ブログ再開に当たっての記事への読者とのやりとり

-長いブランクの末のブログ更新再開記事を出したところ、早速ある方より同記事へのコメントを頂戴致しました。ご自身も昨年何度も生死をさ迷うような大闘病を経験されたといいます。それ自体とても貴重な闘病記で感銘を受けながらお読みするうち、私も乗せられしばらくは伏せておくはずだったブログ中断のいきさつをついポロッともらしてしまいました。という事で、同記事本文で述べた「いずれまた」はこの返信をお読みいただきたいと存じます。それにしても警察という公権力の力は強力です。私としては『そんなに大ごとなの?』と思われるのに、当市警察署に連行され、何時間かの拘束の上、「これから横浜市内の病院で診察を受けていただきますから」との指令により未明に同病院に向かいました。担当警察官の話では「終わり次第帰れますから」というような事だったので気軽に応じ、同病院医師らによる十余人立会いの下の事情聴取の後、感触が良かったのでやれやれと思っていたところ、「それではこれから入院となりますから」ときたもんだ。何だよ、約束が違うだろ。それには思わずカッとなり、「悪魔がいるのは昔は宗教団体だったが、今は大病院だそうですね」などと担当医師に毒づいてしまいました。とともに、騙した形の担当警察官2名を睨みつけてやりました。そのうちの1名と視線が合いましたが、同警察官は視線を逸らしてこちらを見ようともしません。後で考えて「今悪魔がいるのは大病院と警察署だそうですね」と言えばよかったと思ったくらいです。二つの病院での一ヵ月半もの「身柄拘束」で失ったものは多いです。が、よく考えてみれば、すべてわが身の錆から出た事、悔やんでも誰を恨んでも始まらない、かえって普段なら得られない貴重な体験が出来た事も事実ですから、ある意味感謝です。という次第で、ご本人のご了承は得ていませんが以下にコメントのやり取りを転載致します。 (大場光太郎・記)-


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【更新再開します!】1ヵ月半ものブランク、深くお詫び申し上げます。
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-ac62.html

(転載開始)

「69回転」というのは69歳のことですよね。余りに新しい記事が、毎日期待しているのに、更新されないので、今日はリンク表から削除する覚悟でアクセスしたら、大変な記事が掲載されていましたので、急ぎ、初めてコメントすることにしました。
私は68回転ですが、昨年でかい病気(腹部大動脈瘤プラス胸部大動脈解離、さらに血管造影剤によるCT検査中のアナフィラキシーショック)で3回死にそう、というより少なくとも1回は多分15分くらいは死にました。しかし今はピンピンして雑事に惑わされることも止め、日々安倍内閣を中心とした歴史的バカ現象を眺めています。
いや人間死ぬものだという感慨はやはり大きいです。勝手ながら共感を覚えましたので、是非一言書きたくなりました。

投稿: 植木誠志 | 2019年2月26日 (火) 22時46分

植木誠志 様

 初めまして。この度は貴重なコメントをお寄せいただき、大変恐縮に存じます。

 そうでしたか。貴殿は昨年生死をさまようような壮絶な闘病体験をされたのですね。3回の内の一度は15分ほど確実に死んでいたというのですから凄い体験でしたね。このコメントでは語られていませんが、臨死体験のような事を体験されたのではないでしょうか。

 私の場合は貴殿のような大それたものではないのです。1月14日深夜、当市の駅すぐ近くの繁華街で少し問題行動を起こし、当市警察署に連行、何時間後かに遠い横浜市内の大病院精神科病棟に強制入院させられただけなのです。

 体は特段悪くないのに、頭と心に障害があるから強制的な入院が必要だというわけなのです(苦笑)。神奈川県命令による措置入院という形態だったようです。それで同病院に半分、後の半分はのちの事を考慮して当市内の精神科専門の病院に移され、その後問題もないようだしと措置入院を解除され、そこを25日退院となった次第です。

 事が事だけに記事本文では書くのがはばかられましたが、貴殿の闘病体験に感銘を受け大まかな事を述べさせていただきました。

 さて、「69回転」という表現に感心されたようなので、以下の解説を少しばかり。

 この表現は記事の中でも過去三度ほど使っています。語源となったのは次の一文(これも一度紹介済み)です。

「もしあなた方が「歳」から「旅(回転)」へとただ言葉を換えれば、あなた方は不死を獲得します。すべてはあなた方の信念と言葉にあります。」

 これは空洞地球内のボーソロゴス図書館長のミコス大聖のメッセージの一部です。こういうことを普通に書いたりするから「この者は妄想性障害だ」となるのでしょう(再び苦笑)。

 
投稿: 時遊人 | 2019年2月27日 (水)00時20分

(転載終わり)

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【更新再開します!】1ヵ月半ものブランク、深くお詫び申し上げます。

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 ご訪問の皆様。お久しぶりでございます。

 この度は、私のよんどころない事情により、何の前触れもなく1月15日以降記事更新を途絶えさせてしまいましたこと、このスペースをお借りして深くお詫び申し上げます。

 本来なら、長い中断に至りました理由をきちんとお話すべきなのかも知れません。が、今は詳細を語るべき時期ではないと判断いたしました。かいつまんで申せば、その間、二つの病院に入院いたしていた次第なのです。昨25日、二つ目の病院を無事退院致しました。

 かつて記事にもしたとおり、病院嫌い、薬嫌いの私にとってそれは苦痛ながらもなかなかに得がたい人生経験となりました。いずれ語れる時期が来ましたら記事として紹介致したいと存じます。

