奴隷はなぜ逃げないのか-SMAP独立騒動から (by 石井 孝明)

-国民視聴者をさらに白痴状態に固定化させるための罠なのか。TPPなど最重要政治課題隠しのためなのか。ベッキー不倫騒動すったもんだの後、さらなるスマップ解散騒動でてんやわんやだった。スマップ問題は国会でも取り上げられたらしいが五輪がらみもありけっこう根が深いのらしい。今回の転載文は、スマップ騒動から見えてくるこの国の目に見えない「奴隷制」についての論考である。それは近年サタニズムNWO完成とぴったり歩調を合わせているかに見えるこの国で、ますます顕著になってきていると私は考える。それは他でもない、戦前から続く天皇制ヒエラルキー(これはNWOとタイアップしているのだろう)による階級社会の、大多数国民が追い込まれつつある視えざる奴隷制社会の顕在化であろう。なおお分かりかと思うが奴隷の反対語は「自由」である。そして『引き寄せの法則』のエイブラハム説くところでは、「自由は人生の基盤」なのである。悪政治家&悪官僚群などにより、国民をさらに縛るための膨大な数の悪法が次々に制定され、今や国民は息苦しい(生き苦しい)ほどがんじがらめに管理され「どこに自由がござるのじゃ」という状態である。本来自由な存在であるはずの私たちには、こんな奴隷的拘束状態で生きなければならないいわれなどまったくないのだ。まずはそういう現状であることをよく認識すること、脱却はそこからスタートする。 (大場光太郎・記)-

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奴隷はなぜ逃げないのか-SMAP独立騒動から --- 石井 孝明
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/826.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2016 年 1 月 21 日 15:08:00
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160119-00010005-agora-soci

男性芸能人グループSMAPの独立が騒動になった。彼らは独立をあきらめ、ジャニーズ事務所の傘下に戻るという。

芸能ネタはよく知らないが、所属事務所の経営者姉弟は、80才代という。しかもその経営者は、青少年に対する性的虐待疑惑まである。芸能界にはトラブル状態の独立した人の仕事を干す、「中世的」な慣行があるらしい。老人に労働者の自由が束縛され、社会とメディア(特にテレビと雑誌)が小さなエージェント風情にひれ伏す。生放送で5人を黒服で反省の言葉を述べさせるのも「制裁」のニオイがして気味が悪い。

SMAPは日本で一番人気があるグループで、影響力があるとされるのに、自由に行動できない。日本が抱える閉塞感とつながるような変な騒動だった。

たまたま「奴隷」をめぐる知識を得た。それが騒動に奇妙に当てはまるので、紹介してみよう。もちろんSMAPを「奴隷」と誹謗するつもりはない。「状況が似ている」という指摘であり、この文章は精緻な論証というよりも感想だ。

奴隷はなぜ逃げないのか

現代人の私たちが必ず思うのは、「なぜ奴隷は逃げないのか」ということだ。

『奴隷のしつけ方』(太田出版)という本を読んだ。著者はローマ帝国の元老院議員「マルクス・シドニウス・ファルクス」とされるが、実際は解説者として登場するケンブリッジ大学の歴史学の教授のジェリー・トナー氏だ。英国的な品のいいジョークだ。

場所と時代によって違うが、ローマ帝国では最盛期(紀元前1世紀から紀元後2世紀)、総人口の約4割前後の奴隷がいたようだ。なぜそれほどたくさんいた奴隷が制度を覆さなかったのか。その理由は、私が理解したところでは、「自由を求めて立ち上がるよりも、今の状況がましだ」という状況を、さまざまな知恵を集めて体制側が作ったことにある。

道具は「恐怖」と「利益」だ。この本では奴隷への体罰を奨励、ただし財産であるために傷つけないようにすることを強調する。性的な要求を充たし、食事、睡眠などの休息を与える方が生産性を上げることを、当時の記録から探り紹介している。そして知識人もいた家内奴隷は、「解放」を餌にすることを勧めている。

私たちは現代の感覚で奴隷制度を見るから、「なぜ奴隷は立ち上がらないのか」という感想を抱く。当時の奴隷は、戦時捕虜、また奴隷の子どもが大半だ。前者は異境の地で奴隷になる、後者は生まれたときからの奴隷で他の世界を知らない。情報も人口の9割超が文字を知らず、印刷物や電子情報はない。反逆は軍が出動し、たいてい死刑となる。「脱走」や「蜂起」、「ストライキ」は古代人の選択肢では浮かばない発想だ。それよりも現状維持の方が幸せになる。

SMAPは10代から芸能活動をジャニーズ事務所で行い、他の世界を知らない。仕事を干される恐怖をちらつかせながら、名声、給料の優遇などの利益を事務所は与えた。「独立する」という選択肢は、かつての奴隷と同じように大変な冒険となる。「アメとムチ」は、奴隷制度の時から人事管理の鉄則だ。もちろんSMAPと事務所の関係の詳細は知らないが、数千年前からの「奴隷」と「所有者」の関係と似た状況が生まれていたのかもしれない。古代・中世的な変な世界ではよくありがちだ。

奴隷から抜け出すためには

では奴隷から抜け出すにはどうすればいいのか。別の例を示してみよう。物理学者のカール・セーガンは、科学教育の重要性を訴える『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(新潮社)で、逃亡奴隷でのち黒人解放運動の中心になったフレデリック・ダグラス(1818-1895)の半生を紹介している。

奴隷の目から見た19世紀のアメリカ南部は凄惨な場所だ。ダグラスは「餓えない」という「アメ」の状況以外は、「ムチ」を使った体罰の恐怖の中で少年時代を送る。ある日、白人たちが紙を前に口を動かしていることに気づく。19世紀中頃まで欧米圏では黙読よりも、声を出し読書をするのが一般的だった。その切れ端で文字の存在を知る。そこから文字を独学し、そして親切な主人の妻の教育で本と新聞を読めるようになる。奴隷への教育は法律で禁じられていた。

しかし自己教育で、農場以外の世界を知り、そして自我が芽生えた。他と比較して、自分のあり方を考えるようになった。そして「自分の体を主人から盗む」ことを考え、実行、つまり脱走する。彼は、物理的な面だけではなく、精神的な面でも奴隷ではなくなった。

彼はその後、新聞に寄稿を始め、出版をするようになる。教育を受けるアフリカ系アメリカ人はほぼ皆無の中で、彼は時代の中心の一つになっていく。情報と教育が彼を成長させ、テロや誹謗から守り、自己実現の手段となっていった。

SMAPの人々に教育がないとは思わない。どの人も歌、俳優業にぬきんでて、しっかりした人々だ。しかし「相手と戦う」「交渉する」という世間知、情報戦は海千山千の芸能事務所社長の方が秀でていたのだろう。戦うにはまず情報を集め、また対応策を知り、対策を打つことが必要だ。

自らを「解放」するには何が必要か

そして奴隷をめぐる話は現代的な意味を持つ。奴隷は世界のどこにも存在しない建前になっているが、約3000万人の人が奴隷的状況(売買、自由の束縛など)になっている。ISは支配地域に、奴隷制度を引いている。

日本社会にも笑えない面がある。日本のサラリーマンの統計を取ると、かなり多くの人が他の欧米諸国と違って、「今の仕事が好きではない」「会社を辞めたい」というそうだ。SMAPのように独立願望を持ちながら、それがなかなか実現しない。

この一因は雇用が流動化しないためだ。かつての奴隷たちがそうだったように一度入った企業に勤め続ける「自由を求めて立ち上がるよりも、今の状況がましだ」という状況が作られている。日本の雇用制度が政府と企業、社会体制の集合的な意識の中で、雇用を固定化した形になっている。

働くことに不満があるなら、大きな視点から今の制度の矛盾を理解し、飛び出る場合には準備を慎重にすることが必要だ。ちなみに筆者は、調子に乗ってサラリーマンを止めてフリーランスのジャーナリストになりその大変さによって、後悔と解放感の入り交じる不思議な状況に今陥っている。蜂起した奴隷剣闘士スパルタクスのような暴発も、苦難と破滅の道だ。時代は違うが、ダグラスのように「学ぶ」こと、そして「情報」が、働き方を変える重要な契機になるだろう。

SMAPの話を、芸能ネタとして消費するだけではなく、私たちが働き方を考える契機にしたい。自由で、人それぞれが満足できる働き方を選べる社会にすることに向けて。

最後に、SMAPはどんな形でもいいから、またその素晴らしい才能で、私たちを楽しませ、幸せにしてほしい。

石井 孝明
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最終更新:1月19日(火)17時31分   

(転載終わり)

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【朗報】山形県民「いがったいがった」 NHK山形のお天気お姉さんが番組復帰!

