かなえの殺人レシピ(3)

 埼玉県警は殺人での立件を視野に逮捕した

 一部報道によりますと、木嶋佳苗が関与していたとされる複数男性の不審死は、結婚詐欺容疑での逮捕後の取調べの過程で浮上してきたものとされています。しかしこれは事実ではありません。

 埼玉県警が殺人事件としての立件を視野に、木嶋佳苗への本格的な捜査を開始したのは、逮捕前の8月からでした。実際にまず動いたのは、千葉県警の方だったようです。5月15日千葉県野田市の自宅火災で安藤建三さん(80)が焼死。それに佳苗が関わっていることを突き止めたことから、同県警は水面下で捜査を進めていたのです。
 そんな中今度は8月6日埼玉県内の駐車場に停めていた車中で、大出嘉之さん(41)が一酸化炭素中毒による死体となって発見されました。これにも佳苗が関与していることが分かり、所轄の埼玉県警が素早く動いたのです。県警関係者の話では「すぐさま、24時間態勢の(佳苗の)行動確認を始めました。」

 同警察関係者は続けます。
 「木嶋が自宅にいる時も外出している時も、ベッタリと複数の捜査員が張り付いた。行動の確認というと、対象者に悟られないように尾行するのが普通ですが、今回は違った。本人に悟られることなどお構いなしで、対象者の身辺に密着したのです。
 例えば、木嶋が電車に乗ると、捜査員が隣に座る。そして“天気いいですなぁ。きょうはどこに出かけるんですか?”と声をかけることもありました。」

 一見変わった捜査手法を選択した理由は、「対象者の心理動向を探ることが目的」だったのだそうです。関係者は続けて、
 「突然捜査員に張り付かれ、声までかけられた時に対象者がどういった反応をするかを見るのです。ポリグラフ(嘘発見器)にかけているようなもの。埼玉県警は、‘98年に発生した会社社長による保険金殺人事件の際にも同じ捜査手法を取って解決に導いた実績があります。」
 結局埼玉県警が結婚詐欺容疑で木嶋佳苗を逮捕したのは、9月25日のことでした。同県警はそれまで約50日間にも及び、上記のような佳苗の行動確認を続けたのです。その結果同県警は一つの結論を導き出します。
 「これは、完全否認事件になる。“本件”である殺人容疑で取り調べても、自白は得られない」。この同県警の判断は、警察庁にも報告として上げられているといいます。(事実佳苗は、詐欺罪についてはおおむね認めているものの、殺人については否認を続けているようです。)

 捜査関係者いわくー、
 「つまり、行動確認に木嶋は全く動揺しなかった。“相当なタマだ”と感想を漏らした捜査員もいますが、ともかく木嶋の行動は大胆極まりないものだったのです。」
 しかし捜査員を驚かせた佳苗の動向が、逮捕を早めさせる要因にもなったのです。行動確認をしている最中に、佳苗が埼玉県ふじみ野市の30代男性に接触していることが判明。「このままでは彼が第5の被害者になる」と、着手を判断したのです。
 また既に幾つかのテレビ局が取材、「室内の火災報知器すべてが持ち去られていた」などと報道しているように、佳苗は逮捕の6日前からネットで知り合ったばかりの千葉県在住の40代男性のマンションに転がり込み、同棲をスタートさせてもいました。
 9月25日の逮捕日は、そのマンションに捜査員が踏み込み、木嶋佳苗に任意同行を求めたのです。何が起きたのか分からないでおろおろしている同居男性に、佳苗は「大丈夫だから」と涙ながらに言い残したといいます。

 以上は、11月12日号「週刊新潮」の“木嶋佳苗特集”の一部を引用しながらまとめたものです。上記の中に、「このままでは彼が“第5の被害者”になる」という埼玉県警の判断を紹介しました。つまり佳苗が関与していると思われる不審死した男性は、捜査当局は合計「4人」と見ていることになります。
 しかし一部夕刊紙などでは、不審死した男性は「6人」としています。県名は明かされていないものの、後の2名はいずれも「関東在住」としています。それなりの裏づけがあってのことなのでしょう。捜査当局もさらに今後、その2名の不審死について何らかの情報を開示することになるのでしょうか。  (以下次回につづく)

 (注記) 本シリーズ、当初は数回くらいでまとまるだろうと気楽に考えていました。しかしどうもそんなものでは収まりそうになく、10回は軽く越えてしまいそうです。
 現在世間的関心は「鳥取県不審死事件」の上田美由紀の方に移ってしまったようです。現に9日には同事件関連でまた一つ新事実が報道されました。‘08年2月40代の鳥取県警の巡査部長が、謎の死を遂げていたことが判明したというのです。『えっ。警察官まで !?』と言うところです。この死はあくまでも自殺と見られていますが、同警察官は当時美由紀と不倫関係にあり、別れ話が持ち上がった直後の死だったようです。

 写真を見るかぎり美由紀容疑者は、率直に言いますと“キモイ(気持ち悪い)”感じです。実物は「さらにキモイ」という証言もあります。なのになぜ…?
 私が思いますに、上田美由紀にも確かに「詐欺師」的要素は多分にありますが、同時に「粗暴犯」的要素もかなりありそうで。今ひとつ強い関心が持てません。
 そのようなわけで。あくまでも『かなえ殺人レシピ』をメーンとし、美由紀情報は適宜にということにさせていただきます。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(2)

 逮捕のきっかけとなった結婚詐欺事件について

 3千万人首都圏人口の巨大な無名性にまぎれて、木嶋佳苗(34)は人知れず恐るべき闇の行為を重ねていたのでした。闇が現れようとしていた時には、現在露見している犯罪のすべては仕上げられ、なおかつ次なる獲物に間近に接触もしていたのです。
 30代半ばの女の恐るべき事件が表に現れ出るきっかけとなったのは、9月25日佳苗が結婚詐欺容疑で埼玉県警から逮捕されたことです。いやその時は、日常茶飯事に各種犯罪が恒常的に頻発している当今、一人の30代女の結婚詐欺のことなど報道機関も世間もまったく関心を寄せませんでした。

 それがにわかに注目され出したのは、逮捕から1ヵ月あまり経った10月26日のこと。それまでマスコミに伏せられていた佳苗の本当の「逮捕事実」を、読売新聞がスッパ抜いてからです。
 それによりこの事件は単なる結婚詐欺事件にとどまらず、複数人の男性が謎の死を遂げており、いずれにも木嶋佳苗が関与しているらしいということになり、「稀に見る大事件」とばかりに各報道機関が以後狂乱的に報道合戦を繰り広げたのでした。

 いずれにしても9月25日逮捕のきっかけとなったのは「結婚詐欺事件」です。まずはこの事件から振り返っていくことにします。
 結婚詐欺を遂行する上で佳苗が使ったのは、ネットの「婚活サイト」でした。世の中の「婚活ブーム」にあやかり、現在婚活サイトの運営会社は4000社にも上るといわれています。その中で佳苗が利用したのは検索サイト「ヤフージャパン」が運営する婚活サイト「ヤフーパートナー」でした。最も信用度が高く利用客の多い同サイトを利用することで、佳苗は登録者のうちでも「カネを自由に使える」いわゆるお金持ちの男性を特にピックアップし、ターゲットにしていったものと考えられます。

 佳苗は同サイトで「学生」や「介護ヘルパー」と自己紹介。そうやって関係が進み結婚話が出ると、さあそこからが口八丁手八丁の佳苗の本領発揮です。「私は大学院生です。学費が3ヶ月未納で卒業できません。卒業したらあなたに尽くします」と持ちかけ、生活費や学費などを無心していったのです。
 今回はその中で、長野県塩尻市内の50代男性と静岡県の40代男性の2人から、合計330万円を詐取した疑いで逮捕されたのでした。同容疑では、佳苗は10月21日起訴されました。
 また同じような手口での、長野県の50代後半男性と埼玉県の30代後半男性への詐欺未遂容疑でも、10月21日再逮捕されています。
 佳苗は詐取した金は「クレジットの返済に充てた」と言い、生活費への充当目的で詐欺を繰り返していたとみられています。そしてこれら一連の「詐欺罪」について、佳苗は容疑及び起訴事実を認めているとされます。

 ところで木嶋佳苗は、押収したパソコンを解析した結果、ヤフー婚活サイトのような大手サイトの他に「不倫サイト」「愛人サイト」へも顔を出していた可能性が高いことが分かったといいます。実際佳苗は、不倫相手を探す出会い系サイトに名前を登録し、交際にこぎつけた83歳の無職男性を脅し、百数十万円を受け取ったとされています。
 幾つもの偽名を使いながら数十人の男性と接触し、同じような手口でやられた被害者はゆうに20人を超えるとみられています。しかしそこは知能犯の佳苗のこと、予め社会的地位が高く被害届を出しずらい男性を狙い撃ちしていて、捜査当局も実態を把握しにくい状況のようです。

 こうして見てきますと、改めて「婚活サイト」や「出会い系サイト」の持つ怖い一面が垣間見えてきます。いくらヤフーの同サイトが「本人確認」をきちんと取っている優良サイトとはいえ、時に木嶋佳苗のように最初から詐欺目的で同サイトにアプローチしてくる輩を防ぐことは難しいわけです。いわんや偽名や偽情報をいくらでもデッチ上げられる、出会い系サイトに至ってはなおさらです。
 
 今回の木嶋佳苗の一連の事件によって、せっかく盛り上がっていた昨今の「婚活ブーム」も下火になるのでは?と懸念されています。男女とも結婚年齢が上がり少子化している今日の社会。その意味で婚活ブームは、今日の社会的要請によって生じたブームといえなくもありません。

 しかしだからといって、「結婚」という人生で最も大事なことの一つを、ネットによる出会いに求めても良いのだろうか?見合い結婚の一つのバージョンとして、それはそれでうまくまとまりめでたくゴールイン、その後も「ハッピー、パッピー」というケースがないとはいえないけれど。見えない相手を、じっくり時間をかけて各方面から見定めてからならともかく。ネット上の甘い言葉にすぐに飛びつくようでは、いくら何でも少し安直すぎはしまいか?
 中には同サイトに登録した個人情報を他に売り飛ばしたり、飛びついてきた男性に対して、美人局(つつもたせ)のようなことをしている悪徳業者もいるというし。

 俗に「魚心あれば水心」。その心理にうまくつけこまれた被害男性にも、何らかの責任があったのではないでしょうか?
 それにしても多額のお金ばかりか、人によっては命まで奪われることになろうとは…。
 その意味で木嶋佳苗の今回の事件は、結婚相手すらもバーチャルなネットで探そうとする風潮に、一石を投ずることになったことは間違いないのかもしれません。  (以下次回につづく)  

 (大場光太郎・記)

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かなえを超える大毒婦 !?(2)

 上田美由紀容疑者(35)によると思われる殺人事件の概要とはー。
 
 まず今年の4月11日、知人でトラック運転手だった矢部和実さん(当時47)が、鳥取県北栄町沖約600mの日本海で水死体で発見されました。
 続いて10月7日電気工の圓山秀樹さん(57)が、鳥取市覚寺の摩尼(まに)川の水深数十cmの所に、うつぶせの窒息死状態で発見されました。圓山さんは美由紀容疑者の紹介で家電製品を売ったものの、代金未払いのトラブルになっていたのです。同月6日朝知人に「集金に行ってくる」と言ったまま連絡が取れなくなってしまいました。
 この時圓山さんと会った相手と見られるのが、美由紀と同棲していた同女と同じ日に逮捕された「アンドウ」と名のる男だったのです。圓山さんの顔には、殴られたような深い傷があることから、この男も圓山さん殺人に関与していたものと推定されます。

 さらに10月27日、美由紀と同じアパートの向かいの別棟に住む無職の田口和美さん(58)が、自室で急死しているのが見つかりました。
 田口さんは美由紀とは互いの家を行き来する仲で、美由紀にアパートの鍵を預けて自由に出入りさせていたといいます。田口さんは今年3月、4月頃までは鳥取市内のホテルに勤務していました。しかしその後体調不良に陥り、失職せざるを得なくなったのです。
 事件前日あたりは特に容態が悪化し、7日ついに亡くなってしまいました。美由紀が作って、田口さんに食べさせていた料理に原因があるのではないかと見られています。

 県警がこの3人の遺体を調べた結果、3人の体から共通して「睡眠導入剤」の成分が検出され、同一犯人の犯行によるものではないかという結論に達したわけです。
 上田美由紀容疑者は、以前勤めていたスナックの関係者などの証言から、美由紀には狭心症の持病があり「よく眠れない」と、かなり以前から睡眠導入剤(ハルシオン)を常備していたというのです。

 その後さかのぼって調べた結果、美由紀容疑者の周辺では、上記3人以外になお2人の男性が不審死していることが判明しました。
 そのうちの一人は読売新聞鳥取支局の記者(当時41)です。この男性は数年前列車に轢かれて死亡し、自殺として処理されました。同記者は当時美由紀と交際していたのです。周囲に「子連れ女につかまった」などと話していたといいます。
 もう一人の男性(当時27)は美由紀と一時、同居していたことがあるそうです。美由紀の5人の子供の世話をさせられた上、金を無心されるは、断るとフライパンで叩かれたり熱湯をかけられるは、美由紀にさんざんな目にあわされた挙句、‘07年8月に美由紀や子供たちと日本海に海水浴に行き、水死してしまったのです。

 なお事件には到らなかったものの、その他にも出るは出るは。美由紀がこれまで交際した男性は、公務員、自動車ディラー、工員など数年間で10人にも上るといいます。いずれもデブ専スナック勤務時の客だったようですが、読売記者や公務員のようなインテリをも、美由紀は手玉に取っていたというのです。離婚歴も数回あるようです。
 いずれにしても、同女による詐欺被害あるいは殺人は、上記以外にもまだ新たに出てくる可能性があると思われます。
 まあこうしてみると、上田美由紀という女、木嶋佳苗に勝るとも劣らない魔性の女、極悪女としかいいようがありません。

 ところで8日深夜の日本テレビのニュースによりますと、今回の3人の不審死以外に、以前の2人の死亡の時、鳥取県警はいずれにも身近に上田美由紀がいたことを掴んでいたというのです。「怪しい」とにらみながら、自殺、事故死として処理していたことになります。
 木嶋佳苗の事件における千葉県警もそうでした。数年前あるいは2年前美由紀の身辺を徹底的に捜査していれば、その後の事件は起きなかったのです。繰り返すようですが、千葉県警といい鳥取県警といい、最近の警察のいい加減さが、凶悪犯罪が増大している大きな要因の一つであるように思われます。  ー  完  ー

 (大場光太郎・記) 

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かなえを超える大毒婦 !?

 先日の市橋達也容疑者(30)の生存が確認され、しかも度重なる整形手術によってまるで別人のようになっていた一件には驚きました。しかし同時期もっと驚くべき事件が発覚しました。「鳥取連続不審死事件」です。

 私はそれを5日木嶋佳苗関連をネット検索中にたまたま発見しました。
 「鳥取県で3人が不審死していることが判明した。3人の遺体からは、いずれも睡眠導入剤が検出された」
というような内容が検索タイトルに続く記述でした。私は手口からとっさに、『さては“かなえ”は鳥取にまで行って殺人してたのか?』と思い、もっと詳しい情報を探るべく同サイトに入ってみました。それは確か山陰の新聞社のネット版ニュースだったかと思います。同日夜のテレビ報道で伝えられた内容を手短かに伝えているものでした。

 その中に、犯人は既に詐欺容疑で逮捕されている、「鳥取市内の35歳の女」とみられるとありました。ということは、木嶋佳苗とは全くの別人だったわけです。しかし別人ながら木嶋被告は34歳、鳥取の女は35歳。年齢が近似しています。その上、単なる偶然なのでしょうが、いずれも「睡眠導入剤」を使っている手口も同じです。
 その記事の中には、「3人の他にも女の周辺で近年謎の死を遂げている男性が数人いる」というような記述もありました。もしそれが事実なら、木嶋佳苗のケースよりさらに悪質な連続殺人事件ということになります。
 
 偶然とは言いながら、東と西の両横綱級の大毒婦が同時に社会の表に登場してきたことになります。なおネットや夕刊紙には、既に両人の顔を含めた上半身の姿が掲載されています。それを見るといずれもかなり太めな女です。特に木嶋佳苗の方は、まさに「横綱」と言ってもいいような超太め(推定100㎏)です。
 こんな「歴史的大毒婦」が同時に闇の中から飛び出してくるとは。いやはやとんでもない世の中になったものです。ともかくこの「鳥取連続殺人事件」の方も、これはこれで私の「記者魂」(苦笑)がかき立てられます。

 木嶋被告も鳥取の女も、大マスコミはいまだ氏名を公表していません。顔もぼかし入りの報道で定かには分かりません。被害者の氏名や顔写真はとっくに公開しているのに。警察当局、大マスコミの意図は本当によく分かりません。
 そんな中ネットの2チャンネルでは、早々と鳥取女の実名が出されていて“時の話題”になっているようです。また6日付けの夕刊紙「日刊ゲンダイ」がその実名を公表しました。さらに7日付けの夕刊紙「東京スポーツ」では、テレビではぼかされている赤い半そでシャツの上半身が、顔ばっちりで掲載しています。

 女の名前は、上田美由紀(35歳)。美由紀容疑者は鳥取市福部町のアパートに住んでいた、鳥取市内繁華街の「デブ専」のカラオケスナックの元ホステス。掲載された写真で判断する限り、木嶋佳苗ほどではないにしてもやはりかなり太めの女(推定70㎏)です。見たところけっして美人とは言えません。これも木嶋と共通するところです。

 ここで事件の経過の概要を振り返ってみたいと思います。
 上田美由紀容疑者は今月2日詐欺容疑で逮捕されました。鳥取市内の女性(57)から「あなたの息子が借金をしている」と、何やら“振り込め詐欺”の変則的手法を使って126万円を騙し取ったとされるものです。これ以外にも余罪があるものと思われ、同女による詐欺の被害総額は1,000万円を下らないとみられています。

 なお「女の犯罪に男あり」で、美由紀容疑者とアパートで同棲していた「アンドウ」と名乗る男(46)も同日、別の詐欺容疑で逮捕されています。こちらは農機具販売会社からトラクターなどを騙し取った容疑です。
 しかし鳥取県警は詐欺容疑のみならず、美由紀容疑者の周辺でそれまで3人も男性が不審死していることから、当初から同女の殺人容疑も視野に入れて捜査を進めているのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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おめでとう松井 ! シリーズMVP !!

 4日(日本時間5日)米大リーグワールドシリーズ第6戦が行われ、3-2で王手をかけていたニューヨーク・ヤンキースが、フィラデルフィア・フィリーズを7-3で下して世界一になりました。そして驚くべきことに、同試合の立役者は松井秀喜外野手(35)だったのです。
 2回の先制2ランを含む4打数3安打と大爆発し、シリーズタイ記録となる6打点を挙げて打線を引っ張り、2000年以来9年ぶりの悲願の世界一に大貢献したのです。これにより松井は、日本人として初のシリーズMVP(最高殊勲選手)に輝きました。

 何しろヤンキースは、伝説のホームラン王ペーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジョー・ディマジオなど数々の名選手が在籍していた米大リーグ一の伝統を誇る人気チーム。現在も選手会長のデレク・ジーターや大リーグ一の最高年俸者Aロット(アレックス・ロドリゲス)などのスタープレーヤーが目白押しです。その中での栄えあるMVPですから。
 それにかつてヤンキースのライバル球団ボストン・レッドソックスに在籍し、以前からその投球に苦しめられ続けてきた、現大リーグを代表する投手ペドロ・マルチネスの直球を完璧に捉えての先制の特大ツーランですから。松井自身感慨ひとしおなのではないでしょうか。なお4回4失点と早々とノックアウトされたペドロは、報道陣に「マツイがオレの球を完璧にとらえた。それだけだ」とはき捨てるように言うと、足早に球場を後にしたそうです。

 思えば、「命がけでやる」と巨人軍からFAでの大リーグ移籍を発表したのは、‘02年11月1日のことでした。そして「せっかく大リーガーになるからには、しんどいかもしれないが、一番注目されるチームでやりなさい」との、巨人時代の恩師・長嶋茂雄終身名誉監督の助言もあり、ヤンキースの一員となりました。
 その時から松井の中には、「ヤンキースで世界一に。そして自分はそのために最大限の貢献を」という熱い想いが常にあったはずです。

 その中で名将・ジョン・トーレ監督との心温まる師弟関係も生まれました。しかしなぜかヤンキースはその後、世界一の栄誉から見放されていくことになったのでした。またも世界一を逃した‘07年のシーズンオフにワンマンオーナーのジョージ・スタインブレナーが退任し、その2人の息子ハンクとハルが共同オーナーになるとともに、恩師のトーレがヤンキースを去りました。

 「命がけでやる」という言葉どおり、米国での7年間は松井にとってまさに身を削るような日々だったと思います。走攻守すべてに全力プレーの中、松井自身も悲運に見舞われます。周囲からさらなる飛躍を期待された4年目の‘06年5月の試合中、レフト守備の松井が飛んだきたフライ捕球のため前に突っ込み、グラウンドすれすれで捕球しようとして左手首を骨折してしまったのです。
 巨人時代から続いていた連続試合出場が1768試合でストップしました。左手首の中には、今でも患部を固定するプレートが残っているそうです。
 試練はさらに続き、‘07年には右ひざ‘08年には左ひざも手術せざるを得ませんでした。

 大リーグの先輩で実際一つ年上のイチローは、そんな松井を尻目に9年連続200本以上という大リーグ新記録達成、日米通算3000本安打達成、WBC(ワールドベースボールクラシック)で2度日本を優勝に導くなど、偉業を次々に打ち立てていきました。
 かつては「イチローか、松井か」と比べられた松井秀喜は、度重なるケガや手術との闘いの中で、チーム内で守備機会すら奪われすっかりDH要員。ここ何年かは思うような成績を残せず、もがき苦しんでいました。
 ‘05年からの4年契約の最終年である今期は、オフ後松井の「ヤンキース放出」は球団として規定事実ともなっていました。

 『本当に松井はこのまま終わっちゃうの?』。何度も述べましたとおり大の“アンチ巨人”としては珍しく当時から「隠れ松井ファン」だった私は、落胆と一抹の寂しさを隠せませんでした。
 今回のワールドシリーズMVPという大偉業は、ここ何年かのファンの鬱憤も一気に晴らして余りあるものとなりました。その報に接して鳩山首相は、「松井君はすごい。久々に国民に勇気を与えてくれた」というようなコメントをしていましたが、まさにファンの気持ちを代弁してくれています。

 松井は‘05年オフの契約更改の際、「ヤンキースで何も成し遂げていない(だから引き続きヤンキースに残りたいんだ)」と言ったそうです。今回のワールドシリーズは「松井の松井による松井のためのシリーズ」と形容しても過言ではなさそうです。
 壇上でのMVPインタビューで「来年もヤンキースで優勝したいか」と聞かれて、「もちろんそうなればいいと思う。チームメートが好きだし、ヤンキースが好きだし、ニューヨークが好き。ファンも好きですから」と大観衆に残留への想いをアピールしました。対して「松井残留」を、ヤンキースファンの55%が支持しているとか。

 しかしこればかりは、球団が最終的に決断すること。部外者はもちろん松井自身にもどうにもならないことなのかもしれません。今回改めて松井の底力を見せつけられた、オーナーや編成責任者のキャッシュマンGMは判断に迷うところでしょう。
 私も松井には「ピンストライプ」のユニホームが似合うと思いますが。でも今回で松井は立派に「ヤンキースで大仕事を成し遂げた」のです。今までの借りは全部返したはず。仮に移籍となったとしても、松井自身悔いはないことでしょう。
 私のような一ファンも、移籍となったら新球団での活躍をさらに期待するばかりです。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(1)

 前書き 

 今最も世間の注目を集めているのは、9月に結婚詐欺容疑で逮捕された木嶋佳苗の事件です。既に報道されているとおり、ゆうに1億円を越すとみられている複数の結婚詐欺以外に、その後同女が関係した6人もの男性が相次いで怪死していたことが判明、にわかに関心を集めているのです。
 
