【いよいよ重大発表?】池田大作氏の死亡発表時期を探る創価学会&「看護師は見た」-池田センセイの本当の姿(2011年週刊文春版)
-昔々ならいざ知らず。情報が地球の裏側まで瞬時に届くこの時代、一人の重要人物の消息がまるで分からない、こんな事が本当にあるのだろうか。がしかし現実にあるのである。創価学会名誉会長・池田大作氏の生死がとんと不明なのだ。創価側は、そんなこんなの諸般の事情で、今もって「池田がまだ元気で活動いる」ことにしているが、池田氏自身は2010年5月以降会員の前にまったく姿を見せていない。が、最近一部から、創価学会は近々池田名誉会長死亡の発表を出すのではないか、との観測が為されてきた。それを小耳に挟んだ当ブログでも本年6月14日『【創価・公明情報】池田大作氏死去を近く公開か&創価内部の路線対立激化が参院選に甚大な影響を及ぼす?』記事を公開したのだった。高野孟氏は「生ける屍」と表現しているが、どんな状態でも生きているのなら、こうも「死亡発表」が踊るのは面妖な現象だと思われる。それ以前の『池田大作氏死去?』(2011年3月)記事は少し早かったにせよ、さまざまな情報を検討するに、2013年か2014年かのいずれかに既に死亡していたのではないだろうか。現に「生ける屍」だったとしても、池田氏著作と称する本を出版したり海外著名人に池田書簡を届けるなど長い期間偽装工作をし続けて、会員並びに国民を欺いてきたのは紛れもない事実だ。すべて安倍自民党&公明党の政権運営と選挙を有利に展開するなど組織防衛のためであり、それ自体重大な背信・犯罪行為といわざるを得ない。生きているのか、死亡したのか。我々部外者及び一般会員に真相は藪の中である。が、近々発表に踏み切るとなれば、これも世界的潮流の変化の現われのひとつなのかもしれない。とにかく創価学会・公明党は一刻も早く発表し併せて諸々の偽装工作を国民に深く謝罪し、安倍増長一味と共にスッキリ大転落の道をたどるのが仏道に照らしてベストの選択といえるであろう。 (大場光太郎・記)-
【注記】一番最後に、2010年~2011年の池田大作氏の病状について、当時池田氏の看護を担当したという女性の証言記事(『週刊文春』2011年10月27日号)を転載した。創価の内情にかなり踏み込んだものでありかなりの長文でもあるが、リアルであり嘘っぱちとも思えないので敢て転載するものである。
某S価学会から、重大発表がある?
リチャード・コシミズブログ
42 コメント
某S価学会から、重大発表がある?
某名誉会長の脂肪が公表される?
米国1%と癒着関係を築いてきた現執行部の皆さん、戦々恐々ですか?
原田さん、谷川さん、逃亡準備ですか?
街頭演説をする公明党(央・山口代表)/(C)日刊ゲンダイ
池田大作は「生ける屍」、「ミイラ」と書いた高野孟の勇気 天木直人
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/815.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 12 月 02 日 11:40:40
http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/12/02/post-5724/
2Dec2016 天木直人のブログ
12月1日号の日刊ゲンダイ「永田町を読む」は国民必読だ。
ジャーナリストの高野孟氏が、日本の政治を歪める創価学会と公明党を徹底批判している。
創価学会や公明党を批判する記事には驚かない。
それらはすでに多数あるからだ。
しかし、私が国民必読だと書いた理由は、その記事の中で高野孟氏が、創価学会の名誉会長を「生きる屍(しかばね)」、「ミイラ」と書いたことだ。
2010年5月の創価学会本部の幹部会に出席して以降、今日まで、池田大作名誉会長は6年半にわたって一切おおやけに姿を現していない。
これは事実だ。
そのことで池田大作氏の状況が重篤であることは皆が推測している。
しかし、「生きる屍」、「ミイラ」と書いたのは、私が知る限りはこの高野氏が初めてだ。
もちろん高野氏は、その言葉は元公明党議員から聞いたと逃げ道を作っている。
しかし、高野氏は次のような自らの言葉で、今の創価学会・公明党の「急所」をついている。