 定期読者の方の中には、『大場は年も年だし、死んじゃったのでは?』とお思いの人もおられたかもしれません。が、どっこい、こうしてびんびんして生きております。簡単にくたばってたまるもんですか。と申しますのも、私は69回転の今生の人生で本当の意味で「確実にこれをやった」と、自分自身で納得できる物事を何一つ為してはいないからなのです。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」とは孔子の『論語』の中の教えです。もしそうであれば、もしくは水滸伝を貫くメーンテーマである「替天行道」を私なりに為し終えたなと納得できれば、私とて喜んでこの世とおさらばしますけれどもね。

 というわけで、またぼちぼち記事更新をしていきますのでよろしくお願い申し上げます。
 
 以上、簡単ながらご報告までー。

                         平成31年2月26日   

                           大場光太郎 拝

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パソコン替えました !

  人気(ひとけ)なく落ち葉散り敷く夜(よ)の公園  (拙句)

 ニッチもサッチもいかなくなって、遂にパソコンを替えました。

 なにせ、今まで使ってきたパソコンは今から13、4年前に購入した超年代ものの東芝ダイナブック。もちろん昨年からセキュリティ上使用不可となったwindowsXPです。しかし特に守るべき個人情報や個人資産などまるでないわたくしめは、『そんなこと言われても、おいそれとは買えないんだよ』と、半ば開き直り気味にもうとっくに耐用年数が過ぎたパソコンを使い続けるしかなかったのでした。

 
 
 それにしても悲惨なパソコン生活でした。
 昨年何かの機会にNTTの人にマイパソコンの診断をしてもらったことがあります。電話での指示どうりに、メカに弱い私にはサッバリ分からない機能をあれこれ操作した結果、元々が小容量のマイパソコンは規定値の2倍以上の容量超過であることが判明しました。とにかくここ2、3年は重くて、重くて…。不調な時はマイブログのトップページを開くのに2、30分、さらに管理ページに入るのに2、30分などということもありました。

 
 重いのもさることながら、マイブログでの記事更新の際などにはいつも辟易させられ通しでした。

 なにせキーボードのキーがあちこちはがれてしまっていたのです。その数13個。元々は数年前、(バネが利かなくなって閉じられず開けっ放しにしていたら、2年前に死んだ)愛猫のミーがちょこんとかつ悠然とパソコンに座り込んでいたことに始まります。「こらミー。そんなとこに座ってちゃダメだ !」と、かなり重量級の猫だったのでヨッコイショと抱き上げて強制退去をかけました。ミーはあるキーに爪を食い込ませていてたらしく、いとも簡単にキーを2、3個カパカパはがしてくれちゃたのです。あ~あ。

 
 
 ミーはよほどパソコン上が座り心地よかったと見えてその後も2、3度同じようなことがあり、そのつどカパカパ…。ミーのバカバカバカ(苦笑)。もうこの時点で通常の経済状態人は、そんなパソコンに嫌気が差して新しいのに買い換えたはずです。しかし当時例のリーマンショックに財政的に打ちのめされていたわたくしめは、買いたくても買えず、そのまま使い続けるしかなかったのです。それに当座はキーがはがれても、文字などの入力はなんとか普通にできたのです。

 こうしてしばらくだましながら使っているうちに「は」「て」「せ」などがどうしても入力できなくなりました(私の場合、文字は「ひらがな」入力)。それでどうしたかというと、そのつど「IMEパッド」で手書きしていました。月日とともにその数が増えてきた上、昨年夏ごろからENTERキーや文字転換キーのような重要キーまでダメになり、改行、行送り、一字空白、文字転換といった肝心要の作業すらできなくなってしまいました。で、どうしたか。漢字はすべて手書き。改行、行送りなどが必要な時は以前の記事の当該部分をコピーして貼り付けてという、極めて原始的かつ非効率な手順で記事更新などをしてきたのであります(大笑い&苦笑)。

 以上、これまで記事更新が滞った言い訳もかねて(笑)、以前のパソコンのチョー不具合ぶりを見てきました。

 騙し騙し使ってきたものの最近ますます限界を痛感していた折り、たまたま金銭的余裕ができたので、ニューパソコンに買い換えた次第です。

 とはいっても、高額な新製品が買えるはずもなく、中古パソコンです。たまたま目にしたネット通販で、同じ東芝ダイナブックでwindows7、年式は2009年6月とやや古いものの、程度がよさそうで、値段も3万円弱と手頃なので買うことにしたのです。

 日曜日昼ころ届きました。早速梱包を開けて実物を確かめたところ、外観は新品とそう変わらないようです。製品の進化は歴然で、同じくらいの大きさでもスマートでより軽量です。月曜日プロバイダーのぷららに電話してネット接続の仕方を教えてもらい、早速マイブログを開いてみました。いやあ、驚きました。あれほど重くて開くのに難儀していたのに、あっけないほどサクサク入れるではありませんか ! さすが、小容量に懲りて[メインメモリ 3GB]を選んだだけのことはありそうです。

 で、これからは記事更新もサクサクと・・・といきたいところです。が、なかなかそうもいきそうにありません。というのも、生活上やむなく7月中旬頃からあるアルバイトをしているからです。現在は週の後半をそれに充てています。いずれもう少し詳しくご紹介する機会があるかもしれませんが、この期間は朝早くから出て、帰りも遅いので下手するとネットを見るのもままならないこともあります。