 最新情報では、この連続殺人事件でも再逮捕に向けていよいよ詰めの段階に入ったとみられています。一時は物的証拠に乏しく立件は難しいのでは?ともみられていたものの、ここにきて新たな状況証拠も浮かんでくるなど、捜査は大詰めに向けて急展開しているもようです。
 もし連続殺人事件として立件されれば、誰かが言ったように「日本犯罪史に残る事件になる」のは間違いないとものと思われます。

 当ブログでも10月29日『時の話題(1)』記事で、木嶋佳苗のことは少し触れました。そして同記事は、先日の『日々雑感(7)』記事で紹介しましたように、当ブログ開設以来の驚異的訪問者数を記録しました。これは、ピーク時の押尾事件や酒井事件をも上回る関心の高さと言うべきです。
 私としては意外と扱いが難しい事件のように思われ、木嶋被告が自身のブログ『かなえキッチン』で紹介していたような、見事な腕さばきでこの事件を料理する自信はありません。しかし「乗りかかった船」というものです。蛮勇をふるって、何回かシリーズ化してこの事件を私なりに探ってみたいと思います。

 なお本シリーズの「タイトル」につきましては、より多くの関心を引くためにいろいろ考えてみました。「平成毒婦結婚詐欺事件」「平成毒婦連続殺人事件」「かなえ殺人料理日記」…。しかしどうも今ひとつピンときません。
 そんな中、たまたま「木嶋佳苗」でグーグル検索したところ、その中に「【殺人レシピ】木嶋佳苗の『かなえキッチン』」というサイトがありました。なかなかシャレたネーミングです。いろいろ考えても決まらないもので、これをちょいと拝借して、結局『かなえの殺人レシピ』に決めました。(なお拝借するからには、同サイトに飛べるようにしようと同サイトにアクセスを試みました。10月31日作成のようですが、「お探しのページは見つかりませんでした。」が表示されアクセス出来ません。)

 そう言えば、アメリカの往年の名ドラマ『刑事コロンボ』の中に、『殺人処方箋』というのがありました。これは同ドラマをシリーズ化する前の作品で、言ってみれば『刑事コロンボ』ドラマの原点とも言える作品です。
 精神科医として有名なレイ・フレミングは、彼の患者である若い女優ショーン・ハドソンと愛人関係になります。やがてそれは婦人のキャロル・フレミングに知られることとなり、「夫としての義務を果たさないなら離婚し、スキャンダルを公表する」と脅されます。実はフレミング医師は、キャロルの莫大な財産目的で結婚したものであり、離婚など到底出来ない相談なのでした。

 そこでキャロルには死んでもらうしかないと考え、愛人のショーン・ハドソンをそそのかして、強盗を装った殺人を計画、実行します。すべては九分九厘うまくいくかと思われた、その矢先。お決まりの、ロサンゼルス市警・刑事コロンボの登場です。
 ポンコツの愛車に乗って、よれよれのコートを着て風采のあがらないコロンボは、最初から『怪しい』とにらんだフレミングに、先方の迷惑などとんとお構いなしでことあるごとにその前に出没します。そして次第に同医師を追いつめ、高い知能を有するフレミング医師が行った完全犯罪のアリバイを突き崩す。そんなストーリーでした。

 私は大の「刑事コロンボファン」で、NHKで放送されたのも、後に日本テレビで再放送されたのも観ました。またその後ビデオ化されたものも7本ほど持っています。その中にはこの『殺人処方箋』も含まれています。『構想の死角』『黒のエチュード』『ロンドンの傘』などと並んで、シリーズ中の最高傑作の一つだと思います。

 よく一般的に「高知能の人間は詐欺犯に、低知能犯は窃盗犯に」などと言われます。いずれその「生い立ち」のところで述べることになろうかと思いますが、木嶋佳苗は郷里(北海道別海町)では優秀な生徒として、教師からも一目置かれる存在だったようです。
 結局才能が歪んだ方向に向かってしまいましたが。結婚詐欺によって、舌先三寸で世の何人もの男どもを手玉に取り、1億円以上もの金を巻き上げた知能は相当のものと見なければなりません。その上、物的証拠をほとんど残さず人を何人も殺し、埼玉県警など取締当局を手こずらせているわけですから。 

 話が思わぬ方向に脱線してしまいました。同ドラマの場合、医師だから「殺人処方箋」。
 木嶋佳苗の場合は、かつて専門学校で料理を専攻したほどの大の料理好き。関係した男たちが同女の作る料理を絶賛するほどの腕前だったようです。その集大成として昨年から始めた「かなえキッチン」は、同女の「料理」の紹介、そのレシピの公開などが主な内容だったようです。
 同ブログは、セレブな雰囲気をかもし出したシャレた構成になっていました。木嶋にとって同ブログは、獲物の男を釣るためのかっこうの罠だったわけです。そんな木嶋佳苗の犯罪のタイトルとしては、やはり『かなえの殺人レシピ』がふさわしいのかな?と思います。

 (注記) その後調べましたら、「殺人レシピ」の出典はどうやら今年8月中旬頃放送の、テレビ朝日ドラマ『新警視庁9係』第6話:『殺人レシピ』だったようです。その他にも1999年TBS月曜ドラマスペシャルで『真行寺華子の殺人レシピ』という2時間ドラマがあったようです。なのに、すみませんねぇ。『刑事コロンボ』などという古いものを持ち出したりして。
 ただ一言弁解させていただければ。両ドラマ特にTBSドラマの方のタイトルは、『殺人処方箋』からヒントを得、後年のテレビ朝日のドラマは、TBSドラマのタイトルをさらに借用したということなのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記) 

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『雨月物語』など

   秋薔薇のピンクの夢の在り処(どころ)   (拙句)

 きょうから11月です。あらためて言うまでもないことながら、今年も後2ヶ月を残すのみです。12月に入ってから慌ててでは大変だから、年内にやっておくべきことは何事も早め早めにと毎年思えども。ついつい日々の雑事にかまけて、気がついたら師走もどん詰まりになっていて。『あーあ。結局何も出来なかったなぁ』となりがちです。今年ばかりはそうならないようにと思いつつも、さてどうなりますことやら。

 日中は家の中にいたので確かなことは分かりませんが、けっこう良い秋晴れの天気だったようです。東京は25℃以上の夏日となり、11月の夏日は11年ぶりのことだとか。
 3時頃本厚木駅方面に向かうべく外出した頃には、早や秋の日はかの大山の上の中空にまで到っていました。日は差し込んでいても、全天厚い雲に覆われだし何やら怪しい雲行きです。
 結局駅付近で用を済ませ、さるコーヒーショップに入りそこを出たのが夜7時頃。不安的中で外はもう雨になっていました。当然傘など持って来ていません。ルーフ付きのバス停で思案気に雨のようすを見るに、さほど大降りでもなさそう。心配は地元近くのバス停を降りてからですが、ままよとバスに乗り込みました。

 結局バス停で降りて実際雨に打たれながら歩くに、やはりさほどのこともない小降り程度で、それでも早足でいつもの帰路を歩きました。
 いつかご紹介しました桜落葉散り敷く遊歩道の手前に、これも去年ご紹介しました、とある家の庭先にひょろんと細い幹を3m以上伸ばした薔薇の幾つかがあります。この季節またピンクの見事な大輪の花を咲かせているのです。全部で十余輪ほど。花が咲いているのはすべて人間の背丈より上から天辺にかけてです。私にとってこの季節その薔薇は、帰路における私だけのほんのささやかなランドマーク的目印で、いつも見上げてはつかの間の鑑賞タイムを楽しみながら通り過ぎます。
 本日はもう7時を回って辺りは真っ暗です。それでも薔薇は、夜目にも鮮やかに浮き出て見えていました。

 10月30日は十三夜。「十五夜に晴れ無く、十三夜に曇り無し」とは古来からの言い伝え。そのとおり今年の十三夜も澄み渡った夜空で、月はひときわ光を放っていました。それからすればきょうは旧九月十五日で満月のはずですが、あいにくの雨月です。
 雨月と言えば。最近の『君待つと』記事で、上田秋成(うえだ・あきなり)の『雨月物語』に少し触れました。それで最近にわかに、同書の中の「白峯」や「吉備津の釜」などを読んでみたくなりました。
 最初に読んだのは高校時代。当時の私が、まともに原文で初めから終わりまで読んだ唯一の古典です。学校の図書館に並んでいた古典文学全集中から同書を選び、早速借りて夢中で読みました。今でも、通学途中の汽車の中で『雨月物語』を読んでいる我が姿をかすかに覚えています。ということは、そうとう熱中して読んでいたということなのでしょう。

 よほど印象深いものがあったのか。当地に来てからしばらくした20代終わりの頃、本厚木駅前の有隣堂書店に並んでいた、某古典全集中の『雨月物語』を買い求めました。その時は『すぐ読みたい』というほどの強いものではなく、『いつかそのうち』という軽い気持ちだったかと思います。ただ上記に挙げた幾つかの物語は、その時も読んだような記憶があります。
 それがどこにいったか、何年か前確か見かけたはずでおそらく処分はしなかったと思いますが、どこを捜しても見当たらないのです。本というものは、思い立った時に読まないとなかなか次のチャンスが来ないものです。今後もし捜せましたら、主な作品をきちんと読んで、読後感などを述べてみたいと思います。

 上田秋成(享保19年・1734年~文化6年・1809年)は、後世の泉鏡花、内田百閒、江戸川乱歩、夢野久作などの近代幻想作家、さらには京極夏彦、小川洋子といった現代幻想作家たちの先駆者的存在でした。そして後代の作家たちも及ばないような幻想世界を描き出したのが、名作『雨月物語』だったように思います。

 書きながら思い当たりましたが、高校時代はなぜか「怪奇幻想譚」に惹かれるところがありました。ありきたりの日常につまらなさを感じ、非日常の幻想世界に耽る傾向が多分にあったようです。その頃『黒猫』などエドガー・アラン・ポーの作品も読み耽りました。
 そんなことも、高度経済成長真っ只中の現実社会に否応もなく投げ込まれる前の、モラトリアム期の懐かしい思い出です。

 (大場光太郎・記)  

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続・『カムイ外伝』を観て

 今回の映画は、「ビックコミック・スペシャル」の『カムイ外伝』3、4巻の「スガルの島」をベースにしているようです。2つの漁村が舞台になっています。こんなローカルなうち捨てられた漁村で、世にも奇っ怪な出来事が巻き起こるとは。武士あるいは史上名高い出来事にスポットライトを当てがちな時代劇にあって、大いに異色な視点だと思います。

 この映画は監督が崔洋一、脚本が宮藤官九郎と崔洋一の共同脚本。崔洋一は、1949年(昭和24年)生まれで韓国籍の映画監督、脚本家、俳優。主な監督作品は、『十階のモスキート』『月はどっちに出ている』『血と骨』など。『血と骨』では第28回日本アカデミー賞最優秀監督賞、優秀脚本賞に、『月はどっちに出ている』では第17回日本アカデミー賞優秀監督賞など、多数の受賞歴があります。

 主人公のカムイを演じたのは、松山ケンイチ。青森県むつ市出身の24歳。若手実力派俳優とのことですが、この映画を観るまで私は知りませんでした。『男たちの大和/YAMATO』で第30回日本アカデミー賞新人俳優賞、『デスノート 前編』で同賞優秀助演男優賞、『デトロイト・メタル・シティ』で第32回日本アカデミー賞優秀主演男優賞など多数の賞を受賞。なるほど「凄い」の一言です。
 今回のカムイは、ぴったりのはまり役だったなという感じがします。私のかすかな記憶のカムイ像もこんな感じだったと思うのです。松ケンは元々二枚目のイケメン系ですから、とにかく絵になります。それに非情の世界に生きる孤独なヒーローながら、時折り見せるやさしさ。女性ファンはイチコロでとりこになってしまうのではないでしょうか。

 脇役陣の演技も光っています。やはり抜忍の先輩格の元くの一(女忍)スガル役の小雪。彼女は『ラストサムライ』で一躍国際派女優との評価を得ましたが、私は今回のスガル役の方がより演技が光っていたと思います。もっとも皆が絶賛する『ラストサムライ』、私は「ハリウッド臭時代物」と、あまり評価していないのです。
 追忍に追われて「スガルの島」に漂着したスガルを、妻としている漁師半兵衛役の小林薫は今さら言うまでもないベテランです。貧しい漁村の一漁師の役柄でしたが、さすが味のある演技でした。

 2人の間に生まれたサヤカという娘役の大後寿々花。同島に同じように漂着したカムイにいつしか恋心を抱く娘の役どころを好演していたと思います。彼女はまだ16歳とのことですが、将来が楽しみな女優の卵のように思います。
 漁村民からサメ退治を依頼される、当初は正義の味方、しかし実はカムイを葬り去ろうとする渡衆(わたりしゅう)の頭目・不動役の伊藤英明。このような映画では、ヒーローをより引き立てるための、魅力的な「悪役(ヒール)」の存在が欠かせません。伊藤英明はその期待に十分応えていたのではないでしょうか。私は伊藤はどちらかというと善人役だけかなと思っていただけに、新たな側面を発見した思いです。
 その他備中(山陽道に面した昔の一国。今の岡山県西部)松山藩主軍兵衛役の佐藤浩市、その側女(そばめ)のアユ役の土屋アンナ。共に面妖な役どころがはまっていて面白かったと思います。

 映画のラストでカムイは、一艘の小舟に乗って荒れ狂う夜の海に漕ぎ出し、すべてが終わってしまった島を後にします。そのシーンにかぶさるように、「カムイはいつになったら本当の自由を手に入れることが出来るのだろうか?」というようなナレーションが入ります。いやいや。映画の中でカムイは、既に十分自由を手にしているではありませんか。
 己を追ってくる追忍たちが飛ばす短剣を、すんでのところでするりとかわしたり、高い木や崖上にいとも簡単に飛び移ったり、空中飛行が出来たり、檻の中に閉じ込められたまま海中に沈められても、間一髪危地を脱したり…。私たち平凡人からみれば、まるで「超人」です。超人とは真の自由人の異名に他ならないわけですから、カムイは今のままで十分自由人であるのです。

 カムイと追忍たちあるいは不動との息づまる攻防戦を、一層スピード感、臨場感溢れる迫力あるものにしているのは、何といってもCG技術の進歩の賜物です。それなしには、カムイの変移抜刀霞斬りや飯綱落しなどの必殺忍法は表現出来なかったはずです。
 ある人がテレビは「提霊微」だと言ったことがあります。これはテレビは、「微妙な霊的世界を映し出す装置」という意味合いかと思われます。現在起きている事物でも、場所を選ばず国内外どんな所でも中継出来ます。また過去も未来も自在に描き出せるわけです。霊界は3次元世界とは違って場所的制約はなく、また過去、現在、未来という直線的時間軸にもない世界なわけですから、この言葉は案外的を得ているのです。
 
 これはCGなどの映像技術の進歩によって、今や映画の世界にこそふさわしい言葉であるように思われます。最近の映画の映像世界は、本当に「夢の中の世界」「霊界(アストラル界)」にどんどん迫っていっているようなのです。
 おそらく現実の世界も、いずれその世界にどんどん近づいていくのでしょう。というよりも、今この時がそのプロセスなのかもしれません。映像世界というバーチャルリアリティの世界は、そのことを告げ知らせる予告編、あるいはこの現実がその世界に踏み込む上での、かっこうの予行演習としての役割があるのかもしれません。

 ともかく全体として、異色の大型娯楽時代劇。さすがは白土三平劇画の映画化。見ごたえ十分で、お奨めの作品です。

 (大場光太郎・記)

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『カムイ外伝』を観て

 17日(土)夕方久しぶりで映画を観てきました。観たのは『カムイ外伝』、今評判の映画のようです。上映館はいつもの、小田急線海老名駅近くのサティ2階の「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」です。
 同映画館では、喜ぶべきかどうなのか60歳以上はシニア扱いで、通常料金の半額で一映画が観られます。前回からそうなったようなのですが、言い忘れていました。格安料金なのですから度々来館してもよさそうなものですが、前回トム・ハンクス主演の『天使と悪魔』を観たのが6月上旬。あれから4ヵ月も立ってしまったわけです。なかなか時間が取れないものです。

 もう10月も下旬に間近いどんよりと曇った、どことなく侘しい感じのする秋の1日でした。2、3日前から土曜日夕方は映画でも観てこようと思っていたものの、どうもイマイチ気分が乗りません。しかしこの日を逃せばまたいつの日になることやら。それに観た感想を早速ブログ記事として載せたいし。
 窓口で「一般の方でよろしいんですよね?」と受付嬢。「いや60です」と私。それではと、私の顔をちらっと見ながら、しかし身分証の提示も求めず格安料金で。その上何と、本日はシニア優待日だそうで、ドリンク無料券が1枚ついてくるわで。その券で同じフロアーの売店でペプシをもらい、何となくトクした気分になりました。
 現金なもので、『よしっ。近いうち次は「ヴィヨンの妻」でも観に来るか』と思いながら、通路を通って『カムイ外伝』が上映される1番スクリーンに向かったのでした。

 同映画館では国内外の映画を常時15作品くらい上映しています。その中には『20世紀少年(最終章)ぼくらの旗』『さまよう刃』『私の中のあなた』『ATOM』などとある中で、何で『カムイ外伝』を観る気になったのでしょう。
 やはり私が若い頃発表されて大評判だった白土三平の原作劇画の印象が強かったせいだと思われます。といっても、先日の『つげ義春「ねじ式」』記事で少し触れましたが、漫画をあまり読まなかった私は、当時同劇画を読みふけっていたわけではありません。たまに近くに漫画雑誌があった時、読んだくらいなものです。
 私の記憶ではやはり『カムイ外伝』ですが、最初に1964年(昭和39年)から1971年(昭和46年)まで「月間漫画ガロ」に連載された時のタイトルは『カムイ伝』だったようです。

 「ガロ」という漫画雑誌を、今回『ねじ式』ではじめて知ったところをみると、私があの頃時折り目を通したのは、やはり「週刊少年サンデー」に不連続で掲載されたという『カムイ外伝』の方だったようです。
 元々の『カムイ伝』の方は、第2部を1988年(昭和63年)から2000年(平成12年)まで「ビックコミック」誌に連載。少しややこしくなりますが、その前1982年(昭和57年)から1987年(昭和62年)までは『カムイ外伝 第2部』を同誌が連載したようです。
 原作者の白土三平は「カムイ伝は第3部まである」と、同作品第2部の最後で読者に告げたそうです。しかし今日に至るも第3部は出されておらず、心待ちにしている「カムイファン」は多いようです。

 『カムイ伝』は、17世紀江戸時代の、さまざまな階級の人間の視点から重層的に紡ぎ上げられた物語。「カムイ」とは主人公である忍者の名前。旧来の漫画にはみられない武士、浪人、百姓、非人、商人などさまざまな群像が入り乱れる骨太のストーリーが特徴です。時代小説に比しても遜色ない時代漫画路線の礎を築いたものとして、高い評価を得ているようです。
 そして『カムイ外伝』の方は、『カムイ伝』から主人公の一人であるカムイのみを取り出して描かれた、言ってみれば「別伝」のような作品です。

 この世の最下層の非人部落に生を享けたカムイは、「自由を求めて生きたい」そのためには「強くなりたい」と、忍者の道に入ります。ところが『カムイ伝』で既に抜忍(忍者から抜けること)してしまい、追忍(抜忍を追う立場の忍者のこと)から執拗に追いかけられることになります。村々などで数々の事件に遭遇しますが、カムイは変移抜刀霞斬り(へんいばっとうかすみぎり)や飯綱落し(いずなおとし)といった必殺忍法などの技を使い、そのつど切り抜けながら終わりのない旅を続けていくというストーリーです。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記) 

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夜討ヶ窪と云ふ地名

   秋風や夜討ヶ窪と云ふ地名   (拙句)

 過日の台風18号は「非常に強い台風」ということで、さては数年前アメリカ南部各州を襲ったカテリーナクラスの超強力台風上陸かと覚悟していました。それに2年ぶりかで日本列島のどこかに上陸ということですから、不安は倍増されました。
 しかし実際は8日愛知県の知多半島かどこかに上陸後、確かに通過した都道府県に被害はもたらしたものの予想以上に深刻なものではなく、列島北上後北海道の太平洋上にまた抜けてくれました。
 
 それ以降は秋雨前線もどこかに退いてくれて、連日まあまあの秋晴れに恵まれています。ただ代わって西高東低の冬型の気圧配置が早々と現れ、連休中はうすら寒い日もありました。そんな日は秋風が分けても身に沁みるものです。
 しかし変わりやすきは秋の空。本日はすっきり大快晴で汗ばむほどの陽気でした。だからきょうは特別風を意識するほどのこともなかったものの、季節柄なぜか「秋風」が想われました。

 古来「秋風の歌」として有名なのは、かの万葉歌人・額田王(ぬかたのおおきみ)の歌でしょうか。おっと、危うく以下に引用しそうになりましたが、この歌はいずれ『和歌・短歌鑑賞』でご紹介したいと思いますので、その時まで未公開とさせていただきます。
 代わってといっては何ですが、私の拙い句を冒頭に掲げました。これは今から7、8年前に作ったものです。秋風というそこはかとなく哀れをさそう季語の上、さらに夜討ヶ窪ですから。何か総毛立つようなおどろおどろしい句であるかもしれません。

 しかし「夜討ヶ窪」は、当厚木市に実際あった地名なのです。「実際あった」と過去形なのは、その後町名変更によりどうなっているか分からない、多分無くなった可能性の方が高いと思われるからです。
 もちろんそんな地名、厚木の旧市街ではありません。場所は当市の西外れに近い「飯山(いいやま)」という大字(おおあざ)地内の小字(こあざ)名だったのです。東京など関東にお住まいの方なら、飯山は「飯山温泉」や「飯山観音」でご存知かもしれません。しかし飯山はかなり広い地域で、夜討ヶ窪は飯山の南外れ、北側の飯山観音に隣接した飯山温泉の近くではありません。いや、かなり遠いです。
 どちらかといえば、これも有名な「七沢(ななさわ)温泉」の方が近いくらいです。もっといえば、以前厚木市に青山学院大学キャンパスがありましたが、同学園はさらに近いです。(ただし同大学キャンパスは、2003年相模原に移転したため閉鎖となりました。)

 多分古くからの地元の人しか知らないであろうそんな地名を、元々の地元の人間でもない私がなぜ知ったかといいますと、以前の職業柄でです。
 以前何度か述べましたが、私が当地に来て最初に就いた仕事は測量でした。町の小さな測量事務所ですから、広大な土地の測量はあまりなく、小規模宅地造成や個人が農地転用、宅地化して転売などに伴う分筆(ぶんぴつ)など、表示登記がらみの土地家屋調査士業務が主体でした。詳述は省きますが、それには横浜地方法務局厚木支局で閲覧した、「公図(こうず)」という各土地土地の古くからの地図が必要だったのです。(ただしその後法務省もコンピュータ化され、今では旧来の不正確な公図に代わり、かなり精度の高い「旧土地台帳附属地図」として、市民などからの請求があればコンピュータからすぐ取り出せるシステムになっています。)

 今から35年も前私がまだ20代の頃、業務上で飯山の同地区の公図を調べていた時、たまたまその字名(あざめい)を発見したのです。『へぇー。おもしれえ地名だなぁ』と思い、記憶のどこかに残っていたわけです。
 昔の地名というのは、何かしらその元になった謂われなり出来事などがあったものなのでしょう。ですからこの「夜討ヶ窪」でも、昔々江戸時代あたりその辺で、ばっさり夜討ちで斬った者と斬られた者がいたということなのではないでしょうか?もちろんその当時はまったく灯りなどなく、真っ暗闇の夜中にです。
 それが当時としては周辺どころか、瓦版級の殺人事件、ビックニュースとなって近隣近郷に噂が広まるほどだった。それが後々まで人々の記憶に残り、いつしかその土地は夜討ヶ窪という地名になっていった、というようなことではないでしょうか?