私が衝撃を受けたのはまさしくこの記述だ。
「・・・池田が生きる屍ではまずいので、『元気にしておりますよ』という話にして、その虚構を維持するために流行作家並みの勢いで本を出したり、写真展を開いたりしているが、もちろんすべて本部のスタッフの代作である・・・ミイラ同然の池田の威光を背に学会を仕切っているのは、原田稔会長、谷川佳樹・八尋頼雄両副会長ら(だ)・・・」
もし、高野氏に名指しされたこれら創価学会の幹部たちが高野氏を名誉棄損で訴えなければ、高野氏の書いたことを認めたという事だ。
きょうから我々国民は、堂々と創価学会は国民を欺いていると言いふらすことができる。
創価学会・公明党の深刻なところは、政権政党として権力を握っているところだ。
国民をだまして国家権力を私物化したなれの果てを、我々はいま韓国で見ている。
安倍首相と創価学会は、まさしく国民をだまして国家権力を私物化している。
日本は、いつ韓国のようになってもおかしくはない(了)
日本の政治を著しく歪める創価学会と公明党の「急所」 永田町の裏を読む(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/771.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 12 月 01 日 09:15:05
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/194834
2016年12月1日 日刊ゲンダイ
先日、元公明党議員の話を聞く機会があった。創価学会、そして公明党が陥っているアイデンティティー危機は想像以上に深刻なようである。何よりも、カリスマ的指導者に祭り上げられてきた池田大作名誉会長が、もはや巨大な学会組織の統合力としての機能を失っている。周知のように、池田は2010年5月の本部幹部会に出席して以降、今日まで6年半にわたって一切、人前に姿を現していない。その原因は元議員によれば重病で「正常な判断力を示すことができない生ける屍」状態にあるからである。
学会が昔のように日蓮正宗の信者団体という位置づけであれば、会長が交代すればいいだけの話だが、教義やご本尊の扱いをめぐる対立が高じて、91年に日蓮正宗から破門された後は「池田教」として組織の存続を図らなければならなくなったのだから、これは存亡の機である。
ところが、700年からの歴史を持つ教義とご本尊を捨てて、別の何かを立てるのが容易なことではないことは、門外漢にも分かる。混乱続きの末に、13年には信濃町に「大誓堂」を建設し、それに合わせて「日蓮世界宗創価学会」という世界的な宗教団体を立ち上げ、その会長を日本創価学会の会長が兼ね、その配下に「創価学会インタナショナル(SGI)」加盟の世界156団体を支部として組み込むという組織構図に移行しようとしたが、異論続出でまとまらず、結局、今も教団としての形すら定まらない。その状態で池田が生ける屍ではまずいので、「元気にしておりますよ」という話にして、その虚構を維持するために流行作家並みの勢いで本を出したり、写真展を開いたりしているが、もちろんすべて本部スタッフの代作である。
学会それ自体がどうなろうと世間とは無関係だが、問題はこの教団が公明党という政治部隊を抱えていて、教団が危機に陥れば陥るほど、権力からの介入・弾圧を恐れて限りなく自民党にすり寄っていこうとしていることで、これが日本の政治を著しく歪める原因となっている。現在、ミイラ同然の池田の威光を背に学会を仕切っているのは原田稔会長、谷川佳樹・八尋頼雄両副会長ら「東大閥」で、彼らは組織崩壊を恐れて自民党にしがみつこうという路線に徹している。
それに対して、正木正明前理事長はじめ「創価大閥」は、もうこんなことはやめて、連立解消、小選挙区制撤退、平和の党に戻ろうという路線だが、今のところ前者の「毒を食らわば皿まで」派の優位は変わりそうにないという。
池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状
http://saijosigokuuchudaiichi.hatenablog.com/entry/2016/05/03/125149
2016-05-03 人生はニャンとかなる!