 とは申せ、パソコン環境は格段に良くなったのですから、なるべく多く記事更新をしていきたいと考える今日この頃です。

 (大場光太郎・記)
 
 
 
 

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シマチッチ、大雪後20日ぶりで姿を見せる

  猫の子のあくびも堂に入りし頃   (拙句)


 

 ウクライナの緊迫情勢、それを巡り親露から一転対決姿勢を強めていた米オバマ政権にすり寄る安倍“物笑い”外交、スッタモンダの末PC遠隔操作事件冤罪の片山氏を保釈せざるを得なかった毎度のダメ検察、安倍お友達人事の暴走により受信料不払い増加が深刻なNHKなどなど。

 取り上げるべき大問題が幾らもあるのに。今回は、私だけの超ローカルかつ超私的なニュースをお届けします。

 最近の『フォレスタの「冬の星座」』で、当市内の野良猫5匹のことを紹介しました。そのうちの一匹のシマチッチが、2月14日の二度目の大雪以降安否不明となり生存が絶望視されていましたが、今月5日夜、20日ぶりで無事な姿が発見され、「♪死んだはずだよ、シマチッチ。生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏の、シマチッチ」(『お富さん』のもじり)というニュースです(笑)。

 いやあ、無事だったから笑い話で済まされますが、仮の飼い主のつもりの私は、今回ばかりは『ダメかぁ』とマジで思いましたよ。だって、他の4匹グループは、稀に見る大雪が止んだ2月15日の夜にミケニャンニャン、アクニャンチャン、コクロシマの3匹が元気な姿を見せ、その2日後にオオクロシマの無事が早々と確認されたのですから。なおオオクロシマは、大雪がこたえたか、当座だいぶ重い喘息(ぜんそく)症状が見られ気がかりでしたが、3日ほどでおさまり今は元気に走り回っています。

 (『フォレスタの「冬の星座」』で簡単に述べましたが)シマチッチは上の4匹グループとは別の所で、いつもポツンと一匹だけでいる子猫です。昨年夏生まれに違いなく、4匹グループはだいぶ成猫の大きさに近づいていますが、この子だけはまだまだ子猫そのものです。

 冒頭掲げた画像は、当ブログで使用中のブログパーツ「日替リ今日のにゃんこ」の過去分をお借りしたものですが、シマチッチはだいたいこんな感じです。よく似ています。もう少し細かく言ば、眉間は白くありません。鼻の周りの薄模様はソックリですが、ただし右の片側だけです。さらに背中から両側面半ばまで黒縞模様が覆っているようです。

 シマチッチは“猫”一倍警戒心が強く、「大丈夫だから気にすんなよ」と言っても、近くを通る人など周囲を絶えず気にしているようすです。かれこれ5ヶ月くらいの付き合い(?)なのに、私も未だに1メートル以内には近づけません。だからこの画像の猫ちゃんのような、ゆったりくつろいだポーズなどついぞ見たことがありません。

 とは言ってもシマチッチ、まだまだ子猫でもあり、どうもオス猫のようですが仕草がけっこう可愛いいのです。それより何よりどういう事情だったのか、親兄弟の身寄りのない“一匹子猫”の不憫さも手伝って、どの猫よりも気に掛けて見守ってきたのでした。

 猫好きだった亡母が「(猫の)夏子は育だねなだど」と言っていましたが、なるほどこんなか細い体で・・・。でも切角生まれてきた命、(他の4匹もそうですが)寒さに向う折りから『何とか冬を越さしてやりたい』と、出会った昨年9月末頃からずっとそう願ってきたのです。

 これまでのさらなる仔細はいずれまたご紹介するとして―。
 ともかく昨年の12月、1月そして突如の2月8日の大雪も無事乗り越え、『もう大丈夫だろう』と思っていた矢先の2月14日の前回を上回る大雪。4匹グループがいる所から2,300メートルほど駅寄りの、広い意味で駅街区の外れの一角がシマチッチの出没する場所です。

 そこは分けても雪がどっさり積っており、とても立ち入られる状況ではありません。だから『こりゃシマチッチ当分出てこないゾ』とは思っていました。でも気になって、4匹グループへの往きや帰りなどに立ち寄り、その場所周辺をそれとなく探しても、いつになっても姿を見せる気配がありません。
 1週間経ち10日経ちし、さしもの雪も融け出し、もういい加減現われてもいい頃なのに・・・。

 雪があらかた消えた2月末になっても現われません。もともとシマチッチは気まぐれなところがあり、3~5日くらい姿を見せないことがよくありました。1月には13日もの“大穴を開けた”こともあります。しかしもうその時点で15日、最長記録更新です。なにせ「大雪」と言う大ごとがあっただけにとにかく心配なのです。
 その頃から『こりゃ、もうダメだな』と諦めました。凍死したのやら、雪で圧死したのやら、餓死したのやら。しかし手塩にかけて世話して来た(?)だけに、可哀想だし、悔しいし。

 もうすっかり諦め切っていた今月5日の夜9時頃、その辺りを通りました。シマチッチが最近たむろしているのは、広い駐車場敷地の向こう端にある大きなタンク施設です。そのずっと手前の駐車場の中ほどの所を、小走りで横切ろうとしている猫の姿が見えました。そこは公共の駐車場ですから夕方の閉庁後閉められて、駐車している車はまばらだからよく見えるのです。

 この辺をうろついている猫はシマチッチしかいないはず。『まさか』と思いながらも少し早足で近づいてみました。背面が黒っぽい模様になっていてあの猫のようでもあります。あと少しで横切り終える手前で追いつき、しっかり確かめました。やっぱりシマチッチではありませんか!