 その辺は公図から判断するに、少し距離は離れているものの、名門ゴルフコースの本厚木ゴルフ場と同じ高台の一角だったようです。その辺にたまたま窪んだ一角があったのでしょう。私が当地に来た昭和40年代は、その辺一帯は見渡す限りの田園風景が広がっていました。(もっともその手前は、市街から高台の入り口に名門厚木高校があり、緑ヶ丘という規格化されたネーミングの広い住宅地、さらには「尼寺原工業団地」というこれまたおかしな名前の工業団地がありましたが。注-今もあります。)
 しかし今ではその辺は新しい幹線道路も整備され、同路線沿いにはきらびやかな店舗が続いています。そしてその一帯は大住宅地です。今となっては、その辺を車で通ってみても、「さて、どこが夜討ヶ窪であるのやら」というほどの変わりようです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(20)

 押尾学、高相祐一、酒井法子の3被告が保釈されてから、一連の薬物事件の報道もすっかり下火になってしまいました。しかし今月下旬に行われる各自の初公判に向けて、水面下では動きもあるようです。そのようすなどを以下にお伝えしようと思います。

 今回は酒井法子関連についてです。
 保釈後の夜の謝罪会見の後酒井法子は、継母も入院している都内新宿区の東京医科大学病院に直行し、そのまま加療入院していました。しかし今月1日朝同病院を密かに退院したようです。
 保釈直後は、退院後は独身時代に住んでいた都内世田谷区深沢のマンションに身を寄せるものと思われていましたが、そこには現れず、都内のどこかのホテルに身を隠しているものと思われます。謝罪会見をセッティングした酒井の元所属事務所のサンミュージック側も、入院後から今後の善後策などを話し合うべく連絡しようにも連絡が取れない状態のようです。そうすると同社の相澤親子は、酒井の身元引受人ではなかったことになります。では一体誰だったのでしょう?

 保釈時酒井を乗せたワインレッドの車には、よく見るとアンちゃん風の男2人が同乗しており、取材陣の間でも『何者?』と見られていました。同車の手配も含めて、すべては例の「富永一族」が仕切っていて酒井をガードしているようです。さすがの取材陣や芸能リポーターにも居所を掴ませない富永一族による、“神隠し”ならぬ“のりピー隠し”の早業、さすがと思うと共に、よほど酒井を表に出しては困る事情でもあるのでは?とつい勘ぐってしまいたくなります。

 酒井、高相夫婦に関しては、9月20日未明夫婦が所有していた千葉県勝浦市部原の別荘で火事騒ぎがありました。それにより同別荘はほぼ焼失したわけですが、19日夕から夜にかけて隣接する鴨川市や君津市でも無人の別荘で火災が発生していることから、千葉県警勝浦署では連続不審火の疑いがあるとして捜査しているもようです。
 同別荘は外房の部原海岸の住宅地にある木造平屋建の一棟で、地元の人たちの間では以前から怪しげな家と噂され、俗に「ピンクハウス(のりピーハウス)」と呼ばれていたようです。そして今回の事件では、高相被告が同別荘での覚せい剤所持罪でも起訴されています。

 この焼失事件に関しては、酒井夫婦特に高相祐一の口封じを狙ったものではないのか?という情報も流れています。というのも、酒井法子はさすが筋金入りの極道の娘らしく、拘留中最後まで薬物の背後関係を明かさなかったと見られていますが、高相の方は「完オチ」し薬物人脈をべらべら供述したといわれています。また酒井は自身の携帯を壊して処分しましたが、押収された高相の携帯履歴の捜査から、暴力団関係者が何人も逮捕されたという事情もあるようです。
 そのため、「シャバに出たらこれ以上何もしゃべるなよ。もししゃべったらどうなるか分かるな」という、闇社会のある筋からの一種の脅し行動だったというのです。

 また酒井事件関連で気になるのは、“エリカ様”こと沢尻エリカ(23)が、所属事務所の「スターダスト・プロモーション」を突如解雇された出来事です。それによって沢尻の今後の芸能活動は大きな支障をきたし、現に進められていた木村拓哉主演映画『宇宙戦艦ヤマト』の沢尻のヒロイン役は没、代わって黒木メイサ(21)がその役を務めることになりました。
 解雇の理由は、わがままし放題の沢尻に事務所側もほとほと手を焼いたためとされています。とにかく事務所はおろか彼女のマネージャーですらその予定が掴めないことがしばしばだったという事情では、さもありなんとうなずけないでもありません。

 しかしそんな表向きの理由とは別に、8月下旬頃から「沢尻が酒井事件と絡んでいる」という裏情報が業界を駆け巡っていたことも事実のようです。それについては、「いや沢尻と夫の高城は酒井らの薬物とは無関係」とする見方もあります。だが「大いに疑わしい」とする見方が根強いこともまた事実です。
 そもそも沢尻エリカ解雇の引き金の一つになったのは、「奄美大島の皆既日食への夫婦旅行」だといわれています。通常人の感覚では分からないことながら、沢尻夫婦はそろって大の「皆既日食マニア」。ですから酒井夫婦以上に奄美にはどうしても行きたかったのです。この旅行にあたっても沢尻サイドは、事務所を完全に無視して旅行計画を進めたようです。その奄美での行動が、酒井夫婦の足取りとダブっているところがあるのです。

 ハイパーメディアクリエーターという訳の分からない肩書きを持つ、夫・高城剛(45)には以前から薬物疑惑があったようです。それに高城は前々から、酒井の夫の高相祐一とは知り合いだったというのです。だから高相が覚せい剤を入手したといわれている、奄美でのレイブイベントに沢尻夫婦も参加していて、共に覚せい剤を入手、使用したと考えてもおかしくはないのです。
 あくまで解雇の理由を沢尻の「一般的素行不良」で通したい事務所としては、沢尻の奄美での薬物使用を否定したいところですが、同島での彼女のスケジュールを把握出来ていない以上完全否定も出来ないわけなのです。

 奄美での沢尻エリカの行動に不審を抱いた事務所は、沢尻の事情聴取などで警察が動く前に先手を打って解雇を決定したという見方もあるようです。それに呼応するように、沢尻夫婦は解雇発表後海外(欧州)に渡ってしまいました。これを「さては高飛び?」と勘ぐる事情通もいるようです。
 そして、沢尻を事実上解雇した先月30日以降、スターダスト・プロモーションのホームページから沢尻に関するすべての情報が削除されたこと、さらにはその日からわずか2日後、所属タレント(常盤貴子や竹内結子など大物タレントが多数所属)への薬物検査の実施を発表したことも疑惑を強めたようです。「ウチで一番やばかった沢尻がいなくなったから、もう平気だ」と言っているようなものだというのです。

 いずれにしても芸能界薬物汚染は、今回の3被告を裁けばそれで万事解決などという底の浅いものでないことだけは確かなようです。

 (大場光太郎・記)

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続・乞食さんの思い出

                        (2)
 次はキツタロさと同じ頃の女乞食さんの話です。
 その女乞食の名前は、近所のおばさんたちの間では「カモダのカシャババ」と呼ばれていました。我が母子寮の前の通りを三十メートルほど東に行くと木橋があり、それを越えて山坂道をしばらく登って行くと蒲田山という山とそのたもとの部落があります。小学校高学年の頃、秋が深まった時分よくきのこ採りでその山に分け入ったものでした。要はその婆さんはその辺に住んでいるので「蒲田のカシャ婆」というわけです。
 とこう述べますとさも実在して山部落から下りてきて、当時の郷里の街中を歩き回っていた人のように聞こえます。しかし実際はおそらく誰もその姿を見たことがなかったと思うのです。
 
 私が小学校低学年の頃は、何か手に負えない悪さでもすると母や寮内のおばさんたちから、「ええがコタロ。そんなごとすっと、カモダのカシャババにさらわっちぇしまうなだぞ」というようなことを言われたものでした。幼い子供にはその一言が意外に効いたのです。
 しかしその「カモダのカシャババ」なる婆さんは、ついぞ一度も姿を現わしたことはないのでした。
 
 当時の周りの大人たちは乞食だと言ってはいたものの、本当のところはどうだったのかは分かりません。実際そんな婆さんがいたのかもしれず。またはかつていたのかも知れない誰かに尾ひれがついて広まった、都市伝説ならぬ「田舎伝説」の類(たぐい)だったのかもしれず。あるいは民俗学などで言う村落共同体の秩序を脅かす異人(いじん)的存在が投影された虚像だったのかもしれません。
 さらには山部落深く棲むということから、昔話の山姥(やまんば)のイメージが投影されていたのかもしれません。そうなると今では、カモダのカシャババの正式名称は、「蒲田の火車婆?」と思わないでもありません。
                        (3)
 実は乞食さんに類した人は、現居住地である厚木市にもいたのです。それもそう遠くない、つい数年前までの話です。
 
 今から十年余前私が現在の業務に従事するようになり、当市内を車で走っていると、時折りある乞食風の男性が通りをあるいているのに出くわすことがありました。やはり風采が明らかに一般人とは違うのです。その人はかなり年配で70前後くらいに見えました。割と背の高い痩せ型の老人で、白髪、白髯(はくぜん)のその風貌は、どことなく聖者風に見えないこともありませんでした。

 こういう人は一体どこをねぐらにしているものなのでしょう。近年社会問題になっているホームレスは当市でも見かけられます。例えばいつもご報告しております中津川堤の百メートル少し上流の橋の下には、何年か前までホームレスが寝泊りしていた痕跡がありました。(その後撤去)。さらにその数百メートル上流くらいの所は中州が盛り上がった平べったい台地状になっていて、その一部にはしっかりした小屋らしきものが造作されています。いつか散歩でそこの堤防道を歩いていた時などは、その小屋の側には犬小屋までありキャンキャン吠えているのを見たことがあります。
 またいつもの中津川堤を数百メートル下流に行くと大きな橋がありますが、そこいら辺には何人かで共同で生活しているようで、今でも時たま人の姿を見かけることがあります。

 その人は本厚木駅周辺でも見かけられたことから、あるいはもっと下流の相模川のどこかをねぐらにしていたものでしょうか。しかしその人はどうも今風のホームレスというよりは、もっと年季の入ったいわゆる乞食さんといった感じの風体でした。

 今から3、4年前の初冬のある夕方のこと。その人が本厚木駅のすぐ近くの道路際に腰かけているのが認められました。一方通行の道路とビルとの境の幾分高めの縁石の一角に、一人しょんぼり腰かけていたのです。通りをけっこう人が行き来していますが、その人のことなど誰も眼中にありません。
 その姿はどことなく所在なさげで、寂しげで、寒そうで。もちろんたまに車内から見かけたくらいで面識はありませんでした。しかし私は、どうもそのようすが気になって仕方なかったのです。そこで近くに車を停めて降りて、その人に近づいていきました。
 私がすぐ側に立っているのに気がついて、その人は一瞬ぎくっとした表情を見せました。私は「これで何か温かいものでも食べなよ」と千円札を一枚渡しました。その人は型どおりペこんと頭を下げて受取りました。

 しかしそれ以来、その人を見かけることはなくなったのです。その冬は越せなかったのでしょうか。   ー  完  ー

 (大場光太郎・記)

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十六夜(いざよい)

   十六夜の窓辺に寄りし人の影   (拙句)

 きのうの十五夜は既報のとおり雲が多い夜空となり、名月が見られるかどうかはらはらさせられました。雲間より十五夜月がその全貌を現し、そして黒雲の間に紛れ込んでしまった午後6時前頃。満月本来の溢れる光が全く遮られてしまうほど、空全体が漆黒の闇に覆い尽くされてしまい、もうこれきり今夜は無月になってしまうのだろうと思いました。

 しかし変わりやすきは秋の空、それは夜空とて同じこと。7時過ぎあまり期待もせずに夜空を仰いでみると、あれほど全天をすっぽり覆っていた雲が特に中空では切れ始めていて、名月は雲を透かして全貌が見えたり、雲間からすっかり姿を現したりしていました。その時分満月は、夕方の黄金色から冴え冴えとした白銀に面を変えています。
 それからずっと見続けるわけにもいかず、時折り見てみるに、依然雲間を出たり入ったりの観月ショーが夜通し見られたようです。

 きょう10月4日は、きのうとはうって変わってすっきりした秋晴れの一日となりました。日曜日でもあり、各地の行楽地は家族連れなどでさぞ賑わったことでしょう。我が国でこのようなレジャースタイルが始まったのは、意外に早く大正時代のことでした。都会から郊外に電車が開通したことによりまたその後の自動車の普及により、一般庶民にとっても都市から近郊へ、さらに遠い行楽地へというレジャーの流れが確立していったのです。

 ともかく夕方になっても雲一つないと形容してもいいような、すっきりした秋の夕暮れ。ある家の庭には他の植木に混じって柿の木が見られます。実が大きく黄色に熟して、たわわに生っています。
 またとある家の建物に隣接した所には、平屋の屋根と同じ高さの酔芙蓉が見られ、今を盛りと花を咲かせています。まるでプラタナスの葉を思わせるような大振りな葉が全体に繁り、その所々からそんな葉に不釣合いなピンクの見事な花が開いているのです。なるほど酔芙蓉は、日照の加減なのか気温の加減によるものなのか、ある時は白々とした色で、またある時は本当にほんのり酔った佳人の頬のようにピンクがかった芙蓉さながらのゴージャスな花です。
 また少し近郊に車を走らせますと、当地では既に稲刈りを済ませた田んぼも見られます。まだの田でも稲穂が黄色く色づき重そうに下に垂れています。
 街並みのようすも街の景観の添物として置かれた自然の種々(くさぐさ)も、皆々静かな秋の夕暮れの佇(たたず)まいです。

 今宵も十六夜(いざよい)の月を見ようと、中津川堤防道に向かいました。そこでは東の空が川向こうに大きく広がって見渡せます。午後5時20分、何と既に十六夜月は昇っていたのです。いつもの堤防中段では、十六夜月は川向こうの大きな工場の陰に隠れてしまいます。そこで少し上流側の中段にずれて座りました。
 その位置では月は工場の左側、そこの屋根より少し低い所に昇っています。満月といっていいほどの大きなまん丸月です。わずか何分か見ているさえ月の上昇は明らかで、月は工場の屋根と肩を並べ、そのうち屋根を抜き去ってぐんぐん昇っていきます。それとともに見始めの頃は薄ぼんやりした明るさだったのが、暮色の深まりとともにくっきり明るさを増していきました。

 川そのものも静かな秋の夕川原の趣きです。この時期最近のぐずつき気味の天候の割には、川の流れはやや少なく穏やかです。下流からの南風のせいか、水面(みなも)が川上側にわずかに波紋して広がっている感じです。
 下流の大堰のこちら側に、見れば十羽ほどの鴨の群れが気持ち良さ気にめんめめんめに泳いでいます。
 こちら岸の水辺の葦群れも向こう岸の葦原も、天辺に穂波が連なって白く見えています。ことによく見えるこちら岸の葦群れは時折り吹きつける下流からの川風に、緑の葉も枯れた葉もかさこそ音を立てながら、白い穂とともに上流側に身をなびかせます。

 葦原の手前に私の位置より少し上流側に、8月上旬頃雑草を総刈りして以降生えたものと思しき、背の低いコスモスが一株夕風に吹かれながら咲いています。数年前まで上の堤防道の両側には、この時期コスモスが連なって咲いていて見事でした。それがいつしか同じコスモス科のオレンジ色の外来種に乗っ取られ、本来のコスモスはどんどん姿を消しつつあります。
 だからそうしてぽつんと数輪咲いているコスモスは、言ってみれば上の道に連なって咲いていたその忘れ形見。募りゆく暮色の中で、可憐さの上どこか哀れさを感じさせます。

 川にあって鳴く虫は早や盛りをすぎたのでしょうか。一頃のようなあっちこっちからひっきりなしにリンリンとではなく、葦陰の遠い所からか細く聴こえるのみ。
 午後5時45分。周りはすっかり夕闇に包まれ、十六夜月はいよいよ輝きを増し加え、早やもう工場のだいぶ高い所まで昇っています。川を見れば、何十メートルかの川幅いっぱいに、月影が千切れ揺らめきながら一本の帯のように連なって映っています。
 その様を眺めやった帰り際。近代西洋のさる画家が、水面に映じた月影によほど魅せられたらしく、何枚もそれを画題とした絵を描いていたことをふと思い出しました。

 (大場光太郎・記) 

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ドキュメント・お月見

   空黒く名月行方不明なり  

   十五夜の路地に一つの夢こぼす   (以上拙句)

 本日10月3日は旧暦の9月15日すなわち「十五夜」です。秋雨前線停滞や太平洋上の台風などのせいか、9月末頃から雨がちのぐづついた天気が続いています。
 きょうは雨こそ降らなかったものの、朝から分厚い雲が全天を覆うあいにくの空模様でした。普段の日ならば、ちょいと外出するにも遠出するにしても「雨さえ降らなければОK」のはずですが、十五夜のこの日ばかりはそうはいきません。

 十五夜の満月がくっきりと見られる良夜であるためには、全天を覆い尽くすこの黒い雲がきれいさっぱりなくなること、しかし日中のこの雲の具合からしてそれが難しいのであれば、せめて空全体の何割かでも雲が切れて、そのあわいから十五夜月が望めれば良しとしなければなりません。
 『でもそれすらムリかもな』と半ばあきらめかけていた午後4時前後。東の方の空の雲が少しずつ切れ、水色の澄んだ空の色が見え始めたではありませんか。そして夕色が兆すとともに次第にその辺に占める秋空の割合が多くなり出したのです。

 それより上の中空、西の方の空は依然として薄黒い厚い雲で覆われています。特に西にでんと聳える大山の辺りは黒雲大いにわだかまり、昔からの「大山は雨降り山」の言い伝えどおり今夜の全天のお天気回復は望むべくもありません。だから余計「今月今夜のこの月」は、昇り初め頃を拝するしかないようです。

 と少し経った4時半過ぎ頃から、またまた雲行きが怪しくなってきました。頼みの東の低い空の切れ間がすっかり北の方にずれてしまったのです。月が昇りそうな真東から、おおよその月のルートをイメージするに、その辺は皆悉く分厚い雲に覆われていて。
 「女心と秋の空」とはよく言われてきたけれど、つれないものは十五夜の曇り行く空。そういえば「十五夜に晴れなし」という言い伝えもあるようで、特に関東以西はこの夜晴天に恵まれる確率は少ないとのこと。嗚呼 !

 夕方5時かっきり当市の「夕焼け小焼けチャイム」が鳴り響いた時には、家の中にいると取分け外は薄暗く感じられ、名月を待ち望む心にそのチャイムの音(ね)はもの寂しく聴かれたのでした。
 暮色募りゆく中やはり空模様が気になって、5時15分過ぎ家を出て近郊に車を走らせました。東の方の空が見渡せる辺りで車を停めました。

 やはり覆い始めた薄黒い雲は長々と横たわり、早や夕刻の今はわずかにのぞいている空の色はすっかり色あせて白雲と見まごうばかり。低空の雲の感じから月の出を見ることはとても適いそうになく、東の半ばから上の空にぽっかりと雲の切れ間が広がっており、せめてそこから今宵の名月が顔を出してくれることを待ち望んだ次第。
 ただ雲の移ろうさまは無常なる人間世界の移ろいにも似て、一寸先の予断つき難し。さてどうなるものかと、私は近くのスーパーに向かったのでした。

 スーパーの広い駐車場に着いてその一角に東向きに車を駐車させました。そして何気に東空を仰いでみると、何と斜め25度くらいの低空の雲の上から、お月様の天辺がほの見えているではありませんか。時に5時45分。満月というものは午後6時に昇るものと思い込んでいた私には、不意討ちの月でした。
 雲と月の動きは早く、名月は1/2、2/3、3/4と刻々と雲のへりをぬうように。せめて地上で月見を待ち望む者に、その姿を見せてあげようと意思するもののようで。
 私は全体の雲の具合からして、今を逃したら今夜はもう月見は出来ないと思い、せめて一瞬なりとも名月の全貌を見たいものと凝視し続けます。

 名月は再び雲間にもぐり込んだかとみると、遂に雲間を完全に脱してその全貌を現しました。本当に神々しい黄金色のお月様です。時に午後5時48分。
 私はしばしその煌たる大きな光体に見惚れていると、5時51分月の天辺が今度は上の雲に隠れてしまいました。そうなるとあっけないもので、またたく間に半分が隠れそして全体が雲の中にすっぽり隠れてしまいました。後には下の方の雲の縁(ふち)を薄明るく染めて、それがたった今まで名月がその辺に出ていたことのわずかな証明であるばかり。そうしている間にも、雲の薄明かりも徐々にさめていきます。

 『次にまた出てくれるだろうか?』。私は夜空を広く眺め渡しました。すると南の方に星一つ、うっすらと。『シリウスだろうか?』。それすらもあっという間に掻き消えてしまったのでした。
 再び月が出ていた辺りに目を転じてみると、もう黒一色の雲に閉ざされてしまっています。時に5時53分。『今夜はもうムリらしいな』。私はすっかりあきらめて、車から出てスーパー入り口に向かったのでした。

 (追記) ただし午後7時過ぎから中空の雲間が少しずつ切れ始め、その後雲間から出たり入ったりの名月ショーが夜通し繰り広げられました。

 (大場光太郎・記) 

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九月尽(2)

   雨しとと家並み木立に九月尽(くがつじん)   (拙句)

 最近は秋雨前線が関東から中国地方まで、太平洋側列島に長く伸びて停滞しているとのこと。そのため前線の刺激により、当地でもきのうきょうは雨がちのぐずついた天気が続いています。
 一年間の月別雨量では例年ならば、二百十日を月初に迎え台風シーズンでもあり、9月は6月と並んで雨の多い月のようです。ところが今年に限っては関東地方の場合晴れの日が続き、おとといまでの9月雨量は例年の20%くらいだったそうです。きのうきょうの雨で例年雨量に少しは近づいたのでしょうか。それにしてはどちらかというと傘も要らないような小雨がちで、さして貢献しなかったかもしれません。

 ですから冒頭の拙句は「雨しとと」でありまして、「雨しとど」でも「雨しとしと」でもありません。「雨しとと」。これはひょっとして私の造語かもしれませんが、それによってそんなに本降りの雨ではないということを表現したかったのです。と俳句において本来こんな説明は不要ですし、してはいけないのかもしれませんが、何せそこは「素人俳人」のこととご寛恕賜りたいと存じます。
                         *
 さて9月も末日ですが、何といっても今月最大の政治的、社会的イベントは、政権交代による鳩山新政権が発足したということに尽きると思います。スタートしてまだ2週間ほどの新政権に早々と評価を下すのはいくら何でも早すぎます。
 それでも順調なすべり出し、スタートダッシュにはまずまず十分成功したと見ていいのではないでしょうか。
 新政権は官邸主導、政治的一元化を目指す目的で、国家戦略局という新しい部局を設置し、初代大臣に菅直人を据え、従前の官僚任せではない政治家主導の姿勢を内外に強くアピールしました。今は「室」であり今後どうしたいのかはまだ具体的には見えてきませんが、早く「局」に格上げして本来の機能を発揮して、「政治改革」「霞ヶ関改革」を進めていってもらいたいものです。

 鳩山新首相自らが、政権発足後1週間くらいで国連の場に乗り込み、気候変動首脳会議の演説で日本は「2020年まで温室効果ガス25%削減」を実施するとぶち上げ、世界中の度肝を抜きまた賞賛もされました。これは我が国にとって、重大な責任を伴う「世界公約」であると共に、環境問題という重要分野で世界各国の中で今後我が国がイニシアティヴを取れるということでもあります。
 思えば自民党政権下での時々の首相といえば、アメリカ様の顔色をひたすらうかがうばかり。「我が国としてどうしてもこれをしたいんだ」という、世界への強いメッセージ発信力は限りなくゼロに近いものでした。とにかくあの国連演説をした鳩山首相の姿に、本来あるべき「プライム・ミニスター(宰相)」を見る思いでした。

 その他藤井財務相、前原国交相、原口総務相、長妻厚労相、亀井金融相など、司つかさで改革のための新機軸を出し合って、脱官僚依存、政治主導の流れを作り出そうとしています。
 そんな中、かつて野党時代の「ミスター年金」長妻大臣に、厚労省官僚は恨み骨髄。それは自分たちの積年のデタラメ、ズサンさを棚上げした逆恨みもいいとこですが、就任時の1階総出迎えでは拍手一つしませんでした。他の官庁は一応は新政権の出方をとりあえずは様子見なのに、この官庁は最初から敵意丸出し、対決姿勢でした。自民党政権の尻拭いといっていい、消えた年金問題、後期高齢者医療や身障者自己負担費、派遣法改正などの見直し、撤廃問題等々。厚生、労働両分野で、手をつけるべき課題が非常に多い問題官庁ですが、とにかく報道されない官僚たちのいやがらせが凄まじく、さすがの長妻大臣も音を上げる寸前との話も洩れ伝わってきています。省益、保身だけの薄汚い厚労官僚なんかに負けるな、長妻大臣 !