2ケ所の脳梗塞、車イス、夜も病室の電気を消さない理由
昨年五月以来、公の場から姿を消した創価学会・池田大作名誉会長。重病説が取りざたされる中、数カ月前まで看護師として池田氏を担当していたAさんが重いロを開いた。車椅子、言語障害、意思疎通も困難――。厳戒体制の病室で何が起きていたのか。衝撃の証言。
「新聞や雑誌では、池田先生が今も元気で活動されているように書かれています。しかし、私がお側で世話をした数カ月前には」歩くこともままならず、読み書ぎや他人と話すことも難しい状態でした。二十四時間体制で医師や看護師が常駐し、病室には、秘書が先生の様子を見守っている。いつ何があってもおかしくない状況だったのです」
緊張した表情でそう語るのは、東京・信濃町にある創価学会の医療関連施設「南元センター」で看護師として勤務していたAさんだ。
彼女が語る「池田先生」とは、今なお創価学会のカリスマとして君臨する池田大作名誉会長(83)のことを指す。Aさんによると、池田氏は現在、南元センターの五階にある特別な病室に入っているという。
昨年の五月中旬以降、池田氏が公の場に姿を見せなくなって一年以上が経過している。そのため、これまでも重病説が囁かれてきた。
Aさんによれば、学会内でも池田氏の健康状態や入院先に関しては、ごく一部の関係者しか知らない超極秘事項だ。数カ月にわたり看護を担当したAさんが、池田氏の病状を明かす。
「先生の病気は、脳梗塞です。梗塞は二ヵ所にあり、もともと糖尿病という持病をお持ちなので、合併症を誘発する恐れもあります。自力で歩くことはできず、移動は車椅子でした」
Aさんが池田氏の担当になったのは昨年のことだ。そもそも南元センターは、創価学会の健康保険組合に所属する組合員が健康診断を行う医療施設である。一階から四階までは普通の病院と大差はないと、Aさんは説明する。
「おそらく南元センターで働いている職員の大半が、五階に池田先生がいらっしゃることを知らないと思います。下のフロアで勤務していた私も、まさか最上階に先生がいるとは夢にも思いませんでした」
Aさんは婦長から五階の勤務を命じられ、最上階へ向かった。エレベーターを降りるとう制服に身を包んだ警備員の刺すような視線が容赦なく注がれた。フロア全体のピリピリとした空気を感じながら病室の扉を開けると、生花の香りが鼻の中に広がる。そして、大きなベッドに痩せた老人が横たわっていたのである。
「それが池田先生でした。尊敬する先生が目の前にいらっしゃって驚きました。大変名誉なことだと思い、嬉しくて涙が出そうになったことを覚えています。
私が担当し始めた頃はまだお元気で、週に一、二度、屋上で外の空気を吸ってらっしゃいました」
著作や写真を投げ始め……
その後、池田氏の容態は悪化。病室の外へ出ることができなくなったと、Aさんは振り返る。
「担当した当初から、先生はご病気の影響で言語障害が出ることもあり、お話も聞き取りづらい部分はありました。でもその頃は、なんとか会話もでき、幹部の方など関係者がお見舞いに来ていろいろお話しされていたようです。 食事も自分でされ、病室の大きなテレビを見たり、読書をなさっていました。
ただ、屋上へ上がったり、読み書きができたのも今年の一月頃までだったと思います。高齢や脳梗塞のせいで認知症の症状が進行してしまったからなんです」
東日本大震災が起きる前、池田氏の病室である〝出来事〟が起こったという。
「病室には、池田先生の著作や、各界の著名人と撮られたお写真などが飾られていました。一月の終わりから二月のはじめ頃だったと思いますが、先生が車椅子に乗ってらっしゃったとき、突然、奇声を上げてご自分の著作や写真を投げ始めたのです。慌てて、秘書や看護スタッフでお止めしました。
この後、先生の近くにモノを置いておくのは危ないということになって、そういった展示品は撤去されました。メガネも自分で割られてしまうかもしれない、と外すことになりました」
三月に入ると、池田氏の症状はさらに進んだという。
「他の人を認識できていないのでは、と思う日もあり、看護師や来客の方とも意思疎通ができないこともありました」
また、その他の能力も日を追うごとに衰えていった。
「咀嚼(そしゃく)が困難になり、食事もきちんと摂れなくなりました。看護する側としても、誤嚥(ごえん)が怖い。誤嚥性肺炎を起こしてお亡くなりになる高齢者が非常に多いからです。そこで首から一日三回、経管注入で栄養剤を入れることになりました。
