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『わがいのち月明に燃ゆ』-終戦間近の満月の未明、米軍機撃墜で散った京大の秀才・林尹夫さんのこと

-以下転載の通り、「半歩前へⅡ」さんが、というより「朝日新聞」が大変懐かしい人の事を取り上げてくれている。その人の名は林尹夫(はやし・ただお)。私はブログでいつかはこの人の事を取り上げたいと思っていた。しかし思いもかけず、その機会が今飛び込んできた。林尹夫は神奈川県横須賀市出身で小さい頃から秀才の誉れ高く、旧制三高時代の師は「恐ろしく優秀だった」と述べ、京都帝国大学の師は林の語学力に感嘆し「卒業後も京大に残るよう」勧めていたという。しかしそんな国家的逸材を戦争国家は学徒出陣で海軍に引っ張り、つまりは米軍偵察機のパイロットとして、終戦間近の1945年(昭和20年)7月28日夜間哨戒に出動、午前2時過ぎ頃、米軍機に撃墜され戦死したのである。単にこれだけなら、「国難に殉じた英霊の一柱」ということなのかもしれない。

 しかし林尹夫は、戦後20年以上経て突如蘇える事になる。その兄や知人たちの奔走により、生前の遺稿をまとめた一冊の本が発刊されたのである。兄が弟・尹夫の死の状況から名づけたという、その本の名は『わがいのち月明に燃ゆ』。この本の刊行は1967年(昭和42年)の事だったが、当時高校3年生だった私は同年秋頃、同書を手に取りあらかた読んだのである。林尹夫の三高1年時から京大そして23歳で戦死する直前までの6年間ほどの日記や論文などを集めた内容だった。今となってはほとんど記憶にはないが、その時の私の全体的感想として、その学識の広さや思想的深さに驚嘆したのだった。そして深い感銘を覚えた。さらにこの本の行間から、林の飽くなき知への憧れのようなものを感受し嬉しくもなり、また「反戦思想」も読み取ったのである。が、何というアイロニーなのだろうか。仮に戦後も生き続けていたなら、林尹夫は間違いなく戦後を代表する知識人・思想家になっただろうに。これは同じく戦争に駆り出され戦地で病を得、24歳で病死した(私の郷里町出身で童謡『ないしょ話』を作詞した)結城よしを記事でも述べたことだが、再び繰り返す。「戦争は残酷である」。

 以下はウィキペディア『わがいのち月明に燃ゆ』項の結びの文であるが、それを引用して本コメントも結びとしたい。

「なお兄は「林反応の研究」で海軍大臣特許を得た技術者であったが、反戦思考をもち特許権を放棄して海軍を辞めた人物であった。二人の間には相克もあったが、兄は学費を出し、戦中に面会した際は「死ぬな」と語りかけた。しかし林は「もう全部終わったのだ。だめだよ兄さん」と返事をし、兄をきつく抱きしめた。二人の永別であった。」 (大場光太郎・記)-

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(『わがいのち月明に燃ゆ』初版単行本表紙・筑摩書房 私が所蔵していたのがまさしくこれだった。というのも、高校卒業時、2学期に読んだ同じ本がひょんなことから私の所有になったからである。しかし当地に来てから何度も本を処分したが、その際この本も一緒に処分してしまった。惜しいことをしたものである。)

【同書を刊行した筑摩書房の、「筑摩文庫」中に収録に当たっての紹介文】
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480028167/

この本の内容

トーマス・マンに深く傾倒する林尹夫は第三高等学校を経て京都大学へ進んだ。やがて学徒出陣。その間も彼は多くの本を読み続け、歴史と人生、文学と生命という課題を自覚する。学問への志、青春の悩み、国家への危惧にひき裂かれつつも真摯に生き、米軍機による死にいたる清々しくも痛ましい記録。日記、詩、論文に兄と親友の手記を附す。

この本の目次

第三高等学校一年
第三高等学校二年
第三高等学校三年
京都帝国大学文学部
武山海兵団
土浦海軍航空隊
大井海軍航空隊
第801航空隊
『ブッデンブロオク一家』について
『近代ヨーロッパ経済史ノート』
回想に生きる林尹夫
「若き二人のフィロローゲンよ」


髪も残したくない。戒名なんてまっぴら!
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/728.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 8 月 16 日 11:25:05
http://79516147.at.webry.info/201708/article_187.html
2017/08/16 09:55  半歩前へⅡ

▼髪も残したくない。戒名なんてまっぴら!


 高橋紀子さんが投稿した。やりきれない怒りが文面からほとばしる。幾多の稀有な人材、日本の宝である若者たちを無意味な戦が散らした。

 
 穏やかな暮らしを続け、学究に打ち込んだ若者たちを戦場に追い立てた。そして命まで奪った。なぜ、彼らはそんな運命をたどらねばならなかったのか? 無謀で、愚かな戦争をなぜ、したのか?
 
 罪深い者たちを私は呪う。

*****************

高橋紀子さんが綴った。

 今日の朝日新聞に掲載されていた特攻隊の林氏は、我が命、月明に燃ゆ。という日記の著者である。

 高度3000から6000は雲海の上にあたり敵機から丸見えで、ワンショットライターと言われた偵察機ではかわせない。

 それを承知で前日にこの高度で飛ぶと宣言し仲間とともに米機の攻撃をうけ明け方四国沖で戦死した。

 その話を聞いた兄上が日記の出版にあたりつけたタイトルが上記である。京大屈指の大秀才、そして軍隊に入っても読書を怠らなかったまじめな人、共産主義の本を軍隊のトイレで読んで見つからないように飲み込んだひとである。

 私は恐らく集団自殺をしたな。と思う。人を殺して死ぬくらいなら、友と共に納得して死ぬ道もある。日記の最後の方には、母上への遺言の言葉があり、兄上と抱き合う場面がある。

 この人を靖国神社が紹介しているらしい。

こうした本物の知性が戦争を納得する筈もない。髪も残したくない。戒名なんてまっぴら。僕はあくまで、はやしただお。さ。といった人をなぜ祀る

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林尹夫さんの克明な日記

 5newspaper @_5newspaper 

[朝日]「日本は負ける」それでも戦地に 戦死の元京大生の遺稿 http://www.asahi.com/articles/ASK843JH8K84ULZU003.html 国のために命をなげうった人たちをどう悼むのか。明治政府の出した答えが、東京・九段の靖国神社への合祀(ごうし)だった。戦後72年のいま、自衛隊の活動範囲が広がる中で、「戦…

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