事業仕分けが終わって

 来年度予算編成における「事業仕分け」が終わりました。鳩山政権下で始まった同仕分け作業は前半後半2週間にわたりましたが、「予算のムダ」に斬り込むまったく新しい試みとして、終始国民有権者の高い関心を呼びました。

 「仕分け人」と呼ばれる政府関係者VS各省庁のお役人という対立図式。
 仕分けする側とされる側の役人たちが、一つ一つの予算案をめぐって「これはどうして必要なんですか?いらないんじゃありませんか?」「いえ、これはかくかくしかじかの理由で必要なんです」「どう考えても必要ないでしょ。止めましょう、今回は」というような丁々発止のやり取りが続き、「いる、いらない」が次々に判定されていく。そのプロセスを国民希望者が自由に傍聴も出来る。またネットでその映像を見ることも出来る。
 一部からは、「まるで公開処刑のようだ」という批判の声も挙がりました。それが的を得ているかはともかく。まったく画期的な仕分け作業となりました。

 同仕分け人は、時にかつての名時代劇ドラマをもじって“必殺仕分け人”と呼ばれもしました。その代表格が、民主党の蓮舫参議院議員であり、枝野幸男衆議院議員であり、菊田真紀子衆議院議員でした。特に蓮舫議員の、さしものお役人もたじたじの鋭い突っ込みが連日テレビなどで映し出され、多くの国民の注目を浴びました。
 一躍“時の人”となった蓮舫議員を簡単に紹介しますとー
 蓮舫(れんほう)は1967年(昭和42年)11月28日、台湾出身の父と日本人の母との間に東京で生まれました。青山学院大学法学部卒業後、グラビアアイドル、テレビ司会者などを経て、‘04年民主党からの誘いにより参議院議員となった異色の議員の一人です。テレビ朝日の深夜の名物番組『朝まで生テレビ』には、議員になる前からパネリストとして度々出演し、社民党の福島瑞穂や辻元清美らと共に舌鋒鋭い女性論客の一人として知られていました。

 さて事業仕分けについて、野党に転落した自民党幹部は「新政権のかっこうの攻め時」とばかりに、スタート直後「本来は大臣や副大臣がやるべきこと」「きちんと詰めないと政治ショーに終わる」「事業の優先順位をどう考えるか、削減理由をきちんと説明すべきだ」(石破茂政調会長)あるいは「わずか1時間で、事業の良い悪いを裁断するのはパフォーマンスにしか見えない」(大島理森幹事長)といった批判が相次ぎました。
 自民党幹部のネチネチした繰り言にも関わらず、国民有権者の7割以上は同仕分けを支持しました。そんな国民の意思を察知したのか、作業が前半を終了する頃には、「こりゃおもしろいわな。新鮮に映る。ヒットしている」「なんで自民党の時にああいうことをせなんだかなぁ。出来なかったのは正直言って、非常に残念だと思っていますよ」(谷川秀善参院幹事長)と一転ベタ褒めするやら、悔しがるやら。

 そもそも50年以上にも及ぶ自民党政権下では、予算編成過程など国民にとっては五里霧中不透明なまま、どこの省庁がどういう理由で各予算を上げてくるのか、何の説明もなく「はい。これが来年度の国家予算です」とある日突然総額のみニュースで知らされるだけ。今回それに初めてメスを入れて仕分けしただけで、目標の3兆円には遠く及ばぬものの1兆8千億円もの予算がカットされたのです。
 従来の旧自民党型の国家予算にはどれほどのムダがあったことか。それが今日、国、地方合わせて八百数十兆円という世界にも類を見ない財政赤字となって国民全員に重くのしかかってきているわけです。とにかく今回の仕分けによってその一端が垣間見えたわけで、これぞ「政権交代の意義」と言うべきです。
 政官癒着ズブズブの旧自民党政権では、このように予算編成のプロセスを透明化することなど、この先も出来っこなかったのです。『あなた方のおかげで国民一人一人が六百数十万円もの借金を背負わされているんです。元々出来なかったんだから、文句言わずに黙って見ていなさい』。自民党のお偉方にはそう言いたい気分です。

 行革担当相の仙谷由人は今回の仕分けの成功に気を良くして、「来年はゴールデンウィーク明けくらいから始めるか」と、来年度以降も仕分けを続けていくことを表明しました。
 しかしこの「事業仕分け」、手放しで評価してばかりもいられないようです。幾つかの重大な問題点も見えてきたからです。

 その一点は、事業仕分けは結局「財務官僚主導」なのではないだろうか?という疑問です。確かに同仕分けの席では、財務官僚が進行役をやっていました。「歳出カット」が至上命題の財務省が行司役となって、民主党を利用している図式と見えなくもありません。
 というのも「脱・官僚依存」とスローガンでは言ってみても、仕分け人である民主党議員にも予算の一々についてはよく分かっていないわけです。そのため蓮舫議員が科学技術開発予算をカットしようと、「どうして一番でなければならないんですか?二番じゃダメなんですか?」と鋭く斬り込んだのに対して、ノーベル賞受賞者たちが決起し「科学技術は日本の生命線である」旨の緊急会見は開くは、鳩山首相に面会を申し込むはで、首相もとうとう「我が国は今後とも技術立国を目指していく。その上で科学技術予算も必要である」と言わざるを得なくなりました。どの程度の依存なのかは不明としても、そのような現状では、財務官僚の手の上で踊らされるのもやむを得ない面があります。

 そして次は、各省庁が仕分け会場に持ち込んだ予算は本物か?という疑問もあります。最初からムダな事業を自分たちで選び出し、行政刷新会議に“お土産”として差し出した予算案だったのではないだろうか?そして本当に隠したい事業や身内にウマミのある予算は民主党政権には手をつけさせない…。結局は財務省のみならず「全官庁がグル」なのでは?という疑惑です。狡猾な官僚組織のこと、このような「予算隠し」が行われたとしても、決して不思議ではないのです。
 
 エコノミストの中からは、「仕分け人のメンバーの中には民主党が掲げる“国民の生活が第一”という理念に反する人たちが多くいる」という指摘もあります。例えば川本裕子、翁百合、高橋進、土居丈朗といったエコノミストや大学教授は、消費税引き上げ推進派だったり、小泉・竹中(デタラメ)路線の賛同者でもあるのです。
 また亀井静香金融担当相が噛みついたように、どうして日本の財務の仕分けに、モルガン・スタンレー証券のロバート・フェルドマン部長という外国人が入っているのか?このことも疑問です。肝心の「仕分け人」の人選、大いに問題がありそうです。

 国民有権者は、「劇場型事業仕分け」が面白いからと、ただ手放しで礼賛したり拍手喝采するだけではなく、このような諸問題も見据えて、来年度以降の事業仕分けを冷静にチェックしていく必要がありそうです。

