宮脇昭博士、「森の防災力」を語る
-宮脇博士の提言がいかに素晴らしくとも、ゼネコンとズブズブ癒着で箱物志向の政府系復興会議のメンバーに招聘されることはないのだろう-
『日刊ゲンダイ』(8月31日)が、3面にわたって「災害の国で生きる」という防災特集を組んでいます。今回ご紹介するのはそのうちの『森の力で防災を』(同日号34面)という、「森再生の第一人者」の宮脇昭横浜国大名誉教授の提言です。
「日本一木を植えた男」として名高い宮脇先生の提言は傾聴に値します。
なお宮脇先生については、だいぶ前の『寒川神社参拝記(2)』(08年1月)記事で少し触れました。以来宮脇先生の業績について「いずれ詳しく・・・」と考えていましたが、いまだ果たしていませんでしたので、今回ちょうど良い機会となりました。 (大場光太郎・記)
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「災害の国で生きる」 森の力で防災を
あの3・11東日本大震災から2年半。巨大地震と巨大津波の恐怖を忘れる間もなく、ゲリラ豪雨や土石流、桜島の爆発的噴火などの自然災害の脅威が襲っている。9月1日の「防災の日」は、こうした大自然がもたらす災害から、どうやって自分や家族の命を守るのかを改めて考えてみる節目の日だ。
2万6000人近い死者と行方不明者を出した東日本大震災の大津波の被害は、従来の防潮堤では役に立たないことを思い知らされた。そんな瓦礫の山がいまだ残されたままの被災地の沿岸に、「いのちを守る森の防潮堤」づくりがボランティアたちの手で進められている。果たして森の防潮堤は、どれだけ津波の被害をくい止めてくれるのか。プロジェクトの発案者である横浜国立大学名誉教授でIGES国際生態学センター長の宮脇昭博士に聞いた。
コンクリートの防波堤だけでは限界がある
「東日本大震災で津波による死者・行方不明者が1000人以上にのぼった釜石では、世界最大水深の防波堤としてギネスにも認定された釜石港湾口防波堤が2009年に完成し、これで防災は完璧だと想われていました。しかし、予想が間違っていたため防波堤は破壊され、津波が市街地へと押し寄せて大きな被害が出てしまった。一定の減災効果があったとされているものの、コンクリートだけ築く防災対策の限界を如実に示しているのではないでしょうか」と、宮脇博士。
自然災害は複合的なものだ。大地震が発生すれば、津波も起こり、家屋の倒壊や火災も発生する。台風で豪雨が続けば洪水や土砂災害が起こることもある。こうした複合的な自然災害に対して、ハード面だけの一面的な防災対策だけで対応しようとすれば、経済的な負担は天井知らずに膨らんでしまうと宮脇博士は話す。
「しかも、鉄筋コンクリートで構築したものは時間とともに劣化します。塩害にさらされる防潮堤はなおさらです。もちろんハード面の対策も必要ですが、一方で、私たちの命を守る土地本来の“ふるさとの森”づくりを進めていくことも必要なのです。森は、ゆるやかな有機体。森全体がひとつの生き物なので、何千年にもわたって強く生き抜く力を持っています。この森の力を活用することこそ、鎮守の森をつくり、守ってきた日本人の知恵なのです」
“鎮守の森”こそが防災の要になる
沿岸に鎮守の森をつくることが、防災にどれほど役に立つのだろうか。
日本の海岸林といえばクロマツやアカマツが防風、防潮、防砂の機能を果たしてきた。が、マツだけの単植林は津波には脆弱な面があり、東日本大震災の津波ではコンクリートの防波堤ともどもマツの海岸林が破壊され、流木化したマツが家屋を倒壊するといった2次的な被害ももたらした。
「マツは土地保水力が小さいため、大きな津波では根こそぎ倒れてしまいます。被災した海岸林には、トベラやマサキといった常緑広葉樹が生き残っており、東北地方の海岸には、タブノキやシラカシなどの常緑広葉樹を中心にした森が残されている。これらの広葉樹は地中にしっかり根を張り、相互に絡み合うので、東日本大震災の津波でも根こそぎ倒れることなく、生き残ったのです。この常緑広葉樹の多層群落の森が波砕効果で津波のエネルギーを激減させる。それに、津波の引き潮時には、人や財産が海に流されるのをくい止めてくれる命を守る森になるのです」
タブノキ1本、消防車1台
タブノキやシイノキ、カシ類などの常緑広葉樹の森は、津波だけではなく防火にも役立つと宮脇博士は言う。
「タブノキは“火防木(ひふせぎ)”と呼ばれていて、タブノキ1本、消防車1台』といわれるほど防火力が高い。これは歴史的な大火事でも証明されています。例えば、今から四十数年前に起きた酒田市の大火事では、タブノキが火をくい止めたことが現地調査で明らかになっています。また、関東大震災では、陸軍本所被服廠(しょう)跡地に逃げ込んだ約4万人のほとんどが焼死しましたが、わずか2キロしか離れていない旧岩崎邸(現・清澄庭園)に避難した約2万人は焼死者が1人もいなかった。生死を分けたのは、やはり火防木でした。岩崎別邸には、タブノキやシイ、カシ類の常緑広葉樹が敷地を囲むように植えられていて、火災から人々を守ったのです」
鎮守の森は、大地震に付きものの津波にも火災にも強いのである。
「使えるものは使うという発想が大切」
宮脇博士は、瓦礫の山となった東日本大震災の被災地を訪れ、まるで地獄絵を見るようなショックを受けると同時に、瓦礫を使って広葉樹の森をつくれば、次に自然災害に襲われても生き延びることができると、生態学者の勘が働いたと言う。
「瓦礫で害のないものは穴を掘って、土と混ぜて埋め、その上に土をかぶせて丘をつくる。そこに、大きくなる力を持った多種多様な常緑広葉樹の苗を混植・密植するのです。瓦礫と土壌の間に空気層が生まれ、根は深く地中に入り込んで瓦礫を抱くように伸びていきますし、土地本来の森(潜在自然樹)の多くの樹種を混ぜて植えれば、管理費不要で自然の森と同じように自然淘汰で枯れたものは肥やしになる。こうすれば、自然の掟にしたがって、20年で20㍍近い防災・環境保全の多彩な力を何百年、何千年も果たし続ける。命と地域経済を守るふるさとの森になるのです」
4000年も昔から、新しい集落や町づくりに、世界で唯一、日本人だけがつくり、守ってきた鎮守の森は、古来、災害から人々の命と生活を守る、世界に誇る存在だったのだ。 (転載終り)
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『寒川神社参拝記(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1238.html
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