速報 ! 市橋容疑者逮捕 !!

 英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)死体遺棄容疑で、全国に指名手配中の市橋達也容疑者(30)が、10日午後8時過ぎ大阪府住之江警察署で逮捕されました。
 市橋は同日午後6時すぎ、フェリーで沖縄に向かうべく、大阪府住之江区内の大阪南港フェリーターミナルの待合室で一人で待っていました。「市橋によく似た男がいる」という会社からの通報を受け、6時45分頃2人の警察官が駆けつけ職務質問したところ、「自分は市橋です」と素直に答えたためその場で身柄を確保され、その後の逮捕となったものです。その際市橋は、「弁解することは何もありません。何も話したくありません」と言ったといいます。(「市橋逮捕」の号外も出されました。)

 ‘07年3月千葉県市川市内の市橋の自宅マンションから、数人の警察官の職務質問を振り切って素足のまま逃走してから960日(約2年半)。とうとうこの日を迎えたわけです。
 フェリー待合室での市橋は、グレーのニット帽を目深にかぶり、上下グレーのスポーツウェア姿で、サングラスをかけうつむき加減に席に座っていたそうです。

 逮捕後市橋容疑者は大阪駅から新幹線に乗り込み、日付が変わろうする深夜JR東京駅に到着、混乱を避けるため一般乗客を先に降し、市橋の乗っていた中ほどの12号車から車内を歩いて先頭の16号車まで移動。そこから車外に出た市橋は、すぐさま近くの駅構内エレベーターで降り、11日午前0時4分同駅日本橋口に待機していた警察車両に乗り込み、捜査本部が置かれている千葉県行徳警察署に移送されました。

 同日午前0時40分、市橋を乗せた車が行徳警察署に到着。折からの激しい雨の中、車を待ち構えていた夥しい報道陣が取り囲み、たちまちもみくちゃ状態、なかなか前に進めないほどでした。同車は警察署裏手に回り、午前0時46分市橋はようやく車から降り警察署内へと入っていきました。
 黒いフードで頭からすっぽり覆われ、顔かたちを確認することはできませんでした。

 市橋容疑者逮捕の報を受け、イギリス中部コベントリーにあるリンゼイさんの実家前でリンゼイさん一家が会見に応じました。その中で父親は、「逮捕の一報を受け、体が震えて何度も聞き直しました。私たちは警察と協力しながらここまできた。決してあきらめることはありませんでした。正義がなされると信じていましたから。家族にとって最良の日となりました」と応えていました。
 リンゼイさんご一家には心からの祝意を申し上げます。それとともに、だいぶ失墜していた日本警察の国際的信用も、今回の逮捕で少しは取り戻せるのかな?と思います。

 市橋容疑者整形後写真の公開を受けた、6日の当ブログ記事『市橋容疑者は生きてたの !?』の中で、「今回の整形の件で市橋容疑者は、自ら墓穴を掘った」「包囲網は確実に狭められ、逮捕にそう時間はかからないかもしれません」と述べました。結果はまさにこのとおりになったわけで、そう述べた以上、本来何の関係もない私もほっと一安心という感じです。
 それにしても、私は『もう名古屋市内から一歩も出られないだろう。逮捕は名古屋でだろう』と思っていました。しかしどっこい。同市内で先月24日に鼻の整形手術を受けてから、やすやすと同市を脱け出し、今月初めには福岡市内のネットカフェを利用していたというのです。

 そして今回は10日午後2時頃、神戸のフェリー港で「沖縄に行きたい」と申し込み、「ここから沖縄には行けません。大阪南港で申し込んでください」と言われて、午後6時頃同港へと。結局そこで身柄確保となったわけですが、新写真公開後の厳しい捜査網をかいくぐって、名古屋ー福岡ー神戸ー大阪…(沖縄)と、よくもまあ好き勝手に移動できたものです。
 
 岐阜県羽島市の医師の両親の子として生まれた市橋達也。子供の頃は運動神経抜群の目立つ子。小さい時は「礼儀正しい良い子でしたよ」という近所評なのに、高校生の頃から「独りよがり」が目立つように。卒業文集には(木嶋佳苗、上田美由紀など最近は事件のたびに「卒業文集」がよく紹介されること)「牙が欲しい。強い牙が。誰にかかっていっても折れることのない、知恵の牙が」と。「俺が俺が」「俺が一番でないと気がすまない」目立ちたがり屋に変わったと言います。
 しかし千葉大学卒業後は仕事に就かず、その日暮らし。どうも今回の事件を引き起こすきっかけとして、高校時代の変貌ぶりが鍵となるのかな?とも思われます。

 逃走後の一部の足取りが、通報情報により明らかになりました。市橋は大阪府茨城市内の建設会社に、土木作業員として働いていたというのです。この会社で働き始めたのは昨年8月19日。大阪市西成区の路上で、「自分を雇ってほしい」と売り込んだのだそうです。その時は既に今回公開された顔になっていたとのこと。
 「井上康介、大阪出身、32歳」と名乗り、以後1年2ヶ月もの長期間住み込みで。社員寮の市橋の部屋からは指紋も検出されました。
 その時の市橋は同僚が「あの子が市橋?あんなまじめな子が?」と評するほどの、最初は土木の経験はなさそうだったものの、とにかくまじめにこつこつ仕事をし、食事も風呂も一人で…という人物像。月手取り15万円。ほとんど浪費せず、腹巻に金をしまいこんで持ち歩くほどの倹約潜伏生活。ここで100万円ほど蓄えたものとみられています。(同社時、海外逃亡を考えていた時期もあったもようです。)

 しかし今年10月11日、何か異変を察知したのか、給料を受け取った後に姿をくらまし、2日後に既に報道されている福岡の美容整形外科を訪れ、「予約なしでは」と断られ同月24日に名古屋市内の病院で整形手術…と、ここで足取りがつながるわけです。
 なお同建設会社以前は、あまり足取りは掴めていないものの、大阪市北区の堂山町にある“ゲイタウン”や西成区の飛田新地に出入りしたいたという情報もあるようです。

 最後に、父親の市橋逮捕後のインタビューをー。
 「ほっとしました。これ以上逃げても、リンゼイさんのご家族も私たちも、ともに苦しい思いをするだけだった。(達也は)事件の全貌を明らかにし、法の裁きを受け、自分で罪を償ってほしい」。ご自宅玄関前で両親揃っての会見でした。お二人とも聡明そうな立派な顔立ちのお方で…。何で市橋達也は道を間違えてしまったのか。土木作業員の時に見せた、ひたむきな仕事ぶりを自分の天職の分野で発揮していれば、相当の社会貢献が出来た男だったろうに。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(3)

 埼玉県警は殺人での立件を視野に逮捕した

 一部報道によりますと、木嶋佳苗が関与していたとされる複数男性の不審死は、結婚詐欺容疑での逮捕後の取調べの過程で浮上してきたものとされています。しかしこれは事実ではありません。

 埼玉県警が殺人事件としての立件を視野に、木嶋佳苗への本格的な捜査を開始したのは、逮捕前の8月からでした。実際にまず動いたのは、千葉県警の方だったようです。5月15日千葉県野田市の自宅火災で安藤建三さん(80)が焼死。それに佳苗が関わっていることを突き止めたことから、同県警は水面下で捜査を進めていたのです。
 そんな中今度は8月6日埼玉県内の駐車場に停めていた車中で、大出嘉之さん(41)が一酸化炭素中毒による死体となって発見されました。これにも佳苗が関与していることが分かり、所轄の埼玉県警が素早く動いたのです。県警関係者の話では「すぐさま、24時間態勢の(佳苗の)行動確認を始めました。」

 同警察関係者は続けます。
 「木嶋が自宅にいる時も外出している時も、ベッタリと複数の捜査員が張り付いた。行動の確認というと、対象者に悟られないように尾行するのが普通ですが、今回は違った。本人に悟られることなどお構いなしで、対象者の身辺に密着したのです。
 例えば、木嶋が電車に乗ると、捜査員が隣に座る。そして“天気いいですなぁ。きょうはどこに出かけるんですか?”と声をかけることもありました。」

 一見変わった捜査手法を選択した理由は、「対象者の心理動向を探ることが目的」だったのだそうです。関係者は続けて、
 「突然捜査員に張り付かれ、声までかけられた時に対象者がどういった反応をするかを見るのです。ポリグラフ(嘘発見器)にかけているようなもの。埼玉県警は、‘98年に発生した会社社長による保険金殺人事件の際にも同じ捜査手法を取って解決に導いた実績があります。」
 結局埼玉県警が結婚詐欺容疑で木嶋佳苗を逮捕したのは、9月25日のことでした。同県警はそれまで約50日間にも及び、上記のような佳苗の行動確認を続けたのです。その結果同県警は一つの結論を導き出します。
 「これは、完全否認事件になる。“本件”である殺人容疑で取り調べても、自白は得られない」。この同県警の判断は、警察庁にも報告として上げられているといいます。(事実佳苗は、詐欺罪についてはおおむね認めているものの、殺人については否認を続けているようです。)

 捜査関係者いわくー、
 「つまり、行動確認に木嶋は全く動揺しなかった。“相当なタマだ”と感想を漏らした捜査員もいますが、ともかく木嶋の行動は大胆極まりないものだったのです。」
 しかし捜査員を驚かせた佳苗の動向が、逮捕を早めさせる要因にもなったのです。行動確認をしている最中に、佳苗が埼玉県ふじみ野市の30代男性に接触していることが判明。「このままでは彼が第5の被害者になる」と、着手を判断したのです。
 また既に幾つかのテレビ局が取材、「室内の火災報知器すべてが持ち去られていた」などと報道しているように、佳苗は逮捕の6日前からネットで知り合ったばかりの千葉県在住の40代男性のマンションに転がり込み、同棲をスタートさせてもいました。
 9月25日の逮捕日は、そのマンションに捜査員が踏み込み、木嶋佳苗に任意同行を求めたのです。何が起きたのか分からないでおろおろしている同居男性に、佳苗は「大丈夫だから」と涙ながらに言い残したといいます。

 以上は、11月12日号「週刊新潮」の“木嶋佳苗特集”の一部を引用しながらまとめたものです。上記の中に、「このままでは彼が“第5の被害者”になる」という埼玉県警の判断を紹介しました。つまり佳苗が関与していると思われる不審死した男性は、捜査当局は合計「4人」と見ていることになります。
 しかし一部夕刊紙などでは、不審死した男性は「6人」としています。県名は明かされていないものの、後の2名はいずれも「関東在住」としています。それなりの裏づけがあってのことなのでしょう。捜査当局もさらに今後、その2名の不審死について何らかの情報を開示することになるのでしょうか。  (以下次回につづく)

 (注記) 本シリーズ、当初は数回くらいでまとまるだろうと気楽に考えていました。しかしどうもそんなものでは収まりそうになく、10回は軽く越えてしまいそうです。
 現在世間的関心は「鳥取県不審死事件」の上田美由紀の方に移ってしまったようです。現に9日には同事件関連でまた一つ新事実が報道されました。‘08年2月40代の鳥取県警の巡査部長が、謎の死を遂げていたことが判明したというのです。『えっ。警察官まで !?』と言うところです。この死はあくまでも自殺と見られていますが、同警察官は当時美由紀と不倫関係にあり、別れ話が持ち上がった直後の死だったようです。

 写真を見るかぎり美由紀容疑者は、率直に言いますと“キモイ(気持ち悪い)”感じです。実物は「さらにキモイ」という証言もあります。なのになぜ…?
 私が思いますに、上田美由紀にも確かに「詐欺師」的要素は多分にありますが、同時に「粗暴犯」的要素もかなりありそうで。今ひとつ強い関心が持てません。
 そのようなわけで。あくまでも『かなえ殺人レシピ』をメーンとし、美由紀情報は適宜にということにさせていただきます。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(2)

 逮捕のきっかけとなった結婚詐欺事件について

 3千万人首都圏人口の巨大な無名性にまぎれて、木嶋佳苗(34)は人知れず恐るべき闇の行為を重ねていたのでした。闇が現れようとしていた時には、現在露見している犯罪のすべては仕上げられ、なおかつ次なる獲物に間近に接触もしていたのです。
 30代半ばの女の恐るべき事件が表に現れ出るきっかけとなったのは、9月25日佳苗が結婚詐欺容疑で埼玉県警から逮捕されたことです。いやその時は、日常茶飯事に各種犯罪が恒常的に頻発している当今、一人の30代女の結婚詐欺のことなど報道機関も世間もまったく関心を寄せませんでした。

 それがにわかに注目され出したのは、逮捕から1ヵ月あまり経った10月26日のこと。それまでマスコミに伏せられていた佳苗の本当の「逮捕事実」を、読売新聞がスッパ抜いてからです。
 それによりこの事件は単なる結婚詐欺事件にとどまらず、複数人の男性が謎の死を遂げており、いずれにも木嶋佳苗が関与しているらしいということになり、「稀に見る大事件」とばかりに各報道機関が以後狂乱的に報道合戦を繰り広げたのでした。

 いずれにしても9月25日逮捕のきっかけとなったのは「結婚詐欺事件」です。まずはこの事件から振り返っていくことにします。
 結婚詐欺を遂行する上で佳苗が使ったのは、ネットの「婚活サイト」でした。世の中の「婚活ブーム」にあやかり、現在婚活サイトの運営会社は4000社にも上るといわれています。その中で佳苗が利用したのは検索サイト「ヤフージャパン」が運営する婚活サイト「ヤフーパートナー」でした。最も信用度が高く利用客の多い同サイトを利用することで、佳苗は登録者のうちでも「カネを自由に使える」いわゆるお金持ちの男性を特にピックアップし、ターゲットにしていったものと考えられます。

 佳苗は同サイトで「学生」や「介護ヘルパー」と自己紹介。そうやって関係が進み結婚話が出ると、さあそこからが口八丁手八丁の佳苗の本領発揮です。「私は大学院生です。学費が3ヶ月未納で卒業できません。卒業したらあなたに尽くします」と持ちかけ、生活費や学費などを無心していったのです。
 今回はその中で、長野県塩尻市内の50代男性と静岡県の40代男性の2人から、合計330万円を詐取した疑いで逮捕されたのでした。同容疑では、佳苗は10月21日起訴されました。
 また同じような手口での、長野県の50代後半男性と埼玉県の30代後半男性への詐欺未遂容疑でも、10月21日再逮捕されています。
 佳苗は詐取した金は「クレジットの返済に充てた」と言い、生活費への充当目的で詐欺を繰り返していたとみられています。そしてこれら一連の「詐欺罪」について、佳苗は容疑及び起訴事実を認めているとされます。

 ところで木嶋佳苗は、押収したパソコンを解析した結果、ヤフー婚活サイトのような大手サイトの他に「不倫サイト」「愛人サイト」へも顔を出していた可能性が高いことが分かったといいます。実際佳苗は、不倫相手を探す出会い系サイトに名前を登録し、交際にこぎつけた83歳の無職男性を脅し、百数十万円を受け取ったとされています。
 幾つもの偽名を使いながら数十人の男性と接触し、同じような手口でやられた被害者はゆうに20人を超えるとみられています。しかしそこは知能犯の佳苗のこと、予め社会的地位が高く被害届を出しずらい男性を狙い撃ちしていて、捜査当局も実態を把握しにくい状況のようです。

 こうして見てきますと、改めて「婚活サイト」や「出会い系サイト」の持つ怖い一面が垣間見えてきます。いくらヤフーの同サイトが「本人確認」をきちんと取っている優良サイトとはいえ、時に木嶋佳苗のように最初から詐欺目的で同サイトにアプローチしてくる輩を防ぐことは難しいわけです。いわんや偽名や偽情報をいくらでもデッチ上げられる、出会い系サイトに至ってはなおさらです。
 
 今回の木嶋佳苗の一連の事件によって、せっかく盛り上がっていた昨今の「婚活ブーム」も下火になるのでは?と懸念されています。男女とも結婚年齢が上がり少子化している今日の社会。その意味で婚活ブームは、今日の社会的要請によって生じたブームといえなくもありません。

 しかしだからといって、「結婚」という人生で最も大事なことの一つを、ネットによる出会いに求めても良いのだろうか?見合い結婚の一つのバージョンとして、それはそれでうまくまとまりめでたくゴールイン、その後も「ハッピー、パッピー」というケースがないとはいえないけれど。見えない相手を、じっくり時間をかけて各方面から見定めてからならともかく。ネット上の甘い言葉にすぐに飛びつくようでは、いくら何でも少し安直すぎはしまいか?
 中には同サイトに登録した個人情報を他に売り飛ばしたり、飛びついてきた男性に対して、美人局(つつもたせ)のようなことをしている悪徳業者もいるというし。

 俗に「魚心あれば水心」。その心理にうまくつけこまれた被害男性にも、何らかの責任があったのではないでしょうか?
 それにしても多額のお金ばかりか、人によっては命まで奪われることになろうとは…。
 その意味で木嶋佳苗の今回の事件は、結婚相手すらもバーチャルなネットで探そうとする風潮に、一石を投ずることになったことは間違いないのかもしれません。  (以下次回につづく)  

 (大場光太郎・記)

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かなえを超える大毒婦 !?(2)

 上田美由紀容疑者(35)によると思われる殺人事件の概要とはー。
 
 まず今年の4月11日、知人でトラック運転手だった矢部和実さん(当時47)が、鳥取県北栄町沖約600mの日本海で水死体で発見されました。
 続いて10月7日電気工の圓山秀樹さん(57)が、鳥取市覚寺の摩尼(まに)川の水深数十cmの所に、うつぶせの窒息死状態で発見されました。圓山さんは美由紀容疑者の紹介で家電製品を売ったものの、代金未払いのトラブルになっていたのです。同月6日朝知人に「集金に行ってくる」と言ったまま連絡が取れなくなってしまいました。
 この時圓山さんと会った相手と見られるのが、美由紀と同棲していた同女と同じ日に逮捕された「アンドウ」と名のる男だったのです。圓山さんの顔には、殴られたような深い傷があることから、この男も圓山さん殺人に関与していたものと推定されます。

 さらに10月27日、美由紀と同じアパートの向かいの別棟に住む無職の田口和美さん(58)が、自室で急死しているのが見つかりました。
 田口さんは美由紀とは互いの家を行き来する仲で、美由紀にアパートの鍵を預けて自由に出入りさせていたといいます。田口さんは今年3月、4月頃までは鳥取市内のホテルに勤務していました。しかしその後体調不良に陥り、失職せざるを得なくなったのです。
 事件前日あたりは特に容態が悪化し、7日ついに亡くなってしまいました。美由紀が作って、田口さんに食べさせていた料理に原因があるのではないかと見られています。

 県警がこの3人の遺体を調べた結果、3人の体から共通して「睡眠導入剤」の成分が検出され、同一犯人の犯行によるものではないかという結論に達したわけです。
 上田美由紀容疑者は、以前勤めていたスナックの関係者などの証言から、美由紀には狭心症の持病があり「よく眠れない」と、かなり以前から睡眠導入剤(ハルシオン)を常備していたというのです。

 その後さかのぼって調べた結果、美由紀容疑者の周辺では、上記3人以外になお2人の男性が不審死していることが判明しました。
 そのうちの一人は読売新聞鳥取支局の記者(当時41)です。この男性は数年前列車に轢かれて死亡し、自殺として処理されました。同記者は当時美由紀と交際していたのです。周囲に「子連れ女につかまった」などと話していたといいます。
 もう一人の男性(当時27)は美由紀と一時、同居していたことがあるそうです。美由紀の5人の子供の世話をさせられた上、金を無心されるは、断るとフライパンで叩かれたり熱湯をかけられるは、美由紀にさんざんな目にあわされた挙句、‘07年8月に美由紀や子供たちと日本海に海水浴に行き、水死してしまったのです。

 なお事件には到らなかったものの、その他にも出るは出るは。美由紀がこれまで交際した男性は、公務員、自動車ディラー、工員など数年間で10人にも上るといいます。いずれもデブ専スナック勤務時の客だったようですが、読売記者や公務員のようなインテリをも、美由紀は手玉に取っていたというのです。離婚歴も数回あるようです。
 いずれにしても、同女による詐欺被害あるいは殺人は、上記以外にもまだ新たに出てくる可能性があると思われます。
 まあこうしてみると、上田美由紀という女、木嶋佳苗に勝るとも劣らない魔性の女、極悪女としかいいようがありません。

 ところで8日深夜の日本テレビのニュースによりますと、今回の3人の不審死以外に、以前の2人の死亡の時、鳥取県警はいずれにも身近に上田美由紀がいたことを掴んでいたというのです。「怪しい」とにらみながら、自殺、事故死として処理していたことになります。
 木嶋佳苗の事件における千葉県警もそうでした。数年前あるいは2年前美由紀の身辺を徹底的に捜査していれば、その後の事件は起きなかったのです。繰り返すようですが、千葉県警といい鳥取県警といい、最近の警察のいい加減さが、凶悪犯罪が増大している大きな要因の一つであるように思われます。  ー  完  ー

 (大場光太郎・記) 

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かなえを超える大毒婦 !?

 先日の市橋達也容疑者(30)の生存が確認され、しかも度重なる整形手術によってまるで別人のようになっていた一件には驚きました。しかし同時期もっと驚くべき事件が発覚しました。「鳥取連続不審死事件」です。

 私はそれを5日木嶋佳苗関連をネット検索中にたまたま発見しました。
 「鳥取県で3人が不審死していることが判明した。3人の遺体からは、いずれも睡眠導入剤が検出された」
というような内容が検索タイトルに続く記述でした。私は手口からとっさに、『さては“かなえ”は鳥取にまで行って殺人してたのか?』と思い、もっと詳しい情報を探るべく同サイトに入ってみました。それは確か山陰の新聞社のネット版ニュースだったかと思います。同日夜のテレビ報道で伝えられた内容を手短かに伝えているものでした。

 その中に、犯人は既に詐欺容疑で逮捕されている、「鳥取市内の35歳の女」とみられるとありました。ということは、木嶋佳苗とは全くの別人だったわけです。しかし別人ながら木嶋被告は34歳、鳥取の女は35歳。年齢が近似しています。その上、単なる偶然なのでしょうが、いずれも「睡眠導入剤」を使っている手口も同じです。
 その記事の中には、「3人の他にも女の周辺で近年謎の死を遂げている男性が数人いる」というような記述もありました。もしそれが事実なら、木嶋佳苗のケースよりさらに悪質な連続殺人事件ということになります。
 
 偶然とは言いながら、東と西の両横綱級の大毒婦が同時に社会の表に登場してきたことになります。なおネットや夕刊紙には、既に両人の顔を含めた上半身の姿が掲載されています。それを見るといずれもかなり太めな女です。特に木嶋佳苗の方は、まさに「横綱」と言ってもいいような超太め(推定100㎏)です。
 こんな「歴史的大毒婦」が同時に闇の中から飛び出してくるとは。いやはやとんでもない世の中になったものです。ともかくこの「鳥取連続殺人事件」の方も、これはこれで私の「記者魂」(苦笑)がかき立てられます。

 木嶋被告も鳥取の女も、大マスコミはいまだ氏名を公表していません。顔もぼかし入りの報道で定かには分かりません。被害者の氏名や顔写真はとっくに公開しているのに。警察当局、大マスコミの意図は本当によく分かりません。
 そんな中ネットの2チャンネルでは、早々と鳥取女の実名が出されていて“時の話題”になっているようです。また6日付けの夕刊紙「日刊ゲンダイ」がその実名を公表しました。さらに7日付けの夕刊紙「東京スポーツ」では、テレビではぼかされている赤い半そでシャツの上半身が、顔ばっちりで掲載しています。

 女の名前は、上田美由紀(35歳)。美由紀容疑者は鳥取市福部町のアパートに住んでいた、鳥取市内繁華街の「デブ専」のカラオケスナックの元ホステス。掲載された写真で判断する限り、木嶋佳苗ほどではないにしてもやはりかなり太めの女(推定70㎏)です。見たところけっして美人とは言えません。これも木嶋と共通するところです。

 ここで事件の経過の概要を振り返ってみたいと思います。
 上田美由紀容疑者は今月2日詐欺容疑で逮捕されました。鳥取市内の女性(57)から「あなたの息子が借金をしている」と、何やら“振り込め詐欺”の変則的手法を使って126万円を騙し取ったとされるものです。これ以外にも余罪があるものと思われ、同女による詐欺の被害総額は1,000万円を下らないとみられています。

 なお「女の犯罪に男あり」で、美由紀容疑者とアパートで同棲していた「アンドウ」と名乗る男(46)も同日、別の詐欺容疑で逮捕されています。こちらは農機具販売会社からトラクターなどを騙し取った容疑です。
 しかし鳥取県警は詐欺容疑のみならず、美由紀容疑者の周辺でそれまで3人も男性が不審死していることから、当初から同女の殺人容疑も視野に入れて捜査を進めているのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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おめでとう松井 ! シリーズMVP !!

 4日(日本時間5日)米大リーグワールドシリーズ第6戦が行われ、3-2で王手をかけていたニューヨーク・ヤンキースが、フィラデルフィア・フィリーズを7-3で下して世界一になりました。そして驚くべきことに、同試合の立役者は松井秀喜外野手(35)だったのです。
 2回の先制2ランを含む4打数3安打と大爆発し、シリーズタイ記録となる6打点を挙げて打線を引っ張り、2000年以来9年ぶりの悲願の世界一に大貢献したのです。これにより松井は、日本人として初のシリーズMVP(最高殊勲選手)に輝きました。

 何しろヤンキースは、伝説のホームラン王ペーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジョー・ディマジオなど数々の名選手が在籍していた米大リーグ一の伝統を誇る人気チーム。現在も選手会長のデレク・ジーターや大リーグ一の最高年俸者Aロット(アレックス・ロドリゲス)などのスタープレーヤーが目白押しです。その中での栄えあるMVPですから。
 それにかつてヤンキースのライバル球団ボストン・レッドソックスに在籍し、以前からその投球に苦しめられ続けてきた、現大リーグを代表する投手ペドロ・マルチネスの直球を完璧に捉えての先制の特大ツーランですから。松井自身感慨ひとしおなのではないでしょうか。なお4回4失点と早々とノックアウトされたペドロは、報道陣に「マツイがオレの球を完璧にとらえた。それだけだ」とはき捨てるように言うと、足早に球場を後にしたそうです。

 思えば、「命がけでやる」と巨人軍からFAでの大リーグ移籍を発表したのは、‘02年11月1日のことでした。そして「せっかく大リーガーになるからには、しんどいかもしれないが、一番注目されるチームでやりなさい」との、巨人時代の恩師・長嶋茂雄終身名誉監督の助言もあり、ヤンキースの一員となりました。
 その時から松井の中には、「ヤンキースで世界一に。そして自分はそのために最大限の貢献を」という熱い想いが常にあったはずです。

 その中で名将・ジョン・トーレ監督との心温まる師弟関係も生まれました。しかしなぜかヤンキースはその後、世界一の栄誉から見放されていくことになったのでした。またも世界一を逃した‘07年のシーズンオフにワンマンオーナーのジョージ・スタインブレナーが退任し、その2人の息子ハンクとハルが共同オーナーになるとともに、恩師のトーレがヤンキースを去りました。

 「命がけでやる」という言葉どおり、米国での7年間は松井にとってまさに身を削るような日々だったと思います。走攻守すべてに全力プレーの中、松井自身も悲運に見舞われます。周囲からさらなる飛躍を期待された4年目の‘06年5月の試合中、レフト守備の松井が飛んだきたフライ捕球のため前に突っ込み、グラウンドすれすれで捕球しようとして左手首を骨折してしまったのです。
 巨人時代から続いていた連続試合出場が1768試合でストップしました。左手首の中には、今でも患部を固定するプレートが残っているそうです。
 試練はさらに続き、‘07年には右ひざ‘08年には左ひざも手術せざるを得ませんでした。

 大リーグの先輩で実際一つ年上のイチローは、そんな松井を尻目に9年連続200本以上という大リーグ新記録達成、日米通算3000本安打達成、WBC(ワールドベースボールクラシック)で2度日本を優勝に導くなど、偉業を次々に打ち立てていきました。
 かつては「イチローか、松井か」と比べられた松井秀喜は、度重なるケガや手術との闘いの中で、チーム内で守備機会すら奪われすっかりDH要員。ここ何年かは思うような成績を残せず、もがき苦しんでいました。
 ‘05年からの4年契約の最終年である今期は、オフ後松井の「ヤンキース放出」は球団として規定事実ともなっていました。

 『本当に松井はこのまま終わっちゃうの?』。何度も述べましたとおり大の“アンチ巨人”としては珍しく当時から「隠れ松井ファン」だった私は、落胆と一抹の寂しさを隠せませんでした。
 今回のワールドシリーズMVPという大偉業は、ここ何年かのファンの鬱憤も一気に晴らして余りあるものとなりました。その報に接して鳩山首相は、「松井君はすごい。久々に国民に勇気を与えてくれた」というようなコメントをしていましたが、まさにファンの気持ちを代弁してくれています。

 松井は‘05年オフの契約更改の際、「ヤンキースで何も成し遂げていない(だから引き続きヤンキースに残りたいんだ)」と言ったそうです。今回のワールドシリーズは「松井の松井による松井のためのシリーズ」と形容しても過言ではなさそうです。
 壇上でのMVPインタビューで「来年もヤンキースで優勝したいか」と聞かれて、「もちろんそうなればいいと思う。チームメートが好きだし、ヤンキースが好きだし、ニューヨークが好き。ファンも好きですから」と大観衆に残留への想いをアピールしました。対して「松井残留」を、ヤンキースファンの55%が支持しているとか。

 しかしこればかりは、球団が最終的に決断すること。部外者はもちろん松井自身にもどうにもならないことなのかもしれません。今回改めて松井の底力を見せつけられた、オーナーや編成責任者のキャッシュマンGMは判断に迷うところでしょう。
 私も松井には「ピンストライプ」のユニホームが似合うと思いますが。でも今回で松井は立派に「ヤンキースで大仕事を成し遂げた」のです。今までの借りは全部返したはず。仮に移籍となったとしても、松井自身悔いはないことでしょう。
 私のような一ファンも、移籍となったら新球団での活躍をさらに期待するばかりです。

 (大場光太郎・記)

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市橋容疑者は生きてたの !?

 スピードの早い今の世の中、あっと驚く出来事が次々に起きてくるものです。
 何と4日、‘07年3月イギリス人英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)殺害の容疑で全国に指名手配中の市橋達也容疑者(30)が、名古屋市内の整形病院で鼻を高くする手術を受けていたことが判明しました。
 そして5日千葉県警は、その時病院で撮られた写真を公開しました。まあびっくりです。以前の手配写真時の、目じりも眉毛もキリッとつりあがった、見ようによっては険のある凶悪そうな人相から、何とも人の良さそうなふっくら丸顔に変わっているではありませんか !

 思えば千葉県市川市内の市橋の自宅マンションから、職務質問のため訪れた警官を振り切って逃亡してから2年半。その間市橋に関する足取りはまったくつかめず。イギリスに住むリンゼイさんのご遺族には申し訳ないながら、『市橋は死んでしまって、もうこの世にはいないだろう』と思っていました。
 しかし市橋はどっこいしたたかに生きていたわけです。それも整形は今回が初めてではないと見られています。整形美容外科の専門家の見立てでは、都合8ヵ所も手を入れているのではないか?というのです。一重を二重まぶたに、下唇を薄く、左頬の2つのほくろを取ったり、つりあがった眉毛を垂れさせたり、両頬や下あごにヒアルロン酸を注入して膨らませたりと、しめて総費用数十万円から百万円ほど。

 素足のまま逃走した市橋は、当初の所持金は5万円程度とみられていました。それなのに、一体そんなお金どうやって捻出出来たのでしょうか?また今回の件から、福岡県内の美容整形外科でも整形手術を受けようとして断られていたことも判明しました。
 逃走後、大阪ー福岡ー名古屋ーあるいはその他の地域。市橋は日本列島を自在に移動していたことになります。そのための資金もどうしていたのでしょう?やはり逃亡を手伝った知人の存在があったのか、逃走中に知り合った女性に貢がせたのか、あるいは大阪や名古屋あたりの風俗店にもぐりこんで市橋自身が稼いだものなのか。疑問が残ります。

 しかし今回の整形の件で市橋容疑者は、自ら墓穴を掘ったかっこうです。改めて整形後の写真が公開された以上、今までの整形苦労は水の泡となったわけです。生存が確実になって居場所が特定されたからには、警察当局としてはむしろ格段に捜査しやすくなったとも言えます。
 実際警察当局は、捜査の網の目を名古屋市に絞って、市橋が立ち寄った可能性のある、同市内の24時間営業のマンガ喫茶、ネットカフェ、ホテルなどに聴き込みを続けているもようです。また市橋のマンションから女装用のカツラが発見され、女装趣味があるとされていますが、3日午後2時前、名古屋市内のコスプレ店に市橋らしき人物が立ち寄ったとの情報も寄せられています。

 包囲網は確実に狭められ、逮捕にそう時間はかからないかもしれません。
 しかし市橋容疑者にこれほどてこずった、元々の原因は千葉県警の不手際にあります。数人の警官が自宅マンションに職質に訪れながら、一瞬の隙をつかれまんまと市橋の逃亡を許してしまったわけですから。
 リンゼイさん殺害事件は、当時母国イギリスでも大々的に報じられ、我が国の安全神話がまた一つ大きく崩れることになりました。同時に千葉県警の大失態は、日本警察に対する国際的な信用を失墜させることにもなりました。

 千葉県警の失態はそれだけではありません。
 当ブログでシリーズ化を始めている、例の木嶋佳苗(34)の結婚詐欺事件においてもそうです。2年前の‘07年8月、千葉県松戸市に住む福山定男さん(当時70)の突然死。あるいは今年5月の同県野田市の安藤建三さん(当時80)の住居火災による焼死。いずれにも関係していた木嶋佳苗を、もっとしっかり取り調べ逮捕していれば、後の事件が起こることはなかったのです。
 
 さらに今年7月には、豊田愛子さん(61)を殺害し、次女の豊田智美さん(21)を拉致して全国に指名手配中の仲田敏行(28)の事件でもそうです。仲田は智美さんに度々ストーカー行為を繰り返し、ナイフを所持していることを知りながら逮捕せず、傷口を広げてしまったのです。
 このような度重なる失態から、一部ネットでは千葉県警は「恥場県警」と揶揄されているようです。(「俺は男だ」の森田健作知事、もっとしっかりしてよ ! )
 まさか犯罪者は、『千葉県警はゆるいぞ。千葉で何か罪を犯しても大丈夫そうだぞ』と思っているわけでもないでしょうが。なぜか千葉県では、犯罪が多発しているように思われます。そういえば、先月下旬に起きた、松戸市の5階建てマンション2階での火災、同室に住む千葉大女子大生荻野友花里さん(21)殺害事件も、いまだ未解決のままです。

 警察の失態は、何も千葉県警に止まりません。押尾学事件に見られるように、赤坂警察署のように地場の闇社会や芸能界とズブズブで、そのため肝心の捜査を怠ったりと、日常的に報じられる全国警察組織のゆるみ、たるみ、乱れは目を覆うものがあります。
 郵政など次々に民営化される中、官庁組織の中でも「警察、自衛隊、消防署」は絶対民営化されないだろうと言われています。それもそのはずです。これらは国家権力維持の要(かなめ)なのですから。しかしそれにあぐらをかいてもらっては困ります。いずれも国の治安や国防に関わる重大な部局です。これらが乱れれば(実際はいずれも乱れているわけですが)国全体が乱れ、犯罪は頻発し市民生活が脅かされます。
 警察の汚名の一つをそそぐためにも、千葉県警には市橋容疑者の一刻も早い逮捕を強く望みたいものです。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(1)

 前書き 

 今最も世間の注目を集めているのは、9月に結婚詐欺容疑で逮捕された木嶋佳苗の事件です。既に報道されているとおり、ゆうに1億円を越すとみられている複数の結婚詐欺以外に、その後同女が関係した6人もの男性が相次いで怪死していたことが判明、にわかに関心を集めているのです。
 
 最新情報では、この連続殺人事件でも再逮捕に向けていよいよ詰めの段階に入ったとみられています。一時は物的証拠に乏しく立件は難しいのでは?ともみられていたものの、ここにきて新たな状況証拠も浮かんでくるなど、捜査は大詰めに向けて急展開しているもようです。
 もし連続殺人事件として立件されれば、誰かが言ったように「日本犯罪史に残る事件になる」のは間違いないとものと思われます。

 当ブログでも10月29日『時の話題(1)』記事で、木嶋佳苗のことは少し触れました。そして同記事は、先日の『日々雑感(7)』記事で紹介しましたように、当ブログ開設以来の驚異的訪問者数を記録しました。これは、ピーク時の押尾事件や酒井事件をも上回る関心の高さと言うべきです。
 私としては意外と扱いが難しい事件のように思われ、木嶋被告が自身のブログ『かなえキッチン』で紹介していたような、見事な腕さばきでこの事件を料理する自信はありません。しかし「乗りかかった船」というものです。蛮勇をふるって、何回かシリーズ化してこの事件を私なりに探ってみたいと思います。

 なお本シリーズの「タイトル」につきましては、より多くの関心を引くためにいろいろ考えてみました。「平成毒婦結婚詐欺事件」「平成毒婦連続殺人事件」「かなえ殺人料理日記」…。しかしどうも今ひとつピンときません。
 そんな中、たまたま「木嶋佳苗」でグーグル検索したところ、その中に「【殺人レシピ】木嶋佳苗の『かなえキッチン』」というサイトがありました。なかなかシャレたネーミングです。いろいろ考えても決まらないもので、これをちょいと拝借して、結局『かなえの殺人レシピ』に決めました。(なお拝借するからには、同サイトに飛べるようにしようと同サイトにアクセスを試みました。10月31日作成のようですが、「お探しのページは見つかりませんでした。」が表示されアクセス出来ません。)

 そう言えば、アメリカの往年の名ドラマ『刑事コロンボ』の中に、『殺人処方箋』というのがありました。これは同ドラマをシリーズ化する前の作品で、言ってみれば『刑事コロンボ』ドラマの原点とも言える作品です。
 精神科医として有名なレイ・フレミングは、彼の患者である若い女優ショーン・ハドソンと愛人関係になります。やがてそれは婦人のキャロル・フレミングに知られることとなり、「夫としての義務を果たさないなら離婚し、スキャンダルを公表する」と脅されます。実はフレミング医師は、キャロルの莫大な財産目的で結婚したものであり、離婚など到底出来ない相談なのでした。

 そこでキャロルには死んでもらうしかないと考え、愛人のショーン・ハドソンをそそのかして、強盗を装った殺人を計画、実行します。すべては九分九厘うまくいくかと思われた、その矢先。お決まりの、ロサンゼルス市警・刑事コロンボの登場です。
 ポンコツの愛車に乗って、よれよれのコートを着て風采のあがらないコロンボは、最初から『怪しい』とにらんだフレミングに、先方の迷惑などとんとお構いなしでことあるごとにその前に出没します。そして次第に同医師を追いつめ、高い知能を有するフレミング医師が行った完全犯罪のアリバイを突き崩す。そんなストーリーでした。

 私は大の「刑事コロンボファン」で、NHKで放送されたのも、後に日本テレビで再放送されたのも観ました。またその後ビデオ化されたものも7本ほど持っています。その中にはこの『殺人処方箋』も含まれています。『構想の死角』『黒のエチュード』『ロンドンの傘』などと並んで、シリーズ中の最高傑作の一つだと思います。

 よく一般的に「高知能の人間は詐欺犯に、低知能犯は窃盗犯に」などと言われます。いずれその「生い立ち」のところで述べることになろうかと思いますが、木嶋佳苗は郷里(北海道別海町)では優秀な生徒として、教師からも一目置かれる存在だったようです。
 結局才能が歪んだ方向に向かってしまいましたが。結婚詐欺によって、舌先三寸で世の何人もの男どもを手玉に取り、1億円以上もの金を巻き上げた知能は相当のものと見なければなりません。その上、物的証拠をほとんど残さず人を何人も殺し、埼玉県警など取締当局を手こずらせているわけですから。 

 話が思わぬ方向に脱線してしまいました。同ドラマの場合、医師だから「殺人処方箋」。
 木嶋佳苗の場合は、かつて専門学校で料理を専攻したほどの大の料理好き。関係した男たちが同女の作る料理を絶賛するほどの腕前だったようです。その集大成として昨年から始めた「かなえキッチン」は、同女の「料理」の紹介、そのレシピの公開などが主な内容だったようです。
 同ブログは、セレブな雰囲気をかもし出したシャレた構成になっていました。木嶋にとって同ブログは、獲物の男を釣るためのかっこうの罠だったわけです。そんな木嶋佳苗の犯罪のタイトルとしては、やはり『かなえの殺人レシピ』がふさわしいのかな?と思います。

 (注記) その後調べましたら、「殺人レシピ」の出典はどうやら今年8月中旬頃放送の、テレビ朝日ドラマ『新警視庁9係』第6話:『殺人レシピ』だったようです。その他にも1999年TBS月曜ドラマスペシャルで『真行寺華子の殺人レシピ』という2時間ドラマがあったようです。なのに、すみませんねぇ。『刑事コロンボ』などという古いものを持ち出したりして。
 ただ一言弁解させていただければ。両ドラマ特にTBSドラマの方のタイトルは、『殺人処方箋』からヒントを得、後年のテレビ朝日のドラマは、TBSドラマのタイトルをさらに借用したということなのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(28)