-爽やか岡田みはるさん。復帰できて本当に「えがったえがった」!!!-

1268                 (岡田みはるさんブログより)


山形県民「いがったいがった」 NHK山形のお天気お姉さんが番組復帰
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151207-00000076-it_nlab-cul
ねとらぼ 12月7日(月)19時12分配信

 NHK山形放送局のニュース番組「ニュースやまがた6時」。1日の放送から番組を休養していた気象予報士の岡田みはるさんが12月7日放送で再登場し、山形県内だけでなく、ネット上でも「いがったいがった」の声がこだましています。

【12月7日放送の「NHKニュース やまがた6時」では再び笑顔が】

 岡田さんは12月1日放送回の天気予報コーナー中、急に涙声となり、最後までむせび泣く様子が放送。NHK山形は「当初想定していた中継画像が違ったため混乱。それでうまくコメントを伝えられなかった」と説明しましたが、その後岡田さんは番組を休養し、さまざまな憶測が飛び交っていました

 岡田さんは7日に放送された天気予報コーナーに登場し、「今日から再び、気象情報を担当させていただきます。分かりやすくて役に立つ、山形県の気象情報をしっかりと確認してまいります。引き続きよろしくお願いいたします」と視聴者に向けてコメント、続けて山形県の天気を伝えました。  (転載終わり)

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【私のコメント】
 上のニュースのとおり、12月1日夕方6時のNHK山形ニュース番組での放送事故で休養中のお天気お姉さん・岡田みはるさんが、7日同番組のお天気コーナーで無事復帰したようです。

 休養中は「このまま降板か?」などと囁かれていましたから、復帰できて何よりです。元山形県民だった私も、「いがったいがった」と現山形県民と喜びをともにしたいと思います。

 なお余談ながら。「いがったいがった」はそんなに難解なズーズー弁ではありませんからお分かりかと思いますが、「良かった良かった」の意味です。「怒った怒った」ではありませんので、念のため(笑)。ただ私の郷里(置賜地方)では、雪深い内陸部のせいか、訛(なま)りがさらに一段と洗練され「えがったえがった」となります(爆笑)。

 NHKの今回の寛大な処置の陰には、県民の声が圧倒的に岡田さんに同情的だった事がまず挙げられるのでしょう。今年の4月から出演していた岡田さんの日々番組に取り組む姿勢が県民の心をしっかりとらえ、今回の同情を呼んだのではしょうか?

 それに加えて同放送事故が早々と全国的ニュースとなり、ネットでも大騒ぎとなり、こちらも岡田さんに同情的だっことも大きく働いたように思われます。NHKを含め放送局というものは、なんだかんだいってつまるところは「人気商売」なわけで、今回の件でNHKは県民・国民視聴者の動向をじっと覗った結果だったのではないでしょうか?

 できればNHKは、今回の放送事故できちんとした「調査委員会」を設け、そこで調べ上げた調査結果を県民や国民にきちんと報告してもらいたかったと思います。

 前回の【続報】記事でみたとおり、今回の件は明らかに局内の「組織的イジメ」が原因としか考えられません。そしてそれは今回たまたま起こったのではなく、岡田みはるさんが同コーナーを担当し始めてから、違う画面が出るなどがしばしば繰り返されていたようです。

 NHK山形局内メンバーの多くを同県人が占めるのか、他局からの赴任者が多いのか仔細は分からないわけですが、東北の田舎県である山形は、どうしてもよそ者(岡田みはるさんは長野県出身)を排除する方向で物事が動きがちなのかな?などと考えてしまい、山形県出身者としてつい悲しくなってしまいます。

 いずれにせよ、今回は岡田さん説明と違う映像が立て続けに4場面も出て、こらえにこらえていた岡田さんもたまらず泣いてしまい大ごととなったわけですが、こんなトラブルは偶然では起こり得ないわけです。

 県民や世論を味方につけたことにより、岡田さんに関して今後こういう事は二度と起こらないことでしょう。

 がしかし、体質に問題ありのNHKのこと、別の地方局で別の放送事故が起こらないとも限りません。今後の事故再発を防ぐためにも、しっかり調査結果を公表し、もし岡田さんへのイジメが恒常的に行われていたのなら、局長更迭、関係局員処分などの厳しい処断をしたほうが、より「いがったいがった」となったのではないでしょうか?

 この件は天下の大掲示板・阿修羅掲示板にも記事投稿されました。
『【下衆い】NHKのお天気お姉さん号泣騒動、ミヤネ屋が馬鹿にして茶化す!⇒大炎上!ネット上では批判の声が殺到!』
http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/844.html

 前回の【続報】末尾でURL紹介した「netgeek」記事内容に、『真実を探すブログ』さんのコメント、ネットの反応などで構成された記事の転載投稿です。

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 『ミヤネ屋』の司会の宮根誠司が、岡田みはるさんを番組で茶化してこのポーズ。また宮根は同番組で笑いをとるためにデリカシーのない発言を繰り返していたことが分かった、というのです。

 「おい、宮根。他人の不幸につけ込んで、テメエ、それでもまっとうな放送人のつもりか!」と、言いたくなります。

 戦争法案参院審議がクライマックスの頃、安倍総理は審議出席を放り出して関西番組の『そこまで言って委員会』と『ミヤネ屋』に出演し、物議をかもしたことがありました。その時宮根は目いっぱい「安倍ヨイショ」をしていたとおり、ガチガチの安倍シンパです。ホント、安倍シンパにはロクなのがいないわけですが、惻隠の情もなく番組でこういうことを平気でやらかす宮根は、下衆な「電波芸者」というべきです。

 「安倍逮捕」なった暁には、宮根を筆頭に、ジジ通信の「田崎寿司」こと田崎史郎、三文評論家の青山繁晴、台湾ばあさんの櫻井よし子など似非ウヨをテレビから追放してもらいたいものです。テレビ業界の風通しがかなり良くなることでしょう。

 うって代わって、今回の件で一躍全国区人気となった「爽やか」岡田みはるさん。復帰できて本当に「えがったえがった」!!!

 (大場光太郎・記)

【追記】
 「安倍チャンネル」の主・籾井会長が、3日の定例会見で「私は同情的」と語りました。おっ、たまにはいいこと言うこともあるんじゃん!
『〈速報〉NHK籾井会長「私は同情的」お天気お姉さん語る』
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01512030042.html
 またこの件で、この人も番組内(6日、TBS系「サンデー・ジャポン」)で好意的コメントをしました。
『西川史子、お天気お姉さんの涙にプライベートを心配』
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/1181242/


関連記事
『【NHK山形放送事故】放送中に泣き出したお天気お姉さん、NHKの今後の処遇やいかに!?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/nhk-28cb.html
『【続報・NHK山形放送事故】涙のお天気お姉さん、3日連続の「お休み」 ネットでは復帰を望む声強し!』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-3178.html

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【続報・NHK山形放送事故】涙のお天気お姉さん、3日連続の「お休み」 ネットでは復帰を望む声強し!

-前回の『【NHK山形放送事故】放送中に泣き出したお天気お姉さん、NHKの今後の処遇やいかに!?』記事、おかげさまで大好評!予期せぬことに、3日の当ブログランキングで、先月から1位独走中の『やっぱりね 湯川遥菜氏・後藤健二氏の殺害画像はフェイクで二人は今も生存している!?:』を抑え、ぶっちぎりの1位となったのである。ローカルニュースであることもあり、そんなに期待していなかった同記事に多くのアクセスがあり、正直驚いているところである。どういうわけか意外にネット市民の関心も高いということである。2番目の説得力ある転載記事のように、岡田みはるさんが泣き出したのは、どうも局内の「いじめ」が原因である可能性が高そうだ。イルミナティ企業+安倍チャンネル=陰湿いじめ体質。いとも簡単にそう導きだせるわけだが、籾井NHK本社の陰険さが全国に波及し、山形という純朴な県の地方局まで蝕んでいるということなのだろうか?ああ、嫌だ、嫌だ。ともあれ今回の件の本質はそこにあるわけだから、岡田さんの出演停止で済まされる問題ではない。一地方局で発生した放送事故だが、国民視聴者の関心は高いぞ。NHKよ、そのことを忘れなさんな! (大場光太郎・記)-

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「何とか復帰してくれ」、NHK山形の「お天気おねえさん」 3日連続の「お休み」、「再開未定」に落胆の声
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/jcast-20151204-252407/1.htm
2015年12月4日(金)19時0分配信 J-CASTニュース