 (大場光太郎・記)

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身捨つるほどの祖国はありや

                             寺山 修司

  マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや
 
…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 私など団塊の世代より、一つ前の世代の人たちにとっては懐かしい短歌なのではないでしょうか?すなわち60年安保で首都東京が騒乱状態になった、昭和35年前後20代だった人たちにとっては。
 同騒乱によって死亡した東大生樺美智子(かんば・みちこ)さん、当時学生運動家たちに好んで歌われたという西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』、「♪ 夜霧の彼方に 別れを告げ 雄々しきますらお出でてゆく …愛しの乙女よ 祖国の灯よ」の『ともしび』などを歌いあった街角の歌声喫茶、そしてこの短歌。
 
 寺山修司は昭和40年代、『書を捨てよ、街へ出よう』などの評論、あるいはアングラ的な実験演劇集団「天井桟敷」を主宰したり、映画『初恋・地獄篇』(‘68年-当時新宿の映画館で観た覚えあり)の脚本など、本来の詩人、歌人というより、当時は私たち若い世代をアジテート(扇動)する前衛活動家といった趣きでした。
 当時私は、山形から高卒で首都圏にやってきたばかり。当地での生活と仕事に慣れるのにおおわらわ、優雅に学生運動をエンジョイしている(?)諸君とは意識の上でかなりの温度差がありました。

 一般労働者たる私たちにとってこの短歌は、もはやさほど注目されるものでもなかったようです。私がこの短歌と出会ったのは、学生運動が挫折して(あるいは国家権力によって強制的に封じ込められて)世の中がすっかりおとなしくなった、昭和50年代前半の頃だったと思います。
 それも『寺山修司詩集』を読んでというような、しかるべき手続きを踏んでのことではありません。まったくの偶然の出会いによって、この短歌が目に飛び込んできたのです。

 私は当時車で外回りをしていました。ある日昼食のため、どこかの町のとある食堂に入ったのです。昼のかき入れ時、中は先客でいっぱいです。何かを注文して、出てくるまで時間がかかりそうです。そこで私は、時間つぶしに備え付けの漫画週刊誌を手に取って読み始めました。と、ある劇画風の漫画がありました。その中に、この短歌がバッチリ大きく書き込まれていたのです。
  「マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」「寺山修司」
 昼食のとんだ予期せぬ添え物と言うべきです。『何てこの時代を突いた歌なんだ ! 』。私はそのカットから目が離せなくなりました。肝心のストーリーなどまるで忘れてしまっています。しかしいかにインパクトを与えたことか。食事を終えて食堂を出る頃には、もうすっかりこの短歌が頭に入っていたのです。

 立ちこめる夜霧とともに、この歌全体に流れる青春の叙情性。そして何より強烈なのが「身捨つるほどの祖国はありや」という問いの終わり方。いわく言いがたい、余韻と言おうか余情と言おうか。おそらくこの短歌を初めて読んだ誰しもが、寺山が投げかけたこの言葉にはズキンと心に響くものがあるのではないでしょうか?

 今改めて調べてみますと、この短歌は昭和33年刊の処女歌集『空には本』の中に収録してあります。当時のことは今、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などで「古き良き」オールディーズ戦後として見直されています。
 しかし早稲田大学などとっくに中退してしいた若き寺山にとって、その時代既に「祖国喪失」をひしひしと感じていたわけです。この歌で寺山が言いたかったのは、「身を捨てるに値するような祖国?そんなもの、もうとっくの昔にありゃしねえんだよ」ということだったのではないでしょうか?

 なるほど今では、「国」を表わす言葉としては「国家」というのが一般的です。「祖国」などと口走ろうものなら、『こいつ右翼か?』と思われかねず。公の場でも私的な会話でもめったに使われることがなく死語化してしまいました。ちなみに「国家」と「祖国」と、どう違うのでしょう?
 「国家」。①〔易経・繋辞篇下〕くに。②(state;nation)一定の領土とその住民を治める排他的な統治権をもつ政治社会。近代以降では通常、領土・国民・主権がその概念の三要素とされる。
 「祖国」。①祖先以来住んできた国。自分の生まれた国。「ーを捨てる」②国民の生まれた国。 (『広辞苑・第六版』より)
 なるほど「国家」は欧米式の近代法概念に基づく用語。対して「祖国」は読んで字のごとく、「祖(おや)の国」か。 

 独断的解釈では、「国家」からは一定の領土という平面的な空間、そしてそこに住む国民とその主権の主張し合い、せめぎ合い、そして他国とのマキュアベリ的外交戦術などしか感じられません。対して「祖国」からは、今日ただいまこうして身を置いている国の、悠古の祖先からの連続性、つまり三次元的空間に時間軸が一つ加わった四次元的かつスピリチュアルな広がりが感じられます。
 いやもし仮に、私たちの日々の営為を遥か高い所から鳥瞰している宇宙的存在がいるとするなら。連綿と続く血のつながりを断ち切り、エゴ的個体としてただやみくもにあっちにぶつかりこっちにぶつかりして生きている今の私たちの姿は、蟻と同じ二次元上の平面的生物にしか見えないのかもしれません。

 今から半世紀も前、若き寺山修司が感受した祖国喪失。私たちはその間ずっと、喪失状態のまま生きたきたわけです。ますます混迷を深め、凶悪犯罪が増加する一方の世の中。それは深いところで、「祖国喪失」とリンクしているのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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「あなたは、あなたでいいのだ。」

  これでいいのだ。
  それは、赤塚不二夫さんが、
  漫画の中で幾度もくり返してきた言葉。

  現実はままならない。
  うまくいかないことばかり。
  毎日のほとんどは、
  これでよくないのだ、の連続だ。
  自分を責めて、誰かを責めて、何かを責めて。
  そして、やっぱり自分を責めて。

  だけど、ためしてみる価値はある。
  あなたが、もうこれ以上どうにもならないと
  感じているのなら、余計に。

  胸を張る必要はないし、
  立派になんて、別にならなくたっていい。
  あなた自身がそう思えば、
  世界は案外、笑いかけてくれる。

  人生は、うまくいかないことと、
  つらいことと、つまらないこと。
  そのあいだに、ゆかいなことやたのしいことが
  はさまるようにできているから。

  どうか。あなたの人生を大事に生きてほしい。
 
…… * …… * …… * …… * …… * ……
 以上の文は、10月20日付夕刊紙の17面下段の大きな広告欄に掲載されていた一文です。スポンサーはACジャパンです。同社は公共広告によって啓蒙活動を行っている特例社団法人で、時折りテレビでも同社の秀逸なCMを目にすることがあります。私は一般紙を購読していませんが、あるいは全国紙にもこの広告は載っていて、既に目にされた方もおられるかもしれません。
 何ともほのぼの心打たれる一文です。どこぞのコピーライターが作ったものなのでしょうが、『さすがはプロの文章 ! 』とうならされます。広告文である以上、著作権は発生しないはずと判断し、早速全文を引用させていただきました。
 