 合成麻薬MDMAの使用による麻薬取締法違反の罪に問われた押尾学被告(31)に対して、東京地裁は2日懲役1年6月、執行猶予5年(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡しました。「5年」は執行猶予期間としては最長となります。

 【事件名】麻薬及び向精神薬取締法違反被告事件
 【被告人】押尾 学
 【宣告日】平成21年11月2日
 【主  文】懲役1年6月、5年間執行猶予
 以下井口修裁判長によって読み上げられた判決文(【量刑事由】)は、わずか4分の短いもの。しかしその内容は押尾被告への厳しい言葉で満ちたものでした。

 判決内容は、押尾被告が文字どおり麻薬常用者であると認定。2年前から最近まで、外国(アメリカ)でMDMAを複数回使用していたことを明示。その上で「麻薬施用者との交友関係が深く、麻薬に対する親和性が相当強い」と刑事責任の重さを強調するものでした。
 ただ前科がない上、率直に公訴事実を認めていることから、「一度は社会内で自分の力で更正する機会を与えるのが相当」と実刑を回避しました。

 押尾被告はMADAを「死亡した女性から渡された」と主張し、初公判で、女性(田中香織)に送った「来たらすぐいる?」というメールを「いる?」は押尾学の体のことで「薬ではない」と説明していました。同判決はそれらの供述に対して、「内容が不自然であり、およそ信じがたい」と、裁判所としての不信感を突きつけた形です。
 また同被告が薬物との断絶を誓ったことにも、酒井法子が夫高相被告と離婚するなど薬物の入手先と縁を切る決意を示しているのに対して、押尾の場合環境整備が十分に出来ているとは認めがたいと断じました。その結果「相当期間に渡って、再び違法薬物に手を出さないかどうか見守る必要がある」と厳しい注文をつけたものとなりました。

 法定上最長で「実刑の一歩手前」とも言える「5年の執行猶予」判決に、押尾学は「予想以上に厳しかったなあ」と周囲に洩らしたそうです。とは言えともかく、押尾は執行猶予の身となりました。
 今後の身の振り方について押尾は、日本を離れ、グリーンカード(永住権)を持っているとされる米国ロサンゼルスで「芸能活動を再開したい」との意向を関係者に明かしているそうです。しかし米国の入国審査に詳しい芸能関係者は、押尾は「2年前から米国内でMDMAを使用していた」と判決文の中で指摘された以上、「数年間は入国を認められない」との見方を示しています。

 また押尾は、保釈後から大手出版編集者と接触しており、半生、事件、裁判を振り返る著書の出版も計画していて、そこで反省の態度を示し「みそぎ」をする狙いで、年内発売の動きもありました。しかし今回の厳しい判決に加え、亡くなった田中香織さんに対する「保護責任者遺棄罪」での立件が濃厚になったことから、出版関係者はその計画を再検討し始めているとのことです。
 こうして押尾被告の次の焦点は、「もう一つの裁きを受けるのかどうか」に移りつつあります。既報のとおり警視庁捜査一課は、田中さんの死亡に到る経緯と押尾被告の行動に因果関係があったかどうか、現在は保護責任者遺棄の疑いで詰めの捜査を進めている段階と見られています。

 対して、一方の当事者だった田中さんの遺族のようすはどうでしょう。
 10月23日の初公判の時は、岐阜県から遺族4人で上京しました。その時母親は真っ先に、そもそもの管轄署である赤坂警察署を訪れ、「公判を傍聴したい」旨伝えたところ、同署員から「現場が混乱するといけないから行かないよう」強く釘をさされました。「いやそんなことはない。行くべきですよ」と勧めてくれたのは、田中さんが元勤務していた銀座のクラブ「ジュリア」の関係者たちでした。
 そこで当日一般傍聴券を求めて、田中さんの弟が長蛇の列に並び運良く1枚の傍聴券を入手、それを父親に譲ったという経緯だったようです。

 しかしその初公判法廷で、父親が目にし耳にしたことは何だったか?もちろん期待していた押尾被告の謝罪の言葉など一切なく、法廷内のやりとりは田中さんと押尾とのセックスの回数にまで及びました。また押尾が田中さんに送ったとされるメールの「来たらすぐいる?」に対する、田中さんからの「いる」という返事は、「MDMAが『いる』なのでは?」という検察官の執拗な追及に、押尾は彼自身の「体のこと」と主張して譲りませんでした。ここまではテレビなどでも報道されたところです。

 しかし実際はその後に、「それは○茎のことですか?」「はい」「すぐ○茎がほしいとのことですか?」「はい」と言うようなやり取りもあったようです。続いて「普通『いる』というのは物のことをいうのではないですか?」「人によってとらえかたは違う」「セックスは『やる』『する』というのではないですか?」「意味は一緒です」。こんな露骨なことを聞く方も聞く方なら、答える方も答える方と言うべきです。まさに「死人に口なし」とはこのことです。
 聞いていた父親は、『これじゃあ、娘があまりにもかわいそうだ』と思ったことは想像に難くありません。大変なショックを受けたようで、それが公判後の「何でもっと早く救急車を呼んでくれなかったのか」という、無念の叫びにつながったのかもしれません。
 
 それ以来遺族は、マスコミとの接触も極力避けるようになったとのこと。今判決に遺族の姿はありませんでした。それに対して母親は、「今回はあくまでも薬物に関する裁判で、娘との関係性を明らかにするものではないから」と上京しなかった理由を述べていますが、やはり初公判時のショックが相当あったのではないかと推測されます。
 押尾事件の真相究明には、遺族のそれを望む強い気持ちが不可欠です。田中香織さんの死をムダにしないためにも、ご遺族には強い意思を持ち続けていただきたいものです。

 遺族の「警察は本当のことを何も話してくれない」との訴えが報道されてから、国民の間にも一気に警察不信が広がりました。そもそも遺族が警察に対して不審を抱くようになったのは、司法解剖から戻ってきた田中香織さんの遺体を、霊安室などのきちんとした所ではなく路上で対面させ、まるで犬猫の死体でも扱うように「一刻も早く引き取ってもらいたい」と言わんばかりの対応をされてからだと言われています。
 
 加えて早々と「事件性なし」として事件の早期終結を図り、いっこうに捜査を進展させようとしない警察に業を煮やした遺族に、「こうなったら真相究明のために民事訴訟を起こしましょう」と勧めたのは、銀座のクラブ関係者でした。
 しかし早くから遺族の耳にも、この事件には大物政治家の息子(ありていに言えば森元総理の長男祐喜)が関与しているらしいとの情報が入っていて、一時は「それでは法廷で争ってもムダだな」とあきらめかけもしました。それに訴訟費用の工面もあり躊躇していた遺族に、「費用など私たちが何とかするから」と言って励ましてくれたのもクラブ関係者だったようです。

 これには、既報のとおり各方面からの圧力により事件の迷宮化を目論んでいた警察も、さすがに慌てたようです。この事件を法廷の場に持ち込まれれば、赤坂署と芸能界あるいは闇社会との癒着が白日の下にさらされかねないからです。それでやむなく重い腰を上げて捜査一課まで投入、再捜査に踏み切ったことを考えれば、遺族側の民事訴訟圧力は絶大なものがあったと言うべきです。
 ともあれ今日の状況では、もし仮に保護責任者遺棄罪で立件しなければ、もはや「世間が許さない」というほどにまでなっています。しかし押尾事件の「謎と闇」の深さからすれば、同立件は真相解明の端緒に過ぎないと見るべきです。 

 (大場光太郎・記) 

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日々雑感(7)

 当ブログおかげ様で最近順調です。10月23日(金)以来、連続で1日訪問者数が「100人」を越えています。これでやっと昨年4月の開設当初目指していた目標ラインに到達出来たかな、とほっと一安堵です。
 当ブログは毎度申し上げておりますように、その大半が「検索」によるご訪問、言ってみれば通りすがりの方が圧倒的に多いブログです。ですから、好評の『薬物汚染シリーズ』も世間の関心が薄れるとともに、また100人以下に逆戻りということは十分考えられます。

 そんな中、久しぶりで当ブログ大当たり記事が出ました。10月29日(木)の『時の話題(1)』記事です。同記事を公開したのは夜9時頃のことでした。やはり今世間で最も関心の高い、34歳の女の「結婚詐欺事件」に触れたのが大きかったようです。またその日の夕刊紙「日刊ゲンダイ」に、女の名前が「木嶋佳苗」であることが公表され、同記事でその実名を出したことも大きかったと思います。
 公開した夜はさほどでもありませんでした。ところが日付が変わってからが凄かったのです。同記事へのアクセス、引きもきらず。結局30日(金)は、7月22日の『皆既日食』記事の時の301人を少し越えた「316人」となりました。

 「木嶋香苗」での検索フレーズによるアクセスが圧倒的でした。「えっ。木嶋香苗?木嶋佳苗じゃないの?」となりそうです。そうなのです。なぜ「木嶋香苗」なのか?これには少々回りくどい説明が必要です。当初同記事公開時、私は「木嶋佳苗」を「木嶋香苗」としてしまったのです。おそらく押尾学の事件の「田中香織」という被害女性が頭のどこかにあって、無意識的に「佳」を「香」と入力してしまったのだと思われます。
 『あれっ。何で木嶋香苗なんだ?』。アクセス解析をたどってみると、次も次も次も「木嶋香苗」「木嶋香苗」「木嶋香苗」…。不審に思い、ひっとして私自身が間違えていたのかもしれないと気づき、確かめたところやっぱりそうでした。

 念のためグーグルで「木嶋香苗」を検索してみると、項目はたったの4件(今現在では200件以上)。そして少し前送信したばかりなのに、当ブログタイトル『今この時&あの日あの時』がそのトップに表示されているのです。
 『ははあ。これだな』。私は早速当ブログ記事作成画面に戻り、「木嶋香苗」を「木嶋佳苗」に直しました。しかしグーグルなどに最初に掲示されてしまうと、もう修正は出来ないようです。例のグーグル項目を見直しましたが、やはり「木嶋香苗」のままでした。

 しかしこの間違いはむしろ“けがの功名”と言うべきです。というのも、さすがネットの世界は情報が早い ! ちなみに次に「木嶋佳苗」で検索を試みますと、既に夥しい項目数(実際の数字は覚えていません)で。「木嶋佳苗って?」「木嶋佳苗 かなえキッチン」など、あるわあるわ。私の『時の話題(1)』などどこにあるか分からないくらいです。
 多くの方が「木嶋香苗」と思い違いしておられるのか。それとも「ひらがな」で「かなえ」と入力すると、ただちに「香苗」と変換されてしまうので、ついそれで検索してしまうからなのか。3日未明の段階でも、「木嶋香苗」での検索が続いている状態です。
 たまには正式名の「木嶋佳苗」でのアクセスもありますが。私が思いますに、もし最初から正式名で打ち込んでいたら、このように驚異的な(あくまでも当ブログの基準では)訪問者は得られただろうか?そこで『これはまさにけがの功名だな』と思う次第です。

 つまらない、どうでもいいようなことを長々と述べてしまいました。しかしこれはこれで、当ブログとしてのささやかな「ニュース」ですので。
 と言うわけで『時の話題』は、あまり書くことがない場合、緊急避難的にその時々の芸能、事件ネタなどを適当にブレンドしたものをシリーズ化していこう、そういう軽い考えで始めたものでした。それが予想外の大ブレークで。30日(金)ー316人。31日ー183人。11月1日ー406人。2日ー364人。300人どころか、400人すら軽く越えてしまいました。
 また同記事は、30日のココログ「雑記」「日常」カテゴリーの「ディリー部門」で、堂々の1位にもなりました。(なお、前日記事『薬物汚染の拡がりを憂う(26)』も、「雑記」1位「日常」2位でした。)

 それはともかく。今回の「結婚詐欺事件」のみならず、木嶋佳苗の周辺で男性6人もが謎の死を遂げている事件。大変複雑怪奇な内容だけに、なかなかうまくまとめきれずにいます。それに「薬物事件」といい今回の事件と言い、『少し“事件モノ”を興味本位で追いすぎていないか?』という私自身のジレンマもあります。そこで、この事件を深追いするのはよそうか?とも思いました。
 しかし皆様からこれだけのご訪問をいただいきますと、ムゲに止めるのもどうかと思います。この事件をより深く知りたい、核心を知りたいという世の中の願望がそれだけ大きいと言うことなのでしょうから。

 芸能ジャーナリストでも、事件記者でもない私如き者が、どれだけそのニーズにお応え出来ますか、自信はありません。しかし私なりにこの事件を探索し、時に私独自の切り口を交えて同事件を扱っていければと思います。
 木嶋容疑者は、出身が北海道別海町。祖父は私の隣接士業である司法書士事務所を長く経営し、同町の町議会議長も勤めたほどの名士。父親(故人)は大学職員。
 そのことにまず興味がある上、木嶋佳苗の中学、高校の卒業文集がテレビで公開されていますが、中学時のものなど、中学生とは思われないほどの達筆でしっかりした文章を書いていました。町でも指折りの裕福で堅実な名家の子女で、成績優秀だったらしい同女が、なぜこんな“稀代の毒婦”的犯罪を犯すに到ったのか?私自身その辺に興味がないわけでもありません。

 犯罪と言えば。あの押尾学に2日午前中、「懲役1年6ヵ月、執行猶予5年」の判決が出されました。当然こちらも『薬物汚染(28)』記事を出さなければなりません。
 さらには1日夜の大河ドラマ『天地人』最後の「天地人紀行」は、何と私の出身地である「南陽市宮内」、そして私の母校がある「長井市」がセットで紹介されて。これに応えるためにも、『天地人』シリーズの続きも出さなければなりません。

 本当は私の願いとしては、例えば『君待つと』『秋の名句(3)』『天に北斗の光あり 地上に花の香ある』などの記事で300人を越えるようだと、大変嬉しいのですが。実際は、このような記事ですと途端にアクセスが減少してしまいます。

 (大場光太郎・記)

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『雨月物語』など

   秋薔薇のピンクの夢の在り処(どころ)   (拙句)

 きょうから11月です。あらためて言うまでもないことながら、今年も後2ヶ月を残すのみです。12月に入ってから慌ててでは大変だから、年内にやっておくべきことは何事も早め早めにと毎年思えども。ついつい日々の雑事にかまけて、気がついたら師走もどん詰まりになっていて。『あーあ。結局何も出来なかったなぁ』となりがちです。今年ばかりはそうならないようにと思いつつも、さてどうなりますことやら。

 日中は家の中にいたので確かなことは分かりませんが、けっこう良い秋晴れの天気だったようです。東京は25℃以上の夏日となり、11月の夏日は11年ぶりのことだとか。
 3時頃本厚木駅方面に向かうべく外出した頃には、早や秋の日はかの大山の上の中空にまで到っていました。日は差し込んでいても、全天厚い雲に覆われだし何やら怪しい雲行きです。
 結局駅付近で用を済ませ、さるコーヒーショップに入りそこを出たのが夜7時頃。不安的中で外はもう雨になっていました。当然傘など持って来ていません。ルーフ付きのバス停で思案気に雨のようすを見るに、さほど大降りでもなさそう。心配は地元近くのバス停を降りてからですが、ままよとバスに乗り込みました。

 結局バス停で降りて実際雨に打たれながら歩くに、やはりさほどのこともない小降り程度で、それでも早足でいつもの帰路を歩きました。
 いつかご紹介しました桜落葉散り敷く遊歩道の手前に、これも去年ご紹介しました、とある家の庭先にひょろんと細い幹を3m以上伸ばした薔薇の幾つかがあります。この季節またピンクの見事な大輪の花を咲かせているのです。全部で十余輪ほど。花が咲いているのはすべて人間の背丈より上から天辺にかけてです。私にとってこの季節その薔薇は、帰路における私だけのほんのささやかなランドマーク的目印で、いつも見上げてはつかの間の鑑賞タイムを楽しみながら通り過ぎます。
 本日はもう7時を回って辺りは真っ暗です。それでも薔薇は、夜目にも鮮やかに浮き出て見えていました。

 10月30日は十三夜。「十五夜に晴れ無く、十三夜に曇り無し」とは古来からの言い伝え。そのとおり今年の十三夜も澄み渡った夜空で、月はひときわ光を放っていました。それからすればきょうは旧九月十五日で満月のはずですが、あいにくの雨月です。
 雨月と言えば。最近の『君待つと』記事で、上田秋成(うえだ・あきなり)の『雨月物語』に少し触れました。それで最近にわかに、同書の中の「白峯」や「吉備津の釜」などを読んでみたくなりました。
 最初に読んだのは高校時代。当時の私が、まともに原文で初めから終わりまで読んだ唯一の古典です。学校の図書館に並んでいた古典文学全集中から同書を選び、早速借りて夢中で読みました。今でも、通学途中の汽車の中で『雨月物語』を読んでいる我が姿をかすかに覚えています。ということは、そうとう熱中して読んでいたということなのでしょう。

 よほど印象深いものがあったのか。当地に来てからしばらくした20代終わりの頃、本厚木駅前の有隣堂書店に並んでいた、某古典全集中の『雨月物語』を買い求めました。その時は『すぐ読みたい』というほどの強いものではなく、『いつかそのうち』という軽い気持ちだったかと思います。ただ上記に挙げた幾つかの物語は、その時も読んだような記憶があります。
 それがどこにいったか、何年か前確か見かけたはずでおそらく処分はしなかったと思いますが、どこを捜しても見当たらないのです。本というものは、思い立った時に読まないとなかなか次のチャンスが来ないものです。今後もし捜せましたら、主な作品をきちんと読んで、読後感などを述べてみたいと思います。

 上田秋成(享保19年・1734年~文化6年・1809年)は、後世の泉鏡花、内田百閒、江戸川乱歩、夢野久作などの近代幻想作家、さらには京極夏彦、小川洋子といった現代幻想作家たちの先駆者的存在でした。そして後代の作家たちも及ばないような幻想世界を描き出したのが、名作『雨月物語』だったように思います。

 書きながら思い当たりましたが、高校時代はなぜか「怪奇幻想譚」に惹かれるところがありました。ありきたりの日常につまらなさを感じ、非日常の幻想世界に耽る傾向が多分にあったようです。その頃『黒猫』などエドガー・アラン・ポーの作品も読み耽りました。
 そんなことも、高度経済成長真っ只中の現実社会に否応もなく投げ込まれる前の、モラトリアム期の懐かしい思い出です。

 (大場光太郎・記)  

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薬物汚染の拡がりを憂う(27)

 「のりピー介護の道」にエールを送る

 のりピーこと酒井法子は26日の初公判の場で、「今後は介護を勉強し仕事にしていきたい」と言明しました。その時は『えっ?ホントかよ』と率直に思いました。初公判を注目していた多くの視聴者もそう思ったことでしょう。
 そんな素人の世間の風評はともかく。介護の現場を誰よりも知る専門家からも「介護を安直に考えてもらっては困る」「本当にのりピーに介護が出来るのか?」というような批判の声も多く挙がっているようです。
 今回は薬物問題はひとまず置いて、「のりピー介護の道」を少し考えてみたいと思います。

 覚せい剤、詐欺、窃盗などの刑事被告人が、裁判官に「今後どうするんですか?」と尋ねられた場合、「介護や福祉の仕事がしたいです」と答えるのは常套句のようです。たいがい弁護士がそう言うように勧めるのだとか。ですから裁判官はすっかり慣れっこになっていて、それを情状の判断材料にしないのが普通だと言われています。
 今回の酒井事件では、ことさら介護を強調しなくても「執行猶予3年」判決は確実とみられています。だから後は、「介護の道に進みたい」という酒井自身の本気度が試されるだけなのです。

 しかし酒井法子は意外にも本気のようです。11月9日執行猶予判決が出るのを待って、介護福祉士資格取得のための手続きを開始する方向のようなのです。群馬県高崎市にある「創造学園大学」の「ソーシャルワーク学部」に、願書を提出する手はずを整えつつあるというのです。同学部は、社会福祉や介護のスペシャリスト育成を目的とした学部で、現在約100人の学生が在籍しており、介護を専攻するコースもあるということです。

 酒井は同大学の通信教育プログラムを利用しての履修となるようです。同プログラムはスタートしたばかりで、利用している学生は十数名とまだ少ないのが実情のようです。同プログラムでは、卒業単位の大半は在宅受講が可能となります。英語、文学などの一般教養科目講義を、パソコンを通しての「eラーンニング」で受講出来るシステムです。卒業単位の残りは介護などの実習を伴う専門科目が中心で、この単位取得のため合計2週間程度東京校に通えば取得可能とのこと。
 これならマスコミに執拗に追いかけ回される心配も少なく、酒井としては願ってもない学習環境と言えそうです。

 同コースを卒業出来れば、4年制大学卒業資格と共に、介護関係の資格として准介護福祉士資格、介護福祉士国家試験受験資格が与えられるとのこと。
 同校を見つけてきたのは情状証人にもなったサンミュージックの相澤正久副社長で、既に同大学学長とも直接話をつけているようです。酒井がもともと人と接することが好きなことなどを考慮して、勧めたのだそうです。14歳から見守り続けてきた相澤氏の、「本当にまっとうに更正してくれよ」という親心がにじむような話です。
 大学側も酒井側の思惑と一致しているとみられます。というのも、同大学はここ数年入学者の減少で経営的に厳しい状況にあり、これが「のりピー入学」となれば宣伝効果は計り知れず、受験、入学希望者の大幅アップが期待出来るからです。

 酒井法子は、初公判を終えた26日夕方、8月3日未明の逃走劇以来久しぶりで都内南青山の自宅マンションに戻りました。同マンションは酒井名義になっており、近日中に継母の酒井智子と10歳の長男と新生活をスタートさせる予定のようです。
 思えば同マンションは、覚せい剤使用の舞台でもありました。しかし長男の学校生活を最優先に考え戻ってきたようです。ともかくここが新生のりピーの生活と学業の拠点となるわけです。

 ところで。亡母を6年余自宅介護した私の乏しい体験からしても、介護は本当に大変です。はっきり言って介護は3K(キツイ、キタナイ、キケン)の仕事の一つです。
 “下の世話”も喜んでしなければなりません。私の場合は「要介護5」で完全寝たきりの状態でしたから、かえって手がかからず楽な方でした。これが「要介護1~3」のまだ体が動くし歩けもする患者の扱いでは、手を焼くケースがけっこうあるようです。それに寝たきり老人は意外と重いのです。体位交換の場合など、けっこう体力も要求されます。さらに半ば痴呆状態にある患者が、介護者の目の前で自傷行為に及んだり、身近なモノを掴んで介護者に襲いかかる危険性が皆無とは言えません。

 超高齢化社会を迎えつつある我が国にあっては、さらに多くの介護従事者が必要とされています。しかし上記のような理由からなかなか人が集まらず、慢性的な人手不足状態です。その上3K仕事の割には賃金も安いのです。
 このような介護現場に日常的に生で接している関係者が、「のりピー介護の道」に批判的なのは当然なのです。とにかく介護の現場は、机上の空論が通用しない問題がどっさりあることを覚悟しなければなりません。要は実際の生きた介護体験を重ねて、一つ一つノウハウを蓄積していくしかないのです。

 ともあれ。そのようなことを十分覚悟した上での「のりピー介護の道」なら、大歓迎です。上に述べたように、介護従事者は慢性的に不足状態です。それが酒井法子が腹を決めて介護に従事し、立派に実績を積み上げていけば、世間の介護に対する見方が変わる可能性もあります。
 「私もオレも。介護の道に…」と殺到してくるかもしれません。それを見た厚労省も改めて介護対策を見直し、もっと働き甲斐のある賃金体系に組み直すことだって考えられます。

 もしそうなれば、今の社会が最も必要としている一分野での、絶大な「のりピー効果」と言うべきです。それはひとり介護分野にとどまらず、薬物から更正しようとしている者にも希望を与えます。のみならず、社会の広い範囲に好影響を及ぼす立派な“菩薩業”です。今回の薬物事件など完全にチャラになります。いや社会貢献の面から見れば、過去のそんな問題など取るに足らなく思われるほどの大貢献となることでしょう。
 酒井法子よ。虚名、虚像、幻影ばかりの芸能界へは、もう二度と戻るな。今後は介護一本で歩んで行ってくれ。悪女のりピーから聖女酒井法子への変身、変容だ。

 (大場光太郎・記)

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天に北斗の光あり 地上に花の香ある

       山形県立長井高等学校校歌 
                 県立長井中学校校友会 作詞
                      山崎藤得      作曲

  1 天(そら)に北斗の光あり 地上に花の香(かおり)ある
    緑の山河友となし 栄華の夢をよそに見て
    早苗ヶ原にそびえ立つ これぞ我らの理想郷

  2 銀河の星に照らされて 山錦繍(きんしゅう)に映(は)ゆるとき
    雄々しき姿白鷹(しらたか)の 強き力を双翼に
    理想の天地前にして 希望に燃ゆる我が健児

 (出来ましたら以下の記事をお読みになる前、同校歌mp3演奏をお聴きください。冒頭のタイトル左クリックで「校歌ページ」が開きます。)

 「人に校歌あり」。すべての人がかつて学び舎で過ごした経験を持ちます。小、中、高、大学と上級学校に多く進んだ人ほど、いくつもの校歌を持っているわけです。皆様にとって一番愛着のある校歌は、何でしょうか?
 私は高卒です。したがって私の場合は、小、中、高校の三つの校歌を持っていることになります。(実際は30代前半、都内新宿区にある工学院大学の専門学校課程の土木科夜間部に2年間通学し、一応卒業しました。しかし私自身はこれを最終学歴に含めないことにしています。)

 我が小学校の宮内小学校(山形県)校歌は、昨年11月記事『菊祭りの思い出』でその一部をご紹介しました。作詞:高野辰之、作曲:梁田貞と、当時の文部省唱歌を数多く手がけた大御所の作った歌であり、それなりの愛着も懐かしさもあります。また我が宮内中学校校歌は、本年7月記事『娘ことごとく売られし村』で取り上げた郷土の歌人結城哀草果の作詞になるもので、これまた捨てがたいものがあります。
 しかし私にとってひときわ愛着が深く懐かしさを感じるのが、今回ご紹介の長井高校校歌なのです。そこには、人生の中で最も多感な時期であった高校時代の校歌だからということもあるのでしょう。しかしそれ以上に、とにかく詞も曲もピカイチの歌だと思われるのです。

 同校歌は、母校ホームページの「校歌紹介」によりますと、<昭和3年10月3日制定>とあります。昨年記事『万物備乎我(2)』でも述べましたが、母校は大正9年に旧制山形県立長井中学校として発足しました。ですから校歌が制定された昭和3年当時は、旧制中学校の校歌であったわけです。いささか手前味噌ながら、このような校歌を持てたことを誇りに思います。

 いきなり「天に北斗の光あり 地上に花の香ある」。北斗は北斗七星。古代中国では、太乙(たいいつ-北極星)と共に、道教などでは特に重要視される星斗でした。私の郷里は北の地方でしたから「北斗」が自然に歌われているわけです。何とも心鼓舞される雄渾な出だしです。
 作詞は長井中学校校友会、作曲は山崎藤得という人。小学校校歌のように名だたる人たちの手によるものではない、おそらく当時の母校関係者による歌なのでしょう。なのにこのスケールと格調の高さ。

 「緑の山河友となし 栄華の夢をよそに見て」。旧制第一高等学校寮歌の『嗚呼玉杯に花受けて』の一節の、「治安の夢に耽(ふけ)りたる 栄華の巷(ちまた)低く見て」などの影響を多分に受けたのではないでしょうか?一般庶民が栄華を求めるのは致し方ない。しかし我々は、そんな泡沫(うたかた)の酔夢を追うことはしないのだ、という選良(エリート)たる青年たちの質実剛健の気概が偲ばれます。当時の社会体制がいかなるものであったにせよ、「理想(ゆめ)」を歌え、語れる世の中は、少なくとも今よりはずっとましだったと言えると思うのです。
 私の頃はぎりぎり「栄華の夢をよそに見」るメンタリティーを理解出来ました。しかし万事豊かになること、経済至上主義があたり前、そのための学歴であり偏差値であるという風潮の今日、母校在校生諸君はこの歌詞をどう捉えて歌っているのでしょうか?

 もっとも昭和40年代前半在籍していた頃の私は、同校歌に今ほど思い入れがあったわけではありません。「万物備乎我」という孟子の成句を、犬養毅(犬養木堂)が揮毫してくれて扁額になっていることすら知らなかったのですから。「意味をじっくり味わって校歌を歌いなさいよ」などと、在校生に言えたものではありません。

 私が「校歌の力」を実感するようになったのは、母校を卒業してずっと経ってからのことです。今でも思い出しては、口ずさむことがあります。年と共に涙もろくなったせいか、一節一節かみしめて歌っていると、熱いものがこみ上げてきます。
 そして気づかされるのです。『オレはホントに、それらしきことを何もしてこなかったよなあ』と。若き日の理想(ゆめ)とそれ以降今日の現実と。その何たる乖離(かいり)よ。いな現実に埋没してしまっているのに、それすらも気がつけない恐ろしさよ。

 だから改めて思うのです。『このまま終わってしまっては、オレの人生ゼロだな。何とかしなきゃあな』と。
 世に歌は星の数ほどあれど、同校歌は私にとって第一の「人生の応援歌」です。校歌はつくづくありがたきかな。   十三夜(後の月)の夜更けにー

 (大場光太郎・記)   

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時の話題(1)

 酒井法子の初公判、民放テレビ各局はこぞって過熱報道をしました。しかし期待したほどの視聴率は稼げなかったようです。例えば、TBSの「ひるおび ! 特別拡大スペシャル」は5.9%、テレビ朝日の「ワイド!スクランブル拡大SP」は前半が7.6%、拡大部分が6.7%、日本テレビの「ミヤネ屋」は第1部が8.1%、第2部が12.0%。「目標は2ケタ」という各ワイドショー関係者の思惑は外れたかっこうです。
 8月上旬の逃走劇から、逮捕、保釈、謝罪会見などを生中継で追い続け、軒並み2ケタ台で「のりピー特需」だっただけにどうしたことなのでしょう?

 実は視聴者のワイドショー的関心は、もう別の事件に向かっているようなのです。そうです。今一番ホットなのは都内豊島区の34歳の女の「結婚詐欺事件」なのです。報道で明らかなように、既に複数人の死亡が確認されています。そしてこの奇っ怪な事件がさらにどこまで拡大するか分からないため、余計人々の関心を集めているわけです。
 女の名前は木嶋佳苗(きじま・かなえ)。少し調べただけでも、まさに「毒婦」と呼ぶしかないとんでもない女です。

 そのうち当ブログで、『近世毒婦列伝』というシリーズを組んでも面白いかな?と思いますが、過去名だたる毒婦が登場しました。今回はそのさわりだけでもご紹介しますとー。
 まず有名なのは何といっても、昭和初期の伝説的毒婦・阿部定(あべ・さだ)です。1936年(昭和11年)5月18日愛人の石田吉蔵を殺害、のみならずその局部を切断し逃亡。あまりの猟奇的事件に当時としては珍しく号外が出たほどでした。
 次が小林カウ。同女は埼玉県生まれで、44歳の時愛人と共謀して夫を殺害。その後別の男と共謀して、1960年から61年(昭和35、6年)にかけてホテル経営者夫婦らを次々に殺害。世にいう「ホテル日本閣事件」を起こし、1970年(昭和45年)死刑となりました。戦後初の女性死刑執行者でした。

 平成に入ってからはご存知のとおり、1998年(平成10年)7月25日和歌山市園部地区の「毒物カレー事件」によって4名を死亡させた林眞須美。それに2006年(平成18年)秋田の藤里町で連続児童殺害事件を起こした畠山鈴香が、記憶に新しいところです。
 今回の木嶋佳苗の事件を探ってみますと、木嶋は歴代の毒婦たちをもしのぐような「稀代の毒婦」として後世に残るほどのものなのかもしれません。これもシリーズ化となるかどうか、私なりに調べがついたら(笑)近々にも記事として公開したいと考えております。
                         *
 次は、大河ドラマ『天地人』の石田三成役で、主役の妻夫木聡を食っちゃった感のある小栗旬に関する話題です。以前にも『えっ。小栗旬が映画監督 !?』記事で述べましたが、小栗の初監督映画がいよいよ本決まりになっているようです。映画のタイトルは『SURLY SOMEDAY』で来春公開予定だそうです。何しろ小栗の初監督作品であるだけに、ファンの関心は高そうです。
 その中でも注目されるのは出演陣の顔ぶれです。まず井上真央、上戸彩、小西真奈美は決まりのようです。そして現在スケジュール調整中なのが、親友の藤原竜也そして常盤貴子、妻夫木聡、水嶋ヒロなど。もしこのような顔ぶれが揃えば、けっこう豪華キャストというべきです。

 ところで上記キャストのほとんどがノーギャラだそうです。『えっ。この計算高い今の世に、何で?』と思うところですが、理由は「小栗の性格のよさ」に惚れこんで集まった仲間だからというのです。
 小栗は一見尖がって取っつきにくい感じですが、いったん仲間になると男女を問わずとことん悩みを聞いてくれる、そんな一面があるとのこと。真夜中に自転車で駆けつけて、悩み事を聞きにくることもあるといいます。意外と根は「いいヤツ」なのかもしれません。

 小栗旬については、『天地人』の石田三成役で関が原そして三成処刑と、次第に増していった凄みのある演技ですっかり見直してしまいました。役者としての今後が楽しみな上、今度は映画監督にチャレンジです。(ただ「薬物」で問題を起こさなければいいがなあ、と願うばかりです。)
 映画がどのような出来なのか、観てもいないのに何ともコメントのしようがありません。しかし以前の記事でも述べましたように、あの若さ(26歳)で「監督として映画を作りたい」という想いは、人一倍強いものがあるようです。今回の映画はそんな想いが結実した結果だと思われます。その「想い」そのものが一つの才能であるともいえます。
 今から公開が楽しみです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(26)

 酒井法子の初公判は東京地裁425号法廷で、午後1時半から始まりました。法廷の場に現れた酒井被告は、ジャケット、スカート、ストッキング、パンプスと黒づくめの服装。ストッキングの色が濃く左足首のタトゥーは隠していました。これらすべてから判断するに、酒井なりに考え抜いた「法廷闘争用のいでたち」と見えなくもありませんでした。

 9月17日の保釈以来、公の場に姿を表わしたのは39日ぶりのことです。保釈日夜の都内某ホテルにおける涙の謝罪会見後東京医科大学病院に直行、入院し、同病院を今月1日極秘退院してから、酒井法子の姿は杳(よう)として知れませんでした。さすがの芸能追っかけリポーターも捉えきれなかったようです。まるで「第2の失踪事件」といった感じでした。一説にはその間、東京を脱け出し「闇の指南役」富永保雄のルートで千葉県のある所に潜伏しているのでは?というような情報もありました。しかし今法廷には、都内の知人宅から出廷してきたと見られています。

 今回の酒井裁判で特筆すべきは、何といっても各マスコミ特にテレビ局の過熱報道ぶりです。民放各局は、昼のワイドショーから弁護士や芸能ジャーナリストなどをゲストコメンテーターに迎え、午後4時までぶっ通しで酒井関係を報道し続けた局もありました。同法廷では新聞社、テレビ局には2名の傍聴席が割り当てられたようですが、開廷とともに傍聴席の記者からの情報を、外で待機している記者たちが逐次受け取り、4階から1階玄関前まで息せき切って駆けつけ、リポートを繰り返すという方式を取っていました。
 思えばスポンサーのCM料激減などで青息吐息の民放各社にとって、8月上旬の失踪事件以降今日まで、酒井法子は“救いの神”的存在だったのではないでしょうか?酒井関連を報道すれば、毎回必ず高視聴率が取れたわけですから、表では関係者が酒井バッシングを続けながらも、内心では「酒井法子、のりピー様々」だったかもしれません。

 入廷質問、職業の確認での「無職です」、罪状認否における「間違っているところはありません」という受け答えなど。約2時間に及んだ酒井裁判のもようは、テレビなどで繰り返し報道されましたから、おおむねのところは既にご存知のことと思います。
 ここでは何点か気になったことだけ述べてみたいと思います。酒井は今後の自身の方向性として、「介護を学び、それを仕事としていきたい」と述べました。これは意外でした。自身の継母が現在手術後の回復が思わしくなく、100mを歩くこともままならない、そこから当面の必要性に迫られ学んでみようという気になったのか。またサンミュージックの相澤副社長も情状証言の中で、介護の勉強を勧めていることを明かしました。

 また相澤副社長は、「仕事に対するサポートは一切できません」とも述べています。酒井法子の芸能界復帰の芽は100%なくなったということなのでしょうか?しょせん酒井自身が決断することながら、15歳から現在まで華やかなスポットライトを浴びてきた“スター”が、「介護」という日の当たらない地味な堅気の仕事を本当に業務として続けていけるものなのか。あるいは法廷での裁判官の心証を良くし、さらに実際一時的に介護関係に従事し世間から厚生努力の評価を得た段階で、芸能界復帰を考えているものなのか。
 酒井出演のCMキャンセルによってスポンサーから数億円規模の損害賠償を突きつけられているわけだし。一時は酒井が「私が全額賠償します」と言ったとか、サンミュージックと賠償を折半することで話がついたとかありましたが。結局これまでの酒井の貢献度からそれを退職金代わりとして、サンミュージック側が全額賠償するということになったのでしょうか。そうでもなければ、介護の仕事云々はよく分からないところです。(ただし既に、都内4年制私立大学の通信教育コースに願書申請中とのこと。)

 公判前から注目されていたのは、今後夫・高相祐一との関係をどうするのか?ということでした。以前から酒井も高相も「親子3人で暮らしていきたい」と言っていました。しかし医療専門家、薬物事犯専門家、更正施設関係者らが異口同音に「それでは再犯の危険性が極めて高くなり、更正は無理だ」と発言していました。
 それは判決の行方を左右しかねない問題でしたが、法廷で酒井は「夫と…話し合い…私としては…、離婚をして…お互いに更正するには努力が必要だと思います」と「離婚の決意」を初めて明言しました。酒井、高相両証言から、酒井は夫に勧められて覚せい剤に手を染め、また高相を通してしか薬物を入手していなかったとされていますから、入手の元を断ってしまえば、再犯の可能性は低くなるわけです。
 
 しかしこの段で酒井は、声を詰まらせ涙声だったようです。酒井自身、高相には未練があり、苦渋の決断を迫られたということなのではないでしょうか。
 離婚となると、女々しそうな高相祐一がすんなりそれに応じてくれるのか。また2人の間の10歳の子供の親権をどうするのか、ということにもなります。酒井は現在「継母と子供と3人で暮らしたい」との希望を抱いているようですが、高相にとって子供などどうでもよくても、高相の両親が親権を強く主張するよう促した場合どうするのか?円満離婚となってもらいたいとは思いますが、この件では今後一波乱、二波乱ありそうです。

 今回の初公判は、あるスポーツ紙の一面見出しに大きくありましたが、「シナリオ通り法廷女優」「成功 !! いい人作戦 のりピー」、まさにこの通りだったかもしれません。また相澤正久副社長が「情の部分では捨て切れるものではない」とばかりに、社内の反対を押し切って、情状証人として出廷してくれたことで、法廷の雰囲気がだいぶ良くなったようです。一時はろくに連絡もしなかった酒井ですが、相澤親子という大恩人をないがしろにするようなら、今度こそ本当に天罰が下ります。
 逃走劇という前代未聞の事態があったにも関わらず、「1年6ヵ月」の求刑。来月9日の判決では、間違いなく「3年の執行猶予」となるのでしょう。酒井側としては、満額回答の大勝利といったところではないでしょうか?一社会人になるにせよ、いずれ芸能界復帰となるにせよ。これを契機に、真に生まれ変わった酒井法子の姿を見せてもらいたいものです。

 ところで、検察尋問でもあまり深く追求しなかったようですが。酒井の覚せい剤入手ルートは、本当に夫の高相だけからだったの?他に入手ルートがあったんじゃないの?という疑問は残ります。というのも問題の逃走中、酒井は自身の携帯を壊して新宿かどこかで処分してしまっているからです。そこには密売人やらの激ヤバの着信履歴が入っていたのでは?とみられるのです。

 今後闇社会から狙われかねないヤバイことを、酒井は拘留中も一切供述しなかったようです。おそらく富永一族の指南もあったのでしょう。
 しかし酒井は、薬物に関係している芸能人を5人ほど、実名を上げて供述したともみられています。酒井にしてみれば『皆やってんじゃん。何で私だけが…』という思いがあったのかもしれません。そもそも「酒井夫婦も怪しい」とは、あの小向美奈子の供述で出てきて、警察は内々に捜査を進めていたという情報もあります。

 ちなみに酒井が実名を明かした芸能関係者とは。既に真っ黒と言われている沢尻エリカ、高城剛夫婦、大物政治家を父に持つタレントの小泉孝太郎、清純派女優長澤まさみ、有名格闘家の山本“KID”徳郁などでは?と言われ、このうちの何人かについては警察も内偵を進めているという情報もあります。
 それ以外にも、酒井夫婦と仲良しで千葉の海岸で一緒に写真に納まったこともある、工藤静香、木村拓哉夫婦、現代の歌姫の浜崎あゆみ、プッツン女優の広末涼子、魔性女優の奥菜恵など。既に知れ渡っているとは思いますが、芸能界薬物汚染は決して酒井一人を罰したから、「はい、おしまい」というようなものではなく、膿を出し切るのはむしろこれからだと考えた方がいいのかもしれません。押尾学、酒井法子の事件以降、枕を高くして寝ていられない芸能人は数多いものと思われます。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(25)

 26日は台風20号が列島に沿って太平洋上を北上し、その影響で首都圏も朝から冷たい雨が降りしきりました。そんな中注目の酒井法子被告の覚せい剤取締法違反(使用、所持)罪での初公判が、東京地方裁判所(以下「東京地裁」と略称)で開かれました。
 事件としての重要性からすれば押尾学の事件の方が断然のはずですが、世間の注目度においては酒井事件がダントツです。それを示すように、この日同被告の初公判を傍聴しようと朝から大勢の人々が押しかけました。早い人は昨晩11時頃から小寒い雨の中たった20席分の一般傍聴券を求めて待ち続けたようです。

 事前に混乱が予想されたため、東京地裁は隣接する日比谷公園内に傍聴希望者を集めて整理券を配り、抽選する方式を取りました。事前の予想では、平成8年4月24日のオウム真理教の麻原彰晃死刑囚(本名:松本智津夫)の、初公判時の12,292人という歴代1位の記録を抜くのでは?とも言われていました。でもさすがに悪天候の影響もあってか、実際同公園に集まったのは6,615人で第2位にとどまりました。
 しかしこの数字は、傍聴希望者/傍聴席で比較すると、麻原死刑囚の場合が約256倍、対して今回の酒井被告の場合は約330倍と、こちらの方では歴代1位となりました。

 酒井法子被告の初公判が開かれる425号法廷は、21日3被告の先陣を切って行われた酒井の夫高相祐一被告、23日の押尾学被告の時と同じ法廷です。同法廷は東京地裁4階にあります。そしていずれも記者席を除いた傍聴席は20席でした。
 そもそも425号法廷は、東京地裁の全法廷では「中法廷」です。今回の薬物3被告の初公判は世間の注目度が高く、傍聴席確保のため大勢の人たちが押しかけることが当初から分かっていたわけです。同地裁には例えば、1階には最も広い104号法廷(傍聴席98)、それに準ずる同階の103号法廷があるのです。ともにいずれの日も、それらの法廷は“空き室”だったのです。ならばこれらの法廷を使って、もっと傍聴者数を多くしてもよかったのではないでしょうか?