NHK山形放送局の天気予報途中に泣き出してしまった「お天気おねえさん」の岡田みはるさんは、2015年12月4 日の放送にも出演しなかった。

これで3日連続のお休みとなり、ネット上では「くじけずがんばって欲しい」などといった応援メッセージが引き続き出て、復帰を待ち望む声が強い。

「何とか立ち直って頂きたい」

NHK総合「ニュースやまがた6時」(月~金曜日 18時10分~19時)で15年4月から「お天気おねえさん」を務めている気象予報士の岡田さん。15年12月1日も、いつものように山形県内の天気を伝えていた。しかし、「現在の鶴岡を見てみましょう」と語った時にスクリーンに映っていたのは新庄市の夜景だったため、新庄市に言い直した。そのうちに涙声交じりになり、とうとう声が止まった。天気予報が始まってから1分30秒後には涙を手で拭う姿があった。その後も声が裏返るなどよく聞き取れない状態が続き、鼻をすする音まで聞こえてきた。番組は終了間際に、

「お天気コーナーでお見苦しい点がありました」

と謝罪した。

NHK山形は、

「岡田さんが当初想定していたお天気カメラの場所と違った場所の映像が出てしまい、動揺してうまくコメントが伝えられなかったから」

と理由を説明した。要は番組にミスがあり、動揺してしまった、というのが真相らしい。そして2日、3日と岡田さんの姿を番組で見ることは無かった。NHK山形は、

「4日は、気象予報士と気象予報士が所属する会社と話をした結果、お休みをいただくことにしました。出演の再開については、本人と所属する会社側と話をしています」

とJ-CASTニュースの取材に答えた。復帰するのかどうか分からない状況だが、ネットでは岡田さんを応援する声が相変わらず多く出ている。

「今日もNHKは男性アナウンサーが天気予報していた。元気に復帰して欲しいな」
「何とか立ち直って頂きたい」
「動画見たけど抱きしめたくなった」
「くじけずがんばって欲しいですね」
「ええやん、かわいいから許す。復帰してくれ」
            

(転載終わり)

【炎上】NHKで気象予報士が突然号泣し始めて局内でのいじめ疑惑が浮上
http://netgeek.biz/archives/59020
netgeek 2015年12月2日

12/1、NHK山形の「NHKニュース やまがた6時」の気象情報コーナーで、気象予報士の岡田みはるさんが放送中に突然泣き出すという放送事故が起きた。ネット上では、同僚から岡田さんに対して嫌がらせがあったのではないかという疑惑が浮上し、波紋を呼んでいる。

岡田みはるさんの写真はこちら。現在39歳で、決して仕事ができない新人というわけではない。

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2010年に気象予報士の資格を取得して、現在「NHKニュース やまがた6時」の気象情報コーナーに出演している。

12/1の気象情報のコーナーでは、岡田さんが読んでいる原稿の内容と違う映像が映し出され、彼女が沈黙するハプニングが立て続けに4回も起きた。

以下の4つが該当する場面。時系列順に並べている。

(1)岡田さんが「鶴岡市の様子を見てみましょう」と原稿を読みあげたところ、映し出されたのは鶴岡市ではなく新庄市のライブ映像。

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(2)「明日は天気が回復し晴れるでしょう」と原稿を読みあげたところ、映し出されたのは「あすの天気」ではなく「きょうの気温」。

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岡田さんは一瞬、沈黙した後、山形県内の最低気温、最高気温を読み上げていた。すると途中から涙声になり、以後、気象情報コーナーの終了までずっと泣きながら原稿を読んでいた。

(3)続いて「今日の雲の動きを衛星画像で振り返ります」と読み上げたところ、映し出されたのは衛生画像ではなく予想天気図。

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(4)岡田さんが「明日、朝9時の予想天気図です」と読み上げたところ、街を映したライブ映像が映し出され、気象情報のコーナーは終了。

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入念にリハーサルを行なっているはずの生放送番組で、立て続けに4回も原稿、台本と違う映像が流れることなど起こり得るのだろうか。ネット上では「スイッチャーがわざと違う映像に切り替えた」「嫌がらせで嘘の段取りを仕込まれた」などと様々な憶測が飛んでいる。また、途中で岡田さんが泣き出した理由については、本番中にインカムでディレクターから暴言を吐かれたからではないかと言われている。

▼その日の映像はこちらで視聴可能。

https://youtu.be/xqo3QsgYHHs

岡田さんは最近、かなり疲労困憊していたことも分かっている。こちらの11/29の彼女のブログを見てもらいたい。

週末、ぐったりしていたら、

友だちが連れ出してくれました。

(中略)

疲れ過ぎて、ごはんが食べられない…

と困っていたので、助かった~!

http://ameblo.jp/miharu-okada/entry-12100814411.html

職場での人間関係が疲労の原因なのかは不明だが、番組本番中に泣き出してしまうほど今の彼女が精神的に追い込まれているのは間違いない。NHK山形には一刻も早く事情説明をしてもらいたい。

続き→【祭り】宮根誠司が号泣お天気お姉さんを茶化しまくって炎上

(転載終わり)

関連記事
『【NHK山形放送事故】放送中に泣き出したお天気お姉さん、NHKの今後の処遇やいかに!?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/nhk-28cb.html
『やっぱりね 湯川遥菜氏・後藤健二氏の殺害画像はフェイクで二人は今も生存している!?:』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-c308.html

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【NHK山形放送事故】放送中に泣き出したお天気お姉さん、NHKの今後の処遇やいかに!?

-「NHKさん。まあ固えごと言わねでよぉ。おがげ(お陰)で盛り上がっで番組のピーアールにもなったんだべ?んだがらよ、なんとがかんだえ(寛大)なご処置すてけろなっす~!」と、私からもお願いしたいものですwww-

NHK山形「お天気おねえさん」は降板? ネットでは同情が集まり、「笑顔で復活してほしい」
http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/jcast-20151202-252174/1.htm
2015年12月2日(水)19時38分配信 J-CASTニュース

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NHK山形放送局の「お天気おねえさん」が原稿を読んでいるうちに涙声になり、ついに泣き出してしまい原稿が読めなくなる、というハプニングが起こった。

ネット上では彼女の悲しそうな表情に同情が集まり、「明日は笑顔で復活してほしい」といった応援メッセージが寄せられた。

「お天気コーナーでお見苦しい点がありました」

「お姉さん」が泣き出してしまったのは2015年12月1日放送のNHK総合「ニュースやまがた6時」(月~金曜日 18時10分~19時)。午後6時半からお天気コーナーが始まり、気象予報士の岡田みはるさんが山形県内の天気を伝えていた。

「現在の鶴岡を見てみましょう」と語った際にスクリーンに映ったのは新庄市の夜景だった。スタッフの「新庄」「新庄」という声が聞こえ、岡田さんは鶴岡を新庄に言い直して放送が続いた。異変が起きたのはその30秒後。涙声交じりで原稿が読まれるようになり、とうとう声が止まった。

天気予報の開始から1分30秒後、涙を流しながらうつむき、手で涙を拭う姿があった。予報を再開するも声が裏返り、よく聞き取れない状態で、鼻をすする音まで聞こえてきた。なんとかコーナーを終えたものの、メインスタジオにカメラが切り替わると凍り付いた状態に。メインキャスターの片山智彦アナウンサーは呆然となりながらうつむいていた。ようやく、

「失礼しました。では、ニュースを続けます」

と口を開いた。番組の最後では、

「お天気コーナーでお見苦しい点がありました」

と謝罪した。

この出来事にネットが騒然となり、

「うちの母親なんか『なんだべ!?親が死んだとか?ペットが死んだとか?』なんて言うしwwwwwwww」

といった書き込みが掲示板に出ることに。原因として、局内でのイジメ説や、放送直前に恋人が事故死、彼氏にフラれた、上司に怒られたなどといった何の根拠もない噂が出る事になった。

想定と違った映像が出たためうまくコメントできずに泣いた

一袋どうしてこんな事が起こってしまったのか。15年12月2日放送の読売テレビ「情報ライブミヤネ屋」でも検証が行われ、司会の宮根誠司さんは、

    「彼女が間違ったんじゃないと思う。悔しかったんだと思う」

などと解説した。岡田さんはきっちりと段取りを組み、それを遂行しようとしていたのに、スタッフが画面選択を間違ってしまったというのだ。そして、

「人間ぽくて良い」

と擁護し、NHKでは無理だが実は民放ならオイシイ展開であり、これをネタに番組をさらに盛り上げることができる、と語った。ネットでも岡田さんの悲しそうな表情を見た人から、同情と応援の声が強くあり、

「なんか、こっちまで泣いちゃった」
「このお姉さんは許してあげて欲しい。何があったか知らないが可哀想なのは間違いない」
「NHK山形のお天気お姉さんのお陰で、山形県民の方と心が一つになれた気がするwww どーした?どーした?ってゆーあのドキドキ感www どうか降ろさないであげてwww」
「明日は笑顔で復活してほしい」