 亀井金融相の中小企業の借入金の「3年間モラトリアム」。亀井自身と弱小国民新党をアピールするためのパフォーマンス的意味合いもあるのかもしれませんが、アイディアとしてはなかなか面白いと思います。我が国の9割以上を占める中小企業への目配り。「大企業目線」の自民党政権下では絶対打ち出せない政策です。閣内の藤井財務相はじめ金融機関、経済ジャーナリストなどからも、劇薬だけに副作用を懸念する慎重論が多いようです。
 しかし小泉格差増大政治によって、地方も中小企業も疲弊し切っていて何らかの有効な手立てが早急に必要です。亀井大臣、藤井大臣など省庁横断で十分協議して、最も有効な着地点を探ってもらいたいものです。

 前原国交相の「八ッ場ダム建設中止」も大いに評価できます。建設計画が持ち上がったのは、今から57年前の昭和27年のこと。時代は大きく変わって、途中でダムを作る必要性がまったくなくなったのです。にも関わらず、族議員、天下り役人、一部ゼネコン、おこぼれいただきの各県や周辺自治体のためだけに延々造り続けて、何千億円。詳細には述べられませんが施工上障害が多く、完成まで後どれほどの年数を要するか知れないシロモノです。上記関係者やマスコミがいくら騒ごうが、即刻中止した方がお国のためなのです。
 しかしこの問題の一連の騒動には、政治的転換がいかに難しいか痛感させられました。実際に中止に到るまでは紆余曲折、前途多難が予想されます。だからといって既得権益者たちの言いなりになって続行では、まさに亡国行為です。同ダムは「政官財癒着公共事業」の象徴のようなもといえます。これを中止する意味は測り知れません。全国各地の同様のムダ工事中止の生きた範例となるからです。
 ただダム建設のために翻弄され続けてきた、一番の被害者である地元住民の方々には、個別にきちんと対応し、手厚い保証をお願いしたいと思います。

 その他前麻生政権下での概算要求を白紙見直し、新政権として新規の予算編成をし直すこと。独立行政法人などへのお役人の「天下り禁止」を明確に打ち出したこと等々。政権が変わると、政治はこれほどドラマチックに動くものなのかと驚いてしまいます。
 だがこれらはすべて、霞ヶ関官僚との衝突が避けられない問題です。かのマッカーサーですら手がつけられなかったと言われる、我が国の「官僚機構改革」。初めは面従背服、やがて自分たちの省益が脅かされると分かると、リーク、資料隠し、さぼり、恫喝何でもありのしたたかな官僚たち。
 しかし、伏魔殿的霞ヶ関の深部にまで斬り込まなければ、「真の改革」はないわけです。国民もそれに期待していることを忘れず、今後とも一歩一歩具体的成果に向けて歩みを進めていってもらいたいものです。

 (大場光太郎・記) 

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悪運強い !?森元総理

 28日自由民主党の新総裁に谷垣禎一元財務相が決まりました。投開票直後の両院議員総会で谷垣氏は、「思い切った党改革も必要だ。もう一度国民の信頼を取り戻し、政権に復帰できるよう全身全霊を傾ける」と決意を表明しました。
 この決定に敵方の亀井静香金融相も、「今の自民党の中で最高のタマでしょう」とエールを送りました。私も森ー小泉ー安倍ー福田ー麻生と続いた過去の総裁よりはずっとマシな人選だと思います。(政権与党であるうちになぜもっと早く、そう出来なかったのでしょう?)

 しかし国民の多くがそうでしょうが、私は野党に転落した自民党の総裁に誰が就こうとさほど関心はありません。問題は谷垣氏が選出されるまでのプロセスです。その舞台裏を少しのぞいてみるとガックリ、『やっぱり自民党はダメだ ! 』と思わせられるのです。
 その一端がうかがえるシーンがあります。会場だった自民党本部8階ホールから1階玄関に現れた森喜朗元総理は、待ち受けたカメラに向かってにこやかに笑いかけ、右手でVサインまでしたというのです。
 森元総理は、総選挙時は終始ピリピリカリカリ。時には鬼の形相で記者を追っ払ったり、投票日当日の夜は石川2区の選挙事務所の前面にロープを張りめぐらせ、そこから中へは地元記者以外立ち入り禁止の報道管制まで敷いたくせして。
 なぜこの時上機嫌だったかと言えば、総裁選で谷垣氏300票と、河野太郎の144票をダブルスコアで圧勝したからです。『してやったり。オレの影響力もまだまだ捨てたもんじゃないわい』とばかりにご満悦だったわけです。

 台風の目候補の河野太郎は、総裁選の遊説先などで「そろそろ出所進退をお考えになるべきだ」「腐ったリンゴを樽(たる)の中に戻せば、全部が腐ってしまう」と、名指しで森元総理を痛烈に批判していました。それに森氏は怒り心頭、「河野だけは許せん」となったのです。
 しかし世論は党再生のためにズバズバ直言した河野太郎に拍手喝さい、マスコミの評判も上々でした。ムリもありません、河野が訴えたことは多くの国民が感じていることだったからです。

 ただ旧態依然たる自民党内の力学はそうではなかったのです。当初は森元総理とたもとを分かったはずの中川(女)-中川秀直元幹事長に対する記者用語。ちなみに中川昭一元財務相は、中川(酒)-や、もう少し気骨があると思われた菅義偉は河野支持に回っていましたが、終盤は森に遠慮して手を引く始末。それのみか、普段はテレビの討論番組に出まくって火のような正論を吐いている山本一太、世耕弘成、大村秀章らの若手議員もびびってしまったというのです。まさに恐るべき森元総理の影響力という感じです。暴力団顔負けの締付力、恫喝力を改めて見せつけられた感じです。

 今回の総選挙では、「美女のサメ退治」をキャッチフレーズに小沢一郎から送り込まれた田中絵美子は、大接戦及ばず選挙区で森の当選を許し比例区で復活当選しました。その田中は新人議員として注目度も高く、若い頃の乳房モロ出しのAV出演などが発覚し、話題、問題になっています。
 しかしそんな事は、森元総理の諸々の隠れた悪事に比べたらかわいいものなのではないでしょうか?それに良くも悪しくもAV女優は、とうの昔に国民に広く認知されていて、必ずしも「悪」とは言えないわけだし(強いて言えば「必要悪」?)。イタリアではかつて、チチョリーナという元ポルノ女優が国会議員を務めました(但し出身国はハンガリー)。選挙期間中その事実を公表しなかったという問題は多少あるにせよ、AV出演経験者が国会議員になっていけないということはないと思います。(少し余談でした。)

 森元総理の悪事の中で、特に問題視したいのはやはり例の一件です。これまでの『薬物汚染シリーズ』で何度も取り上げてきましたとおり、押尾学事件に関して森元総理サイドから捜査に圧力があった疑いが極めて濃厚なのです。六本木ヒルズレジデンス一室での、田中香織さん変死事件に森の長男祐喜が直接現場に居合わせたとされる、そのもみ消し疑惑です。
 今のところ確かな証拠があるのかどうか、私ごとき者には分かりません。一部の方からは「証拠もないのに変な情報流すなよ ! 」とお叱りを受けそうですが、ネットなどから日々洩れ伝わってくる情報はとにかくリアルで臨場感のあるものです。「火のない所に煙は立たぬ」で、特定の誰かが森氏を陥れるために作為的に流しているものではないだろうと思われるのです。

 それにしても。史上最低の支持率に喘いでいた元総理が、総理辞任後かくも長きに亘って隠然たる影響力を行使し続けられるとは。「今回は危ない」と言われながら、辛うじて選挙区当選してしまうとは。総裁選では森の思惑どおり、谷垣が河野に圧勝してしまうとは。押尾事件では長男の名前や森元総理自身の圧力など一切表ざたにならないとは…。
 森喜朗はつくづく「悪運が強い」御仁です。しかしこんな人物が無傷のまま影響力を行使し続けられるような政治システムは、(上の悪運の事例は「根っこが皆同じ」なわけで)とにかくいびつで異常です。その意味で、河野太郎の「引退勧告」は至極まっとうな主張だったのです。森元総理の引退はひとり自民党再生に必要であるばかりか、政界全体、ひいては日本再生のためにも是非必要だと考えるきょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

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9月26日の上弦の月

   半月も地軸も国も傾ぶけり   (拙句)

 当地では、ここ三日ほどすっきりした秋晴れに恵まれています。シルバーウィークこそ終わったものの、いよいよ本格的な秋の行楽シーズン到来といった感じです。

 さて本日は午後から本厚木に行き、7時過ぎに帰ってきました。帰りは乗る時の一つ手前のバス停で降りて、そこから700mほど歩いて我が家に帰ります。行きのバス停より距離はありますが、何せ普段は運動不足の身、努めて歩かねばと本厚木方面に行った帰りは決まってそのコースで帰るのです。
 そのバス停の表通りの反対側のブックオフ店を右折して何10mかすると、近年整備された遊歩道がその道に直行する形で真っ直ぐ先の方まで通っています。私はいつも左折して北に伸びたその遊歩道を通ります。

 整備される以前そこは草ぼうぼうのただの水路でした。草丈の低い冬や春先などはそこの土手を伝って歩けることは歩けます。しかしそこには入らず、もう少し行くと高層団地群の側道があるのでそこを通っていました。
 その水路を市で何年度計画かで整備されたのが今から数年前です。途中2本の車道があり、したがって水路も2つに別れていますので、それを年度を違えて整備工事したのです。水路は幅員3mほどを暗渠にして隠し、表面は茶褐色の歩きやすい特殊アスファルト歩道に、そして両側にはその歩道に並行する形で花壇も設けられました。

 整備したての頃は何となく、それまでの当たり前の自然の姿が損なわれたような違和感がありました。それに私個人の勝手な考えとして、『どうせだったら花壇じゃなく、一定区間に植樹してほしかったな。そうすれば自然の中を歩く感じがもっと出たのにな』と思いました。しかしそれは土台無理な注文で、市の公園緑地課などとしては剪定(せんてい)や落ち葉のメンテナンスで手間のかかる植栽などもとより計画にないわけです。
 それでなくても手前の一本目の遊歩道は、片方に元々あった数本の桜の大木をそのまま残したために、今の季節はその桜落ち葉が路面に散り敷き始めているくらいだし。

 しかし以来その遊歩道には、地元のボランティアのご婦人たちの手によって、四季折々きれいな花々がいつも植えられ、通る人たちの目を楽しませてくれます。さすがに真冬や真夏は花々は少なくなるとはいえ、何しろ総延長で約250mずっと花壇続きです。その手入れの労たるや大変なものだと心のどこかで思いつつ、さながら「花野の道を行くごとし」。私もいつも花々を見やりながら帰っています。
 
 何のことはない、この遊歩道は2本目の車道の先は何度もお伝えしてきた、例の「水路道」につながるのです。ただし水路道の方は、施工はずっと古く遊歩道仕様でもありません。
 さてこの遊歩道をいつものとおり歩いていた私は、2本目の道で何となく後ろ(南の方向)を振り返ったのです。そうしますと、少し西よりの中空に半月が出ているではありませんか。月を眺めたくなった私は、少し先に設けられているベンチに腰かけました。私が座って面している東側隣接地には公民館があります。当地域の行政的なセンターとしての機能を有し各種選挙の投票所であり、またいつぞやお伝えしました当市の防災無線の「夕焼け小焼けチャイム」も、当地区ではここに設置された無線塔から流されていたのでした。

 半月は雲一つなく澄み渡った夜空に冴え冴えと掛かっています。少しばかり傾いた上弦の月です。地上に目を移せば、ちょうど折りよく公民館施設の際に少しばかりのすすき群が見られます。十幾つほどの穂波が、半月の仄(ほの)明かりに白く照らされています。
 遊歩道には一定間隔で街灯が設置されていて、決して暗い夜道といった感じではありません。しかし裏道には違いなく、この時刻滅多に人は通りません。「月にすすき」の風情の上さらに、花壇の花陰のあちこちから、良夜を寿(ことほ)ぐような心地良いすずろな虫の音も聴かれます。

 冒頭の句は、そんな上弦月の風情をそぐような少しブラックジョークがかった句です。これは本日の月を詠んだものではなく、小泉政治華やかなりし数年前半ばヤケクソで作った句です。鳩山新政権になって、少なくとも今のところはこんな句を詠むこともないようです。
 また本記事のタイトルは、それから帰って真っ先に開いたマイブログに、「9月26日6時の半月」という検索フレーズでアクセスしてこられた人がおり、それをちょいと拝借したものです。

 (大場光太郎・記) 

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ブログ背景変えました

   街にふとコスモスありて安堵かな   (拙句)

本日23日は秋分の日です。また同時に秋彼岸の中日でもあります。「暑さ寒さも彼岸まで」と昔からよく言い習わしています。思えば「暖かさ、暑さ」に向かう起点であった春分点から、ちょうど180度真反対に、きょうの秋分点は位置しているわけです。
 10月中旬頃まで、時にまだ暑い日もあることでしょう。しかしそれでもきょうを境に、確実に「寒い季節」に向かうことになるわけです。春分そして今日の秋分の日。なるほど確かに、共に季節を截然と「分ける日」なのですね。

 そのようなことで、季節を分ける秋分の本日、当ブログの背景も模様替えしてみました。いくらなんでも、これから「winter」では寒々しすぎると。候補は幾つかありましたが、これからの季節的なこと、背景全体のバランスなどを考慮の結果、ご覧のとおりの「紅葉(もみじ)」をしばらく採用することに致しました。まだ紅葉の季節には間があり、少し早いような気もしますが…。
 全山ならぬ全背景、紅葉色で少し記事が見づらい、読みづらいかもしれません。しかし「winter」もそうでしたが、そのうち目になじんでくるのでは、と考えております。それでも読みづらい場合は、言っていただければその時点でまた検討したいと思います。

 本日は日本海に秋雨前線が長々と伸び、そのため日本海側の各県は曇り、雨、所によっては雷雨に見舞われた地方もあったのでしょうか?(と推測なのは、本日のニュースよく見ておりませんので)
 当地(神奈川県県央地区)はおかげ様で、多少雲が多目ながらよく晴れた秋晴れの一日となりました。雲も天高き薄い秋特有のすじ雲が多く、そのさまからもいよいよ深まりゆく秋の気配を感じたことでした。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(16)

 酒井法子被告の保釈はさすが関心が高く、特に同17日夕方行われた謝罪会見(都内千代田区内・如水会館)は各方面からさまざまな声が上がっているようです。「やっぱりかわいい」「涙につられてついウルウルしてしまった」という好意的な見方がある一方、「納得がいかない」「セリフを読んでいるだけ」と厳しい意見も目立ちます。中には酒井を離れて、「押尾学も会見を開くべきだ」というごもっともな意見までありました。

 深夜フジテレビの『ニュースジャパン』で酒井被告の謝罪会見の一部始終を見て、私も「女の涙」についほだされてしまいました。それで前回記事はその時感じたままを、ネットニュースを参考にただちにまとめたものです。まる一日経過して冷静に判断してみますと、確かに『少し甘かったかな?』と思わないでもありません。

 そこで今回は酒井被告についての補足をー。
 振り返ってみますと失踪から数日後出頭してからしばらくの酒井被告は、「はっきりとは覚えていません」式のあいまいな供述を繰り返していました。それが途中から一転して罪状も認め始め、「深く反省しています」「皆さんに謝りたい」と態度も急にしおらしくなっていきました。これはどうも保釈や初公判などを見据え、世間や裁判官らの心証を良くしておいた方が賢明だという判断が働いたためのようです。
 いくら初犯でも「逃亡」という悪質性からして実刑は免れないという見方も多く、対して「実刑ではなく執行猶予を」という計算が働いたようなのです。もちろんその段階で助言したのは、例の「みやび法律事務所」所属の、酒井の弁護人の榊枝真一弁護士。その助言などによる方向転換であったわけです。

 保釈の日に向けて酒井被告自身、謝罪会見で語った内容を数日前から繰り返し練習していたそうです。まるで舞台初日に向けたセリフ覚えのように。そうなると当日の会見で語った内容も流した涙も…。上記の「セリフを読んでいるだけ」という批判は案外的を得ているのかもしれません。
 そうなると酒井法子は、存外にしたたかな「女狐タイプ」にも思われてきます。しかしあの会見を見ていた多くの国民が多少なりとも心証を良くしたはずで、その点では酒井側の作戦勝ち、あるいはさすが女優酒井法子の演技勝ちといったところでしょうか。

 保釈から謝罪会見までを取り仕切ったのは、やはりサンミュージックだったようです。既報のとおり、同社は酒井出演のテレビCM中止による数億円規模の損害賠償を請求されていますから、解雇はしたもののおいそれと酒井を見放せない事情があるわけです。酒井自身もサンミュージックも、謝罪会見で世間の心証を良くし、なおかつ裁判で執行猶予を勝ち取り、その先の芸能界復帰という道筋を思い描いているのでしょう。
 酒井の今後については、小向美奈子の場合のようにストリップ業界がてぐすね引いて待っている、ヌード写真集を出版する、あるいは独占手記出版も考えられるなどさまざまな噂が駆け巡っています。

 それらも確かに一時的に大金を得ることは出来ます。しかしトップアイドル→覚せい剤所持・使用罪→際どい仕事という、絵に描いたような転落人生にもなりかねません。聡明そうでしたたかな酒井法子のこと、今後の自分の進路を拘留中どう考えていたのでしょう?案外サンミュージックと再契約して女優復帰、会社と共に、発生した多額の損害賠償金問題の解決の方途を探っていくということになるのかもしれません。実はサンミュージック自体が酒井の復帰を検討しているようです。それは会見に同席した日本ビクターも同じことで、酒井関連CDなどが出荷ストップになっていて、やはり復帰を望んでいるものと思われます。
 
 たとえ芸能界復帰となるにしても、今回の一連の事件・騒動によって、酒井法子は大いに「色つきタレント」になってしまったわけで、従前のようなママドル路線ではもう行けまいし。どうでしょうか、この際思い切って「悪女路線」で再出発してみては?

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(15)

 覚せい剤取締法違反の罪で起訴されていた酒井法子(本名:高相法子-38)が、17日保釈されました。酒井被告は証拠隠滅や逃亡の恐れなしと判断され、14日既に東京地裁から保釈を認められていました。
 しかし酒井被告側は保釈金500万円をすぐには払わず、翌15日半額の250万円を払っただけでした。その間酒井が拘留されている警視庁東京湾岸署前は、保釈して出てくる酒井被告の姿を捉えんものと、連日大勢の報道陣でごったがえしました。

 そして3日後の17日酒井側が残りの250万円を払い、同日保釈されました。午後4時半頃、逮捕から41日ぶりで同署内から姿を現した酒井法子は、黒の上着、黒のズボン姿。クスリを絶って健康的留置所生活を送っていたせいか、顔はふっくらし見るからに元気そうでした。
 元トップアイドル。しかしこのたびは世間を大騒ぎさせた被告人。スポットライトならぬ無数のカメラフラッシュが酒井の姿に容赦なく浴びせられます。しかしそこは極道の父を持つ酒井のこと、それに怯むでもなく気丈にも背筋を伸ばし真っ直ぐ前を向いて歩を進め、一瞬笑みさえ見せました。

 カメラの放列の中署の玄関前にやってきた酒井被告は、立ち止まって2、3秒ほど頭を下げた後、「今まで酒井法子を応援してくださった皆様、本当にこのたびは申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を述べました。目にはうっすらと涙が浮かび、再度数秒ほど深々と頭を下げました。
 ファンとはつくづくありがたいものです。これほど堕ちてしまった酒井をなおも見捨てないぞとばかりに、沿道から「がんばれ ! 」という声援の声と指笛がなったのです。

 酒井被告の保釈が遅れた理由として、押尾学被告のように保釈金がネックになったわけではなく、身元引受人を誰にするかがなかなか決まらなかったからのようです。酒井にはしかるべき人がいなかったようなのです。
 まず第一には夫・高相祐一の両親ですが、高相被告も昨日保釈されており当然両親がその身元引受人だったわけです。しかし法的に両被告の身元引受人を兼ねることは出来ません。例え夫婦ではあっても共に被告人。一緒に住ませて口裏を合わせられては困るのです。
 次に継母ですが、同人はガンの宣告を受け現在入院治療中でこれも不可。するとやっばり「アヤツ」か?本来なら逃亡ほう助罪で逮捕されてしかるべき、「トミナガ」会長の富永保雄です。しかしこれが「逃げの一手」なのです。それはそうでしょう。酒井や高相は「押尾事件隠し」に利用しただけ。その押尾も保釈され、これ以上同事件は広がらないと分かっている今、何を好き好んで手を差し伸べましょうや。

 そこで酒井が最後に頼ったのは、やはり解雇されたサンミュージックだったようです。身元引受人は、酒井事件のせいで社内降格となった相澤秀禎相談役か、相澤正久副社長か。会社としては既に解雇していますから、あくまで個人としてとなります。
 事件後酒井法子は、結局サンミュージックに一切連絡していなかったようです。ただ獄中で改悛したのか、実の父以上の恩人といっていい相澤相談役にはお詫びの手紙は出したようです。結局酒井は相澤親子にすがるしかなかったのです。またサンミュージック側にも、酒井事件によるスポンサーからCM中止などで5億円もの損害賠償問題が発生しているという事情もあり、むげにも断れなかったのでしょう。

 次に酒井被告は、都内千代田区のホテル内に設けられた謝罪会見の場に姿を現しました。サンミュージックの相澤正久副社長、三枝照夫ビクター取締役会長、そして弁護人のみやび法律事務所の榊枝真一弁護士が同席しました。
 酒井は席上「このたびは一社会人として、人として、決して手を出してはいけない薬物というものに自分の弱さに負け、そして今このように世間を騒がし、多くの皆様にご迷惑をおかけしました。これまで私を支え、応援してくださった皆様には、どれほどの残念さと、私の無責任な行動に幻滅なさったことかと。今まで応援してくださった日本や海外のファンの皆様、そして今まで支えてくださったスタッフの皆様、このたびは本当に申し訳ありませんでした」と涙ながらに謝罪の言葉を述べました。

 また時折りハンカチで涙をぬぐいながら、「決して二度とこのようなことで、皆様の信頼を裏切ることはありません。この気持ちを決して忘れることなく、皆様のお気持ちに恩返しをしていきたいと思います。この罪の償いを今後どのようにして償っていくのか、まずは自分の罪を悔い改め、二度とこのような事件に手を染めることのないよう、一生の約束として固く心に誓います」と約束し、約10分間に及ぶ会見を終え、治療入院のため病院に直行しました。

 拘留中酒井被告は「捕まってよかった。そうでないとずっとクスリを止められなかった」と漏らしたそうです。今回酒井被告は心底改悛したのでしょう。会見をニュースで聞きながら、私は不覚にももらい泣きしていまいました。「罪を憎んで人を憎まず」。人は大なり小なり罪を犯します。心底悔いている人間を人は裁くことはできません。
 私は今回酒井法子を初めてしげしげと見ました。さすが若い時から歌手やタレントとして大舞台にも立ち、修羅場もくぐってきただけのことはあります。『意外と聡明だな』と感じました。しかしそんな人間をも薬物やここではとても公開出来ないような倒錯した世界に踏み込ませてしまう、芸能界という魔力の世界。まだまだいるであろう薬物疑惑タレントたち…。

 覚せい剤は常用していると、止めても体が覚えていて、完全に断ち切るのは本当に難しいといいます。いわゆる禁断症状との戦い。それが一生続くことになるようです。酒井被告もこれからそのような「自分との戦い」が続くことでしょう。
 しかし今会見を初心として、真に厚生の道を歩いていってほしいものです。出来れば保釈を目撃した30代主婦が言っていたように、「薬物撲滅のための活動」でもしていってもらいたいものです。

 (大場光太郎・記)

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「9・11」とは何だったのか(5)

 結論ー私の「9・11観」

 以上に述べてきましたようなことから、私は米国政府が発表し世界中のマスコミがそれをそのまま報道してきた「定説としての9・11テロ」はでっち上げであると考えます。つまり9・11を引き起こしたのは、「アルカイダ(だけ)ではなかった」ということです。

 特にWTCに突入したとされる2機の飛行機は、民間航空機ではなかった可能性が高いと思われます。おそらく米空軍がお得意とする遠隔操作による、ミサイル搭載の自動操縦ジェット機だったのでしょう。ということは、乗っ取られたとされる2機の民間旅客機は、何らかのトリックによって行方不明になったのであり、突入した飛行機にはテロ犯人も乗客も誰一人いなかったと考えられるのです。だから同時テロで死亡したとされるモハメッド・アタら19名は全員今でも生存している可能性があります。事実同事件後数日の9月23日、英米政府とは唯一距離を置いているメディアであるBBC(英国放送協会)が「19名のうち4名は生きている」と報道、その後生存者は11名と報道し直しているのです。19名のうち11名が生きているのなら、あるいは全員そうなのでは?
 