 それに対して、「どの法廷を使うかは裁判官の裁量次第。今回は事件の重大性の多寡を考慮した部分もあったのではないでしょうか」というのが、同地裁広報のコメントでした。いやいや。酒井事件のように「世間の注目度」、そして押尾事件のように「謎と闇の深さ」からして、今回の一連の初公判は十分「重大性のある事件」だったと、私は思うのですが…。

 降りしきる秋雨にも関わらず、色とりどりの傘をさした傍聴希望者やビニールガッパを着た報道陣でごった返す日比谷公園にあって、胸にとりどりのリボンをつけた1000人もの一団がいて目を引いたそうです。これはテレビの公開番組の観覧者を集める都内某社が動員したアルバイトとのことです。同社はホームページで呼びかけ、この日の朝同公園内の日比谷図書館前に集合させ、名前の五十音別に青、黄、緑、ピンクなどのリボンをつけて列に並ばせました。各自が整理券を受け取ったら同図書館前に戻り、会社スタッフに整理番号を報告する仕組みだったようです。

 ちなみに報酬は「当たり」だった場合は1万円、「外れ」の場合は千円とのこと。報酬額は全部外れの場合でも百万円にはなる勘定です。またアルバイトを先導する30人のスタッフ費用としてさらに数十万円、しめて百数十万円くらいかかったといいます。
 そんなに手間ひまかけて手に入れた傍聴券を、一体何に使うのでしょう?しかしそれに見合う何かの見返りがあってこその企画だったのでしょう。いわゆる“ダフ屋”の大掛かりなヤツか?なになに。20÷(6615÷1000)= 約3.02。つまり確率的に言えば、1000人を並ばせれば20席のうち3席分がゲット出来るっていうわけか !?それを欲しい誰かに1券当たり60万円以上で売れば、何とか採算はとれるわなあ。
 いやはや、今回の酒井初公判をめぐってこんな珍商売を編み出すとは ! そういう世相なのだとは言え、世の中には商魂たくましい連中がいるものです。

 話は変わって。今公判には、国内はおろか海外メディアも注目し、香港、上海、台湾などからも取材陣が押しかけ、傍聴希望者を並ばせたメディアもあったようです。向こうでは今なお「のりピー」は絶大な人気があり、やはりメディアとしても注目せざるを得なかったのでしょう。中には「一面扱いにする」という新聞社もありました。
 国内テレビ局が、北京、上海、香港などのファンの声も紹介していました。多くは今回ののりピーが犯した薬物事件を一応断罪しながらも、罪を認めてきちんと償ったら、今後の芸能界への復帰を希望するというものでした。のりピーは、こんな暖かい海外のファンに今後どのような形で応えていくつもりなのでしょうか?

 依然秋雨降り続く12時50分前頃、東京地裁西門に黒、白2台の車が入っていきました。どちらかに酒井被告が乗っているもようです。車窓は黒い目隠しシールで覆われていて分かりませんでしたが、どうやら後ろの白い車の後部に酒井被告はいたようです。車はそのまま、地裁地下駐車場へと消えていきました。
 また地裁には、情状証人として酒井の育ての親といってもいい、サンミュージックの相澤正久副社長も入りました。同証人には当初継母(酒井智子-法子の父にして暴力団酒井組組長・故酒井三根城の3番目の妻)が出廷する予定でしたが、ガン手術の術後が思わしくなく、急遽相澤副社長に変更になったもようです。  (「酒井初公判」は次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(24)

 今月下旬は薬物事件で世間を騒がせてきた、押尾学、高相祐一、酒井法子3被告の、「初公判ラッシユ」の感があります。21日にはその先陣を切って高相被告の初公判が開かれました。
 そして23日は、今回の一連の事件の発端となった(と私が思っている)、押尾被告の麻薬取締法違反(使用)の罪での、初公判が開かれました。高相被告の場合にも、舞台となる東京地裁前には、傍聴席を手に入れようと1500人以上の人たちがつめかけたようですが、たった20人の傍聴券を手に入れるために、今回はそれを上回る2232人もの人たちが押し寄せ、日比谷公園の方から地裁まで長蛇の列だったようです。

 さすがに世間の注目の高さを思わせられます。これは私のブログなので私的なことを述べますが、当日は業務の都合上記事更新ができませんでした。その代わり昨年10月記事『10月はたそがれの国』をトップ表示としました。こういう場合は通常訪問者が減ることを覚悟しなければなりません。昼頃管理面を確認したところ、案の定通常以下の出足でした。
 ところが夕方所用から戻って確認したところ、当たり前に記事更新している日を上回るほどの訪問者になっていたのです。「押尾効果」というべきで、やはり多いのは過去の『薬物記事』。押尾学の初法廷が開かれたのは午後1時半からだったようですが、テレビでそのもようが報道され出したのか、午後3時過ぎから急にアクセスがふえ始め夜の9時頃まで続きました。結局この日は、何もしていないのに100人を軽く越える訪問者となりました。

 以上、押尾事件がいかに世間的注目度が高いかの一端としてご紹介しました。過去の薬物記事には、さまざまな検索フレーズでアクセスしてこられます。しかしなぜか、その名前をマスコミでは一度も報道されていないはずの、「森元総理の長男」「森祐喜」が圧倒的に多く、肝心の「押尾学」などを軽く抜く勢いです。
 これはネット情報などにより、いまだ明かされていない押尾事件の核心を、既に多くの人が知って関心を持っているからなのではないでしょうか。

 どうも同事件が起きた六本木ヒルズレジデンス一室には、政界ジュニアや金メダルアスリートたちがいたらしい。そのことをもみ消す政治的な圧力、経済界、警察検察ОB、闇社会からの圧力もあったらしい。しかしそれらのことは一般報道では何も明らかにされてこなかったのです。
 警察、検察当局あるいは各マスコミが、死亡した田中香織さんの遺族や国民の「真相を」知る権利にいつ応えるのだろうか?今回の初公判で真相はどれだけ明らかになったのでしょうか。

 押尾被告は黒の背広にネクタイ姿、髪は短く刈り込み、その所々に31歳とは思えないほど白髪が目立ちました。ふてぶてしいようでいてさすがに、今回の事件では押尾自身も相当の心身的ダメージを受けているということなのでしょう。もうこうなったら、事件の真相を洗いざらいぶちまけてしまった方が、すっきりし楽になるはずです。そこで法廷内の押尾の口から、あっと驚くような爆弾発言でも聞かれるかと思いきや。
 残念ながら、そんなことはあり得るはずもなく。既にニュースなどでご存知のとおり、検察側はかなり厳しく押尾を追及したとはいうものの、これまでの報道で知った範囲を越える事実は何も明らかにされませんでした。押尾はこの事件の真相や闇を墓場まで持っていくつもりなのでしょうか。

 その結果初公判ながら、検察側は1年6ヵ月の求刑という軽いもの。それに対して、弁護側は当然執行猶予を求めて本日の公判は終了。来月2日には、もう判決が出されるというのです。私は刑法はあまりよく知りませんが、2年以下の求刑の場合はまず執行猶予付きで結審となるケースがほとんどだそうです。押尾の麻薬使用罪も間違いなくそうなるのでしょう。

 こんな「あいまい法廷」そして「大甘求刑」にとうてい納得出来ないのが、田中さんの両親です。ご両親は初公判のためにわざわざ岐阜から上京したようです。そして母親は前から「真相を知りたいので、裁判を傍聴したい」と希望していたそうです。それに対して大問題の麻布警察署員から、「現場が混乱するから、行かないでくれ」と強く釘をさされたというのです。
 「ふざけんなよ。麻布署」ではないでしょうか。母親が現場に行くことによって、混乱というよりはマスコミを通して国民により広く注目される。そうなると麻布署の諸々の不手際や闇にも関心が集まることになる、それは困るので慌てて止めに入ったということなのでしょう。
 しかし父親は傍聴出来たようです。マスコミ関係の誰かが手に入れた傍聴券を譲られたのでしょうか。父親は法廷を出るなりのマスコミ取材で、「どうしてもっと早く救急車を呼んでくれなかったのか」と、無念と怒りに声を震わせて訴えていました。
 そのようすを見た国民視聴者は、ご遺族への同情の思いを新たにしたと同時に、「空白の3時間」を含めて多くの謎を解明してくれよ、と改めて思ったのではないでしょうか。
 
 それでなくても、10/27号「FLASH」が衝撃的なことを述べています。全裸死体で発見された「田中さんの体から、押尾被告を含む複数の男性の体液が検出された」というものです。事件現場となった六本木ヒルズレジデンスの一室では、浴室の状況などから事前に田中さんがシャワーを使用していたとみられ、同体液はそれ以前のものではないとのことです。これは田中さんの体に付着した微物のDNA検査や、肝臓など臓器の検査など科学的捜査の結果明らかになったものだそうです。
 このような新事実が明らかになりつつあるのに、今法廷での検察当局の追及は押尾と田中さん相対でのことのみに終始していて、まったく手ぬるいとしかいいようがありません。核心にはいつまで経っても届きそうにないのです。

 田中香織さん自身、生前クラブの同僚に、「私は覚せい剤も大麻もエクスタシーも何でもやったわ」と話していたそうです。今回の事件は確かに自業自得、田中さんにも責任がなかったとは言い切れません。
 しかし田中さんは間違いなく、変死体で発見されたのです。それを「事件性なし」で済ますのなら、日本は本当に「暗黒国家」です。そんな警察いりません。今回はこれで結審するとしても、保護責任者遺棄致死罪での再立件は是非すべきです。それを契機として密室で本当は何があったのか、「複数の男性の体液」が発見されたのであればそれは誰と誰のものだったのか。捜査当局はそれらのことを明らかにする責任があると考えます。

 (大場光太郎・記)

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鰯雲(鱗雲)

   遠き日の故郷の空ようろこ雲   (拙句)

 ここ何日か暖かい日が続いています。きょうも10月下旬にしては、通りを歩いていても思わず日陰を歩きたくなるような強い陽射しで、少し汗ばむくらいの陽気でした。
 午後風はやや強いものの、決して寒さをもよおすような風ではなく、肌に当たればむしろ心地よいほどの風です。しかし季節は争えないもので、真っ青で天まで抜けるような青空には、秋の徴(しる)しの一つである、鰯雲(いわしぐも)またの名を鱗雲(うろこぐも)が中空一面を覆っていました。

 角川文庫版・俳句歳時記「秋の部」によりますと、
 「秋によく見る鰯雲は、巻積雲あるいは高積雲のこと。さざ波にも似た小さな雲片の集まりで、この広がりは小さいことが多いが、一端が地平線まで延びていたり、空に一面に広がっていたりする。魚鱗のように見えることから鱗雲、鯖の背の斑紋(はんもん)のように見えることから鯖雲(さばぐも)などともいう。この雲が出ると鰯が集まるといい、そこからこの名(鰯雲)がついたといわれる」と述べてあります。

 うろこ雲、いわし雲と言うと、やはり北の我が故郷の、遠い少年時代の頃の秋空を思い出します。
   夕空晴れて秋風吹き
   月影落ちて鈴虫鳴く
   思へば遠し故郷の空
   ああ父母いかにおはす   (唱歌『故郷の空』1番)
 侘しさを誘う秋という季節もあいまってか、空にこのうろこ雲を見るとなぜか郷愁に駆られるのです。それは、現実的な郷里への望郷の想いというよりも、遠く過ぎ去った故郷での日々への郷愁の方がより強いようです。
 
 空にその雲を仰ぎ見ながらまた、映画『鰯雲』のことが思い出されました。この映画のことは、去年の『夕焼け小焼け』記事で少し触れましたが、厚木市が生んだ農民文学者の和田傅(わだ・でん)の同名の小説を映画化したものです。
 制作発表は昭和33年。監督は成瀬巳喜男、脚本は橋本忍。当時の厚木付近の農家の、当主、嫁、姑、息子たちの姿を、ある年の早春から初夏にかけての季節を描いた作品です。

  女学校を卒業後、厚木在の農家の嫁になった主役の八重を、淡島千景が演じていました。女優としての華は隠せないもので、農家の嫁にはあるまじき仄かな色香漂う好演が光りました。八重は、厚木通信部に赴任してきた某新聞社の記者・大川(木村功)とふとしたことから知り合い、うたかたの恋に発展するも、大川が東京本社に戻るとともに恋は終わりを告げる。それをメーンテーマに、八重を取り巻く人間模様も随所に描かれていました。
 小林珪樹、中村雁治郎、杉村春子、新珠三千代、加東大介など懐かしい往年のスターたちが、しっかり脇を固めたなかなかの名作でした。

 この映画は、過去にテレビでも何度か放映されており、私は2回ほど観ました。また当市が舞台の映画ですから、厚木市の出先機関である「郷土資料館」の視聴覚ライブラリーにビデオが置いてあり、3年ほど前借りて観たこともあります。
 かれこれ40余年住んでいる私は、厚木市はもう第二の故郷のような感じです。まだ高度経済成長に到る前の昭和30年代前半の、大山の麓の厚木ののどかな農村風景がドラマの展開の合間、合間にふんだんに描かれています。それがこの映画の詩情を一段と高める効果をもたらしており、何となく懐かしささえ感じたものでした。

 原作者の和田傅は、農民文学作家として、農民の土地への執着や農村の変化などを描き続けました。
 1900年(昭和33年)愛甲郡南毛利村(現厚木市南毛利)の恩名(おんな)の生まれ。旧制厚木中学(現厚木高校)を経て、早稲田大学仏文科入学、1923年(大正12年)同大学卒業。その年初めての作品『山の奥へ』を発表しました。
 1937年(昭和12年)『沃土』で第1回新潮文学賞を受賞し、一躍有名になりました。戦後の1954年(昭和29年)日本農民文学会の初代会長となり、翌年神奈川文化賞を受賞しました。1980年(昭和60年)厚木市初の名誉市民となるも、同年10月24日亡くなりました。享年85歳。
 代表作は、『沃土』『門と倉』『大日向村』『日本農人傅』『鰯雲』など。

 私は、生前の和田傅を一度だけお見かけしたことがあります。昭和45年過ぎ頃のことでした。当時は測量の仕事で当市内を回ることが多く、やはり同業務の折り、恩名地区の路上で偶然出会ったのです。
 お宅が近く、散歩の途中ででもあったのでしょうか。和田傅は裏道を悠然と歩いていました。痩せ型の長身で、和服のその姿は「鶴のような」という表現がぴったりのお姿でした。何やらとっくに解脱したような、枯淡で超然とした風貌にお見受けしました。

 (大場光太郎・記)

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『ヴィヨンの妻』など

 今年は作家の太宰治生誕100年だそうです。太宰は1909年(明治42年)6月19日生まれですから、なるほどちょうどそうなるわけです。
 ちなみに太宰治とまったく同じなのが、松本清張(同年12月21日生まれ)だそうです。しかし2人は個性も作風もまるで違う上、太宰の方は戦前作家、そして清張の方は戦後作家というイメージがあります。それもそのはずで、太宰が愛人山崎富栄とともに玉川に入水心中したのが昭和23年6月13日38歳のこと。その時清張はまだ作家活動はしておらず、ようやく処女作『西郷札』を書き始めたのがその翌年、清張40歳過ぎのことだったからです。

 ともかく節目の今年は、太宰治に関するイベントがけっこう多いようです。その一環として太宰の代表的な作品が、今年相次いで映画化されています。まず手始めは、6月頃に封切られた『斜陽』です。原作『斜陽』は、青森県五所川原市の生家が「斜陽館」(太宰治記念館)として残されているほどの、彼の代表作の一つです。
 高校2、3年の頃、学校の図書館で借りて一気に読み通し1日で読み終わりました。何事にも過敏感激症(裏を返せば過敏落込み症)だったあの頃の私は、心の底まで嬉しくなるような感動を覚えました。しかし漠然とながら作家を夢見ていた私は、同時期読んだ夏目漱石の『こころ』、島崎藤村の『破戒』、志賀直哉の『城の崎にて』、谷崎潤一郎の『春琴抄』などとともに、その完成度の高い作品に圧倒され打ちのめされもしたのでした。

 その時以来、『斜陽』は一度も読んでいません。確か戦後まもなくの頃の、没落華族令嬢がヒロインだったかな?くらいで、詳細なストーリーなどまるで思い出せません。『斜陽』だけではありませんが、あの頃あれほど感動した諸作品を、60歳過ぎた今読み返してみたらどんなだろう?と思うことがあります。案外面白い試みであるかもしれません。

 続いて今映画『ヴィヨンの妻』が公開されています。監督は根岸吉太郎で、主演は松たか子、浅野忠信です。この映画について、先日深夜の民放番組で予告編をやっていました。面白そうなので近いうち観てみようと思います。それに先立って、短編で読みやすいため原作をざっと1回読んでみました。
 そして同時に『パンドラの匣(はこ)』という作品も映画化されているようです。これは監督が冨永昌敬、主演は窪塚洋介。窪塚といえば、数年前横須賀の自宅マンション9階から謎の空中ダイブをし、一時は重体となりましたが、九死に一生を得てその後タレント復帰を果たしました。同事故をめぐっては、「あれは薬物以外考えらんねえぞ」という噂もありますが、さてどうなのでしょう。この映画は観るかどうか決めていません。その時の気分次第ということで。

 さらに来春には『人間失格』が封切られるようです。
 『人間失格』については些細な思い出があります。今から20年以上前のこと、私が本厚木駅目指して歩道を歩いていた人影まばらなある午後のこと。すると駅の方から一人の女性がやって来るのが見えました。見たところ20代後半くらい、やや大柄で太めな感じです。私がその女性に目がいったのは、何と本を読みながら歩いているからです。『今時、女二宮金次郎か?』。ついぞ出くわしたことのない光景に、すれ違いざま何の本なのか確かめたくなりました。読んでいるのは文庫本、そしてちらっとタイトルも分かりました。『人間失格』。
 彼女は知的に見えないこともないけれど、器量はイマイチ、はっきり言って不美人。おそらく電車の中でも読んでいて、止まらなくなったのでしょう。周りのことなどまるで眼中になく、本に釘付けのまま遠ざかっていきました。私は一度後ろを振り返って、『ありゃ、かぶれてるわ』。

 ことほどさように、太宰治の作品は読者をとりこにする魔力のようなものがあるようです。彼の独特な文体や、言葉の魔術師的技巧、思わず蕩(たら)されそうな機微をうがった描写などによるものなのでしょうか?それが証拠にこの『人間失格』は、新潮文庫中漱石の『こころ』と何十年も売上げ累計トップを争っているのだそうです。
 私はその何年も後40代前後の頃、はじめて『人間失格』を読みました。もちろん感受性は鈍磨し、人間世界の垢がずいぶんくっついた身。それなりの面白さは感じたものの、『斜陽』の時のような沸き立つような感動など望むべくもありませんでした。しかしそうは言っても、太宰最晩年の遺作とも自叙伝的とも目されている作品。この映画化は今から楽しみで、その前今度はもう少し丹念に読んでみようと思います。

 最後に『ヴィヨンの妻』を読んだ感想らしきものをー。
 『斜陽』と同時期の昭和22年の作品です。さすが太宰は小説の名手、『うまいなあ』の一言です。大谷というはちゃめちゃな売れない詩人の妻の視点から描かれた短編です。
 最近の文体の流れは、シャープで小気味よい短いセンテンスが主流であるのに、この短編は会話文でも地の文でも、話があっちに飛んでこっちに飛んで、いつ終わるかしれないほどやたら長い文章で、しかしこれも太宰は戦略的にそんな文体にしたのに違いなく、なるほど最後でぴたっと筋道がついて、大谷や大谷に戦前から飲み代を踏み倒されっぱなしで、しまいにはタンスの中の年越しの虎の子の五千円まで盗まれる飲み屋の夫婦のことも、語り手の妻のことも、彼らを取り巻く状況も戦後まもなくの逼迫した世相なども、何もかも判然としてくる仕掛け、この辺が太宰の真骨頂に違いありませんです。

 しかし読みながらタイトルにある「ヴィヨン」とは一体何者、それでタイトルの『ヴィヨンの妻』とは何を暗示しているのかしら、と疑問を感じながら読んでおりましたら、ありましたのです文の途中に、それは「フランソワーズ・ヴィヨン」という詩人として出ていましたので、これはまた太宰創作の架空の人物か、はたまた19世紀末フランスのボードレールのようには売れなかった退嬰的な詩人の名前を拝借したものかと推量し、しかし気になって調べてみましたら、意外なことに実在の人物で、何と15世紀中世フランスのけっこう有名な詩人、貧しい生まれながらパリ大学にも入ったはいいが、生来のアウトサイダー的、破滅型的性格から盗賊団や売春婦と付き合い、身を持ち崩しながらも後世に残るような瑞々しい詩を書き上げ、30歳過ぎた頃忽然と歴史から消え去ったという大変面白い人物で、無頼派の太宰は自分と響きあうヴィヨンを知って、その人物に託して大谷なるデカダンな人物像を作り上げたものなのでございましょう。

 と太宰の文体を少し模倣して述べてみました。作るにも読むにも骨が折れますね。ともあれ、映画『ヴィヨンの妻』は原作をどのように料理しているのか、大谷の妻を松たか子はどのように演じているのか、楽しみです。

 (大場光太郎・記) 

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「あなたは、あなたでいいのだ。」

  これでいいのだ。
  それは、赤塚不二夫さんが、
  漫画の中で幾度もくり返してきた言葉。

  現実はままならない。
  うまくいかないことばかり。
  毎日のほとんどは、
  これでよくないのだ、の連続だ。
  自分を責めて、誰かを責めて、何かを責めて。
  そして、やっぱり自分を責めて。

  だけど、ためしてみる価値はある。
  あなたが、もうこれ以上どうにもならないと
  感じているのなら、余計に。

  胸を張る必要はないし、
  立派になんて、別にならなくたっていい。
  あなた自身がそう思えば、
  世界は案外、笑いかけてくれる。

  人生は、うまくいかないことと、
  つらいことと、つまらないこと。
  そのあいだに、ゆかいなことやたのしいことが
  はさまるようにできているから。

  どうか。あなたの人生を大事に生きてほしい。
 
…… * …… * …… * …… * …… * ……
 以上の文は、10月20日付夕刊紙の17面下段の大きな広告欄に掲載されていた一文です。スポンサーはACジャパンです。同社は公共広告によって啓蒙活動を行っている特例社団法人で、時折りテレビでも同社の秀逸なCMを目にすることがあります。私は一般紙を購読していませんが、あるいは全国紙にもこの広告は載っていて、既に目にされた方もおられるかもしれません。
 何ともほのぼの心打たれる一文です。どこぞのコピーライターが作ったものなのでしょうが、『さすがはプロの文章 ! 』とうならされます。広告文である以上、著作権は発生しないはずと判断し、早速全文を引用させていただきました。
 
 「あなたは、あなたでいいのだ」。確かにそのとおり。「隣人愛」は人類の理想ではあるけれど。まずは自分自身を認め愛せなければ、とても他人を愛せるものではありません。それも自分の嫌いな部分も含めて、丸ごと。しかし実際は、意外と自分自身を愛せていない、自分のどこかを嫌っていることの方が多いものです。

 最近亡くなった人のことを引き合いに出して、申し訳ないながら。ミュージシャンの加藤和彦氏が自殺しました。享年62歳。私より2歳上、昭和43年一世を風靡した『帰ってきたヨッパライ』以降若くして音楽的才能を発揮し、私ら「団塊の世代」の旗手の一人でした。
かつてのブルーコメッツの井上忠夫氏の時もそうでした。今回の加藤氏の自殺によって、若かりし昭和40年代のあの頃の、私たちの思い出がまた一つ黒く染め上げられてしまったなという思いがします。

 「なぜ自殺なんかしたのだろうか?」。2番目の奥さんの安井かずみとの死別がこたえたとか。それに近年うつ病で通院しており、知人たちには「やりたいことがなくなった」「自分の思うことができない」と洩らしてもいたとか。そういうことが重なって人生に絶望したのかもしれません。しかし本当の原因は当人にしか分からないことです。
 それを承知で述べますと、「老いの自覚」がどこかにあったのではないだろうか?と思うのです。加藤和彦氏はバリバリのダンディな人だったと聞きます。若くして才能が開花したかつての輝かしい自分。今現在の才能そして肉体的衰え。その甚だしいギャップ。彼のダンディズムは、自身のそのような衰えを認めたくなかったのではないでしょうか?

 引用文の「あなたは、あなたでいいのだ」は、付け加えるとすれば「あなたは、今のままの、あなたでいいのだ」となるはずです。
 しかし加藤氏はそれが出来なかった。過去の栄光があまりにも大きすぎて、今現在の自分を否定しがちだったのではないでしょうか?それは加齢により才能その他諸々の衰えの自覚だとしても、それらも含めてありのまま認めてほしかった、「自殺」という究極的な自己否定などしてほしくなかった。これは同時代を共に生きた者の率直な感想です。
 今後『あの素晴らしい愛をもう一度』や『イムジン河』を、どのように聴けば、歌えばいいのでしょう?

 それに引き換え。漫画家・赤塚不二夫(昭和10年~平成20年)のすべてを笑い飛ばす「ギャグ精神」の見事さといったら ! 今回引用文の中には、赤塚の写真も載っています。それはあの天才バカボンの父親そっくりの、鼻の下に5本のヒゲ、額に2本のシワを墨で描いて、目を細めて微笑んでいる写真です。その姿からは、「人生何があっても、これでいいのだ」と笑い飛ばす、赤塚の面目躍如といった感じです。今となっては、何とも懐かしさを覚える赤塚不二夫の風貌です。

 赤塚不二夫は旧満州に生を享け、敗戦で軍人の父親はシベリア送り。残された家族は終戦の翌年、母の実家のある奈良県に引き上げてきました。幼少の頃から辛酸をなめ地獄も見てきたようです。悲惨な体験が根っこにあっての、「これでいいのだ」。人生丸ごと全肯定の楽天的姿勢。
 笑い事じゃない深刻な時ほど、「笑い」や「ギャグ」が余計必要なのかもしれません。

 「これでいいのだ」は、決して甘ったれた育ちから生まれた言葉ではない。それをよく噛みしめて、引用文をじっくり味わってみたいものです。

 (大場光太郎・記) 

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続・『カムイ外伝』を観て

 今回の映画は、「ビックコミック・スペシャル」の『カムイ外伝』3、4巻の「スガルの島」をベースにしているようです。2つの漁村が舞台になっています。こんなローカルなうち捨てられた漁村で、世にも奇っ怪な出来事が巻き起こるとは。武士あるいは史上名高い出来事にスポットライトを当てがちな時代劇にあって、大いに異色な視点だと思います。

 この映画は監督が崔洋一、脚本が宮藤官九郎と崔洋一の共同脚本。崔洋一は、1949年(昭和24年)生まれで韓国籍の映画監督、脚本家、俳優。主な監督作品は、『十階のモスキート』『月はどっちに出ている』『血と骨』など。『血と骨』では第28回日本アカデミー賞最優秀監督賞、優秀脚本賞に、『月はどっちに出ている』では第17回日本アカデミー賞優秀監督賞など、多数の受賞歴があります。

 主人公のカムイを演じたのは、松山ケンイチ。青森県むつ市出身の24歳。若手実力派俳優とのことですが、この映画を観るまで私は知りませんでした。『男たちの大和/YAMATO』で第30回日本アカデミー賞新人俳優賞、『デスノート 前編』で同賞優秀助演男優賞、『デトロイト・メタル・シティ』で第32回日本アカデミー賞優秀主演男優賞など多数の賞を受賞。なるほど「凄い」の一言です。
 今回のカムイは、ぴったりのはまり役だったなという感じがします。私のかすかな記憶のカムイ像もこんな感じだったと思うのです。松ケンは元々二枚目のイケメン系ですから、とにかく絵になります。それに非情の世界に生きる孤独なヒーローながら、時折り見せるやさしさ。女性ファンはイチコロでとりこになってしまうのではないでしょうか。

 脇役陣の演技も光っています。やはり抜忍の先輩格の元くの一(女忍)スガル役の小雪。彼女は『ラストサムライ』で一躍国際派女優との評価を得ましたが、私は今回のスガル役の方がより演技が光っていたと思います。もっとも皆が絶賛する『ラストサムライ』、私は「ハリウッド臭時代物」と、あまり評価していないのです。
 追忍に追われて「スガルの島」に漂着したスガルを、妻としている漁師半兵衛役の小林薫は今さら言うまでもないベテランです。貧しい漁村の一漁師の役柄でしたが、さすが味のある演技でした。

 2人の間に生まれたサヤカという娘役の大後寿々花。同島に同じように漂着したカムイにいつしか恋心を抱く娘の役どころを好演していたと思います。彼女はまだ16歳とのことですが、将来が楽しみな女優の卵のように思います。
 漁村民からサメ退治を依頼される、当初は正義の味方、しかし実はカムイを葬り去ろうとする渡衆(わたりしゅう)の頭目・不動役の伊藤英明。このような映画では、ヒーローをより引き立てるための、魅力的な「悪役(ヒール)」の存在が欠かせません。伊藤英明はその期待に十分応えていたのではないでしょうか。私は伊藤はどちらかというと善人役だけかなと思っていただけに、新たな側面を発見した思いです。
 その他備中(山陽道に面した昔の一国。今の岡山県西部)松山藩主軍兵衛役の佐藤浩市、その側女(そばめ)のアユ役の土屋アンナ。共に面妖な役どころがはまっていて面白かったと思います。

 映画のラストでカムイは、一艘の小舟に乗って荒れ狂う夜の海に漕ぎ出し、すべてが終わってしまった島を後にします。そのシーンにかぶさるように、「カムイはいつになったら本当の自由を手に入れることが出来るのだろうか?」というようなナレーションが入ります。いやいや。映画の中でカムイは、既に十分自由を手にしているではありませんか。
 己を追ってくる追忍たちが飛ばす短剣を、すんでのところでするりとかわしたり、高い木や崖上にいとも簡単に飛び移ったり、空中飛行が出来たり、檻の中に閉じ込められたまま海中に沈められても、間一髪危地を脱したり…。私たち平凡人からみれば、まるで「超人」です。超人とは真の自由人の異名に他ならないわけですから、カムイは今のままで十分自由人であるのです。

 カムイと追忍たちあるいは不動との息づまる攻防戦を、一層スピード感、臨場感溢れる迫力あるものにしているのは、何といってもCG技術の進歩の賜物です。それなしには、カムイの変移抜刀霞斬りや飯綱落しなどの必殺忍法は表現出来なかったはずです。
 ある人がテレビは「提霊微」だと言ったことがあります。これはテレビは、「微妙な霊的世界を映し出す装置」という意味合いかと思われます。現在起きている事物でも、場所を選ばず国内外どんな所でも中継出来ます。また過去も未来も自在に描き出せるわけです。霊界は3次元世界とは違って場所的制約はなく、また過去、現在、未来という直線的時間軸にもない世界なわけですから、この言葉は案外的を得ているのです。
 
 これはCGなどの映像技術の進歩によって、今や映画の世界にこそふさわしい言葉であるように思われます。最近の映画の映像世界は、本当に「夢の中の世界」「霊界(アストラル界)」にどんどん迫っていっているようなのです。
 おそらく現実の世界も、いずれその世界にどんどん近づいていくのでしょう。というよりも、今この時がそのプロセスなのかもしれません。映像世界というバーチャルリアリティの世界は、そのことを告げ知らせる予告編、あるいはこの現実がその世界に踏み込む上での、かっこうの予行演習としての役割があるのかもしれません。

 ともかく全体として、異色の大型娯楽時代劇。さすがは白土三平劇画の映画化。見ごたえ十分で、お奨めの作品です。

 (大場光太郎・記)

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『カムイ外伝』を観て

 17日(土)夕方久しぶりで映画を観てきました。観たのは『カムイ外伝』、今評判の映画のようです。上映館はいつもの、小田急線海老名駅近くのサティ2階の「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」です。
 同映画館では、喜ぶべきかどうなのか60歳以上はシニア扱いで、通常料金の半額で一映画が観られます。前回からそうなったようなのですが、言い忘れていました。格安料金なのですから度々来館してもよさそうなものですが、前回トム・ハンクス主演の『天使と悪魔』を観たのが6月上旬。あれから4ヵ月も立ってしまったわけです。なかなか時間が取れないものです。

 もう10月も下旬に間近いどんよりと曇った、どことなく侘しい感じのする秋の1日でした。2、3日前から土曜日夕方は映画でも観てこようと思っていたものの、どうもイマイチ気分が乗りません。しかしこの日を逃せばまたいつの日になることやら。それに観た感想を早速ブログ記事として載せたいし。
 窓口で「一般の方でよろしいんですよね?」と受付嬢。「いや60です」と私。それではと、私の顔をちらっと見ながら、しかし身分証の提示も求めず格安料金で。その上何と、本日はシニア優待日だそうで、ドリンク無料券が1枚ついてくるわで。その券で同じフロアーの売店でペプシをもらい、何となくトクした気分になりました。
 現金なもので、『よしっ。近いうち次は「ヴィヨンの妻」でも観に来るか』と思いながら、通路を通って『カムイ外伝』が上映される1番スクリーンに向かったのでした。

 同映画館では国内外の映画を常時15作品くらい上映しています。その中には『20世紀少年(最終章)ぼくらの旗』『さまよう刃』『私の中のあなた』『ATOM』などとある中で、何で『カムイ外伝』を観る気になったのでしょう。
 やはり私が若い頃発表されて大評判だった白土三平の原作劇画の印象が強かったせいだと思われます。といっても、先日の『つげ義春「ねじ式」』記事で少し触れましたが、漫画をあまり読まなかった私は、当時同劇画を読みふけっていたわけではありません。たまに近くに漫画雑誌があった時、読んだくらいなものです。
 私の記憶ではやはり『カムイ外伝』ですが、最初に1964年(昭和39年)から1971年(昭和46年)まで「月間漫画ガロ」に連載された時のタイトルは『カムイ伝』だったようです。

 「ガロ」という漫画雑誌を、今回『ねじ式』ではじめて知ったところをみると、私があの頃時折り目を通したのは、やはり「週刊少年サンデー」に不連続で掲載されたという『カムイ外伝』の方だったようです。
 元々の『カムイ伝』の方は、第2部を1988年(昭和63年)から2000年(平成12年)まで「ビックコミック」誌に連載。少しややこしくなりますが、その前1982年(昭和57年)から1987年(昭和62年)までは『カムイ外伝 第2部』を同誌が連載したようです。
 原作者の白土三平は「カムイ伝は第3部まである」と、同作品第2部の最後で読者に告げたそうです。しかし今日に至るも第3部は出されておらず、心待ちにしている「カムイファン」は多いようです。

 『カムイ伝』は、17世紀江戸時代の、さまざまな階級の人間の視点から重層的に紡ぎ上げられた物語。「カムイ」とは主人公である忍者の名前。旧来の漫画にはみられない武士、浪人、百姓、非人、商人などさまざまな群像が入り乱れる骨太のストーリーが特徴です。時代小説に比しても遜色ない時代漫画路線の礎を築いたものとして、高い評価を得ているようです。
 そして『カムイ外伝』の方は、『カムイ伝』から主人公の一人であるカムイのみを取り出して描かれた、言ってみれば「別伝」のような作品です。

 この世の最下層の非人部落に生を享けたカムイは、「自由を求めて生きたい」そのためには「強くなりたい」と、忍者の道に入ります。ところが『カムイ伝』で既に抜忍(忍者から抜けること)してしまい、追忍(抜忍を追う立場の忍者のこと)から執拗に追いかけられることになります。村々などで数々の事件に遭遇しますが、カムイは変移抜刀霞斬り(へんいばっとうかすみぎり)や飯綱落し(いずなおとし)といった必殺忍法などの技を使い、そのつど切り抜けながら終わりのない旅を続けていくというストーリーです。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記) 

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『天地人』について(16)

 米沢移封をめぐって

 関が原の戦い(慶長5年旧9月15日-1600年)は、徳川家康(松方弘樹)率いる東軍の勝利で終わりました。石田三成(小栗旬)は敗れて逃走するも、捕らえられ処刑されました。個性的な演技が光った小栗三成が見られなくなるのは残念ですが、私としてはその後の展開にはことのほか興味があります。

 というのも、西軍側に味方した会津上杉藩が、いよいよ我が郷土の出羽の国・置賜(米沢)に移ってくることになるからです。昔は上杉藩領であった山形県東置賜郡出身の私としては、やっと子供の頃から知っていた上杉藩の物語が始まるんだな、という感じです。
 しかし私が郷里で過ごしたのは18歳の時まで。したがって上杉藩のほんの上辺を知っていたに過ぎません。今回の『天地人』の米沢移封をきっかけとして、改めて「米沢上杉藩物語」を学び直したいと思います。

 第40回は「上杉転落」第41回は「上杉の生きる道」で、米沢への移封、減封の次第が描かれていました。
 関が原で西軍に加わった各大名には、当然厳しい処分が待ち受けていたわけです。上杉とて同じこと、お家の取り潰しも覚悟しなければならない局面です。そんな厳しい状況の中で、上杉景勝(北村一輝)と直江兼続(妻夫木聡)の主従はどうその難局を乗り切っていったのか。その辺のところが、このドラマのテーマである「義と愛」に沿った美談仕立てで描かれていたように思います。

 美談のはじめは、兼続が徳川家康の参謀格の重臣・本多正信(松山政路)のもとを訪れ、本多家に直江家の家督を譲るということを切り出したことです。もちろんこれには名門直江家の息女である、妻お船(常盤貴子)は反対なわけです。そうなれば嫡男の竹松(加藤清史郎)が直江家を継ぐことは出来ず、あまりにも不憫であるという理由もありました。
 しかしそのことに誰よりも心を痛めているのは兼続自身。だが上杉家を存続させるためには、どうしてもそうしなければならないのだとお船を説得します。わが身、我が肉親、我が家系をまず犠牲にしてお家の存続を図るという、まさに「苦肉の策」といったところでしょうか。

 それを正信から聞いた家康も、「そうすれば直江家を通して、徳川が上杉をコントロール出来るというわけじゃの。悪くないのう。その話進めよ」となります。
 そのような兼続のお家存続の努力に加えて、「義と愛」に心動かされたか、東軍に味方した福島正則(石原良純)や関が原の最重要局面で東軍に寝返った小早川秀秋(上地雄輔)などが、上杉存続に尽力します。その結果淀殿(深田恭子)に呼び出された家康が、豊臣秀頼の一言でしぶしぶ上杉存続を認めさせられたという筋立てでした。

 しかし実際はどうだったのでしょう?確かに西軍についた各大名はことごとく所領没収などの憂き目にあいました。豊臣秀頼ですら、それまでの近畿200万石から摂津、河内、和泉3ヶ国65万石にまで減封されています。それからすれば上杉も、所領没収となってもおかしくはなかったわけです。
 しかし家康の上杉への処遇は当初から決まっていたようです。本多正信に対して家康は、「何しろ謙信公の上杉じゃ。無くすわけにはいかぬ」。もちろん老獪な家康の腹のうちは、軍神・謙信への尊敬だけではありません。「それにのう。上杉はなかなか強い。敵に回すよりは味方にして使うべし」。これが当初からの家康の本心だったようです。

 それだけ謙信以来の上杉家の武勇が天下に知れ渡っていたこと、豊臣政権下で景勝は家康と共に五大老の要職にあったこと、兼続という無類の軍師がついていること。いろいろ考慮すれば、ここで上杉への対応を間違えれば上杉軍は捨て身で戦い、それに呼応して徳川に不満を持つ諸国の武将たちが秀頼を旗印に第二、第三の関が原を起こしかねない。そうなれば、「天下統一」という徳川家康の野望は潰(つい)えかねません。
 領地没収、断絶に到らなかった上杉への処遇は、家康の度量の大きさを物語るものであると共に、その深謀遠慮が働いた結果であるとみるべきです。
 なおこの決定と同じようなケースが、同じく五大老で関が原では総大将だった毛利輝元(中尾彬)への処遇です。やはり120万石から周防、長門の2ヶ国(後の長州藩)の30万石に減封され、高齢の輝元は隠居し嫡男の秀就に家督を譲っています。

 家康と交渉のため、景勝と兼続が上洛したのは、関が原合戦の翌年の慶長6年7月のことでした。大坂に入った兼続は本多正信と下交渉に入ります。時に正信60余歳、兼続40歳をわずかに過ぎた頃。
 その結果、「領地は置賜(おいたま)と陸奥信夫(むつしのぶ)、伊達(だて)である。それでよしとせよ」と正信に告げられます。置賜は(現山形県の)雪深い山国の盆地でしたが、それに(現福島県の県北地方の)信夫と伊達が含まれていたことは、上杉としてもありがたかったはずです。両地方は旧伊達家の領地で、阿武隈川が流れみちのくの奥大道、その上地味も豊かで、交通の要衝でもあったからです。

 上杉は本多正信が窓口で良かったとみるべきです。三河出身の正信は幼少から家康に仕え、事務方の筆頭にまで上った人物です。古参の武断派からは敵視されていたものの家康からは深く信任され、江戸では総奉行として辣腕をふるい、徳川幕府250年の基礎を固めた功労者の一人です。
 上杉家存続のため直江家の家督を差し出したというのは多分に美談と見るべきで、その交渉の過程で正信、兼続共に肝胆照らし合い、互いの人物にほれ込んでいった。したがって本多家から直江家への婿養子の話は、その後の交流の過程で自然と出た話ではなかったかと思われます。

 ともかく。上杉のそれまでの領地は、会津、置賜92万石、佐渡13万石、出羽庄内14万石の約120万石でした。それが置賜、信夫、伊達の30万石、一気に1/4にまで減封されることになったのです。お家断絶は免れたものの、上杉家始まって以来の厳しさであることに変わりはありません。
 この厳しい事態を受けて、さて直江兼続はどんな手を打っていったのか。それは既にドラマでも描かれていますが、また近いうち述べてみたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(23)

 この国は特権階級優遇社会 !?

