中津川寸描

   白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ  (若山牧水)

 本日夕方厚木市内で所用を済ませた帰り道、例の中津川沿いの道を通りました。そしてこれもいつものことで、その堤防を下りてみました。
 堤防道の反対の町側には、三階建ての県営住宅が建ち並び、西日はその陰に隠れて見えません。それでこちら岸は日陰。ただ、川の向こう側半分くらいを明るく照らしております。例の二、三十メートル下流の堰で蓄えられた水は湖水のように満々と湛(たた)え、水面(みなも)が青く、下流からの南の風に少し逆波(さかなみ)立って見えております。
 きょうはやや風が強い一日でした。分けても川風は、街風よりも一段と強く吹き渡るもので、川のエリア内は十分に涼風(すずかぜ)ゾーンです。ただ堤防に座っているだけで、本当に爽快な気分です。

 腰を下ろし川を見渡して真っ先に目に飛び込んできたのが、一羽の白鷺(しらさぎ)の姿でした。私のいる位置より上流十メートルくらいの川中です。その更に上流に、もう去年の枯れ葦をほぼ覆いつくすように青々と伸びた葦が、びっしり繁茂している中州があります。その州伝いの浅瀬に、白鷺が立っているのです。白鷺は下流を向きながら、長い脚の下部を水に浸(つ)けて、じっと佇んでおります。赤々とした返照(へんじょう)を一身に浴びた、真っ白い姿です。みごとなほどに純白で、実に絵になる姿です。

 その姿を見つめながら私は、あることをふと思い出しました。
 つい三ヶ月弱前の四月二十八日。私は「二木紘三のうた物語」への(いささか大げさながら)「辞世」のつもりで、「白鳥の歌」コメントを発表致しました。『おそらくあんな文は当分は書けないだろうなあ。またコメントすることが分っていたら、取っておくんだったなあ』。牧水の歌の白鳥(しらとり)と、今見ている白鷺がダブって感受されたのです。

 忘れておりました。私が堤防を下りた途端、こちらの丈の長い草が生い茂る水際からツツーッと一羽の鴨(かも)が、川の方に泳ぎ去っていきました。この中津川で鴨は常連の鳥です。特に秋も深まった頃から春先にかけては、時に数十羽ほどの大群を見かけることもあります。
 人の気配にとても敏感で、『そんなに慌てて逃げていかないでよ』と思っても、いつも決まってそうなのです。さてどこへ行くのかな?と思ってみていると。何と白鷺のいる方へスイスイ…と。そしてそのすぐ側でようやく落ち着きました。何といっても種類こそ違え、同じ鳥類ですからねえ。
 互いにつかず離れず。白鷺は側近くの鴨のことなどまるで知らんぷりで、依然下流をじっと見つめたまま。孤高な純白の立ち姿を守っておりました。
 (大場光太郎・記)

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中津川のこと

 きょうは霧雨が降っているようないないような。外に出てみても傘がいるのやら、いらないのやら。道行く人は?と見ると、やはり傘をさしていたりいなかったり。
 午後三時過ぎともかく霧雨もスッカリ上がり、雲間を通して薄日がほんのり射してきました。

 書く題材が何もない時の「身辺雑記」。分けても「中津川のようす」。そのさまを眺めていると、書く素材が一つ、二つたいがい見つかります。とにかく。私にとって中津川は、身近な所で本式な自然が残されている唯一といっていい場所です。
 いずれデジカメでもそろえて(まだ持っていないのです)、当ブログへの画像の取り込み法をしっかりマスターした暁には、「中津川の四季」という年間シリーズを予定しております。(気長くお待ちください。)

 自然は、本当に時々折々にさまざまな表情を見せてくれます。この中津川も何年も前からしょっちゅう行っていますが、それこそ四季によって、日によって、行く時間帯によって微妙に違っており、同じ表情は無いといってもいいほどです。それはそうですよね。日の高さ、雲の具合、風や雨のさま、登場する生き物…すべて違うわけですから。

 本日は夕方六時過ぎ立ち寄りました。堤防を下りて、いつもの突起の指定席に腰をおろします。先ほどまでの雨で少し湿っています。
 座っている所から二、三十メートル下流の所に、こちら岸から向う岸まで、幅七、八十メートルくらいの堰が設けられています。一キロ弱先の相模川への流量調節が目的だと思われます。きのうから降り続いた雨で、堰のこちら側は満々と水を湛えています。
 それにしては意外なほど流れは穏やかで、水面(みなも)がわずかに揺らいでいる程度。まるで水鏡(みずかがみ)のように、対岸や中洲の繁茂した青葦、対岸堤防上の木立が川面に鮮やかに映っています。

