「長野県長寿日本一」、理由は病院に行かないから !?

-かつて『病院に殺される』という本が話題になったが、決して皮肉ではないわけだ-

 みすずさんをはじめとして(フォレスタファンと思われる)何人かの長野県民の方が、当ブログを「お気に入り」に入れて定期訪問してくださっています。日頃のご愛顧(笑)に感謝しつつ、長野県民の方にとっての嬉しい話題を取り上げてみたいと思います。

 テレビでもニュースになったのかもしれませんが、最近の『日刊ゲンダイ』の特集によりますと、長野県が男女とも「長寿日本一」に輝いたというのです。同記事を後に転載しますが、「長野県民はなぜ長生きなのか」というと、ズバリ「長野県は貧乏県で病院数が少なく、病院に行かれないから」と、大変失礼な( ! )結論を出しています。
 それはともかく。かなり前『病院に殺される』(別冊宝島、現在は宝島文庫)という本が話題になりました。病院本など気色悪いので私は読みませんでしたが、実際そのとおりだと思うのです。

 ですから、若い頃から私は滅多に病院に行きませんでしたし、薬も極力飲まないようにしてきました。今でも市から毎年「無料定期健診」の通知が来ますが、中身も見ないでポイ捨てです。
 60歳を過ぎた身であれば、下手に病院にかかりでもすれば商売上手な先生から、「この部位が悪いですねぇ」「こっちの内臓もおかしいですよ」「この際しっかり直しましょう」などと言われ、要通院の上大量投薬され、本来有している「自然治癒力」がどんどん損なわれるに決まっているのです。

 「頼みません、そんなこと !」「先生がいかなる名医であらせられても、自分の体は自分が一番良く知ってますから」「それにですね、少々の不調感なら自分で何とか治せますから、けっ・こ・う・です !」 それでは以下『日刊ゲンダイ』の転載です。
 (注 私のような特殊人間でない方は、必要な場合は病院にご相談ください。)    (大場光太郎・記)

                       *
健康常識へのアンチテーゼ 
長野県民は病院に行かないから長生きする


 都道府県別「平均寿命」で、長野県が男女とも長寿日本一に輝いた。「減塩運動のたまもの」「温泉が豊富」「いや、昆虫食が体にいいのかも」と周囲はかまびすしいが、本当のところ、長野県民はなぜ長生きなのか?

 世界一長生きの日本人の中でも、とくに長野県民は突出している。都道府県別の「平均寿命」(別表-省略)で、長野県は男性80.88歳、女性87.18歳で共に全国トップ。一方、最下位はこれも男女そろって青森県だ。青森は喫煙率と飲酒習慣割合が1位、1日の歩数量は46位とワーストになる要素がテンコ盛りだ。

 では、長野県民はどんな理由で長生きなのか。
 「そばを含む穀物類が体に良い可能性はあります。また、約30年前から県民減塩運動を展開中で、その効果が出ているのかもしれません」(長野県庁・健康長寿課)

 1965年の県民の平均寿命は、男性9位、女性26位と平凡。それが減塩運動を始めて急激に寿命を延ばしている。
 だが、よく調べてみると、同県の塩分摂取量は男性が全国6位、女性8位と今も多め。当然、脳卒中の死亡率は全国平均を上回っている。塩分を減らせば長生きするという根拠と矛盾するのだ。

 では、コレはどうか。長野県民の野菜摂取量は全国1位(1日379㌘)、高齢者就業率も43.7%(全国平均32.2%)でトップ。日帰り温泉(729軒)、味噌消費量(1世帯年間11.9㌔)も1位だ。逆に年間雨日数30.6日)、降雨量(932㍉)は全国一少ない。晴れが多ければ気分的にもいいはずだ。

病院依存度は全国最低レベル

 だが、長野で特筆すべきは、実は老人医療費の少なさにある。75歳以上の1人当たり医療費は、長く全国最低水準をキープ。10年度も77万560円で下から4番目と、最高の福岡114万6623円に比べて37万円も安かった。長野県民はとにかく病院に行かない。

 「というか、病院が少な過ぎて行けないのです。県内にある病院はわずか116軒。療養病床数は100人当たり0.18床で全国41位です。昔はこうではなかったが10年前に地方債の残高が1兆6000億円に達し、借金の割合は全国最悪。財政再建団体の一歩手前といわれました。新幹線、高速道路、冬季五輪と県民の望むまま借金し、病院まで手が回らなくなったのです」(ジャーナリスト・中森勇人氏)

 ところが、何が幸いするか分からない。
 「長野県民の在宅死亡率は14.9%で全国1位。余計な延命治療を最もやらない県です。抗がん剤治療が死期を早めるという説も出ているし、医療体制が貧弱な方が個人で予防する人も増える。東北地方で唯一長寿の山形県も、療養病床数は43位です。逆に病床が充実している1位の高知、2位の山口、3位の鹿児島は、長命ではありません」(中森勇人氏 = 前出)

 病院に行かない方が長生きするのだ。長野県民の長寿の理由は、貧乏(注 県財政が)で病院が造れないからだった?  (転載終わり)

引用
『日刊ゲンダイ』(3月27日号「サラリーマン特集」記事)

【追記】
 その後転載記事を読み返してみて、みすずさんをはじめとした長野県の読者の方、長野県民を少し貶めるような内容だったかな?と反省しております。
 しかし私自身は長野県を貧乏県などとは思っておりません。それは今の日本社会による格付けなのであって、絶対基準ではあり得ないわけです。私の出身県の山形県もやはり負けず劣らず貧乏県ですが、「豊かな自然」を基準にすればこれまた両県は全国的に高ランクされることでしょう。自然豊かな環境で、健康で長生きできればこんな幸せなことはないと思います。
 ちなみに、今から20年以上前「田舎暮らし」がブームになりかけました。その時興味を持った(山形には帰れない)私が一番住んでみたかったのが長野県です。それは今も変わりません。

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「フェルミ推定」とは何ぞや(2)

 前回の「フェルミ推定」宿題の、

 「日本全国に電柱は何本あるか?」

 どうだったでしょうか。答えが出ましたでしょうか。
 ちなみに私がしぼり出した解答の次第は以下のとおりです。

 まず最初に、「日本全国に電柱が立っていそうな道路の総延長はどれくらいか?」を考えました。総延長さえ分かれば、後は何十メートル間隔で電柱が立っているか見当をつけ、
   総延長×2÷電柱設置間隔(m)
で答えが出るはずです。(「2」はたいがい道路両側に電柱が設置されているため、道路長の倍数)