 テロ実行犯とされる彼らは、一応イスラム教徒ではあっても特別過激派でもなく、ましてアルカイダメンバーなどではなかったようです。それにもしWTCに突っ込んだのが本当に大型旅客機だとしても、彼らは小型飛行機の講習をたった半年習っただけ。「大型機を操縦すること自体考えられない。まして特定のターゲットに突入するという高度な技術などとてもムリ」と多くの熟練民間パイロットたちは話しています。

 上記で「アルカイダ(だけ)ではなかった」としたのは、9・11を仕掛けた「謀略グループ」の中には当然アルカイダメンバーも含まれていたと思われるからです。それもとっておきの役者、ウサマ・ビィンラディンらアルカイダ主要メンバーが。彼らはこの事件においては不可欠の役者たちであったのです。
 そもそもウサマ・ビィンラディンの出たビィンラディン家はサウジアラビアの名家の一つであり、同家とブッシュ家とは父ブッシュ以来親交があったのです。多分事件の直接実行機関あるいは米国政府とウサマ・ビィンラディンとは、裏でツーカーの仲だったはずです。ビィンラディンは何しろ世紀の悪役を演じたのです。米軍による掃討作戦を装いながら、身柄は安全に保護され、相当の報酬も手にしたはずです。

 前回引用しましたサイト『911の真相とは?』の中で、イタリアのコシガ元大統領が「9・11はCIAとモサドの犯行」と大手新聞で暴露したと紹介しています。これはおそらく真実でしょう。CIAは言わずと知れた「米国情報機関」、そしてあまり聞きなれない「モサド」は「イスラエル秘密情報機関」。共に諜報機関、国際社会の暗部に切り込むことを専門とする「暗い機関」であることで共通しています。
 しかし「CIAとモサド」は、9・11の直接実行部隊のようなものであり、同事件にはさらに大掛かりな背景があると考えられます。例えばCIAは米国の一国家機関ですから、最終的に時の米国政府、つまりブッシュ政権中枢にまで行き着くのです。

 そこでいろいろ調べますと、ブッシュ政権における同事件の最大の黒幕はチェイニー副大統領であった可能性が高そうです。チェイニーは大手民間企業の役員でもあり、戦後のアフガン、イラクでは同社が莫大な利権を手に入れたと言われていますから。それにラムズフェルド元国防長官ら「ネオコン」メンバー。
 ブッシュはお飾り的なものだったと思われます。かと言ってブッシュが9・11を事前に知っていたことは確実で、世紀の大犯罪の首謀者の一人であったことの責任は免れません。

 ブッシュ政権の背後には、さらにロックフェラーなどのユダヤ系財閥が控えています。特にイラク侵攻は、石油利権などの他に、イスラエル共和国にとっての最大の脅威を取り除くという目的もあったことを忘れてはいけません。なおユダヤ系としてはもう一つロスチャイルドという巨大財閥がありますが、同財閥はどちらかというと民主党寄り、したがって9・11への直接的関与はなかったかもしれません。
 その他FBI、FEMA、NY市(特に当時のジュリアーニ市長)、CNN、ABC、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなど、国家機関、民間企業を問わず、実に多くの各機関が直接的間接的に関与していたはずです。まさにアメリカ合衆国そのものの「国家的大犯罪」との感を深くします。

 最後に9・11の隠れた目的としてー。人類に「圧倒的な恐怖を与えること」という目的があったようです。実は、これこそが真の目的であったのかもしれないのです。以前の『喜びのタネをまこう(2)』記事をお読みの方はお分かりかと思いますが、恐怖、不安、心配、疑念、憎悪などは人間の意識レベルを著しく低下させます。
 あの当時、人類総体として「意識レベルの向上」はめざましいものがあったようです。困るのが、有史以来人類を陰からコントロールしてきた「非物質的存在たち」です。人類のレベルを一定以下に抑えておかないと、自分たちのコントロールが不可能になるからです。そこで「彼ら」の操り人形であるブッシュやチェイニーらを操って、WTC崩壊という「Oh my God ! 」的恐怖の出来事を演出させたわけです。

 それに人類が吐き出す恐怖などのネガティヴ感情は、(信じられないかもしれませんが)「暗黒勢力(非物質的存在)」にとって格好の「食料源」でもあるのです。あの時どれだけ膨大な量のマイナス感情が吐き出され、「彼ら」に供給されたことでしょう。

 米国政府→ユダヤ系財閥→イルミナティ(結社)→奥の院(非物質的存在)
 しかしご安心ください。このような人類支配構造は早晩必ず「崩壊」し、「奥の院たち」も地球を離れていきます。私たちは有史以来初めて、一切のコントロールの呪縛から解き放たれるのです。今は真の平和社会の「夜明け前」です。  ー  完  ー

 (大場光太郎・記)

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二木紘三のうた物語(6)

 今回のこの記事をお読みの方は、『二木紘三のうた物語』というサイトをご存知の方も多いことと思われます。あるいは「ご存知」などというレベルを通り越して、「『うた物語』なしでは夜も日も明けぬ」くらい病みつきの方もおられることでしょう。

 さて私は昨年末の(5)記事で述べましたように、『うた物語』コメントから完全に撤退するつもりでした。そして事実4、5ヶ月はほとんどコメントしませんでした。しかし同サイトそしてコメントの行方はやはり気になるのです。
 かといってコメントする立場から離れてしまうと、以前ほど他人様のコメントは注意して読まなくなるものです。特に毎日のようにコメントを繰り返す人のものは、『またアンタかい。いい加減ウザッタイんだよ』と嫌気がさして、ハナから読む気にもなりません。けっこうなご年配の人が、よくもまあ臆面もなく「愚にもつかない」コメントを毎日2つも3つも出来るものです。よほどの「おひまびと」なのでしょうが、その常人離れした神経にはただただ驚くばかりです。(しかし振り返ってみますと、私自身も多少そういう傾向があったわけで大いに反省すべきところです。)

 しかしポイントとなるコメントには目を通していたつもりです。そんな折りの5月上旬、以前私がコメントしたものについて感想を述べられた方がおられました。それは同サイトコメントの「カラオケ大会化」を憂いておられるようで、私に『何とか元に戻してもらえまいか?』というSOSのシグナルのように感じられました。
 私は『多くの方もそうお感じなのでは?』と早合点してしまい、以後今度は「Lemuria(レムリア)」というハンドルネームで定期的にコメントし今日に到ったような次第です。

 その間4ヶ月余ほど。率直に申しますと、昨年末の時点で感じました時より今回はさらに「手応え」が感じられませんでした。初代の人そしてそれを受け継いだ2代目による、短コメント連発式の「カラオケ大会方式」がすっかり定着し、私のような堅いコメントは敬遠されがちになっていたようなのです。
 私は自身がコメントを始めた頃から比べてすっかりさま変わりしてしまったなあ、という違和感を感じるばかりです。しかしそれでご満足の方もけっこう多いようなのです。

 「カラオケ大会」とは、もっとあけすけに申せば、「お年寄りカラオケ大会」ということです。そうなのです。私が今回特に感じたのは、うた物語はしょせん「お年寄りブログ」なんだなということなのです。
 それらの方々は年齢的にも仕事をリタイアされ、年金や貯金でこの不景気にもさほどお困りではない。そして一日一日をどう過ごそうかと思うほど、余暇がたっぷりある。そういう方々が多いわけです。そこでまずは近くのカラオケやパチンコで暇つぶし。いやそんなカネのかかるめんどくさいことも省略して、パソコンの前に日がな一日座って『うた物語』サイトとにらめっこ。都合のよいことに同サイトには、昔懐かしい「懐メロ」がどっさり収録してあるし…。

 そういうことは、ご同好の方々のコメントからも十分うかがえます。ほぼすべての方のコメントが「過去」と「現在」についてのもの、将来展望や将来ビジョンを述べたものは滅多にありません。もっとも同サイトコメントの趣旨の一つが「歌にまつわる思い出など」ですから、致し方ない面もあることはありますが。

   大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大
   そして威力の霊感を受ける限り、
   人の若さは失われない。   (サミュエル・ウルマン『青春』より)

 私が「お年寄り」という時、何も肉体年齢のことだけを申しているのではありません。「心の中の実年齢」を指して言っています。現に齢80歳を過ぎても、十分若々しい「青年」のような方もおられるわけですから。(逆もまたあります。)
 現役時代からしみついた本音隠して建前だけで。一人が何かの歌にコメントすると右ならえで続けてぞろぞろと…。この国の国民性の一端を垣間見る思いです。そういう事なかれ主義が「お年寄り」の「カラオケ方式」の一例だと思うのです。そこには革新性も若々しさもまったく感じられません。ましてインスピレーションを得ることなどまず期待できません。
 
 「お年寄り状態」を何より厭(いと)う「反逆児」たる私は、今回も多少「ショック療法」のつもりで、少し踏み込んだコメントも幾つかさせていただきました。しかしそれは当ブログでこれまで述べてきた内容を、落とし薄めたものです。それでも「お年寄り」にはダメなんですねぇ。「精神的その日暮らし」が脅かされそうで、断固受け入れたくないしとにかく目障りなわけです。なんだかんだ言っても、今のぬるま湯が一番。この安穏な現状がいつまでも続くと幻想しているのです。だから本当の意味での変化(チェンジ)など、まるで望んでおられないのです。
 一体これらの方々は、(何度も繰り返しますが)史上かつてない重要な「今この時」を、ただパソコンの前に座して死を待つおつもりなのでしょうか?

  私はそんな方々によって、『うた物語』コメントから永久追放されることになるのでしょう。そして大変申し訳ない物言いながら、私もそんなご同好の方々にはとことん嫌気がさしつつあります。

 (大場光太郎・記)

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夢の話(2)

 昨年7月以来の「夢の話」です。私はほぼ毎晩といってよいほど夢を見ています。夢見の最中(いわゆる「レム睡眠」中)は夢を見ていることが分かっているのです。しかし目が覚めてみるともういけません。せっかく見た貴重な夢は脈絡を失い、急速に忘却の彼方に消えていってしまい、わずかに夢の断片が残っているのみ。
 見る夢は日常生活の延長のような雑夢も確かにあります。いやその方が多いかもしれません。しかし時として『えっ。オレってけっこう凄いじゃん ! 』と思われるような奇想天外な冒険譚の夢もまたあるのです。そんな貴重な夢に限って、目覚めとともに忘却の彼方とは…。本当に宝石が粉々に砕け散ってしまったような愛惜を感じることがままあります。

 これは、記銘ー保持ー想起という三つの記憶機能のいずれかが衰えてきていることの表れだろうか。それとも最近は夢にさほど関心をはらっていないからなのだろうか。そういえば40代前半のある時期、夢に関心を持ったことがあります。その頃はとにかく忘れまいと、目覚めに何度も見た夢を反芻し、なるべく早い段階で「夢ノート」に記録したりしていました。
 これは意外と時間がかかり面倒でそのうち止めてしまいましたが、夢に関心を持っていた頃は、そんな私のリクエストに応えるようにずいぶん鮮明な夢も見たものです。しかし関心が薄れていくとともに、夢は次第にぼけたものになっていきました。
                          *
 今回久しぶりで「夢の話」を持ち出したのは他でもない、5日の明け方とっておきの夢を見たからなのです。といっても、例によって夢の一部始終を覚えているわけではなく、夢の最後のシーンだけです。それはー。

 …長い夢の末に、私はとあるビルを上階に昇って、多分4、5階のある一室に入って行きました。その部屋には私の他にもう一人、私より若い男がいたようです。部屋の窓は、上から下まで一面の総ガラス窓です。私は窓辺に寄って外のようすをうかがいます。夕方のようです。なぜか周りにビルなどの建物はなく、一面少しグレーがかった空の色です。(私は「カラーの夢」はめったに見ないのです。)
 すると窓外の左下の方に、何やらプカプカ浮いている小さな黒い物体が認められます。『何だろう?』とよく見ると、何と円盤型のUFOなのです。それはオードブル用の大皿に丸くいっぱい盛り付けしたくらいの大きさでした。上と下に2機見えています。
 その夢とともに目が覚めたのでした。

 私は夢の中でさほど驚きもしていなかったようです。しかしUFOは実物はもちろん、今まで夢の中でも見たことはありません。さすがに「UFOの初夢」が気になって、後でそれが意味するものを調べてみました。当たったのは我が家に3冊ほどあったはずの夢関連の本の1冊です。(他の本は見つからず)その本の夢解釈の「UFOの項」を抜粋してみますと概略ー
 「 UFOには超常世界からの使者としての意味があり、不思議を体験することで現実を乗り越えようという心理が強く働いている。人智を越えた存在という点では、神の代役をなすものと考えてもよい。宇宙船には、良くも悪しくも飛躍という意味がある。」
というように述べられています。
 UFOの夢はまた「霊夢」の可能性が高く、夢見後も気になって仕方がない夢もまた霊夢である可能性があるようです。この夢に関して私自身まだ十分な夢解釈が出来ていません。
                         *
 UFOの夢のついでとしてー。時おりしも、今度新しくわが国のファーストレディとなる(鳩山由紀夫の奥方の)鳩山幸(はとやま・みゆき-66)の、「UFOに乗って金星に行ったことがある」という話などが、最近海外のメディアに大きく取り上げられたようです。鳩山由紀夫もかつて、政治家に似つかわしくない言動から「宇宙人」と呼ばれました。幸婦人は更に輪をかけた宇宙人だったわけです。
 しかしこのぶっ飛びそうな発言を、海外メディアからは意外にも「変革の象徴」などと好意的に受け止められているようです。これは、今やUFOは世界的なコンセンサスとなりつつあることの証明と思われ、私個人としては大変喜ばしいことと考えます。

 幸さんのこの話は少し補足が必要です。出どころは幸さんが昨年出版した『私が出あった世にも不思議な出来事』(共著)です(売り切れで入手出来ず)。その中で「眠っている間、私の魂が三角形のUFOに乗り、金星に行った。とても美しく、緑でいっぱいだった」という趣旨の内容を紹介したものだったようです。
 当ブログでも今年6月の『UFO記念日(2)』記事で、横尾忠則らの同様の出来事を紹介しました。「私の魂が」というのは正確には「私のアストラル体が」とするべきで、同記事で触れました「アストラルトリップ(幽体離脱)」を指すものと思われます。

 現在の天文学で解明されている金星は、2、300℃の灼熱で高温ガスに覆われた惑星で、とても生命体が住める環境ではないという結論です。しかし実は、それが「3次元天文学」の浅はかなところなのです。
 幸さんたちに共通しているのは「アストラル体で行った」ということです。つまり金星の真の姿は、肉体よりも高次元の精妙体で行かないと分からない、見えない世界なのです。(そういう体は、時間空間をいとも簡単に超えられるのです。)
 ちなみに金星を初めとする太陽系の諸惑星は、地球以外は既に「アセンション(次元上昇)」を終えているようです。そして近未来我が地球もアセンションして、ようやく他惑星の仲間入り(「銀河市民」の仲間入り)が出来る予定です。3次元から(4次元を一気に飛び越えて)5次元へ、惑星丸ごとの上昇です。

 幸さんの話の真偽のほどは確かめようもありません。もし本当の体験だったのなら凄いことです。私のような凡人は『羨ましい』と思いつつ、せめてこの次は『すっきりした青空をバックに、もっと大きな本物らしいUFOを見せてよ ! 』と思ってしまいます。

 (大場光太郎・記) 

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日々雑感(6)

   ほうぼうに幾草(いくくさ)ありて虫の夜   (拙句)

 このところ政権交代、薬物事件などすっかり世事、人事のことに気を取られておりました。が気がついてみますと、早や9月も3日。知らぬ間にすっかり秋めいてきました。

 そういえばおととい9月1日は防災の日であるとともに、二百十日でもありました。二百十日は昔から天気が荒れる日が多く、台風の特異日とも言われています。ちょうどその日ではなかったものの、その前日の8月31日台風11号が関東地方に接近し、暴風雨に見舞われた地方もあったようで、当たらずといえども遠からずといったところでしょうか。昔からの言い伝えは、さまざまな先験的知恵の集積と思われ、あながち無視すべきではないのかもしれません。

 通常は台風一過ともなると、翌日はスカッとした秋晴れが続くものです。しかし今回の台風は本式の秋の訪れを告知するように、ここ何日かの涼しさをもたらしました。ちなみに「涼し」は、秋の季語です。
 どうやらきのうきょうは、最高気温が25℃を下回ったようです。25℃は、それ以下だと半そでシャツの上に何か着込んだ方がいい目安になるとのこと。どおりで私も、ここ何日かは背広を着込んで外出しております。

                         *
 『薬物汚染シリーズ』。今年1月たまたま起こった、小向美奈子の覚せい剤使用による逮捕事件をきっかけに始めたものでした。間を置かず大相撲の元若麒麟真一(本名:鈴川真一)による同様の事件が起こり(4)まで記事にしました。
 しかしその後私自身何となく「薬物問題」に触れる気にならず、同シリーズしばらくほったらかしの状態でした。(気にはなっておりましたが。)
 それが8月上旬、押尾、酒井両事件が立て続けに起こりました。特に「のりピー失踪事件」が世間の注目を集めたことで、私が本来持っている「やじ馬」の血を呼び覚まさせ(笑)、また再開ということになりました。そして気がつけば『天地人シリーズ』の(13)と並んでしまいました。

 どこかでも述べましたが、この両事件は探れば探るほど今のこの社会の「鏡、縮図」のように思われてきます。事件そのものも、臭いもの、どす黒いものにフタをしてしまうことも含めて…すべて。しかし「関係者」「当局」が隠そうとすればするほど、余計見たい、本当のことが知りたいとなるのが人情と言うものです。
 とにかくこの両事件特に押尾事件は、奥が深く(「闇が深く」と言うべきか)探るべきミステリー性に富んでおります。今後名誉毀損には気をつけながら(もう既にかなりヤバイか?)、皆様より一歩先んじた新情報をお伝えできればと思います。
                         *
 「8月30日」という歴史的な日の前もその後も、なぜか世の中静かな感じがします。そもそも今回は選挙報道が極端に少なかった中で、民主党はあの郵政選挙時の自民党の獲得議席をも上回ったのです。
 国民有権者は、あの時以来今日に至る政治状況から相当教訓を得たようです。つまり有権者はこの4年間でかなり成熟したのだと思われます。ジャーナリストの中には、前回の自民大勝には一言の文句も言わなかったくせして、今回の民主大勝に対して「前はあっち(自民)今度はこっち(民主)と振り子のように両端にドッと振れる。おかしい国民は ! 」とあからさまに憤慨する者もいました。ねっ、田原総一朗さん。

 (以下独白)でもおかしいのはあなたの方ですよ。テレビ業界を上手く泳ぎまわろうとするから、そういう見方になるんです。今回国民は各マスコミの「総選挙隠し」の目にあいながらも、いたって冷静な判断をしたんです。言ってみれば今回の投票行動は、国民有権者による「静かなる無血革命」なんです。
 それを何ですか、あなたも各マスコミも。これから船出しようとする新政権の足を引っ張るような論評ばかり繰り返して。結局は「既得権益」を失うのが恐くて反対したいんでしょ。今後とも足を引っ張り続けるおつもりですか?
 8月25日に亡くなった政治評論家・細川隆一郎氏は、最後まで「鳩山政権の誕生」を楽しみにしていたことはご存知でしょ?時代の空気をしっかり読んで、大先達に少しは見習ったらどうなんです。でないと、あなたも新聞もテレビも、自民党と一緒で、国民からそっぽを向かれてしまいますよ。
                          *
 空き地の隅でコスモスの幾花かが、風に揺れながらひっそりと咲いています。そのすぐ上には2、3羽の赤とんぼがすいすいと。季節の移り変わりを鋭敏なセンサーのように察知し、咲いたり現れたりする動植物たち。
 何度もお伝えしてきたとおり、当地にもミニ開発や宅地造成の波が押し寄せ、新住居やアパート、マンションがどんどん建ち、年々身近な自然が狭められている状況です。しかしそんな当地でも、夜ともなれば本当にわずかな草花があれば、その陰からリンリンたる虫の声が聞こえてきます。懐かしさを呼び覚まされる虫の音です。

 (大場光太郎・記)

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自民党は再生出来るのか !?

 総選挙で自民党は大惨敗を喫しました。改選前の303議席から119議席と、1/3近くまで減少してしまったのです。1955年以来守り続けてきた第一党からすべり落ちて第二党となるとともに、政権の座を民主党に明け渡すという歴史的大敗北となりました。今後自民党はどうなっていくのでしょう。果たして再生は可能なのでしょうか?