 私としては(21)(22)記事を作成しながら、『このまま迷宮化しそうだった押尾事件、何とかまた動き出したぞ』と密かに喜んでいました。押尾学の再逮捕、現場に駆けつけたエイベックス元社員のマネージャーたちの逮捕、そしてその先のあっと驚くような新展開を思い描き、大いに期待もしていたのです。
 しかしその後何日経っても事態は一向に進展していません。先週数回事情聴取され、そのまま逮捕かとみられていた元マネージャーたちの逮捕もなく、押尾自身の再逮捕の動きもなく。今月23日の、押尾の麻薬取締法違反という軽微な罪を裁くだけの初公判を待つばかり。大いに落胆させられます。

 警視庁捜査一課の、最近のさもやる気まんまんの捜査は一体何だったのでしょう。やはり田中香織さんの遺族から民事訴訟を起こされそうで、そうなるとそれまでの怠慢捜査が浮き彫りになっては困る、そのためそれを思い止まらせるための単なるポーズ、偽装捜査だったのでしょうか。
 もしそうだとしたら、事件の真相解明を望む遺族や国民をなめ切った姿勢というべきです。事件発生当初から追い続けてきた私としては、何ともやり切れない虚しい思いがします。

 そこで素朴な疑問が沸いてきます。それは今の日本は、本当に「民主主義国家」といえるのだろうか?ということです。もちろん「民主主義とは何か?」という定義は大変難しい側面があります。しかし簡単に言えば、読んで字のごとく「国民主権主義」ということだろうと思います。それでなくても「主権在民」は現憲法が保障する基本的概念なのですから。
 この基本的なルールが今守られているのだろうか。政治、経済など各分野で詳細に検討するとなると、大論文になってしまいそうです。ですから今回は押尾事件だけに絞ってみてみたいと思います。

 押尾学が保釈されて間もなくのネットアンケートでは、「これで事件が解決したとは思わない」という人の数が、70%以上にも達していました。以前述べましたような諸事情により、新聞、テレビなどマスコミ各社のこの事件の報道には、かなりの情報操作、隠蔽があります。だから「押尾隠し」「総選挙隠し」のため連日酒井事件の方を過熱報道したマスコミは、この問題で世論調査などするはずがありません。あくまでもネットでの結果ながら、いずれにしても多くの国民がこの事件に疑問を持っているのは間違いないと思います。
 田中さんの遺族のみならず、「もっときちんと捜査して、事件の全容を解明してもらいたい」というのが「民意」なのではないでしょうか。
 主権在民というのに、これまでも民意は幾度となく無視され踏みにじられてきました。押尾事件でも同じように民意を無視して、単なるポーズだけの捜査で終わらせるというのでしょうか。

 当初から所轄の赤坂警察署などが捜査に二の足を踏んできたのは、これまで本シリーズで述べてきましたように、とてつもない「大きな闇」が暴かれることになるからです。その大きな闇を抱えているのは、一般大衆つまり国民でしょうか。
 さあ、そこが問題です。六本木ヒルズに“やり部屋”を幾部屋も開放し、売春まで斡旋し、自らが薬物を使用していた疑惑のある、ピーチ・ジョンの超資産家の野口美佳社長。そのやり部屋に出入り自由で、事件発生当時問題の一室にいた疑惑のある、森元総理の長男祐喜や北島康介など。それをもみ消すために捜査当局に圧力をかけた疑惑のある、森元総理や平沢勝栄議員…。

 押尾学という二流役者を身代わりに立てすべての罪を彼におっかぶせて、上に挙げた連中を守ろうというのが、今回の事件の基本的構図なのではないでしょうか。彼らは「一国民」でしょうか。確かにある側面ではそうだともいえます。しかし国民の多くは決してそうは見ないことでしょう。
 超資産家、オリンピックの金メダル級のアスリート、県会議員、国会議員、元総理。彼らは明らかに「特別な人たち」です。それが証拠に、一般ピープルが立ち入ることが難しい六本木ヒルズに、彼らは出入り自由なのですから。

 社会的に特別な立場の人たちは、例えどんな罪を犯しても守ってやらなければならないということなのでしょうか。いつからそんな法律が出来たのでしょう。
 すべての人間は「法の下に平等」のはずです。もしそうではなく、「いやぁ、あの人間をしょっぴくとなると社会的影響が大きくなるからねぇ…」では、それを基本理念の一つとする「法治国家」が根底から揺らぐことになります。
 それのみか、そんなことをすればするほど、国が根っこの所からどんどん腐っておかしくなっていってしまいます。

 むしろ社会的立場が上であればあるほど、己の身は何倍も厳しく律するべきなのです。もし仮にそういう立場の人間が法を犯した場合は、当局は取分け厳正に取り調べ裁くべきです。そうでなければ、法治国家を保っていくことは出来ません。「上乱れれば下乱れる」のが道理です。

 問題のやり部屋に、県会議員や国民栄誉賞を受賞しようかという人間が昼日中から入り浸っていて良いはずがないのです。そこで当然に薬を使用していたわけですから、それだけで立派な犯罪です。しかもこの度は、事件発生当時問題の部屋にいた疑惑がかけられているのです。『なのに何のお咎めもなしとは、アンタら何様だ。金正日の息子たちか』。
 二世議員。二世タレント…。硬直化し活力が失われていく一方の、格差社会、階級社会。この国はもはや民主主義など名ばかりの、特権階級が好き勝手にのさばる国になってしまったのでしょうか。
 そんな国が、北の将軍様の国を批判できるのでしょうか。

 警視庁捜査一課によるこの事件の真相解明を、改めて強く要望したいと思います。

 (大場光太郎・記)

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夜討ヶ窪と云ふ地名

   秋風や夜討ヶ窪と云ふ地名   (拙句)

 過日の台風18号は「非常に強い台風」ということで、さては数年前アメリカ南部各州を襲ったカテリーナクラスの超強力台風上陸かと覚悟していました。それに2年ぶりかで日本列島のどこかに上陸ということですから、不安は倍増されました。
 しかし実際は8日愛知県の知多半島かどこかに上陸後、確かに通過した都道府県に被害はもたらしたものの予想以上に深刻なものではなく、列島北上後北海道の太平洋上にまた抜けてくれました。
 
 それ以降は秋雨前線もどこかに退いてくれて、連日まあまあの秋晴れに恵まれています。ただ代わって西高東低の冬型の気圧配置が早々と現れ、連休中はうすら寒い日もありました。そんな日は秋風が分けても身に沁みるものです。
 しかし変わりやすきは秋の空。本日はすっきり大快晴で汗ばむほどの陽気でした。だからきょうは特別風を意識するほどのこともなかったものの、季節柄なぜか「秋風」が想われました。

 古来「秋風の歌」として有名なのは、かの万葉歌人・額田王(ぬかたのおおきみ)の歌でしょうか。おっと、危うく以下に引用しそうになりましたが、この歌はいずれ『和歌・短歌鑑賞』でご紹介したいと思いますので、その時まで未公開とさせていただきます。
 代わってといっては何ですが、私の拙い句を冒頭に掲げました。これは今から7、8年前に作ったものです。秋風というそこはかとなく哀れをさそう季語の上、さらに夜討ヶ窪ですから。何か総毛立つようなおどろおどろしい句であるかもしれません。

 しかし「夜討ヶ窪」は、当厚木市に実際あった地名なのです。「実際あった」と過去形なのは、その後町名変更によりどうなっているか分からない、多分無くなった可能性の方が高いと思われるからです。
 もちろんそんな地名、厚木の旧市街ではありません。場所は当市の西外れに近い「飯山(いいやま)」という大字(おおあざ)地内の小字(こあざ)名だったのです。東京など関東にお住まいの方なら、飯山は「飯山温泉」や「飯山観音」でご存知かもしれません。しかし飯山はかなり広い地域で、夜討ヶ窪は飯山の南外れ、北側の飯山観音に隣接した飯山温泉の近くではありません。いや、かなり遠いです。
 どちらかといえば、これも有名な「七沢(ななさわ)温泉」の方が近いくらいです。もっといえば、以前厚木市に青山学院大学キャンパスがありましたが、同学園はさらに近いです。(ただし同大学キャンパスは、2003年相模原に移転したため閉鎖となりました。)

 多分古くからの地元の人しか知らないであろうそんな地名を、元々の地元の人間でもない私がなぜ知ったかといいますと、以前の職業柄でです。
 以前何度か述べましたが、私が当地に来て最初に就いた仕事は測量でした。町の小さな測量事務所ですから、広大な土地の測量はあまりなく、小規模宅地造成や個人が農地転用、宅地化して転売などに伴う分筆(ぶんぴつ)など、表示登記がらみの土地家屋調査士業務が主体でした。詳述は省きますが、それには横浜地方法務局厚木支局で閲覧した、「公図(こうず)」という各土地土地の古くからの地図が必要だったのです。(ただしその後法務省もコンピュータ化され、今では旧来の不正確な公図に代わり、かなり精度の高い「旧土地台帳附属地図」として、市民などからの請求があればコンピュータからすぐ取り出せるシステムになっています。)

 今から35年も前私がまだ20代の頃、業務上で飯山の同地区の公図を調べていた時、たまたまその字名(あざめい)を発見したのです。『へぇー。おもしれえ地名だなぁ』と思い、記憶のどこかに残っていたわけです。
 昔の地名というのは、何かしらその元になった謂われなり出来事などがあったものなのでしょう。ですからこの「夜討ヶ窪」でも、昔々江戸時代あたりその辺で、ばっさり夜討ちで斬った者と斬られた者がいたということなのではないでしょうか?もちろんその当時はまったく灯りなどなく、真っ暗闇の夜中にです。
 それが当時としては周辺どころか、瓦版級の殺人事件、ビックニュースとなって近隣近郷に噂が広まるほどだった。それが後々まで人々の記憶に残り、いつしかその土地は夜討ヶ窪という地名になっていった、というようなことではないでしょうか?

 その辺は公図から判断するに、少し距離は離れているものの、名門ゴルフコースの本厚木ゴルフ場と同じ高台の一角だったようです。その辺にたまたま窪んだ一角があったのでしょう。私が当地に来た昭和40年代は、その辺一帯は見渡す限りの田園風景が広がっていました。(もっともその手前は、市街から高台の入り口に名門厚木高校があり、緑ヶ丘という規格化されたネーミングの広い住宅地、さらには「尼寺原工業団地」というこれまたおかしな名前の工業団地がありましたが。注-今もあります。)
 しかし今ではその辺は新しい幹線道路も整備され、同路線沿いにはきらびやかな店舗が続いています。そしてその一帯は大住宅地です。今となっては、その辺を車で通ってみても、「さて、どこが夜討ヶ窪であるのやら」というほどの変わりようです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(22)

 田中香織さん死亡にまつわる事態で最重要事は、事件発生当時六本木ヒルズレジデンスB棟2307号(B棟の23階7号室)はどのような状況だったかということです。取分け問題になるのは、事件発生当時同室にいたのは田中さんと押尾学の2人だけだったのか、それとも他に誰か別の人物もいたのだろうかということです。
 警視庁は当初から今に到るまで、同室にいたのは田中さんと押尾の2人だけという基本姿勢を崩していないようです。「信用できない警察」は困りものですが、これはまるで信用できません。

 事件当初から複数の事情通から洩れ伝わってきていることには、事件発生当時同室には押尾以外に2、3人いたはずだと言われているのです。そしてしきりに名前が上がっているのが森祐喜(41)、森元総理の長男で現職の石川県会議員です。それに武部元幹事長の二男の毅(36)。さらにあっと驚くような意外な人物が当初から噂に上っているようです。その人物とは、オリンピック水泳競技で幾つもの金メダルに輝いたあの北島康介(27)です。“さわやかイメージ”の北島は、麻生政権下で国民栄誉賞の候補者にもなりました。
 真相のほどは分かりませんが、北島も森祐喜などと共に事件前から押尾学とはお友だちだったようです。銀座のクラブで一緒に遊んだり、問題のヒルズの“やり部屋”には出入り自由だったとみられています。

 そして北島康介を押尾に引き合わせたのが、パチンコ機器卸会社「フィールズ」の会長であり、競走馬の馬主でもある山本英俊(やまもと・ひでとし-55)という人物だったようです。山本会長は押尾のタニマチでもあり、田中さんが生前勤めていた銀座のクラブ「ジュリア」に押尾を連れて行ったのも同会長であり、また押尾が保釈されて数日後銀座のゲイバーのVIPルームでドンチャン騒ぎさせたのも同会長だったのです。
 パチンコ業界は深いところで闇社会とつながっています。そういえば押尾の保釈金を用立てたのは、パチンコ業界のドンである熊取谷稔(いすたに・みのる-69)と言われています。そしてパチンコ利権に食い込んでいるのが、森元総理であり警察官僚出身議員の平沢勝栄であったのです。(熊取谷稔は、これまでも政財界の暗部に深く関わってきた来歴があるようですが、それはまた別の問題です。)

 しかしここにきて、パチンコ業界のドンたちは押尾事件から手を引き始めているようです。理由は幾つか考えられますが、最も大きな理由は「押尾以外は、厄介な人物まで捜査の手は及ばないだろう」と確信していることが上げられると思います。である以上、これ以上首を突っ込んでも何のメリットもないわけです。これは酒井法子失踪に関与した富永保雄などとも共通したスタンスです。
 そういうこともあって、保釈後40日以上が経過した今、押尾を取り巻く状況はさま変わりしつつあるようなのです。

 しかしこの事件を長く追及してきた(?)私の考えとしては、少なくともピーチ・ジョンの野口美佳社長(44)の責任問題、そして問題の部屋には事件発生時誰がいたのかだけは最低限明らかにしたもらいたいものだと思います。
 六本木ヒルズレジデンスには、問題の2307号室を含めて、野口社長はつごう6室も借りていたと言われています。それらの“やり部屋”には、押尾ら芸能人、政界ジュニア、有名アスリート、中央官僚、IT社長などが自由に出入りしていたと言われています。野口はそれらの部屋でクスリやセックスやり放題だったことは百も承知。それのみか野口社長自らが積極的に彼らの売春を斡旋していた疑惑があり、さらには自身の薬物疑惑まで取りざたされているのです。

 しかし野口美佳は周囲に、「私は大丈夫。警察の偉い人や国会議員をいろいろ知っているから」と涼しい顔で言い放っているようです。実際警察、検察幹部も問題の乱交やり部屋のお客さんだったというのですから、あきれ果てた話です。
 それに以前少し触れましたが、野口社長の元夫・野口正二は稲川会系暴力団と関係があり、AV大手製作会社・桃太郎映像の実質的経営者です。(なおピーチ・ジョンという社名は、英語流の「桃太郎」の意味)。いざとなれば闇社会ルートもあるのです。またPJはワコールの子会社で、野口美佳はワコールの筆頭株主という超資産家です。その資金力にものをいわせて、うるさいマスコミ各社を黙らせることなど朝飯前のことでしょう。
 『こりゃ、追求はとてもムリだわ』という状況なのです。このような構図こそは、小泉-竹中主導による新自由主義の「弱肉強食・獣社会」の格好の見本のようなものです。

 ところで警察からの情報では、森祐喜に関することはまったく出てきていません。しかし先に述べたとおり、田中さん変死を早々と「事件性なし」として片付けようとした腐り切った組織です。まるで信用できません。森元総理→漆間官房副長官→平沢勝栄という圧力図式があったのかどうかも含めて、この際真実を満天下に明らかにしてもらいたいものです。
 レジデンス内の監視カメラも、当然のことながら警視庁は押収してその画像解析などとうに終えているはずです。同日事件発生前後の時間帯に一体誰と誰が出入りしていたのか。個人情報の問題があるとはいいながら、人が一人変死している重大事件なのですから、警察はその事実もはっきり公開すべきなのではないでしょうか?(ただし残念なことに、事件当日の当該時間帯だけ映像が消されているという情報もあります。その場合は、知られてはまずい誰かが証拠隠滅を図ったことになります。)

 押尾学の再聴取が開始されたことから、この事件における「政権交代効果」が見え始めました。しかしこんなことは序の口であるべきで、私は捜査のメスが野口美佳、森祐喜にまで及ばなければ本物とは認めません。
 もし今後野口美佳、森祐喜逮捕、森元総理政界引退などという驚愕の展開があるようであれば、その時はじめて「あヽ日本の警察もやっとまともな組織に生まれ変わっんだな」と評価したいと思います。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(21)

 押尾学被告の事件が新たな展開を見せ始めています。
 まず押尾被告自身が、警視庁に任意出頭して既に数回事情聴取を受けているもようです。7日には現在住んでいる東京府中市の父親のマンションから出てくる押尾の姿を、フジテレビ系が報道しました。同日正午過ぎのことで、押尾は黒いパーカーのフードを被り、マンション廊下をうつむき加減に歩いているようすが映し出されていました。押尾はそのまま警視庁に出向き聴取を受け、同日午後3時過ぎ帰宅したもようです。

 保釈までの拘留期間に調べは十分についているはずなのに、何で今さら?と釈然としないものがあります。しかし今回捜査を担当しているのは、あの泣く子も黙る警視庁捜査一課とのことです。もちろん聴取の焦点は、六本木ヒルズレジデンスの一室で全裸で変死した、元銀座ホステスの田中香織さんに関することです。何しろ8月2日午後、MDMA(合成麻薬)服用により田中さんが苦しみだしてから119番通報するまで、瀕死の田中さんを3時間も放置し死に到らせたのです。早々と「事件性なし」として、その後ろくに捜査をしてこなかったことがおかしかったのです。

 押尾保釈後の、田中さんの親からの「警察は何も知らせてくれない。娘の死をもっと調べてほしい」との訴えは警察批判として大きく報じられました。また業を煮やした遺族は、法廷の場で真実を明らかにすべく民事訴訟を検討中ともみられています。
 警視庁としても、それらの遺族感情や事件解明を望む国民世論を無視できなくなり、ようやく重い腰を上げて再捜査に踏み切ったものと思われます。

 今回の聴取によって警視庁は、変死した田中さんの保護責任者遺棄致死罪または過失致死罪で、押尾を立件するものとみられています。それについては、現場の状況から判断していずれの罪も立件は難しいのでは?とする司法関係者や、「単なる警察のポーズなのでは?」という見方もありました。
 しかし捜査一課は今回は本気モードのようです。というのも、押尾被告と共に、押尾の連絡を受けて現場に駆けつけた、エイベックスの元マネージャー2人に対しても事情聴取が行われているからです。そしてこの2人は、保護責任者遺棄致死容疑やレジデンス玄関前の植え込みに田中さんの携帯を隠した器物損壊、証拠隠滅容疑などで、近々逮捕されるともみられています。

 そうなると押尾の初公判前の再逮捕、立件も十分視野に入ってきます。しかしエイベックス社に関しては、元社員マネージャーを逮捕しただけで済む問題でしょうか?というのも、押尾に呼び出されて駆けつけた現場の状況は、一介のマネージャーが処理できる範囲を越えていたと推測されるからです。当然2人はエイベックスの上司に逐一状況を報告し、その指示の下で行動したと思われるのです。そうすると、エイベックスの組織全体として事件の隠蔽を図った可能性が出てくるのです。

 ということは、エイベックス社長・松浦勝人の責任まで問われかねない大問題です。しかし事情通の間では、この件でもトカゲの尻尾切りで終わるだろうとみられています。なぜか?このような非常事態発生の時の備えとして(?)、エイベックス社には元警視総監・井上幸彦が顧問としており、その他にも元検事総長・松尾邦弘や元東京地検検事・牛島信が天下って在籍しているからです。「官僚の天下りの弊害」が、この件でも端的に見られるのです。

 捜査一課は、田中さんが勤務していた銀座のクラブのママや同僚からも、当日の田中さんの足取りや押尾と田中さんの関係、誰が同クラブに押尾を連れてきたかなど背後関係についても、かなり詳しく調べているもようです。
 そんな中同クラブの経営者とみられる人物から、新たな証言が得られたようです。それによりますと、田中さんの大親友の女の子が2日夜に亡くなる直前の田中さんから電話をもらっていたというのです。

 それは「いま六本木ヒルズに押尾学といるんだけどやばい。助けてほしい。いますぐ来て」という内容。その親友が六本木に向かう途中、再び田中さんから電話があり、彼女は既にロレツが回らない状態で、苦しそうに次のように話したそうです。「押尾に(携帯)電話を隠されたの(それで今まで連絡できなかった)。『警察に電話するなよ。救急車も呼ぶなよ。絶対にバカなことはするなよ』と(押尾に)脅されて怖かった。でも(具合が悪くて)もうダメかもしれない」。
 もしこれが本当なら、保護責任者遺棄致死など通り越した鬼畜の所業というべきなのではないでしょうか?  

 (大場光太郎・記) 

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えっ。オバマにノーベル平和賞 !?

 9日夕方たまたま民間テレビ局の報道番組を見ていました。『薬物汚染(21)』をまとめようと、押尾学の新しい近況が何か報道されないだろうかと思ったからです。しかしその関連のニュースはこのところすっかり影をひそめ、この日も結局同関連情報は得られませんでした。
 ところが6時過ぎ、びっくりするような速報が飛び込んで来たではありませんか。

 「今年のノーベル平和賞に、アメリカのオバマ大統領の受賞が決まりました」というような内容です。私は一瞬『えっ。ウソだろ』と正直思いました。去年のノーベル賞で、物理学賞が小林誠・日本学術振興会理事、益川敏英・京都産業大学教授に、化学賞が下村脩・米ボストン大学名誉教授にと、3人の日本人学者に贈られた時もびっくりでしたが、今回のオバマ平和賞もその時と同じくらい驚きました。
 オバマ大統領がノーベル平和賞に不適格などとは決して思いません。しかし今年1月に大統領に就任してまだ10ヵ月しか経っていないのです。『受賞できた世界平和貢献っ何なの?』。思いつくのはやはり、今年4月のプラハでの「核廃絶演説」くらいです。しかしそれとてもただ世界に向けてそう演説したというだけで、肝心の米国をはじめ核保有国が核を実際に減らしたなどという話はまだ聞かないわけだし…。

 その後伝えられた報道では、ノーベル賞委員会の受賞理由は「本委員会は国際的な外交と諸国民の協力強化に向けたオバマ大統領の比類なき努力を理由に受賞を決めた。とりわけ“核のない世界”の構想とそれに向けた取組みを重視した(以下省略)」というものでした。
 つまりオバマ大統領の「比類ない外交努力」が受賞の最大の理由、それを示す顕著な功績として真っ先に「核兵器のない世界の構想」が挙げられるということでしょうか。

 いずれにしても、つい先日シカゴ五輪招致で勇んでコペンハーゲンに乗り込んでも、真っ先にシカゴが落選など、最近少し影が薄くなりかけたかな?と思われた矢先でした。
 五輪招致失敗はともかく。米国内では、医療保険制度改革の論議が本格化した7月から、就任当初のオバマ大統領の高支持率は下がり始め、最近は50%ほどまで下落していました。また混迷が深まるアフガニスタンへの増派をめぐっても、駐留米国司令官とバイデン副大統領の間で対立が表面化し、増派反対の世論は60%にも上るそうです。
 そんなオバマ大統領本人そして米国政府にとって、今回の受賞は願ってもない朗報となったことでしょう。

 今回のオバマ受賞の報に際しては、直接関係ないと思われる我が国でも、どういうわけか号外まで配られたようです。唯一の被爆国日本としての、オバマ大統領に寄せる世界平和推進への期待の表われなのでしょうか。
 核廃絶を掲げる日本政府や与野党からは、祝福と歓迎の声が相次いだようです。中韓外遊中の鳩山首相も、到着した北京市内で記者団に、「本当にうれしい。みんなで大統領を後押しして核のない世界にしていこうという期待感をこめて贈られたのではないか」とコメントしました。
 我が国のみならずハン・ギムン国連事務総長、イギリスのブラウン首相、フランスのサルコジ大統領など、各国首脳からも祝福のメッセージが続々と寄せられています。

 そんな中石原東京都知事は皮肉にも、「平和賞は政治的な思惑があるからねぇ…」と口を濁していました。“石原嫌い”の私は、『石原さん、いい加減にしなさいよ』と言いたいところですが。しかしこの石原発言は確かに一理あるのです。
 私は平和賞受賞で過去驚いて、ノーベル平和賞って一体何なの?と考え込んでしまったことがあります。それは他でもない、佐藤栄作元首相が我が国で唯一の平和賞受賞者(1974年)になった時です。確か「沖縄返還」などが受賞理由だったのでしょうか。でもそれは表向きの理由で、実際は長期政権下ただひたすらアメリカ様に忠勤を尽くした、そのご褒美なんじゃないの?と思ったのです。とにかくその前年の、訪問した国では後に必ず戦争が起こると言われたキッシンジャー米元大統領補佐官の受賞などとともに、ノーベル平和賞の権威の失墜を感じた最たるものでした。

 しかし今回のオバマ大統領への受賞は、私としてはそんなに政治的な意図は感じません。強いていえば、受賞理由の中に「中東平和外交の推進」があり、オバマのイスラエル寄りの姿勢も評価されたのかな?と思うくらいで。
 どこかの同ニュース見出しで、「平和賞、“実績”ではなく“理念”に受賞」とありましたが、やはりここは全世界の潮流が「平和」の方に向かっている、それをノーベル賞委員会は敏感にキャッチして決定したのだと素直に取りたいと思います。

 今回のオバマ受賞を、広島、長崎でも被爆者らが「核廃絶に大きな力」と歓迎のようです。来月訪日するオバマ大統領は、結局広島、長崎への訪問見送りの方向と伝えられています。しかし今回の受賞を受けて、大いに方針を変えて米国大統領として初の両市への訪問を是非実現していただきたいものです。そうすれば、12月10日のオスロでの授賞式に胸を張って臨めるのではないでしょうか?

 (追記) オバマ平和賞の陰に隠れてあまりニュースになりませんでしたが、ここ数年毎年のようにノミネートされている村上春樹の文学賞受賞は今回もなりませんでした。年初のエルサレム賞受賞時の「卵と壁」スピーチのイスラエル批判が響いたのでしょうか。何といっても、ノーベル賞の創始者・ノーベルはユダヤ人ですから。

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(20)

 押尾学、高相祐一、酒井法子の3被告が保釈されてから、一連の薬物事件の報道もすっかり下火になってしまいました。しかし今月下旬に行われる各自の初公判に向けて、水面下では動きもあるようです。そのようすなどを以下にお伝えしようと思います。

 今回は酒井法子関連についてです。
 保釈後の夜の謝罪会見の後酒井法子は、継母も入院している都内新宿区の東京医科大学病院に直行し、そのまま加療入院していました。しかし今月1日朝同病院を密かに退院したようです。
 保釈直後は、退院後は独身時代に住んでいた都内世田谷区深沢のマンションに身を寄せるものと思われていましたが、そこには現れず、都内のどこかのホテルに身を隠しているものと思われます。謝罪会見をセッティングした酒井の元所属事務所のサンミュージック側も、入院後から今後の善後策などを話し合うべく連絡しようにも連絡が取れない状態のようです。そうすると同社の相澤親子は、酒井の身元引受人ではなかったことになります。では一体誰だったのでしょう?

 保釈時酒井を乗せたワインレッドの車には、よく見るとアンちゃん風の男2人が同乗しており、取材陣の間でも『何者?』と見られていました。同車の手配も含めて、すべては例の「富永一族」が仕切っていて酒井をガードしているようです。さすがの取材陣や芸能リポーターにも居所を掴ませない富永一族による、“神隠し”ならぬ“のりピー隠し”の早業、さすがと思うと共に、よほど酒井を表に出しては困る事情でもあるのでは?とつい勘ぐってしまいたくなります。

 酒井、高相夫婦に関しては、9月20日未明夫婦が所有していた千葉県勝浦市部原の別荘で火事騒ぎがありました。それにより同別荘はほぼ焼失したわけですが、19日夕から夜にかけて隣接する鴨川市や君津市でも無人の別荘で火災が発生していることから、千葉県警勝浦署では連続不審火の疑いがあるとして捜査しているもようです。
 同別荘は外房の部原海岸の住宅地にある木造平屋建の一棟で、地元の人たちの間では以前から怪しげな家と噂され、俗に「ピンクハウス(のりピーハウス)」と呼ばれていたようです。そして今回の事件では、高相被告が同別荘での覚せい剤所持罪でも起訴されています。

 この焼失事件に関しては、酒井夫婦特に高相祐一の口封じを狙ったものではないのか?という情報も流れています。というのも、酒井法子はさすが筋金入りの極道の娘らしく、拘留中最後まで薬物の背後関係を明かさなかったと見られていますが、高相の方は「完オチ」し薬物人脈をべらべら供述したといわれています。また酒井は自身の携帯を壊して処分しましたが、押収された高相の携帯履歴の捜査から、暴力団関係者が何人も逮捕されたという事情もあるようです。
 そのため、「シャバに出たらこれ以上何もしゃべるなよ。もししゃべったらどうなるか分かるな」という、闇社会のある筋からの一種の脅し行動だったというのです。

 また酒井事件関連で気になるのは、“エリカ様”こと沢尻エリカ(23)が、所属事務所の「スターダスト・プロモーション」を突如解雇された出来事です。それによって沢尻の今後の芸能活動は大きな支障をきたし、現に進められていた木村拓哉主演映画『宇宙戦艦ヤマト』の沢尻のヒロイン役は没、代わって黒木メイサ(21)がその役を務めることになりました。
 解雇の理由は、わがままし放題の沢尻に事務所側もほとほと手を焼いたためとされています。とにかく事務所はおろか彼女のマネージャーですらその予定が掴めないことがしばしばだったという事情では、さもありなんとうなずけないでもありません。

 しかしそんな表向きの理由とは別に、8月下旬頃から「沢尻が酒井事件と絡んでいる」という裏情報が業界を駆け巡っていたことも事実のようです。それについては、「いや沢尻と夫の高城は酒井らの薬物とは無関係」とする見方もあります。だが「大いに疑わしい」とする見方が根強いこともまた事実です。
 そもそも沢尻エリカ解雇の引き金の一つになったのは、「奄美大島の皆既日食への夫婦旅行」だといわれています。通常人の感覚では分からないことながら、沢尻夫婦はそろって大の「皆既日食マニア」。ですから酒井夫婦以上に奄美にはどうしても行きたかったのです。この旅行にあたっても沢尻サイドは、事務所を完全に無視して旅行計画を進めたようです。その奄美での行動が、酒井夫婦の足取りとダブっているところがあるのです。

 ハイパーメディアクリエーターという訳の分からない肩書きを持つ、夫・高城剛(45)には以前から薬物疑惑があったようです。それに高城は前々から、酒井の夫の高相祐一とは知り合いだったというのです。だから高相が覚せい剤を入手したといわれている、奄美でのレイブイベントに沢尻夫婦も参加していて、共に覚せい剤を入手、使用したと考えてもおかしくはないのです。
 あくまで解雇の理由を沢尻の「一般的素行不良」で通したい事務所としては、沢尻の奄美での薬物使用を否定したいところですが、同島での彼女のスケジュールを把握出来ていない以上完全否定も出来ないわけなのです。

 奄美での沢尻エリカの行動に不審を抱いた事務所は、沢尻の事情聴取などで警察が動く前に先手を打って解雇を決定したという見方もあるようです。それに呼応するように、沢尻夫婦は解雇発表後海外(欧州)に渡ってしまいました。これを「さては高飛び?」と勘ぐる事情通もいるようです。
 そして、沢尻を事実上解雇した先月30日以降、スターダスト・プロモーションのホームページから沢尻に関するすべての情報が削除されたこと、さらにはその日からわずか2日後、所属タレント(常盤貴子や竹内結子など大物タレントが多数所属)への薬物検査の実施を発表したことも疑惑を強めたようです。「ウチで一番やばかった沢尻がいなくなったから、もう平気だ」と言っているようなものだというのです。

 いずれにしても芸能界薬物汚染は、今回の3被告を裁けばそれで万事解決などという底の浅いものでないことだけは確かなようです。

 (大場光太郎・記)

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続・乞食さんの思い出

                        (2)
 次はキツタロさと同じ頃の女乞食さんの話です。
 その女乞食の名前は、近所のおばさんたちの間では「カモダのカシャババ」と呼ばれていました。我が母子寮の前の通りを三十メートルほど東に行くと木橋があり、それを越えて山坂道をしばらく登って行くと蒲田山という山とそのたもとの部落があります。小学校高学年の頃、秋が深まった時分よくきのこ採りでその山に分け入ったものでした。要はその婆さんはその辺に住んでいるので「蒲田のカシャ婆」というわけです。
 とこう述べますとさも実在して山部落から下りてきて、当時の郷里の街中を歩き回っていた人のように聞こえます。しかし実際はおそらく誰もその姿を見たことがなかったと思うのです。
 
 私が小学校低学年の頃は、何か手に負えない悪さでもすると母や寮内のおばさんたちから、「ええがコタロ。そんなごとすっと、カモダのカシャババにさらわっちぇしまうなだぞ」というようなことを言われたものでした。幼い子供にはその一言が意外に効いたのです。
 しかしその「カモダのカシャババ」なる婆さんは、ついぞ一度も姿を現わしたことはないのでした。
 
 当時の周りの大人たちは乞食だと言ってはいたものの、本当のところはどうだったのかは分かりません。実際そんな婆さんがいたのかもしれず。またはかつていたのかも知れない誰かに尾ひれがついて広まった、都市伝説ならぬ「田舎伝説」の類(たぐい)だったのかもしれず。あるいは民俗学などで言う村落共同体の秩序を脅かす異人(いじん)的存在が投影された虚像だったのかもしれません。
 さらには山部落深く棲むということから、昔話の山姥(やまんば)のイメージが投影されていたのかもしれません。そうなると今では、カモダのカシャババの正式名称は、「蒲田の火車婆?」と思わないでもありません。
                        (3)
 実は乞食さんに類した人は、現居住地である厚木市にもいたのです。それもそう遠くない、つい数年前までの話です。
 
 今から十年余前私が現在の業務に従事するようになり、当市内を車で走っていると、時折りある乞食風の男性が通りをあるいているのに出くわすことがありました。やはり風采が明らかに一般人とは違うのです。その人はかなり年配で70前後くらいに見えました。割と背の高い痩せ型の老人で、白髪、白髯(はくぜん)のその風貌は、どことなく聖者風に見えないこともありませんでした。

 こういう人は一体どこをねぐらにしているものなのでしょう。近年社会問題になっているホームレスは当市でも見かけられます。例えばいつもご報告しております中津川堤の百メートル少し上流の橋の下には、何年か前までホームレスが寝泊りしていた痕跡がありました。(その後撤去)。さらにその数百メートル上流くらいの所は中州が盛り上がった平べったい台地状になっていて、その一部にはしっかりした小屋らしきものが造作されています。いつか散歩でそこの堤防道を歩いていた時などは、その小屋の側には犬小屋までありキャンキャン吠えているのを見たことがあります。
 またいつもの中津川堤を数百メートル下流に行くと大きな橋がありますが、そこいら辺には何人かで共同で生活しているようで、今でも時たま人の姿を見かけることがあります。

 その人は本厚木駅周辺でも見かけられたことから、あるいはもっと下流の相模川のどこかをねぐらにしていたものでしょうか。しかしその人はどうも今風のホームレスというよりは、もっと年季の入ったいわゆる乞食さんといった感じの風体でした。

 今から3、4年前の初冬のある夕方のこと。その人が本厚木駅のすぐ近くの道路際に腰かけているのが認められました。一方通行の道路とビルとの境の幾分高めの縁石の一角に、一人しょんぼり腰かけていたのです。通りをけっこう人が行き来していますが、その人のことなど誰も眼中にありません。
 その姿はどことなく所在なさげで、寂しげで、寒そうで。もちろんたまに車内から見かけたくらいで面識はありませんでした。しかし私は、どうもそのようすが気になって仕方なかったのです。そこで近くに車を停めて降りて、その人に近づいていきました。
 私がすぐ側に立っているのに気がついて、その人は一瞬ぎくっとした表情を見せました。私は「これで何か温かいものでも食べなよ」と千円札を一枚渡しました。その人は型どおりペこんと頭を下げて受取りました。

 しかしそれ以来、その人を見かけることはなくなったのです。その冬は越せなかったのでしょうか。   ー  完  ー

 (大場光太郎・記)

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乞食さんの思い出

 『差別用語・考』で述べましたように、乞食(こじき)とは一般的に、「周りの人たちに物乞いする人」のことをいいます。以下に語る人たちが果たしてそれに該当するものなのかどうか、私には判断がつきません。あるいはもっと別の分類をすべき人たちなのかもしれません。ともかくも私の人生につかの間現れ消えていった、今となっては懐かしい人たちです。
                        (1)
 昭和30年代前半は、我が国が高度経済成長に離陸する前の時代。世の中全体が、映画『ALWAYS 3丁目の夕日』のような貧しいけれどどこか温もりのある時代でした。
 貧しい中でもひときわ貧しい人もいました。どういうわけか住む家がなく、川原のどこかをねぐらにしているような人たちです。私の郷里の山形県東置賜郡宮内町(現南陽市宮内)にもそんな人がいたのです。
 当時私は小学生。再三述べましたように町の母子寮に母らとともにお世話になっていました。母子寮は町の東外れ、二、三十メートル行けば吉野川に出られます。私が幼少を過ごした太郎村の家のすぐ側を流れていた同川も、数キロ下流の町場を流れる頃には川幅も大きくなり、それなりの中小河川の風格も備わります。

 その川を数百メートル上流に行った辺りに、当時頻繁に出没していた人がしました。近所の人たちはその人を「キツタロさ」と呼んでいました。正式に書けば「吉太郎さん」とでもなるのでしょうか。
 その人が私が最初に目にした乞食さんなのです。ずんぐりむっくりした初老の男性でした。いつもうす汚いよれよれのどてらのような着物に腰紐をしめた姿。子供達は乞食とばかり思い込んでいましたが、実はキツタロさが物乞いして歩いている姿を見たことはただの一度もありません。それもそのはず、その人には一応れっきとした仕事があったからです。

 その仕事というのは、「廃物集め」今でいう廃品回収業です。キツタロさの姿が見かけられるのは、決まって吉野川原のその辺ででした。すぐ上の方に古い木橋が架けられていて、山の方に行けるようになっていました。だからキツタロさも、たいがいがそうであるようにその橋の下辺りをねぐらにしていたものなのでしょうか。
 
 当時の子供達特に母子寮暮らしの私には、日々の小遣い銭などめったに与えられるものではありません。しかし寮の道を挟んで対面に駄菓子屋さんがあり、そこに「一粒百メートル」などという殺し文句入りのグリコのキャラメル、小さな袋に入って当たるともう一袋ついてくる甘納豆、舐めていると色が赤や緑にころころ変わる変わり玉などといった、子供の目を幻惑し食欲をそそる品々がどっさり置いてあるのです。