 「あなたは、あなたでいいのだ」。確かにそのとおり。「隣人愛」は人類の理想ではあるけれど。まずは自分自身を認め愛せなければ、とても他人を愛せるものではありません。それも自分の嫌いな部分も含めて、丸ごと。しかし実際は、意外と自分自身を愛せていない、自分のどこかを嫌っていることの方が多いものです。

 最近亡くなった人のことを引き合いに出して、申し訳ないながら。ミュージシャンの加藤和彦氏が自殺しました。享年62歳。私より2歳上、昭和43年一世を風靡した『帰ってきたヨッパライ』以降若くして音楽的才能を発揮し、私ら「団塊の世代」の旗手の一人でした。
かつてのブルーコメッツの井上忠夫氏の時もそうでした。今回の加藤氏の自殺によって、若かりし昭和40年代のあの頃の、私たちの思い出がまた一つ黒く染め上げられてしまったなという思いがします。

 「なぜ自殺なんかしたのだろうか?」。2番目の奥さんの安井かずみとの死別がこたえたとか。それに近年うつ病で通院しており、知人たちには「やりたいことがなくなった」「自分の思うことができない」と洩らしてもいたとか。そういうことが重なって人生に絶望したのかもしれません。しかし本当の原因は当人にしか分からないことです。
 それを承知で述べますと、「老いの自覚」がどこかにあったのではないだろうか?と思うのです。加藤和彦氏はバリバリのダンディな人だったと聞きます。若くして才能が開花したかつての輝かしい自分。今現在の才能そして肉体的衰え。その甚だしいギャップ。彼のダンディズムは、自身のそのような衰えを認めたくなかったのではないでしょうか?

 引用文の「あなたは、あなたでいいのだ」は、付け加えるとすれば「あなたは、今のままの、あなたでいいのだ」となるはずです。
 しかし加藤氏はそれが出来なかった。過去の栄光があまりにも大きすぎて、今現在の自分を否定しがちだったのではないでしょうか?それは加齢により才能その他諸々の衰えの自覚だとしても、それらも含めてありのまま認めてほしかった、「自殺」という究極的な自己否定などしてほしくなかった。これは同時代を共に生きた者の率直な感想です。
 今後『あの素晴らしい愛をもう一度』や『イムジン河』を、どのように聴けば、歌えばいいのでしょう?

 それに引き換え。漫画家・赤塚不二夫(昭和10年~平成20年)のすべてを笑い飛ばす「ギャグ精神」の見事さといったら ! 今回引用文の中には、赤塚の写真も載っています。それはあの天才バカボンの父親そっくりの、鼻の下に5本のヒゲ、額に2本のシワを墨で描いて、目を細めて微笑んでいる写真です。その姿からは、「人生何があっても、これでいいのだ」と笑い飛ばす、赤塚の面目躍如といった感じです。今となっては、何とも懐かしさを覚える赤塚不二夫の風貌です。

 赤塚不二夫は旧満州に生を享け、敗戦で軍人の父親はシベリア送り。残された家族は終戦の翌年、母の実家のある奈良県に引き上げてきました。幼少の頃から辛酸をなめ地獄も見てきたようです。悲惨な体験が根っこにあっての、「これでいいのだ」。人生丸ごと全肯定の楽天的姿勢。
 笑い事じゃない深刻な時ほど、「笑い」や「ギャグ」が余計必要なのかもしれません。

 「これでいいのだ」は、決して甘ったれた育ちから生まれた言葉ではない。それをよく噛みしめて、引用文をじっくり味わってみたいものです。

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(23)

 この国は特権階級優遇社会 !?

 私としては(21)(22)記事を作成しながら、『このまま迷宮化しそうだった押尾事件、何とかまた動き出したぞ』と密かに喜んでいました。押尾学の再逮捕、現場に駆けつけたエイベックス元社員のマネージャーたちの逮捕、そしてその先のあっと驚くような新展開を思い描き、大いに期待もしていたのです。
 しかしその後何日経っても事態は一向に進展していません。先週数回事情聴取され、そのまま逮捕かとみられていた元マネージャーたちの逮捕もなく、押尾自身の再逮捕の動きもなく。今月23日の、押尾の麻薬取締法違反という軽微な罪を裁くだけの初公判を待つばかり。大いに落胆させられます。

 警視庁捜査一課の、最近のさもやる気まんまんの捜査は一体何だったのでしょう。やはり田中香織さんの遺族から民事訴訟を起こされそうで、そうなるとそれまでの怠慢捜査が浮き彫りになっては困る、そのためそれを思い止まらせるための単なるポーズ、偽装捜査だったのでしょうか。
 もしそうだとしたら、事件の真相解明を望む遺族や国民をなめ切った姿勢というべきです。事件発生当初から追い続けてきた私としては、何ともやり切れない虚しい思いがします。

 そこで素朴な疑問が沸いてきます。それは今の日本は、本当に「民主主義国家」といえるのだろうか?ということです。もちろん「民主主義とは何か?」という定義は大変難しい側面があります。しかし簡単に言えば、読んで字のごとく「国民主権主義」ということだろうと思います。それでなくても「主権在民」は現憲法が保障する基本的概念なのですから。
 この基本的なルールが今守られているのだろうか。政治、経済など各分野で詳細に検討するとなると、大論文になってしまいそうです。ですから今回は押尾事件だけに絞ってみてみたいと思います。

 押尾学が保釈されて間もなくのネットアンケートでは、「これで事件が解決したとは思わない」という人の数が、70%以上にも達していました。以前述べましたような諸事情により、新聞、テレビなどマスコミ各社のこの事件の報道には、かなりの情報操作、隠蔽があります。だから「押尾隠し」「総選挙隠し」のため連日酒井事件の方を過熱報道したマスコミは、この問題で世論調査などするはずがありません。あくまでもネットでの結果ながら、いずれにしても多くの国民がこの事件に疑問を持っているのは間違いないと思います。
 田中さんの遺族のみならず、「もっときちんと捜査して、事件の全容を解明してもらいたい」というのが「民意」なのではないでしょうか。
 主権在民というのに、これまでも民意は幾度となく無視され踏みにじられてきました。押尾事件でも同じように民意を無視して、単なるポーズだけの捜査で終わらせるというのでしょうか。