 ところが肝心の(電柱が設置されていそうな)道路総延長、これがさっぱり分からないのです。第一日本列島、北は北海道から南は鹿児島、沖縄までの距離が何千キロメートルだったか、それすらあやふやです。
 そこでその解答ルートは早々と断念し別の手を考えました。(なお後で調べたところ、北海道東北端から西表島まで約3千キロメートル)

 最初から日本全国などと漠然としたことを考えずに、ぐっと身近に「当市内に、電柱が設置してありそうな道路延長はどれくらいか?」を考えることにしたのです。

 それでも駅周辺の繁華街の道路から、国道、県道、市道、住宅街の道路、住宅街から外れた田んぼ道など、該当する道路はいくらでもありそうです。しかし何せ制限時間がありますから、当市の縦距離の約10倍の「300キロメートル」とおおよそのあたりをつけました。
 これには確たる根拠など何もありません。当市全体の地図を思い浮かべ、我が脳内で、縦横無尽に走っている当市道路のさまをイメージした結果、だいたいそのくらいだろうと結論づけたのです。

 次に「当市を全国に拡大したらどのくらいの数になるか?」と考えました。
 当厚木市は首都圏ぎりぎりの中堅地方都市ですが、全国の市町村に均した場合どのくらいの数にすればいいか?ということです。
 これを私はざっと「3000」としました。各都道府県を約50として、それに掛けることの60ということです。少し過大なような気もしましたが、中には東京都、横浜市、名古屋市、大阪市のような区がいっぱいある大都市もけっこうあるわけなので、そういう数を導き出したのです。
 また電柱設置間隔は、50メートルとしました。

 こうしてようやく電柱総本数を算出する段階にたどり着きました。
 300(km)×3000(都市)×2÷50(m) = 3千600万本
 しかしこれを導き出してからふと、『これじゃあ、少なすぎないか?』と思ったのです。そういえば、オラが町の電柱はもっと立て混んでるぞ、確か10メートル間隔のところもあったはずだぞ。
 そこで、3千600万本を10倍した「3億6000万本」を最終的な答えとしました。
 残念ながら解答制限時間の3分はオーバーしてしまいました。しっかり確認しませんでしたが、確か5、6分くらいだったかと思います。

 さて正解はどうなのでしょう。
 「約3千300万本」が正解だそうです。何のことはない、最初に出した答えの方がより正解に近かったわけです。

 「プロメテウス」ではあり得ない身として、「エピメテウス」的後知恵で考えてみれば。
 日本の総人口は1億2千万人くらいです。いくら電柱がめったやたらと立っているとしても、まさか総人口を3倍も上回るほどではないわけです。

 そこでなおもエピメテウス的後知恵で考えました。最初に日本総人口を思い浮かべていれば、その事に気づき、制限時間よりずっと早く、より正解に近い答えが導き出せたはずだ…。
 前回の出題に挑戦し、いきなりそこにたどり着けた方がもしおられたなら、その非凡な着想に深く敬意を表させていただきます。

 ただ細谷功氏いわく、「一桁ぐらいの誤差があっても問題ありません。重要なのは、正解に近い答えを出せたかどうかではなく、答えを出すまでの「思考プロセス」のほうですから」
 ああ、よかった。でも私の場合、その思考プロセスも問われかねません。
 次回は私の頓珍漢な思考プロセスではない、細谷氏の模範的思考プロセスをご紹介致します。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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「フェルミ推定」とは何ぞや(2)

 前回の「フェルミ推定」宿題の、

 「日本全国に電柱は何本あるか?」

 どうだったでしょうか。答えが出ましたでしょうか。
 ちなみに私がしぼり出した解答の次第は以下のとおりです。

 まず最初に、「日本全国に電柱が立っていそうな道路の総延長はどれくらいか?」を考えました。総延長さえ分かれば、後は何十メートル間隔で電柱が立っているか見当をつけ、
   総延長×2÷電柱設置間隔(m)
で答えが出るはずです。(「2」はたいがい道路両側に電柱が設置されているため、道路長の倍数)

 ところが肝心の(電柱が設置されていそうな)道路総延長、これがさっぱり分からないのです。第一日本列島、北は北海道から南は鹿児島、沖縄までの距離が何千キロメートルだったか、それすらあやふやです。
 そこでその解答ルートは早々と断念し別の手を考えました。(なお後で調べたところ、北海道東北端から西表島まで約3千キロメートル)

 最初から日本全国などと漠然としたことを考えずに、ぐっと身近に「当市内に、電柱が設置してありそうな道路延長はどれくらいか?」を考えることにしたのです。

 それでも駅周辺の繁華街の道路から、国道、県道、市道、住宅街の道路、住宅街から外れた田んぼ道など、該当する道路はいくらでもありそうです。しかし何せ制限時間がありますから、当市の縦距離の約10倍の「300キロメートル」とおおよそのあたりをつけました。
 これには確たる根拠など何もありません。当市全体の地図を思い浮かべ、我が脳内で、縦横無尽に走っている当市道路のさまをイメージした結果、だいたいそのくらいだろうと結論づけたのです。

 次に「当市を全国に拡大したらどのくらいの数になるか?」と考えました。
 当厚木市は首都圏ぎりぎりの中堅地方都市ですが、全国の市町村に均した場合どのくらいの数にすればいいか?ということです。
 これを私はざっと「3000」としました。各都道府県を約50として、それに掛けることの60ということです。少し過大なような気もしましたが、中には東京都、横浜市、名古屋市、大阪市のような区がいっぱいある大都市もけっこうあるわけなので、そういう数を導き出したのです。
 また電柱設置間隔は、50メートルとしました。

 こうしてようやく電柱総本数を算出する段階にたどり着きました。
 300(km)×3000(都市)×2÷50(m) = 3千600万本
 しかしこれを導き出してからふと、『これじゃあ、少なすぎないか?』と思ったのです。そういえば、オラが町の電柱はもっと立て混んでるぞ、確か10メートル間隔のところもあったはずだぞ。
 そこで、3千600万本を10倍した「3億6000万本」を最終的な答えとしました。
 残念ながら解答制限時間の3分はオーバーしてしまいました。しっかり確認しませんでしたが、確か5、6分くらいだったかと思います。

