湖のある村
秋谷 豊
村は月夜だった
高原の潅木に山鳩が啼く
小さな停車場
木柵に白い蝶が眠っていた
こぶしの花を一輪
吊りランプのようにさげ
湖を迂回して
湖水の見えるさびしい宿で
遠い友へ手紙を書いた
部屋のランプが
湖に映って消える
ぼくの掌には一匹の傷ついた
蛾があった
…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《作者略歴》
秋谷豊(あきたに・ゆたか) 1922年11月2日- 2008年11月18日。日本の詩人。詩誌「地球」の創刊者。埼玉文化功労賞受賞者。
詩誌『地球』の同人で、戦後詩人としての通例に洩れず、その叙情の中に、実存的な思念を投影させている。この詩は、彼の作品の中では特に叙情性の勝ったもので、その郷愁に満ちた詩風は『四季』派の詩風と共通し、その影響の跡を物語っている。 (ウィキペディア&『日本の名詩』小海永二編、大和書房刊より)
《私の鑑賞ノート》
村は月夜だった
詩人が目指す村の小さな停車場に着いた時、既に月夜だったというのである。よってこの詩全体がこの村における夜の描写である。月のほの明かりに浮かび上がる高原の村そして湖にほど近き宿。全編にリリシズム(叙情性)が漲っているように感じられる。
こぶしの花を一輪
吊ランプのようにさげ
湖を迂回して
小さな停車場から一夜の宿を求めて、人気(ひとけ)なく灯り(あかり)も乏しい村道を湖の向こうにあるはずの宿を目指して歩いたのである。まるで月の光からさえおすそ分けしてもらいたい心細い気分だったのだろうか。道の途中で手折ったこぶしの白い花の一輪を吊ランプ代わりに提げながら。
湖水の見えるさびしい宿で
遠い友へ手紙を書いた
部屋のランプが
湖に映って消える
この聯(れん)は、かつて高峰三枝子が歌った名曲『湖畔の宿』(昭和15年、佐藤惣之助作詞、服部良一作曲)の3番の一節、「♪ ランプ引きよせ ふるさとへ 書いてまた消す 湖畔の便り」を連想させる。「湖水の見えるさびしい宿」「手紙」「ランプ」などの詩句から、秋谷豊にはこの歌のこの一節が念頭にあったのは確実と思われる。
とはいえ、この詩は秋谷独自の詩となっており、模倣とか盗作には当たらない。先行する優れた詩歌や歌詞などは、後進の表現者に有形無形の影響を及ぼすものなのである。
昭和15年とこの詩が作られたと思しき昭和20年代後半とは、戦争、敗戦で截然と区分されがちである。が、地方に行けば行くほど人々の暮らしはさほど変わらなかったことを偲ばせる。特にこの詩の舞台のような高原の村では電化生活などお呼びもつかず、ランプ生活が当たり前だったのである。なお、「ランプ」はこの詩全体の叙情的仕掛けとして欠かすことの出来ない要素であるように思われる。
ぼくの掌には一匹の傷ついた
蛾があった
結びのこの聯は秋谷豊自身の実体験だったのだろうか。つまり実際に湖を回ってきた道の途中で傷ついた蛾を見つけ思わず掌(てのひら)にそっと包んで歩いた…。それとも実際の蛾ではなく、詩人が思い描いた想像上の蛾だったのだろうか。
それはどちらでも構わないのだが。実は「一匹の傷ついた蛾」とは、詩人秋山豊の心の投影なのである。さらに言えば、傷ついた蛾は詩人の分身なのである。かつて大きな戦争に遭遇したこと、厳しい戦後生活での喜怒哀楽。その過程で詩人の心も深く傷ついたのではないだろうか。
「湖のある村」「湖水の見えるさびしい宿」は、そんな詩人の心をつかの間癒してくれたのであろう。だからこのような優れた詩が生まれた。
(大場光太郎・記)
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