などといった感想が掲示板やツイッターに出た。

いったい何があったのか。所属事務所のウェザーマップの子会社キャスター・プロに話を聞いてみたところ、今回の件の詳細はNHK山形に任せている、ということだった。

NHK山形はJ-CASTニュースの取材に対し、泣いてしまったのは岡田さんが当初想定していたお天気カメラの場所と違った場所の映像が出てしまい、動揺してうまくコメントが伝えられなかったからだという。今後については、15年12月2日の放送は休み、今後の出演については岡田さんと所属事務所と相談して決めたい、と明かした。 (転載終わり)

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【私のコメント】
 当ブログで常々公言しておりますとおり、私は山形県出身です。ただし同県に住んでいたのは高校卒業の18歳まで、それ以降圧倒的に現居住地が長いわけです。ただ多感なりし10代までを過ごした郷里は「忘れがたき」もので、その後の五十年弱の当地での生活に勝るとも劣らない価値を持っています。

 ということで、山形県で起きた出来事や郷里での思い出などをこれまでずいぶん記事にしてきました。代表例が11年3月に発覚した新庄北高校出身の「aicezuki」による、京大等受験カンニング事件です。(なおその後「aicezuki」を逆さに読むと「ikuzecia」-「行くぜCIA」-となり、そのことで再度騒がれた。)

 そして今回、また山形がらみのニュースを取り上げてみた次第です。

 いささかローカルニュースながら、今回の件、ネットでも大々的に取り上げられ、かつての「スイカップ古瀬絵理騒動」以来の大盛り上がりのようです。そして今回のヒロインもスイカップ古瀬さんと同じNHK山形所属なのです。

 諸事問題多くかつ諸事うるさい天下のNHKの、ローカルとは言え『NHKやまがた6時』お天気コーナーで突然泣き出したのですから、そりゃ大ごとです。

 今から20年年ほど前、正午のNHKニュースのお天気コーナーで、日本気象協会から派遣された女性が登場したての頃、その日のお天気情報を伝え、終わったと同時にホッとしたのか胸をなでおろしたことがありました。その女性、決して美人ではなかったものの清楚な感じがたまらず“隠れファン”だった私は、『こりゃ、後でこっぴどくお叱り受けるんじゃないの?』と他人事ながら心配になりましたが、以後そういうしぐさは見られなくなりました。

 (今回の放送事故とは性質が違いますが)やはりスタジオの向こうの多くの視聴者を考えてしまうと、たとえ短いお天気コーナーと言えども緊張するものなのでしょう。

 岡田みはるさんはローカルとは言えNHKのお天気コーナーを担当していたくらいですから、当然に気象予報士の資格を持っていたわけです。

 この気象予報士試験、けっこう“難関試験”のようです。例えば「天気予報」と言えばすぐに思い浮かべるのが“お天気キャスター”森田正光氏ですが、同試験がスタートしてすぐ、森田氏も挑戦したものの見事不合格だったそうです。当時は日本気象協会職員だったにも拘らずです(ただし2回目で合格)。

 「お天気お姉さん」岡田みはるさん、今回は不覚にも放送中泣いてしまいましたが、それ以外にもかなりの才媛のようです。信州大学から早稲田大学に移ったといいますから学歴上もなかなかですが、その上経済気象アドバイザーや小中高教員資格まで持っているというのです。

 岡田みはるさんは現在39歳とのことです。年齢から言えば十分“熟女”の域に達しており、冒頭画像の美貌から“美熟女”と言うにふさわしいのかもしれません。が、岡田さんの場合年齢よりだいぶ若く見え、美熟女というよりまだまだ“可愛い系”“綺麗なお姉さん系”という感じがします。

 それもそのはず、岡田さんは早稲田大学時代劇団に所属し、卒業と同時に某モデル事務所に所属し今日に至っているというのです。道理で綺麗なはずです。

 スイカップ古瀬さんは尾花沢市出身のバリバリの山形県人でしたが、岡田さんは長野県出身のようで、気象予報士としての仕事上NHK山形赴任(NHKとは「キャスター契約」か?)となったもののようです。
 しかしある土地に一定期間住み続けますとその土地柄が有形無形に影響を及ぼすものです。

 岡田さんの今回のケースは、情にもろい、涙もろい、純朴な県民性が移ったもの。NHK上層部はそのように好意的に受け止め、「どんな辛いハプニングがあっても動揺せず、きちんと最後まで務めるのがプロというものです」くらいな口頭注意で、岡田さんのお天気お姉さん続行を強く望みたいものです。

【注記】
 以上を書き上げてから、以下の興味深い関係動画を見つけました。原因は局内イジメとするものですが、かなり説得力あり。NHK山形局内って、意外にドロドロしてるのか?「岡田みはるさん、めげずにガンバレー!」と、余計強く応援したくなりました。
https://www.youtube.com/watch?v=XqebVQQVJTM

 上の動画を文字化(画像つき)しているのが以下のサイト
http://netgeek.biz/archives/59020

 (大場光太郎・記)

参考記事
『気象予報士・みはる日和*小春だより』
http://ameblo.jp/miharu-okada/
『NHK女子倶楽部【N-jyo】』
http://nhk-jyoshi.club/archives/4081
『NHK ONLINE 山形放送局』
http://www.nhk.or.jp/yamagata/

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最後の銀幕女優・原節子さん逝去す

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原節子さん死去…「青い山脈」、伝説の女優
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20151125-50238/1.htm
2015年11月26日(木)1時33分配信 読売新聞

 清純派の美人スターとして戦前戦後を通じて活躍した伝説の女優、原節子(はら・せつこ、本名・会田昌江=あいだ・まさえ)さんが、9月5日に肺炎のため死去していたことが、25日分かった。

 95歳だった。近親者で密葬を行った。同居していたおいによると、原さんは8月中旬に入院するまでは、自宅の庭を散歩するなど元気だった。本人の希望で亡くなったことは伏せていたという。

 横浜高等女学校を中退し、1935年、義兄・熊谷久虎監督の縁で日活多摩川撮影所に入社。15歳で「ためらふ勿れ(なかれ)若人よ」でデビューした。「緑の地平線」「河内山宗俊」などを経て、37年、日独合作映画「新しき土」のヒロインに抜てきされ、大きな話題を呼んだ。

 戦後には、黒沢明監督「わが青春に悔なし」、吉村公三郎監督「安城家の舞踏会」、今井正監督「青い山脈」など名匠の作品に出演、日本人離れした彫りの深い美貌とはつらつとした明るさで人気女優の地位を確立した。特に小津安二郎監督「晩春」「東京物語」、成瀬巳喜男監督「めし」「山の音」などの名作で、知的で優しい成熟した女性像を演じ、名実ともにトップ女優になった。 (転載終わり)


尾道における原節子と香川京子 (『東京物語』撮影合間のスナップか?)

 原節子さん出演の映画は、小津安二郎監督の名画『東京物語』くらいしか観ていません。これは昭和28年(1953年)公開でその頃私はまだ幼児でしたから、観たのはずっと後年の50代、ビデオで観たのです。その頃同じ小津作品の『晩春』も観ましたが、こちらは北鎌倉が舞台で、スローテンポの展開に痺れを切らし(?)途中で止めてしまったのが、今思うと残念です。

 『東京物語』については、以前の『春風』(作曲:フォスター)で触れました。唱歌『春風』にどうして『東京物語』?ということやあらすじなどはそちらを参考にしていただくとして、ここでは原節子さんとこの映画で共演した香川京子さんについて述べたくだりを転載してみます。

(転載開始)
 この歌とも、映画の本筋とも何の関係もありませんがー。
 原節子と香川京子の美しかったこと。二人とも美人女優ということももちろんあります。私が驚いたのは、戦後間もない昭和28年(松竹作品)のこの白黒映画の中の、二人の一つ一つの立ち居振る舞いの美しさです。それはさながら「生ける神々」といっていいような、芸術的な所作に思われたのです。

 映画上の演技ということはあるとしても、今の若い女性のみならず日本人全体が忘れてしまった、“奥ゆかしさ”が醸し出す気品ある美しさです。なおこの映画では「永遠の処女」原節子が脚光を浴びましたが、私個人としては若き日の香川京子さんの清楚な美しさにしびれました。
 こういう日本的な立ち居振る舞いの美を、当時この映画を絶賛した欧米人たちもしっかり観てくれたことでしょう。大震災後の我が国、さて今度はどんな日本美を海外に伝えていけるでしょうか。 (転載終わり)

 原節子さんとともに香川京子さんをベタ褒めしたきらいがありますが、とにかく印象に強く残るお二人の演技でした。その他にも笠智衆さんなど随所に光る演技があり、観終わった後の余韻深く、私としては「日本映画マイベストテン」はおろか「マイベストファイブ」に入ろうかという作品です。