 さて正解はどうなのでしょう。
 「約3千300万本」が正解だそうです。何のことはない、最初に出した答えの方がより正解に近かったわけです。

 「プロメテウス」ではあり得ない身として、「エピメテウス」的後知恵で考えてみれば。
 日本の総人口は1億2千万人くらいです。いくら電柱がめったやたらと立っているとしても、まさか総人口を3倍も上回るほどではないわけです。

 そこでなおもエピメテウス的後知恵で考えました。最初に日本総人口を思い浮かべていれば、その事に気づき、制限時間よりずっと早く、より正解に近い答えが導き出せたはずだ…。
 前回の出題に挑戦し、いきなりそこにたどり着けた方がもしおられたなら、その非凡な着想に深く敬意を表させていただきます。

 ただ細谷功氏いわく、「一桁ぐらいの誤差があっても問題ありません。重要なのは、正解に近い答えを出せたかどうかではなく、答えを出すまでの「思考プロセス」のほうですから」
 ああ、よかった。でも私の場合、その思考プロセスも問われかねません。
 次回は私の頓珍漢な思考プロセスではない、細谷氏の模範的思考プロセスをご紹介致します。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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「フェルミ推定」とは何ぞや(1)

 先日業務で遠出しました。とある町の某社社長との約束の時間にはまだ20分ほど間があり、近くのコンビニに入って時間をつぶすことにしました。

 時間つぶしには雑誌の立ち読みが一番です。ということで雑誌コーナーに行きますと、最前列の棚にA4サイズと大判のビジネス本が数冊並んで置いてあります。ページ数は100ページ弱で、いずれもビジネスに携わっている者なら誰でも、興味を示しそうなタイトルです。
 私は片っ端から取り出し、それらをパラパラとめくってみました。そろそろ面談時刻が迫って、いずれも拾い読みするだけではもったいないような気になってきました。と言っても全部を衝動買いするのも何だし、特にじっくり読んでみたい一冊だけを買って出ました。

 それは『「継続できる人」の習慣-「続ける」技術』(本体価格800円)というタイトルです。PHP研究所刊で、この本を含め陳列してある『「THE21」BOOKS』と銘うったシリーズを企画・編集したのは「THE21}編集部です。
 表紙最上部には「シリーズ累計40万部突破!」とありますから、本が売れないこの時代、かなりの大ヒット企画といっていいのでしょう。

 深く反省するまでもなく、私は何事も「継続できない人」です。それで、今をときめく超一流ビジネス人たちの「継続できる極意」に少しはあやかろうという魂胆です。
 編集員が各界の第一線で活躍中の26人に取材し、それをもとに構成されています。例えば誰でも知っている人として、ワタミの渡邉美樹社長、脳科学者の茂木健一郎氏、精神科医の和田秀樹氏などが登場しています。

 いずれも現代の「成功モデル」の見本のような人たちですから、それそれに秘伝の「継続する習慣」ノウハウを開陳しておられます。今回はその中で、第1章「続けるだけで人生が変わる!「1日30分」の成功習慣」の中の、細谷功という人を取り上げてみたいと思います。

 細谷功氏、私は存知上げませんでしたが、1964年神奈川県生まれ。東大工学部卒業後東芝に入社。エンジニアとして8年間勤務の後、大手コンサルティング会社を経て現在はザカティコンサルティング(株)ディレクターとして活躍中という人です。この人の『地頭力を鍛える』(東洋経済新報社刊)という本が今売れているというのです。

 「地頭力」とは、あらゆる問題解決をするうえでの基本となる「考える力」のことだそうです。「泣く子と地頭には勝てぬ」の例の日本史の地頭(じとう)をもじった、同氏の造語なのでしょうか。
 ともかく変化のスピードが激しく、過去の経験や知識では解決できない問題が増えている昨今、その重要性はより高まっていると氏はいうのです。
 そして1日30分もあれば、「地頭力」を鍛えるには十分。それも1回3分くらいの細切れの時間を利用して、5~10セットの訓練でもOKだそうです。

 それには「フェルミ推定」がお勧めだそうです。はあっ、ふぇるみすいてい??
 「フェルミ推定」(「フェルミ問題」とも)とは、世界的物理学者のエンリコ・フェルミに因んで名づけられたものだそうです。例えば「世界中で一日に食べられるピザは何枚か?」「世界中にサッカーボールはいくつあるか?」といった、「知るか、そんなの」と言いたくなるような算出が困難な数量を、何らかの推定ロジックによって短時間で概算する方法のことをいいます。

 コンサルティング会社の面接試験で出題されることで有名なのだそうです。それのみか、最近マイクロソフトやグーグルの面接試験でもフェルミ推定が出され、俄然注目を浴びているといいます。
 細谷氏は、「これには問題解決の方法論が凝縮されて詰まっている」と述べています。つまり「考える力 = 地頭力」を養うのに絶好だというわけです。

 同氏は「試しにちょっと挑戦してみませんか」と言って、取材者に(上記の本にも載っているという)以下の問題を出しています。

 「日本全国に電柱は何本あるか?」(制限時間は3分)

 そして次に、「読者の皆さんも是非挑戦を。ネット検索は厳禁で、自力で答えを出すまでは、これから後の文章は読むべからず !」と、編集者は厳しく釘をさしています。
 そこで私も必死こいてあれこれ考えて、ともかく答えを出してみました。これをお読みの方も是非解答してみてください。それまでは以下の本シリーズの文章は読むべからず !
 ということで、(以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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痴漢冤罪「無罪」勝ち取る

 だいぶ前ある痴漢事件が世間の関心を集めました。女性、警察、検察によって男性が痴漢にされてしまったこの事件、13年経った今、最高裁で「無罪」結審し、痴漢冤罪の濡れ衣を晴らすことができたというのです。
 このニュースを扱っている『日刊ゲンダイ』(2月10日7面)記事を以下に転載します。
                       *

最高裁まで争った痴漢冤罪

一部上場会社員の「名誉を勝ち取るまで」の13年間

 
13年前、痴漢の濡れ衣を着せられ、逮捕・拘置された後、不起訴となった沖田光男さん(69)。その後、警察や検察、事件をデッチ上げた女性に損害賠償を求める訴えを起こし、先月、最高裁で決着した。
 どんなサラリーマンも通勤電車でいつ同じ目に遭うか分からない。本紙の直撃に、沖田さんが「痴漢冤罪」の恐怖と対処法を語ってくれた。