「おい、シマチッチ。お前大丈夫だったのかよ!」
と声をかけたところ、向こうも立ち止り、「ニャ~」とひと嗚き返してきました。俗に「猫は3日で恩を忘れる」と言いますが、そのまま行ってしまわずじっと立ち止っているところを見ると、そうでもないようです。

 私はシマチッチの警戒ラインを測りながら1.5メートルほど離れた所で腰を下ろし、「お前、今までどこで何してたんだよ。心配してたんだぞー。もっと早く顔を見せなきゃダメじゃないか・・・」というようなことを、1分ほどこんこんと言って聞かせました。

 シマチッチはさすがにバツが悪そうに、また申しわけなさそうに、心もち首うなだれて神妙に聞き入っていました。と言うのはウソで(笑)、「なにいってんだニャ~」とばかりにキョトンとした面持ちで、黒目がちなつぶらな目で私の方をじっと見ているばかりでした。

 (大場光太郎・記) 

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日々雑感(16)

一番鳥元気に啼くのはいいけれど「ティピピー、ティピピー」と聴こえる可笑しさ (拙歌)

 近年は長期にわたる猛暑傾向が顕著になりつつあります。これは本当にたまりませんし、まだまだ「雨に咲く花」のしっとり風情を味わっていたい私なのでした。
 しかしそんな私に何の断りもなく、気象庁は6日、「関東甲信地方は梅雨明けしたとみられる」と一方的に発表したではありませんか(笑)。

 だから言わんこっちゃない。その途端、連日のうだるような猛暑続きです。
 つい先日伺った会社の社長さんが、「梅雨明け1週間が一番熱中症になりやすいらしいよ。テレビでそう言ってた」と語っていましたが、実際そうなのでしょう。
 1ヵ月半ほどしのぎやすい梅雨前線をもたらしていた、しおらしい梅雨姫を彼方に追いやって、代わって熱さギンギラギンの全身火の玉のような炎帝(えんてい)がどっかと日本列島に居座り始めたのですから。

 しかしお天道様に文句言っても始まりません。仕方ないから、「暑さ寒さも彼岸まで」の9月23日の秋彼岸(秋分の日)あたりまでの2ヶ月余を、お互い「猛暑ニモ熱帯夜ニモ負ケズ」で、暑さ対策おさおさ怠りなく乗り切っていきたいものです。

 さて話は変わってー。
 12日(金)午後2時過ぎ、所用で本厚木駅に出ました。バスを降りてスクランブル交差点を渡るとともに、今が参院選の真っ最中であることが実感されます。いつ行っても、たいがいどこかの党が交差点の先の同駅北口広場で選挙活動をしているのです。
 この日は日本共産党の番でした。暑さをものともせず同党運動員が通行人にチラシを配っている姿が目に入ってきます。『候補者は誰だ?』 タクシー乗り場とのフェンスの所の立て看を見るに、「比例候補 小池晃」とあります。

 『あゝあの小池さんか』 昔よく見ていたテレ朝の『朝まで生テレビ』という月1回の深夜討論番組などによく出ていました。共産党議員は皆理論派ですが、この人は加えて話が分かりやすく、人懐っこい風貌もあいまって何となく共感できるところが多かったのです。

 広場に入って立て看の方を見ると、すぐ手前に3人ほどが立っており、その中の一人が小池晃(こいけ・あきら)氏ではありませんか。メガネをかけた少しずんぐり太目の、テレビで見たとおりの姿です。
 野球解説者の野村克也氏いわく、「感動とは、感即動(感じたら即動くこと)だ」と。この時の私がまさにそれで、考える間もなく2、3メートルほどの所に立っている小池氏の方に歩み寄り、「頑張ってください」と握手を求めに行ったのです。
 小池氏はニコッと笑って私の手を握りながら、「ありがとうございます」

 しかし断っておきますが、いつぞや先方から握手を求めてきた民主党の牧山ひろえ候補もそうですが、小池氏の共産党にも投票しません。土台私はこれまで、「自民党と共産党」には入れた記憶がないのです。

 私のブログ記事を継続してお読みの方の中には、『右だか左だかよく分かんないけど、こやつ、とにかくアナーキーな思想の持ち主ではないか?』と思われる人がおられるかもしれません。が、現実の私は、このように右と左の両極には与(くみ)しない、至って常識的な人間なのであります(笑)。

 それはともかく。小池晃氏は現在党副委員長の要職にありますが、10年夏の参院選では惜しくも落選してしまいました。
 今参院選は他のダラダラ野党が軒並み議席を減らしそうな中、自民党との対決姿勢を鮮明にしている共産党は唯一議席数を伸ばす勢いのようです。小池氏も見事復活当選し、テレビなどでまた分かりやすい「小池節」を披露してもらいたいものです。

 (大場光太郎・記)

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日々雑感(15)

  マガジンをパラパラと読む春の風   (拙句)

 18日は時ならぬ突風が吹き荒れる春の嵐、かと思えば翌19日はうって変わって初夏を思わせるような汗ばむほどのぽかぽか陽気。目まぐるしく天候の変わるきょうこの頃、いかがお過ごしでしょうか。