 時に何鳥なのか、小さな鳥が下流から上流へ「チチチチッ チチチチッ」と、鳴きながら飛び去っていきます。堰の方からは、勢いよく流れ下る川の水音が絶え間なく聞こえています。時折り、すぐ近くの川辺の葦群から「グァッ グァッ グァッ」という、野太い夕蛙の鳴き声…。
 「自然の音声(おんじょう)」に耳をそばだてるのは、本当に良いそうです。右脳と左脳のバランスが取れてくるそうです。とかく現代人は「左脳偏重」で、大変困った状況にあるわけですから…。

 立ち上がって帰り際、一羽の青鷺(あおさぎ)が悠然と羽ばたき、対岸のこんもりした木立の根元に隠れていきました。
 午後六時半。曇り。自然はいたってゆったりとそして穏やかです。
 (大場光太郎・記) 

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水路道(3)―八重桜の切り株

 この水路道で悲しいことが起こりました。
 数軒並んでいる家並みの、私の住居側からこの道に入るとすぐの家の八重桜のことです。その家の狭い裏庭の、この道と境界ぎりぎりの所から八重桜が道に大きく張り出しておりました。幹もけっこう太くて、枝をあちこちに広げて水路道に覆いかぶさっており、他の木を圧倒する存在感でした。
 染井吉野(いわゆる普通の桜)が散って一、二週間ほどするとこの八重桜の出番で、ぽったりした大ぶりなピンクの花を絢爛(けんらん)と咲かせては、この道を通る人の目を楽しませてくれておりました。そして咲き終わると、道の中央のコンクリート上や土の所一面に落花したものでした。それはまるで、最期を心得た美しい貴婦人のように、たいがいはきちんと花びらが上向きで。私は通りながらそれらを踏みつけないように、花が落ちていない所を探しながら通ったものでした。
 真夏のかんかん照りの日などには、その存分に繁った葉群(はむら)が木下闇(こしたやみ)をつくり、格好の日除けになってくれておりました。

 それが昨年のちょうど今頃、その八重桜が十分に咲ききって、すっかり散ってしまった頃合。私は所用を済ませて帰宅するため、午後二時過ぎ水路道を通りました。
 するとその家のご主人が脚立にのぼって、剪定ばさみでくだんの八重桜の枝をバッサバッサと切り落としているではありませんか。道のコンクリート上には、切られて落ちた枝々が無残にも散らばっておりました。
 「どうもすみませんねえ」とご主人。
 「いいえ」と私は言いながら、落ちた枝をよけながら通り抜けました。
 そのご主人はもうそうとうなお年です。とうに七十歳は越えているでしょう。
 『お年寄りが、桜の木の手入れか。まあ大変なこと。それにしてもよくもまあ、派手に剪定しているものだこと。もう少し手加減できないの?』

 翌日の昼過ぎ出かけるのに、またこの道を通りました。
 何と剪定どころか、八重桜そのものが消えてなくなっているではありませんか !
 『エーッ。何でや !』
 私は単なる驚きを通り越して、動悸が一気に激しくなるほどの強いショックを覚えました。見ると枝々は1、5mくらいの長さに切りそろえられ、人が抱えられるほどのいくつかの束になって、その家の土の領分の所に置かれています。幹も根元から1mくらいの所で伐られて、同じようにごろんごろんと…。
 『こんなことがあっていいのか !』
 たかが一本の八重桜の木のことながら。私は何かの悪夢あるいはおよそ起こりえない不条理劇を見たようなやるせなさと怒りがこみ上げてきて。思わず、かの「ムンクの叫び」のような叫びを発したい衝動にかられました。

 …しかしそれは、その家のご主人が熟慮の結果下した結論だったのでしょう。
 『オレが元気で動けるうちに、あの木を何とか始末しなければなあ。後々あの木の世話をしてくれそうな者もいないし…』。
 おそらくご主人は、その八重桜の木に、私などよりはるかに愛着があったはずです。何しろ長年月その木と接してきたのでしょうから。花が咲き誇る一時期だけではなく、春夏秋冬毎日…。ご主人はどんな思いで幹にのこぎりを入れ、かつ引いていたのだろうか?それを思うと、そのご主人を責める気にはとてもなれません。

 しかし私はその後しばらくそこを通るたびに、ついつい八重桜の切り株に目がいきました。根元から1mくらい、直径30cm弱ほどの生々しい切り口。私の分身の一部が切られたような心の痛みと、それを失ってしまった悲しみの感情に襲われました。

