五木寛之 特別寄稿『カーテンコールのない幕切れ』
-「平成の最後の一日(ひとひ)雨となり静かに円(まど)かにすべり逝(ゆ)くなり」 この拙歌のとおり、平成最後の4月30日、当地では雨の一日となった。決して激しい雨ではないが、終日止むことなく小雨が降り続いた。雨の日は人をして時に内省的にする。「平成の三十年余」をしみじみ回顧するにはむしろいい雨だったかもしれない。昭和天皇の崩御に伴う昭和の終わりと平成の始まりはなにやら騒然とした印象を伴った。しかしこのたびの平成の終わりと令和の始まりは平成天皇の生前退位ということもあり全体として穏やかな内に推移している印象を持つ。がしかし一億有余もの日本国民がいる。当然のことながら、老若男女「平成という年号とその歳月」に対する感懐はみな違うことだろう。これをお読みの方々もそれぞれに違う感懐をお持ちだろう。ここでは日刊ゲンダイ平成最終号(2019年5月1日号)に載った五木寛之氏の特別寄稿『カーテンコールのない幕切れ』を転載する。「平成」を共に振り返り味わうよすがとして、ご一読いただきたい。 (大場光太郎・記)-
退位礼当日賢所大前の儀(画像:朝日新聞)
最後のお言葉を述べられる平成天皇
天皇陛下 退位の儀式「退位礼正殿の儀」国民に最後のお言葉(平成31年4月30日)
特別寄稿 五木寛之 カーテンコールのない幕切れ (文字起こし)
平成が終わる。昭和にくらべると、あっという間の平成だったような気がしないでもない。
昭和が終わったときの記憶は、ほとんどない。しいて言えば、やれやれ、といった感じだったろうか。なにしろ戦前、戦中、戦後と、昭和は波乱万丈の時代だった。重い時代だったと言ってもいい。それが終わったとき、なんとなく肩にのしかかっていた大きな荷物をおろしたような気分になったのだ。
平成おじさん、こと小渕恵三元官房長官の表情も、なんとなく明るかったような記憶がある。「平成」の文字も、軽い感じがした。
ふり返ってみると、それほど平坦な時代でもなかったのだ。阪神・淡路大震災や東日本大災害、福島第一原子力発電所の事故など、重大な危機に直面した時代でもある。
それにもかかわらず、平成の印象はどこか淡い。昭和が電燈なら、平成は蛍光燈に照らされた世界といったイメージだ。
大正から昭和への移行期は、きわめて沈鬱(ちんうつ)な空気が世間を覆っていたらしい。
♪地にひれ伏して天地(あめつち)の
いのりし誠いれられず
日出づる国の国民(くにたみ)は
あやめもわかぬ暗路ゆく
昭和2年、大正天皇が崩御されたときの奉悼歌(芳賀矢一作)の一節である。
<きさらぎの春は浅く、歌の調べは重く深い>と国文学者・小島憲之は当時の空気を描いている。激動の昭和は、こうして始まったのだった。
歴史を遠望すると、音楽と同じように強弱のリズムが貫流していることがわかる。さまざまな起伏はあっても、平成は平静な時代だった。とんでもない、と反論する向きもあるだろう。しかし、皇居前広場や国会前をデモの波が埋めたり、昭和27年の「血のメーデー事件」のような乱は起きなかった。
少なくとも表面的には平静な時代だったといえる。
元号が変わったからといって、時代が一挙に変わるわけではない。しかし平成という時代をふり返って、なにか消化不良のような未完結感をおぼえるのは私だけだろうか。
ともあれ、平成の時代は幕をおろした。劇的にではなく、平静に、そして事務的に。
カーテンコールはない。
(転載終わり)
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