口から食事を摂れないと、どんどん痩せていきます。みなさんがご覧になられている写真より十キロ以上痩せ、お元気な頃の面影がなくなっていました。顔のつやがなくなり、頬がこけてゲッソりした感じでした」
車椅子ごと入れる浴槽を使用
なぜ、熱心な学会員でもあったAさんが池田氏の病状を明らかにすることを決意したのか。
「私は池田先生をお慕いして創価学会へ入りました。今も、その尊敬の思いは変わっていません。
私が先生の看護スタッフを始めた頃は、まだ先生もお元気で、〝神様〟だと思っていました。しかし、先生のお世話をするうちに、先生も寿命のある人間なんだ、と痛感したのです。
幹部の方々は、心配する我々学会員に対して『先生は元気です』とアピールするばかりです。しかし、それは学会員を欺き、池田先生を冒漬(ぽうとく)しているのと同じではないでしょうか。
末端の学会員にも先生の現状をお知らせして、先生のために大勤行会を開いたほうがいいと思うのです。それが、今回、私がお話しした理由です」
話を池田氏の病室に戻そう。
Aさんは、衰弱してゆく池田氏の看護をしながら心を痛める日々が続いた、と振り返る。「以前は病室の隣に大理石のお風呂があってよく入られていたのですが、その浴室は使われなくなりました。大理石の浴槽のそばに車椅子ごと入れる介護用の浴槽があって、そちらを利用するようになったのです。入浴は四、五人がかりの作業でした。回数も、私が勤務していた当時は週二回ほどになっていました。
看護師がオムツを交換し、婦長など地位の高い方が、病衣を着た先生のお顔などを拭いでいました」
池田氏専用のフロアにいる看護師は、日勤三名、夜勤二名の計五名。二十四時間体制で勤務していたという。そのほかにも警備員が警備室に三名、土レベーター前に一名、病室の前に一名配置されている。病室には秘書とともに、監視カメラが設置され、ナースステーションでチエックできるようになっていた。
階段には防火扉が設置され、普段は鍵がかけられていた。そのため、昇り降りできるのはエレベーターのみ。そこで警備員が出入すの人間を見張っていた。
「まず驚いたのは、最上階の物々しい雰囲気です。警備員は第一警備の方々でした。どの人も体格がよくて、何か格闘技でもやってらっしゃるような人だと思います。目つきが鋭くて、通常の業務をしている私たちも常に監視下に置かれているような感じでした。四階以下は金城会の方が警備をしています」
第一警備や金城会とはどんな部署なのか。学会に詳しい人物によれば、「第一警備は」池田名誉会長直属のエリート警備部隊。また、金城会は全国各地域から集められた一般の会員で柔道や合気道の有段者が多いことでも有名です。こちらも池田会長の警護が主な業務といわれていてます」
警護体制だけでなく、病室の作りにも秘密が隠されていた、とAさんは話す。
「先生の病室は縦が約七メートル、横が約五メートルの広さです。白っぽい壁は鉄製で、『マシンガンで撃たれてもびくともしない』と説明を受けました。病室の窓ガラスも防弾ガラスだと聞きました」
まるで軍事施設のような堅牢さだが、一歩病室へ入ると、そこには瀟洒(しょうしゃ)な洋間が広がっているという。
「先生の病室にはキングサイズのベッドがあり、シーツ、掛布団カバー、枕は全て金色のペーズリー柄でした。ベッドの側には、小さなテーブルと椅子が置いてあり、お元気なときには、そこでよく筆ペンを手にとって和歌を詠んでいらっしゃいました。
他に来客用の応接セットもあります。テーブル、ソファーと椅子が二つ。
また病室には絨毯が敷かれているのですが、『バッキンガム宮殿に使われている絨毯と同様のもの』と言われました。一般の病室とは全く違い、外国の洋館みたいなお部屋なのです」
備え付けの棚には、大きなテレビ、先述した著作や写真などが並ぶ。花瓶には様々な種類の生花が飾られていた。
病室でも髪型はオールバック
「香峯子(かねこ)夫人が週に何度か病室にいらっしゃって花を取り換えていました。エレベーターで五階へ上がるときは、警備員や看護師などのスタッフは整列してお迎えするのです。夫人は長居することもなくて、一時間くらいでご自宅に戻られることが多かった」 また、池田氏の病室では重要なルールがあった。
「一番初めに注意されたことは『病室の電気は切ってはいけない』ということでした。先生は明かりが消えるとよく眠れないそうなんです。昼夜逆転されることも少なくなく、昼間に眠ってらっしゃることも多かったですね。病室の天井は折上天井になっていて、蛍光灯が何十本も取りつけられていました」