 そこで小学校4、5年の頃小遣い銭欲しさに、学校が終わると近所の仲間と共に、川原辺りに行って空き缶やら鉄くずなどを集めたものでした。まあ「俄か子供廃品回収業」といったところでしょうか。それを袋か何かに詰め込んで、川の土手道をさかのぼってキツタロさの所に持っていくのです。
 今もそうでしょうが、当時も並みの鉄くずよりも「アカ」や「アルミ」の方が値打ちがありました。アカとは銅線のこと、アルミとはアルミニュームのことです。ですからその方が金になるのでアカやアルミ主体に方々を漁るのですが、これがなかなか見つからないのです。
 ともかくそうして集めた廃物を「キツタロさ、これ買ってけろ」と言うと、「ああ、いいよ」とばかりに引き取ってくれたのです。そして廃物を受け取って、磁石で鉄くずとアカやアルミをより分けたキツタロさは、私たちに報酬として30円とか50円とかをくれるわけなのです。
 さあ現金を受け取った私たちは、一目散に件(くだん)の駄菓子屋に走って行ったことはいうまでもありません。

 キツタロさはいたって気のいい人で、まず怒るということのない人でした。それに近所の噂では、頼まれれば自分の下半身を見せてくれるというのです。いたずら盛りの私たちはそれに興味を持って、ある時仲間内で本当かどうか確かめてみることにしました。
 その時は確か廃物は持っていかなかったと思いますが、3人位でキツタロさのいるいつもの川原にそっと近づきました。そしてキツタロさを取り囲みながら、誰かが「キツタロさ。キ○○マ見しぇでけろ」と切り出しました。
 するとキツタロさは私たちの要望に快く応じてくれ、無言で着物の下をベロッとめくってアレを出して見せてくれたのです。それは、キツタロさの背丈のようにずんぐり縮こまったどす黒いものでした。私たちは物珍しげにそれにしばし見入ったのでした。

 しかしキツタロさとはそれが縁の切れ目になりました。私たちには何か見てはいけないものを見てしまったという後ろめたいような気持ちがあり、それからは廃物集めをしなくなりキツタロさとは会わなくなったからです。
 それから2年ほどすると私は中学生になり、その川原の土手道が通学路になりました。しかし朝晩通るにしては、どうしたことかキツタロさの姿を見かけることがなくなりました。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

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中川元財務相を悼む

 4日衝撃的な訃報が飛び込んできました。中川昭一元財務相(56)が都内の自宅寝室で急死したというのです。その第一報に接して私は真っ先に、『さては自殺か?』と思いました。そう思わせられる根拠があったからです。
 しかしその後の続報では、警視庁の行政解剖により死因は循環器系疾患による病死とみられるとのことです。近くには睡眠剤が残っていたものの大量に飲んだ形跡はなく、遺書などもなく自殺の可能性は低いと見られています。(遺族は「急性心筋梗塞」と説明。)

 中川昭一氏で記憶に新しいのは何といっても、今年2月のG7後のローマでの「もうろう会見」です。そのようすは国内のみならず全世界に配信され、世界中の心ある人々の大顰蹙を買いました。それまでは自民党内の“若きプリンス”でしたが、この一件で中川氏の運命は急暗転。将来の総理、総裁候補の芽は消えました。
 直後に財務相を辞任。しかしそれでは済まず、先の総選挙では地盤である北海道11区から立候補するも選挙区落選。武部元幹事長、町村元官房長官らロートル議員が比例で復活当選するも、中川氏はそれも適わず衆議院議員の身分も失いました。

 どういうわけか子供の頃から大の“自民党嫌い”の私は、もうろう会見の折りは絶好の機会とばかりに、中川氏そして自民党を思い切ってこき下ろしました。またつい先日の森元総理記事では、「中川(酒)」という記者用語も紹介しました。今となっては、故人への誹謗中傷であり謹んでお詫び申し上げます。

 私は中川昭一氏に、個人的な怨恨などは何も持っていませんでした。すべて「自民党バッシング」の材料として使わせていただいただけです。そして中川氏は、そんなに嫌いな政治家ではありませんでした。むしろ“自民党嫌い”の私にしては珍しく、政策通の中川氏を内心では密かに評価してもいたのです。
 またもうろう会見は極端な形で表面化してしまいましたが、憎々しい他の自民党議員などと違って、どこか憎めない愛嬌のようなものも感じていました。(ただし、同氏の「核武装やむなし論」だけは今もってお断りです。)

 それより何より中川昭一氏は、かつて「北海のヒグマ」の異名を取った中川一郎氏の忘れ形見だったのですから。一時は自民党総裁選に名乗りを上げようと、あの闇将軍田中角栄と対等に掛け合ったという、豪放磊落な生前の父一郎氏を私は大いに買っていたのです。
 しかしその中川一郎氏も、昭和58年(1983年)1月9日札幌市内のパークホテル一室の浴室で変わり果てた姿で発見されたのでした。享年57歳。最初は病死とされたものの数日後自殺と判定。しかし遺体発見の状況に数々の謎が残されたことから、親しかった一部政治家の中には、外国の情報機関が関与した「謀殺説」を公然と唱えた者もいました。一郎氏の死は今に到るも、戦後政治史の大きな謎の一つとして現在も語り継がれているのです。

 思い返せば、中川一郎氏の逝去を受けてその後継者として、当時一郎氏の秘書だった鈴木宗男と長男の昭一が対立し、それまでの一郎氏の支持基盤が分裂する騒動にまで発展しました。分裂したまま迎えた‘83年総選挙には、昭一と宗男が共に譲らず立候補。当時の中選挙区制の下2人とも当選しました。
 時に中川昭一氏30歳。興銀マンから政界への転身でした。以来今回の選挙で落選するまで8期衆議院議員を務めたわけです。

 (議員の身分を失ったとはいえ)政治家としては若すぎる死だったと言わざるをえません。どうしても父一郎氏の死がダブって見えてしまいます。昭一氏の場合自殺ではないというものの、親子そろって「非業の死」だったなという想いがぬぐえないのです。

 遺体からは睡眠薬の他にアルコール成分も検出されたそうです。その他前々から腰痛の持病があり、その鎮痛剤の服用もあったといわれています。今回は鎮痛剤服用の痕跡は認められなかったようですが、少なくとも睡眠薬とアルコールが複合的に作用して死期を早めた可能性は否定出来ないと思います。
 昭一氏は最近家族に「あまり眠れないんだよ」とこぼしていたそうです。前々から同氏の飲酒問題は関係者の間では公然の秘密、その上睡眠剤の常用。昭一氏は元々ナイーヴな気質、その上今回は体調不良や心労が重なっていたとみられます。

 やはりこたえたのは、例のローマでの「もうろう会見」以降の運命の暗転でしょう。順調にエリートコースに乗っていた昭一氏にしてみれば、人生初にして最大の挫折、試練を想像以上に感じていたのかもしれません。
 しかしそれがどうしたというのでしょう。そんなに深刻に思い悩むことでしょうか?私ら一般ピーピルには、東大法学部に合格、卒業などはおろか、興銀(日本興業銀行)マンとして勤務すること、さらには衆議院議員となって主要閣僚を何度も歴任すること…、すべて夢のまた夢なのです。「夢のまた夢」ならば、あのもうろう会見も議員落選もまた、夢のまた夢だったのです。深刻に悩まず思いっきり笑い飛ばして、再起に向けた前向きなリアクションを起し続ければよかったのです。
 中川昭一氏にはそれが出来なかったのですね。エリートゆえの、(お友だちの安倍晋三元総理もそうでしたが)二世議員ゆえのひ弱さでしょうか?

 一時期「骨肉の争い」をした鈴木宗男の場合はどうだったでしょう。昭一氏と同じ年代の頃、(今となっては「国策捜査」の臭いもする)‘02年の一連の「宗男問題」で衆院予算委で集中砲火は浴びるは、自民党離党の上衆議院議員の身分は剥奪されるは、長い留置所生活は送るは、懲役2年の有罪判決は出されるは、その上自身の身にガンを患い手術を受けるは…。ありとあらゆる試練、逆境に遭いながらそれらを全部はじき返して、新党大地を立ち上げ衆議院議員としてカムバックしたのです。北海道の一ドン百姓の子せがれの、たたき上げの負けじ魂を見る思いではありませんか。
 その鈴木宗男は昭一氏の訃報に接し、「驚きと悲しみでいっぱいです。この政治の世界私自身の経験も含めて、つくづく厳しいものだと思う」と、涙をボロボロこぼしながら話していたのが印象的でした。

 中川昭一氏の長女中川真理子は、現在フジテレビ報道局の記者だそうです。かつて小渕恵三元総理の急死を受けて、TBS勤務で政治のズブの素人小渕優子が、父のジバン、カンバン、カバンを引き継ぎました。
 一部では早くも、昭一氏の跡目としてその真理子氏や、「ガンバレ ! 日本一 !」の掛け声で一躍有名になった郁子婦人の名前が取りざたされているようです。世襲論議が切実な当今、ご本人たちも後援会もそういう選択だけは止めてもらいたいものです。

 末尾ながら。謹んで中川昭一氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記) 

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十六夜(いざよい)

   十六夜の窓辺に寄りし人の影   (拙句)

 きのうの十五夜は既報のとおり雲が多い夜空となり、名月が見られるかどうかはらはらさせられました。雲間より十五夜月がその全貌を現し、そして黒雲の間に紛れ込んでしまった午後6時前頃。満月本来の溢れる光が全く遮られてしまうほど、空全体が漆黒の闇に覆い尽くされてしまい、もうこれきり今夜は無月になってしまうのだろうと思いました。

 しかし変わりやすきは秋の空、それは夜空とて同じこと。7時過ぎあまり期待もせずに夜空を仰いでみると、あれほど全天をすっぽり覆っていた雲が特に中空では切れ始めていて、名月は雲を透かして全貌が見えたり、雲間からすっかり姿を現したりしていました。その時分満月は、夕方の黄金色から冴え冴えとした白銀に面を変えています。
 それからずっと見続けるわけにもいかず、時折り見てみるに、依然雲間を出たり入ったりの観月ショーが夜通し見られたようです。

 きょう10月4日は、きのうとはうって変わってすっきりした秋晴れの一日となりました。日曜日でもあり、各地の行楽地は家族連れなどでさぞ賑わったことでしょう。我が国でこのようなレジャースタイルが始まったのは、意外に早く大正時代のことでした。都会から郊外に電車が開通したことによりまたその後の自動車の普及により、一般庶民にとっても都市から近郊へ、さらに遠い行楽地へというレジャーの流れが確立していったのです。

 ともかく夕方になっても雲一つないと形容してもいいような、すっきりした秋の夕暮れ。ある家の庭には他の植木に混じって柿の木が見られます。実が大きく黄色に熟して、たわわに生っています。
 またとある家の建物に隣接した所には、平屋の屋根と同じ高さの酔芙蓉が見られ、今を盛りと花を咲かせています。まるでプラタナスの葉を思わせるような大振りな葉が全体に繁り、その所々からそんな葉に不釣合いなピンクの見事な花が開いているのです。なるほど酔芙蓉は、日照の加減なのか気温の加減によるものなのか、ある時は白々とした色で、またある時は本当にほんのり酔った佳人の頬のようにピンクがかった芙蓉さながらのゴージャスな花です。
 また少し近郊に車を走らせますと、当地では既に稲刈りを済ませた田んぼも見られます。まだの田でも稲穂が黄色く色づき重そうに下に垂れています。
 街並みのようすも街の景観の添物として置かれた自然の種々(くさぐさ)も、皆々静かな秋の夕暮れの佇(たたず)まいです。

 今宵も十六夜(いざよい)の月を見ようと、中津川堤防道に向かいました。そこでは東の空が川向こうに大きく広がって見渡せます。午後5時20分、何と既に十六夜月は昇っていたのです。いつもの堤防中段では、十六夜月は川向こうの大きな工場の陰に隠れてしまいます。そこで少し上流側の中段にずれて座りました。
 その位置では月は工場の左側、そこの屋根より少し低い所に昇っています。満月といっていいほどの大きなまん丸月です。わずか何分か見ているさえ月の上昇は明らかで、月は工場の屋根と肩を並べ、そのうち屋根を抜き去ってぐんぐん昇っていきます。それとともに見始めの頃は薄ぼんやりした明るさだったのが、暮色の深まりとともにくっきり明るさを増していきました。

 川そのものも静かな秋の夕川原の趣きです。この時期最近のぐずつき気味の天候の割には、川の流れはやや少なく穏やかです。下流からの南風のせいか、水面(みなも)が川上側にわずかに波紋して広がっている感じです。
 下流の大堰のこちら側に、見れば十羽ほどの鴨の群れが気持ち良さ気にめんめめんめに泳いでいます。
 こちら岸の水辺の葦群れも向こう岸の葦原も、天辺に穂波が連なって白く見えています。ことによく見えるこちら岸の葦群れは時折り吹きつける下流からの川風に、緑の葉も枯れた葉もかさこそ音を立てながら、白い穂とともに上流側に身をなびかせます。

 葦原の手前に私の位置より少し上流側に、8月上旬頃雑草を総刈りして以降生えたものと思しき、背の低いコスモスが一株夕風に吹かれながら咲いています。数年前まで上の堤防道の両側には、この時期コスモスが連なって咲いていて見事でした。それがいつしか同じコスモス科のオレンジ色の外来種に乗っ取られ、本来のコスモスはどんどん姿を消しつつあります。
 だからそうしてぽつんと数輪咲いているコスモスは、言ってみれば上の道に連なって咲いていたその忘れ形見。募りゆく暮色の中で、可憐さの上どこか哀れさを感じさせます。

 川にあって鳴く虫は早や盛りをすぎたのでしょうか。一頃のようなあっちこっちからひっきりなしにリンリンとではなく、葦陰の遠い所からか細く聴こえるのみ。
 午後5時45分。周りはすっかり夕闇に包まれ、十六夜月はいよいよ輝きを増し加え、早やもう工場のだいぶ高い所まで昇っています。川を見れば、何十メートルかの川幅いっぱいに、月影が千切れ揺らめきながら一本の帯のように連なって映っています。
 その様を眺めやった帰り際。近代西洋のさる画家が、水面に映じた月影によほど魅せられたらしく、何枚もそれを画題とした絵を描いていたことをふと思い出しました。

 (大場光太郎・記) 

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東京、五輪招致に失敗

 東京など4都市が立候補した、2016年の第31回夏季オリンピック開催地を決める国際オリンピック総会(IOC)の第121回総会が、2日(日本時間3日午前零時すぎ)デンマークのコペンハーゲンで行われました。
 ‘64年東京オリンピック以来“再び東京で”と、石原東京都知事を先頭に3年前から招致運動を繰り広げて、今回の決定の日を迎えました。結果は第1回目投票でシカゴがいきなりビリになる波乱の幕開け。当初から「2回目に残れれば勝機あり」と読んでいた関係者にとって、望みどおりに2回目の投票に望みをつないだその結果、あえなく東京は落選してしまいました。

 そのため残りの2都市、ブラジルのリオディジャネイロとスペインのマドリードで3回目の決選投票が行われ、その結果本命のリオディジャネイロがマドリードを34票差で引き離し、‘16年の開催地に決定しました。
 南米大陸では初のオリンピック開催だそうです。五輪のマークは五大陸をシンボライズしたもの。最先進国都市のシカゴ、東京が真っ先にふるい落とされたのも時流かなと感じます。そして最終的に開発途上国のリオに決まって良かったのではないかとも思います。
 それにブラジルは、既に2014年のサッカーワールドカップの開催地にも決定しています。同国にとっては二重の喜びといったところですが、‘16年五輪ではW杯の施設をそのまま流用できるメリットもあるようです。

 ただリオ市街は狭くてホテルも少なく、交通渋滞もひどいようです。それらを解消するための都市インフラの整備が求められます。さらにその上900ヶ所ものファベーラ(スラム)があり、麻薬密売組織が暗躍し、勢力争いによる銃撃戦が絶えず発生しているようです。殺人発生率は東京の37倍にも上るといわれ、治安の安定化も強く望まれるところです。

 問題は招致に失敗した「我が東京」です。天邪鬼な私は、招致話が持ち上がった3年前から『できればやってほしくないな』と思っていました。しかしそう考えているのは私だけではなかったようで、都民からも国民の間からも「何が何でも再び東京で !」という大きな盛り上がりに乏しかったことも事実です。
 ただ一人盛り上がっていたのは石原東京都知事で、後の関係者はつられて盛り上がっただけ。今回は「石原の石原による石原のための招致運動」との感を深くします。石原都知事には当然招致を成功させ、歴史的名知事として名を残したいという政治的野望があったことでしょう。また新東京銀行の破綻問題、築地の移転問題のこじれなどその失政が明らかになる中、汚名挽回策という一面もあったことでしょう。
 それに以前少し触れましたが、加えて今回の招致の根っこにあったのは経済効率です。東京招致は極論すれば、経済界やゼネコンを喜ばすだけのものだったとも言えるのです。

 東京が落選するのは、当初から分かり切っていたという見方すらあります。アジアで夏季五輪が開かれたのは‘64年の東京‘88年のソウルそして‘08年の北京の3回です。同じ地区で20年に1回招致できれば御の字と言われているのです。その常識からすれば昨年北京で開催したばかりなのに、8年後にまたアジアでの開催などあり得ないことだったと言うのです。
 
 しかし石原都知事以下は強硬に招致をもくろみました。先ほど述べましたように、それは石原の政治的野望が発端です。そのために使われた税金は150億円。その中には招致活動と称して海外に行った際の1泊10万円以上の石原の高級ホテル代も含まれます。招致失敗によって都民の血税がムダに消えてしまったのです。
 東京都民はこの際大いに怒るべきなのではないでしょうか。そして石原都知事を相手どって、150億円返還のための損害賠償の訴えを起こしてもいいのではないでしょうか?

 それに解せないのは、最初から勝つ見込みのない招致なのに、鳩山首相がわざわざIOC総会に乗り込んで行ったことです。民主党は石原都知事に何か恩義でもあったのでしょうか。話は逆で、石原は政権交代前の民主党や鳩山氏をボロクソにけなしていたのです。
 そもそも鳩山首相は、9月16日の首相指名の際の衆院本会議の直前、あの森元総理から「IOCへの参加、何とか頼むよ」と耳打ちされ憮然としていたそうです。確か民主党としても招致には消極的だったはず。党の姿勢を示す意味でも、その時きっぱりと断ってしまえば良かったのです。

 なのに、先の好評だった国連演説の二番煎じを狙ったのか。国民に受け狙いのポピュリズム(大衆迎合主義)に走ったのか。小沢や菅や岡田だったら、まず出かけることはなかったでしょう。
 まだ基盤脆弱な新政権、それも発足して間もないのです。確かに「YUAI(友愛)」もいいけれど。それは世界向けのアピールにとどめ、国内的には不用意な友愛など禁物です。本来なら招致失敗で辞任必至だった石原都知事に、「時の首相が行ってダメだったんだから…」と、任期いっぱいまで居座る絶好の口実を与えてしまったではありませんか。またこれで、新東京銀行破綻問題での石原の責任追及は難しくなり、民主党が主張する築地市場移転中止もこじれるのではないでしょうか。
 今回のIOC総会出席が、新政権にとっての「躓(つまず)きの石」にならなければよいのですが。

 (大場光太郎・記) 

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ドキュメント・お月見

   空黒く名月行方不明なり  

   十五夜の路地に一つの夢こぼす   (以上拙句)

 本日10月3日は旧暦の9月15日すなわち「十五夜」です。秋雨前線停滞や太平洋上の台風などのせいか、9月末頃から雨がちのぐづついた天気が続いています。
 きょうは雨こそ降らなかったものの、朝から分厚い雲が全天を覆うあいにくの空模様でした。普段の日ならば、ちょいと外出するにも遠出するにしても「雨さえ降らなければОK」のはずですが、十五夜のこの日ばかりはそうはいきません。

 十五夜の満月がくっきりと見られる良夜であるためには、全天を覆い尽くすこの黒い雲がきれいさっぱりなくなること、しかし日中のこの雲の具合からしてそれが難しいのであれば、せめて空全体の何割かでも雲が切れて、そのあわいから十五夜月が望めれば良しとしなければなりません。
 『でもそれすらムリかもな』と半ばあきらめかけていた午後4時前後。東の方の空の雲が少しずつ切れ、水色の澄んだ空の色が見え始めたではありませんか。そして夕色が兆すとともに次第にその辺に占める秋空の割合が多くなり出したのです。

 それより上の中空、西の方の空は依然として薄黒い厚い雲で覆われています。特に西にでんと聳える大山の辺りは黒雲大いにわだかまり、昔からの「大山は雨降り山」の言い伝えどおり今夜の全天のお天気回復は望むべくもありません。だから余計「今月今夜のこの月」は、昇り初め頃を拝するしかないようです。

 と少し経った4時半過ぎ頃から、またまた雲行きが怪しくなってきました。頼みの東の低い空の切れ間がすっかり北の方にずれてしまったのです。月が昇りそうな真東から、おおよその月のルートをイメージするに、その辺は皆悉く分厚い雲に覆われていて。
 「女心と秋の空」とはよく言われてきたけれど、つれないものは十五夜の曇り行く空。そういえば「十五夜に晴れなし」という言い伝えもあるようで、特に関東以西はこの夜晴天に恵まれる確率は少ないとのこと。嗚呼 !

 夕方5時かっきり当市の「夕焼け小焼けチャイム」が鳴り響いた時には、家の中にいると取分け外は薄暗く感じられ、名月を待ち望む心にそのチャイムの音(ね)はもの寂しく聴かれたのでした。
 暮色募りゆく中やはり空模様が気になって、5時15分過ぎ家を出て近郊に車を走らせました。東の方の空が見渡せる辺りで車を停めました。

 やはり覆い始めた薄黒い雲は長々と横たわり、早や夕刻の今はわずかにのぞいている空の色はすっかり色あせて白雲と見まごうばかり。低空の雲の感じから月の出を見ることはとても適いそうになく、東の半ばから上の空にぽっかりと雲の切れ間が広がっており、せめてそこから今宵の名月が顔を出してくれることを待ち望んだ次第。
 ただ雲の移ろうさまは無常なる人間世界の移ろいにも似て、一寸先の予断つき難し。さてどうなるものかと、私は近くのスーパーに向かったのでした。

 スーパーの広い駐車場に着いてその一角に東向きに車を駐車させました。そして何気に東空を仰いでみると、何と斜め25度くらいの低空の雲の上から、お月様の天辺がほの見えているではありませんか。時に5時45分。満月というものは午後6時に昇るものと思い込んでいた私には、不意討ちの月でした。
 雲と月の動きは早く、名月は1/2、2/3、3/4と刻々と雲のへりをぬうように。せめて地上で月見を待ち望む者に、その姿を見せてあげようと意思するもののようで。
 私は全体の雲の具合からして、今を逃したら今夜はもう月見は出来ないと思い、せめて一瞬なりとも名月の全貌を見たいものと凝視し続けます。

 名月は再び雲間にもぐり込んだかとみると、遂に雲間を完全に脱してその全貌を現しました。本当に神々しい黄金色のお月様です。時に午後5時48分。
 私はしばしその煌たる大きな光体に見惚れていると、5時51分月の天辺が今度は上の雲に隠れてしまいました。そうなるとあっけないもので、またたく間に半分が隠れそして全体が雲の中にすっぽり隠れてしまいました。後には下の方の雲の縁(ふち)を薄明るく染めて、それがたった今まで名月がその辺に出ていたことのわずかな証明であるばかり。そうしている間にも、雲の薄明かりも徐々にさめていきます。

 『次にまた出てくれるだろうか?』。私は夜空を広く眺め渡しました。すると南の方に星一つ、うっすらと。『シリウスだろうか?』。それすらもあっという間に掻き消えてしまったのでした。
 再び月が出ていた辺りに目を転じてみると、もう黒一色の雲に閉ざされてしまっています。時に5時53分。『今夜はもうムリらしいな』。私はすっかりあきらめて、車から出てスーパー入り口に向かったのでした。

 (追記) ただし午後7時過ぎから中空の雲間が少しずつ切れ始め、その後雲間から出たり入ったりの名月ショーが夜通し繰り広げられました。

 (大場光太郎・記) 

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『天地人』について(15)

 「天地人 小栗三成良い」 「小栗三成 主役の方が良い」

 「天下分け目の関が原」に向けて、あるいは慶長5年旧9月15日(1600年10月21日)同合戦の真っ最中、そして関が原以後と、ここ3話ほどは、小栗旬演じる石田三成を中心にストーリーが展開しているような具合でした。
 もちろん第38話「二つの関が原」にありましたように、関が原の戦いと同時に奥州出羽の国でも、東軍の徳川方に異を唱える上杉軍と東軍方の最上勢との間でも「天下分け目の」合戦が繰り広げられていたわけです。

 しかし本来の主役である直江兼続(妻夫木聡)やその主君上杉景勝(北村一輝)の働きを食ってしまうほど、小栗三成の演技は群を抜いていたと思います。
 冒頭に掲げましたフレーズは、いずれも過去の当ブログ本シリーズにアクセスしてこられた最近の検索フレーズの代表的なものです。それも1人、2人ではありません。何人もの人がこのようなフレーズでアクセスしてこられたのです。いかに石田三成を演じた小栗旬の演技が光っていたか、印象深かったかを物語るものだと思います。

 私はだいぶ前の回で、元服前後の樋口与六(後の直江兼続)が織田信長に上杉藩を代表して会いに行くという、およそ考えられない設定に疑問を呈したことがありました。その時石田佐吉(後の石田三成)役の小栗旬も初登場したのでした。その時の彼のカツラや衣装などから『何だこりゃ。さまになってねぇ』と率直に思ったのでした。私が漠然とながら抱いていた石田三成像とは著しく隔たっていると感じたのです。
 しかし後で分かったことには、当時からそしてその後ずっとそれで通すことになる小栗三成のカツラと衣装は、実は小栗自身のアィデアを採用したものであることが分かりました。なるほどそういえば、回を追って小栗三成の登場場面が増えていくごとにその三成の姿がさまになっていき気にならなくなりました。

 前の記事でNHK総合の『トップランナー』に小栗旬がゲスト出演した時のもようをご紹介しました。小栗はこと演技の道を極めるためには貪欲であるようです。陰の苦労話などを漏れ聞くと、本当に見上げた役者根性だと思います。井上ひさし原作、蜷川幸雄監督の舞台『ムサシ』で共演した、同じ年(26歳)の藤原竜也とは、良きライバルとして互いに切磋琢磨し合っているようです。
 
 秀吉(笹野高史)亡き後の豊臣家を守るべく、豊臣恩顧の諸大名に触れを出し西軍を組織し、徳川家康(松方弘樹)の東軍と全面対決した石田三成。西軍約10万と数の上では、家康の東軍を上回っていたものの。そこは過去に武田信玄との三方が原の戦いなどで大惨敗を喫するなど、戦(いくさ)を知り抜いておりなおかつ人身掌握術に長けた老獪な徳川家康のこと。
 早朝歴史的大合戦の火蓋が切っておとされ、昼過ぎになっても勝敗の行方が分からない一進一退。後は自陣にでんと構えてなぜか動こうとしない小早川秀秋(上地雄輔)が撃って出てくれれば勝算はこちらのもの。そこで三成自身小早川の陣に赴き出撃を促すもやはり動かず。小早川に動いてもらわなければならないのは家康も同じこと。そこでかねて内通していた古今稀なる優柔不断の武将小早川のハラを決めさせるため、小早川陣に鉄砲を撃ち込ませる。ビビッた小早川は、あろうことか西軍の大谷刑部吉継や三成の陣めがけて突進してくる。

 古来多くの歴史家が指摘するように、これが関が原の勝敗の分岐点だったと思われます。その結果本来なら負けるはずのなかった西軍は総崩れ。わずか一日にして関が原合戦の帰趨は決し、その瞬間徳川家康が天下を掌握する舞台が整えられたのでした。
 小早川の裏切りの他にも、福島正則(石原良純)は当初から東軍につき、西軍の毛利輝元(中尾彬)も陣取った山上から様子見して動かなかったなど。歴史的人物としての石田三成は政務には明るくても、大軍を掌握しそれを組織化して手駒のように自在に動かす軍事的才能に欠けていた、そしてよく指摘されるように人望もまた欠けていたことも事実なのでしょう。

 結果石田三成は戦いに敗れ再起をかけて逃亡するも捕らえられ、京の六条河原で斬首の刑に。その関が原以後を描いた第39話「三成の遺言」は、私が思うに『天地人』でも屈指の出来で感動ものでした。捕らえられてから処刑に到るまでの、小栗旬の三成は鬼気迫る演技で。あの若さでこれだけの凄みを出せるとはと唸らされました。
 また以前の関が原物ではただ卑怯者、裏切り者として片付けられていた小早川秀秋の内面、そして東軍についた福島正則の葛藤も描かれていて、これは今までにない視点であり評価したい点です。

 今回は小栗三成のことが主となり、肝心の上杉藩そして直江兼続らのことには触れられませんでしたが。直江兼続の出した「直江状」が徳川家康の逆鱗に触れ、関が原の遠因になったというのはそのとおりかもしれません。直江状を読んだ家康は激怒して、自ら先頭に立ち会津討伐軍を繰り出し、今の栃木県小山市までやってきます。その虚を衝く形で、西軍を組織していた三成が「頃合は良し」とばかりに、北と南の両方から家康を挟み撃ちにしようとしたからです。
 最上義光軍との長谷堂城の戦いは我が出身県での戦いであり、もう少し詳細に触れるつもりでした。しかし残念ながら紙面が尽きてしまいました。いよいよ米沢減封に到る、家康の上杉藩の処罰の次第次回が楽しみです。

 (大場光太郎・記)

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九月尽(2)

   雨しとと家並み木立に九月尽(くがつじん)   (拙句)

 最近は秋雨前線が関東から中国地方まで、太平洋側列島に長く伸びて停滞しているとのこと。そのため前線の刺激により、当地でもきのうきょうは雨がちのぐずついた天気が続いています。
 一年間の月別雨量では例年ならば、二百十日を月初に迎え台風シーズンでもあり、9月は6月と並んで雨の多い月のようです。ところが今年に限っては関東地方の場合晴れの日が続き、おとといまでの9月雨量は例年の20%くらいだったそうです。きのうきょうの雨で例年雨量に少しは近づいたのでしょうか。それにしてはどちらかというと傘も要らないような小雨がちで、さして貢献しなかったかもしれません。

 ですから冒頭の拙句は「雨しとと」でありまして、「雨しとど」でも「雨しとしと」でもありません。「雨しとと」。これはひょっとして私の造語かもしれませんが、それによってそんなに本降りの雨ではないということを表現したかったのです。と俳句において本来こんな説明は不要ですし、してはいけないのかもしれませんが、何せそこは「素人俳人」のこととご寛恕賜りたいと存じます。
                         *
 さて9月も末日ですが、何といっても今月最大の政治的、社会的イベントは、政権交代による鳩山新政権が発足したということに尽きると思います。スタートしてまだ2週間ほどの新政権に早々と評価を下すのはいくら何でも早すぎます。
 それでも順調なすべり出し、スタートダッシュにはまずまず十分成功したと見ていいのではないでしょうか。
 新政権は官邸主導、政治的一元化を目指す目的で、国家戦略局という新しい部局を設置し、初代大臣に菅直人を据え、従前の官僚任せではない政治家主導の姿勢を内外に強くアピールしました。今は「室」であり今後どうしたいのかはまだ具体的には見えてきませんが、早く「局」に格上げして本来の機能を発揮して、「政治改革」「霞ヶ関改革」を進めていってもらいたいものです。

 鳩山新首相自らが、政権発足後1週間くらいで国連の場に乗り込み、気候変動首脳会議の演説で日本は「2020年まで温室効果ガス25%削減」を実施するとぶち上げ、世界中の度肝を抜きまた賞賛もされました。これは我が国にとって、重大な責任を伴う「世界公約」であると共に、環境問題という重要分野で世界各国の中で今後我が国がイニシアティヴを取れるということでもあります。
 思えば自民党政権下での時々の首相といえば、アメリカ様の顔色をひたすらうかがうばかり。「我が国としてどうしてもこれをしたいんだ」という、世界への強いメッセージ発信力は限りなくゼロに近いものでした。とにかくあの国連演説をした鳩山首相の姿に、本来あるべき「プライム・ミニスター(宰相)」を見る思いでした。

 その他藤井財務相、前原国交相、原口総務相、長妻厚労相、亀井金融相など、司つかさで改革のための新機軸を出し合って、脱官僚依存、政治主導の流れを作り出そうとしています。
 そんな中、かつて野党時代の「ミスター年金」長妻大臣に、厚労省官僚は恨み骨髄。それは自分たちの積年のデタラメ、ズサンさを棚上げした逆恨みもいいとこですが、就任時の1階総出迎えでは拍手一つしませんでした。他の官庁は一応は新政権の出方をとりあえずは様子見なのに、この官庁は最初から敵意丸出し、対決姿勢でした。自民党政権の尻拭いといっていい、消えた年金問題、後期高齢者医療や身障者自己負担費、派遣法改正などの見直し、撤廃問題等々。厚生、労働両分野で、手をつけるべき課題が非常に多い問題官庁ですが、とにかく報道されない官僚たちのいやがらせが凄まじく、さすがの長妻大臣も音を上げる寸前との話も洩れ伝わってきています。省益、保身だけの薄汚い厚労官僚なんかに負けるな、長妻大臣 !

 亀井金融相の中小企業の借入金の「3年間モラトリアム」。亀井自身と弱小国民新党をアピールするためのパフォーマンス的意味合いもあるのかもしれませんが、アイディアとしてはなかなか面白いと思います。我が国の9割以上を占める中小企業への目配り。「大企業目線」の自民党政権下では絶対打ち出せない政策です。閣内の藤井財務相はじめ金融機関、経済ジャーナリストなどからも、劇薬だけに副作用を懸念する慎重論が多いようです。
 しかし小泉格差増大政治によって、地方も中小企業も疲弊し切っていて何らかの有効な手立てが早急に必要です。亀井大臣、藤井大臣など省庁横断で十分協議して、最も有効な着地点を探ってもらいたいものです。

 前原国交相の「八ッ場ダム建設中止」も大いに評価できます。建設計画が持ち上がったのは、今から57年前の昭和27年のこと。時代は大きく変わって、途中でダムを作る必要性がまったくなくなったのです。にも関わらず、族議員、天下り役人、一部ゼネコン、おこぼれいただきの各県や周辺自治体のためだけに延々造り続けて、何千億円。詳細には述べられませんが施工上障害が多く、完成まで後どれほどの年数を要するか知れないシロモノです。上記関係者やマスコミがいくら騒ごうが、即刻中止した方がお国のためなのです。
 しかしこの問題の一連の騒動には、政治的転換がいかに難しいか痛感させられました。実際に中止に到るまでは紆余曲折、前途多難が予想されます。だからといって既得権益者たちの言いなりになって続行では、まさに亡国行為です。同ダムは「政官財癒着公共事業」の象徴のようなもといえます。これを中止する意味は測り知れません。全国各地の同様のムダ工事中止の生きた範例となるからです。
 ただダム建設のために翻弄され続けてきた、一番の被害者である地元住民の方々には、個別にきちんと対応し、手厚い保証をお願いしたいと思います。

 その他前麻生政権下での概算要求を白紙見直し、新政権として新規の予算編成をし直すこと。独立行政法人などへのお役人の「天下り禁止」を明確に打ち出したこと等々。政権が変わると、政治はこれほどドラマチックに動くものなのかと驚いてしまいます。
 だがこれらはすべて、霞ヶ関官僚との衝突が避けられない問題です。かのマッカーサーですら手がつけられなかったと言われる、我が国の「官僚機構改革」。初めは面従背服、やがて自分たちの省益が脅かされると分かると、リーク、資料隠し、さぼり、恫喝何でもありのしたたかな官僚たち。
 しかし、伏魔殿的霞ヶ関の深部にまで斬り込まなければ、「真の改革」はないわけです。国民もそれに期待していることを忘れず、今後とも一歩一歩具体的成果に向けて歩みを進めていってもらいたいものです。

 (大場光太郎・記) 

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悪運強い !?森元総理

 28日自由民主党の新総裁に谷垣禎一元財務相が決まりました。投開票直後の両院議員総会で谷垣氏は、「思い切った党改革も必要だ。もう一度国民の信頼を取り戻し、政権に復帰できるよう全身全霊を傾ける」と決意を表明しました。
 この決定に敵方の亀井静香金融相も、「今の自民党の中で最高のタマでしょう」とエールを送りました。私も森ー小泉ー安倍ー福田ー麻生と続いた過去の総裁よりはずっとマシな人選だと思います。(政権与党であるうちになぜもっと早く、そう出来なかったのでしょう?)

 しかし国民の多くがそうでしょうが、私は野党に転落した自民党の総裁に誰が就こうとさほど関心はありません。問題は谷垣氏が選出されるまでのプロセスです。その舞台裏を少しのぞいてみるとガックリ、『やっぱり自民党はダメだ ! 』と思わせられるのです。
 その一端がうかがえるシーンがあります。会場だった自民党本部8階ホールから1階玄関に現れた森喜朗元総理は、待ち受けたカメラに向かってにこやかに笑いかけ、右手でVサインまでしたというのです。
 森元総理は、総選挙時は終始ピリピリカリカリ。時には鬼の形相で記者を追っ払ったり、投票日当日の夜は石川2区の選挙事務所の前面にロープを張りめぐらせ、そこから中へは地元記者以外立ち入り禁止の報道管制まで敷いたくせして。
 なぜこの時上機嫌だったかと言えば、総裁選で谷垣氏300票と、河野太郎の144票をダブルスコアで圧勝したからです。『してやったり。オレの影響力もまだまだ捨てたもんじゃないわい』とばかりにご満悦だったわけです。

 台風の目候補の河野太郎は、総裁選の遊説先などで「そろそろ出所進退をお考えになるべきだ」「腐ったリンゴを樽(たる)の中に戻せば、全部が腐ってしまう」と、名指しで森元総理を痛烈に批判していました。それに森氏は怒り心頭、「河野だけは許せん」となったのです。
 しかし世論は党再生のためにズバズバ直言した河野太郎に拍手喝さい、マスコミの評判も上々でした。ムリもありません、河野が訴えたことは多くの国民が感じていることだったからです。

 ただ旧態依然たる自民党内の力学はそうではなかったのです。当初は森元総理とたもとを分かったはずの中川(女)-中川秀直元幹事長に対する記者用語。ちなみに中川昭一元財務相は、中川(酒)-や、もう少し気骨があると思われた菅義偉は河野支持に回っていましたが、終盤は森に遠慮して手を引く始末。それのみか、普段はテレビの討論番組に出まくって火のような正論を吐いている山本一太、世耕弘成、大村秀章らの若手議員もびびってしまったというのです。まさに恐るべき森元総理の影響力という感じです。暴力団顔負けの締付力、恫喝力を改めて見せつけられた感じです。

 今回の総選挙では、「美女のサメ退治」をキャッチフレーズに小沢一郎から送り込まれた田中絵美子は、大接戦及ばず選挙区で森の当選を許し比例区で復活当選しました。その田中は新人議員として注目度も高く、若い頃の乳房モロ出しのAV出演などが発覚し、話題、問題になっています。
 しかしそんな事は、森元総理の諸々の隠れた悪事に比べたらかわいいものなのではないでしょうか?それに良くも悪しくもAV女優は、とうの昔に国民に広く認知されていて、必ずしも「悪」とは言えないわけだし(強いて言えば「必要悪」?)。イタリアではかつて、チチョリーナという元ポルノ女優が国会議員を務めました(但し出身国はハンガリー)。選挙期間中その事実を公表しなかったという問題は多少あるにせよ、AV出演経験者が国会議員になっていけないということはないと思います。(少し余談でした。)

 森元総理の悪事の中で、特に問題視したいのはやはり例の一件です。これまでの『薬物汚染シリーズ』で何度も取り上げてきましたとおり、押尾学事件に関して森元総理サイドから捜査に圧力があった疑いが極めて濃厚なのです。六本木ヒルズレジデンス一室での、田中香織さん変死事件に森の長男祐喜が直接現場に居合わせたとされる、そのもみ消し疑惑です。
 今のところ確かな証拠があるのかどうか、私ごとき者には分かりません。一部の方からは「証拠もないのに変な情報流すなよ ! 」とお叱りを受けそうですが、ネットなどから日々洩れ伝わってくる情報はとにかくリアルで臨場感のあるものです。「火のない所に煙は立たぬ」で、特定の誰かが森氏を陥れるために作為的に流しているものではないだろうと思われるのです。

 それにしても。史上最低の支持率に喘いでいた元総理が、総理辞任後かくも長きに亘って隠然たる影響力を行使し続けられるとは。「今回は危ない」と言われながら、辛うじて選挙区当選してしまうとは。総裁選では森の思惑どおり、谷垣が河野に圧勝してしまうとは。押尾事件では長男の名前や森元総理自身の圧力など一切表ざたにならないとは…。
 森喜朗はつくづく「悪運が強い」御仁です。しかしこんな人物が無傷のまま影響力を行使し続けられるような政治システムは、(上の悪運の事例は「根っこが皆同じ」なわけで)とにかくいびつで異常です。その意味で、河野太郎の「引退勧告」は至極まっとうな主張だったのです。森元総理の引退はひとり自民党再生に必要であるばかりか、政界全体、ひいては日本再生のためにも是非必要だと考えるきょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

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差別用語・考

 先日あるブログのコメントで、「乞食(こじき)」の思い出話が語られていました。私は興味深く読ませてもらったのですが、しかし考えてみれば乞食という言葉は今日では「差別用語」に当たるものであり使用自粛の方向にあるわけです。
 だったらこの言葉は一切使用してはいけないのでしょうか?さあこうなると大変複雑な問題をはらんでしまいます。今回はこの言葉を契機として、差別用語について少し考えてみたいと思います。

 折角ですから、まずは問題の乞食から始めます。ご存知の方も多いかと思いますが、乞食の元々の意味は仏教用語の「乞食(こつじき)」から来ています。それは比丘(僧侶)が自己の色身(しきしん-肉体)を維持するために食料などを人から乞うことを意味していました。「行乞(ぎょうこつ)」「托鉢(たくはつ)」とも言われ、仏教さらにそれ以前のバラモン教における重要な修行の一つであったのです。

 それが我が国ではいつの間にか、僧侶ではない者が路上などで物乞いをする行為やその当人を呼ぶのが一般的になりました。その転機はずいぶん大昔のことだったろうと思われます。なぜならこの世には「貧富の格差」は古来常に存在していたからです。さまざまな理由から自力で食料などの生活物資の確保がままならず、周りの人々に物乞いして露命をつなぐしか手段のない人たちがいたのです。その人たちを卑しいと見るかどうかは別として、それらの人々はいつの世の最底辺にも存在し続けたのは冷厳な事実です。

 世の種々相を赤裸々に描き抉り取ることを使命の一つとする文学作品でも、乞食は各時代の作品の中でさまざまに取り上げられてきたことでしょう。
 差別用語論議がかまびすしい今日の作家なら、このテーマを描く場合どうするのでしょう?現代ならばホームレスでしょうが、厳密にはそれと乞食とはニュアンスが違います。乞食という言葉は、ある意味立派な文化的伝統を背負ってきた言葉の一つでもあるのです。一時代以上前の時代が背景の作品では、やはり乞食は乞食として表現していく以外に、その時代の雰囲気を正確に伝えることは出来ないのではないでしょうか?