 当初から所轄の赤坂警察署などが捜査に二の足を踏んできたのは、これまで本シリーズで述べてきましたように、とてつもない「大きな闇」が暴かれることになるからです。その大きな闇を抱えているのは、一般大衆つまり国民でしょうか。
 さあ、そこが問題です。六本木ヒルズに“やり部屋”を幾部屋も開放し、売春まで斡旋し、自らが薬物を使用していた疑惑のある、ピーチ・ジョンの超資産家の野口美佳社長。そのやり部屋に出入り自由で、事件発生当時問題の一室にいた疑惑のある、森元総理の長男祐喜や北島康介など。それをもみ消すために捜査当局に圧力をかけた疑惑のある、森元総理や平沢勝栄議員…。

 押尾学という二流役者を身代わりに立てすべての罪を彼におっかぶせて、上に挙げた連中を守ろうというのが、今回の事件の基本的構図なのではないでしょうか。彼らは「一国民」でしょうか。確かにある側面ではそうだともいえます。しかし国民の多くは決してそうは見ないことでしょう。
 超資産家、オリンピックの金メダル級のアスリート、県会議員、国会議員、元総理。彼らは明らかに「特別な人たち」です。それが証拠に、一般ピープルが立ち入ることが難しい六本木ヒルズに、彼らは出入り自由なのですから。

 社会的に特別な立場の人たちは、例えどんな罪を犯しても守ってやらなければならないということなのでしょうか。いつからそんな法律が出来たのでしょう。
 すべての人間は「法の下に平等」のはずです。もしそうではなく、「いやぁ、あの人間をしょっぴくとなると社会的影響が大きくなるからねぇ…」では、それを基本理念の一つとする「法治国家」が根底から揺らぐことになります。
 それのみか、そんなことをすればするほど、国が根っこの所からどんどん腐っておかしくなっていってしまいます。

 むしろ社会的立場が上であればあるほど、己の身は何倍も厳しく律するべきなのです。もし仮にそういう立場の人間が法を犯した場合は、当局は取分け厳正に取り調べ裁くべきです。そうでなければ、法治国家を保っていくことは出来ません。「上乱れれば下乱れる」のが道理です。

 問題のやり部屋に、県会議員や国民栄誉賞を受賞しようかという人間が昼日中から入り浸っていて良いはずがないのです。そこで当然に薬を使用していたわけですから、それだけで立派な犯罪です。しかもこの度は、事件発生当時問題の部屋にいた疑惑がかけられているのです。『なのに何のお咎めもなしとは、アンタら何様だ。金正日の息子たちか』。
 二世議員。二世タレント…。硬直化し活力が失われていく一方の、格差社会、階級社会。この国はもはや民主主義など名ばかりの、特権階級が好き勝手にのさばる国になってしまったのでしょうか。
 そんな国が、北の将軍様の国を批判できるのでしょうか。

 警視庁捜査一課によるこの事件の真相解明を、改めて強く要望したいと思います。

 (大場光太郎・記)

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えっ。オバマにノーベル平和賞 !?

 9日夕方たまたま民間テレビ局の報道番組を見ていました。『薬物汚染(21)』をまとめようと、押尾学の新しい近況が何か報道されないだろうかと思ったからです。しかしその関連のニュースはこのところすっかり影をひそめ、この日も結局同関連情報は得られませんでした。
 ところが6時過ぎ、びっくりするような速報が飛び込んで来たではありませんか。

 「今年のノーベル平和賞に、アメリカのオバマ大統領の受賞が決まりました」というような内容です。私は一瞬『えっ。ウソだろ』と正直思いました。去年のノーベル賞で、物理学賞が小林誠・日本学術振興会理事、益川敏英・京都産業大学教授に、化学賞が下村脩・米ボストン大学名誉教授にと、3人の日本人学者に贈られた時もびっくりでしたが、今回のオバマ平和賞もその時と同じくらい驚きました。
 オバマ大統領がノーベル平和賞に不適格などとは決して思いません。しかし今年1月に大統領に就任してまだ10ヵ月しか経っていないのです。『受賞できた世界平和貢献っ何なの?』。思いつくのはやはり、今年4月のプラハでの「核廃絶演説」くらいです。しかしそれとてもただ世界に向けてそう演説したというだけで、肝心の米国をはじめ核保有国が核を実際に減らしたなどという話はまだ聞かないわけだし…。

 その後伝えられた報道では、ノーベル賞委員会の受賞理由は「本委員会は国際的な外交と諸国民の協力強化に向けたオバマ大統領の比類なき努力を理由に受賞を決めた。とりわけ“核のない世界”の構想とそれに向けた取組みを重視した(以下省略)」というものでした。
 つまりオバマ大統領の「比類ない外交努力」が受賞の最大の理由、それを示す顕著な功績として真っ先に「核兵器のない世界の構想」が挙げられるということでしょうか。

 いずれにしても、つい先日シカゴ五輪招致で勇んでコペンハーゲンに乗り込んでも、真っ先にシカゴが落選など、最近少し影が薄くなりかけたかな?と思われた矢先でした。
 五輪招致失敗はともかく。米国内では、医療保険制度改革の論議が本格化した7月から、就任当初のオバマ大統領の高支持率は下がり始め、最近は50%ほどまで下落していました。また混迷が深まるアフガニスタンへの増派をめぐっても、駐留米国司令官とバイデン副大統領の間で対立が表面化し、増派反対の世論は60%にも上るそうです。
 そんなオバマ大統領本人そして米国政府にとって、今回の受賞は願ってもない朗報となったことでしょう。

 今回のオバマ受賞の報に際しては、直接関係ないと思われる我が国でも、どういうわけか号外まで配られたようです。唯一の被爆国日本としての、オバマ大統領に寄せる世界平和推進への期待の表われなのでしょうか。
 核廃絶を掲げる日本政府や与野党からは、祝福と歓迎の声が相次いだようです。中韓外遊中の鳩山首相も、到着した北京市内で記者団に、「本当にうれしい。みんなで大統領を後押しして核のない世界にしていこうという期待感をこめて贈られたのではないか」とコメントしました。
 我が国のみならずハン・ギムン国連事務総長、イギリスのブラウン首相、フランスのサルコジ大統領など、各国首脳からも祝福のメッセージが続々と寄せられています。

 そんな中石原東京都知事は皮肉にも、「平和賞は政治的な思惑があるからねぇ…」と口を濁していました。“石原嫌い”の私は、『石原さん、いい加減にしなさいよ』と言いたいところですが。しかしこの石原発言は確かに一理あるのです。
 私は平和賞受賞で過去驚いて、ノーベル平和賞って一体何なの?と考え込んでしまったことがあります。それは他でもない、佐藤栄作元首相が我が国で唯一の平和賞受賞者(1974年)になった時です。確か「沖縄返還」などが受賞理由だったのでしょうか。でもそれは表向きの理由で、実際は長期政権下ただひたすらアメリカ様に忠勤を尽くした、そのご褒美なんじゃないの?と思ったのです。とにかくその前年の、訪問した国では後に必ず戦争が起こると言われたキッシンジャー米元大統領補佐官の受賞などとともに、ノーベル平和賞の権威の失墜を感じた最たるものでした。