実際、南元センターの周囲から池田氏の病室とされる場所を見上げると、記者が確認を行った夜には、いつもブラインドの隙間からかすかに明かりが漏れていた。
厳重に警護された池田氏の病室。そこに足を踏み入れるのは夫人など池田氏の家族と医療スタッフ、ごく限られた学会の幹部だけだったという。
「池田先生の側近の方はいらしています。幹部の中でも本当に重職の方がいらしていました。先生が話ができたときには、病室の隣にある会議室でいろいろ話をされていたようです。
髪の毛やお顔は来客があるので、二日に一度くらい手入れしていました。髪型も皆さんがご存知のオールバックです。先生はいつも身ぎれいにしていらっしゃいました。髭は電気カミソリなどで丁寧に剃らせていただいています。夫人からも見た目には気を遣うように指示が出ていて、きちんとさせていただきました」
先述したように、池田氏は一年以上も公の場に姿を見せていないが、
「学会系の新聞や雑誌には、池田先生のメッセージや対談の様子が描かれています。先生はそんなことが出来るようなお体ではないのに……」(Aさん)
確かに、学会の機関紙『聖教新聞』によれば、地震発生後の三月二十一日、池田名誉会長は東京・新宿区の創価学会第二別館で勤行を行ったと報じた。また、五月三日付の同紙には夫人とのツーショット写真が掲載されており」キャプションには〈4月19日、東京・新宿区で〉と記している。
南元センター取材は「拒否」
学会系の総合誌『潮』でも、海外の要人たちとの対談を連載。六月号からは、モスクワ大学総長、ヴィクトル・A・サドーヴニチィ氏との対談が掲載された。この連載対談の中では、東日本大震災などにも触れられ、池田氏が、「本年五月、ロシア国立交響楽団が来日公演し、各地で大きな反響を呼びました」と言及しているが、そんなことが可能なのか。 創価学会に尋ねると、
「(聖教新聞の夫人との写真ば)今年の四月十九日に撮影されたもの。また、連載対談は近年の往復書簡をまとめたものです」
さらにAさんの真摯な証言に対しては、
「ご指摘は全て事実無根です」(創価学会広報室)
否定するのであれば、南元センターの五階を見せてほしいと求めたが、「部外者の方を入れたことはありません。もしそこに名誉会長がおられなければ、どこかに移した、と言われるだけでしょう」と受け入れられなかった。
別の学会関係者も言下に否定する。
「南元センターは一般の学会員も利用する施設。五階に入ったことはありませんが、そこに池田先生がおられるなら、隠しておけるはずがありません。
今も池田先生は、秘書を通じてさまざまな指示をなされています」
だが、先述したように、下の階で働いていたAさんでさえ、五階勤務になるまでは、そこに池田氏がいるなどとは、想像だにしていなかったのだ。そもそも家族やごく一握りの幹部を除き、池田氏の所在や現状が、彼の健在を祈る一般の学会員にさえ隠し通されていること自体に無理があるのではないか。一刻も早い真実の開示が待たれる。
『週刊文春』2011年10月27日号
文春からこの記事が出たのは5年前。
裁判では文春の敗訴が確定し、文春側も謝罪記事を掲載している。
私は、裁判の結果を額面通りに受け止めていない。
元気ならば姿を見せるはずである。
見せられる状況でないのは確かだ。
日蓮正宗に逃げ込んできた側近幹部は、池田さんに「おやま(富士大石寺のこと)に行かなきゃ功徳がないぞ!俺もつれていけ。」と言われたと告白している。仰天して脱会してしまった。
秋谷氏もすでに日蓮正宗信徒になっているのだ。除名になってないので、すぐに戻れます。会員からすれば金庫番の何某といい、無節操に思うかもしれないが、内心は辞めたいのもやまやまだったのだろう。
現執行部とともに地獄に行くのは構わないが、現執行部には信仰心はないことが明白。立正佼成会の運営手法をマネしているのだから、創価の教学はズタズタだ。
いずれ、新しい本尊も出てくるだろう。
戒壇本尊を否定してからの日本の悲惨を思い起こしてほしい。
創価学会諸氏は、池田さんを師匠と仰ぐなら、富士大石寺にお連れし懺悔させるべきだろう。乃至は、自分が日蓮正宗に帰依し追善供養を行うべきであろう。
本日は、5月3日「創価の日」である。
あえて、この記事を再掲させていただいた。
(以上、転載終わり)
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