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さくら咲くその花影の水に研ぐ

               前 登志夫

  さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝の斧は
 
 (さくらさく/そのはなかげの/みずにとぐ/ゆめやわらかし/あしたのおのは)

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《作者略歴》
 前登志夫(まえ・としお) 1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日 奈良県生まれ。
 若い日に現代詩を書いていたが、柳田・折口の民俗学を学び、郷里の先人・前田佐美雄を知り日本の定型詩としての短歌を作る。その独特な歌風によって「山霊をうたう歌人」とか「当代随一の調べ」などといわれる。詩集『宇宙駅』歌集『子午線の繭』『霊異記』『縄文紀』(超空賞)『樹下集』(詩歌文学館賞)。エッセイ集『存在の秋』『吉野日記』『森の時間』など。「ヤママユの会」主宰。 (ウィキペディア&『現代の短歌』高野公彦編、講談社学術文庫版より)

《私の鑑賞ノート》

 日本を代表する三大風物は「雪月花」である。この中の花とはさくらのことである。実に「さくら」は、王朝文化以来の伝統では日本人の信仰に近い対象の花だった。だから桜は、古来から多くの歌人によってさまざまに詠まれてきた。いずれもさくらを賛美するか、“もののあはれ”を具現化したものとして。

 が、近代短歌では、そういう伝統的作法をいとも簡単に打ち破ってしまう。前登志雄のこの短歌などはその典型例であろう。

 ただこの短歌はさくらそのものを狙い撃ちしているわけではない。むしろ「さくら咲くその花影を」といううたい出しは伝統的作法に則っているといえよう。しかし後半になるにつれて、そこから大きく逸脱していくことになる。反逆性が露わになっていくのである。

 短歌の大意はー。今しも爛漫と咲き誇る一本のさくらがある。さくらのすぐ側に、その花影を映す小川がある。とある朝、誰かがその小川で静かに斧を研いでいた、というのである。

 言うまでもなく、「斧」とは木々をたたき伐る道具である。であるならば、時と場合によって、それはさくらの木さえばっさり伐ってしまいかねないのである。だからこの短歌は、間接的に「さくらを伐る歌」だといえるのではあるまいか。

「夢やはらかし」という語句は、そのたおやかな表現ゆえに一層読み手の心にグサッと突き刺さってくるようである。

 かくも「近代」とは時に恐ろしいものなのである。前近代的なもの、この短歌に即していえば、もののあはれやたおやかさなどの伝統文化さえ、役立たずの無用なものとして「夢やはらかし」とばかりに一斧のもとに断ち伐ってしまうのだから。

 (大場光太郎・記)

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