通勤の電車内で携帯電話注意したのが発端

「電車内で女性が携帯電話で話していたので、『やめなさい』と注意しました。女性は『わかったわよ』と怒鳴りながら切った。事実はそれだけのことです」
 大手機械メーカーの課長だった沖田さんは1999年9月2日夜、JR中央線の車内で20代の女性を注意。国立駅で降り、自宅に向かって歩き始めたところ、突然、2人の警察官に呼び止められた。
「電車内で痴漢しませんでしたか」「逮捕する」-携帯電話を注意された女性が腹いせに交番に駆け込んだのだ。

 沖田さんはそのまま立川署に連行。ネクタイとベルトを外され、留置所に入れられた。一睡もできないまま、翌朝、取調べが始まった。
「警察はわりと紳士的でしたが、怖かったのが検事です。30代後半ぐらいでしたが、『おまえはやっている』『証拠はあるんだぞ』『覚悟しろ』と何度も怒鳴られました。女性の写真を見ながら『なかなかの美人じゃないか。痴漢のひとつもしたくなるよな』と水を向けられたこともありました」
 アノ手コノ手で“自白”を迫る検事。何とか拘留期限の21日間、否認し続けた。

「やってないことを認めたら、人生に大きな悔いを残す。21日間だし、とにかく頑張ろうと言い聞かせた。納得いかない調書には署名しなかった。面会に来た上司や妻の激励も支えになったが、大きかったのは留置所の同房者です。少し年下の迫力ある元ヤクザでしたが、『やっていないなら、言い続けろ』『検察のワナに引っかかるなよ』と、いろいろアドバイスしてくれた。不安になる時もあったので、非常に助かりました」

 痴漢を訴えた女性が、検察の出頭要請に応じなかったこともあり、沖田さんは不起訴処分に。釈放された翌朝から出勤した。
「まず部長に挨拶し、人事部に顛末書を提出しました。会社は同情的で、欠勤分は有休扱いにしてくれた。ただ職場の雰囲気は、少しよそよそしかったですね。若い女性も多かったし、疑われているような気もした。1年後、異動になりました」

 警察、検察、女性に損害賠償を求めた訴訟では、裁判所は支払いを命じなかったものの、「沖田さんの痴漢はなかった」と認定した。

「無実が証明されたという点ではホッとしています。ただ3者とも、いまだに謝罪すらありません。痴漢はいったん逮捕されてしまうと、被害者側の供述だけで、一方的に犯人と決めつられる。ただ検察官の取り調べは、21日間のうち、大体6~7日です。やっていないのなら、とにかく否認し続けることが重要です」  (転載終わり)

【私のコメント】
 沖田光男さん、13年間もの長い戦いお疲れ様でした。
 私は当時この事件を知りそれとなく成り行きを見ていましたが、ずい分長くかかってしまったものです。この間、沖田さんは失ったものも多かったことでしょう。しかし今回の最高裁無罪判決によって、(大いにか少しかは分かりませんが)報われた思いでしょう。
 それのみか、断固無罪を主張し続けたことにより注目を浴び、世の中にこういうタイプの「痴漢冤罪」が起こり得ることを広く知らしめました。それだけで沖田さんの社会貢献は大きなものがあると思います。

 警察、検察が大問題なのは、何もこの事件に限ったことではありません。何といっても一番の問題は事件の発端となった若い女性です。
 電車内での携帯使用といい、注意されたのを逆恨みして交番に痴漢通報したことといい、当時確か女子大生だったこの者の、終始一貫した身勝手さがすべての原因なのです。

 ここまではいかずとも、バブル全盛の頃からとみに、若い女性たちの「世界はわたしを中心に回ってるのよ」と言わんばかりのジコチューな思い上がった言動に、私もごく日常で目の当たりにしてきました。
 だからこの事件の何年か前、船井幸雄氏の「これからの新時代をリードしていくのは若い女性たちだ」との見解には、素直に共感できなかったのです。(もちろん一くくりにはできず、いつの時代にも「立派な若い女性」もいることでしょう。)

 船井氏の上の見解と同じ頃、ある人が「日本人のおごり高ぶりは筆舌に尽くしがたい。これは“世の終わり”に決まって起こることである。自分たちの時が残り少ないことを知っている邪霊、悪霊群による総憑依状態によってそうなっているのである」と述べていました。
 こうなると若い女性だけの問題ではなくなりますが、この人の方が真相を突いていると思います。(注 「相応の理」でこちら側に原因がなければ、そういう存在に憑依されることはない。)

 まさかくだんの女性は当初、「騒ぎ」がこれほど大きくなるとは予想もしていなかったことでしょう。事が大きくなって改めて、自分が犯した「犯罪行為」の重大さを思い知ったのではないでしょうか。
 この女性とて「良心」はあるのでしょうから、この13年間ずっと罪の意識にさいなまれ、まるで生きた心地がしなかったのではないでしょうか。沖田さんに会い前非を悔いて心の底からお詫びでもしない限り、今後共心の中に罪を背負ったまま生きていかなければならないのです。
 結局、あたら惜しい人生を棒に振るほど大損をしたのは、この女性なのです。

 (大場光太郎・記)

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歴史を知れば横浜はもっとおもしろい

                                山崎洋子 (作家)