 今年はもうその切り株は、ずっと昔からそうであったような古株になってしまいました。それでも、かつてはかなり広く枝々を伸ばして道に覆いかぶさるように繁っていたのに…。その空間がすっぽり空いてしまっている不在感、空虚感を感じながら、今でも水路道を通っております。                              ― 完 ―

 (大場光太郎・記)

 

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水路道(2)―狭まりゆく自然

    夜の蛙(よのかわず)遠き故郷を曳きて鳴く   (拙句)

 当地の厚木市は、小田急で新宿までほぼ一時間くらいと、首都圏ぎりぎりに位置する一地方都市です。それゆえご多分に漏れず、都心のベットタウンとして、私の居住地付近も昭和40年代後半頃からにわかに、「都市開発」の波に容赦なくのみ込まれることになりました。

 厚木市の郊外部である当地は、市街化区域としてそれ以降は住宅建設ラッシュ。それまでの見渡す限りの田畑は、どんどん宅地に転用されていきました。まず縦横に広い道路が敷設され、その中に戸建住宅、工場や会社施設、スーパー、コンビニ…。
 わずかに残された周りの空き地も、次々にアパート、マンション、駐車場などに姿を変えつつあります。つい何ヶ月か前も、すぐ目の前の空き地に、Rパレス21の2階建アパートや何軒かの豪壮な戸建住宅が建ちました。この空き地はそれまで広々とした草地になっていて、よく子供たちがキャッチボールなどをして遊んでいた所です。

 そういえば、数年前まではその時期になると、私の居宅の回り中で、うるさいほど「夜蛙(よかわず)」の鳴く声がしたものです。そのたびに、私は『郷里の山形でもこんなぐあいだったなあ』と、懐旧の感を深くしたものでした。しかしその声も年々細っていき、今では雨の夜などにたまに聞かれるくらいになってしまいました。

 そのようなわけで。周りから目に見えて身近な自然がどんどん狭められていく現状では、この水路道はなるべく通りたい道なのです。
 それは釣り上げられた魚が、口をパクパクさせて必死で水を求めるように。私はわずかな長さのこの小径を通りながら、そのつどつかの間、「自然の気」をいただくわけなのです。私の心はかくも、「自然なるもの」を切実に求めているのです。
                                      (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)

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水路道(1)―よく通る小径

 私の住居のすぐ近くに、私が勝手に「水路道」と名づけている通路があります。私は出歩く時よくこの通路を通ります。
 この通路は、昔は付近一帯が田んぼで、それぞれの田に水を引き込むための堀川だったようです。それがこの地域全体が住宅化すると共に、昭和50年代その堀川を埋めて、コンクリート暗渠(あんきょ)とし周りを盛り土して、人が通り抜けできる通路としたもののようです。

 この水路道(通路)は総幅員4m強くらい。中央部の1.2mほどはコンクリートで被覆されています。このコンクリート上を歩いて人が行き来できる通路としたわけです。その両側は共に2m幅ほどで、土や小砂利で覆われています。
 広い通りから通りまで、水路道の総延長はおよそ300mくらいでしょうか。
 私はいつも住宅が建ち並ぶ中の道から、直交してこの水路道に入り、30m弱ほど通って、また反対側の住宅地の中の道を通って…広い道路に出ていきます。私にとって水路道は、便利な近道なのです。

 しかしいつもこの道を通るのには、もう一つ別の理由があります。
 私が通り抜ける水路道の当該箇所の両側には、数軒の人家が建ち並んでおります。その家々の住人たちが各々道に接した土(または小砂利)の所に、梅の木やら柿の木やら何かの木やらの手頃な高さの木々を育てています。
 そのため、そのわずか30m弱の空間が、そこだけこんもりした葉が覆いかぶさり、さながらちょっとした自然の小径(こみち)のような趣きになっております。それが何ともたまらずに、つい通ってしまうのです。

 今の時期、バラの潅木が、幾つもの紅いバラの大輪を咲かせています。地面には、繁殖力の強い花大根の紫の花が少し広い範囲に広がって咲いています。またムラサキツユクサが一塊りで、可憐な青紫の花を咲かせています。背丈の低い連翹の黄なる花の色が、目に飛びこんできます。時折り小鳥たちも訪れ、チチッというような可愛らしいさえずりが聴かれます。
 先の連休の前後には、藤の花が垂れ下がりうす紫の花が見事でした。2.3株こんもりしたアジサイもありますから、今から梅雨時が楽しみです。
 今年の冬は厳冬といわれた中、2月10日にここで、大きく芽吹いた2、3個のふきのとうを見つけた時の嬉しさときたら !  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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