 しかし今回のオバマ大統領への受賞は、私としてはそんなに政治的な意図は感じません。強いていえば、受賞理由の中に「中東平和外交の推進」があり、オバマのイスラエル寄りの姿勢も評価されたのかな?と思うくらいで。
 どこかの同ニュース見出しで、「平和賞、“実績”ではなく“理念”に受賞」とありましたが、やはりここは全世界の潮流が「平和」の方に向かっている、それをノーベル賞委員会は敏感にキャッチして決定したのだと素直に取りたいと思います。

 今回のオバマ受賞を、広島、長崎でも被爆者らが「核廃絶に大きな力」と歓迎のようです。来月訪日するオバマ大統領は、結局広島、長崎への訪問見送りの方向と伝えられています。しかし今回の受賞を受けて、大いに方針を変えて米国大統領として初の両市への訪問を是非実現していただきたいものです。そうすれば、12月10日のオスロでの授賞式に胸を張って臨めるのではないでしょうか?

 (追記) オバマ平和賞の陰に隠れてあまりニュースになりませんでしたが、ここ数年毎年のようにノミネートされている村上春樹の文学賞受賞は今回もなりませんでした。年初のエルサレム賞受賞時の「卵と壁」スピーチのイスラエル批判が響いたのでしょうか。何といっても、ノーベル賞の創始者・ノーベルはユダヤ人ですから。

 (大場光太郎・記) 

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東京、五輪招致に失敗

 東京など4都市が立候補した、2016年の第31回夏季オリンピック開催地を決める国際オリンピック総会(IOC)の第121回総会が、2日(日本時間3日午前零時すぎ)デンマークのコペンハーゲンで行われました。
 ‘64年東京オリンピック以来“再び東京で”と、石原東京都知事を先頭に3年前から招致運動を繰り広げて、今回の決定の日を迎えました。結果は第1回目投票でシカゴがいきなりビリになる波乱の幕開け。当初から「2回目に残れれば勝機あり」と読んでいた関係者にとって、望みどおりに2回目の投票に望みをつないだその結果、あえなく東京は落選してしまいました。

 そのため残りの2都市、ブラジルのリオディジャネイロとスペインのマドリードで3回目の決選投票が行われ、その結果本命のリオディジャネイロがマドリードを34票差で引き離し、‘16年の開催地に決定しました。
 南米大陸では初のオリンピック開催だそうです。五輪のマークは五大陸をシンボライズしたもの。最先進国都市のシカゴ、東京が真っ先にふるい落とされたのも時流かなと感じます。そして最終的に開発途上国のリオに決まって良かったのではないかとも思います。
 それにブラジルは、既に2014年のサッカーワールドカップの開催地にも決定しています。同国にとっては二重の喜びといったところですが、‘16年五輪ではW杯の施設をそのまま流用できるメリットもあるようです。

 ただリオ市街は狭くてホテルも少なく、交通渋滞もひどいようです。それらを解消するための都市インフラの整備が求められます。さらにその上900ヶ所ものファベーラ(スラム)があり、麻薬密売組織が暗躍し、勢力争いによる銃撃戦が絶えず発生しているようです。殺人発生率は東京の37倍にも上るといわれ、治安の安定化も強く望まれるところです。

 問題は招致に失敗した「我が東京」です。天邪鬼な私は、招致話が持ち上がった3年前から『できればやってほしくないな』と思っていました。しかしそう考えているのは私だけではなかったようで、都民からも国民の間からも「何が何でも再び東京で !」という大きな盛り上がりに乏しかったことも事実です。
 ただ一人盛り上がっていたのは石原東京都知事で、後の関係者はつられて盛り上がっただけ。今回は「石原の石原による石原のための招致運動」との感を深くします。石原都知事には当然招致を成功させ、歴史的名知事として名を残したいという政治的野望があったことでしょう。また新東京銀行の破綻問題、築地の移転問題のこじれなどその失政が明らかになる中、汚名挽回策という一面もあったことでしょう。
 それに以前少し触れましたが、加えて今回の招致の根っこにあったのは経済効率です。東京招致は極論すれば、経済界やゼネコンを喜ばすだけのものだったとも言えるのです。

 東京が落選するのは、当初から分かり切っていたという見方すらあります。アジアで夏季五輪が開かれたのは‘64年の東京‘88年のソウルそして‘08年の北京の3回です。同じ地区で20年に1回招致できれば御の字と言われているのです。その常識からすれば昨年北京で開催したばかりなのに、8年後にまたアジアでの開催などあり得ないことだったと言うのです。
 
 しかし石原都知事以下は強硬に招致をもくろみました。先ほど述べましたように、それは石原の政治的野望が発端です。そのために使われた税金は150億円。その中には招致活動と称して海外に行った際の1泊10万円以上の石原の高級ホテル代も含まれます。招致失敗によって都民の血税がムダに消えてしまったのです。
 東京都民はこの際大いに怒るべきなのではないでしょうか。そして石原都知事を相手どって、150億円返還のための損害賠償の訴えを起こしてもいいのではないでしょうか?

 それに解せないのは、最初から勝つ見込みのない招致なのに、鳩山首相がわざわざIOC総会に乗り込んで行ったことです。民主党は石原都知事に何か恩義でもあったのでしょうか。話は逆で、石原は政権交代前の民主党や鳩山氏をボロクソにけなしていたのです。
 そもそも鳩山首相は、9月16日の首相指名の際の衆院本会議の直前、あの森元総理から「IOCへの参加、何とか頼むよ」と耳打ちされ憮然としていたそうです。確か民主党としても招致には消極的だったはず。党の姿勢を示す意味でも、その時きっぱりと断ってしまえば良かったのです。

 なのに、先の好評だった国連演説の二番煎じを狙ったのか。国民に受け狙いのポピュリズム(大衆迎合主義)に走ったのか。小沢や菅や岡田だったら、まず出かけることはなかったでしょう。
 まだ基盤脆弱な新政権、それも発足して間もないのです。確かに「YUAI(友愛)」もいいけれど。それは世界向けのアピールにとどめ、国内的には不用意な友愛など禁物です。本来なら招致失敗で辞任必至だった石原都知事に、「時の首相が行ってダメだったんだから…」と、任期いっぱいまで居座る絶好の口実を与えてしまったではありませんか。またこれで、新東京銀行破綻問題での石原の責任追及は難しくなり、民主党が主張する築地市場移転中止もこじれるのではないでしょうか。
 今回のIOC総会出席が、新政権にとっての「躓(つまず)きの石」にならなければよいのですが。