 意外かも知れないが、横浜の歴史はなぜかあまり興味を持たれていない。街としては知名度も人気も抜群なのに、その歴史となると、一般的には「ペリーが来たんでしょ?」くらいにしか認識されていないのだ。2009年に開港150周年を迎えたが、その折り、横浜市役所、中区役所といった中心地の行政にすら、開港の歴史に興味のない人が多いことを知って驚いた。
 それでいて「特異な歴史のある街」というイメージだけは強い。私は数年間、横浜観光親善大使の審査員を務めさせていただいたが、「横浜の魅力はなんだと思いますか?」という問いに対して、応募者のほとんどが「古さと新しさが混在していること」と答えた。
 「新しさ」は「みなとみらい」だ。しかし「古さ」となると、なぜかみんな曖昧になる。「洋館がたくさんあって……」「開港の歴史が……」と実に大ざっぱで、具体的なものが出てこない。じつのところ、古い洋館も決して多くはない。県庁、税関、開港記念館という横浜三塔も、山手にある観光名所の洋館も、大正・昭和のものだ。「外交官の家」は明治43年の建設だが、東京の渋谷から移築したもの。開港場横浜を彩った幕末・明治の建造物は、残念ながら関東大震災、横浜大空襲で消えてしまったのである。
 「物」が見えないと、歴史は頭に入りにくい。また、横浜には年々、新しい名所が出来ていく。昨年はみなとみらいにカップヌードルミュージアムが誕生した。赤レンガ倉庫や象の鼻パークは歴史を残したものじゃないか、と言われるかしれないが、ショッピングビルと化した赤レンガ倉庫や象の鼻パークから、いにしえの姿を偲ぶのは難しい。他所から来た友人に、「雰囲気を味わいながらこの街の歴史を知りたいわ」などと言われるたびに、さてどこへ案内して、どんなふうに話そうかと悩んだものだ。
 で、いまはもうコースを決めている。開国・開港のエピソードを語るには、山下公園通りを歩くのが一番。元は砂洲だったこのあたりに、素朴な横浜村があった。そこが思いかけずに米和親条約交渉の場に選ばれ、さらに港が築かれて「冒険者の都」となった。元町も中華街もその過程で生まれたのである。
 そんな話をしながら歩くうちにホテルニューグランドが現れる。華やかな国際都市だった横浜は大正12年の関東大震災で焦土と化した。そこからの復興シンボルとして、このホテルが建造された。横浜でもっとも伝統と格式のあるホテルだが、終戦後は米軍に接収され、最高司令官だったマッカーサーを迎えている。横浜の光と影を色濃くまとったこのホテルは、ドラマチックな秘話の宝庫だ。
 そこでこういった話を一冊の本にまとめてみた。タイトルは『横浜の時を旅する-ホテルニューグランドの魔法』(春秋社)。この街の賑わいや美しい夜景を堪能されたら、胸躍る歴史のエピソードにも、ぜひ目を向けていただきたい。 (転載終わり)

                       *
【私のコメント】
 上の一文は、有隣堂書店(本店横浜市中区伊勢崎本町1-4-1)の広報紙『有鄰』最新号の2面右上段コラム『「海辺」の創造力』に寄せられた横浜エッセイです。昨年10月の藤原帰一氏の『ほんとうの横浜』に次いで2回目となります。

 山崎洋子という作家は今まで存知上げませんでしたが、少し調べましたので略歴を簡単にご紹介します。
 山崎洋子(やまざき・ようこ)氏は、1947年京都府宮津市生まれ。少女時代横浜市に転居し市内の県立新城高校卒業。コピーライター、児童読物作家、脚本家を経て、1986年『花園の迷宮』で第32回江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビュー。1995年『熟月』で第16回芳川英治賞受賞。夫は脚本家の山崎巌氏。テレビ朝日系『スーパーモーニング』のコメンテーターとして出演していた。最近では、『横浜開港絵巻 赤い崖の女』(2008年)『港町ヨコハマ異人館の秘密』(2010年)などの“横浜モノ”がある。

 同じ神奈川県内とは言っても、県東端の横浜市と県央地区の当厚木市ではずい分離れています。
 業務の関係上県の本庁舎や分庁舎などに月に1、2度行くことがあります。横浜は“好きな街”なので、その時見聞きした横浜なかんずく県庁舎近辺の“ディープ横浜”の小紀行文をこれまで折りに触れてずい分公開してきました。
 横浜三塔のうちの県本庁舎、開港記念館。横浜スタジアム、山下公園、馬車道、大桟橋、赤レンガ倉庫。ランドマークタワーにみなとみらい地区などなど。

 しかしそれらはたまに横浜を訪れた余所者がちらっと見聞し、あくまでのぞき見しただけの横浜スケッチにすぎません。
 それは現在見えている姿であり、山崎先生ご指摘のとおり、考察が横浜の歴史に及ぶことはめったにありません。私自身が横浜の歴史などあまりよく知らないのですから。それに私の小紀行文の及ぶ範囲はせいぜいみなとみらい地区から山下公園くらいまで。
 いつか業務を離れて、山手の洋館群、外人墓地、みなとが見える丘公園あたりをじっくり散策してみたいものとの想いすら、今の私には望外な望みのようです。

 山崎先生が上の文で指摘されている事は、ひとり横浜だけの問題ではないのかも知れません。函館、神戸、長崎なども横浜と同様の事情で、幕末期その地の様相がにわかに急変し、以後エキゾチックな歴史性を帯びた街として一大観光都市となっていきました。これらの街並みにも似たり寄ったりの事情がありはしまいか、と思うのです。

 さらには関東大震災、大空襲による由緒ある街並みの消失に加えて、戦後はもう一つ重大な要因も考えなければなりません。それは「歴史的街並みの保存」という思想をそっちのけにした、都市開発、都市整備という名の「旧市街破壊」です。これによっても、横浜をはじめ東京、京都、鎌倉、名古屋、大阪などの全国各都市の下町情緒などがずい分失われてしまったのではないだろうかと思うのです。      (大場光太郎・記)

引用
『有鄰』2012年1月1日号2面『「海辺」の創造力』
関連記事
『ほんとうの横浜』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-b57f.html
『「赤い靴の女の子の像」実見記』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_2c19.html
『横浜の秋風に吹かれて(1)~(4)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/index.html
『神奈川県庁本庁舎にて(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/index.html

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金総書記死去に気づくまで

 -本記事は金総書記死去についての正式な論評ではありませんので、あしからず-

 金正日総書記が17日死去したニュースはどなたも既にご存知のことでしょう。激動の今年の最後を飾ることになるかもしれないビックニュースですから、私もいち早く一文にまとめたいと思いました。しかし何分急なことで、にわかにまとめても気の利いた文に仕上げられるか心もとありません。
 そこでしかるべき一文は後日ということで。無テレビ生活者の私が金総書記死去を知ることになった経緯などを、雑記風に記してみたいと思います。

 19日は昼前から外出し、横浜市内の某社に伺いました。帰宅したのが夜の7時過ぎ。一通り雑用を済ませて、本日午前10時以降のアクセス状況のチェックに入りました。

 当ブログ、3月11日の東日本大震災以降(あくまでも当ブログ基準ですが)しばらくはアクセスが急上昇していました。私が一番重視しているのは純訪問者数(ユニークアクセス数)ですが、大震災以前は一日平均300人~400人でした。それが大震災以降、同震災や原発事故関連記事をけっこう公開したこともあり、右肩上がりで急上昇していったのです。ピーク時は4月から6月頃で、純訪問者数が連日1000人を超える勢いでした。

