郎らの派閥横断的な凄まじい暗躍・謀略により両派所属議員は次々に切り崩しにあい、結局加藤の意図は挫折したのだった。(自転車転倒による加療入院で安倍の幹事長再任要請を蹴飛ばした)谷垣偵一が、単独でも不信任本会議場に行こうとする加藤を、「あなたが大将なんだから。もし行くんだったら私らも一緒に行きます」と必死に押さえる場面は今でも語り草になっている。当時国民が大注視した加藤の乱はこうして収束した。これにより加藤は事実上政治生命を失う結果となってしまった。あの時YKKの一角の小泉純一郎のような勝負度胸があったら。残念ながら、“お公家さん”の加藤の遅疑逡巡が命取りになってしまった。なお森退陣を受けた翌2001年、YKKではもっとも総理に遠かった小泉が自民党総裁に勝ちあがり、以後今日の安倍増長に至る「清和会政権」の基盤を強固なものにしたのである。「if」はないのであるが、もしあの時加藤が小泉のように図太く立ち回っていたら、山形県初の総理大臣が生まれていたものを。というより、今日の腐れ切った政治状況にはなっていなかったものを。加藤氏と共に、一出身県民、一国民として残念、無念である。加藤紘一氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。謝長文。 (大場光太郎・記)-

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【追記】
 なお加藤紘一氏の告別式は15日、都内青山葬儀所で行われ、加藤家と自民党の合同葬形式になるという。そして何とあろうことか葬儀委員長は極右筆頭格の安倍増長だという。
http://www.asahi.com/articles/ASJ9D5FQDJ9DUTFK00G.html


加藤紘一・元自民党幹事長が死去 00年に「加藤の乱」
http://www.asahi.com/articles/ASJ9B62HNJ9BUTFK007.html
朝日新聞デジタル 2016年9月10日18時34分

 内閣官房長官、自民党幹事長などを務めた元衆院議員の加藤紘一(かとう・こういち)さんが9日午後0時45分、肺炎のため都内で死去した。77歳だった。葬儀などは未定。

 外務省を経て1972年の衆院選旧山形2区で初当選。当選13回。中曽根内閣で防衛庁長官、宮沢内閣で官房長官などを歴任。橋本政権で自民党幹事長も務めた。当選同期の小泉純一郎山崎拓の両氏とは盟友で、「YKK」と称された。98年、「保守本流」の流れをくむ宏池会の会長を宮沢喜一元首相から引き継ぎ、首相候補と目された。

 2000年11月の「加藤の乱」では、野党提出の森喜朗内閣に対する不信任案に同調する構えを見せたが、執行部から切り崩しにあい失敗。派閥も分裂し、総裁候補としては失脚した。12年12月衆院選で敗れ、政界を引退した。

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 志位和夫 

     @shiikazuo   

思い起こすと、90年代後半の橋本龍太郎首相、加藤紘一幹事長時代が、私が論戦をして一番面白かった時代でした。橋本さん加藤さんは、立場が異なってもそらすことなく正面から受けて立ち、かみあった議論をする。保守政治家としての矜持を感じ、私も議論を通じてリスペクトの気持ちをもったものです。

平成28年9月10日
代表 小沢 一郎

加藤紘一さんの突然の訃報に接し、ただただ驚いております。

加藤さんとはお互いに、親子二代にわたる長年の友人でした。

特にも私は、彼の最初の立候補へも関わっており、一度は総理にと思っていただけに、それが果たせず亡くなってしまったことは、本当に無念でなりません。

改めてお悔やみを申し上げますとともに、加藤さんの安らかなるご冥福をお祈りいたします。


 fujiwara june @lojun1970 

加藤紘一元衆議院議員の訃報を受けてhttp://www.seikatsu1.jp/activity/declaration/20160910.html @seikatsu1prさんから
加藤紘一氏逝去についての小沢一郎氏の談話。両氏が衆議院議員になる前、小沢氏が加藤氏の海外赴任先に遊びに行くほど、二人は仲が良かった。

みんな「ノーコメント」ってなったりして、死んでもみんなに無視されるのだろうか。そして、心の中で「よかったーー」・・・かな?
どうなるんだろうか日本。

4.       悪は必ず亡びる[163] iKuCzZVLgriWU4LRguk 2016年9月12日 18:06:19 : G87jWOEFxZ : 6pO3FKQxJDc[18]
まあ、そうだね。
国民にとっては、居なくても何も困らない人。
いや、居ない方がいい人と言うべきだろう。
でも、この人の去り方は穏やかな去り方でなく、第一次政権の時のように、
いきなりどこかに消えてしまうのだろう。

5.    2016年9月12日 18:42:31 : 6UrCVO81aQ : 9Yvs_JjGUbM[101]
日本に必要な政治家がいなくなり、不必要な政治家が蔓延る。

哀れなるかな・・・・日本!

6.    2016年9月12日 18:53:35 : 3CtkQE6f1Y : WB8Ge9jnUFc[5]
英語と中国語ペラペラ、頭も良い

なのに結局はその才能を生かしきれなかった不遇の人という印象
たぶんその理由は、ここ一番での決断力と男気がなかったことと
一度は無所属になったが、結局は清和支配になっても自民党に居続けたこと

(以上、転載終わり)

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