 (大場光太郎・記) 

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差別用語・考

 先日あるブログのコメントで、「乞食(こじき)」の思い出話が語られていました。私は興味深く読ませてもらったのですが、しかし考えてみれば乞食という言葉は今日では「差別用語」に当たるものであり使用自粛の方向にあるわけです。
 だったらこの言葉は一切使用してはいけないのでしょうか?さあこうなると大変複雑な問題をはらんでしまいます。今回はこの言葉を契機として、差別用語について少し考えてみたいと思います。

 折角ですから、まずは問題の乞食から始めます。ご存知の方も多いかと思いますが、乞食の元々の意味は仏教用語の「乞食(こつじき)」から来ています。それは比丘(僧侶)が自己の色身(しきしん-肉体)を維持するために食料などを人から乞うことを意味していました。「行乞(ぎょうこつ)」「托鉢(たくはつ)」とも言われ、仏教さらにそれ以前のバラモン教における重要な修行の一つであったのです。

 それが我が国ではいつの間にか、僧侶ではない者が路上などで物乞いをする行為やその当人を呼ぶのが一般的になりました。その転機はずいぶん大昔のことだったろうと思われます。なぜならこの世には「貧富の格差」は古来常に存在していたからです。さまざまな理由から自力で食料などの生活物資の確保がままならず、周りの人々に物乞いして露命をつなぐしか手段のない人たちがいたのです。その人たちを卑しいと見るかどうかは別として、それらの人々はいつの世の最底辺にも存在し続けたのは冷厳な事実です。

 世の種々相を赤裸々に描き抉り取ることを使命の一つとする文学作品でも、乞食は各時代の作品の中でさまざまに取り上げられてきたことでしょう。
 差別用語論議がかまびすしい今日の作家なら、このテーマを描く場合どうするのでしょう?現代ならばホームレスでしょうが、厳密にはそれと乞食とはニュアンスが違います。乞食という言葉は、ある意味立派な文化的伝統を背負ってきた言葉の一つでもあるのです。一時代以上前の時代が背景の作品では、やはり乞食は乞食として表現していく以外に、その時代の雰囲気を正確に伝えることは出来ないのではないでしょうか?

 乞食の例のように、差別用語は特定の属性(例:少数民族、被差別階級、性別、同性愛者、特定疾患の罹患者、職業など)を持つ人々に対する差別を目的として使用されている俗語、蔑称を指す用語とされます。明確な基準があるわけではありませんが、一般的に日常会話においては禁句、また主要メディアにおいては「放送禁止用語」として扱われています。

 差別用語特に放送禁止用語として挙げられている言葉は、実に夥しい数にのぼります。当ブログでこれまで何気なく使ってきた中にも、差別用語・放送禁止用語があるわあるわ。「百姓」「土方」「つんぼさじき」「田舎」「垂れ流す」「狂気」「川向こう」「片手落ち」「芸人」「後進国」「表日本」「裏日本」「身分」「部落」「ヤバイ」…。
 私自身既に使っているから言うわけではありませんが、もしこれらの言葉のすべてを今後一切使用禁止とする、仮に使用した場合は法的に処罰するなどとなったらどうでしょう?私たちの日常会話、文章表現は著しく制限され、言語生活はずいぶん貧しいものになるのではないでしょうか?

 確かに中には、「穢多(えた)」「非人」「廃人」「賎民(せんみん)」など最初から差別を目的として作られた用語もあります。このような言葉は常識的に判断して当然使うべきではありません。その他身体上の障害者に対する「めくら」「つんぼ」「おし」「どもり」「かたわ」なども多分に侮蔑的用語であり、使うのは控えるべきだと思います。(ただ以前の邦訳聖書や文学作品では、これらの言葉も頻繁に使われていたように記憶しています。)

 といっても、「盲人」「盲目」「文盲」もダメというのは、少し行き過ぎなのでは?と思ってしまいます。それらに変わる言葉として、盲人は「目の不自由な人、視覚障害者」、盲目は「分別に欠ける、理性がない」、文盲は「字の読めない人、非識字者」というように置き換えなければならないのです。
 ずいぶん回りくどい表現ではないでしょうか。例えば昔から「恋は盲目」という表現がありますが、これがダメなら「恋は分別に欠ける」?これでは折角の詩的表現が台無しです。

 差別用語あるいは放送禁止用語として無制限に規制の網をかぶせることは、憲法で保障された「表現の自由」を侵害することにもなりかねません。差別用語という言葉の「差別」にもなり、とどのつまりは「言葉狩り」にまで行き着いてしまいます。
 一応は差別用語や放送禁止用語として挙げられている言葉も、時と場合に応じて臨機応変に使用しても良いのではないでしょうか。また差別用語は使っていても、全体としての文脈が必ずしも差別を意味していなければОKということで。時には差別用語を使っていなくても、全体の文意として著しく差別しているということもあり得ます。私はこっちの方がずっと問題だと思います。

 差別用語はもちろん時には大問題となりますが、それより何より当今の極端な格差社会の問題、さらには私たち一人一人の心に潜む「差別意識」の方が遥かに深刻な問題だと考えます。
 というわけで私は自己責任で、使いたい用語は今後とも使っていきます。この問題、皆様はいかがお感じでしょうか?

 (追記) そういうわけで後日、私自身の「乞食さん」の思い出を綴ってみたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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清純派・考

 酒井法子が先日保釈され、1ヶ月半にも及ぶ酒井失踪、逮捕という一連の「酒井フィーバー」もやっと一段落したかっこうです。事件が起こる前の酒井法子のイメージは「清純派」というものでした。笑顔が可愛らしく、何となくチャーミングで清潔そうで、彼女はまさに清純派にうってつけと思われていました。
 しかし失踪以後、彼女のそんなイメージは総崩れに崩れてしまいました。連日テレビなどが暴く実像は目を疑うようなものばかりで、それまでの清純なイメージがいかに作り上げられた虚像であったかを思い知らされ、幻滅すると同時に時に暗澹たる気持ちにもさせられました。

 私自身は酒井法子を事件が起きるまではよく知りませんでした。というよりもあまり関心がなかったといっていいくらいです。
 そんな私の家には、彼女に関するある気がかりなものが残っています。それは亡母が使っていた部屋の、亡母専用の和ダンスにあります。そのタンスの上から二段目の引き出しの左隅に酒井法子の写真が貼りつけてあるのです。それは引き出し幅に少し足りないくらいの縦長のものです。よく見ると、あの問題官庁、社会保険庁からの「お知らせ」ステッカーのようです。そこに今から20年以上前の、デビューしたての頃16、7歳くらいの、白いセーラー服姿ののりピーが、天真爛漫な笑顔で、顔の左側に左手を当ててこちらに開いた、ちょっと身をかがめた立ちポーズで大きく写っています。