 『このままずっとこの調子で行ってくれればいいんだがなぁ…』と淡い願望を抱いていました。しかし被災地や福島原発関連報道がめっきり減りだしたという7月頃から、当ブログ訪問者数も減少していきました。
 1000人から900人、800人、700人…。多事多難の今年も終わろうとしている今では、死守したかった500人をここ3日ほど遂に切ってしまっていました。訪問者数、アクセス数は記事を更新し続けるための大きな励みになるので、急下降は「とほほほ」なのです。

 本夜アクセス状況をチェックするに当たっては、『きょうは500人台に戻ってくれればいいがなぁ』くらいのものでした。ところが、本日のアクセス集計を見てびっくりです。夜7時過ぎの段階で、なんと1400人以上もの純訪問者数だったのです。
 こういう場合は過去の例から、どれか一つの記事にアクセスが集中しているものです。それはどれか?『さては「きゃりぱみゅ呪いの動画」か?』と推測しました。つい最近公開し、わりと人気があったからです。
 レディー・ガガが紅白の「サプライズゲスト決定か !?」と噂されることもあって、これが例によってツイッターで取り上げられたのか?と当たりをつけたのです。

 そこで次に記事毎アクセス数を見てみました。すると私の見当は大はずれで、集中していたのは『池田大作氏死去?』記事だったのです。
 いつか書こうと思っていましたが、『池田大作氏死去?』は3・11直前に公開したものですが、当ブログ総記事数1300弱の中でアクセスの多さではダントツです。2位は昨年2月の『朝青龍が暴行した相手』ですが、1年以上遅れて出したにも関わらずこれに数倍くらいの差をつけているはずです。

 公明党の支持母体の絶対的権力者だけに、「一体生きているのか、死んでいるのか」、その動向には多くの人が並々ならぬ関心を寄せているようです。この記事だけで1日200人~300人という日がかなり続きました。しかしマコトかウソか、今年10月頃からにわかに創価学会の機関紙である『聖教新聞』などで、池田センセイご健在の報道が続き出したようです。
 真贋(しんがん)のほどは定かではないものの、お元気な「御真影」まで掲載されたようです。その頃からアクセスががた減りとなり、昨日は45人(64件)となっていました。

 突然の同記事へのアクセス集中に、私はとっさに『層化も遂に隠し切れなくなって、池田死去を発表したのか?』と思いました。
 アクセス状況をもっと詳細にチェックするに、集中が始まったのは昼12時過ぎから。ピークは3時台でした。さては昼のNHKニュースで報道し、一気に火がついたのかと思ったのです。(結局同日の同記事総数は、1169人-1365件)

 「池田大作死亡」などの検索フレーズをたどると、膨大な検索数の中で、当ブログの『池田大作氏死去?』が1面のしかもトップになっていることは前から知っていました。ほかの記事ならいざ知らず、警察、検察、裁判所、弁護士会などに多数の学会員を送り込んでいる、天下の創価学会が相手ですから決して喜べないのです。
 今回も気になってたどってみました。確かヤフーだったかと思いますが、1面右サイドに「聖教新聞」サイトの広告が出ていました。本家に当たって見るのが、一番手っ取り早いわけです。そこで同サイトを訪問したところ「池田先生御崩御」などの見出しはどこにもなく、あろうことか「どこそこ国の何とか大学から、池田名誉会長に名誉博士号が授与された」という、お決まりの記事の類いがあるばかりです。

 その時点で「池田死去報道」が事実あったのかどうか、分からなくなりました。もしそんな事実がなかったとしたら、ではなぜ突如アクセスが殺到したんだ?ますます頭がこんがらがってきそうです。

 そうこうしているうちに、グーグルやヤフーなどさまざまなところからアクセスがありましたが、特にあまり聞きなれないURLからのものが圧倒的に多いことに気づきました。それはこちらです。
http://www.ig.gmodules.com/gadgets/ifr?exp_rpc_js=1&exp_track_js=1&url=http%3A%2F%2Fwww.gstatic.com%2Fig%2Fmodules%2Frealtime_trends%2Fv20%2Frealtime_trends.xml&container=ig&view=home&lang=ja&country=JP&sanitize=0&v=8c8a8a65259f74eb&parent=http://www.google.co.jp&libs=core:core.io:core.iglegacy:auth-refresh&is_signedin=1&synd=ig&mid=149

 やたら長いURLで、よく分からないサイトです。「グーグル検索」とあり、1から10までのフレーズが表示されています。
 そのトップに「金正日」があり、そして「金正日総書記死去」というのがあったのです。ずいぶん回りくどくなりましたが、そこで初めてその事実を知り『これは大変だ』となったのでした。

 それにして面妖な話です。金正日死去ニュースの日に、なんで『池田大作氏死去?』記事にアクセスが殺到したのか?そして池田氏とは何の関係もない上記URLから、同記事へアクセスできたのか?今もって謎だらけです。

 前者について勝手に推察するとすれば。北朝鮮の独裁者の金正日をわが国に当てはめれば、創価学会の池田大作。1兆円もの個人資産を海外に隠しているとされる池田大作ですから、かの国の金王朝に対して池田王朝といっていいのでしょう。
 さらには池田大作こと成太作(ソン・テチャク)率いる創価学会と、北朝鮮との親密な関係に関心を寄せている方もおいでなのかもしれません。
 金正日死亡となれば、一方死亡が噂されている池田大作はどうなんだ?と疑問に思った人が多かったのかもしれません。

関連記事
『池田大作氏死去?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-d3f9.html
『きゃりぱみゅ「PONPONPON」は呪いの動画?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-537c.html
『朝青龍が暴行した相手』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-8c45.html

 (大場光太郎・記)

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ほんとうの横浜

 神奈川県の老舗書店・有隣堂の広報紙『有鄰』2面に、『「海辺」の創造力』というコラムがあります。横浜にゆかりのある文化人が一文を寄稿しているのです。
 
 第515号の同コラムは、藤原帰一氏の『ほんとうの横浜』という一文でした。同氏は東京大学法学政治学研究科教授で、専門は国際政治学、比較政治学、フィリピンを中心とした東南アジア研究です。
 とお堅い肩書きよりも、テレビの報道番組のコメンテーターとして顔なじみの人も多いことでしょう。私もかつて何度か同氏の話を聞いたことがあります。姜尚中(カン・サンジュン)氏、金子勝氏などもそうですが、思想傾向はよく分からなくても『さすが東大教授、気の利いたことを言うものだ』と感心しながら、同氏のコメントを聞いていました。