 選挙後の「選挙特番」で、テレビ朝日は午前零時少し前からその第二部として、田原総一朗司会による、当選を果たした与野党の若手論客たちが一同に会した討論形式にしました。その中で自民党議員たちはえらく張り切っていました。厳しい選挙戦を勝ち抜いてきたという高揚感からなのか、『よし。オレが自民党を立て直してみせるぞ』というような気迫さえ感じられました。
 しかし思うのです。『さて、彼らの元気とやる気はいつまで持つのだろう?』と。
 
 1990年代前半細川、羽田両内閣の時、自民党は第一党でありながら過半数に至らず、自民党を飛び出した小沢一郎に連立政権を仕掛けられ、野党に転落したことがあります。その時、「野党の悲哀」をイヤというほど味わったと言うのです。その時の惨めな経験から、当時の自民党議員たちは「もう二度と野党になってはダメだ」と決意したと言われています。ですからその後は、日本社会党(当時)を抱き込んで同党委員長の村山富市を担ぎ出して首相に据えたり、公明党と連立したりと、なりふりかまわず何とか政権を維持してきたわけです。

 しかし今回は、およそその時の比ではありません。議席数が119と改選前の民主党並み、もっと言えば55年体制時代の万年野党・日本社会党並みにまで減少してしまったのです。自民党自身そうだったように、300超の議席数を得た民主党は4年間解散しないでしょう。その期間果たして自民党は持ちこたえられるのだろうか?ということなのです。
 
 政党助成金は数十億円も減額になります。野党に転落した党には企業献金も大幅減でしょう。国有地上の巨大な自民党ビルを維持していけるの?というレベルです。職員数も秘書数も減らさざるを得ません。すべての委員会の委員長ポストは民主党に握られ、自民党の主張は簡単には通らなくなります。今までは呼びつければ各省庁の次官クラスが飛んで来たのに、呼んでも来るのは課長代理クラス、まるで話が前に進まなくなります。何か調べようと各省庁に資料請求しても、資料の開示を拒否されてしまいます。それより何より、今までは族議員としての旨味にたっぷり預かれたのに、もうそんなことも出来はしません。

 小沢一郎は以前から、「民主党が政権を取って2、3回予算を組めば、自民党は立ち直れなくなる」と言っていました。官僚の天下り先に真っ先に予算をつけ、見返りとして企業献金を受け取るような旧来の自民党方式ではなく、そんな税金搾取システムを改めた「国民本位」の予算を何度か組まれれば、自民党の族議員たちは本当に音を上げ、四分五裂してしまうかもしれません。

 仮にそうなったとしても、自業自得というものです。今回国民有権者が「無血革命」とも思われる投票行動を起こしたように、自公政権の暴政、悪政はとにかくひどいものでしたから。(なお、大田代表、北側幹事長、冬柴元国交相などが軒並み落選するなど、結党以来の大惨敗となった公明党は「天罰が下った」と言うべきでしょう。政教一致政党が与党となるのは国民にとって「百害あって一利なし」です。もう二度と与党に復帰しないでいただきたい ! )
 それなのに冷や汗かいてやっと当選した「問題の」森元総理などは、またぞろキングメーカー気取りでいるようです。(「枡添新総裁」を担ぎ出そうとして失敗したようですが)これこそ「KY」の極みです。民意、時代の空気がまるで読めていません。このような旧体質の真っ黒けなロートル議員たちに牛耳られるようでは、自民党の未来は本当に真っ暗です。

 しかしこの国で民主主義が真に成熟するには、二大政党による政権交代が一定期間ごとに起こらなければなりません。政権を新たに担うことになる民主党は、出発の今は確かに清新でフレッシュです。しかし「権力は絶対的に腐敗する」、これが古来の鉄則です。アメリカのように、最長8年くらいで交代可能にするべきです。
 それには、民主党政権が行き詰った時の受け皿政党がどうしても必要です。それはやはり自民党しかないのでしょうか?今回の政権交代の真の立役者である小沢一郎は、どうもそうは見ていないフシがあります。「自民党はとっくに耐用年数が過ぎた政党。だからそれに変わる新しい政党が必要なのだ」と。小沢はやはり今回の政権交代の先に、民主と自民をガラガラポンしたような大政界再編を考えているのかもしれません。

 (大場光太郎・記)

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新政権の厳しい船出

 少し前まで、この国ではまず政権交代は起きないだろうと思われていました。しかしそれが現実に起こってしまいました。起こしたのは他でもない私たち国民の力です。「民主党308議席」。それにしても凄まじいほどの大勝利です。
 今回民主党に託した、有権者の一票一票への思いはさまざまなものだったことでしょう。政権交代への全面的支持から、リスク覚悟で「とりあえず任せてみよう」という人まで、投票動機は実にさまざま。しかしこれ以上自公政権に任せていたら、この国と我々の生活は更にどん底になる、そんな危機感は共通していたのではないでしょうか。

 そのような国民の期待を一身に背負ったかたちの、民主党を中心とした新政権は、果たして本当に国民の負託に十分応えてくれるのでしょうか?残念ながら、当面はあまり過度な期待はしない方が良いと思います。4年前の「郵政が民営化されればすべてが良くなる」式のバラ色の夢を抱いてしまうと、早晩幻滅させられることになるのは必至かと思います。
 小泉政権以降の「新しい失われた10年」、さらには1955年発足以来半世紀以上にも及ぶ自民党一党支配によるこの国の「負の遺産」は、それこそ膨大なものです。どの党が政権を取って国の舵取りをしていこうと、一朝一夕で解決を見るような生易しいことではありません。

 国地方合わせて1000兆円超とも言われる莫大な財政赤字をどうやって減らすのか。六本木ヒルズと地方のシャッター商店街、一部の億万長者とワーキングプアなどの格差の是正をどうやって図るのか。輸出頼みの外需依存型から内需拡大型へどうやって経済を質的に転換させていくのか。本当に景気浮揚は出来るのか。どのようにして食糧自給率を高めていくのか。高齢者、失業者、身障者など社会的弱者へのセーフティネットをどう構築していくのか。少子高齢化が急速に進む社会にどう有効に対応するのか。医療、介護などの社会福祉の充実をどうやって図るのか。地方分権、地方への財源移譲問題とどう向き合っていくのか。問題の多い教育をどう立て直すつもりなのか。犯罪多発、薬物汚染拡大をどう防ぐのか。地球環境問題には、どう取り組むのか。従来の従属的な関係から対等の日米関係にチェンジするにはどうすべきなのか。真の国際貢献とはどのようなものなのか。中国、韓国との近隣外交はとのようなスタンスでいくのか。北朝鮮とは…。
 懸案の問題、難題は数多くあります。

 民主党をはじめとして連立を組むどの党も、政権与党の経験がないことも不安材料の大きな要因です。しかしこれは自民党に代わって受け皿となる政党を育ててこなかった、我々国民にも責任があります。これについては、経験不足から生じる多少の齟齬(そご)は寛容の心で見守るしかないと思います。
 また経験がないことだからこそ、新鮮な気持ちでチャレンジ出来るということもあるものです。それに民主党には、今回の新当選組も含めて勉強熱心で優秀な若手の人材が大勢います。ベテランの藤井裕久(元大蔵大臣)や菅直人(元厚生大臣)のような閣僚経験者とともに、それら若い力による現状突破力にも大いに期待したいものです。

 次にマニフェストに掲げた政権公約実行に当たって、選挙期間中にもしばしば問題にされた「財源はどうするのか?」ということがあります。自民党は政権交代が起きることを見越して、「民主党に渡すな」とばかりに「埋蔵金」を悉く使い果たしたのです。だから確信を持ってそう言うわけです。大マスコミもそれに同調していたとおり、確かに厳しいと言わざるを得ません。
 しかしそれは政官財癒着構造で、予算を分配する仕組みの自民党政権下での旧思考です。そのシステムを根本から改めてムリ、ムダ、ムラを見直せば、政策実現に必要な財源は必ず確保出来るはずです。

 その前に立ちはだかるのは、明治以来連綿と続いてきた「官僚の壁」です。これに対して小沢一郎が代表の時、「民主党が政権を取ったら、霞ヶ関に100人の議員団を送り込み、霞ヶ関改革を断行する」とぶち上げました。中央官僚はさぞびびったことでしょう。新政権では後を継いだ鳩山由紀夫が首相になるわけですが、その「脱・官僚」の基本姿勢は変わっていないと思います。
 ただ初めからけんか腰で乗り込むと、小泉政権下の田中真紀子外相のように、お役人から総スカンをくらい物事が一歩も進まない事態も考えられます。官僚は任された分野では国会議員が太刀打ち出来ないほどのプロ、優秀で確かに手ごわい相手です。そして己の保身には極めて敏感です。
 一方で脱・官僚、霞ヶ関改革を進めながら、もう一方ではうまく官僚を手なづけて協力させなければならない。難しいことながら新政権の成否は、実にこの一点にかかっているといっても過言ではなさそうです。

 こうしてみますと、新政権にとっては実に厳しい船出と言えそうです。308議席を獲得しても、鳩山代表はじめ民主党首脳の顔に笑みはありませんでした。身の引き締まる思い、とても浮かれている気分ではないのでしょう。政権担当は初めてという初々しさから、自公政権のように数の力を頼みとした暴挙に出る心配はないと思います。

 8月30日は、以前述べましたように、徳川幕府の大政奉還にも匹敵する「歴史的な日」となりました。とにかく新政権に、この国の浮沈と私たち国民の命運がかかっています。前途は多難でも、これまでの閉塞感、絶望感ただよう暗雲垂れ込めた状況から、天の一角に光が射し初めたのです。理想的な政治形態にはまだまだです。しかしそれに何歩か近づいたことは確かです。
 光をよりいっそう輝かせるべく暗雲を払おうと、新人も含め当選した308人の民主党議員たちは、それこそがむしゃらに仕事をすることでしょう。私も「よしっ。オレも自分の立場でしっかり仕事をしていくぞ ! 」という、新たなやる気をかき立てられました。

 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(6)

 長かった投票日まで、あした29日(土)1日を残すのみです。懸念された不測の事態も幸い起きず、無事あさっての投票日を迎えられそうです。

 マスコミ各社の事前予測では、軒並み民主党の歴史的大勝が予測されています。それがはじめて出された先週の予測には、とにかく驚きました。「民主300議席をうかがう勢い」(8/20・朝日新聞)「民主300議席を超す勢い」(8/21・読売新聞)「民主320議席を超す勢い」「自民100議席割れも」(8/22日・毎日新聞)。
 日を追うごとに民主党の優勢がどんどん増していくようすが、はっきりわかります。これが噂の「バンドワゴン効果」というものなのか。同効果は、1選挙区で1人しか候補者を選べない小選挙区制では、自らの1票が死に票となることを避けようと、有権者に「勝ち馬に乗る心理」が働くことを言うそうです。確かにこの時点では、同効果が裏付けられた予測結果となりました。まさに前回の郵政選挙の結果を、まるっきりひっくり返したような予測です。

 私はこの推移を見て、『こんなに早くから民主党絶対優位の数字が出て、こりゃヤバイぞ』と思っていました。あと1週間余もあるのに、今後どんな「ゆり戻し現象」が起こるか分かったものではないからです。それを見越してか、民主党の鳩山由紀夫代表は、党都府県連に対して、「報道に浮かれ幻惑されるならば、政権交代は水泡に帰す」との電子メールを送ったようです。
 確かにそうなのです。事実今週になって、強力な「危機バネ」が働き、以前は落選危機が伝えられていた自民党大物議員が何人も、急速に息を吹き返しているようです。(その中には、押尾事件で警察に圧力をかけた疑いが濃厚な、石川2区のM元総理も、東京17区のHも含まれています。『こんな黒い連中が当選とは…』と嘆かわしい気持ちです。)
 
 しかし今週再び行われた予測でも、依然各社の「民主300を超す勢い」との予測結果は変わらないようです。それでも私は、最終的に300議席には届かないのでは?と予測しています。それでも以前の(4)記事で述べましたとおり、すべての委員会で委員長のポストが確保出来る「269議席以上」が得られればOK、大勝利と考えます。
 いずれにしても、あす土曜日あるいは投票当日、まさかの大天変地異でも起きない限り、「民主党大勝利」「政権交代」の流れは動かないと思います。

 これが「民意」というものなのでしょう。
 前回小泉元首相の「郵政民営化。イエスかノーか」「郵政が民営化すればすべて良くなる」式の、バラ色のワンフレーズに雪崩をうって投票したはいいけれど。郵政民営化は結局国民生活の向上にはまったく直結せず、逆に「かんぽの宿問題」など弊害ばかりが目立って。景気は一向に改善されず、格差はどんどん開き、一般庶民の生活は苦しくなるばかり。その上圧倒的多数の数の力を背景に、自公政権は国民無視でやりたい放題。総理大臣は次々に無責任に政権を放り出して、3回も変わるし。とどめの麻生総理が、今後とも政権を担当するなど真っ平ごめんだし…。

 とにかくこれは、多くの国民有権者の、この4年間の積もりに積もった怒りが奥深く内向していることの現れだろうと思います。譬えてみれば、普段は従順だった昔の農民たちが、いざとなったら莚旗(むしろばた)を立てて一揆を起こしたようなものなのではないでしょうか。「一票一揆」。
 だから、自公両党がいかにシャカリキになって民主党のネガティヴキャンペーンを続けようが、マスコミ各社が「総選挙隠し」をしようが、インフルエンザ問題で恐怖心を煽られようが、今更意思を変えることはないのだろうと思います。

 ところで、私は本日「期日前投票」を済ませてきました。投票所は厚木市本庁舎3階の一室。午後7時過ぎて暗くなっていましたが、同投票に市民が次々に来庁してきます。10台くらいの記載台は、空きが2、3台しかないような混みようです。さながら投票日当日を思わせられます。中には、20歳前半と思われる女性も何人かいます。これらからも、今回の選挙に対する関心の高さが十分うかがえます。
 投票当日はゆっくりし、投票締め切り直後から始まる各テレビ局の「総選挙特番」に食い入り、「歴史的瞬間」をじっくり見届けたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(5)

 解散から投票日まで40日間という、バカ長の衆議院選挙戦もようやくゴールが見えてきました。投票日の30日(日)まであと2日と迫りました。

 4年前のあの郵政選挙が思い出されます。同選挙が異例づくめだっただけに、どうしても前回と今回を比較してしまうのです。何といっても大きな違いは、選挙戦に対する各マスコミの取り扱いの違いです。
 特に、郵政選挙におけるテレビ各局の過熱報道ぶりは尋常ではありませんでした。郵政造反議員に対して、小池百合子、片山さつき、佐藤ゆかりなどの女刺客あるいは当時のマスコミの寵児・ホリエモンこと堀江貴文をぶっつける小泉流手法に、無批判で丸ごと乗っかりとにかく朝から晩まで「選挙報道一色」でした。

 小泉内閣発足当初から、私は小泉純一郎なる人物にうさんくささを感じていました。以前も述べましたが、小泉内閣の5年余ただの一度も支持しなかった稀な存在だったのではないでしょうか。そんな私からして、「小泉劇場」に熱狂するメディアそして国民の姿にものすごく異常で危ないものを感じたのです。
 そこで私は過熱報道自粛を求めて、NHK、日テレ、TBS、フジTV、テレ朝に対して、何度か電話または文書で抗議を行いました。(新聞社に対しては、「小泉不正年金問題」のもみ消し時、朝日、毎日、読売、サンケイに抗議しました)。私のみならず、当時抗議した人は少なからずいたのではないでしょうか。しかし当然のことながら、そんな抗議も虚しく、選挙報道が加熱する一方だったことはご承知のとおりです。

 さて今回の選挙戦の各マスコミの取り扱いについてです。まあ、何という様変わりなのでしょう。私はイラク戦争以来新聞購読をやめています。だから新聞のことは分かりません。また最近はテレビのニュースや報道番組もあまり見ていません。ですから確定的なことは言えませんが、前回とはうって変わって、今回は異常なほど総選挙についての扱いが小さいのではないでしょうか。
 特にテレビなどで代わって連日トップニュースになっているのは、例の酒井事件そして新型インフルエンザ流行問題です。それに日々のニュース、例えば「M・ジャクソンの死は主治医のマーレー医師による他殺だった」とか、福岡県の警察官が飲酒運転によるひき逃げ事件を起こしたというようなものが続き、短いニュース番組では選挙の「せの字」も出さないことも珍しくはありません。

 これは、テレビ各局が4年前の過熱報道を心底反省し、今回は選挙報道を自粛しているということなのでしょうか。なら良いのですが、それにしては自粛の度が過ぎています。国民有権者として当然知りたい、例えば注目選挙区の最新動向などをさっぱり報道しないのでは、とても国民のニーズに応えているとは言えません。明らかな「総選挙隠し」と思われても仕方ないと思います。
 「総選挙隠し」によって最も得するのは何党なのでしょう。言わずと知れた自公政権与党です。今回は大変な逆風で、大物議員ですら各選挙区で苦戦が伝えられているからです。だからといって、国民に「見せない」「知らせない」というのでは、メディアの公共性に著しく反しているのではないでしょうか。その意味で、前回が各マスコミによる「翼賛選挙」だったとするならば、今回だってまったくそうなのです。

 大新聞、大テレビ局は、自民党政権によほど恩義を感じているということなのでしょう。何か大きな弱みを握られているということもあるのでしょう。また長い間の政官財癒着構造の中で甘い汁をたっぷり吸い、そういう恩恵に預かれなくなりそうな政権交代は出来れば起きてほしくない、これがトップたちの本音でもあるのでしょう。

 酒井事件は「押尾事件隠し」の上に「総選挙隠し」、「インフルエンザ問題」は「総選挙隠し」と「政権与党への引き込み狙い」、このような意図があるのは明白だと思います。
 酒井事件は別記事で何度も触れました。インフルエンザ問題について言えば、それまで何ヶ月もまったく報道がストップしていたのに、公示日前後急に降って湧いたように。これが怪しいのです。理由は「死者第1号が出たから」。本当にそうだったのでしょうか。厚労省による情報操作など、やろうと思えばいくらでも出来るのです。実はとっくに死者が出ていたとしても、別の死因にしてしまえばいいわけですから。「発表はまだ時期尚早」と関係者が秘匿して、公に報道しなければ国民は知りようがないわけです。

 インフルエンザ問題によって、まあ「暗い自民党」の象徴のような枡添厚労相のムクツケキご尊顔を、毎日嫌というほど拝さなければならないわけです。不人気でとんでもないチョンボをしでかす麻生総理はこの際隠して、代わって国民に人気のある枡添を前面に、という猿芝居的作戦でもあるのでしょう。

 この記事をお読みの方々は、意識レベルの高い方々です。そうでなければ、当ブログをご訪問になりしかも長ったらしい本文を丁寧にお読みにはなりません。しかし権力側が選挙などで常にターゲットにするのは、意識レベルの高い人たちではありません。そのような煙ったい人々は、前もって対象外なのです。テレビ報道を一々真に受ける「大衆レベル」こそが、かっこうの狙い目です。(とかつて、小泉元総理の知恵袋だった飯島秘書官が言っていました)。同じ有権者であることに変わりはなく、そしてこのような「大衆レベル」が相当数を占めているわけですから。

 大切ですから本シリーズ(4)で述べたことを繰り返します。「恐怖心をあおり、大衆を引き込む」ことは、古代から使い古された「闇の勢力」の常套手段です。

 (大場光太郎・記)

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ご報告致します(8)

 昨8月24日で、総訪問者20,000人を越えました。開設後483日目での到達です。私と致しましては、開設当初の心もとなさを振り返ってみますと、『意外と早かったな』と率直に思います。しかし実際のところ、早いのか遅いのかは私には分かりません。でも簡単に2万人と言いますが、よく考えてみれば大変な数字です。私ごとき者のブログにかくも大勢の方々がご訪問くださり、まことに感謝に堪えません。
 いつものとおり、訪問者等の概略を以下にご報告申し上げます。

(1)開設(‘08年4月29日)~‘09年8月24日(延べ日数-483日)
    訪問者合計         20.025 人
    日 平 均            41.4 人
(2)15,000人到達時点(6月23日)~8月24日(延べ日数-62日)
    訪問者合計          4,979 人
    日 平 均            80.3 人
(3)訪問者5,000人当たり対比
    前回   70日で到達  (4月14日~6月23日)
    今回   62日で到達  (6月24日~8月24日)
    今回/前回比         0.88
(4)直前1ヵ月間(7月25日~8月24日)
    訪問者合計          2,406 人     
    日 平 均            80.2 人

 以上の数値は、あくまで平均値です。少し前の『記事数500越えました』で申しましたように、『皆既日食』記事のように、1日300人という訪問者数を記録することもあれば、「季節報告文」「名句、名詩」などのような地味な記事、あるいは更新休みの日などは50人台というように、日によってかなりのばらつきがあります。ただ一つ言えることは、50人を下回ることはなくなったということです。

 今回の数値から判断する限り、現時点における当ブログ実力は、1日当たり「80人」ということになろうかと思われます。こうなると更に欲が出ます。いつの日か、「常時100人」を記録出来るようになりたいということです。そしてあわよくば、どんな記事の日であろうがたとえ更新を休もうが、コンスタントに100人を刻んでいければと思います。
 しかし現時点で100人を越えるのは、月にほんの1、2回程度です。今回/前回比でお分かりのとおり、(前回の0.70に対して)今回は0.88と、訪問者の増加は明らかに鈍っています。当ブログのように「堅めの文章のみ」で勝負するブログにとって、「100の壁」はなかなかなのです。道なお遠しの感を深く致します。

 1年以上前私は、「“芸能ネタ”“政治ネタ”の類は、当ブログでは扱いません」と言い切りました。しかし一年以上経った今日ではどうでしょう。今や扱わないはずだったそれらの記事が、主力になりつつあるようにも思います。
 これはやはり、ある程度の訪問者獲得のためやむを得なかった面があります。何度か触れましたとおり、たいがいのブログには「アクセス解析」機能が備わっています。以前述べましたが、テレビ局が視聴率を気にするように、やはりブログを運営しておりますと「訪問者数」と「訪問者の動向」は大変気になるものなのです。訪問者動向とは、「どのような記事のどういう内容に惹かれて、訪問されているのか」という傾向性のことです。
 やはりそれを分析致しますと、「芸能ネタ」あるいは「今最も旬なニュース記事」へのご訪問が圧倒的です。『じゃあ、やっぱりポイントポイントでそういう記事を入れていこうか』ということに、どうしてもなってしまいます。(「政治記事」は思ったほどの訪問者数は得られません。)

 これは考えてみれば、私の方針の変節であり転向ととられても致し方ない面もあります。特に開設以来ずっとご訪問されておられる方には、お詫び申し上げなければなりません。
 ただ私と致しましては、これらを加えたことにより、私自身の「心のレパートリー」が少しばかり広がった感じが致します。大新聞のような正確で高尚な内容ではなく、時に三面記事がかった内容になろうかと思いますが、このような記事も当ブログの可能性の拡大とお受け取りいただければと存じます。
 私は当初申し上げました「癒しブログ」としての役割も、決して忘れてはおりません。今後とも開設当初のような記事と、芸能、時事的記事とのバランスを考えた記事作りを心がけていくつもりです。もし何か著しい偏向が見られるようでしたら、ご遠慮なくご指摘たまわればと存じます。(今週から来週半ば頃までは、「衆院選期間」「薬物問題期間」などでどうしてもそちらの記事が主になるかもしれません。)

 次回のご報告は、またまた大いに間のびするかもしれませんが、「3万人到達時点」とさせていただきます。
 当ブログは、時に「本音丸出し」で述べさせていただいている、珍しいブログ(?)かもしれません。それゆえなおのこと、出来るだけ多くの方々にお読みいただきたいと思うのです。かつてない重要な「今この時」、その時々に生起する諸問題をご一緒に考えていければと思います。
 それでは当ブログ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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秋の気配

   我が心早や秋風と思ひけり   (拙句)

 『薬物汚染の拡がりを憂う』につい熱中し、関連する新情報を追いかけ3回連続で同シリーズを載せました。しかしふと気がついて調べてみますと、昨23日(日)は二十四節気の一つである「処暑」なのでした。
 処暑のことは去年記事にしましたが、「暑さが峠を越えて、後退し始める頃」という意味です。二十四節気という暦上の季節の変わり目と実際の季節には、多くギャップが見られるものです。しかしこの処暑は、ほぼ実際の季節感覚と一致しているようです。

 例えばきょう24日です。当地では午前中から昼過ぎまでは日差しが明るくやや暑いくらいでしたが、2時過ぎ頃から空に何やら秋めいたうす雲がかかり始め、徐々に日が翳りだしました。曇りゆく景色の中町並みはどことなく沈みがちで、真夏の頃とは明らかに装いが違います。
 風もやや強く吹き渡り、揺れる道の辺の草花は早や秋草の風情です。

 並木道上の梢では確かにまだ蝉声は聞こえつつも、以前ほどのかまびすしさではありません。蝉といえば、旧盆前頃までは、夜中の10時過ぎても木立があろうものなら、そこからけたたましいほどの夜蝉の鳴き声が聞かれたものでした。しかし今は同時刻夜蝉はバッタリで、代わって草むらからひっきりなしにリンリンと鳴く虫の声が聞こえてきます。