 乞食の例のように、差別用語は特定の属性(例:少数民族、被差別階級、性別、同性愛者、特定疾患の罹患者、職業など)を持つ人々に対する差別を目的として使用されている俗語、蔑称を指す用語とされます。明確な基準があるわけではありませんが、一般的に日常会話においては禁句、また主要メディアにおいては「放送禁止用語」として扱われています。

 差別用語特に放送禁止用語として挙げられている言葉は、実に夥しい数にのぼります。当ブログでこれまで何気なく使ってきた中にも、差別用語・放送禁止用語があるわあるわ。「百姓」「土方」「つんぼさじき」「田舎」「垂れ流す」「狂気」「川向こう」「片手落ち」「芸人」「後進国」「表日本」「裏日本」「身分」「部落」「ヤバイ」…。
 私自身既に使っているから言うわけではありませんが、もしこれらの言葉のすべてを今後一切使用禁止とする、仮に使用した場合は法的に処罰するなどとなったらどうでしょう?私たちの日常会話、文章表現は著しく制限され、言語生活はずいぶん貧しいものになるのではないでしょうか?

 確かに中には、「穢多(えた)」「非人」「廃人」「賎民(せんみん)」など最初から差別を目的として作られた用語もあります。このような言葉は常識的に判断して当然使うべきではありません。その他身体上の障害者に対する「めくら」「つんぼ」「おし」「どもり」「かたわ」なども多分に侮蔑的用語であり、使うのは控えるべきだと思います。(ただ以前の邦訳聖書や文学作品では、これらの言葉も頻繁に使われていたように記憶しています。)

 といっても、「盲人」「盲目」「文盲」もダメというのは、少し行き過ぎなのでは?と思ってしまいます。それらに変わる言葉として、盲人は「目の不自由な人、視覚障害者」、盲目は「分別に欠ける、理性がない」、文盲は「字の読めない人、非識字者」というように置き換えなければならないのです。
 ずいぶん回りくどい表現ではないでしょうか。例えば昔から「恋は盲目」という表現がありますが、これがダメなら「恋は分別に欠ける」?これでは折角の詩的表現が台無しです。

 差別用語あるいは放送禁止用語として無制限に規制の網をかぶせることは、憲法で保障された「表現の自由」を侵害することにもなりかねません。差別用語という言葉の「差別」にもなり、とどのつまりは「言葉狩り」にまで行き着いてしまいます。
 一応は差別用語や放送禁止用語として挙げられている言葉も、時と場合に応じて臨機応変に使用しても良いのではないでしょうか。また差別用語は使っていても、全体としての文脈が必ずしも差別を意味していなければОKということで。時には差別用語を使っていなくても、全体の文意として著しく差別しているということもあり得ます。私はこっちの方がずっと問題だと思います。

 差別用語はもちろん時には大問題となりますが、それより何より当今の極端な格差社会の問題、さらには私たち一人一人の心に潜む「差別意識」の方が遥かに深刻な問題だと考えます。
 というわけで私は自己責任で、使いたい用語は今後とも使っていきます。この問題、皆様はいかがお感じでしょうか?

 (追記) そういうわけで後日、私自身の「乞食さん」の思い出を綴ってみたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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9月26日の上弦の月

   半月も地軸も国も傾ぶけり   (拙句)

 当地では、ここ三日ほどすっきりした秋晴れに恵まれています。シルバーウィークこそ終わったものの、いよいよ本格的な秋の行楽シーズン到来といった感じです。

 さて本日は午後から本厚木に行き、7時過ぎに帰ってきました。帰りは乗る時の一つ手前のバス停で降りて、そこから700mほど歩いて我が家に帰ります。行きのバス停より距離はありますが、何せ普段は運動不足の身、努めて歩かねばと本厚木方面に行った帰りは決まってそのコースで帰るのです。
 そのバス停の表通りの反対側のブックオフ店を右折して何10mかすると、近年整備された遊歩道がその道に直行する形で真っ直ぐ先の方まで通っています。私はいつも左折して北に伸びたその遊歩道を通ります。

 整備される以前そこは草ぼうぼうのただの水路でした。草丈の低い冬や春先などはそこの土手を伝って歩けることは歩けます。しかしそこには入らず、もう少し行くと高層団地群の側道があるのでそこを通っていました。
 その水路を市で何年度計画かで整備されたのが今から数年前です。途中2本の車道があり、したがって水路も2つに別れていますので、それを年度を違えて整備工事したのです。水路は幅員3mほどを暗渠にして隠し、表面は茶褐色の歩きやすい特殊アスファルト歩道に、そして両側にはその歩道に並行する形で花壇も設けられました。

 整備したての頃は何となく、それまでの当たり前の自然の姿が損なわれたような違和感がありました。それに私個人の勝手な考えとして、『どうせだったら花壇じゃなく、一定区間に植樹してほしかったな。そうすれば自然の中を歩く感じがもっと出たのにな』と思いました。しかしそれは土台無理な注文で、市の公園緑地課などとしては剪定(せんてい)や落ち葉のメンテナンスで手間のかかる植栽などもとより計画にないわけです。
 それでなくても手前の一本目の遊歩道は、片方に元々あった数本の桜の大木をそのまま残したために、今の季節はその桜落ち葉が路面に散り敷き始めているくらいだし。

 しかし以来その遊歩道には、地元のボランティアのご婦人たちの手によって、四季折々きれいな花々がいつも植えられ、通る人たちの目を楽しませてくれます。さすがに真冬や真夏は花々は少なくなるとはいえ、何しろ総延長で約250mずっと花壇続きです。その手入れの労たるや大変なものだと心のどこかで思いつつ、さながら「花野の道を行くごとし」。私もいつも花々を見やりながら帰っています。
 
 何のことはない、この遊歩道は2本目の車道の先は何度もお伝えしてきた、例の「水路道」につながるのです。ただし水路道の方は、施工はずっと古く遊歩道仕様でもありません。
 さてこの遊歩道をいつものとおり歩いていた私は、2本目の道で何となく後ろ(南の方向)を振り返ったのです。そうしますと、少し西よりの中空に半月が出ているではありませんか。月を眺めたくなった私は、少し先に設けられているベンチに腰かけました。私が座って面している東側隣接地には公民館があります。当地域の行政的なセンターとしての機能を有し各種選挙の投票所であり、またいつぞやお伝えしました当市の防災無線の「夕焼け小焼けチャイム」も、当地区ではここに設置された無線塔から流されていたのでした。

 半月は雲一つなく澄み渡った夜空に冴え冴えと掛かっています。少しばかり傾いた上弦の月です。地上に目を移せば、ちょうど折りよく公民館施設の際に少しばかりのすすき群が見られます。十幾つほどの穂波が、半月の仄(ほの)明かりに白く照らされています。
 遊歩道には一定間隔で街灯が設置されていて、決して暗い夜道といった感じではありません。しかし裏道には違いなく、この時刻滅多に人は通りません。「月にすすき」の風情の上さらに、花壇の花陰のあちこちから、良夜を寿(ことほ)ぐような心地良いすずろな虫の音も聴かれます。

 冒頭の句は、そんな上弦月の風情をそぐような少しブラックジョークがかった句です。これは本日の月を詠んだものではなく、小泉政治華やかなりし数年前半ばヤケクソで作った句です。鳩山新政権になって、少なくとも今のところはこんな句を詠むこともないようです。
 また本記事のタイトルは、それから帰って真っ先に開いたマイブログに、「9月26日6時の半月」という検索フレーズでアクセスしてこられた人がおり、それをちょいと拝借したものです。

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(19)

 酒井法子が保釈されて謝罪会見を開いた夜のフジテレビ『ニュースJAPAN』で、コメンテーターの箕輪解説委員が印象深いことを述べていました。それはおおむね次のとおりです。
 「覚せい剤など薬物を使用する者は自分で自分の体を蝕んでいく、いわば自業自得なのだから仕方ないだろうというような見方もあります。しかし本当にそれでいいんでしょうか。よく考えていただきたいのです。薬物の売買で吸い上げられた収益は、結局は暴力団の重要な資金源になっていくのです。それは一体いくらくらいになるかといいますと、何と年間4,800億円にもなるんです。それが次の犯罪のために流用されていくわけです。それを考えると、たかが薬物くらいいいだろう思って入手する者は、そういう犯罪に知らず知らずのうちに加担していることになっているのです。このようなことを自覚して、薬物には決して手を出さないでいただきたいのです」。
 今まで漠然としか感じていませんでしたが、改めてはっきり言われて『なるほどなあ』と納得させられます。

 なお余談ながら。私は最近は夜の報道番組といえば、もっぱら『ニュースJAPAN』だけです。これは何も同番組が取分けひいきなのでも、滝クリ(滝川クリステル)がお気に入りだからでもありません。同番組は短時間で、その日の主なニュースをコンパクトに伝えてくれるのでありがたいのです。
 余談の余談ながら。斜め45度の女王・滝クリは、25日(金)で7年間務めた同番組を降板しました。最後の挨拶ではだいぶウルウルしていました。今後はフリーとして活躍の場を広げていくもようです。

 末端まで闇流通されている薬物は、売買によって結局は闇社会に吸い上げられていっている構図です。そういえば押尾学の事件でも、政治家や財界人と共に、西麻布の怪しいクラブ「エーライフ」や押尾の保釈金を都合したパチンコ業界のドンなど、闇社会の影がちらついていました。当然といえば当然のことで、薬物と闇社会はいわば切っても切れない関係にあるわけです。
 ここ数年覚せい剤の押収量は年々増加の一途をたどっています。それだけ、薬物による暴力団への資金流入も増加していっていると見るべきなのかもしれません。

 これまで本シリーズで見てきましたとおり、旧自民党政権下では政官財の癒着構造に加えて、さらに捜査、取り締まり当局や政治家と暴力団、闇社会との癒着もまた見られたのでした。これではとても薬物汚染の実態解明もましてやその根絶も出来はしません。
 しかし今回政権交代が起こり、民主党中心の鳩山連立政権がスタートしました。そこで鳩山新政権の下で「薬物問題」はどのような展開を見せていくのか、少し検証していくことにします。

 本シリーズ(12)で述べましたとおり、民主党のマニフェストに「麻薬、薬物対策」という項目があり、その中で<省庁横断的な薬物取締体制を強化し、薬物の供給源の根絶に取り組む>と述べてあります。私は各党のマニフェストを仔細に検討したわけではありませんが、おそらくマニフェストの中で「薬物対策」をきちんと打ち出しているのは民主党だけなのではないでしょうか。薬物一つ取ってみても、ここまで踏み込んだ主張が出来るのは、同党が闇社会との癒着がないからだと思われます。
 その意味では自公政権よりは大いに、この問題に対する取り組みが期待出来るものと思われます。

 この政策を主導するのが民主党の「麻薬対策プロジェクトチーム(PT)」で、メンバーは既に30人ほどいるそうです。PTの座長は、三井わきお衆議院議員(北海道2区選出)で、同議員は薬剤師の資格も持っているそうです。その三井議員は抱負を次のように述べています。
 「薬物問題は日本の国家存亡の危機というべきレベルまで深刻化しています。関東信越厚生局麻薬取締部は、表面化していない薬物事犯は現実の30倍もあり、約50万人が薬物に手を染めていると言っているんです。これは私の持論ですが、PTの活動は“国家対策”に格上げし、国家戦略局内にチームをつくるべきと考えます」。
 
 将来的には、PTを菅直人国家戦略相直属組織に。そうなれば暴力団をも含めた「薬物業界(?)」に対する宣戦布告モードがより鮮明になることでしょう。民主党全体が本当に薬物問題を「国家存亡の危機」と捉えているのなら、先の話ではなく今すぐにでも是非そういう組織化を進めてもらいたいものです。
 いずれにしても新政権下で三井座長のPTなどがまず真っ先に考えいるのは、やはり一番深刻だと思われる芸能界の薬物汚染の実態解明、そこから密売ルートの洗い出しなどでしょうか。前回は少しおちょくり気味に「現警視庁幹部と元幹部の手打ち式」などと表現しましたが、過日の警視庁と音事協の会合は、そのような新政権の取組みを見越した上での協議だったのかもしれません。

 しかしここまで本シリーズを進めてきた私としては、何より先に迷宮入りしそうな押尾事件の全貌解明を真っ先に進めてもらいたいと思います。三井議員はじめメンバーらも、押尾事件の全容やどの政治家などから圧力がかかって、今の藪の中的状況に到っているのか、私などよりはずっと詳しく掴んでいるはずですから。その気になれば警視庁にハッパをかけることだって出来るのではないでしょうか。
 薬物問題でどれだけ「脱官僚依存」「政治家主導」が発揮されるのか。今後の成り行きが注目されます。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(18)

 押尾学、酒井法子、高相祐一らの一連の薬物騒動のみならず、今薬物汚染は世間一般に広く浸透していると見なければなりません。たまたま3被告は逮捕、起訴処分となったものの、芸能界一つ取ってみても、それ以外にも彼らの人脈から広がる薬物疑惑タレントは数多くいるものとみられています。

 そのため酒井事件報道華やかなりし8月、警察庁の安藤長官が「芸能界の薬物汚染を一掃するように」との異例の通達を出しました。それを受けて今月上旬、警視庁と日本音楽事業者協会(略称「音事協」)が、「薬物乱用根絶のための意見交換会」を開きました。なお音事協は芸能プロ、テレビ局など142社からなる団体です。
 これは警視庁からの申し入れによって開催されたもので、芸能界がまず率先して“ストップ・ザ・ドラッグ”を呼びかけ、「一般の人が薬物に手を出さないよう啓蒙活動にも協力していく」との結論に達したようです。しかしまずもって、芸能界自らが本当に「浄化」出来るものなのでしょうか?

 そもそもタレント志望の男女はアウトローに憧れがちな連中が多く、ともすれば平気で違法行為に走る傾向性を潜在的に持っています。(ただし全員がそうだと言うわけではありません。)そこに所属プロなどの管理が甘いと、すぐに違法ドラッグに手を染めてしまう素地が多分にあるのです。それに同業界ではタレントのみならず、映画やテレビの製作スタッフの中にも薬物汚染が拡がっています。入手ルートはいくらでもあり、こと欠かないのです。
 それに加えて、音事協に入っているエイベックス(押尾の元所属事務所)やジャニーズ事務所など大手芸能プロには、役員として警察庁、警視庁OBが天下りしているケースも見受けられます。(酒井が所属していたサンミュージックは老舗プロながら天下りがおらず、これが今回の事件でつんぼ桟敷に置かれた一因とも思われます。)

 当然に、それら芸能プロに所属するタレントたちがもし仮に薬物に手を染めていたとしても、大物であればあるほど逮捕などを事前にストップさせる力が働いてきたと見るべきなのです。その意味で今回の会合は、芸能界の薬物撲滅は対世間的なポーズで、実は現役警察官僚と同元官僚とが「まあ今後とも穏便に行こうや」という手打ち式だったとも考えられます。
 いずれにしても、「官僚の天下り」がいかに弊害が大きいものであるか、今回の薬物騒動で図らずもその一端が垣間見られた感じがします。

 芸能界以外でも特に押尾事件に関して、これまで何度も述べてきましたように、森元総理の長男祐喜や武部元幹事長の二男毅(?)の同事件への関与が、今や「公然の秘密」として語られています。また問題の六本木ヒルズレジデンスの防犯カメラには、そこに出入りしていた中央官僚や財界人などの姿も映っていると言われています。表には出ていませんが、政治家の姿だってあったかもしれないのです。
 それ以外にも薬物を厳しく取り締まるべき立場の警視庁上層部、さらにはそれを大きな社会問題として取り上げ追求すべきテレビ局関係者等々、「薬物汚染」は底なしの拡がりを見せているようなのです。

 それでは薬物問題は、東京一極集中化による東京だけに見られる現象なのでしょうか?しかし実態はそうではありません。つい先日は札幌弁護士会の副会長を務めている大物弁護士が、自宅への覚せい剤の所持の罪で現行犯逮捕されました。またどこかの県に住む一市井人が、自宅のベランダで大麻を栽培して逮捕などという事件が後を絶ちません。

 そして汚染は、政治家、官僚、財界人、芸能人、力士、アスリートといった特殊社会の人間だけかと言うと、決してそうではありません。近年は東大、早稲田大、慶応大、同志社大など有名国立私立大学の学生が薬物使用などで逮捕され、世間を驚かせました。そして薬物使用はさらに低年齢化し、高校生時には中学生の使用が発覚することもあります。
 次回では、「だから鳩山新政権の薬物問題解決に期待する」というようなことを述べてみたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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ブログ背景変えました

   街にふとコスモスありて安堵かな   (拙句)

本日23日は秋分の日です。また同時に秋彼岸の中日でもあります。「暑さ寒さも彼岸まで」と昔からよく言い習わしています。思えば「暖かさ、暑さ」に向かう起点であった春分点から、ちょうど180度真反対に、きょうの秋分点は位置しているわけです。
 10月中旬頃まで、時にまだ暑い日もあることでしょう。しかしそれでもきょうを境に、確実に「寒い季節」に向かうことになるわけです。春分そして今日の秋分の日。なるほど確かに、共に季節を截然と「分ける日」なのですね。

 そのようなことで、季節を分ける秋分の本日、当ブログの背景も模様替えしてみました。いくらなんでも、これから「winter」では寒々しすぎると。候補は幾つかありましたが、これからの季節的なこと、背景全体のバランスなどを考慮の結果、ご覧のとおりの「紅葉(もみじ)」をしばらく採用することに致しました。まだ紅葉の季節には間があり、少し早いような気もしますが…。
 全山ならぬ全背景、紅葉色で少し記事が見づらい、読みづらいかもしれません。しかし「winter」もそうでしたが、そのうち目になじんでくるのでは、と考えております。それでも読みづらい場合は、言っていただければその時点でまた検討したいと思います。

 本日は日本海に秋雨前線が長々と伸び、そのため日本海側の各県は曇り、雨、所によっては雷雨に見舞われた地方もあったのでしょうか?(と推測なのは、本日のニュースよく見ておりませんので)
 当地(神奈川県県央地区)はおかげ様で、多少雲が多目ながらよく晴れた秋晴れの一日となりました。雲も天高き薄い秋特有のすじ雲が多く、そのさまからもいよいよ深まりゆく秋の気配を感じたことでした。

 (大場光太郎・記)

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清純派・考

 酒井法子が先日保釈され、1ヶ月半にも及ぶ酒井失踪、逮捕という一連の「酒井フィーバー」もやっと一段落したかっこうです。事件が起こる前の酒井法子のイメージは「清純派」というものでした。笑顔が可愛らしく、何となくチャーミングで清潔そうで、彼女はまさに清純派にうってつけと思われていました。
 しかし失踪以後、彼女のそんなイメージは総崩れに崩れてしまいました。連日テレビなどが暴く実像は目を疑うようなものばかりで、それまでの清純なイメージがいかに作り上げられた虚像であったかを思い知らされ、幻滅すると同時に時に暗澹たる気持ちにもさせられました。

 私自身は酒井法子を事件が起きるまではよく知りませんでした。というよりもあまり関心がなかったといっていいくらいです。
 そんな私の家には、彼女に関するある気がかりなものが残っています。それは亡母が使っていた部屋の、亡母専用の和ダンスにあります。そのタンスの上から二段目の引き出しの左隅に酒井法子の写真が貼りつけてあるのです。それは引き出し幅に少し足りないくらいの縦長のものです。よく見ると、あの問題官庁、社会保険庁からの「お知らせ」ステッカーのようです。そこに今から20年以上前の、デビューしたての頃16、7歳くらいの、白いセーラー服姿ののりピーが、天真爛漫な笑顔で、顔の左側に左手を当ててこちらに開いた、ちょっと身をかがめた立ちポーズで大きく写っています。

 今思い返してみますと、ずっと以前からそこに貼ってあったようです。というのも、それを貼ったのは私ではなく、亡母だからです。母が当時のりピーのそんな愛くるしい姿を気に入って、年金受給手続きで訪れた社会保険事務所からもらってきたステッカーを、そこに貼ったのだと思われます。
 以来私も母の部屋に入った折り、何度も目にしてきました。それは彼女の生まれ育った特殊な家庭事情など知る由もない私には、山の手辺りの育ちの良いお嬢さん、まさに清純派そのものに見えました。

 なのに今回の事件です。一連の大騒動によって酒井法子のイメージは地に堕ちてしまいました。『おい、のりピー。あの写真どうしてくれるんだよ』と言いたい気分です。それは多分裏のシールをはがしていったん何かに貼ってしまえば、もう容易にははがせないシロモノでしょう。ムリにはがそうとすれば、亡母の大切な遺品の一つを痛めてしまいかねません。それに亡母にとってのりピーはお気に入りで元気な頃、よく眺めていたのかもしれないし…。
 海外を含めた多くののりピーファンは、ずっと大切にしていた心の中のイメージを今回ズタズタに引き裂かれてしまったことでしょう。そのファンの心中たるや、私の家の写真云々の比ではないことでしょう。

 思えばわが国では特に映画産業を中心に、「清純派の系譜」のようなものがありました。その走りは、戦前から戦後にかけての、今でもその清楚な美しさを絶賛する年配の人が多い田中絹代でしょうか。そして戦後は、小津安二郎監督の作品の多くにヒロインとして登場した「永遠の処女」原節子。私個人としては、小津監督の代表作『東京物語』に原と同じく出演していた香川京子の名前も上げておきたいと思います。
 さらに時代が下って、高度経済成長の始まりの昭和30年代後半の映画『キューポラのある街』で、女子高生役として鮮烈デビューした吉永小百合。

 ここで私の連想はピタッと止まってしまいます。およそ客観的に判断して正統派としての清純派と認められるのは、吉永小百合あたりが最後だったのではないだろうか、そう思われるのです。その後強いて上げれば、私と同世代の酒井和歌子がぎりぎりセーフかな、というくらいで。
 その後なぜ正統清純派がいなくなったかと言いますとー。「清純」には根っこの部分で、「性的な純潔」に結びついている面があるように思われるからです。

 ある説によりますと、そもそも我が国の清純派のルーツは、大正期に活躍した武者小路実篤や有島武郎らの「白樺派」の恋愛小説に登場するヒロイン像にまでさかのぼれるそうです。そこに描かれているヒロインはまさに、清楚で可憐で、しかし人間らしい内面の葛藤を見せることのない女性像です。世の悩み多き男どもは、そんな清純派ヒロインに己のさまざまな想い、もっと言えば「着せ替え人形」的妄想を投影してきたわけです。
 ところで「白樺派」は、明治以来の文明開化によってもたらされたキリスト教文化に、多大な影響を受けていると言われています。そして清純派は、突きつめていけばマドンナ、聖母マリアの「処女懐胎」にまで行き着くわけです。それを反映した白樺派文学のヒロインが、その後娯楽の中心となった映画の中で白樺派作品の映像化、そして今日に到るステレオタイプの清純派が形成されていったと言うのです。

 ところが私などが青春期を送った昭和40年代以降、「フリーセックス」という考え方が欧米からどんどん流入され始めました。特に良くも悪しくも時代の最先端を走っている芸能界において、それは決定的な流れだったことでしょう。その後時代が進むにつれて性の自由化は一段と定着し、芸能界はおろか一般女性にも、「性的純潔」など求める方がヤボという状況です。
 今日では「清純派」などという言葉は、もはや「死語」であるはずなのです。

 なのになぜか芸能界では、酒井法子を持ち出すまでもなく、未だ「清純派女優」というものが流通しています。なぜなのでしょう?それは世の男どもの中には、今なお清純派という「幻想」を追い求める者が多いからだと思います。いわゆる需要と供給のバランスで、その需要に応えようと、今時は特に商魂たくましい芸能プロ、テレビ局、広告代理店の手によって、「清純派もどき」が次々に供給、増産されているわけなのです。

 このような清純派もどきを求める男たちは、どこか現実逃避の傾向のある「幼児性」が見られるとも指摘されています。その意味で今回の酒井法子の一件は、そんな甘ちょろい男どもの目を覚まさせるのには、かっこうの教材であったのかもしれません。
 
 (大場光太郎・記)

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老いない奇跡

 本日9月21日は「敬老の日」です。わが国の国民の祝日のうちの一日です。「国民の祝日に関する法律(祝日法)」では、「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨とすると定められています。
 2002年までは毎年9月15日を敬老の日としていましたが、前年の祝日法改正(「ハッピーマンデー」制度の適用)により、2003年からは9月第3月曜日となりました。これにより今年のように、土曜日の19日を休日とすることにより、23日の秋分の日まで5連休となり(22日は振替休日)、5月の「ゴールデンウィーク」に対して新しく「シルバーウィーク」と呼ばれる年も出てきます。

 敬老の日のそもそもの始まりは、戦後間もない1947年(昭和22年)兵庫県多可郡野間谷村(現多可町八千代区)の村長らが提唱した「としよりの日」が始まりのようです。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期にあたり気候もよい9月中旬の15日を「としよりの日」と定め敬老会を開きました。これが1950年(昭和35年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がったもののようです。
 その後「としより」という表現は良くないということから、1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称、1966年(昭和41年)正式に国民の祝日の「敬老の日」となりました。例えば5月の「母の日」はアメリカにならって導入された記念日ですが、敬老の日は日本独自の祝日であり諸外国には例がありません。  (フリー百科事典『ウィキペディア』「敬老の日」より)

 私も今年4月満60歳を迎えました。意識して気にしないようにはしていますが、「老い」という人類普遍の命題はやはり気になります。ご存知のとおりわが国は世界でも1、2位の長寿大国になっております。それは必然的に高齢化社会に突入していることを意味します。年々出生率が減少しているため、正確には「少子高齢化社会」です。わが国がかつて経験したことのないような、逆ピラミッド型の人口構成になりつつあるわけです。これが、就労人口の減少、福祉、医療費の増大など、現下の難しい社会的問題の一つとなっていて、有効な対応を迫られているわけです。


 私がもう一つ気になったのは、それでは「老人とは何歳からをいうの?」ということでした。『60歳はもう「老人」なのか?まさかそんなことはないだろう』。世の中全般が「こうだ」と物事を規定してしまうと、人はいつしかそれに無意識的に従ってしまう傾向があります。『世の中が老人というんだから、やっぱり年寄り然としていなければならない』というように。私は気になって調べてみました。そうしましたら、あくまで人口動態調査、統計上の数字ながら、
   15歳未満が、幼年人口
   15歳~64歳が、生産年齢人口
   65歳以上が、老年人口
というように大別されるようです。つまり「老人」とは一応65歳以上の方々を言うわけです。私は辛うじて後何年かのモラトリアム(猶予)期間があるわけで、少しほっとした気分です。

 でもそれでは65歳過ぎの方々が、皆々お年寄り然としているかというと、最近の高齢者はとてもお若くてお元気のようです。昨日たまたまテレビニュースを見ていましたが、「日韓交流おまつり」というようなイベントが、東京とソウルで同時開催され、東京の会場で新しくファーストレディになった鳩山幸さんがスピーチしていました。幸さんは66歳、れっきとした「老人」(もっと正確にいえば「前期高齢者」)なわけですが、壇上の幸さんの何と若々しいこと ! 容姿はもちろんながら、そのスピーチが歯切れのよい元気な声でとてもそんなお年には見えませんでした。

 どうも高齢になればなるほど、「若い感じ」「老けた感じ」という個人差がどんどん開いてくるように思われます。その差を現しているのは一体何なのでしょう?気力、精神力などといえば堅苦しくなります。簡単にいえば「生きよう」「生きるぞ」「元気で若々しく生きるぞ」という、「意欲」が強いか弱いかの差ではないのかなと思われます。それと難しいことながら、「自分が一番輝いていた若い時の姿」をいつも心のスクリーンに映し出しているかどうかでしょうか。
 かつてない超高齢社会を迎えつつある今日、何より元気で若々しくあることが、ご本人のためにも社会的要請としても今求められていると思います。

 本記事のタイトルは『老いない奇跡』です。実は本記事はこれをタイトルとする本をじっくりご紹介する予定でした。しかしもう紙面的余裕がありません。そこで取り急ぎー。
 この本は、「老いは必然なのか」という問題提起から始まって、「若返りは可能か」「いつまでも元気で若々しくあるためにはどうすべきか」などを、多角的に述べてあります。1993年アメリカで原書が発売された時は、9ヵ月にわたって全米ベストセラーを記録したそうです。

 誰かの言葉に、「体には栄養を、頭には刺激を、心には感動を」というのがあったように記憶しています。この本はまさに、体に栄養をは別として、「頭に刺激を」「心に感動を」十分与えてくれる本です。「意識」「生命」「若返り」の探求はここまで来たのか、と驚かされます。人類にとって不老不死も間近いんじゃないの、とも思わせられます。特に50歳以上の方には是非お奨めしたい本です。

    チョプラ博士の 老いない「奇跡」
     -「意識パワー」で永遠の若さを生きる
        (沢田博+伊藤和子=共訳)
      講談社刊  定価 1,800円(税別)

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(17)

 17日の酒井法子被告の保釈によって、これでその前日の夫高相祐一被告8月31日の押尾学被告と、今回の薬物事件の主役3人すべてがシャバに戻ってきました。後は各被告とも、それぞれの罪を法廷の場で裁かれていくことになるわけです。
 裁判の過程で3被告の罪状がより明らかにされ、刑が確定し結審ということになるのでしょう。しかしその前に酒井被告が保釈されたことをもって、8月上旬から世間を騒がせ続けてきた一連の薬物事件は急速に終結に向かいそうな雲行きです。

 再三述べてきましたとおり、酒井、高相両被告の事件は、(元はといえば夫婦して覚せい剤を所持、使用していたのが悪いとしても)あくまでも「押尾事件隠し」に利用された可能性が高いと思われます。両被告の関連では、直前の奄美大島に滞在中の使用、また千葉県勝浦市の夫婦の別荘での覚せい剤常用などから、何人かの芸能人の薬物疑惑も浮上しています。しかしこれすらも今後どこまで追求されていくものやら、疑問に思われる展開です。

 これも何度も強調しておりますが、今回の一連の騒動の核心はなんといっても「押尾事件」の方です。警察、検察、司法当局は、押尾学という二流役者を裁くだけのトカゲの尻尾切りで本当に済ませてしまうつもりなのでしょうか?依然国民の多くの間でくすぶり続けている、押尾事件また捜査当局への疑念を今後とも無視し続けていくつもりなのでしょうか?

 と私個人は憤懣やるかたない思いをしておりましたら。最近思わぬ展開になってきたようです。捜査打ち切りが囁かれていた中で、六本木ヒルズ一室で変死した田中香織さんの岐阜県内の遺族のもとに、捜査関係者から「捜査は継続しています。近々詳しい説明が出来るでしょう」という連絡が入ったというのです。
 連絡があったのは、遺族が真相を明らかにするべく押尾学への民事訴訟を検討中の、提訴前だったようです。押尾を契約解除したエイベックスは、「遺族に謝罪に行きたいが、“捜査が終わるまで待ってほしい”と止められている」ということで、どうやら捜査継続は間違いなさそうです。
 同事件の徹底解明を望む世論に押されたのか、あるいは「薬物汚染」に厳しい姿勢で臨もうとしている鳩山新政権の発足に、「このまま終わりにしちゃあ、まずいぞ」と思い直したものなのか。いずれにしても歓迎すべき新展開ではあります。しかし、どれだけ解明が進むのかは依然疑問符がつきます。

 ところで押尾事件に関して、またまた驚くべき新情報が飛び込んできました。田中さん変死事件に関しては、押尾のMADA使用は尿検査から明らかでした。しかしここにきて、問題の一室に関わっていた人物がもう一人いるというのです。
 噂に上っているのは他でもない、森元総理の長男祐喜です。以前は、森祐喜は事件発生当時は別室にいたとされていましたが、実は事件が起こった“やり部屋”にいた。もちろん問題の2307号室は密室であり、現時点での証拠はありません。しかし事情通の間ではかなりの信憑性をもって、そう語られているようです。

 そうなると、田中さん容態急変時問題の部屋にいたのは森祐喜の方で、押尾も一緒だったかあるいは押尾は別室にいた可能性すら出てきます。しかし何せ当事者は超大物政治家のバカ息子、しかも時あたかも天下分け目の総選挙真っ只中。「いやあ困った、どうしよう」と思案投げ首し、森祐喜は別室にいたお友だちの(押尾や)武部某らを呼びに行った。
 当事者同士でおろおろしている間に、遂に田中さんが息を引き取ってしまった。切羽詰った森祐喜は「学ちゃん、頼むよ。一生のお願いだ」とばかりに拝み倒して、押尾に「身代わり」を押し付けた。森と押尾との間で何らかの交換条件が成立して119番通報した時には、田中さん変死から3時間も経過してしまっていた…。(以上は推測)

 これがもし真相だとしたら、捜査当局だって捜査に二の足を踏むだろうし、大マスコミも同事件報道を躊躇するわけです。もちろん表ざたにでもなれば、ただでさえ大敗北しそうな自民党にとっては更なる大打撃、場合によっては党が土台から瓦解しかねません。
 そこで事件の真相を祐喜から知らされた森元総理は、例の西松建設で民主党小沢前代表バッシングの際「自民党に捜査は及ばないだろう」発言をして物議をかもした、麻生内閣の官房副長官で元警察官僚の実力者漆間巌に、事件の揉み消しを依頼した。漆間副長官の密命を受け、子分筋のこれも警察官僚出身議員平沢勝栄が、なりふり構わず警視庁や赤坂警察署に強い圧力をかけまくった…。(以上は推測)

 その結果、事件の核心部には一切触れることなく幕となり、押尾学は保釈されました。森元総理は、民主党の美人候補(この形容は余計か?)田中絵美子の急追を受け際どく選挙区当選、野党転落の自民党で今後なお影響力を行使しようといろいろ画策しています。肝心の森祐喜は、週刊誌でもまったく取り上げられていません。平沢勝栄も涼しい顔でテレビに出て、“正義の言論”を吐きまくっています。押尾事件隠しのための酒井逃亡事件の陰の演出家富永保雄も、事件の一切の終結を確信し今や悠々自適。
 また“やり部屋”の提供主のPJ野口美佳社長も、一時週刊誌などで自身の薬物疑惑を大きく取り上げられたものの、今は名前すら聞かれなくなりました。何でもPJ新商品発売にかこつけて、「従来の倍の広告費を出す」として、テレビや出版業界を黙らせたのだとか。いやはや。

 「巨悪ほどよく眠る」式の、旧自民党的体質を見過ごしていてはいけません。こんな由々しき事態にメスを入れずして、何の「日本再生」か ! 民主党鳩山政権下での、この事件の全容解明も強く望みたいものです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(16)

 酒井法子被告の保釈はさすが関心が高く、特に同17日夕方行われた謝罪会見(都内千代田区内・如水会館)は各方面からさまざまな声が上がっているようです。「やっぱりかわいい」「涙につられてついウルウルしてしまった」という好意的な見方がある一方、「納得がいかない」「セリフを読んでいるだけ」と厳しい意見も目立ちます。中には酒井を離れて、「押尾学も会見を開くべきだ」というごもっともな意見までありました。

 深夜フジテレビの『ニュースジャパン』で酒井被告の謝罪会見の一部始終を見て、私も「女の涙」についほだされてしまいました。それで前回記事はその時感じたままを、ネットニュースを参考にただちにまとめたものです。まる一日経過して冷静に判断してみますと、確かに『少し甘かったかな?』と思わないでもありません。

 そこで今回は酒井被告についての補足をー。
 振り返ってみますと失踪から数日後出頭してからしばらくの酒井被告は、「はっきりとは覚えていません」式のあいまいな供述を繰り返していました。それが途中から一転して罪状も認め始め、「深く反省しています」「皆さんに謝りたい」と態度も急にしおらしくなっていきました。これはどうも保釈や初公判などを見据え、世間や裁判官らの心証を良くしておいた方が賢明だという判断が働いたためのようです。
 いくら初犯でも「逃亡」という悪質性からして実刑は免れないという見方も多く、対して「実刑ではなく執行猶予を」という計算が働いたようなのです。もちろんその段階で助言したのは、例の「みやび法律事務所」所属の、酒井の弁護人の榊枝真一弁護士。その助言などによる方向転換であったわけです。

 保釈の日に向けて酒井被告自身、謝罪会見で語った内容を数日前から繰り返し練習していたそうです。まるで舞台初日に向けたセリフ覚えのように。そうなると当日の会見で語った内容も流した涙も…。上記の「セリフを読んでいるだけ」という批判は案外的を得ているのかもしれません。
 そうなると酒井法子は、存外にしたたかな「女狐タイプ」にも思われてきます。しかしあの会見を見ていた多くの国民が多少なりとも心証を良くしたはずで、その点では酒井側の作戦勝ち、あるいはさすが女優酒井法子の演技勝ちといったところでしょうか。

 保釈から謝罪会見までを取り仕切ったのは、やはりサンミュージックだったようです。既報のとおり、同社は酒井出演のテレビCM中止による数億円規模の損害賠償を請求されていますから、解雇はしたもののおいそれと酒井を見放せない事情があるわけです。酒井自身もサンミュージックも、謝罪会見で世間の心証を良くし、なおかつ裁判で執行猶予を勝ち取り、その先の芸能界復帰という道筋を思い描いているのでしょう。
 酒井の今後については、小向美奈子の場合のようにストリップ業界がてぐすね引いて待っている、ヌード写真集を出版する、あるいは独占手記出版も考えられるなどさまざまな噂が駆け巡っています。

 それらも確かに一時的に大金を得ることは出来ます。しかしトップアイドル→覚せい剤所持・使用罪→際どい仕事という、絵に描いたような転落人生にもなりかねません。聡明そうでしたたかな酒井法子のこと、今後の自分の進路を拘留中どう考えていたのでしょう?案外サンミュージックと再契約して女優復帰、会社と共に、発生した多額の損害賠償金問題の解決の方途を探っていくということになるのかもしれません。実はサンミュージック自体が酒井の復帰を検討しているようです。それは会見に同席した日本ビクターも同じことで、酒井関連CDなどが出荷ストップになっていて、やはり復帰を望んでいるものと思われます。
 
 たとえ芸能界復帰となるにしても、今回の一連の事件・騒動によって、酒井法子は大いに「色つきタレント」になってしまったわけで、従前のようなママドル路線ではもう行けまいし。どうでしょうか、この際思い切って「悪女路線」で再出発してみては?