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(『東京物語』より)

 これはお亡くなりになった原節子さんの名誉にも関わることですが、近代日本の歩みの一こまとして触れないわけにいきません。

 「永遠の処女」と呼ばれた原節子さんでしたが、「占領直後、原節子はマッカーサーの夜の相手をさせられたのでは?」というあらぬ噂が立てられたことがありました。

 それは今も根強く続き、今回の原さんの訃報により、以前の『昭和天皇の戦争責任(1)』が26日の当ブログアクセスランキングでダントツのトップになりました。その中にマッカーサーと原節子の関係をほのめかす記述があったため、「マッカーサー 原節子」などの検索フレーズでアクセスが集中したのです。

 「永遠の処女」原節子さんを汚すようで申し訳ありませんが、思い出してみてください。
『米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?』記事で述べたように、昭和天皇は極東軍事裁判で東条英機のヤバイ証言によって自分の身が危なくなったと判断するや、キーナン主席判事の下に選りすぐった宮中美女たちを差し向け、ハニートラップによりキーナン判事のメロメロ懐柔をまんまと成功させたのです。

 敗戦濃厚となった昭和19年2月、近衛文麿元首相(終戦の年の12月服毒自殺)は天皇に「速やかな終戦」の上奏文を提出しています。しかしそれを無視して戦争続行させたのが昭和天皇です。もしこの時点で決断していれば、3月の東京大空襲その他の全国空襲も沖縄県民たちの悲劇も広島・長崎への原爆投下もなかったのです。続行は「戦争ビジネス」上の欲得勘定だけ。昭和天皇ヒロヒトこそ超A級戦犯であり罪万死に値する売国奴です!

 もう遥か彼方の遠い時代のことですから事実がどうであったか、原さんご自身が告白手記のようなものを残しておられなければ永遠の謎です(多分残しておられないでしょう)。しかしもし仮にそういう事実があったとすれば、それをお膳立てしたのは昭和天皇もしくはその意を忖度した天皇側近しかないわけです。

 その頃巷では、「♪こんな女に誰がした~」が一世を風靡した『星の流れに』が大ヒットしていました。もし原さんがそうだったのなら、原さんに準ずるような女性たちも高級コールガールとしてGHQ将校たちにあてがわれたことでしょう。すべては「天皇御一身」の安泰のために。

 昭和天皇と天皇財閥、天皇軍閥、天皇政治屋によって、当時の国民すべてが「一億総被害」を受けたのです。

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(『晩春』より)

 さあ、話題を変えましょう。

 私の理解では、原節子さんは小津安二郎監督死去間もなく女優を引退されたのだったかと思います。・・・気になって『ウィキペディア』を調べてみましたが、やはりそうでした。その箇所を以下に転載してみます。

(転載開始)
1962年、稲垣浩監督による東宝創立三十周年記念作品『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が封切られ、原は大石内蔵助の妻りくを演じた。これが原にとって最後の出演作品となった。1963年12月12日、小津監督が東京医科歯科大学附属病院で没し(その日は小津監督の還暦の誕生日だった)、その通夜に出席したのを最後に原は女優業を事実上引退し、以降表舞台には一切姿を見せなくなった。晩年の原は鎌倉市で親戚と暮らしているとされた。高橋治は原が「小津の死に殉じるかのように」公的な場から身を引いたと表現している。 (転載終わり)

 戦後の日本映画界の巨匠・小津安二郎監督は、原節子の演技を高く評価し主演として使い続けたようです。思うに、単に監督と主演女優としての関係のみならず、二人はいつしか深い相思相愛の関係になっていったのではないか、と私は勝手に想像してしまいます。

 その中から生まれたのが名作『東京物語』であり、『晩春』だったのではないでしょうか。

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映画「小早川家の秋」(1961年)撮影中の小津安二郎監督(中央)と原節子さん

 高橋治氏は「原は小津の死に殉じるかのように公的な場から身を引いた」と表現したそうですが、小津監督の死をもって自分の女優人生を終わらせたことを思えば、これはある意味「殉死」だったと言えると思います。

 以後原さんはただの一度もテレビに姿を現わすことのなかった「銀幕オンリー」の稀有な女優です。気高いほどの美意識をお持ちだったのではないでしょうか。
 原節子さん。一時代を築いた銀幕女優らしい立派な出処進退、あらためて感服です!

 原節子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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日本、グループ最下位で2大会ぶりW杯GL敗退

-FIFA、次大会から「弱いアジア粋」削減か。その上中国がマジになれば強豪国となるのは確実。サッカーでも中国は日本にとっての脅威となるのだ-
                       
                       
日本、グループ最下位で2大会ぶりW杯GL敗退・・・コロンビアに4失点http://news.nifty.com/cs/sports/soccerdetail/soccerking-20140625-205254/1.htm2014年6月25日(水)6時52分配信 サッカーキング

 ブラジル・ワールドカップのグループリーグ第3節が24日に行われ、グループCでは日本代表とコロンビア代表が対戦した。

 決勝トーナメント進出のためには勝利が絶対条件の日本は、香川真司が先発に復帰し、青山敏弘も先発に名を連ねた。一方すでにグループリーグ突破を決めているコロンビアは前節からスタメン8人を変更。ハメス・ロドリゲスやテオフィロ・ロドリゲスが外れ、ジャクソン・マルティネスやアドリアン・ラモスがスタメンとなった。

 日本は開始9分、長谷部誠がピッチ中央付近からロングボールを前線に送ると、大久保嘉人がペナルティエリア内で受け、反転から切り返してコースを作ってシュートするが、しっかりミートできず、DFのブロックに遭う。直後にも大久保はミドルシュートで積極的な姿勢を示す。

 14分には内田篤人が遠い位置から狙うと、そこから得たCKも流れから長谷部がミドルシュートを打つも、GKダビド・オスピナの正面だった。日本が押し込む展開の中、迎えた17分、コロンビアはペナルティエリア内にスルーパスが出ると、アドリアン・ラモスに対して今野泰幸が倒してしまい、PKの判定。フアン・クアドラードが決めて、コロンビアが先制する。

 日本は26分、左サイドで大久保が浮き球をヘディングで落とすと、拾った香川がドリブルからそのままシュート。しかし枠の左に飛んだボールはGKオスピナが腕を伸ばして弾いた。33分にはゴール正面やや左で得たFKを本田圭佑が直接狙ったが、枠の右へそれた。3分後にも内田の右クロスをファーサイドの大久保がバイシクルシュートしたが、クロスバーを大きく越えた。

 コロンビアは42分、右サイドをアドリアン・ラモスが突破し、中央へのグラウンダーのクロスをジャクソン・マルティネスが合わせたが、ゴール左へ外れた。前半はコロンビアリードで終えるかに思われたアディショナルタイム、右サイドからの本田圭佑のクロスにニアサイドで岡崎慎司がダイビングヘッドで合わせて、ネットを揺らし、日本は同点にして試合を折り返す。

 ハーフタイムにコロンビアはフアン・キンテーロとクアドラードを下げ、ハメス・ロドリゲスとカルロス・カルボネロが投入される。日本はメンバー交代無しで後半に入った。

 選手交代もあり、後半立ち上がりはコロンビアペース。54分には左サイドでのFKをJ・ロドリゲスがゴール前へ上げると、カルボネロが合わせたが、ボールはクロスバーを越えた。しかし直後の55分、コロンビアは右サイドから崩すと、中央でボールを受けたJ・ロドリゲスが左のJ・マルティネスへラストパス。これを落ち着いてゴール右へ流し込み、コロンビアが勝ち越す。

 日本は58分、長谷部の縦パスを受けた香川がゴール正面でミドルシュートを打つが、枠を大きく外れた。日本ベンチは62分、青山に代えて山口蛍を投入する。2分後に日本はゴールやや遠い位置でFKを得ると、本田が打ったがGKオスピナの正面だった。さらに右サイドを内田が岡崎とのパス交換で崩すと、深い位置からのクロスに大久保が飛び込んだが、枠を捉えられず。

 69分に日本は岡崎を下げ、柿谷曜一朗が投入される。75分には前線に上がっていた今野が遠目から狙うも、オスピナががっちりキャッチした。

 押し込むも得点の奪えない日本に対し、コロンビアは82 分、カウンターから抜け出したJ・マルティネスがペナルティエリア内でブロックに入った内田を切り返しでかわしてから、シュートを決めて、3点目を獲得する。直後に日本は香川に代えて、清武弘嗣がピッチへ。コロンビアは、43歳3日でワールドカップ最高齢出場記録を更新するGKファリド・モンドラゴンが途中出場で登場する。

 90分にはコロンビアのJ・ロドリゲスがカウンターから3試合連続ゴールとなるチーム4点目を獲得し、試合を決めた。

 勝利したコロンビアはグループ3連勝で首位通過。決勝トーナメント1回戦でグループD・2位のウルグアイと対戦する。日本は1分2敗の勝ち点1、グループ最下位で2大会ぶりにグループリーグで姿を消すこととなった。

【スコア】
日本 1-4 コロンビア

【得点者】
0-1 17分 フアン・クアドラード(PK)(コロンビア)
1-1 45+1分 岡崎慎司(日本)
1-2 55分 ジャクソン・マルティネス(コロンビア)
1-3 82分 ジャクソン・マルティネス(コロンビア)
1-4 90分 ハメス・ロドリゲス(コロンビア)  (転載終り)
                       
                       *
【私のコメント】
 日本の今W杯はGL敗退をもって終りました。しかもグループC最下位でです。
 戦前、誰がこんな無残な結果を予想したでしょうか?