 夕方5時頃例の中津川堤防を降りてみました。7月まではこちら側は草が伸び放題でした。しかし今月に入って、県から委託された業者が草刈機で刈り取り、今は堤防の上から下までキレイな丸坊主状態です。
 私がいつも腰を下ろす所の手前、下段にはマツヨイグサ(月見草)が雑草に混じって群生して咲いていました。夜に訪れると、黄色い花々が咲きそろいそれなりに風情がありました。しかし今はそれも含めてきれいさっぱりです。ずっと100m上流まで見渡せます。

 空全体をいよいよ厚い雲が覆い尽くしています。座って見上げているのは東空ですが、その中空より少し低い辺りの雲間から、夕べの薄い光が漏れ出しています。周りの雲がうす茜色に染められています。
 川の中ほど20mほど上空を、鳶(とび)でしょうか、黒い大きな羽をグライダー状に広げっぱなしでゆったりと旋回しています。

 少し下流の大堰からこちら上流側は、さながら堰止め湖のような具合です。満々たる水を湛えています。強い夕の川風が吹き渡っているせいか、川面(かわも)は一面細波(ささなみ)が立っています。やや上流の中洲や向こう岸の際(きわ)のみ波は収まり、そこの葦の連なりが水面(みなも)に映じ、その深緑のさまに何となく涼しさを覚えます。実際川を渡る風はけっこう強く、涼しさを通り越して少し肌寒さすら感じるほどです。

 と、(さすがそこだけは刈り残された)こちら岸の水際の少し上流の葦群れの陰から、つがいなのでしょう、2羽の鴨がツツゥーと姿を現しました。私が座っている堤防中段から、ほんの数m先をゆっくり通っていきます。私は息を殺してじっと身動きせず見ています。鴨は悠然と通り過ぎ下っていきます。
 少し下流のこちら岸沿いに、2列並んで20くらいのテトラポットがあります。この満水時期は、丸い天辺だけ水面に突起している状態です。2羽の鴨は、そのテトラポットの1つそして隣の1つに、1羽ずつ乗っかりました。逃げ出さぬよう、私はいよいよ用心して彼らを見守ります。(幸い私がいる間中、ずっとそのテトラ上で羽を休めていました。)

 川の中ほどに、その鴨を何倍も小さくしたような、1羽の水鳥の姿が見られます。一応水鳥としての形は整っているものの、本当にびっくりするほど小さな水鳥です。全長せいぜい7、8cm、首はいたって細く直径1cmあるかないかといったところです。
 数年前まで私は、この鳥の名前を知らず勝手に「小水鳥(こみずどり)」と名づけて、俳句にもそう詠みました。その後今から4年ほど前、たまたま訪れた「厚木市郷土資料館」の1階陳列棚の中に、この水鳥の剥製が置いてありました。名前を見ると「カイツブリ」。

 このカイツブリ、ただ泳ぎ回っているのではありません。少し水面に浮いていたかと思うと、意を決したかのように、小さな頭からクルリと水中に潜っていきます。小さな波紋を残して、瞬く間に姿が見えなくなります。そうやって必死で小魚を探しているのです。何10秒、時に1分以上も潜りこんでいて、『あれっ。どこに行っちゃったの?』と心配していると、意外な離れた所にパッと姿を現すのです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(8)

 今は衆院選挙の真っ最中です。しかしテレビなどは、酒井事件と新型インフルエンザ流行問題が連日報道されています。選挙戦はすっかり霞んでしまっているようです。4年前の郵政選挙時の、あの過熱報道とのさま変わりには驚きます。

 さて酒井事件の陰に隠れてついつい忘れがちですが、同時期に起こった押尾学容疑者(31)の事件も忘れてはいけません。それのみか「薬物問題」の本筋からすれば、こちらの方がはるかに重要だと言えそうです。というのも、酒井事件の方はあくまで夫婦間あるいはつながりのある芸能人の所持、使用というレベルですが、押尾事件の方は「汚染の拡がり」のスケールがまるで違うからです。
 捜査の進展しだいでは、芸能界のみならず政界、IT業界、スポーツ界などを巻き込んだ大スキャンダルに発展する可能性が大なのです。

 なのになぜばったりなのでしょう?あるマスコミ関係者が言ったそうです。「上から出来るだけ“のりピーのネタ”を取り上げるように言われています。押尾の方は難しい問題があるから控えめにというお達しです。何らかの圧力がかかっているようです」
 これはどういうことなのでしょう。実は押尾事件では、大物政治家の名前が取りざたされているのです。問題の六本木ヒルズマンションの一室で、押尾と一緒にいて死亡した女性(30)は一時「政治家の娘」と言われましたが、どうやらその政治家との関連でそのような噂が流れたようなのです。
 それ以外にも、同事件では何人ものIT企業のトップの名前が取りざたされていますし、これらと関係の深い大物政治家もいるようです。実際、問題の一室には政界関係者も出入りしていたという情報もあるくらいです。

 六本木ヒルズレジデンスはセキュリティ万全で、当然防犯カメラも設置されていて、その中に出入りした人たちがいっぱい写っているわけです。中には「どうして?」と思われるような人物も写っているようです。例えば、紅白出場経験のあるグループのメンバー、アスリート、女性歌手のマネージャー、さらには政界ジュニアなど。警察は既にチェックに入っていると言われています。

 ところで、この事件の発端となった問題の「六本木ヒルズレジデンス」の借主の実像が明確になってきました。借主は、通販下着会社「ピーチ・ジョン」の野口美佳社長(44)。同室は野口社長が賃貸契約している1LDKで家賃40万円以上の3部屋の一室で、別名「ミーティングルーム」。親しいタレントや関係者に自由に使わせていたようです。
 野口社長は「ミカジョン」の愛称で知られ、ヒルズ族の中心的存在だとか。人脈は華麗で、堀江貴文、IT社長の野尻佳孝、歌手の浜崎あゆみ、タレントの吉川ひなの、あびる優、梅宮アンナ等々。(ただし同社長を含め以上の人たちは、薬物とは無関係と信じたいです。)

 野口社長は1965年仙台市生まれ。高校卒業とともに上京し、グラフィックデザインを学び、‘94年に女性向け下着通信販売会社ピーチ・ジョンを設立。‘06年にはワコールホールディングスと資本業務提携を結び、‘08年には完全子会社に。野口社長はワコール株を670万株所有している筆頭株主で、同株だけで80億円を超える超資産家なのです。これを彼女一代で築いたわけですから、相当のやり手女性なわけです。
 彼女のモットーは「情熱と快楽」。そのせいか結婚、離婚を繰り返し、バツ2で子供4人の母親。現在5人目の子供を妊娠中ですが、父親の名前は明かしていないそうです。

 その野口社長は、今年6月の自身のブログで押尾容疑者を「押尾先生」と呼び、その顔や肉体美を賞賛していたとのこと。今回亡くなった女性と押尾が知り合ったのは、同社長の知人に連れて行かれた銀座の高級クラブだったようです。
 ただ事件後はさすがに、「押尾を安易に信用したことを反省している」とのコメントを発表しました。

 押尾事件には捜査一課も乗り出しているようです。つい先日警視庁長官が、「芸能界の薬物一掃のため、関係者には再発防止に努めていただきたい」旨の発言をしたばかりです。
 本シリーズなかなか結論に至れませんが、薬物中毒は肉体のみならず「諸体」にも極めて深刻なダメージをもたらします。「今回の人生」だけで済むような生易しいものではないのです。もうこれ以上の薬物汚染の拡がりを防ぐためにも、警視庁は政治的思惑などに左右されることなく、六本木ヒルズ“麻薬窟”レジデンスの怪しい実態解明のため、徹底的に捜査のメスを振るっていただきたいものです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(7)

 拘留を延長しての連日の取調べにも、なかなか肝心の自供をせずしぶとかった酒井法子容疑者(38)でした。しかし遂に観念したのか、「去年夏前から吸っていました」と新供述を始めているようです。
 何しろ尿検査はシロ、それに代わる毛髪検査ではかろうじて覚せい剤の陽性反応が認められたものの、これでは時期をはっきり特定出来る確たる証拠とはなり得ず。拘留延長の切れる今月28日、証拠不十分で不起訴釈放かとも見られていました。

 しかしこんなおかしなことはないわけです。夫・高相祐一(41)は21日、覚せい剤の所持・使用で既に起訴されました。その高相被告が、「妻も数年前から一緒に吸っていた」「先月の日食で奄美大島に行った時も、妻と一緒に使用した」などと具体的に供述しているのに、酒井の方は不起訴だなんて。
 
 その後次々に明らかになった事実から、数日の消息不明期間それを手助けしていたのは、酒井の継母の知り合いの建設会社社長その兄で元弁護士などであったことが判明しました。これらの関係者の連係プレーによって、酒井は山梨県身延町、東大和市、箱根の別荘などに潜伏していたのです。
 その期間は、尿から覚せい剤使用の陽性反応を消すための「逃亡期間」だったことは明らかですし、毛髪も検査されることを折り込み済みで逃走中髪の毛も短く切ったというし。

 何もかも計算づくだったわけです。なのにもし証拠不十分で不起訴などとなれば、それこそ「逃げ得」の極み、社会的公平性に著しく反するところでした。しかし今回の新供述で、少なくとも不起訴はなくなったのではないでしょうか?
 酒井の取調べ関係者も、「これで外堀は埋まった。後は具体的な自供を待つだけ」と話しています。それでなくとも、まるで底なしのような芸能界の薬物汚染の歯止めをかけるべく、つい先日警視庁長官が「この際、芸能関係者は薬物を一掃するよう再発防止に取り組んでもらいたい」との異例の会見を行いました。警視庁の面子に賭けて、再拘留までした酒井容疑者を何が何でも起訴に持ち込む方針でしょう。

 覚せい剤を「使用した日時、場所、方法」などを特定出来るような供述が得られれば起訴は確実だと思われます。それも執行猶予なしの「実刑」だってあり得るケースです。一部同業者(芸能人)からは、「連日の報道で既に社会的制裁は受けている。その上起訴じゃ可哀そう」という声も聞かれます。がしかし、これはとんでもないことです。
 とにかく、「逃走」そして「証拠隠滅」さらには法律の専門家の助けを借りて、世間と警察を欺いたことは極めて悪質です。ちなみに元弁護士というのは富永義政氏(75)です。同氏はイトマン事件の許永中と親交を持ち、本人にも逮捕歴があり弁護士資格剥奪といういわくつきの人物のようです。東大和市のマンションは弟の建設会社社長が、箱根の隠れ家は同氏が提供したものとされています。

 とにかく酒井法子容疑者には、心底前非を悔いて覚せい剤とは永久に決別してもらうともに、「芸能界復帰」などという淡い期待や幻想はかなぐり捨てて、受けるべき罰は甘んじて皆受けてオールクリアーになって、今度こそ一社会人としてまっとうに生きていってもらいたいものです。酒井法子本人のためそれが何よりです。がしかし、人一倍「虚栄心」が強そうな彼女のこと。果たしてどこまでまっとうになれるのかな?
 
 (大場光太郎・記)

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アウシュビッツの聖者・コルベ神父(1)

 8月15日終戦の日を期して、「二木紘三のうた物語」の『長崎の鐘』にコメントすべく、ネットで資料をあたりました。同コメントの中で、長崎と縁が深かったコルベ神父のことにも触れたくなり、少し同神父の事跡について検索してみました。すると本日8月14日が同神父の記念日であることを知りました。
 「アウシュビッツの聖者」と讃えられたコルベ神父は、1941年8月14日同収容所で殉教したのです。それを記念して,カトリック教会においてこの日を同聖人の日と定めたようです。

 コルベ神父については、昨年6月の『バラの思い出(番外編)』において少しご紹介しました。すなわち同神父は、才気煥発、いたずら盛りの幼少時、聖母マリアの示現を受け、聖母より「純潔」と「殉教」を意味する赤白2本のバラ(異説では、赤白2つの冠)を授けられたというエピソードについてでした。
 とにかくコルベ神父は規則に厳格なヴァチカンが、列聖(聖人と認めること)したほどの霊的巨人です。また彼は、もし仮に信仰者の道に進まなかったら、科学者として大きな業績を残しただろうと言われるほどの天才です。だから私たちとは無縁な人だったのだろうか?私は決してそうは思いません。キリスト者という特殊な分野ではあっても、コルベ神父の残した足跡は、人類全体にとっての一つの偉大な道しるべとなるはずです。
 今回は同神父の足跡を簡単に述べてまいりますが、どうぞそのことを踏まえられまして、最後までお読みいただければ幸甚です。
                          *
 マキシミリアン・マリア・コルベ(本名ライムンド・コルベ)は、1894年ポーランドのズドゥニスカ・ヴォラで生まれました。聖母示現によって信仰に深く目覚めたコルベ少年は、13歳の時当時のガリシア国の首府・ルヴォフにある宣教師養成所であるコンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会し、聖職者としての第一歩を歩み始めます。
 1911年18歳の時、同修道会の上長たちはコルベが卓越した才能に恵まれていることを発見し、ローマのグレゴリアン大学(大神学校)に入学させることに決定します。このローマ留学中の1914年、第一次世界大戦が勃発します。しかし「神を愛する人にとり、すべてが、戦争さえもが有益なのである」。第一次世界大戦はコルベを成長させ、第二次世界大戦は彼に栄光をもたらすことになったのです。

 マキシミリアン修道士(コルベ神父のこと)は、大学の時から「鉄のような論理」に生きており、彼ほど信仰上の幻想から遠い人は稀だったといわれています。明晰な思考、科学者のような緻密な知性こそが彼に備わった特質だったのです。
 彼はあらゆる学科に秀でていましたが、特に数学に優れ、どんな偉い教師をもやり込めることが出来たそうです。当時学長を務めていた神父は、「私の手にゆだねられていた人のうちで、(マキシミリアン修道士は)最も優れた頭脳の持ち主でした。彼は“恐るべき知力”を持っていました」と述懐しています。

 このように稀に見る明晰な頭脳の持ち主だったマキシミリアン修道士は、同大学で優秀な成績を収め、受けるべき試験は「賞賛つきの最高点」で次々にパスしていきます。そして1915年には、21歳の若さで哲学博士の学位を獲得し、4年後には同じ熱意で神学博士の学位も獲得してしまいます。
 しかしそんな輝かしい日々の1917年の夏、突然の喀血続いて激しい出血が彼の体を襲いました。彼は生涯健康に恵まれたことは一度もありませんでしたが、この時は当時不治の病だった結核に冒されてしまったのです。

 だがしかし彼はその後も、自分の病気について語ることはありませんでした。神学生仲間は、彼が重篤な結核に罹患していることを全く知らなかったといいます。その頃から彼は激しい頭痛にも襲われていたそうですが、後の皆の証言では彼は決して苦痛を訴えることはなかったそうです。
 彼は、そんな生死にかかわりかねない病気であっても、まるで気にかけていなかったようなのです。むしろ「この病によって速やかに天国に行ける」と喜んでいたフシすらうかがえます。彼はどんな試練に直面しても、その都度従順かつ英雄的に耐え忍び、その度ごとに大きな「霊性」を獲得していった人のようです。

 そんな苦しい病の中マキシミリアン神父は、大学時代7人の仲間に働きかけて、「M・I(Militia Immaculatae)-無原罪聖母の騎士会」を設立することになるのです。  (以下次回につづく)
 
 (大場光太郎・記)

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記事数500越えました

 前記事『夏の名句(2)』で、開設以来の記事数が500に達しました。既にご承知のとおり、当ブログは他のブログに比べて1記事あたりの文章が圧倒的に長文です。これを毎回読みこなしていくのは、大変難儀なことなのではないでしょうか。にも関わりませず、ほぼ毎日のようにご訪問いただいております方々には深く感謝申し上げますと共に、「なみなみならぬ読書家」と心より敬意を表させていただきます。

 今回調べましたところ、1記事あたりざっと1500~2000文字。つまり400字詰め原稿用紙4、5枚くらいになりそうです。仮に1記事400字詰め原稿用紙4.5枚としますと、 4.5×500=2250枚となります。
 中には一部矢嶋武弘様、くまさん様のコメント文をそのまま記事として公開したものもありました。それらを差し引いても、十分2000枚以上にはなりそうです。もし仮にこれが首尾一貫したストーリーを有する小説だとしたら、それこそ何巻にも及ぶ大長編小説になりそうです。(ただ残念ながら私には、そのような大長編をものするための構想力も筆力も気力もありませんが。)

 このような節目に何度か申し上げましたが、昨年4月末の開設当初は、『ホントに今後新しい記事を書き続けていけるの?』と不安でいっぱいでした。しかし本当に「必要は発明の母」というものです。折角二木紘三先生のお勧めによるものであり、中途半端に挫折してしまっては申し訳ないという思い、その上何かしら使命感のようなものが私を今日まで衝き動かしてくれたように思います。

 先月下旬のある記事が、当ブログとしては驚異的な訪問者数、アクセス数をはじき出しました。何だと思われます?意外とお思いかもしれませんが、『皆既日食』記事です。日食当日である22日未明同記事を完成させ、その日の昼前当ブログの「アクセス解析」を開いてみてびっくりです。何とその時点で、既に「訪問者120人」が表示されていたのです。時間帯によっては1時間30数人ということもありました。
 ちなみにそれまでの最高訪問者数は、5月21日『草なぎ剛 手紙』記事の156人でした。たった半日でそれに迫ろうかという勢いだったのです。
 
 私は結局見逃してしまいましたが、当日列島各地は曇りがちだったものの、午前11時前に日食があったことが大きかったと思われます。昼少し前のニュース番組でそのことを知りましたので、『さすがに訪問も下火だろうな』と思っていました。しかしその後も同記事へのアクセスは一向に衰えることなく、夕方6時頃には訪問者200を軽く越えました。その時点で当ブログとしては前代未聞の領域でしたが、『こりぁ、ひょっとすると300にいくんじゃないの?』と期待させるに十分なものでした。

 結局当日の相訪問者数は301人、アクセス数342件。私としては本当に目をむくような驚異的な数字となりました。もちろんこれは『皆既日食』だけの数字ではありません。しかしざっと見たところ、約90%くらいは同記事への訪問、アクセスでした。
 また同記事は「雑記」「日常」「身辺雑記」「思い出」カテゴリーに載せましたが、翌日の各カテゴリーの「ディリー部門」はすべて1位でした。特にブロガーが集中しやすい「雑記」でも、その時ばかりはぶっちぎりの1位だったと確信しています。

 その前数日間訪問者数が減少気味でした。それでてこ入れのために、タイムリーな記事として同記事を選んだという理由はあります。そこそこはいくだろうと思ってはいましたが、『小室哲哉』『草なぎ剛』『レッドクリフ』『天地人』『酒井法子』といった芸能がらみではないだけに、そんなに期待はしていませんでした。
 この息苦しい現在の社会システムの中で、ともすれば見失いがちな「本当の自分」というものを、日食という珍しい自然現象を通して確かめたい欲求からなのか。あるいは古代から連綿と続く、日食というものへの畏れと憧れがないまぜになった心情が、現代人の血の中に依然として流れているからなのか。それとも単に、事前に各マスコミがはやし立てたからなのか。とにかく今回の異常な関心の高さには驚きました。

 それに引きかえ、「自然観察文」「季節の報告文」「名句・名詩観賞文」「スピリチュアルな内容の文」などは、アクセスが減少します。これらは私が最も力を入れて、推敲を重ねて公開しているものです。ですからこれらの文こそ、本当は多くの方にじっくりお読みいただきたい記事なのです。
 しかしこれらの「不人気記事」も、後になってから思いがけない検索フレーズでご訪問されお読みいただくケースがままあります。アクセス解析でそのような方を発見しては、『お読みいただきありがとうございます』と思っています。

 ここのところすっかり無頓着になっていますが、当月中に総訪問者数20,000人に達しそうです。また本日で、(推定)アクセス総数が30,000件に達しました。
 なお今後は、3、4記事を公開したら1日は「更新なし」くらいのペースでやっていこうかな、と考えております。折角軌道に乗り始めた当ブログ、長く続けたいですから。そのためにはそう気負うことなくゆったりしたペースで、と考えるきょうこの頃です。どうぞご了承の上、これをお読みの皆様も、気長く当ブログとお付き合いください。

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(6)

 酒井法子よ、お前もか !?

 (注記)本文中にも書きましたが、途中まで「酒井容疑者逮捕」の事実を知らずに記しました。その点、ご了承ください。

 押尾学(31)の麻薬取締法違反容疑での逮捕と、ほぼ時を同じくして起きた薬物事件が、驚くべき展開となってきました。今月3日未明、都内道玄坂付近で自称プロサーファー高相(たかそう)祐一(41)が大麻取締法違反で逮捕され、その場に居合わせた女優で妻の酒井法子(38)がその場を立ち去り、それ以降失踪していた事件です。

 もう同事件の概略については、新聞、テレビ等の連日の報道で先刻ご承知のことと思いますが、一応ざっと今日までの事件の経過をたどってみます。
 3日未明挙動不審で職務質問された高相容疑者の電話で呼び出された妻の酒井法子は、黒っぽい服装にサングラスで、「社長」と呼ばれる知人男性と共に現場に現われました。その時の酒井はかなり取り乱し、常軌を逸していたようです。例えば高相容疑者のズボンの中に小さな巾着袋を縫いつけ、そこに覚せい剤を隠していたわけですが、警察がそこから粉末状のビニール袋を取り出し高相に問い詰めると、酒井は「うちの主人は下半身にコンプレックスを持っていて、そのための薬です」と強硬に主張。警察官から「全員で署に来てください」と言われると「ここでいい」といった突っ張ったやりとりが、約1時間ほど続きました。
 酒井は結局しぶしぶクスリの簡易検査に同意し、クロと分かった瞬間泣きくずれました。署への任意同行を拒み、尿検査を求められても「絶対にイヤ」と拒否。結局子供を理由に、知人(酒井の義母が親しくしている、会社経営の男性?)と共にその場を立ち去りました。

 それ以降行方不明となり、その時点では10歳の長男も一緒とみられることから、所属事務所であるサンミュージックが高相容疑者の母と相談して、捜索願を出しました。5日のスホーツ全紙は一面で「酒井失踪」を扱い、サンミュージックの相沢社長が記者会見を開き「最悪の事態を避けたい。とにかく連絡してほしい」と訴えました。また事務所の先輩だった森田千葉県知事も異例の呼びかけをしました。
 これら一連の報道で、酒井失踪はビックニュースとして全国を駆け巡りました。のみならず、多くの酒井ファンのいる中国、台湾などでも大きく報じられました。

 酒井の携帯電話の電波が最後に確認されたのが、山梨県身延山付近だったことから、山梨県内にいるものとして警視庁は山梨県警に捜査協力を要請。山梨はそもそも父親(故人)が住んでいて、近くに親戚もおり土地勘もあるようです。
 しかし親戚の女性も全く連絡はなかったと言い、また身延町には酒井と関係の深い宗教団体があるそうですが、同団体は「ここには絶対来ていない」と完全否定しているようです。

 失踪後数日が経過し生死すら危ぶまれ出した7日、事態は急展開します。まず一緒と思われていた長男は、都内の知人宅に預けられて無事であることが確認されました。
 子供を預けて単身失踪ということは、よほど思いつめてのことに違いない、あるいは既に…。と懸念された矢先、昼前頃とんでもないニュース速報が流されました。「酒井法子に覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕状」というものです。これにはびっくり仰天でした。
 悲劇の妻、悲劇のヒロインから、逮捕逃れの逃亡者への転落ですから。清純派女優にして、ママドルだった酒井法子は、以後「酒井容疑者」と呼ばれるようになるのです。大激震です。