 今思い返してみますと、ずっと以前からそこに貼ってあったようです。というのも、それを貼ったのは私ではなく、亡母だからです。母が当時のりピーのそんな愛くるしい姿を気に入って、年金受給手続きで訪れた社会保険事務所からもらってきたステッカーを、そこに貼ったのだと思われます。
 以来私も母の部屋に入った折り、何度も目にしてきました。それは彼女の生まれ育った特殊な家庭事情など知る由もない私には、山の手辺りの育ちの良いお嬢さん、まさに清純派そのものに見えました。

 なのに今回の事件です。一連の大騒動によって酒井法子のイメージは地に堕ちてしまいました。『おい、のりピー。あの写真どうしてくれるんだよ』と言いたい気分です。それは多分裏のシールをはがしていったん何かに貼ってしまえば、もう容易にははがせないシロモノでしょう。ムリにはがそうとすれば、亡母の大切な遺品の一つを痛めてしまいかねません。それに亡母にとってのりピーはお気に入りで元気な頃、よく眺めていたのかもしれないし…。
 海外を含めた多くののりピーファンは、ずっと大切にしていた心の中のイメージを今回ズタズタに引き裂かれてしまったことでしょう。そのファンの心中たるや、私の家の写真云々の比ではないことでしょう。

 思えばわが国では特に映画産業を中心に、「清純派の系譜」のようなものがありました。その走りは、戦前から戦後にかけての、今でもその清楚な美しさを絶賛する年配の人が多い田中絹代でしょうか。そして戦後は、小津安二郎監督の作品の多くにヒロインとして登場した「永遠の処女」原節子。私個人としては、小津監督の代表作『東京物語』に原と同じく出演していた香川京子の名前も上げておきたいと思います。
 さらに時代が下って、高度経済成長の始まりの昭和30年代後半の映画『キューポラのある街』で、女子高生役として鮮烈デビューした吉永小百合。

 ここで私の連想はピタッと止まってしまいます。およそ客観的に判断して正統派としての清純派と認められるのは、吉永小百合あたりが最後だったのではないだろうか、そう思われるのです。その後強いて上げれば、私と同世代の酒井和歌子がぎりぎりセーフかな、というくらいで。
 その後なぜ正統清純派がいなくなったかと言いますとー。「清純」には根っこの部分で、「性的な純潔」に結びついている面があるように思われるからです。

 ある説によりますと、そもそも我が国の清純派のルーツは、大正期に活躍した武者小路実篤や有島武郎らの「白樺派」の恋愛小説に登場するヒロイン像にまでさかのぼれるそうです。そこに描かれているヒロインはまさに、清楚で可憐で、しかし人間らしい内面の葛藤を見せることのない女性像です。世の悩み多き男どもは、そんな清純派ヒロインに己のさまざまな想い、もっと言えば「着せ替え人形」的妄想を投影してきたわけです。
 ところで「白樺派」は、明治以来の文明開化によってもたらされたキリスト教文化に、多大な影響を受けていると言われています。そして清純派は、突きつめていけばマドンナ、聖母マリアの「処女懐胎」にまで行き着くわけです。それを反映した白樺派文学のヒロインが、その後娯楽の中心となった映画の中で白樺派作品の映像化、そして今日に到るステレオタイプの清純派が形成されていったと言うのです。

 ところが私などが青春期を送った昭和40年代以降、「フリーセックス」という考え方が欧米からどんどん流入され始めました。特に良くも悪しくも時代の最先端を走っている芸能界において、それは決定的な流れだったことでしょう。その後時代が進むにつれて性の自由化は一段と定着し、芸能界はおろか一般女性にも、「性的純潔」など求める方がヤボという状況です。
 今日では「清純派」などという言葉は、もはや「死語」であるはずなのです。

 なのになぜか芸能界では、酒井法子を持ち出すまでもなく、未だ「清純派女優」というものが流通しています。なぜなのでしょう?それは世の男どもの中には、今なお清純派という「幻想」を追い求める者が多いからだと思います。いわゆる需要と供給のバランスで、その需要に応えようと、今時は特に商魂たくましい芸能プロ、テレビ局、広告代理店の手によって、「清純派もどき」が次々に供給、増産されているわけなのです。

 このような清純派もどきを求める男たちは、どこか現実逃避の傾向のある「幼児性」が見られるとも指摘されています。その意味で今回の酒井法子の一件は、そんな甘ちょろい男どもの目を覚まさせるのには、かっこうの教材であったのかもしれません。
 
 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(4)

 公示日のきのうからほぼまる1日が経過し、総選挙まで後残すところ10日です。
 後10日というのは、「ついにあと10日に迫ったか」という見方と共に「まだ10日もあるのか」という見方も出来ます。選挙のプロは、「選挙は最後の3日間で決まる」と言っています。前回の郵政選挙のような、政官財それに各マスコミこぞっての「翼賛選挙」ならいざ知らず。選挙は水もの、この先本当に何が起きるか分かったものではありません。
 
 さすがに北朝鮮によるテポドン発射は先のクリントン訪朝でなくなり、アメリカの「デフォルト宣言」のようなメガトン級の事態もないようです。がしかし、自公政権は何らかの“爆弾”を用意しているという怪情報も流れています。
 もしかして、ここのところ急になった「新型インフルエンザ流行報道」もその一環かもしれません。今までピタッと報道しなかったのに、何でこの時期に?何か変なのです。「恐怖心を与えて大衆を引き込む」というのは、古来使い古された権力側の常套手段です。(用心は必要ですが、いたずらに恐怖心を持つのは止めましょう。恐怖心を抱くようだったら、同報道など見ない方が賢明です。)

 気になるのは、アメリカの知日派(一般の日本国民より、我が国の政治状況などをよく知っている知性派)の多くが、「今回の選挙では政権交代は起きないだろう」と見ていることです。彼らの見立てでは、民主党が比較第一党になっても自公伯仲となり、選挙後の政治状況は一段と混迷し、前に進めないような混沌としたものになると言うのです。その結果、来年夏の参院選は衆参同時選挙となり、その時が政権交代を賭けた本当の勝負となるだろうとの見方のようなのです。
 『えっ?ホントかよ』と思うような話ですが、決して有り得ないことではないと思います。