 そう言えば19日午後、近くの小学校伝いの道を通った時校舎にほど近い校庭の一角にまぶしいくらいに黄色い菜の花花壇が認められました。『もうすっかり春だなあ』と思う間もなく、今度は校庭際の桜並木が目に入ってきました。驚いたことに、遠目にも開花しているのが分かったのです。
 なお近づいて仰ぎ見るに、まだ2分咲きといったところですが、確かに1年ぶりにぱっちりと開花した桜の花に違いありません。3月に入ってからの暖かい陽気に、『今年の桜早そうだぞ』とは思っていましたが、いくら何でも早過ぎないか、と思ってしまいます。

 そうでした。このたび1週間ほど記事更新が出来なかったお詫びと、引越しの次第を語るつもりなのでした。

 11日の引越し当日の朝緊急コメントしましたとおり、NТТの光フレッツの設備構築とかで、当日はおろか1週間後の「17日でないとネット接続ができません」というのです。5日にNТТに連絡して、6日の返事がそれなのです。
 『設備構築って、そりゃおたくの都合でしょうに』。でも向こうさんの言い分では「3月は引越しが多い月で工事が目一杯ですから」と言うことなのです。

 まあそんな時期に、設備構築なるものが必要な所に引っ越さなければいけない私が悪いのです。とは言っても、アベノバブルではなかった、アベノミクスなどという俄か景気とは縁もゆかりもない私としては、数年前のリーマンショック以来のダメージで、生活防衛上より家賃の安い所に引っ越すことはやむを得ざる仕儀なのです。

 旧住居から1キロとは離れていないものの、バス停もスーパーなども遠くなりました。その上私自身は特に気にしていませんが、建物は昭和52年築と「昭和を感じさせる」古い木造のアパートです。   
 大きさは3畳の台所、4.5畳の洋室、6畳の和室。そこに私が一人で住むのですから十分な広さと言うべきですが、何せ荷物が多すぎて果たして全部収納できるかどうか心配だったのです。

 例えば、大小和洋ダンス4つ、仏壇、スチール机3つ、スチール袖机2つ、スチール本棚1つ、木製本棚3つ、カラーボックス20以上、お決まりの洗濯機、冷蔵庫などなど。それに大小ダンボール箱に詰め込んだ荷物が百個以上。中身は亡母の処分し切れなかった着物類や食器類それに本や書類がごっそり。
 なおなお布団3セットほど、むき出しで(どういうわけか)石油ストーブ3個、扇風機+冷風扇3個。水呑百姓の子せがれとしての存在証明上処分するわけにいかない太郎村以来の父母の形見の鍬などなど。あ~あ。

 自分で新住居の寸法を当って図面化し、各箱物の寸法(タテ×ヨコ×高さ)を測って、空いた時間に、あっちこっちに動かしながら一つ一つ固定していきました。その結果ぎゅうぎゅうながら何とか全部納められそうだという結論を得たのです。
 畳一枚分とその半分の3段の押入れがあったのが大助かりでした。

 どなたも一度や二度は引越しされたことがあるでしょうからお分かりでしょうが、引越しの前も後も、準備、荷造り、各関係先への手続き・届出、荷解き、片付けなどが大変です。
 私の場合こんな時でも業務第一で生活の資を得る算段をせねばならず、相模原市の会社に伺ったり、各役所を走り回ったり、肝心の書類作成をしながら、その合間合間の片付け・整理整頓です。多くは仮置きの上、まだ開けていないダンボール箱が30個以上、6畳間に積み上げてあります。

 私の性分として、旧住居以上に良い住居への“栄転”ならブログで前もって大々的にアピールしたことでしょう(笑)。しかし今回はその反対だったわけで、実は何の断りもなく知らんぷりして引っ越すつもりでした(笑)。しかし図らずもネット接続不可状態が1週間ほど続く事態となり、白状せざるを得なくなりました(苦笑)。

 当分ここに住むことになろうかと思いますが、終の棲家にするつもりは毛頭ありません。ここのところ下降状態が続きましたが、そろそろ上昇機運に転じてもいい頃合いだぞ、と考えているきょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

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立春大吉

  立春の雲東(ひんがし)に流れけり  (拙句)

 本日2月4日は立春です。文字通り「春立つ日」ですから、暦の上ではこの日が春の始まりということになります。私は最近あまり俳句を作っていませんが、プロの俳人や全国に大勢いらっしゃる俳句愛好家の方々は、「この日をもって春」と俳句的頭脳回路を切り替え、やおら春の句を作られることでしょう。

 しかし立春とは言ってもそれは暦の上、歳時記の上のことであって、現実的感覚ではまだまだ冬の続きです。
 ご存知かと思いますが、「立春」とは1年365日を二十四等分した「二十四節気」の一つです。「立夏」「立秋」「立冬」「春分」「秋分」「夏至」「冬至」と並んで、特に重要な季節の変わり目となる日でもあります。

 我が国で二十四節気は奈良時代から用いられてきましたが、元々は中国伝来の暦法に基づくものです。そして本場中国ではどのようにしてこの二十四節気を定めたかといいますと、古代中国における文化の中心だった黄河以南地域の気候が基準になったのです。
 上古の律令国家日本は何でも唐の制度を真似(今日米国を真似ているように)、暦も直輸入でしたから、気候・風土の違いから暦上と現実の季節感にはどうしてもズレが生じてきます。

 立春などはその最たるものの一つですよね。二十四節気で立春の一つ前は「節分の鬼」さえ震える「大寒」ですからね。大寒の次がいきなり立春なんてそりゃないぜ、てなもんですが、実際旧暦ではそうなっているのですから仕方ありません。
 今は定かではありませんが、昔の雪国の小中学校では夏休みを短縮し、その分「冬休み」というのが半月ほどありました。それが記憶では2月上旬ではなかったか、と思うのです。雪の降らない地方でも余寒たっぷりですが、雪国の2月は根雪の真っ最中なのです。