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(15)

 覚せい剤取締法違反の罪で起訴されていた酒井法子(本名:高相法子-38)が、17日保釈されました。酒井被告は証拠隠滅や逃亡の恐れなしと判断され、14日既に東京地裁から保釈を認められていました。
 しかし酒井被告側は保釈金500万円をすぐには払わず、翌15日半額の250万円を払っただけでした。その間酒井が拘留されている警視庁東京湾岸署前は、保釈して出てくる酒井被告の姿を捉えんものと、連日大勢の報道陣でごったがえしました。

 そして3日後の17日酒井側が残りの250万円を払い、同日保釈されました。午後4時半頃、逮捕から41日ぶりで同署内から姿を現した酒井法子は、黒の上着、黒のズボン姿。クスリを絶って健康的留置所生活を送っていたせいか、顔はふっくらし見るからに元気そうでした。
 元トップアイドル。しかしこのたびは世間を大騒ぎさせた被告人。スポットライトならぬ無数のカメラフラッシュが酒井の姿に容赦なく浴びせられます。しかしそこは極道の父を持つ酒井のこと、それに怯むでもなく気丈にも背筋を伸ばし真っ直ぐ前を向いて歩を進め、一瞬笑みさえ見せました。

 カメラの放列の中署の玄関前にやってきた酒井被告は、立ち止まって2、3秒ほど頭を下げた後、「今まで酒井法子を応援してくださった皆様、本当にこのたびは申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を述べました。目にはうっすらと涙が浮かび、再度数秒ほど深々と頭を下げました。
 ファンとはつくづくありがたいものです。これほど堕ちてしまった酒井をなおも見捨てないぞとばかりに、沿道から「がんばれ ! 」という声援の声と指笛がなったのです。

 酒井被告の保釈が遅れた理由として、押尾学被告のように保釈金がネックになったわけではなく、身元引受人を誰にするかがなかなか決まらなかったからのようです。酒井にはしかるべき人がいなかったようなのです。
 まず第一には夫・高相祐一の両親ですが、高相被告も昨日保釈されており当然両親がその身元引受人だったわけです。しかし法的に両被告の身元引受人を兼ねることは出来ません。例え夫婦ではあっても共に被告人。一緒に住ませて口裏を合わせられては困るのです。
 次に継母ですが、同人はガンの宣告を受け現在入院治療中でこれも不可。するとやっばり「アヤツ」か?本来なら逃亡ほう助罪で逮捕されてしかるべき、「トミナガ」会長の富永保雄です。しかしこれが「逃げの一手」なのです。それはそうでしょう。酒井や高相は「押尾事件隠し」に利用しただけ。その押尾も保釈され、これ以上同事件は広がらないと分かっている今、何を好き好んで手を差し伸べましょうや。

 そこで酒井が最後に頼ったのは、やはり解雇されたサンミュージックだったようです。身元引受人は、酒井事件のせいで社内降格となった相澤秀禎相談役か、相澤正久副社長か。会社としては既に解雇していますから、あくまで個人としてとなります。
 事件後酒井法子は、結局サンミュージックに一切連絡していなかったようです。ただ獄中で改悛したのか、実の父以上の恩人といっていい相澤相談役にはお詫びの手紙は出したようです。結局酒井は相澤親子にすがるしかなかったのです。またサンミュージック側にも、酒井事件によるスポンサーからCM中止などで5億円もの損害賠償問題が発生しているという事情もあり、むげにも断れなかったのでしょう。

 次に酒井被告は、都内千代田区のホテル内に設けられた謝罪会見の場に姿を現しました。サンミュージックの相澤正久副社長、三枝照夫ビクター取締役会長、そして弁護人のみやび法律事務所の榊枝真一弁護士が同席しました。
 酒井は席上「このたびは一社会人として、人として、決して手を出してはいけない薬物というものに自分の弱さに負け、そして今このように世間を騒がし、多くの皆様にご迷惑をおかけしました。これまで私を支え、応援してくださった皆様には、どれほどの残念さと、私の無責任な行動に幻滅なさったことかと。今まで応援してくださった日本や海外のファンの皆様、そして今まで支えてくださったスタッフの皆様、このたびは本当に申し訳ありませんでした」と涙ながらに謝罪の言葉を述べました。

 また時折りハンカチで涙をぬぐいながら、「決して二度とこのようなことで、皆様の信頼を裏切ることはありません。この気持ちを決して忘れることなく、皆様のお気持ちに恩返しをしていきたいと思います。この罪の償いを今後どのようにして償っていくのか、まずは自分の罪を悔い改め、二度とこのような事件に手を染めることのないよう、一生の約束として固く心に誓います」と約束し、約10分間に及ぶ会見を終え、治療入院のため病院に直行しました。

 拘留中酒井被告は「捕まってよかった。そうでないとずっとクスリを止められなかった」と漏らしたそうです。今回酒井被告は心底改悛したのでしょう。会見をニュースで聞きながら、私は不覚にももらい泣きしていまいました。「罪を憎んで人を憎まず」。人は大なり小なり罪を犯します。心底悔いている人間を人は裁くことはできません。
 私は今回酒井法子を初めてしげしげと見ました。さすが若い時から歌手やタレントとして大舞台にも立ち、修羅場もくぐってきただけのことはあります。『意外と聡明だな』と感じました。しかしそんな人間をも薬物やここではとても公開出来ないような倒錯した世界に踏み込ませてしまう、芸能界という魔力の世界。まだまだいるであろう薬物疑惑タレントたち…。

 覚せい剤は常用していると、止めても体が覚えていて、完全に断ち切るのは本当に難しいといいます。いわゆる禁断症状との戦い。それが一生続くことになるようです。酒井被告もこれからそのような「自分との戦い」が続くことでしょう。
 しかし今会見を初心として、真に厚生の道を歩いていってほしいものです。出来れば保釈を目撃した30代主婦が言っていたように、「薬物撲滅のための活動」でもしていってもらいたいものです。

 (大場光太郎・記)

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続・新政権の厳しい船出

 8月30日の歴史的な総選挙から半月あまり、16日ようやく民主、社民、国民新3党による鳩山連立内閣が発足しました。この間、3党間での連立協議や閣僚人事などをめぐって少しもたもたしていた感じで、折角の「政権交代」の感激も冷めかけていました。

 ともかくも17人の閣僚も決まり、鳩山内閣が発足しました。閣僚人事では蓮舫参院議員など華のある女性閣僚を多用するとか、民間人からの登用なども噂されていました。しかしいざフタを開けてみると、テレビなどで既におなじみのメンバーばかり。その意味では地味でやや新鮮味に欠ける印象はいなめません。
 しかし新閣僚の顔ぶれを改めてよく見てみますと、いずれも政策通の実力者ぞろい。オールスターといったメンバー構成で、現時点で考え得る最強の布陣という感じがします。まさに名を捨てて実を取った「仕事師内閣」といったところでしょうか。この布陣からは、鳩山新首相の「政治とこの国の仕組みを根本から変えていくぞ」という強いメッセージが読み取れるようです。

 その姿勢は、鳩山新首相の就任記者会見にも顕著に表れています。
 「総理に選出いただいた瞬間に、日本の歴史が変わるという身震いするような感激と、この国を本当の意味で国民主権の世の中に変えていかなければならない、そのためにの先頭を切って仕事をしていく強い責任もあわせて感じました」と、冒頭こう切り出しました。
 (引用が長くなりますが)続けて「まだ歴史は変わっていない。本当の意味で変わるのはこれからの私たちの仕事いかんだ。今回の選挙の勝利者は国民であり、国民の勝利を本物にしていくために、国民のための政治を作り出していく。そのために脱官僚依存の政治を今こそ世の中に問うて、実践していかなければなりません。」

 鳩山演説はさらにー。そのためには国民も共に政治に参画するという意識が必要であること。何しろ「未知との遭遇」にも等しい経験のない世界に飛び込んでいくのだから、試行錯誤し時に失敗もあるだろう。国民には寛容の心をもって辛抱強く新政権をお支え願いたい、というような内容でした。
 私は従前の官僚の作文の棒読みではない、鳩山首相自身の血の通った肉声で国民に直接話してくれたな、という印象を強くもちました。「政治家は言葉が命」とはよく言われます。しかしこれまで政治家の不誠実な言葉をずいぶん聞かされ続けてきた身には、久しぶり政治家の本心の吐露を聞いたな、という新鮮な感じがします。

 オバマ大統領の就任演説に勝るとも劣らないと思われる、今回の「名演説」にはどこもケチをつけるところはありません。ただ政治家は「言葉」とともに、その放った言葉(つまり政治公約)を着実に実行していく実行力、実現力の方が遥かに重要です。政治家なかんずく首相に求められるものは、ただ一つ「結果責任」。

 鳩山由紀夫はテレビなどを通しても、とにかく「育ちのよさ」が感じられます。それに輪をかけて「友愛」を公然と語り、また時に「宇宙人になりたいと思っているんです。地球人を超えたい」「UFOというものの存在も、頭の中では理解しています」と言ってはばからない御仁。私なら丸ごと受容出来ます。しかし一般国民、特に従来の永田町的政治風土では、どこか頼りなく青臭い政治家との印象が強かったかもしれません。
 しかしここのところの鳩山氏は顔がきりっと引き締まり、眼光鋭く、まさに「闘う男」「闘う政治家」の面目躍如という感じがします。ついつい『この男ならやってくれるんじゃないか』と期待してしまいます。

 それには国家戦略相の菅直人をはじめ、外相の岡田克也、財務相の藤井裕久、国交相の前原誠司、厚労相の長妻昭、行政刷新相の仙石由人、郵政・金融相の亀井静香など、各大臣の個人的力量と共に、鳩山首相の下一致結束して「歴史的大改革」のためのチームプレーも欠かせません。(なお閣僚ではないものの、衆院の外交委員長に決まった新党・大地の鈴木宗男が面白いと思います。おそらく外務官僚には恨み骨髄でしょうから。この際「伏魔殿」の実態を白日に曝してもらいたいものです。)

 とにかく鳩山新首相の下、これだけの強力な布陣でこの「腐り切った日本」が変わらないようなら、もうこの国は本当に「ジ・エンド」だと思います。鳩山首相も言ったように、私たち国民も政権に参画しているんだという意識のもと、寛容さをもって見守り、育て、サポートしていきたいものです。

 (大場光太郎・記)

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「9・11」とは何だったのか(5)

 結論ー私の「9・11観」

 以上に述べてきましたようなことから、私は米国政府が発表し世界中のマスコミがそれをそのまま報道してきた「定説としての9・11テロ」はでっち上げであると考えます。つまり9・11を引き起こしたのは、「アルカイダ(だけ)ではなかった」ということです。

 特にWTCに突入したとされる2機の飛行機は、民間航空機ではなかった可能性が高いと思われます。おそらく米空軍がお得意とする遠隔操作による、ミサイル搭載の自動操縦ジェット機だったのでしょう。ということは、乗っ取られたとされる2機の民間旅客機は、何らかのトリックによって行方不明になったのであり、突入した飛行機にはテロ犯人も乗客も誰一人いなかったと考えられるのです。だから同時テロで死亡したとされるモハメッド・アタら19名は全員今でも生存している可能性があります。事実同事件後数日の9月23日、英米政府とは唯一距離を置いているメディアであるBBC(英国放送協会)が「19名のうち4名は生きている」と報道、その後生存者は11名と報道し直しているのです。19名のうち11名が生きているのなら、あるいは全員そうなのでは?
 
 テロ実行犯とされる彼らは、一応イスラム教徒ではあっても特別過激派でもなく、ましてアルカイダメンバーなどではなかったようです。それにもしWTCに突っ込んだのが本当に大型旅客機だとしても、彼らは小型飛行機の講習をたった半年習っただけ。「大型機を操縦すること自体考えられない。まして特定のターゲットに突入するという高度な技術などとてもムリ」と多くの熟練民間パイロットたちは話しています。

 上記で「アルカイダ(だけ)ではなかった」としたのは、9・11を仕掛けた「謀略グループ」の中には当然アルカイダメンバーも含まれていたと思われるからです。それもとっておきの役者、ウサマ・ビィンラディンらアルカイダ主要メンバーが。彼らはこの事件においては不可欠の役者たちであったのです。
 そもそもウサマ・ビィンラディンの出たビィンラディン家はサウジアラビアの名家の一つであり、同家とブッシュ家とは父ブッシュ以来親交があったのです。多分事件の直接実行機関あるいは米国政府とウサマ・ビィンラディンとは、裏でツーカーの仲だったはずです。ビィンラディンは何しろ世紀の悪役を演じたのです。米軍による掃討作戦を装いながら、身柄は安全に保護され、相当の報酬も手にしたはずです。

 前回引用しましたサイト『911の真相とは?』の中で、イタリアのコシガ元大統領が「9・11はCIAとモサドの犯行」と大手新聞で暴露したと紹介しています。これはおそらく真実でしょう。CIAは言わずと知れた「米国情報機関」、そしてあまり聞きなれない「モサド」は「イスラエル秘密情報機関」。共に諜報機関、国際社会の暗部に切り込むことを専門とする「暗い機関」であることで共通しています。
 しかし「CIAとモサド」は、9・11の直接実行部隊のようなものであり、同事件にはさらに大掛かりな背景があると考えられます。例えばCIAは米国の一国家機関ですから、最終的に時の米国政府、つまりブッシュ政権中枢にまで行き着くのです。

 そこでいろいろ調べますと、ブッシュ政権における同事件の最大の黒幕はチェイニー副大統領であった可能性が高そうです。チェイニーは大手民間企業の役員でもあり、戦後のアフガン、イラクでは同社が莫大な利権を手に入れたと言われていますから。それにラムズフェルド元国防長官ら「ネオコン」メンバー。
 ブッシュはお飾り的なものだったと思われます。かと言ってブッシュが9・11を事前に知っていたことは確実で、世紀の大犯罪の首謀者の一人であったことの責任は免れません。

 ブッシュ政権の背後には、さらにロックフェラーなどのユダヤ系財閥が控えています。特にイラク侵攻は、石油利権などの他に、イスラエル共和国にとっての最大の脅威を取り除くという目的もあったことを忘れてはいけません。なおユダヤ系としてはもう一つロスチャイルドという巨大財閥がありますが、同財閥はどちらかというと民主党寄り、したがって9・11への直接的関与はなかったかもしれません。
 その他FBI、FEMA、NY市(特に当時のジュリアーニ市長)、CNN、ABC、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなど、国家機関、民間企業を問わず、実に多くの各機関が直接的間接的に関与していたはずです。まさにアメリカ合衆国そのものの「国家的大犯罪」との感を深くします。

 最後に9・11の隠れた目的としてー。人類に「圧倒的な恐怖を与えること」という目的があったようです。実は、これこそが真の目的であったのかもしれないのです。以前の『喜びのタネをまこう(2)』記事をお読みの方はお分かりかと思いますが、恐怖、不安、心配、疑念、憎悪などは人間の意識レベルを著しく低下させます。
 あの当時、人類総体として「意識レベルの向上」はめざましいものがあったようです。困るのが、有史以来人類を陰からコントロールしてきた「非物質的存在たち」です。人類のレベルを一定以下に抑えておかないと、自分たちのコントロールが不可能になるからです。そこで「彼ら」の操り人形であるブッシュやチェイニーらを操って、WTC崩壊という「Oh my God ! 」的恐怖の出来事を演出させたわけです。

 それに人類が吐き出す恐怖などのネガティヴ感情は、(信じられないかもしれませんが)「暗黒勢力(非物質的存在)」にとって格好の「食料源」でもあるのです。あの時どれだけ膨大な量のマイナス感情が吐き出され、「彼ら」に供給されたことでしょう。

 米国政府→ユダヤ系財閥→イルミナティ(結社)→奥の院(非物質的存在)
 しかしご安心ください。このような人類支配構造は早晩必ず「崩壊」し、「奥の院たち」も地球を離れていきます。私たちは有史以来初めて、一切のコントロールの呪縛から解き放たれるのです。今は真の平和社会の「夜明け前」です。  ー  完  ー

 (大場光太郎・記)

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「9・11」とは何だったのか(4)

 何といっても「WTC崩壊」は9・11全体を象徴するような出来事でした。果たしてそれは、本当に米国政府発表のように2機の旅客機突入テロによるものだったのか、それとも何か別の要因が働いた結果だったのか。それ次第では、9・11という「アメリカ同時多発テロ事件」の結論が180度変わってきてしまいます。

 ここまでお読みいただいてお分かりかと存じますが、当ブログでは徹頭徹尾「9・11謀略説」という立場を取っております。主要メディアが垂れ流し続け今や全世界的定説になっている、米国政府見解をただなそるだけではつまりませんし、第一ナンセンスですから。
 そこで今回は「WTC崩壊」に的を絞って、「謀略説」を裏付けるような事例をどっさりご紹介してみようと思います。なおそれについては『911の真相とは?』というサイトが、箇条書きで要点をよくまとめています。そこで同サイトなどを参考に致しました。

 まずは(事前の不思議な動き)についてです。

1 9・11の前週、アメリカン航空とユナイテット航空(9・11には両社の旅客機が使用されたとされる)の株取引が、それまでの「12倍」にもはね上がっていた。
2 CIA関連会社が事前にアメリカン航空などの株を空売りしていた。一番儲けたのは、これもユダヤ系財閥であるモルガン・スタンレー。
3 WTCの低階層のビルメンテナンスをしていた者の証言では、事件の何日か前その階の四隅に何かの装置のようなものを取り付けている男たちを目撃した。(ひょとして起爆装置?チェック厳しい同ビルにアルカイダメンバーが事前に侵入するなどは不可能。)
4 事件数日前、WTC内から多数の荷物が運び出されている。
5 ツインビルと共に「謎の崩壊」を遂げた第7ビルを含め、あるオーナーがWTCを7週間前に買い取り、事件前に多額の保険金を掛けていた。

 そしていよいよ、9・11当日の数々の疑惑についてです。

1 元WTC管理人の証言。1機目が北棟に衝突する6秒前に「地下で」爆発音があった。
2 同元保全責任者(ウィリアム・ロドリゲス)の証言。強い衝撃を受けたと思ったら館内放送で「65階がやられた」と告げられ、この爆発で65階から44階が崩れ落ちた。実際に旅客機が突入したのは100階付近である。
3 救助に駆けつけた消防士たちは、ビル解体時のような数回の爆発音をビルの内外で聞いている。その数は22名にも及ぶ。
4 ニューヨーク消防署の主任放火調査官は、事件翌日の12日のテレビインタビューで、内部からの爆発がWTCを崩壊させたと証言した。
5 1機目の航空機は7:45ボストン発のアメリカン航空11便(B767)と言われているが、最初に目撃した女性によると小さなプライベート・ジェットだったと証言している。
6 2機目の航空機がWTCに突入するよりわずかに早く、同じビルの反対側が爆発を起こしている。
7 南棟に突っ込んだのはユナイテッド157便だと言われているが、民間航空機なのに窓がなく他の航空機と入れ替わっていると、米空軍に30年いた軍人や民間航空機のパイロットが証言している。
8 南棟に突入した航空機の胴体下部に不審な物体が取り付けられている。これは「劣化ウラン弾」ではないかとするリポートもある。また突入寸前をスローモーションで見ると謎の閃光が見られるが、ミサイルが打ち込まれたのではないかという説もある。
9 近くの大学の地震計が、それぞれのビルの崩壊の8秒から10秒前に揺れを観測している。そして本来なら残骸が地面に落下した瞬間に最大値を記録するはずなのに、倒壊が始まる瞬間に記録された衝撃の方が、倒壊した時のものより20倍以上大きかった。
10 鉄が溶解するには1600℃が必要だが、ジェット燃料ではせいぜい800℃にしかならない。過去に鉄骨高層ビルが火災で崩壊したことはない。
11 WTCビル崩壊の時、一瞬早くビルの真ん中で爆発が起きている。
12 ツインタワーとは数ブロック離れている47階のWTC第7ビルが、航空機が突っ込んでもいないのに8時間後になぜか崩壊した。周辺で崩壊したのはこのビルだけである。このビルから飛行機をリモートコントロールしていた疑いがある。実際23階にはジュリアーニNY市長(当時)の「緊急事態指令センター」があった。このビルのあまりにも不可解な崩壊については公式発表で無視され、マスコミも報道しようとしない。
13 崩壊した3つのビルはいずれも、通常のビル解体時に見られるような現象を示している。まっすぐ下に自由落下しており、そのようすから多くの解体業者が「ビル解体とまったく同じだ」と述べている。

 以上列記しました事例をお読みになり、どうお思いになりましたでしょうか?私は「ねっ。だから絶対“謀略説”でしょ」などと強要するつもりはありません。本シリーズ次回はいよいよ結論としたいと思いますが、それも含めまして、ご判断はお一人お一人に委ねたいと思います。  (以下次回につづく)

 (注記) 参考にしました、『911の真相は?』のアドレスは下記のとおりです。
        http://rose.eek.jp/911/

 (大場光太郎・記) 

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「9・11」とは何だったのか(3)

 「9・11」が起こった2001年の12月、東京都内の小さなグループが隔月で出している、『森のたより』という10ページ強の会報が私のもとに届きました。同会報は通常は時事的なことは扱っていませんでしたが、その時に限って会の代表の文章の中で9・11に触れていました。
 それは米国在住の米国通の邦人ジャーナリストのリポートを紹介したものでした。それによりますと、旅客機に突入され崩壊したWTCにはユダヤ系財閥のロックフェラー系企業も入っており、同社社員だけでも相当の数が同ビルで勤務していたわけです。しかし同社社員に対して、「9月11日は出社せず自宅待機しているように」という通知文が事前に届けられていたというのです。

 これは驚くべき情報です。もしこれが本当なら、犯行グループとされるアルカイダしか知りえないはずの「テロ決行日」を、ロックフェラー系企業幹部が事前にキャッチしていたことになるからです。ロックフェラーといえば時々の米国政府を裏からコントロールしている「陰の政府」的存在で、本当は民主党のゴア候補に負けていた共和党のブッシュに「戦争を起こすこと」を約束させて大統領の座に就かせたとも言われているし…。
 ということは、ブッシュ政権そのものが、当日何が起きるのかを事前に知っていたのではあるまいか?

 ともあれユダヤ系企業ですから、同社に占めるユダヤ人の数も多かったものと推測されます。しかしWTC崩壊による犠牲者数2,752名のうちユダヤ人の死者数はわずかに3名だけです。ちなみに日本人の死者数が24名ですから、その少なさは際立っており、同情報が事実であることを裏づけているのではないでしょうか?

 私は9・11以前から、表の米国史では決して語られることのない、建国以来の「裏面史」を多少知っていましたので、当初から米国政府による公式発表にはどうにも腑に落ちないものを感じていました。同事件以後のブッシュ人気の沸騰ぶり、手際よすぎるアフガン侵攻など、まるで米国に、ブッシュ政権に有利な方向に事が運びすぎている…。
 『なるほど、こういうことだったのか ! 』。私はその会報によって、同事件の真相に迫る大きな手がかりを得た感じがしました。

 その後年が明けて事件が一段落し、世情がようやく落ち着きを取り戻した頃から、書店には9・11の真相を暴いた内容の書籍も出るようになりました。私がパソコンを備えインターネットに接続したのは‘03年頃からでしたが、グーグルで「9・11の真相」などで検索してみますと、関連情報があるわあるわ。
 インターネットもご多分に漏れず、元はと言えば米国の軍事利用の一環として開発が始められたものです。しかしそれは当初の軍事利用目的など遥かに飛び越えて、パソコンの普及と共に世界中をあっという間にネットワーク化し、世界各地の各家庭にまでネット情報がダイレクトに届くことになりました。
 さすがに米国政府も「陰の政府」も、世界中の主要メディアはコントロール出来てもインターネットはもはや規制し切れない状況になっていったのです。

 もちろん中には米国政府発表の筋書きをなぞっただけのサイトもありました。しかしそれに異を唱えるサイトの方が圧倒的に多いことにはびっくりさせられました。米本国はもとより先進諸国の学者、科学者、ジャーナリスト、研究家などからも、「米政府の発表はおかしい」という異論が事件発生当初から上がっていたようなのです。
 例えばー。当初から「旅客機が突入したくらいでWTCがあんなに簡単に崩落するはずがない」と、強く主張していた人がいます。他でもない、わが国の日本鋼管(当時呼称)に所属していた人です。わが国の優秀な鉄鋼技術を見込まれて、1966年の同ビル建造に当たっては同社製の鉄骨部材が使用されたのです。

 実は、高層ビルへの飛行機突入は過去に前例があったのです。1945年7月28日あのエンパイアーステート・ビルの79階にB25爆撃機が衝突し火災が発生、14名の死者が出たという出来事です。当日はニューヨーク全市に濃霧がたちこめ、そのため方向を誤ったがための事故と見られています。
 そういうことが既に教訓としてあり、WTCという超高層(両棟とも110階、最長高411m)の鉄骨部材は、たとえどんな大型機が突入しても崩落しないような強度を持つ部材として設計、製造したもの。だから当時主任の立場だったその人は技術者としてのプライドと同社のブランドに賭けて、「絶対あり得ない」と断言したのです。
 しかしこのような異論、反論が起きても、広く知られることはありませんでした。世界中の主要メディアが無視、封殺して、そのような「不都合な真実」は決して取り上げないからなのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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二木紘三のうた物語(6)

 今回のこの記事をお読みの方は、『二木紘三のうた物語』というサイトをご存知の方も多いことと思われます。あるいは「ご存知」などというレベルを通り越して、「『うた物語』なしでは夜も日も明けぬ」くらい病みつきの方もおられることでしょう。

 さて私は昨年末の(5)記事で述べましたように、『うた物語』コメントから完全に撤退するつもりでした。そして事実4、5ヶ月はほとんどコメントしませんでした。しかし同サイトそしてコメントの行方はやはり気になるのです。
 かといってコメントする立場から離れてしまうと、以前ほど他人様のコメントは注意して読まなくなるものです。特に毎日のようにコメントを繰り返す人のものは、『またアンタかい。いい加減ウザッタイんだよ』と嫌気がさして、ハナから読む気にもなりません。けっこうなご年配の人が、よくもまあ臆面もなく「愚にもつかない」コメントを毎日2つも3つも出来るものです。よほどの「おひまびと」なのでしょうが、その常人離れした神経にはただただ驚くばかりです。(しかし振り返ってみますと、私自身も多少そういう傾向があったわけで大いに反省すべきところです。)

 しかしポイントとなるコメントには目を通していたつもりです。そんな折りの5月上旬、以前私がコメントしたものについて感想を述べられた方がおられました。それは同サイトコメントの「カラオケ大会化」を憂いておられるようで、私に『何とか元に戻してもらえまいか?』というSOSのシグナルのように感じられました。
 私は『多くの方もそうお感じなのでは?』と早合点してしまい、以後今度は「Lemuria(レムリア)」というハンドルネームで定期的にコメントし今日に到ったような次第です。

 その間4ヶ月余ほど。率直に申しますと、昨年末の時点で感じました時より今回はさらに「手応え」が感じられませんでした。初代の人そしてそれを受け継いだ2代目による、短コメント連発式の「カラオケ大会方式」がすっかり定着し、私のような堅いコメントは敬遠されがちになっていたようなのです。
 私は自身がコメントを始めた頃から比べてすっかりさま変わりしてしまったなあ、という違和感を感じるばかりです。しかしそれでご満足の方もけっこう多いようなのです。

 「カラオケ大会」とは、もっとあけすけに申せば、「お年寄りカラオケ大会」ということです。そうなのです。私が今回特に感じたのは、うた物語はしょせん「お年寄りブログ」なんだなということなのです。
 それらの方々は年齢的にも仕事をリタイアされ、年金や貯金でこの不景気にもさほどお困りではない。そして一日一日をどう過ごそうかと思うほど、余暇がたっぷりある。そういう方々が多いわけです。そこでまずは近くのカラオケやパチンコで暇つぶし。いやそんなカネのかかるめんどくさいことも省略して、パソコンの前に日がな一日座って『うた物語』サイトとにらめっこ。都合のよいことに同サイトには、昔懐かしい「懐メロ」がどっさり収録してあるし…。

 そういうことは、ご同好の方々のコメントからも十分うかがえます。ほぼすべての方のコメントが「過去」と「現在」についてのもの、将来展望や将来ビジョンを述べたものは滅多にありません。もっとも同サイトコメントの趣旨の一つが「歌にまつわる思い出など」ですから、致し方ない面もあることはありますが。

   大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大
   そして威力の霊感を受ける限り、
   人の若さは失われない。   (サミュエル・ウルマン『青春』より)

 私が「お年寄り」という時、何も肉体年齢のことだけを申しているのではありません。「心の中の実年齢」を指して言っています。現に齢80歳を過ぎても、十分若々しい「青年」のような方もおられるわけですから。(逆もまたあります。)
 現役時代からしみついた本音隠して建前だけで。一人が何かの歌にコメントすると右ならえで続けてぞろぞろと…。この国の国民性の一端を垣間見る思いです。そういう事なかれ主義が「お年寄り」の「カラオケ方式」の一例だと思うのです。そこには革新性も若々しさもまったく感じられません。ましてインスピレーションを得ることなどまず期待できません。
 
 「お年寄り状態」を何より厭(いと)う「反逆児」たる私は、今回も多少「ショック療法」のつもりで、少し踏み込んだコメントも幾つかさせていただきました。しかしそれは当ブログでこれまで述べてきた内容を、落とし薄めたものです。それでも「お年寄り」にはダメなんですねぇ。「精神的その日暮らし」が脅かされそうで、断固受け入れたくないしとにかく目障りなわけです。なんだかんだ言っても、今のぬるま湯が一番。この安穏な現状がいつまでも続くと幻想しているのです。だから本当の意味での変化(チェンジ)など、まるで望んでおられないのです。
 一体これらの方々は、(何度も繰り返しますが)史上かつてない重要な「今この時」を、ただパソコンの前に座して死を待つおつもりなのでしょうか?

  私はそんな方々によって、『うた物語』コメントから永久追放されることになるのでしょう。そして大変申し訳ない物言いながら、私もそんなご同好の方々にはとことん嫌気がさしつつあります。

 (大場光太郎・記)

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「9・11」とは何だったのか(2)

 イラクのフセイン政権はテロ組織アルカイダとつながっている、大量破壊兵器を所有している疑いがあるという名目のもと、やっとこさこじつけた国連第1441条決議あたりを錦の御旗として、アメリカはイギリス、オーストラリアなど多くの同盟国に呼びかけて連合軍を組織し、2004年3月19日イラク侵攻を開始しました。(小泉政権下のわが国もサマワに自衛隊を派遣)。ここでも彼我の戦力の差は歴然で、同年5月には首都バグダットを陥落し、フセイン政権の崩壊に成功しました。
 その後逃亡していたフセイン大統領も見つけ出し逮捕、米国傀儡の新政権を樹立するなど、ここまではブッシュ政権の思惑通りに事が進みました。

 しかしその頃からシナリオが少しずつ狂い始めていきました。大義名分だった大量破壊兵器はいくら捜しても発見出来ず、終いには「もともと存在しなかった」と認めざるを得ず、またアルカイダとのつながりを示す根拠も見つからなかったのです。
 また厄介なことに、イラク正規軍との戦闘には勝利したものの、同軍は地下に潜ってゲリラ化し、他国からテロ組織メンバーも続々入国、民衆の一部も武装化して各地で自爆テロなどが頻発するようになり、イラク国内の治安は悪化の一途をたどりました。
 さらには米軍自体にも、強制収容所におけるイラク人捕虜への虐待が明るみに出て、国際社会の非難を浴びることとなりました。同盟諸国でも同戦争を疑問視する世論が上がり始め、イラクから軍を撤退する国が相次ぎました。

 ここでイラク戦争における「情報操作」の一例をご紹介したいと思います。
 イラク戦争では、「エンベディト・ジャーナリスト」という新しい種類の記者が誕生しました。これは米軍と生活を共にしながら一緒に行動し、戦場にも出かけてそこからリポートするという記者のことを指します。読者や視聴者は、生の情報だからこの新タイプの記者の記事は絶対間違いないと思い込まされたわけです。しかし実際は、軍隊と一緒に行動している記者の動向を軍の司令部は一部始終把握しており、不都合なところは一切取材させなかったのです。
 翻って、米軍と行動を共にしないフリージャーナリストも大勢いました。彼らはどうなったのでしょう。多くのフリーの記者は米軍によって撃ち殺されたのです。それを米軍は、イラクの武装勢力の攻撃による不慮の死として発表しました。彼らはなぜ殺されたのか、理由は明白です。都合の悪い報道をされたくなかったからです。

 もう一つ。同戦争では、当時19歳の可愛らしい女性兵士が奇跡的に救出されたとして、そのようすがマスコミで報道され、彼女は一躍アメリカ中のスーパーヒロインに祭り上げられた出来事がありました。彼女はイラク兵に撃たれて、歩行も出来ないほどボロボロになっていたところを、間一髪米軍に救出されたという感動的ストーリーでした。
 しかし真相は、彼女は一発も撃たれていなかったのです。その怪我は交通事故による大たい骨骨折などだったのです。それを国民向けの美談に仕立て上げたかった米軍は、事故で負傷した彼女がいる病院を徹底的に攻撃する場面を演出、実行しました。だがその病院には敵、つまりイラク兵は一人もいなかったのです。だから彼女を治療していたイラク人医師たちは、突然の米軍の闖入(ちんにゅう)に唖然呆然…。
 なおこの演出を手伝ったのは、『ブラックホーク・ダウン』という戦争映画を撮ったことのあるリドリー・スコットという映画監督だそうです。

 だいぶ「9・11」から逸れて、同事件後イラク戦争までを見てきました。これは他でもありません。9・11以降のブッシュ米国政府のやってきたことが、いかに欺瞞に満ちたものだったかを確認したかったからです。しかし考えて見ますと、一時期全世界が「アメリカ一極支配」状態になったそもそもの原点は、やはり9・11です。
 次回はまた9・11に戻って、同事件における「欺瞞」や「謎」を少し探ってみたいと思います。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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「9・11」とは何だったのか(1)

 9月11日は、「9・11テロ」(アメリカ同時多発テロ事件)が起こった日です。起きたのは2001年でしたから、早いものであれから満8年が経ったわけです。衝撃的な事件であっても、これだけの年月が経過しますと少しずつ事件の記憶も薄められつつあるようです。
 そこで本シリーズでは、今この時点で改めて「9・11とは何だったのか」ということについて考えてみたいと思います。あれだけの世紀的大事件です。本来は私ごとき者が扱える「素材」ではありません。しかし無謀にも敢えて試みようと思います。足らざる点また独断的解釈の段、予めご容赦くださいますようお願い申し上げます。

 同事件は発生とほぼ同時くらいに、CNNなどのメディアを通して、全米中はおろか全世界にその衝撃的な映像が流され続けました。
 私たちはそのようにしてニューヨーク市のWTC(世界貿易センター)のツインタワーの北棟への大型旅客機突入後のようす、続いて南棟への2機目の突入のようす、そしてとどめは両棟が続けざまに丸ごと崩落、崩壊していく衝撃的なようすをリアルタイムで見守ったわけです。それは例えとして不適切かも分かりませんが、まるで『タワーリングインフェルノ』や『ダイハード』といった大カタストロフィー(大破局)タイプのハリウッド映画さながらの“劇場型事件”でもありました。

 事件後しばらくは同事件のことが、イヤというほど連日集中的に報道されました。ですからWTCやペンタゴン(米国国防総省)に突入した、同多発テロ事件のおおよその全貌はどなたもご存知のことと思います。しかし私たちが9・11について知っていることのすべては、米国政府の公式発表、あるいはその大きな規制の下で流された世界中の主要メディアを通してのものです。
 米国政府は「待ってました ! 」とばかりに事件後いち早く、同事件はイスラム過激派「アルカイダ」の犯行と断定しました。WTCに自分が操縦する旅客機もろ共突っ込み自爆した(と言われる)、モハメット・アタ容疑者ら10数名による犯行だったといち早く断定したのです。

 一体何が起こったのか訳が分からない、アメリカの一般国民そして全世界の人々は、当初からメディアが流し続ける米国政府による「プロパガンダ放送」を真に受けました。
 同年1月に就任後、民主党のゴア候補と争った大統領選での不正疑惑などもあり、支持率が30%台という不人気に喘いでいたジョージ・ブッシュでした。しかし事件後は、「テロに屈することなく国民一丸となってこの試練を乗り切ろう」式の訴えをしたことにより、米国民の間にかつてないほどの愛国心、ナショナリズムが醸成され、ブッシュは一躍救国的大統領として何と支持率80%台にまで急上昇したのです。

 そしてご丁寧にも、ブッシュ政権に取って何とも好都合な頃合を見計らって、アルカイダの首魁であるウサマ・ビンラディン容疑者の犯行声明ビデオあるいは同予告ビデオが出てくるはで…。
 「世界が変わった日」である9・11はまた「世界が騙された日」でもある(と私は考えおります)とおり、世界中が丸ごとすっかりその気にさせられてしまいました。
 こうして世界中から「対テロ戦争」という大義名分を得、なおかつ国連決議という天下のお墨付きも得た米国政府は、テロから一ヶ月ほどという短期間で、(実は前のクリントン政権時代から共和党が密かに計画を練り上げていた)アフガニスタン侵攻を開始したのでした。

 「不朽の自由作戦」という、米国民にとっては涙が止まらなかったであろう美しいスローガンの下、アフガン侵攻は断行され、ここが「軍需産業製造の最新兵器の10年分の使い時」とばかりに、クラスター爆弾やバンカーバスターやら何やらアフガンの大地や住宅地に雨あられ。元々米国の比ではないタリバン勢力はあっという間に蹴散らされました。元凶のアルカイダもパキスタン国境の森林地帯に追い詰め、しかしなぜか首魁のビンラディン一味だけはどうしても捕まらない…。
 こうしてまんまと、アタガン領土の実質的統治権と天然資源利権を手に入れることに成功したブッシュ政権は、次に父ブッシュ以来の念願であるイラク侵攻に照準を定めたのでした。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(14)

 8月31日夜押尾学被告が釈放されてから、一週間以上が経ちました。身元引受人である実父の多摩市内の某マンションで、しおらしく亡くなった田中香織さんの供養をしているのかと思いきや。5日土曜日銀座のゲイバー「G」に、押尾と思しき人物がパチンコ店経営のY氏(保釈金を出したのとは別人)らと入っていったそうです。何でも同店は座っただけで5万円というような超高い店とか。押尾らはここのVIPルームで、明け方までドンチャン騒ぎをしていたというのです。
 派手に「出所祝い」を、と言ったところでしょうか。押尾自身といい怪しげな取り巻きといい、何とも懲りない面々です。

 ところで押尾被告のMDMA使用という軽微な罪だけを裁く、麻薬取締法違反事件の初公判が10月23日に決まりました。その頃合を見計らったように警視庁麻布警察署は、六本木ヒルズレジデンスで変死体で発見された田中さんについての捜査を打ち切る決定をしました。これで、押尾に対する「保護責任者遺棄致死容疑」での再逮捕の可能性は完全に消えたわけです。
 『やっぱり麻布署はグルだったんだな』。この事件に関心を持つ多くの国民は、きっとそう思ったに違いありません。

 とにかくこの事件について所轄の赤坂警察署は当初から「事件性なし」として、ロクに捜査も行ってきませんでした。押尾は逮捕後の取調べの過程で、事件の核心に迫るようなことを供述していた可能性があります。それらも含めて麻布署は事件の真相をすべて隠蔽し、終わりにしてしまったのです。
 警視庁特に赤坂署のやり口を見ていると、警察官僚上がりの自民党議員、同党大物議員、一部財界人のみならず闇社会などとのズブズブの関係を、自らが世間にさらけ出したかっこうです。
 この決定に対して到底納得できない田中さんの遺族は、民事訴訟の訴えを起こして徹底的に押尾被告側と対決していく姿勢のようです。遺族感情としては当然ですが、その過程でこの事件の真相にどこまで迫れるのでしょうか?大いに期待したいところですが、「関係者」と「取締り当局」がズブズブである以上、甚だ望み薄と言わざるをえません。

 その後事件当日の新情報が洩れ伝わってきています。押尾は六本木ヒルズレジデンス(B棟2307号)に生前の田中さんを一人残したまま、野口美佳借主の別の部屋に向かったようです。そこには「友だち」の森元総理の長男や別の大物政治家の息子らがいたというのです。その部屋でしばらく「ヤク」に耽りすっかり出来上がった頃合、押尾はセックス目的で田中さんが待つ問題の部屋に戻ったようです。
 その時田中さんは既にMADA1錠を飲んでいたのでしょう。当初押尾は「死人に口なし」で、「田中さんから進められて飲んだ」と供述していましたが、事実は逆で押尾から田中さんに渡したのだと思われます。というのも、押尾は直前渡米履歴がありそうだからです。MDMAは米国から持ち込んだ可能性があるのです。米国の合成麻薬は粗悪品も多く、田中さんはそのせいで、押尾と飲んだ2錠目で容態が急変し死に到った可能性があります。

 森元総理の長男・祐喜は、今やこの事件の「陰の常連」といった感じですが、今回新たに分かったことには、別室にいたもう一人の大物政治家の息子とは、武部元幹事長の息子である可能性があります。
 武部元幹事長は、今回の選挙で北海道何区かの選挙区では破れながら比例でやっとこさ当選を果たし、ゾンビのように永田町に舞い戻ってきたくちです。小泉元総理時代自らを「偉大なるイエスマン」と公言したことはあまりにも有名です。また郵政選挙時、造反議員の亀井静香の刺客候補だったホリエモン(堀江貴文)の応援では、「堀江さんは、我が息子です」とも絶叫していました。実は武部氏は、ご立派な「実の子息」をお持ちだったわけです。

 元幹事長の息子の武部某は、ヒルズ族御用達の服の仕立て屋として、かつてはホリエモンのシャツの仕立てもしていたといいます。もちろんPJの野口社長とも、例の「やり部屋」の一室をフリーパスで使わせてもらえるほどツーカーだったわけです。
 この大物政治家2人の愚息は共に、これももう一つの「魔窟」で、「疑惑タレント」たちも大勢出入りしている東京西麻布のクラブ「alife(エーライフ)」の常連で、以前から押尾とは大の友だちだったようです。押尾は取り調べの過程で、この2人に関する何らかの証言をした可能性があり、そのため先月末頃「2人が逮捕される」という情報も流れたようです。選挙で四苦八苦中の武部元幹事長は、地元での選挙活動をキャンセルして急ぎ上京したなどともいわれています。
 以上、「魔界都市東京」のほんのさわりをお伝え致しました。