 私は、(既に何度もお伝えしているとおり)3年前から完全無テレビ生活です。4年前の南アフリカ大会は多くの試合をテレビ観戦し、岡田ジャパンを中心に幾つもの記事にしました。しかし普段テレビを観てないとW杯もあまり関心なく、開幕直前になって『そう言えば日本は何グループだ?』と、あらためてネットの組合せ表をググッたような次第です。

 結果日本はグループC。何の予備知識もない私は、対戦相手がコロンビア、コートジボワール、ギリシャと知って、『一番楽なグループじゃん。こりゃ、楽勝だな』と思いました。唯一恐いのは南米の強豪国(と、なぜか私もしっかりインプットしていた)コロンビアだけ。あとの2ヶ国は格下。GL2位通過は確実、あわよくば1位でベスト16、ベスト8・・・。「取らぬ狸の何とか」的予想を立てたのでした。

 ところがところが。初戦のコートジボワール戦がまさかの1-2逆転負け。結果的にこの嫌な負け方があとの2試合に尾を引いた感じです。この試合で再逆転とは言わないまでも、せめてドローに持ち込む力が日本にあったなら、その後の展開は大きく違いGL2位通過も見えたはずです。

 「勝敗は時の運」。優勝候補のスペインやイングランドだってGL敗退です。しかしこれら強豪国は、次大会では何食わぬ顔して勝ち進みいつの間にか優勝争いに絡んできたりします。トータルで国際級の底力があるのです。
 
 翻って我が日本は、W杯に初登場した第1次岡田ジャパンやトルシエジャパン以来、GL通過ラインを出たり入ったり。選手は変っても、あまり進歩はないようです。
 「ここ一番」、今大会で言えば、やはりコートジボワール戦で1-2と逆転された場面から、2-2にしぶとく持ち込む力、以前から指摘されていることですが、これが日本には決定的に欠けています。

 選手個々のメンタル面、フィジカル面や「監督妥配云々」以前の、日本チームが抱える根本的問題のように思われます。それは、例えば政治の世界で2世、3世議員が幅を効かせているように、ダイナミックな流動性のない硬直した日本の社会システムと無縁ではないように思われるのです。 (大場光太郎・記)

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昔、藤圭子さんからサインをもらったことがありました。

-あの時代のいな「あの時代だけの歌姫」に深い哀悼の意を表しつつこの一文を-

    (「圭子の夢は夜ひらく+京都から博多まで」1970・71年紅白版)
     http://www.youtube.com/watch?v=PpRthIn_IvM


 いやあ、驚きの訃報でした。歌手の藤圭子さんが22日、東京都新宿区内の高層マンションから飛び降り自殺したというのです。

 最近の藤圭子さん(本名:阿部純子-享年62歳)は歌手活動から遠ざかり、07年に宇多田照實氏と正式に離婚し、その後都内マンションで(元マネージャーの)30代後半の同居男性とひっそり暮らし、世間から忘れられた存在でした。
 そのため「藤圭子」と聞いても、若い人たちは「宇多田ヒカルの母親」くらいのイメージしかないかもしれません。しかし藤さんと同世代の私など(実際は私の方が2歳ほど年上)は、藤さんもかつては娘の宇多田ヒカルに勝るとも劣らない栄光の時代があったのだ、と証言したい気持ちに駆られます。

 1969年(昭和44年)、『新宿の女』で彗星のようにブラウン管に登場したのが藤圭子(以下敬称略)でした。まだ18歳のうら若き女性歌手の鮮烈デビューです。

 「♪バカだな、バカだな、だまされちゃって ・・・」
 それもそんじょそこらの歌い方ではなく、夜の巷に生きる女の情念を、心の底からしぼり出すようなドスの利いた声で歌ったのです。爽やか系・明るい系が主流のフォークソング全盛の中、私なども少なからず衝撃を受けたものでした。
 
 この年は東大安田講堂攻防戦のあった年で、全共闘による70年安保闘争が最も過激さを増した年でもありました。当時の若者誰しもが時代への閉塞感を感じ、ブルーベル・シンガーズの『昭和ブルース』やあがた森魚の『赤色エレジー』などの暗い歌も好んで歌われました。が、その極めつけが藤圭子の登場だったように思われます。
 『新宿の女』は20週連続でヒットチャート1位を独占し、続く『女のブルース』を含め37週連続1位という空前絶後の大記録を樹立したのです。

 「♪十五、十六、十七と、私の人生暗かった ・・・」
 時代が藤圭子の歌を求めていたと言えるのでしょう。3曲目となる翌1970年(昭和45年)の『圭子の夢は夜ひらく』によって人気は頂点に達し、藤は時代の寵児の地位を揺るぎないものにしたのでした。
 一世代前の60年安保の象徴歌が西田佐知子の『アカシヤの雨がやむとき』だったとするなら、この歌は70年安保の全共闘世代の象徴歌といってもいいのかもしれません。

 作家の五木寛之は、藤圭子の歌を「怨歌(えんか)」と呼びました。五木はエッセイの中で、「歌手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から血がしたたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ」と記し、「それが(当時の)藤圭子だ」と言わんとしたのです。

                             *

 デビュー前の藤圭子は苦労したようです。若い頃映画のロケで先輩女優にジャムパンをもらい、「子供の頃食べたかったけど貧しくて食べられなかった」と涙を流したエピソードがあるといいます。

 藤圭子は1951年7月5日、岩手県一関市に旅芸人の子として生まれ、幼い頃一家は北海道旭川市に移り住みました。成績優秀だったものの貧しさのため高校進学を断念し、やがてスター目指して上京します。
 浅草で流しをしていた頃、作詞家の石坂まさを(今年3月逝去)の目に留りました。藤の育ての親である石坂自身も幼くして父を亡くし、母と2人の生活を送ったのでした。

 だから石坂まさをは、つぶらな瞳の少女に自らの境遇を重ね合わせ、この少女を「藤圭子」と命名し、『新宿の女』を作詞・作曲してデビューさせたのです。

                             *
 何でも私自身のことに引きつけて申し訳ありませんがー。
 『圭子の夢は夜ひらく』発表から少し経った頃だったでしょうか。私は藤圭子を間近にしてサインをもらったことがあったのです。

 サインをもらった場所は、コンサート会場などというありきたりな場所(?)ではありません。意外も意外、当厚木市の平塚市寄りの郊外部、東名高速のすぐ近くの田んぼの中だったのです。

 何でそんな所で?
 藤圭子の方の事情など私には知る由もありません。が、私の方の事情なら話せます。
 私は昭和43年(1968年)春に山形県の高校を卒業して、すぐ当市内の小さな測量事務所に勤めました。その日は近くの田んぼを実測するため、先輩と2人でたまたまその近くにいたのです。

 朝方作業車で現場にやって来てボチボチ仕事にかかろうか、という頃合い。周囲を回ってきた先輩が、「おい大場君、見てみろよ。あっちに藤圭子がいるぞ」と言うのです。「えっ?」と思ってそちらの方をみると、少し離れた所に確かにテレビで見ている藤圭子と思しき女性が、東名高速を背に立っています。
「行ってみようよ」と先輩が促すまま私もついていきました。

 その辺の記憶は曖昧ですが、藤圭子の目と鼻の先に近づいて先輩と一緒に挨拶したのだったかと思います。そして私は日頃隠しているミーハー気質がモロに出て、手に持っていた野帳(やちょう)の後ろのページを開いて、「これにサインしてください」と差し出したのです。
 「野帳」というのは、測量する現場の境界点や基準点、それに実測した角度や距離などを記録するための(胸ポケットにしまえる縦長、薄型の)手帳です。

 田んぼは刈入れがとうに終わった晩秋から早春にかけてのいずれかの季節でした。周りにスタッフなどはおらず、藤圭子はただ一人で田んぼの中にいたのだったと思います。
 確かオレンジがかった赤系統のセーターに黒いスカートといった装いでした。テレビどおりの華奢で綺麗な人でした。ただ場所が場所だけに、今をときめくアイドルスターとしてのオーラなどはあまり感じませんでした。