 しかし寒さがまだまだ厳しい2月上旬に早めに立春にした、というのは昔の人の智恵でもあったのかもしれません。
 「冬来たりなば春遠からじ」
 これは詩人シェリーの有名な詩句ですが、どこの国のどこの地域の人であっても、春は待ち望まれる季節です。ならば実際はどうあれ、暦の上だけでも早いとこ春にしちゃえ、ということではなかったのでしょうか。(これは単なる憶測です。)

   早春賦    作詞:吉丸一昌、作曲:中田章

 春は名のみの 風の寒さや
 谷のうぐいす 歌は思えど
 時にあらずと 声もたてず
 時にあらずと 声もたてず

 氷融け去り 葦はつのぐむ
 さては時ぞと 思うあやにく
 今日も昨日も 雪の空
 今日も昨日も 雪の空

 春と聞かねば 知らでありしを
 聞けばせかるる 胸の思いを
 いかにせよとの この頃か
 いかにせよとの この頃か

 『早春賦』の歌詞を掲示するのはこれで3度目です。とにかく早春の季節感をこれほど見事に捉えた歌は他にないと思います。今ころの季節、毎年何度かは口ずさむ歌です。
 この歌を吉田静さんが、1月中のフォレスタ外の2度のコンサートで既に歌われたようです。『聞いてみたかったなぁ』というのはともかく。この季節、当ブログの以前の『早春賦』記事へのアクセスがボチボチ増えてきます。

 同時に時折り見受けられるのが、「早春賦の季節はいつ?」という検索フレーズです。これについては、昨年2月の『北の子は遊び疲れて・・・』記事の中で既に私なりの回答をしておきました。
 要約すればー。一言で早春とはいっても、地方によって季節感はだいぶ異なり、一概に「この時期だ」と断定はできない。したがってその人が早春賦をふと思い出し、口ずさんでみたくなったその時がその人にとっての「早春賦の季節」なのではないだろうか、というものでした。

 ところで本記事のタイトルとした「立春大吉」についてです。
 近年年明け、私の所に郷里のお寺から郵便物が届きます。新暦、旧暦の暦、ご住職がパソコンで作成したお寺の会報などとともに、「立春大吉」と大書され、それに重ねて大きな朱印が押してある真っ白いお札が入っているのです。
 ご存知の方がおられるかしれませんが、立春大吉のお札は昔から曹洞宗の専売特許だったようです。

 昔はご住職が、近隣の檀家の家を一軒一軒訪ねて手渡ししたものなのでしょう。しかし当今は私がそうであるように、どこのお寺でも檀家衆が遥か遠方に散らばっているケースが珍しくありません。そこで各寺院とも、何かの連絡は郵便でということになってきているのでしょう。

 ちなみに当家のお寺(南陽市下荻)のご住職は、現在40代前半の若い僧侶です。何年か前の亡母の法事の折りお話をさせていただきましたが、私の高校のずっと後輩なのです。勢い話が盛り上がったわけですが、長井市近郊のお寺のご次男で、近年こちらのお寺に赴任しているということでした。
 しかし法事の最中は、和尚さんの読経に神妙に聞き入り、深く首を垂れていたことは言うまでもありません。

 皆様におかれましても「立春大吉」でありますように。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『早春賦』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-c727.html
『北の子は遊び疲れて・・・』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7db5.html

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早や8月になりにけり

 暑中お見舞い申し上げます

 皆様への暑中ご挨拶、少しばかり遅くなってしまいました。気がついたらもう8月なんですね。あと1週間もすれば暦の上では立秋です。
 しかし立秋など二十四節気は旧暦の上、元々は古代中国における文化の中心であった、黄河流域の気候を基に定められたものと言われています。中国北部における気候をデータベースとした暦を輸入して翻案したところで、どうしても我が国の現実の気候とのギャップが出てくるのは致し方ないことです。

 実際の暑さのピークは、梅雨明けから8月旧盆過ぎ頃までの約1ヵ月くらいです。気象庁は梅雨明け間もない頃、「ペルー沖でエルニーニョ現象が発生したとみられ、その影響から今夏の我が国は例年の平均気温をやや下回るものと思われる」などと発表していました。
 だったらもう少し涼しくしのぎやすいはずですが、どうしてどうして。ここのところ真夏の太陽ギンギラギンの酷暑が連日続いています。

 つい先日など、夕方帰宅のためのバスの車中で熱中症によるものなのか、人が倒れるのを初めて目撃しました。バスの前部で立って乗っていた二人の若者のうちの一人が、ミネラルウォーターを一口飲んだと思ったら、急にふらふらし出してそのまま失神してしまったのです。
 背が高く痩せぎすの彼の顔は血の気が引いた土気色、もう一人の若者に背中を支えられながら、たまたま私が座っていた4人がけのシルバーシートの辺りの通路に頭を向けながら倒れこんできたのです。それまでは二人で他愛もないことを話していたのに、急にです。

 とんだハプニングに乗客たちはびっくりです。次のバス停で少し長く停車し、運転手さんも事態の推移を見極め「場合によっては救急車の出動も」、という態勢のようでした。
 友人に支えられ、私のちょうどまん前に頭がきたので私も腕を伸ばして左肩を支えてやり。仰向けのまま人事不省だったくだんの若者。しかし少しすると意識を取り戻し、友人に支えられて「やっとこさ」とばかりに起き上がりました。そしてふらついた足取りながら、友人に手を添えられて自分で歩いて降りていきました。