 (大場光太郎・記)

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夢の話(2)

 昨年7月以来の「夢の話」です。私はほぼ毎晩といってよいほど夢を見ています。夢見の最中(いわゆる「レム睡眠」中)は夢を見ていることが分かっているのです。しかし目が覚めてみるともういけません。せっかく見た貴重な夢は脈絡を失い、急速に忘却の彼方に消えていってしまい、わずかに夢の断片が残っているのみ。
 見る夢は日常生活の延長のような雑夢も確かにあります。いやその方が多いかもしれません。しかし時として『えっ。オレってけっこう凄いじゃん ! 』と思われるような奇想天外な冒険譚の夢もまたあるのです。そんな貴重な夢に限って、目覚めとともに忘却の彼方とは…。本当に宝石が粉々に砕け散ってしまったような愛惜を感じることがままあります。

 これは、記銘ー保持ー想起という三つの記憶機能のいずれかが衰えてきていることの表れだろうか。それとも最近は夢にさほど関心をはらっていないからなのだろうか。そういえば40代前半のある時期、夢に関心を持ったことがあります。その頃はとにかく忘れまいと、目覚めに何度も見た夢を反芻し、なるべく早い段階で「夢ノート」に記録したりしていました。
 これは意外と時間がかかり面倒でそのうち止めてしまいましたが、夢に関心を持っていた頃は、そんな私のリクエストに応えるようにずいぶん鮮明な夢も見たものです。しかし関心が薄れていくとともに、夢は次第にぼけたものになっていきました。
                          *
 今回久しぶりで「夢の話」を持ち出したのは他でもない、5日の明け方とっておきの夢を見たからなのです。といっても、例によって夢の一部始終を覚えているわけではなく、夢の最後のシーンだけです。それはー。

 …長い夢の末に、私はとあるビルを上階に昇って、多分4、5階のある一室に入って行きました。その部屋には私の他にもう一人、私より若い男がいたようです。部屋の窓は、上から下まで一面の総ガラス窓です。私は窓辺に寄って外のようすをうかがいます。夕方のようです。なぜか周りにビルなどの建物はなく、一面少しグレーがかった空の色です。(私は「カラーの夢」はめったに見ないのです。)
 すると窓外の左下の方に、何やらプカプカ浮いている小さな黒い物体が認められます。『何だろう?』とよく見ると、何と円盤型のUFOなのです。それはオードブル用の大皿に丸くいっぱい盛り付けしたくらいの大きさでした。上と下に2機見えています。
 その夢とともに目が覚めたのでした。

 私は夢の中でさほど驚きもしていなかったようです。しかしUFOは実物はもちろん、今まで夢の中でも見たことはありません。さすがに「UFOの初夢」が気になって、後でそれが意味するものを調べてみました。当たったのは我が家に3冊ほどあったはずの夢関連の本の1冊です。(他の本は見つからず)その本の夢解釈の「UFOの項」を抜粋してみますと概略ー
 「 UFOには超常世界からの使者としての意味があり、不思議を体験することで現実を乗り越えようという心理が強く働いている。人智を越えた存在という点では、神の代役をなすものと考えてもよい。宇宙船には、良くも悪しくも飛躍という意味がある。」
というように述べられています。
 UFOの夢はまた「霊夢」の可能性が高く、夢見後も気になって仕方がない夢もまた霊夢である可能性があるようです。この夢に関して私自身まだ十分な夢解釈が出来ていません。
                         *
 UFOの夢のついでとしてー。時おりしも、今度新しくわが国のファーストレディとなる(鳩山由紀夫の奥方の)鳩山幸(はとやま・みゆき-66)の、「UFOに乗って金星に行ったことがある」という話などが、最近海外のメディアに大きく取り上げられたようです。鳩山由紀夫もかつて、政治家に似つかわしくない言動から「宇宙人」と呼ばれました。幸婦人は更に輪をかけた宇宙人だったわけです。
 しかしこのぶっ飛びそうな発言を、海外メディアからは意外にも「変革の象徴」などと好意的に受け止められているようです。これは、今やUFOは世界的なコンセンサスとなりつつあることの証明と思われ、私個人としては大変喜ばしいことと考えます。

 幸さんのこの話は少し補足が必要です。出どころは幸さんが昨年出版した『私が出あった世にも不思議な出来事』(共著)です(売り切れで入手出来ず)。その中で「眠っている間、私の魂が三角形のUFOに乗り、金星に行った。とても美しく、緑でいっぱいだった」という趣旨の内容を紹介したものだったようです。
 当ブログでも今年6月の『UFO記念日(2)』記事で、横尾忠則らの同様の出来事を紹介しました。「私の魂が」というのは正確には「私のアストラル体が」とするべきで、同記事で触れました「アストラルトリップ(幽体離脱)」を指すものと思われます。

 現在の天文学で解明されている金星は、2、300℃の灼熱で高温ガスに覆われた惑星で、とても生命体が住める環境ではないという結論です。しかし実は、それが「3次元天文学」の浅はかなところなのです。
 幸さんたちに共通しているのは「アストラル体で行った」ということです。つまり金星の真の姿は、肉体よりも高次元の精妙体で行かないと分からない、見えない世界なのです。(そういう体は、時間空間をいとも簡単に超えられるのです。)
 ちなみに金星を初めとする太陽系の諸惑星は、地球以外は既に「アセンション(次元上昇)」を終えているようです。そして近未来我が地球もアセンションして、ようやく他惑星の仲間入り(「銀河市民」の仲間入り)が出来る予定です。3次元から(4次元を一気に飛び越えて)5次元へ、惑星丸ごとの上昇です。

 幸さんの話の真偽のほどは確かめようもありません。もし本当の体験だったのなら凄いことです。私のような凡人は『羨ましい』と思いつつ、せめてこの次は『すっきりした青空をバックに、もっと大きな本物らしいUFOを見せてよ ! 』と思ってしまいます。

 (大場光太郎・記) 

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『天地人』について(14)

 久しぶりでNHK大河ドラマ『天地人』についての感想記事です。前回の(13)記事以来ずいぶん間が空いてしまい、ドラマは第27回「与六と与七」(7/5放送)から第35回「家康の陰謀」(8/30放送)まで進んでしまいました。

 その間、千利休(神山繁)の死、朝鮮出兵、淀殿(深田恭子)の捨丸(後の豊臣秀頼)出産、関白秀次の死、上杉家の越後から会津への国替え、そして前回の太閤・豊臣秀吉(笹野高史)の死と、めまぐるしい展開を見せました。
 この何回かはさすがの私もあまりケチのつけどころなく、それなりに楽しんで観ていました。「天地人 おもしろくない」検索フレーズもここのところ、皆無ではないもののだいぶ減ってきています。
 やはりポイントは、いよいよ「関が原合戦」へとなだれ込む手前の、緊迫した戦国絵巻がメーンステージであることだと思われます。それに絡めて、上杉景勝(北村一輝)、直江兼続(妻夫木聡)の上杉主従の激動の世への対処、苦慮ぶり。また秀吉亡き後いよいよ勢力を増しつつある徳川家康(松方弘樹)と、それを必死で食い止めようとする石田三成(小栗旬)のつばぜり合いなどを描いているのが面白いのだろうと思います。

 上杉藩は秀吉の命により、父祖伝来の地・越後を後にし会津へとやって来ました。北の伊達政宗、南の徳川家康両勢力の牽制のため、百二十万石に加増されてです。私の郷里(出羽の国・置賜地方)も旧領地だった上杉藩の米沢減封まで後少しであることも、いっそう興味を引きつけられる要因です。
 会津への国替えに当たって、上杉家筆頭家老とは言え直江山城守兼続に出羽・米沢三十万石が、豊臣家から与えられたのは異例中の異例と言えます。兼続は上杉藩にあっても名門の出ではありません。むしろ父親は下っ端役人だった可能性すらあります。なのに三十代後半という若さでの異例の栄達。戦国末期の群雄割拠の時代にあって、直江兼続の政治的力量、軍事的才能、人間的器量がいかに群を抜いていたかが推し量られます。

 何回か前から、直江役の妻夫木と三成役の小栗は同時に口ひげをつけての演技となりました。それにより二人とも、だいぶ役の貫禄と風格が増して感じられます。
 ところで今進行中のドラマでは、妻夫木兼続と小栗三成とが「差しで」対面するシーンが度々あります。これは史実がどうであったのかは別として、ほぼ同年代の気鋭の役者同士、互いが役者としてのプライドを賭けてのぶつかり合いとの感もあり、なかなか興味深いものがあります。
 話は変わりますが、当ブログでこのところ「天地人 小栗三成の演技」といった検索フレーズがふえています。3日の検索フレーズランキングでは、「天地人 小栗三成主役の方が良い」が第1位になりました。
 その対面、対決の場面では、主役の妻夫木兼続もなかなか迫真の演技です。しかし私も客観的に両者を比較するに、小栗三成の方によりいっそうの凄みを感じるのです。どうも小栗の演技力は妻夫木に勝っているなあ、主役を食っちゃってるなあ、と感じられるのです。ドラマは「関が原合戦」まで間近です。それ以降小栗旬はドラマから退場となるわけですが、何となく残念な気がします。

 ところでNHK総合テレビで、「トップランナー」という番組があります。各分野の第一線で活躍している今最も「旬」な人物をゲストに迎え、司会者とゲストとの対話などを通してその人物像により深く迫っていこうというような企画番組です。
 本5日未明の同番組ゲストが小栗旬だったのです。私はたまたまですが、終いまで観ました。それまで小栗は、何となく今売れっ子の生意気なアンちゃんタレントという印象でした。しかし今回の番組を通して認識を改めさせられました。とにかく小栗旬は役者としてプロ根性が凄そうなのです。こと演技に関しては、ストイックなまでに精進努力しているようです。『何とも見上げた役者根性だ。コイツはまだまだ伸びるぞ』と唸らされました。(ただし小栗にも例の疑惑がないではないが…。)

 ドラマは「天下分け目の関が原」に向けて、ますます白熱していくことでしょう。家康役の松形弘樹の、誇張された老獪な狸爺(たぬきじじい)ぶりも堂に入っています。小栗三成いびりの迫真の演技もさすがです。

 (以下独り言)ところで、これも今旬であるはずの「清純派女優」長澤まさみ(初音役)の出番が極端に減ってしまったのはどうしてだ?長澤は体調不良なの?それとも長澤に関して、NHKは何か重大情報をかぎつけたのかなあ?
 さてまさみちゃんのお友だちでもある深キョンは、準主役級の淀君役。大阪夏の陣までは出てもらわなければなるまいし…。でも結局何だかんだ言って、大河ドラマや紅白クラスの「大物」タレント・歌手は全員セーフということなのか?

 (大場光太郎・記)

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日々雑感(6)

   ほうぼうに幾草(いくくさ)ありて虫の夜   (拙句)

 このところ政権交代、薬物事件などすっかり世事、人事のことに気を取られておりました。が気がついてみますと、早や9月も3日。知らぬ間にすっかり秋めいてきました。

 そういえばおととい9月1日は防災の日であるとともに、二百十日でもありました。二百十日は昔から天気が荒れる日が多く、台風の特異日とも言われています。ちょうどその日ではなかったものの、その前日の8月31日台風11号が関東地方に接近し、暴風雨に見舞われた地方もあったようで、当たらずといえども遠からずといったところでしょうか。昔からの言い伝えは、さまざまな先験的知恵の集積と思われ、あながち無視すべきではないのかもしれません。

 通常は台風一過ともなると、翌日はスカッとした秋晴れが続くものです。しかし今回の台風は本式の秋の訪れを告知するように、ここ何日かの涼しさをもたらしました。ちなみに「涼し」は、秋の季語です。
 どうやらきのうきょうは、最高気温が25℃を下回ったようです。25℃は、それ以下だと半そでシャツの上に何か着込んだ方がいい目安になるとのこと。どおりで私も、ここ何日かは背広を着込んで外出しております。

                         *
 『薬物汚染シリーズ』。今年1月たまたま起こった、小向美奈子の覚せい剤使用による逮捕事件をきっかけに始めたものでした。間を置かず大相撲の元若麒麟真一(本名:鈴川真一)による同様の事件が起こり(4)まで記事にしました。
 しかしその後私自身何となく「薬物問題」に触れる気にならず、同シリーズしばらくほったらかしの状態でした。(気にはなっておりましたが。)
 それが8月上旬、押尾、酒井両事件が立て続けに起こりました。特に「のりピー失踪事件」が世間の注目を集めたことで、私が本来持っている「やじ馬」の血を呼び覚まさせ(笑)、また再開ということになりました。そして気がつけば『天地人シリーズ』の(13)と並んでしまいました。

 どこかでも述べましたが、この両事件は探れば探るほど今のこの社会の「鏡、縮図」のように思われてきます。事件そのものも、臭いもの、どす黒いものにフタをしてしまうことも含めて…すべて。しかし「関係者」「当局」が隠そうとすればするほど、余計見たい、本当のことが知りたいとなるのが人情と言うものです。
 とにかくこの両事件特に押尾事件は、奥が深く(「闇が深く」と言うべきか)探るべきミステリー性に富んでおります。今後名誉毀損には気をつけながら(もう既にかなりヤバイか?)、皆様より一歩先んじた新情報をお伝えできればと思います。
                         *
 「8月30日」という歴史的な日の前もその後も、なぜか世の中静かな感じがします。そもそも今回は選挙報道が極端に少なかった中で、民主党はあの郵政選挙時の自民党の獲得議席をも上回ったのです。
 国民有権者は、あの時以来今日に至る政治状況から相当教訓を得たようです。つまり有権者はこの4年間でかなり成熟したのだと思われます。ジャーナリストの中には、前回の自民大勝には一言の文句も言わなかったくせして、今回の民主大勝に対して「前はあっち(自民)今度はこっち(民主)と振り子のように両端にドッと振れる。おかしい国民は ! 」とあからさまに憤慨する者もいました。ねっ、田原総一朗さん。

 (以下独白)でもおかしいのはあなたの方ですよ。テレビ業界を上手く泳ぎまわろうとするから、そういう見方になるんです。今回国民は各マスコミの「総選挙隠し」の目にあいながらも、いたって冷静な判断をしたんです。言ってみれば今回の投票行動は、国民有権者による「静かなる無血革命」なんです。
 それを何ですか、あなたも各マスコミも。これから船出しようとする新政権の足を引っ張るような論評ばかり繰り返して。結局は「既得権益」を失うのが恐くて反対したいんでしょ。今後とも足を引っ張り続けるおつもりですか?
 8月25日に亡くなった政治評論家・細川隆一郎氏は、最後まで「鳩山政権の誕生」を楽しみにしていたことはご存知でしょ?時代の空気をしっかり読んで、大先達に少しは見習ったらどうなんです。でないと、あなたも新聞もテレビも、自民党と一緒で、国民からそっぽを向かれてしまいますよ。
                          *
 空き地の隅でコスモスの幾花かが、風に揺れながらひっそりと咲いています。そのすぐ上には2、3羽の赤とんぼがすいすいと。季節の移り変わりを鋭敏なセンサーのように察知し、咲いたり現れたりする動植物たち。
 何度もお伝えしてきたとおり、当地にもミニ開発や宅地造成の波が押し寄せ、新住居やアパート、マンションがどんどん建ち、年々身近な自然が狭められている状況です。しかしそんな当地でも、夜ともなれば本当にわずかな草花があれば、その陰からリンリンたる虫の声が聞こえてきます。懐かしさを呼び覚まされる虫の音です。

 (大場光太郎・記)

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自民党は再生出来るのか !?

 総選挙で自民党は大惨敗を喫しました。改選前の303議席から119議席と、1/3近くまで減少してしまったのです。1955年以来守り続けてきた第一党からすべり落ちて第二党となるとともに、政権の座を民主党に明け渡すという歴史的大敗北となりました。今後自民党はどうなっていくのでしょう。果たして再生は可能なのでしょうか?

 選挙後の「選挙特番」で、テレビ朝日は午前零時少し前からその第二部として、田原総一朗司会による、当選を果たした与野党の若手論客たちが一同に会した討論形式にしました。その中で自民党議員たちはえらく張り切っていました。厳しい選挙戦を勝ち抜いてきたという高揚感からなのか、『よし。オレが自民党を立て直してみせるぞ』というような気迫さえ感じられました。
 しかし思うのです。『さて、彼らの元気とやる気はいつまで持つのだろう?』と。
 
 1990年代前半細川、羽田両内閣の時、自民党は第一党でありながら過半数に至らず、自民党を飛び出した小沢一郎に連立政権を仕掛けられ、野党に転落したことがあります。その時、「野党の悲哀」をイヤというほど味わったと言うのです。その時の惨めな経験から、当時の自民党議員たちは「もう二度と野党になってはダメだ」と決意したと言われています。ですからその後は、日本社会党(当時)を抱き込んで同党委員長の村山富市を担ぎ出して首相に据えたり、公明党と連立したりと、なりふりかまわず何とか政権を維持してきたわけです。

 しかし今回は、およそその時の比ではありません。議席数が119と改選前の民主党並み、もっと言えば55年体制時代の万年野党・日本社会党並みにまで減少してしまったのです。自民党自身そうだったように、300超の議席数を得た民主党は4年間解散しないでしょう。その期間果たして自民党は持ちこたえられるのだろうか?ということなのです。
 
 政党助成金は数十億円も減額になります。野党に転落した党には企業献金も大幅減でしょう。国有地上の巨大な自民党ビルを維持していけるの?というレベルです。職員数も秘書数も減らさざるを得ません。すべての委員会の委員長ポストは民主党に握られ、自民党の主張は簡単には通らなくなります。今までは呼びつければ各省庁の次官クラスが飛んで来たのに、呼んでも来るのは課長代理クラス、まるで話が前に進まなくなります。何か調べようと各省庁に資料請求しても、資料の開示を拒否されてしまいます。それより何より、今までは族議員としての旨味にたっぷり預かれたのに、もうそんなことも出来はしません。

 小沢一郎は以前から、「民主党が政権を取って2、3回予算を組めば、自民党は立ち直れなくなる」と言っていました。官僚の天下り先に真っ先に予算をつけ、見返りとして企業献金を受け取るような旧来の自民党方式ではなく、そんな税金搾取システムを改めた「国民本位」の予算を何度か組まれれば、自民党の族議員たちは本当に音を上げ、四分五裂してしまうかもしれません。

 仮にそうなったとしても、自業自得というものです。今回国民有権者が「無血革命」とも思われる投票行動を起こしたように、自公政権の暴政、悪政はとにかくひどいものでしたから。(なお、大田代表、北側幹事長、冬柴元国交相などが軒並み落選するなど、結党以来の大惨敗となった公明党は「天罰が下った」と言うべきでしょう。政教一致政党が与党となるのは国民にとって「百害あって一利なし」です。もう二度と与党に復帰しないでいただきたい ! )
 それなのに冷や汗かいてやっと当選した「問題の」森元総理などは、またぞろキングメーカー気取りでいるようです。(「枡添新総裁」を担ぎ出そうとして失敗したようですが)これこそ「KY」の極みです。民意、時代の空気がまるで読めていません。このような旧体質の真っ黒けなロートル議員たちに牛耳られるようでは、自民党の未来は本当に真っ暗です。

 しかしこの国で民主主義が真に成熟するには、二大政党による政権交代が一定期間ごとに起こらなければなりません。政権を新たに担うことになる民主党は、出発の今は確かに清新でフレッシュです。しかし「権力は絶対的に腐敗する」、これが古来の鉄則です。アメリカのように、最長8年くらいで交代可能にするべきです。
 それには、民主党政権が行き詰った時の受け皿政党がどうしても必要です。それはやはり自民党しかないのでしょうか?今回の政権交代の真の立役者である小沢一郎は、どうもそうは見ていないフシがあります。「自民党はとっくに耐用年数が過ぎた政党。だからそれに変わる新しい政党が必要なのだ」と。小沢はやはり今回の政権交代の先に、民主と自民をガラガラポンしたような大政界再編を考えているのかもしれません。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(13)

 押尾学被告(31)が8月31日保釈されました。弁護人を通じて同日午後4時過ぎ保釈保証金400万円を東京地裁に納付し、同日午後6時過ぎ、台風11号の接近でたたきつけるような嵐の中、逮捕以来28日ぶりで公の前に姿を現しました。
 警視庁三田警察署から出てきた押尾被告は、黒いシャツの上にチェックのYシャツはボタンをつけずにはだけた状態、サンダル履きというラフな格好でした。約200人の報道陣を前にして、「この度はご迷惑かけて申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べました。
 
 とその時、女性リポーターらから「どうして現場から逃げたんですか !? 」「死亡した女性について一言」などという厳しい声が飛びました。その質問には無言を貫き、報道陣や約50人ほどのやじ馬に再び一礼して車に乗り込みました。
 さてそれからが大変だったようです。押尾被告を乗せた車と、報道車両(いわゆる「パパラッチ」)約50台とのカーチェイスがスタートしたのです。同車はまず三田署から4キロほど離れた霞ヶ関ICから首都高に入り、外環道の埼玉・川口西ICでいったん下りると、今度は東京・池袋方面へとんぼ返り。追走車をまくため都内から埼玉南部にかけて走りまくり、逃走時間は4時間10分、走行距離110キロにも及びました。結局最後は車を乗り捨て、東京メトロ有楽町線と副都心線が入る小竹向原駅に逃げ込み、地下鉄で逃走し行方をくらましました。

 以来行方不明でしたが、本1日午後7時過ぎ、身元引受人である東京・多摩市の父親の家に、弁護人とともに帰ってきました。服装は昨晩の三田署の時と同じ格好。
 警備の警官も、待ち受けていた報道陣も、誰も押尾とは気がつかなかったようです。昨夜姿を現した時は、一応謝罪はしたものの目付きは鋭くどことなくいきがって見えましたが、逃走劇に疲れたのか精彩を欠き、タレントとしてのオーラがまるで感じられず、どこかのアンちゃんといった感じだったそうです。そのため、押尾を正面から撮った者はいなかったようです。

 以後押尾は、裁判による判決が出るまでの間、父親のいる実家で過ごすことになるのでしょう。気になるのは裁判の行方です。押尾被告は、「合成麻薬MDMAの錠剤を若干量飲んだ」とする起訴内容を認めています。ズバリどうなるのでしょう?
 板倉宏日大名誉教授(刑法)は、一緒にMDMAを飲んだ田中香織さんが死亡し、押尾被告が現場から逃走したことを重くみて、「服装や行動の心証が悪く、麻薬取締法違反の罪だけでも2年ぐらいの実刑になる可能性が高い。執行猶予はつかないでしょう」と断言しています。その裁判の過程でどれだけ真相が解明がされるのか、これにも注目です。

 さらに気になるのは、「保釈金400万円」を誰が出したかということです。押尾自身が出せれば問題はなかったわけです。しかしすったもんだの末、28日夜東京地裁が保釈を最終決定してから31日まで保釈が延びたのは、その金の工面のためです。押尾自身にも、身元引受人である実業家とされる父親にも工面出来なかったのです。
 では誰が?次に考えられるのは、妻である女優の矢田亜希子ですが、矢田は既に押尾事件発覚直後離婚を決意していますから出すはずがありません。ではやはりあの女か?六本木ヒルズ“魔窟”レジデンスの借主で「ピーチ・ジョン(PJ)」社長の野口美佳?何しろかつて自身のブログで押尾を褒め称え、お腹の子の父親は押尾なのでは?とも噂されるくらい。野口社長にとって400万円などはした金。出してやりたいのは山々なれど。今は野口美佳自身に「薬物使用疑惑」が向けられている身、とても表立って動くことは出来ません。

 そこで押尾事件にまたまた新たな人物の登場です。保釈金を立て替えたのは、全国パチンコ機器製造販売会社や関東各地でゴルフ場を展開する「C社」代表の「I氏」だと言われているのです。I氏は「パチンコ業界のドン」と言われ、警察官僚にも絶大な力を持つ闇社会に通じた人物らしいのです。数年前は巨額脱税を指摘されたこともあるようです。
 そしてこのI氏とPJの野口社長とは面識があるらしく、こうして野口社長はやはり今回の保釈、逃走に関わっていた可能性が出てくるのです。さらにI氏は、押尾事件のもみ消し圧力疑惑のある、「元警察官僚」で自民党の平沢勝栄議員とも、パチンコ利権で関係が深いと言うのです。もちろん森元総理とも。

  押尾学ー野口美佳ーI氏ー平沢議員ー森元総理(長男・祐喜)ー富永保雄(富永義政)ー高相祐一ー酒井法子……
 あヽどこまで続く「疑惑の連鎖」ぞ。

 (大場光太郎・記)

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新政権の厳しい船出

 少し前まで、この国ではまず政権交代は起きないだろうと思われていました。しかしそれが現実に起こってしまいました。起こしたのは他でもない私たち国民の力です。「民主党308議席」。それにしても凄まじいほどの大勝利です。
 今回民主党に託した、有権者の一票一票への思いはさまざまなものだったことでしょう。政権交代への全面的支持から、リスク覚悟で「とりあえず任せてみよう」という人まで、投票動機は実にさまざま。しかしこれ以上自公政権に任せていたら、この国と我々の生活は更にどん底になる、そんな危機感は共通していたのではないでしょうか。

 そのような国民の期待を一身に背負ったかたちの、民主党を中心とした新政権は、果たして本当に国民の負託に十分応えてくれるのでしょうか?残念ながら、当面はあまり過度な期待はしない方が良いと思います。4年前の「郵政が民営化されればすべてが良くなる」式のバラ色の夢を抱いてしまうと、早晩幻滅させられることになるのは必至かと思います。
 小泉政権以降の「新しい失われた10年」、さらには1955年発足以来半世紀以上にも及ぶ自民党一党支配によるこの国の「負の遺産」は、それこそ膨大なものです。どの党が政権を取って国の舵取りをしていこうと、一朝一夕で解決を見るような生易しいことではありません。

 国地方合わせて1000兆円超とも言われる莫大な財政赤字をどうやって減らすのか。六本木ヒルズと地方のシャッター商店街、一部の億万長者とワーキングプアなどの格差の是正をどうやって図るのか。輸出頼みの外需依存型から内需拡大型へどうやって経済を質的に転換させていくのか。本当に景気浮揚は出来るのか。どのようにして食糧自給率を高めていくのか。高齢者、失業者、身障者など社会的弱者へのセーフティネットをどう構築していくのか。少子高齢化が急速に進む社会にどう有効に対応するのか。医療、介護などの社会福祉の充実をどうやって図るのか。地方分権、地方への財源移譲問題とどう向き合っていくのか。問題の多い教育をどう立て直すつもりなのか。犯罪多発、薬物汚染拡大をどう防ぐのか。地球環境問題には、どう取り組むのか。従来の従属的な関係から対等の日米関係にチェンジするにはどうすべきなのか。真の国際貢献とはどのようなものなのか。中国、韓国との近隣外交はとのようなスタンスでいくのか。北朝鮮とは…。
 懸案の問題、難題は数多くあります。

 民主党をはじめとして連立を組むどの党も、政権与党の経験がないことも不安材料の大きな要因です。しかしこれは自民党に代わって受け皿となる政党を育ててこなかった、我々国民にも責任があります。これについては、経験不足から生じる多少の齟齬(そご)は寛容の心で見守るしかないと思います。
 また経験がないことだからこそ、新鮮な気持ちでチャレンジ出来るということもあるものです。それに民主党には、今回の新当選組も含めて勉強熱心で優秀な若手の人材が大勢います。ベテランの藤井裕久(元大蔵大臣)や菅直人(元厚生大臣)のような閣僚経験者とともに、それら若い力による現状突破力にも大いに期待したいものです。

 次にマニフェストに掲げた政権公約実行に当たって、選挙期間中にもしばしば問題にされた「財源はどうするのか?」ということがあります。自民党は政権交代が起きることを見越して、「民主党に渡すな」とばかりに「埋蔵金」を悉く使い果たしたのです。だから確信を持ってそう言うわけです。大マスコミもそれに同調していたとおり、確かに厳しいと言わざるを得ません。
 しかしそれは政官財癒着構造で、予算を分配する仕組みの自民党政権下での旧思考です。そのシステムを根本から改めてムリ、ムダ、ムラを見直せば、政策実現に必要な財源は必ず確保出来るはずです。

 その前に立ちはだかるのは、明治以来連綿と続いてきた「官僚の壁」です。これに対して小沢一郎が代表の時、「民主党が政権を取ったら、霞ヶ関に100人の議員団を送り込み、霞ヶ関改革を断行する」とぶち上げました。中央官僚はさぞびびったことでしょう。新政権では後を継いだ鳩山由紀夫が首相になるわけですが、その「脱・官僚」の基本姿勢は変わっていないと思います。
 ただ初めからけんか腰で乗り込むと、小泉政権下の田中真紀子外相のように、お役人から総スカンをくらい物事が一歩も進まない事態も考えられます。官僚は任された分野では国会議員が太刀打ち出来ないほどのプロ、優秀で確かに手ごわい相手です。そして己の保身には極めて敏感です。
 一方で脱・官僚、霞ヶ関改革を進めながら、もう一方ではうまく官僚を手なづけて協力させなければならない。難しいことながら新政権の成否は、実にこの一点にかかっているといっても過言ではなさそうです。

 こうしてみますと、新政権にとっては実に厳しい船出と言えそうです。308議席を獲得しても、鳩山代表はじめ民主党首脳の顔に笑みはありませんでした。身の引き締まる思い、とても浮かれている気分ではないのでしょう。政権担当は初めてという初々しさから、自公政権のように数の力を頼みとした暴挙に出る心配はないと思います。

 8月30日は、以前述べましたように、徳川幕府の大政奉還にも匹敵する「歴史的な日」となりました。とにかく新政権に、この国の浮沈と私たち国民の命運がかかっています。前途は多難でも、これまでの閉塞感、絶望感ただよう暗雲垂れ込めた状況から、天の一角に光が射し初めたのです。理想的な政治形態にはまだまだです。しかしそれに何歩か近づいたことは確かです。
 光をよりいっそう輝かせるべく暗雲を払おうと、新人も含め当選した308人の民主党議員たちは、それこそがむしゃらに仕事をすることでしょう。私も「よしっ。オレも自分の立場でしっかり仕事をしていくぞ ! 」という、新たなやる気をかき立てられました。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(12)

 以前より繰り返してきましたように、酒井事件よりはるかに重要なのは押尾事件の方です。極論すれば、もし仮に押尾事件が発覚していなければ(「関係者」にとって押尾がヘマさえやらかさなければ)、酒井事件もまた起きていなかった可能性があるのです。「初めに押尾事件ありき」です。

 その押尾事件の主役の押尾学被告は、28日東京地裁によって正式に保釈が認められました。保釈金400万円が工面でき次第、予定では今週初め頃にも保釈される見通しのようです。
 地裁のこの度の決定には、『やっぱりね』という思いと同時に、『どうして !?』というやりきれない気分にさせられます。同事件にはとにかく、依然解明されない「ナゾ」があまりにも多過ぎるのです。巨大な麻薬スキャンダルの森にほんの少し踏み込んだだけなのに、「もうそこから先は危険ゾーンだから、行っちゃダメだ」という通告を、法の番人たる東京地裁が下したかのような印象がぬぐえないのです。

 押尾事件では、まず事件の発端となった六本木ヒルズレジデンス一室で変死した、田中香織さんの死亡原因が未だはっきりしていません。さらに田中さんの自宅マンションを捜索した結果コカインが押収されました。押尾被告は同マンションにも出入りしていて、同被告がそこに隠して使用していたとして捜査中なのです。つまり「コカイン使用による麻薬取締法違反」容疑でも、警視庁は押尾の再逮捕を狙っていたわけです。
 それに対して東京地裁は、「もうそんなことはいいから。とにかく捜査は打ち切りなさい」と言っているようなものです。

 しかしこんなのはほんの序の口で、既報のとおり同事件には問題の六本木ヒルズ一室の借主である「PJ(ピーチ・ジョン)」の野口美佳社長の薬物疑惑も浮上しています。その「野口社長逮捕」を阻止すべく、警察官僚出身のH議員が強い圧力をかけたと言われています。また押尾事件が発生中、ヒルズの別の一室で乱交中だったとも噂されるM元総理の長男の「“麻薬&売春”疑惑」も発覚しています。それが表ざたになってスキャンダルにならぬよう、元総理からも圧力がかかったと言われています。

 またバックに控えるM元総理の意向を受けたものなのか。富永保雄は、薬物履歴があることをとうの昔から掴んでいた高相祐一被告を、夜の渋谷の薬物取引の場におびき寄せた疑いが濃厚です。その上で酒井被告とともに現場に現れ立ち去り、その後の「のりピー失踪」を演出し、世間の耳目を酒井事件に集中させ、まんまと「押尾事件隠し」を成功させた可能性大です。
 その他押尾事件のもみ消しに圧力をかけたとされる財界人、闇社会の存在。押尾や酒井や高相同様“シャブ漬け”と見られる、多くの有名タレント、歌手、アスリートたち…。

 28日の保釈に至るまで、東京地裁の判断は二転三転したようです。しかし既に報道で明らかなように、多くの謎が未解明のまま、すべての闇を葬りかねない保釈を決定しました。
 そこには「政権交代が起きる前に、ヤバイ事件は決着させておこう」という地裁トップの判断があったのかもしれません。法の番人であるべき東京地裁もまた、さまざまな圧力に屈したということなのでしょう。

 とにかく東京地裁は、何とも後味の悪い幕引きをしてくれたものです。本日遂に待ちに待った「政権交代」が実現致しました。こうなったら後は、民主党を中心とした新政権にこの問題の解明を期待したいと思います。
 というのも、民主党のマニフェストの厚生行政で掲げた項目の中に、「麻薬、薬物汚染」が取り上げられているからです。それには、
 <省庁横断的に薬物取締体制を強化し、薬物の供給源の根絶に取り組む>
 <覚せい剤、大麻のみならず、『MDMA』など錠剤合成麻薬や、いわゆる脱法ドラックの乱用が青少年を中心に広がっていることを受け、薬物乱用の低年齢化を防ぐ>
と明記してあります。

 要は民主党政権として、「蔓延している薬物汚染を徹底的に撲滅します」と、国民に約束しているわけです。他のマニフェスト(政権公約)同様、この項目も力を注いで公約実現に取り組んでもらいたいものです。
 その手始めとして、この迷宮化しそうな押尾事件を再度問題にし、改めて「再捜査」し直すくらいの姿勢を見せてもらいたいものです。上記の者たちが「逃げ得」になることのないように。
 それは、この国を真に浄化するための重要な一環だと思うのです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(11)

 酒井事件、押尾事件という両薬物事件について、今週末注目すべき動きがありました。

 まず酒井事件についてー。
 酒井法子(本名:高相法子-38)が、拘留期限である28日覚せい剤取締法違反(所持)の罰で東京地検に起訴されました。また酒井被告は、覚せい剤を使用した疑いでも追送検されており、同地検は捜査継続中で9月中に追起訴する方針です。
 南青山の自宅マンションから押収された覚せい剤は0.008gという微量なものでした。これは大粒の塩10余粒分相当くらいの量です。そのため「こんな微量では起訴は難しいのでは?」とする専門家もいました。しかし酒井本人からの具体的供述が得られたこと、さらには夫の高相被告が逮捕された現場に立会い、警察から出頭を求められながら立ち去り以後数日間逃亡したことを重くみて、起訴に踏み切ったものと推測されます。

 起訴を受けて、酒井の所属事務所である芸能プロダクション・サンミュージックは、相沢秀禎会長と相沢正久社長らが同日都内で会見し、酒井被告とのタレント契約の解除(解雇)を正式に発表しました。
 酒井が14歳から、25年間も見守り続けてきて肉親以上と言ってもいい“育ての親”である相沢親子にまで見放されたかっこうです。しかし会見の中で相沢社長は、「反社会的行為は決して許されるべきものではなく、断腸の思いですが解雇します。…まずは深く反省してほしい。へたに手を差し伸べない方がいい」と述べながらも、「本人に更正の意思がみられた段階で、相談に乗ることはやぶさかでない」とも述べました。また同社長の父である相沢会長は、「裏切られたという気持ちと、何でこうなったのかなと思います。廃人になる前に自分のことを考えて更正してほしい」と、“親心”をにじませながら鎮痛な面持ちで語りました。

 そもそも一連の酒井事件にあって、サンミュージックは終始つんぼ桟敷に置かれていたような感じです。不確かな情報では、酒井本人から電話連絡があったのは出頭直前の1度だけというし、酒井の継母、逃亡を手助けしたとみられる富永保雄、酒井の弁護人、更には警視庁からも、連絡や問い合わせはまったくなかったようです。このことも、相沢親子が無念さをにじませた要因かもしれません。

 ところでこの事件に関しては先週末あたりから、上記の建設会社「トミナガ」社長・富永保雄(71)のインタビューが各テレビ局で繰り返し流されています。その中で保雄は、酒井被告が覚せい剤を使用していた事実を「まったく知らなかった」と言っています。しかしこれは酒井被告の、「失踪は覚せい剤を抜くためでした」という供述と明らかに矛盾します。
 富永保雄は高相被告が逮捕された現場に、酒井とともにいて酒井とともに立ち去っています。なおかつ自分が所有する東大和市のマンションに匿ってもいます。その後の隠れ家となった箱根の別荘は、保雄の兄の元弁護士・富永義政(75)所有のものです。

 知らなかったはずがないのです。それのみか酒井の逃亡を手助けし、尿や毛髪から覚せい剤の痕跡を抜く方法を指南したのも、富永保雄または兄の富永義政元弁護士であることは明白です。
 とにかく失踪以後、酒井をがちがちに取り囲んでいたのは「富永一族」です。酒井の夫である高相祐一被告の弁護人と、酒井被告の弁護人は同一人物です。「みやび法律事務所」(東京都港区虎ノ門2-5-20)の榊枝弁護士です。同法律事務所を設立したのは、保雄の兄の義政元弁護士です。同元弁護士は、5,468億円という巨額負債による大型倒産で話題になった「麻布建物」の資産を隠匿し、公正証書原本不実記載の疑いで逮捕され、弁護士資格を剥奪されたいわくつきの人物なのです。
 そしてこの「富永一族」のバックにいるのが、M元総理と言われているのです。M元総理は、ここでも「後見人気取り」ということでしょうか?

 富永保雄がこの時期に、(顔は出さずとも)のこのこ出てきたのは、押尾、酒井両事件の決着が見えた、自分が逮捕されるようなことはもうない、と判断したからなのでしょう。それにしてもよくもまあ「善人づら」出来るものです。「本当のワル」とはああいうものなのでしょう。公共のメディアを使って、臆面もなく「自分は何のやましいこともしていない」と言い切れるのですから。世の中をナメ切っています。とても常人の神経ではありません。良心がとことん曇っていないと、とてもああはなりません。

 それに言いたいのは、ああいう発言を放送してしまうテレビ局の倫理の問題です。押尾、酒井両事件は密接に関連し合っていて、誰が陰で糸を引いていたかなどおおよその構図は、各局とも皆分かっているはずです。それを百も承知で、富永保雄に免罪符を与えるような、愚にもつかない「戯れ言」を述べさせる。
 とにかく今「日本の中枢」は、どこもかしこも腐り切っています。こんな腐り切った国が滅亡しなかったことは、古今東西例がありません。  

 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(6)

 長かった投票日まで、あした29日(土)1日を残すのみです。懸念された不測の事態も幸い起きず、無事あさっての投票日を迎えられそうです。

 マスコミ各社の事前予測では、軒並み民主党の歴史的大勝が予測されています。それがはじめて出された先週の予測には、とにかく驚きました。「民主300議席をうかがう勢い」(8/20・朝日新聞)「民主300議席を超す勢い」(8/21・読売新聞)「民主320議席を超す勢い」「自民100議席割れも」(8/22日・毎日新聞)。
 日を追うごとに民主党の優勢がどんどん増していくようすが、はっきりわかります。これが噂の「バンドワゴン効果」というものなのか。同効果は、1選挙区で1人しか候補者を選べない小選挙区制では、自らの1票が死に票となることを避けようと、有権者に「勝ち馬に乗る心理」が働くことを言うそうです。確かにこの時点では、同効果が裏付けられた予測結果となりました。まさに前回の郵政選挙の結果を、まるっきりひっくり返したような予測です。

 私はこの推移を見て、『こんなに早くから民主党絶対優位の数字が出て、こりゃヤバイぞ』と思っていました。あと1週間余もあるのに、今後どんな「ゆり戻し現象」が起こるか分かったものではないからです。それを見越してか、民主党の鳩山由紀夫代表は、党都府県連に対して、「報道に浮かれ幻惑されるならば、政権交代は水泡に帰す」との電子メールを送ったようです。
 確かにそうなのです。事実今週になって、強力な「危機バネ」が働き、以前は落選危機が伝えられていた自民党大物議員が何人も、急速に息を吹き返しているようです。(その中には、押尾事件で警察に圧力をかけた疑いが濃厚な、石川2区のM元総理も、東京17区のHも含まれています。『こんな黒い連中が当選とは…』と嘆かわしい気持ちです。)
 
 しかし今週再び行われた予測でも、依然各社の「民主300を超す勢い」との予測結果は変わらないようです。それでも私は、最終的に300議席には届かないのでは?と予測しています。それでも以前の(4)記事で述べま