 藤は一瞬戸惑ったようですが、しかしそこは商売柄すぐに了解し、野帳を受け取ってくれました。そこではたと気がつきました。書く物を渡してなかったのです。「何か書く物持ってませんか?」と図々しくも私。こんな所でサイン会などするわけないのだから持ってなくて当たり前です。しかし藤はすかさず、
「あるじゃないですか」
と、私に鋭い一瞥をくれて作業服の胸ポケットを指差しました。

 さすがに少し上がっていたらしく、そこに鉛筆を入れていたことを忘れていたのでした。『鉛筆じゃなく、サインペンかボールペンで・・・』と思ったものの、無いものねだりしても仕方ないので鉛筆を渡しました。藤はそれでさらさらとサインしてくれ、野帳と鉛筆を返してくれました。
 私は礼を言って、先輩とともにその場を去ったのでした。

  藤圭子が何であの時あんな場所にいたのかは、今考えても謎です。

 しばらくはその野帳を大事に取って置いたかと思いますが、気がついた頃にはどこかに紛失してしまっていました。今となっては大変残念です。

                             *

 藤圭子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

関連動画
『藤圭子-新宿の女-』
http://www.youtube.com/watch?v=jqO0d-HiLXc

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(大変いい話)松井、ピンストライプで引退セレモニー

 -私は以前「松井は将来の総理候補」と思ったが、母体は自民党だろうし・・・-

 以下、『日刊ゲンダイ』(7月30日3面)記事を転載します。

                       *
松井秀喜 ピンストライプでお別れ 「泣きそうになった」

 松井秀喜が28日(日本時間29日未明)、ヤンキースと1日限定でマイナー契約を結び、ヤンキースタジアムでレイズ戦の前に引退式に臨んだ。松井はゴルフカートでグラウンドを一周、ファンの大歓声を浴びた。

 本塁付近に設けられた机で契約書にサイン。主将のジーターから背番号「55」のユニホームを贈られた。ユニホームに袖を通した松井はマウンドから捕手スチュワートに投じて始球式。ヤンキースナインと記念撮影を行った。

「球場に入った瞬間から泣きそうになった。自分にとって憧れのユニホーム。最後にもう一度着てヤンキーススタジアムに立てたのはうれしい。言葉にならないくらいの感動。改めて幸せな野球人生だった。生涯忘れられない日になった」

 松井はヤンキースで7年プレーしているが、他球団(レイズ)で引退した選手が1日契約して引退式を行うことはヤンキースでは前例がないという。  (転載終り)

                       *
【私のコメント】
 まず最初に、「松井選手、長い間お疲れ様。その間、数々の名プレーを楽しませてくれてどうもありがとう」と言いたいと思います。
 野球人生の締めくくりが、ピンストライプのユニホームを着て、ヤンキーススタジアムで。やはり松井秀喜はそういう星の下に生まれたのかな、と思ってしまいます。

 最初に「松井秀喜」の名を強烈に印象付けたのは、1992年夏の甲子園大会での、星陵高校対明徳義塾戦(2回戦)で、連続5打席敬遠という前代未聞の出来事によってでした。この試合では1回もバットを振らせてもらえなかったことが、かえって「ゴジラ松井」が只者ではないことの証明になったのです。

 高校時代は阪神ファンだったという松井でしたが、ドラフトによって皮肉にも巨人に入団することになりました。かつての野球記事で“公言”したとおりアンチ巨人の私などは、プロ入りの1993年以来痛いところで松井に一発打たれた印象が強いです。
 しかし人徳というのか、『松井に打たれたらしゃあないか』と不思議に納得させられるところがありましたね。

 そして2003年、大リーガーとなり、ピンストライプの憧れの名門ヤンキースの一員となったわけです。巨人の残留要請を蹴って敢然と海を渡った松井に男気を感じ、もう「巨人の松井」でなくなったわけでもあり本式の松井ファンになりました。
 主に深夜に放送されるヤンキース中継もよく観ました。以来7年間、ジーター、A・ロット、ジアンビなどという錚々たるメンバーに混じって、主力として赫々たる活躍を見せてくれました。

 2006年5月には、本拠地ヤンキースタジアムでのレフト守備中左手首を骨折し、巨人時代から続いていた連続試合出場が途切れ、長期離脱を余儀なくされる痛ましいアクシデントもありました。

 試合を決める満塁ホームランやサヨナラ安打など、ここぞというところでいい仕事をした印象が強いです。中でも大金字塔となるのは、09年10月のワールドシリーズでのMVPを獲得した大活躍でしょう。これによってチームを9年ぶりの世界一に導いたのです。
 しかし皮肉にも、同シーズン終了後愛するヤンキースから解雇され、他球団への移籍を余儀なくされたのでした。

 以後エンゼルス、アスレチックス、レイズと渡り歩くことになりましたが、晩年は持病の左足の悪化などにより思うような成績が残せず、不本意ながら39歳での引退となったわけです。

 私などは正直、国民栄誉賞受賞には違和感を覚えました。同時に受賞した(日本プロ野球史に燦然と輝く)長嶋茂雄氏は当然として、松井よ、どうせ安倍政権PR見え見えのそんなものもらうなよ、と思ったのです。
 結局見せつけられたのは東京ドームでのセレモニーにおける、背番号「96」をつけた「アベノケーワイ」(安倍のKY)の見苦しいパフォーマンスではないですか。

 恩師の長嶋氏からの要請で断り切れなかった、という裏事情があったようです。松井氏本人は米国の大学、大学院でじっくり研究に没頭するプランなども持っているようです。が、人気凋落著しい読売巨人軍にとって、再建のため切り札の松井秀喜を自軍に再び取り込むことが焦眉の急なのです。
 ヤンキース入りの時はケンもほろろだったナベツネ御大まで、もみ手して「松井様々」だといいます。

 来年以降指導者として松井氏の巨人ベンチ入りほぼ確定という状況下、ヤンキースナインやNYファンと旧交を暖め合った今回のヤンキースタジアムでの引退セレモニー。何とも爽やかな清涼感がありました。  (大場光太郎・記)

参考記事
ネット版Newsweekjapan『松井秀喜氏はどうしてヤンキースタジアムを総立ちにさせたのか?』
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/07/post-578.php
関連記事
『おめでとう松井 ! シリーズMVP !!』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-adfe.html

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関東連合元最高幹部の手記、芸能界に衝撃走る

 -普段は表に出ない芸能界の闇。その一端を暴いたのが今回の手記だろう-
 
 6月29日は当ブログにとってちょっとしたお祭り状態でした。
 ここのところ下り坂だったアクセス数が、ある記事への一極集中現象によって通常の3倍増くらいになったのです。今年の2月頃からほぼ毎日全記事中トップを独走中の『押尾事件の陰の主役-森祐喜氏死去』を抑えて、ぶっちぎりのトップになったのは、2010年2月4日早朝に起きた『朝青龍が暴行した相手』。

 翌日の検索フレーズランキングは、「朝青龍 関東連合」「朝青龍傷害事件」「関東連合 朝青龍」など同記事関連が独占しました。同年11月25日早朝に起きた海老蔵殴打事件でも鍵を握った関東連合ですが、そう言えば、朝青龍が半殺しの目に遭わせた「六本木の帝王」こと川奈毅も同連合出身だったからなあ。

 それにしても3年も前の、とうの昔に示談済みで一件落着のはずの事件の記事が、今頃どうして?
 しかも角界の大問題児だった元横綱朝青龍は直後に引退し、今は母国モンゴルに帰って、しみじみ『蒙古放浪歌』でも歌いながら、馬に乗って蒙古平原をあちこち落魄放浪中かと思いきや。どっこいあっちでも素行収まらず、時たま偏西風の便りで(笑)国営放送の首脳陣に暴行を働いた、というような出来事が漏れ伝わってくるくらいなものだったのに・・・。

 週が明け月も変わった7月1日その謎が解けました ! 同日発売の夕刊紙『日刊ゲンダイ』が、以下に転載するような、関東連合関連のドエライ記事を載せたのです。元最高幹部が手記を発表し、暗部・恥部を暴露された芸能界に大衝撃が走っているというのです。
 押尾事件しかり。のりピー事件しかり。海老蔵事件しかり。とにかく「芸能界+事件」となれば、両者の相乗効果で話題沸騰、当ブログにおきましてもアクセス急増にあずかれるのです。