 何事もなかったようにバスはまた走り出しました。「なんでかしらねぇ」「なんでですかねぇ。お年寄りじゃなくて、いい若いもんがねぇ」「そうよねぇ」「熱中症って怖いわねぇ」などと、しばし隣の二人の年配のご婦人方と顔を見合わせその話でもちきりになりました。
 皆様ご自身や身近な人でこんなケースはないことと思いますが、あらためまして「暑中お見舞い申し上げます」

 「暑中お見舞い」といえば、つい忙しさにかまけて、私はまだ現実的な暑中見舞いも出していません。
 気にはなっていましたが、つい忙しさにかまけて。そこで本夕郵便局に行ったついでに、日本郵政発売の暑中はがきは買ってきました。ただ私の場合年賀状もそうですが、買うと出すとは大違い。「1日延ばし」の悪習慣で、ぎりぎりになって慌てて、となりがちです。いつぞやの年は立秋を過ぎてしまい「残暑見舞い」に切り替えて出したこともあります。今年はそうならぬよう、早めに(だから早くはないんだって)出したいと思います。

 ところでここのところ、昨年今頃の『今年は蝉が鳴かない?』記事へのアクセスが増えています。確かに昨年は全国的に初蝉の声はずい分遅かったようです。3・11直後でもあり、「巨大地震の前兆らしい」「放射能の影響で幼虫が全滅したからじゃないか?」などと憶測を呼び、大騒ぎになったのでした。

 私は5月の連休前から、『あゝこの分だと今年も蝉の鳴くのが遅れるな』と予想がつきました。
 その後の『蝉、鳴きました !』で種明かしをしましたように、蝉の初鳴きは地震や放射能とは何の関係もなく、その年の夏に至るまでの「積算温度]によるものなのでした。
 思い起こせば今春は、3月頃から5月連休あたりまで、雨がちのぐづついた寒い春でした。だから成虫に脱皮する時期をその春の積算温度で決めているらしい蝉は、脱皮したくてうずうずしながらも、地中かどこかでじっとタイミングを待つしかないわけです。

 しかし当地では数日前蝉の姿を確認しました。午後帰宅してみると、我が家のドアの前で油蝉が仰向けになっているのを発見したのです。そろりと手に取ってみますと既に死んでいました。可哀想にドアか何かに衝突したものでしょうか。近くの草むらにそっと戻してやりました。
 
 そして遅ればせながら、7月31日蝉の声をしかと聞きました。夕方隣市の海老名市の市庁舎に向かう道すがらです。
 本厚木駅などたじたじの大規模開発によって、今や海老名駅周辺は大ショッピングセンターに変貌しました。しかしそのエリアを抜けると昔ながらの田園風景が広がっています。同庁舎は駅からだいぶ離れて、元は一帯が田んぼだった所にあるのです。途中から田んぼ伝いに庁舎に続く、洒落た一直線の遊歩道が続いています。途中東屋風の休憩スポットがあります。遊歩道に沿った田んぼとの間には、小さな渓流を模した細(ささ)流れもあります。

 遊歩道には当然、手ごろな大きさの植樹もされていて、今時分は格好の緑陰となっています。その一本の木のどこからか、「ジー、ジー」と油蝉か何かの鳴き声が聞こえてきたのです。
 初蝉の威勢の良い声を聞きながら田んぼの方に目をやりますと、一面の青田が広がっています。もうだいぶ伸びていて、そよ吹く風にさやさや揺れていたり、にわかな風に田中の穂群れが大きく揺れたりします。つかの間涼を感じる、何ともすがしい風景です。
 遥か遠くには薄墨色のシルエットの、雄大な大山の姿が望まれました。

 (大場光太郎・記)

(追記)本当は当ブログ背景の『若葉』、とうに夏バージョンに切り替えてもいいはずですがあとしばらく続けます。当ブログ自体重くなり、3月に『若葉』に切り替えた時えらく難儀したためです。ご了承ください。

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黄なるを春の色とせむ

  かの花の黄なるを春の色とせむ   (拙句)

 かなり遅咲きだった当地の今年の桜もさすがに散ってしまいました。それにあい呼応するように、周りの草木がいっせいに芽吹きはじめ、さまざまな草花がとりどりの色で咲き誇っています。

 この季節の樹木で取り分け目を引くのが柿若葉です。柿の木が小さな若葉をいっぱいつけています。お日様が照っていると輝くばかりの、それはそれは萌黄色のやわらかい若葉です。
 それに車を走らせていると、近郷の小河川のほとりの柳若葉の初々しさにも目が奪われます。

 独断と偏見で申せば、今時分の花の色で代表的なのは黄色ではないかと思います。どこかとある道を歩いていたりすると、生垣からこぼれんばかりにいっぱいの黄色に出会うことがあります。それは連翹(れんぎょう)だったり違う花だったりしますが、そのまぶしい黄なる色にはハッとさせられます。

 それ以外にも、一面若草色に覆われた小河川の両岸に菜の花(あるいは「菜の花もどき」か)の群生をけっこう見かけます。種がどこからか風で運ばれて、あまり人の手が加えられない小河川の川岸をこれ幸いとばかりに、根付いて増えていったものなのでしょう。こちらの黄色もなかなかのインパクトです。