 今回ご紹介するのは、そんな藤原帰一氏の「気の利いた一文」です。氏は横浜市戸塚区在住とのことですが、歴史的由緒も折り込んだ「横浜文化論」、横浜紹介文となっています。氏の横浜愛が行間から伝わってくる、これぞ「ザ・エッセイ」の見本のようです。
 文の雰囲気を壊さないため、行の詰まった原文のままの掲載とします。

                      *
本当の横浜   藤原帰一

 横浜の人間だ、という気持がある。
 生まれたのは東京。父の職の関係から引越しを繰り返したので、小学生の頃まで、ここが故郷だと思えるようなところがなかった。外国にいても日本にいるときも、本来の住民ではない余所者、闖入者のような居心地の悪さがつきまとっていた。
 中学生の時、横浜に引っ越してから、気持が落ち着いた。その後も留学や結婚で住所を移したけれど、いつも横浜に帰ってきた。九〇年代に入って、子たちも横浜の学校に通い、横浜の人間だと思うようになった。
 では、横浜はどこを指す言葉なのか。そこがよくわからない。
 篠原町、駅でいえば東横線の白楽に近い私の実家についていえば、ここは横浜だという手応えがある。栗田谷を越えれば港に続く平地だし、県知事の公邸も近い。本牧・山手からぐるりと港を取り囲む山の手の、そのいちばん端っこというイメージだ。
 でも、いま住んでいる戸塚が横浜だ、という感覚が私にはない。横浜よりも劣っているとか優れているとかいった序列の問題ではない。横浜が開ける前から東海道の宿場町として伝統を誇っていたということもあり、戸塚は横浜である以前に戸塚なのである。
 それでいえば、横浜駅が横浜だという気持も少ない。横浜駅周辺より野毛や伊勢崎町の方が市街地も古い。私にとって横浜駅とは横浜への入り口という意味だった。有隣堂だって駅地下のお店で買うことの方が多いのに、伊勢崎町が本店、ダイヤモンド地下街は世を忍ぶ仮の姿だと思いこんできた。
 もちろん私の頭が古いのである。桜木町から大桟橋にかけての「横浜」は開港地の横浜であり、戸塚区とか緑区とか多くの外延を抱えた大都市とは意味が違う。後者は人口は多くても要するに東京への通勤客を抱えた「ベッドタウン」(凄い言葉ですね)としての横浜、前者は人口こそ少ないかも知れないけれど、文明開化の中心拠点、『或る女』の早月葉子が汽車に乗ってわざわざ買い物にやってきた横浜だ。私は、それこそが横浜だ、「ベッドタウン」は横浜の偽者だという観念によって、郊外の住宅地となった横浜の実家から目を背けようとしていた。
 文明開化のおしゃれな町というだけではない。港町だから闇の顔、犯罪だってあるだろう。かつての日活アクション映画では、横浜の倉庫に集うのがギャングの習わしだった。いまはショッピング・モールに姿を変えた新港埠頭は、撃ち合いにはぴったりのフォトジェニツクな空間だった。
 そんな古い「横浜」への郷愁が、私にはある。しかし、私が中学生で引っ越したとき、古い「横浜」はほとんどなくなっていたはずだ。私は、自分が経験したことのない「過去」を仮構し、覚えているはずのない「過去」を思い出し、自分の経験であるかのように思い込んで、「過去」を懐かしんでいることになる。それが私にとっての、ほんとうの横浜だ。 (転載終わり)

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時の話題(11)

 -「トヨタОL」から米NFLチアリーダーに転身した、佐竹美帆さんのこと- 

        
             実業団トヨタチーム・チア時代の佐竹美帆

 世の多くの男性諸氏がそうでしょうけれど、ピカピカ輝いて生きる女性の姿を見たり、話に聞いたりするのは、実に気持ちがいいものです。今回取り上げた佐竹美帆さんは、まさにそれに打ってつけの「今が旬」の女性です。

 佐竹美帆さんは埼玉県出身で現在24歳。立教女学院短大から「世界のトヨタ」に入社したという才媛です。その彼女が、米プロフットボール(NFL)のチアリーダーという未知の領域にチャレンジしたというのです。
 もっとも佐竹さんは、8歳から器械体操を始め、短大時代は主将を務め、昨季までは実業団のトヨタ自動車アルバイクの専属チアリーダーとして活躍していたそうです。

 そんな佐竹美帆さんは今年3月、「サンフランシスコ49ers ゴールドラッシュ」(NFC西地区所属チーム)のチアリーダーメンバーに、日本人で唯一選ばれたのです。

 それにしても「世界のトヨタ」を辞めてまでも、チャレンジした理由とは何だったのでしょう?それについて彼女は、「会社で昇進を目指すより、自分にしかできないことをやってみたかったから。安定を捨てても、夢を追い求めてみたかったんです」と語っています。
 佐竹美帆さん、あなたは偉い ! うら若い女性なのに、何とも見上げたチャレンジ精神、パイオニア精神ではないですか。私を含めた安定志向系のナヨナヨ“草食男子”は、彼女を大いに見習わなければなりません。

 その決断に対しては、両親はもとより、会社の上司らから猛反対されたそうです。今回のオーディションでも、面接の際に「現在はトヨタに勤務しております」と言ったら、面接官が「本当に辞めるの?」とビックリしていたそうです。
 「顧みて我が心の直くんば、千万人と雖(いえど)も我征かん」 (孟子)
 「障害や批判、周囲の状況にも惑わされず、人々が、何を言っても、思っても、しようとも、かまわず、心に描いた計画を、強固な決意をもって成し遂げよう」 (P・マイヤー)
 こういう「夢 = 願望」にひたむきな人は、必ずその道で大成できるものです。

 それくらい佐竹美帆さんには、「チアリーダー」に賭ける熱い想いがあるわけです。「その魅力は?」という質問に対して彼女は、
 「踊っているうちに嬉しくなり、自然に笑みがこぼれて、お客さんと一緒に楽しめることです。大きな試合では達成感が得られます。選手、お客さん、チアリーダーが一体となって盛り上がった時は生き甲斐を感じます」
と語っています。彼女は、身をもって「仕事の本質」を理解しているようです。

 そんな佐竹美帆さんにも、つらいことはあるようです。
 「ダイエットですね。お腹や足を出すユニホームが多いので、チアリーディングでは、スタイルを維持するのも重要な要素のひとつなんです。太りやすい体質で、3年前は今の体重からプラス10キロはあった。3年前に3ヶ月で3キロ落とし、今回のオーディションに向けては3キロほど落としました」
 それに日常はびっしりレッスンが組まれており、練習を休むと「契約解除」という厳しさです。
 