 今回民主党は「勝つ」のでしょうが、その「勝ちっぷり」が問題なのです。
 月刊誌『文芸春秋』9月号で、かつて大連立を仕掛けた中曽根元首相、渡辺読売新聞会長という、2人の「平成の妖怪」が対談しています。
 その中で渡辺恒雄は、「自民党の議席が“100減”で収まるのだったら、自民党は復活する可能性が十分にある。“150減”というレベルに達したら、自民党は半永久的に野党となるでしょうね」と発言し、中曽根元首相も同意していました。おそらく現自民党幹部たちも、「負け」は既に折り込み済みのはずです。しかし渡辺発言のように、負けが「100議席」か「150議席」で、自民党の今後の運命が大きく変わると見ているのではないでしょうか。

 自民党の解散時の議席数は303人。公明党は31人。対して民主党は112人です。したがって「自民100減、民主100増」だと、自民党203人民主党212人です。民主党はかろうじて比較第一党にはなるものの、過半数(241議席)には遠く及びません。確かに鳩山内閣は誕生するのでしょうが、社民党や国民新党との連立となります。当然自民党は下野ですが、公明党と併せても過半数には及ばないものの、連立与党と僅差の勝負が出来るのです。
 そこで自民党が、もろい連立政権を揺さぶり、民主と社民あるいは国民新との間にくさびを打ち込み分断させれば、民主は窮地に追い込まれ政権運営は行き詰ることになります。(先ほどの米知日派たちは、このケースになると見ているわけです。)

 一方「民主150増、自民150減」となると、民主党は260以上となり単独過半数となります。参院で過半数に達していないため連立政権とはなるものの、衆院での数が圧倒しているため、じっくり政権運営に臨めまた長期政権が見込まれます。来年の参院選でもおそらく勝利し、衆参そろって過半数議席獲得となります。
 そうなれば自民党は万事休す。逆に民主党から手を突っ込まれて、解体にまで追い込まれるかもしれません。

 思えば「100」は大変な議席数です。しかしその程度の増減では、この国の旧体質が根本から改まることはないということです。
 民主党が腰を落ち着けて、マニュフェスト(政権公約)実現に向けた政権運営を目指すのであれば、最低でも過半数の241(129増)以上は確保しなければなりません。出来れば、絶対安定多数の262(150増)以上を得たいところです。とにかく241以下では、政局が流動、混迷化することを覚悟しなければなりません。

 これまで万年与党で権益をむさぼってきた自民党にとって、今回の総選挙はまさに天国か地獄かの正念場です。残りの10日間、それこそなりふり構わぬ死に物狂いの選挙戦になることでしょう。民主党へのネガティヴキャンペーンも一段と激しくなるかもしれません。インフルエンザ流行問題で一段と恐怖心をあおってくるかもしれません。ある民主党幹部のスキャンダル暴露を準備しているという噂もあります。とにかく、この先は「何でもあり」です。

  しかし要は国民が、どれだけ心の底から「政権交代」を望んでいるかということです。底の浅い望みでは、老獪な旧来型の自公勢力に簡単に覆されてしまいます。
 本当にこの国に、浮上のきっかけとなる大きな「チェンジ(変化)」をもたらしたいのか。それとも旧来型政治に引き続き任せて政官財の泥沼構造に国民もろともぶくぶく沈み、亡国に至りついても構わないのか。二つに一つの選択。「主権在民」「国民主権」なのですから、決めるのは私たち国民です。

 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(3)

 きょう8月18日総選挙が公示されました。解散から投票日まで総選挙史上最長の選挙戦も、後残すところ12日間です。
 今回の選挙のテーマはハッキリしています。「政権交代、イエスかノーか?」。実にこの一点に絞られます。もし今回の選挙で政権交代が実現すれば、約60年間も続いた自民党一党支配にピリオドが打たれます。この国に本当の意味での議会制民主主義が根付き、「政治後進国」の我が国も、遅ればせながら先進国の仲間入りが出来ます。我が国の政治、社会、経済は大きく変わることになります。それは江戸幕府の大政奉還にも匹敵するような、歴史的出来事であるのかもしれません。

 今後の12日間で形勢がどう動くのか分かりませんが、現時点までの各種世論調査では、民主党の圧倒的優位を示しているようです。麻生首相はじめ自民党首脳は、「選挙戦を長引かせれば長引かせるほど、わが党に有利に働く」と読んでいたのでしょう。しかしとんだ読み違いだったと言うべきです。実際はその逆で、序盤は断然有利と見られていた自民党大物議員たちですら、日が経つにつれて小沢戦略による民主党のアイドル女性候補に急追され、今や青息吐息のようなのです。
 
 ‘07年の参院選では、新人の姫井由美子が「姫の虎退治」のフレーズで、片山虎之助をを破りました。今回も各地で、大物議員打倒を掲げる女性候補者たちのキャッチコピーが有権者に受けているようです。
 例えば「エリのクマ退治」。これは長崎2区の久間元防衛相に対する、福田衣里子のケース。また「姫のシオ干狩り」。これは愛媛1区の塩崎元官房長官に対する、永江孝子のケース。そして極めつけは「美女のサメ退治」。石川2区の森元首相に対する、田中美絵子のケースです。森氏はかつて「ノミの心臓」ならぬ「サメの心臓」と揶揄(やゆ)されたことをもじったもののようです。
  それ以外にも、福田前首相(群馬4区)、海部元首相(愛知9区)、与謝野現職大臣(東京1区)、古賀元幹事長(福岡7区)、武部元幹事長(北海道12区)、中川元幹事長(広島4区)、町村元官房長官(北海道5区)、深谷元大臣(東京2区)、中川元酩酊大臣(北海道11区)、赤城元バンソウコウ大臣(茨城1区)など、苦戦を伝えられる大物議員が大勢います。もし仮に首相・幹事長経験者が落選などとなると、自民党史上前代未聞の汚点として残ることでしょう。

 結果がどうなるにせよ、自民党議員たちをこのような窮地に陥らせたのは、麻生首相の優柔不断です。孫子の兵法には「戦いは巧遅より拙速を旨とすべし」とあります。麻生首相にとってベストのタイミングは、就任直後の支持率50%以上の時だったでしょう。そうすれば議席減は確実としても、自公政権は引き続き維持出来たことでしょう。しかし麻生首相はその時ですら、解散をためらって選挙から逃げたのです。
 もし仮に国家的な緊急事態に見舞われた場合を想定してみても、一国のトップリーダーには迅速かつ正しい「決断力」が強く求められます。解散総選挙をめぐってばかりではなく、就任後の幾多の政策決定に当たって、麻生首相には「決断力の欠如」がままみられたのではないでしょうか?「ブレる総理」というフレーズが、そのことを如実に物語っていると思います。

 「政権交代。イエスかノーか?」はまた、「麻生政権存続。イエスかノーか?」の選択でもあります。

 (大場光太郎・記)

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