 今回槍玉に挙がったのは女優の長澤まさみですが、芸能人と暴力団や闇社会とのつながりで言えば氷山の一角でしょうね。以前の『薬物汚染の拡がりを憂う』大シリーズで見たとおり、芸能界、政界、官界、経済界、スポーツ界、マスコミ界、警察、闇社会・・・。相互のズブズブの癒着関係で、滅多に表に出ないだけなのです。
 戦後68年経過して、本当に現ニッポンは「黄泉の国」さながらの手の施しようのない状態です。  (大場光太郎・記)

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関東連合元最高幹部が明かした、芸能界の暗部と恥部の衝撃
 (『日刊ゲンダイ』7月2日号7面)

 2010年に西麻布で起きた海老蔵暴行事件や、昨年の六本木襲撃事件でメンバーが逮捕された暴走族「関東連合」。その元最高幹部が先月末に手記「いびつな絆 関東連合の真実」を上梓。芸能界に激震が走っている。

 同書ではグループの内実や六本木事件の真相、そして事件を主導し、殺人容疑で国際手配されているリーダー、見立真一容疑者の残忍な素性について言及。また、これまで臆測の域を出なかった関東連合と芸能界の関係についても赤裸々につづっている。

 その内容は衝撃的の一言。交友関係があった芸能人の名前だけでなく、版権トラブルを抱えていた大手芸能プロ社長の運転手やボディーガードに駆り出されるなど、業界の“汚れ仕事”を引き受けてきたことなどを明かしている。
「関東連合と接点があった芸能人や関係者は多かったが、まさかこんな本が出るとは誰も思っていなかった。自分の名前が出ていないか不安で本屋に走った芸能人もいたそうです」(週刊誌記者)

長澤まさみは元メンバーと交際

 元幹部が上梓に際して毎日新聞や週刊文春で応じたインタビューでは、さらに踏み込んだ内容の発言を行っている。

「長澤まさみは女優生命の大ピンチです」と言うのは、事情に詳しい芸能関係者だ。

 元幹部は文春で、長澤がつい最近まで広末涼子の元夫で関東連合関係者の岡沢高宏(37)と交際していた事実を明かし、岡沢が関東連合関係者に借りていた金の返済を巡って、「おまえの代わりに長澤に払ってもらえ」と迫られていたことも明らかに。困った岡沢は長澤にカネを無心したがかなわず。結局、この一件が原因で破局したというのだ。

「長澤サイドは今回の報道についてダンマリを決め込んでいます。でも、交際は事実。清純派のイメージがウリなだけに、ダメージが大き過ぎる」(先の芸能関係者)

六本木事件の裁判が始まれば・・・

 元幹部は「(本書は)刑事裁判を意識して、私に立証責任が負える範囲でしか書いていない。すなわち私の上梓した本書が、そのまま刑事裁判における参考人調書となるように執筆した」ともつづっている。

 関東連合と関係のあった芸能人には、暴行被害に遭った市川海老蔵だけでなく、伊藤英明などの名前も飛び交っている。これから始まる刑事裁判では一体、どんな名前や行状が飛び出すのか。眠れぬ夜を過ごす芸能人は多いはずだ。  (転載終わり)

関連記事
『朝青龍が暴行した相手』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-8c45.html
『押尾事件の陰の主役-森祐喜氏死去』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-26e0.html
『ドーなる?海老蔵殴打事件』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-45da.html

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ご難続きの歌舞伎界、原因は「歌舞伎座の呪い」?

 -後ろの29階のタワービルが象徴的、原因は利益第一主義にあるのでは?-

 最近の『市川団十郎さん逝去』記事では、最近の歌舞伎界が見舞われている不幸の原因を、2010年11月の市川海老蔵暴行事件がケチのつき始めか?としました。しかし少し“内部事情”を探ってみますと、どうもそうではなく、むしろ海老蔵も被害者である構図が見えてきます。

 今回の市川団十郎、昨年12月の中村勘三郎逝去以前から、歌舞伎界を襲う不幸をめぐって、ネットの2ちゃんねるでは「あること」が囁かれていました。あることとは、ズバリ「歌舞伎座の呪い」です。どういうことなのでしょう。順を追って見ていきましょう。

 「歌舞伎座」とは、東京都中央区銀座四丁目にある歌舞伎専用の劇場(及び企業)のことです。1951年1月開場した従前の第四期歌舞伎座は、老朽化や耐震性などの問題があったため2010年4月30日に閉場し、代わって現在同敷地に第五期となる新歌舞伎座を建設中なのです。
 その「こけら落とし」(完成公演)が今年の4月2日で、これを待たずに逝去した市川団十郎はさぞ無念だっただろう、という関係者の話を前記事で紹介しました。

 さて問題の「歌舞伎座の呪い」。これは旧歌舞伎座の取り壊しと新歌舞伎座建設にまつわるもので、例えば「芝居の神様の祟り」が噂されているのです。しかし梨園(歌舞伎界)はそれを単なる与太話として済まされないほど、ご難続きです。
 もう一度時系列的に列挙してみましょう。

 2010年4月  旧歌舞伎座閉場
 同年  11月  市川海老蔵暴行事件
 2011年1月  中村富三郎死去
 同年  11月  中村芝翫死去
 2012年2月  中村雀右衛門死去
 同年   8月  市川染五郎転落事故
 同年  11月  市川段四郎、片岡仁左衛門体調不良
 同年  12月  中村勘三郎死去
 2013年2月  市川団十郎死去

 お亡くなりになった5人は、言うまでもなく歌舞伎界の大名跡です。特に中村芝翫氏は(財)日本俳優協会会長として、「新しい歌舞伎座の外観図発表に際して」というメッセージを寄せています。これほど短期間のうちに重鎮が相次いで世を去るものか。これでは通常の世の習いを超えた「呪い」を考えたくもなるというものです。

 肝心の新歌舞伎座の外観はどんなものなのでしょう。完成予想画像を掲げます。

 晴海通りに面している、手前の低層の時代がかった建物(和風桃山様式)が歌舞伎座の本体であることは分かります。しかし後ろの威圧するようなウザったいノッポビル、ありゃ何だ?実はビジネスエントランス、昭和通りに面したこの高層タワーも含めて「新歌舞伎座」なのです。
 施主:松竹&歌舞伎座。設計:三菱地所設計&隈研吾建築都市設計事務所。施工:清水建設。
 階数:地上29階、地下4階。高さ:145m。延べ床面積:9万4097㎡。

 「後ろにあんなビルが建っちゃって。これじゃあ芝居の神様も降りてこられないよな」とは市川海老蔵が洩らしたという感想です。ピンポ~ン。これは正論、まさにそのとおり。海老蔵さん、言う時は言うんだねぇ。
 かつて劇場脇に祀られていた「歌舞伎稲荷」の上にこんなノッポビルが建ったんじゃあ、ビルが邪魔してお社(やしろ)に降りられず神様が怒っている、というわけです。

 「芝居の神様云々」は別としても、風水的に見てもまずいでしょ、これは。周辺の「気の流れ」を乱し、遮断してしまいます。

 それ以外にも、2ちゃんねるではさまざまな憶測的物言いがされています。主なものは以下のような具合です。

 ○歌舞伎座建て替えの際、地下に埋めてあった「要石(かなめいし)」を取り除いてしまったのが原因だろう。
 ○自分は霊能があるが、建て替えの時にイチョウの木を伐ったようだ。このイチョウの木は歌舞伎座を守っていたのだ。それをバッサリ伐られたイチョウの木の怨念が渦巻いている。きちんと供養しないと悪いことがまだまだ続くよ。
 ○こけら落としは4月2日、「しにの日」だぞ。縁起悪すぎね?

 そして極めつけがこの人、美輪明宏さんです。1月13日のあるラジオ番組で「歌舞伎座呪い論争」に参入したというのです。江原啓之氏とともに当今を代表する霊能者の見立てはこうです。
 「近代的なビルに建て替えて、表だけ歌舞伎座の形をしていてもダメ。
  とにかく苛められた端役(はやく)の人やお二階さんやスタッフの
  慰霊碑を作りなさい。」

 さすがは私も日頃敬愛してやまない美輪さん、正鵠を得た指摘です。
 しかしどの呪いによるものなのか、あるいは複合的な呪いなのか、はたまた相次ぐ不幸事は単なる偶然なのか。私などはさっぱり分かりません。ただもうこれ以上、歌舞伎界の暗いニュースを聞くことなく、無事こけら落としを済ませていただきたいものです。

 (大場光太郎・記)

参考
『日刊ゲンダイ』(2月7日号7面)-「新装歌舞伎座オカルト論争の真贋」
歌舞伎座サイト『新歌舞伎座立替え計画』(中村芝翫氏らのメッセージや新歌舞伎座紹介動画あり)
http://www.kabuki-za.co.jp/rebuild/about.html
関連記事
『市川団十郎さん逝去』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-7b4a.html

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