 さらに「NFLの待遇は恵まれているのですか?」という質問には、
 「1試合あたりのギャラは100㌦(約8100円)です。ホームゲームだけの活動なので、年間10試合で総額は1000㌦。スタジアムまで車で移動するガソリン代は支給されますが、住居費は自己負担です。貯金を切り崩さなければならず、切り詰めてやるしかありません」
 だから両親らは猛反対するわけです。しかしこれもしばらくの辛抱でしょう。仕事に全エネルギーを傾注できる人には、やがて思わぬところから援助やスカウトがあったりして、「お金は後からどんどんついてくる」ものですから。

 佐竹美帆さんいわく、「日本のチアのレベルは低く、取り巻く環境が整っていないからだと思います。チアリーディングを色眼鏡で見る人たちの認識を変えるために、日本のスポーツチアとして確立させたいですね」と、将来の遠大な夢を語っています。
 とともに、「いつか彼氏に見に来て欲しいですね。交際どころか接触すら禁じられているので、NFL選手は恋愛の対象外です」と、ちょっぴり年頃の女心ものぞかせています。

 私ごときが応援するまでもないことでしょうが、「佐竹美帆さん、ガンバレー  !!」

【注記】 本記事は、『日刊ゲンダイ』(5月23日付)スポーツ欄「美女インタビュー」を参考、引用してまとめました。
 それに本記事とは関係ないことながら。「これは驚いた !」。先日の『これは驚いた ! 小沢氏に渡部、前原急接近』記事が、26日深夜現在の『阿修羅掲示板』の「拍手ランキング(24時間)」で2位、「総合アクセスランキング(24時間)」で3位になっていました。
 いつも当ブログ記事を掲載してくださっている「七転八起」様には、あらためてお礼申し上げます。     

 (大場光太郎・記)

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ブログ再開します !

 24日突然「管理トップ面」に入れなくなってから数日、このたびようやく入れ、こうして記事作成することができました。
 今年に入ってブログ管理会社の@niftyは、より一層のセキュリティ強化のためもあるのか、各種システムの変更を進めています。このため従来ならば、例えばパスワードを忘れてしまっても、簡単な手続きで難なく管理トップ面に入れたのが、今度からそうは行かなくなったようなのです。

 今回私なりに八方手を尽くして調べた結果、ブログ毎に新たな固有の@niftyID及びログインパスワードが必要とされることが分かりました。
 ブログ再開のためにはこの2つがどうしても必要なため、今回はそれを求めて「ココロクトップページ」「@niftyトップページ」から当該ページをたどったり、自動音声サービスに何度もトライしたり、返信がくるまでまる1日以上かかるメールを2度ほどやりとりしたり、フリーダイヤルから入って@niftyの担当オペレーターと直接話をしたり…。
 毎日空き時間を利用しては、ブログ再開に向けて奔走しました。

 アラビアンナイトのアリババの「開けゴマ !」の大呪文じゃあるまいし。金銀財宝がうず高く積まれた岩窟に入ろうというような、大それたものではないのだし。@niftyさん、以前のようにもう少し簡便に入れるようにしてくださいよ、と思わないでもありません。
 しかし何はともあれ、結果オーライ。新しく当ブログに割り当てられた@niftyID、ログインパスワードを取得し、本日こうして管理トップ面に入ることができました。

 記事更新ができなかったこの数日間、当然のように世の中はめまぐるしく動いています。政治的には、辞任しないと言い張っていた柳田法相が結局辞任を余儀なくされました。勢いづいた野党はさらにたたみかけるように、仙谷官房長官、馬渕国交相の問責決議案の可決に持ち込み、菅政権をさらなる窮地に追い込もうとしています。
 自己保身にかけては天下一の策士である仙谷由人は、「何があっても辞めない」と、胃を全摘出してまで手に入れた官房長官の地位に、何が何でもしがみつくつもりのようです。「石にかじりついてでも」「支持率が1%になっても総理を辞めない」という菅直人同様、何とも浅ましい妄念、妄執と言うべきです。

 しかし谷垣禎一自民党総裁は「菅政権にあって官房長官の制度設計の誤りは重大だ」と、かつて仙谷は「谷垣とは東大法の同級生だから、あいつをオレ様の意のままに動かすのは簡単だ」と、谷垣派との大連立めいたことを豪語していたのとは裏腹に、今度ばかりは謹厳居士の谷垣氏は、同級生・仙谷斬りのためテコでも動かぬ構えのようです。
 「6・2クーデター」以来、菅直人、仙谷由人、前原誠司が、どれだけこの国の政治を壟断(ろうだん)し、あらぬ方向に誤導してきたことか。尖閣問題A級戦犯の前原誠司は、どういうわけか今回の問責決議の対象にはなっていませんが、この国を正常に戻すには、この3人を「出来れば民主党外、最低でも閣外」に追放すべきです。

 今や焦眉の急となっている、北朝鮮砲撃事件、米韓合同演習、沖縄県知事として仲井真弘多が再選されたことなどは、『米韓演出?北朝鮮砲撃』コメントで折りに触れて述べたとおりです。

 ところで記事更新が出来なかったここ数日、さぞやユニークアクセス(純訪問者)数、アクセス数ともに、下降気味だろうと思いきや。これが意に反していつになく急増中なのです。 ちなみに30日はピークで、純訪問者数-1172人、アクセス数-1643件となっています。 これには『それじゃあ、何もシャカリキに記事更新しなくてもいいんじゃん』と、少々複雑な気持ちです。

 この原因はハッキリしています。何日か前に起きた「市川海老蔵暴行事件」特需によるものです。どうやら海老蔵に暴行を働いて現在行方をくらましている男(26)が、今年1月朝青龍から暴行された「川奈毅」一派らしいことにあるようです。
 そのため、朝青龍暴行事件直後の『朝青龍が暴行した相手』記事に、改めてアクセスが集中しているのです。本記事で「海老蔵暴行事件」を詳細に述べることはできませんが、これだけ関心が高い事件であるからには、「今風(弱小)瓦版」を自負する(笑)当ブログとしても、何らかの形で取り上げないわけにはいかないようです。

 再開早々、いつもの「駄ベリング調」になってしまいました。
 当ブログ今後ともよろしくお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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