 さらには空き地や道端で咲いているタンポポの群生、とある庭先の黄水仙なども春ならではの寸景といえます。
 もっとも春の草花には、黄色以外にもピンクや赤や白や青なども溢れています。萌黄色や若草色を基調として、春は本当に多彩な彩りの季節です。
 しかし中でも一番目に鮮やかな事をもって、『黄色こそが春の代表的な色ではないだろうか』と思われて作ったのが冒頭の拙句です。今から10年も前の句です。

 4月も下旬だというのに曇りがち、雨がちの日が多くて、今年はなかなか暖かい日が続いてくれません。夕方あたりからにわかに冷え込んで、冬のコートを着こんで外出してちょうどいいくらいなのです。
 とにかく今年は、例年にない厳冬をここまでずっと引きずってきている感じです。

 と書きながら思い出しました。当ブログを開設したのは4年前の08年4月末のことでした。手探り状態だった当時は何も書くテーマが見つからず、もっぱら季節報告文、自然観察文、身辺雑記などをせっせと書いていました。
 だから08年春の天候はよく覚えています。この年も3月頃からやたら雨の日が多く、そのまま6月の梅雨になだれ込み、7月、8月も何度か突発的な集中豪雨に見舞われました。
 東日本大震災という昨年の超努級の大災害は別格としても。こうしてみると、ブログ開設以降の4年間は毎年何がしかの「天候不順傾向」が恒常化しているようなのです。

 少し気の早い話ながら。昨年は真夏に『今年は蝉が鳴かない?』記事を出しました。「蝉が鳴かない」「例年より大幅に遅れている」などというケースが全国的に多かったようです。
 当厚木市でも、例年ならば7月28日頃には初蝉の声が聞かれるのに、その頃は寂(せき)として声なし、ようやく第一声が聞けたのは8月に入ってからのことでした。

 全国的に「蝉が鳴かない」と大騒ぎになったのは、福島原発事故による放射性物質の影響を懸念する声が挙がったためです。それが全国に広範囲に拡散したことによって、土壌中の蝉の幼虫が死滅したからではないか、と不安視されたのです。
 しかしその説は誤りらしいことが専門家の見解によって明らかになりました。各年の初蝉は、その年のそれまでの「積算温度」に影響されるようなのです。やはり昨年もけっこう寒い冬であり春だったのです。

 それでは、今頃でも冬コートを着込むような今年はどうなのでしょうか。もしこのままでゴールデンウィークに突入し、それ以降も不順な天候が続くとしたら、初蝉の声は昨年よりさらに遅れることは確実です。
 昨年は確かゴールデンウィークとともに絶好の行楽日和になったように記憶しています。今年も是非そう願いたいものです。

 末尾ながら。このたびブログ背景を替えました。テンプレート名は『若葉』です。これは4年前の開設時から毎年使用してきたもので、今回で5回目となります。私自身この背景を目にすると『あゝまた原点に戻ったな』という感慨を持つのです。

 (大場光太郎・記)

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突如襲った春の嵐

  春嵐去りて常なる夜となれり   (拙句)

 3日日本列島に時ならぬ大暴風雨が吹き荒れました。これは日本海に急速に発達した低気圧の影響によるものだそうで、列島各地で台風並みの暴風雨に見舞われました。
 中でも西日本各地で最大瞬間風速40メートル前後を記録するなど、並みの台風などではなく最大級の「超大型台風」にも相当しそうな暴風が吹き荒れました。そのため高速道路で大型トラックが横倒しになったり、家屋の倒壊や歩いていて転倒して亡くなった人もいました。

 今回の大暴風をもたらした低気圧に対しては「爆弾低気圧」との呼び方もあるようです。これによって各地の鉄道や空の便にも大きな乱れが生じ、首都圏では帰宅時と暴風雨のピークが重なり、大変な混乱となったようです。
 神奈川県内の当地では暴風雨のピークはやはり午後5時から7時頃でした。その後はまず雨がおさまり、ピュー、ピュー唸りを上げていた強風も9時過ぎにはだいぶおさまりました。
 気象庁によりますと、この暴風は4日も北日本を中心に続く見通しとのことですから、該当地域の方は十分ご注意願いたいものです。

 今年は例年にない厳冬であり、ようやく春らしくなってきたのは先週頃からです。そのせいか今年に限っては、早春の風物詩である生暖かい強風が吹く「春一番」が吹いた記憶がありません。何しろその頃ではとっくに咲くはずの近所の白梅や、芽を出しているはずのふきのとうも芽を出さず、梅が咲いたのは1ヵ月遅れという状態だったのですから仕方ありません。
 例年のようにきちんとした季節の移ろいが乱れると、今回のように、予期せぬ時にドカーンととんでもない「春の嵐」に見舞われがちです。

 今頃の季節に強く吹く風としては「花散らしの風」という風流な呼び方の風があります。しかし風速40メートル/秒とけた外れで、大型トラックもひっくり返すほどに荒んで凶暴な風ではシャレにもなりません。

 それに、これはあくまで当地基準ですが、例年なら満開の時期を迎えている桜も今年はまだほんの数輪ほど咲き初(そ)めたにすぎませんし。
 ただし10日ほど前のニュースでは、高知県内ではその頃満開を迎えたそうです。と言うことは、南国土佐辺りでは、こちらで連日体感し続けたような寒さもそれほどではなかったということか?
 さすがは縦長の日本列島、と感じ入った次第です。

 (大場光太郎・記)

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