 逮捕状の決め手となったものは、7日午前の東京・南青山の自宅マンションの家宅捜索で覚せい剤、同吸引器具などが発見されたことです。酒井容疑者とは別居中であった高相容疑者は「自分のものではない」と供述しました。そして8日には、押収した吸引器具から検出したDNAが、酒井容疑者のものと一致。
                         *
 とここまで作成してきて、念のため今現在の酒井容疑者の状況をと、ネット検索してみました。何と驚くべきことに、「酒井容疑者逮捕」とあるではありませんか。私は『どうせ逮捕はもっと先だろう』と思っていましたし、今夜はテレビも見ていませんでした。
 その事実を知ることなく、まどろっこしい経過などを述べてきました。もう書き直しも出来そうにありませんので、上記の文はそのまま残します。
 その上で『ネット版毎日新聞』の酒井容疑者逮捕時のようすを、以下にご紹介します。

 警視庁によると、酒井容疑者は8日夜、弁護士や親族3人に付き添われ、東京都文京区の警視庁富坂庁舎に出頭し逮捕された時、「うん」と言ってうつむき、応じたという。しかし、行方不明となっていた際の居場所については「言いたくありません」と話しているという。

 酒井容疑者は午後9時半すぎ、渋谷駅近くの警視庁渋谷署に移送された。報道陣約80人がつめかけ、署の前の歩道橋の上などに通行人約300人が足を止める中、酒井容疑者を乗せたシルバーのワゴン車が到着すると、通行人も携帯電話のカメラで一斉に撮影。酒井容疑者はワゴン車の3列シートの最後方に座っていたとみられるが、外からうかがえなかった。

 日付が変わった9日午前0時8分、酒井容疑者を乗せたワゴン車は渋谷署から留置所となる東京湾岸署に向った。120人以上の報道陣が待ち構える中、同27分に到着。車にはカーテンがかけられ、やはり表情は見えなかった。
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 逮捕状以来、酒井容疑者の明るく、華やかで「清純派」のイメージが壊れるような新事実が、次々に明るみに出されました。まず長男を預った知人とは、夫である高相容疑者の愛人だったようです。そしてこの女性と酒井は友人でもあり、夫との仲は酒井公認だったようです。長男がなついていたため、預ってもらったようです。
 また失踪に際しては、直後新宿の量販店で下着を購入、ATMから2度にわたり数10万円を引き出していた…。これらはどう見ても「逃亡目的」としか考えられない行為です。酒井夫婦を知るある知人によれば、酒井らの覚せい剤使用はきのうきょうの話ではなく、だいぶ以前からだった可能性があるようです。
 さらには酒井本人ではないものの、福岡市在住の酒井の実弟が先月同じく覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕されていたようです。しかもこの弟は、暴力団員です。

 とにかく、今回の酒井容疑者の一連の行動には幻滅です。「地に堕ちたスター」とでも言うべきか。深く失望させられました。国内のみならず、中国、台湾などの前からのファンもそんな想いでしょう。
 今回の件でうかがえる酒井法子の本当の素顔は、清純派などとんでもない。とんだ食わせ者、もっと下品な言い方をすればアバズレだったのではないか、とも思われてきます。
 覚せい剤使用に加えて、逃亡ですから。草なぎ剛の場合とは全く違います。CMはアウト、女優引退となるかもしれません。
 『ひょっとして、皆吸ってんじゃないの?』。もう芸能人は誰も信用出来なくなりそうです。そう思わしめる酒井法子の今回の行為は、現実の罪以上に重いものがあると言わざるを得ません。
  
 (大場光太郎・記)

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けふ立秋(2)

   外階段昇りて夕の星涼し   (拙句)

 きょう8月7日は「立秋」です。と去年も同じ書き出しで『けふ立秋』を記事にしました。早いものであれから1年が経過したわけです。同記事で立秋そのものには触れませんでしたので、例によって簡単に触れてみたいと思います。

 立秋は二十四節気の一つ。8月7日頃。またはこの日から「処暑」までの期間。太陽黄経が135度の時で、初めて秋の気配が表れてくる頃とされる。江戸時代の『暦便覧』では「初めて秋の気立つがゆゑ也」と説明している。
 夏至と秋分の中間にあたり、昼夜の長さを基準に季節を区分すると、この日から「立冬」の前日までが秋となる。暦の上では秋になるが、実際には残暑が厳しく、1年で最も暑い時期でもある。
 なおこの日に至っても梅雨が明けない場合は、「梅雨明け」の発表はされなくなる。それゆえに東北地方などでは、「梅雨明けなし」となることが過去に何度かあった。  (フリー百科事典『ウィキペディア』「立秋」の項より)

 上記のうち、今年は先日東北地方の梅雨明けが発表され、これで列島全体の梅雨が明けたことになります。今年は以南の地方よりいち早く梅雨明けが発表された関東甲信地方でしたが、当ブログで何度か指摘しましたとおり、その後戻り梅雨と思しきぐずついた天気が続きました。しかしさすがにここ何日かは、夏本番と確信される暑さが続いています。
 ただ暑いことは暑いとしても、どちらかというと曇りがち。今年は例年に比べて日照時間の少ない夏とはいえそうです。それを示すように、収穫量が減少しているのか、スーパーなどに並んでいるナス、トマト、きゅうりなどの野菜の値段がここのところ急騰しているようです。

 また、「残暑が厳しく1年で最も暑い時期」というのもそのとおりです。
 例えば我が家の三毛雑種の飼い猫(親子猫)2匹。以前若い頃ならば暖かくなり始める4月頃から10月半ば頃まで、夜ともなるとどこかで外泊して、早朝エサを求めて帰ってくるというパターンでした。それがここ何年かは夏時分の外泊期間が年々狭まっていました。しかしさすがにこの暑さで、年中毛皮を着込んでいる身には「こりゃ、たまらん二ャー」とでも思ったか、最近はやはりどこか外にお泊りです。
 また「夏の高校野球」も、いよいよ明日8日から開幕です。よく「熱闘 ! 甲子園」と言われるとおり、抜けるような青空の下、勝ち進んで連投に次ぐ連投のエースピッチャーが投げるマウンドは、輻射と地熱で40℃以上と言われます。全国何千校の頂点を目指す、暑い戦いはまさにこれからです。

 そんな中、先日午前中近くの水路で、見事な朝顔がいっぱい咲いているのを見かけました。この水路は、いつもの「水路道」ではありません。(もっとも水路道でも、ちらほら赤系の朝顔は咲いていますけれども)そこより先の、車道に面した10m未満の狭い水路です。
 去年の晩秋、「二木紘三のうた物語」の『野菊』の中で、数年前まではそこに野生の野菊が群生していたが、ある年根っこから引き抜かれてしまい、以後野菊の姿が見かけられず残念です、というようなコメントをした場所です。
 その水路の車道に近い際、隣の某店舗駐車場の白いフェンスにもたれるように、幅2mくらいで朝顔が咲いているのです。技術未熟なため、当ブログでは画像をアップ出来ませんが、皆様にお見せしたいほどの可憐な朝顔です。澄んだ水色と青紫を白く縁取りされた、いかにも涼(りょう)を感じさせる色合いです。どなたが植えられたのか、花を愛(め)でる心映えのほどが偲ばれます。

 「涼」といえば、きのう6日夕方、所用で平塚市街を目指して車を走らせていました。市街地にさしかかる手前で、左(東)の空に何か奇妙なものがふわふわ浮かんでいるのに気がつきました。『何だ、ありゃ?』。その方をよく見ますと、何とパラセーリングだったのです。それも3つも。
 ああいうものは、沖縄など南の島でやるものだとばかり思っていました。それが意外や意外、相模川上空でも見かけるとは。『何と優雅なことよ。カネもかかるだろうに。それにしても、あれは免許なんかいらないのか?』
 そんな私の懸念をよそに、3機(と数えていいのかどうか)は風の向くまま気の向くまま、それぞれがてんでにぷかぷか空に浮いているのです。数10mから100m上空です。乗っている人は、さぞ絶景と涼を満喫していることでしょう。

 また同日7時過ぎ平塚からの帰り、東の中空より少し低く、雲間から真ん丸い月が認められました。後で調べましたら十六夜(いざよい)の月だったのですが、まるで満月といってもいいような、冴え冴えとした神々しいほどのお月様でした。
 その月を仰ぎながら、しみじみ『あヽもう夏月ではなく、秋月だなあ』と思ったことでした。

 (大場光太郎・記)

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喜びのタネをまこう(3)

 思いますに、意識レベルの高い人ほど「喜びのタネをまこう」と心がけるものなのではないでしょうか。
 
 ところである人が「意識の地図」というのを提唱しています。人間個々のさまざまな感情レベル、意識レベルを10数段階に分類して、それぞれの段階におけるレベルの数値化を試みているのです。それは大変示唆に富み、時々私自身それを読み返してみて、今現在の自分のレベルはどのレベルにあるのかの指標としています。

 「意識の地図」を簡単にご紹介しますと―。
 そうとうの覚者や達人ならいざ知らず、私たちの「心」は日々刻々揺れ動いています。「一日中考えていること、それ自体が取りも直さずその人自身である」という、19世紀アメリカの思想家・エマーソンの有名な名言があります。常日頃の「想い、考え、心構え」などが原因となって、現在ただ今あるいは未来のその人間を形成することになるのです。
 その意味で私たちは、「想い一つ、考え一つ」で日々刻々上昇(アセンション)か下降(ディセンション)かを繰返していることになります。その「心のバランスシート」がプラスかマイナスか、その総和で今後の行き先が決定されていくわけです。決して「外なる神」によって決定されるのではなく、「内なる心」が決定するのです。

 その上昇か下降かの、分かれ目となるのが「勇気(肯定)」だそうです。これを数値化すると200です。これ以下は下降となり、以下「プライド(軽蔑)」「怒り(憎しみ)」「欲望(切望)」「恐怖(不安)」…「罪悪感(責める)」「恥(屈辱)」となります。下に行くほど負のスパイラルがきつくなり、エントロピーがどんどん増大するだけの、どうしようもない状況となります。「外は内の反映」ですから、内心の苦しみに応じて思うにまかせない環境、状況に置かされることになるわけです。

 対して、「勇気」を起点とした上昇局面は、「中立(信頼)」「意欲(楽観)」「受容(許し)」…と続き、今回問題となる「喜び(落ち着き)」では540という高い数値となります。さらにその上に「平和(幸福感)」(600)そして「悟り(言語に絶する)」(700~1000)が最上位の境地となります。
 このように「喜び」は極めて高い意識レベルなのです。

 ある人(上記「意識の地図」提唱者とは別の人物)はかつて、「人間は喜びの表現体」と言いました。これは幼い子供たちを見ているとよく分かります。「幼子は天国の型」という言い方もされますが、とにかくピュアで喜びにはちきれんばかりです。このように常に喜びに満ち溢れていることこそが、人間としての自然な在り方なのです。
 しかし私たち大人は、「喜びの表現体」でないことが多いものです。どうしてなのでしょうか?それは上記でご説明しました「プライド」「怒り」「欲望」「罪悪感」「恥」などに我が心を占領されてしまうからです。心の中で常に他者との比較があり、「憎い、惜しい、嫉ましい」となりがちです。欠乏、飢餓、闘争などの想いが渦巻いています。肉体生活に付随した「小我(エゴの我)」に、内なる「大我(真の我)」が覆われてしまって、外に光が出られない状態なのです。
 
 「神は喜びなり」。「大我」はまた「神我(=真我)」といわれます。ゆえに「大我は喜びなり」とも言い換えられます。覆っていた不純物、邪魔物(小我=エゴの心)を取除いて、それを輝き出させるようにすれば、いつしかふつふつと「喜び」が湧いてくるのが道理です。
 肉体の自分を通して大我を周囲に輝かせるためには、禅家で言うさまざまな「静中の工夫、動中の工夫」が必要でしょう。私はその中の重要な工夫の一つが、「喜びのタネをまこう」なのではないだろうかと思うのです。

 大我は、肉体に付随した小我を遙かに超えた文字どおり「大きな我」です。小我が見る世界は、肉体として別なら赤の他人という、分離、分割、対立の世界。対して大我が観る世界は、肉体としては別々でも深いところでは一つにつながっている「共通的生命の兄弟同士」という、統合意識です。片や「我善し(小我=不調和)」、片や「皆善し(大我=調和)」。
 そのような「あなたは私であり、私はあなたである」という認識に立てば、「怒り」や「憎しみ」などというネガティヴなものを蒔くことなど出来ましょうか。心の奥底からの自然な発露として、「喜びのタネ」を蒔くはずだと思います。

 以上、偉そうなことを申し述べさせていただきました。未熟者の私自身、「喜びのタネをまこう」という高い意識状態から外れることがままあります。しかし心の片隅でいつも、そのことを心がけていることもまた事実です。
 ともあれ、私たちは「今喜べているだろうか?」と時折り自問してみる必要がありそうです。地球全体が「アセンション(次元上昇)」しようとしている「今この時」、自然万物と共々そのコースに乗っていることの大切なバロメーターとして。   ― 完 ―

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(5)

 元グラビアアイドルの小向美奈子と、元大相撲尾車部屋の十両力士だった若麒麟真一(本名:鈴川真一)が覚せい剤取締法違反(使用)によって逮捕されたのは、今年の1月のことでした。それを取り上げた本シリーズは、その後完結に到らず中断していました。しかしそれで同法違反事件は収まったわけではなく、時折り使用・所持等が発覚しては検挙される事件が後を絶ちませんでした。
 この度既にテレビの報道番組などでご存知のとおり、ほぼ同時に芸能関係者による2つの薬物事件が起こり、またまた世の中を震撼させています。今回はこの事件を取り上げてみたいと思います。

 まず、俳優の押尾学(31)が麻薬取締法違反容疑で逮捕された事件からです。
 のみならず、押尾が使用していた東京・六本木ヒルズのマンションの一室から、30代女性の全裸死体が発見されたことで一気に事件性を帯び、より一層世間の関心を集めることになりました。
 警視庁赤坂署は押尾を逮捕するとともに、4日川崎市にある自宅マンションや六本木ヒルズの複数の部屋を捜索。その結果ヒルズの別の一室から薬物所持を示す事実が見つかったようです。また押尾の供述から、押尾と変死した女性は同室で共にMADA(合成薬物)を使用、女性が2錠目を使用しようとしたところ容態が急変し、慌てた押尾はマネージャーに連絡の上その部屋を立ち去ったもようです。
 変死女性の司法解剖の結果は1、2週間かかるものの、今のところ事件性はないというのが警視庁の見解です。

 死亡した女性は、新橋付近にある銀座の某高級クラブに勤めていたホステスのT・Kさんとみられ、享年30歳、岐阜県出身のようです。押尾容疑者とは勤めていた銀座のクラブで知り合い、互いに格闘技が好きだったことから意気投合し、いつしか共に薬物を使用し合う仲にまで発展したということでしょうか。
 警察が「事件性なし」としてTさんの名前の公表を控えているのは、Tさんが政治家の娘か親戚と見る向きもあるようです。事件化してTさんの名前を被害者として発表すれば、選挙に影響を及ぼしかねないからというのです。

 押尾学容疑者は、Tさんが変死体で見つかった(推定死亡時間10時間後くらいに押尾の知人の訪問により発見)六本木ヒルズの同室の合鍵を持ち、自由に出入りしていたそうです。関係者が注目しているのは、事件が起きた部屋の名義人が超有名人であることです。
 名義人は、若い女性に絶大な人気を誇る下着通販会社の女社長。バツ2で独身の44歳。ミニスカートがトレードマークで、よくテレビや雑誌に登場する名物社長とか。その上彼女は交友関係が広く、芸能界にも顔が利き、歌手の浜崎あゆみとは大親友だそうです。
 以前はホリエモンことライブドア元社長・堀江貴文とも交流があり、逮捕直前のホリエモンと電話で話しをしたことをブログに掲載して話題になったこともあるようです。

 ここで問題となるのは、同女社長の芸能界における幅広い人脈です。「現場」には押尾以外にも多くの有名人が出入りしていたそうです。その一室でMADAを使用していたのは押尾だけ、とは考えにくいことです。
 もし今後の押尾の供述などから、イモヅル式に事件が広がった場合、一大スキャンダルに発展する可能性が十分にあるのです。

 押尾容疑者が使用した疑いのあるMADA(通称エクスタシー)は、セックスの際に快感を高めるために使用される「セックスドラッグ」の側面が強く、そのため「ラブドラッグ」の隠語で呼ばれているとか。MADAは覚せい剤に化学構造が似ており、飲むと強い興奮、多幸感、幻覚などの症状が出るようです。
 1錠単位で使用した場合覚せい剤ほど作用が強くないとされ、若者らが軽い感覚で使うケースが後を絶たないようです。

 私が本シリーズで後に訴えたいのは、薬物使用が未成年者(高校生から中学生)にまで及んでいるという憂慮すべき事態です。これ以上の薬物拡大を食止めるためにも、とにかく今回の六本木ヒルズ一室は、芸能人を中心とした薬物使用の魔窟であった可能性がある以上、徹底的に全容解明してもらいたいものです。

 気の毒なのは押尾学の妻で女優の矢田亜希子(30)です。二人は半年くらい前から既に別居しているようです。しかし今回の件では「妻として責任を感じます」とコメントし、心身ともに憔悴しきった状態のようです。
 押尾が芸能界追放になると共に、育児期間を経て女優復帰したばかりの矢田にとっても、ダメージは計り知れません。好調だったCMはもうダメかもしれませんし、テレビ出演すら難しいかもしれません。
 それもこれも、所属事務所や関係者らが、スキャンダルの多い押尾との結婚を何とか思い止まらせようとの必死の説得も聞かず、結婚に踏み切った矢田の自己責任ということなのかもしれません。

 次回は、続けて起こった、自称プロサーファー高相祐一容疑者の覚せい剤取締法違反容疑と、その妻「のりピー」こと酒井法子の失踪についてです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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喜びのタネをまこう(2)

 以下では「喜びのタネをまこう」について、私が考えますことを少し述べてみたいと思います。

 まず確認したいことは「喜びのタネ」をまくことがなぜ重要なのかということについてです。
 「蒔かざる者は刈り取ることを得ず」とは、イエスの有名な言葉です。当然のことながら、種(たね)を蒔かなければ、作物は育たないし果実を収穫することなどなお出来ない道理です。これは「原因結果の法則」と言われているものですが、この法則は実はこの地上世界のみならず、そのまま「宇宙法則」でもあるようです。
 
 イエスはまた別のところで、「汝(なんじ)が与えたものを汝は受け取る」とも教えています。つまりここでは与えたもの(=蒔いたもの)がどのようなものなのか、その内容が問われるのだというわけです。これは原因結果の法則と同じ内容ながら、特に「ブーメランの法則」とも呼ばれます。
 つまり「喜びのタネ」を蒔けば喜びが、「悲しみのタネ」を蒔けば悲しみが、「憎しみのタネ」を蒔けば憎しみが、蒔いた(与えた)当人にそのまま返ってくるということです。

 ただ蒔く(与える)ことと、刈り取る(受け取る)ことは同時ではありません。この三次元世界では、過去・現在・未来という直線的時間が錯覚(幻想)されているため、当然のようにタイムラグがある(ように感受される)わけです。(到る所に時計が溢れかえり、時計とにらめっこし、時間に追いまくられている現システムそれ自体が、「幻想」の上に成り立っているシステムであるということです。)
 
 中にはこの世で行った行為の結果を、あちらの世界あるいは来世、来々世で、ということもままありました。その分なかなか「原因結果の法則」に気づけず、勝手気まま好き放題してきた人たちも多かったわけです。
 しかし間近に「タイムゼロ」が迫っている、今回は違います。既にお気づきの方もおられるかと存じますが、原因=結果の世界にどんどん近づいているのです。すべてスピード化、加速化です。己の為した行為の結果がどのようなものであるのか、良いことも悪いことも驚くほど短時日のうちに確かめられ、検証し得る、そんな時代なのです。

 いずれにしてもどれを蒔くかは、個人の自由意志に委ねられています。なぜならこの世界それ自体が「自由意志の世界」であるからです。「自由意志」は神聖なもので、原則として他が侵してはならないものです。
 ただし「蒔いたものを刈り取る」「与えたものを受け取る」のが、この宇宙のシステムです。そこで人間個々は自由意志を自己責任で行使して、時に不都合なものを蒔いたり与えたりして、辛く苦しい思いを刈り取りながらスタディし、レッスンして、より完全な存在に成長、進化していくシステムなのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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喜びのタネをまこう(1)

 ご存知の方も多いかと思いますが、「喜びのタネをまこう」という言葉は株式会社ダスキンの企業理念を表わす標語です。私は同社とは何の関係もない人間ながら、この標語は以前から心に深く残っています。そこで今回はこの言葉について、少し考えてみたいと思います。
 まずこの言葉を社会に提供してくれている「ダスキン」についてご紹介します。

 株式会社ダスキン(本社:大阪府吹田市)は、モップをはじめとするお掃除用品、浄水器・空気清浄機などの生活用品のレンタル、販売や、ミスタードーナツというファーストフード店を展開している会社です。
 同社の創業者・鈴木清一は1964年社名を「株式会社ゾーキン」とするつもりでした。しかし「人に言いにくい」「嫁が来なくなる」などの社員の反対により、「ダスト(ほこり)」と「ゾーキン(雑巾)」の合成で「ダスキン」という社名にしたのだそうです。その時鈴木元社長は、「自分が汚れただけ人が綺麗になるのだ。“ぞうきん”で何が悪い」と語ったそうです。
 その創業者・鈴木清一は「祈りの経営」を掲げ、そのコーポレイトステートメントに掲げたのが「喜びのタネをまこう」だったのです。

 鈴木清一がダスキンを社名にした1964年(昭和39年)は、東京オリンピックが開催された年でもあります。我が国の高度経済成長がいよいよ上昇気流に乗りつつある時期でした。それ以降急激な経済発展を遂げ、世界第二位の経済大国にまでなりました。しかし同時にさまざまな負の遺産もこの国にもたらしました。ただひたすら経済至上主義で突っ走る我が国国民の姿が、諸外国から「エコノミック・アニマル(経済動物)」と顰蹙(ひんしゅく)を買ったこともありました。
 そんな中での「祈りの経営」、「“ぞうきん”で何が悪い」と言い切る信念、そして「喜びのタネをまこう」。何やら鈴木清一という人は、高度経済成長期などはるかに飛び越えて、21世紀の今日の企業理念を先取りしていた先見性のある経営者だったように思われます。

 ただしこういうタイプの企業は、とにかく業績を拡大し成長するためには手段を選ばず式のアコギな体質ではない分、そんなに急激な伸びは期待出来ないはずです。しかし時間が経つほどじわじわ社会にその良さが浸透していき、着実に成長していける企業だと思います。同社はそのとおりに堅実に成長を続け、2006年(平成18年)には東証一部、大証一部に上場を果たしました。
 なお翌年、上場後初の株主総会が大阪の某ホテルで開催されました。開催前に般若心経を唱和したそうです。いかにも同社らしいエピソードです。
 ただ長い歳月が経過するとどんな企業も創業時の理念やモラルが風化しがちです。現にダスキンでも、2002年(平成14年)には傘下企業であるミスタードーナツの禁止添加物事件とその隠蔽加担により、当時の社長が辞任するという出来事があったことはまだ記憶に新しいところです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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日々雑感(5)

 暑中お見舞い申し上げます

 8月になりました。それでも本当に梅雨が明けたのやら、明けていないのやら。どうも今一つはっきりしない今年の夏模様です。
 ここ2、3日の天気の移り変わりをみましても。当地では30日は真夏の暑さだったかと思うと、7月末のきのうはうって変わって曇りがちのしのぎやすい一日で。そしてきょう8月1日は、午前中は曇りで昼過ぎから日が射して夏らしい暑さがぶり返す。ここで一気に夏本番かと思いきや、さにあらず。明日2日は全国的にまたぐずついた天気に逆戻りのようで、中部地方などでは豪雨が心配されそうな予報です。

 こういう年は「暑中見舞い」をいつ出すべきか迷うところです。気象庁が梅雨明けを発表した先月14日から3日ほどは、それこそ真夏を思わせる暑さでした。発表後すかさず出せばよかったものを。その後はすっかりぐずつき気味の天候で、出すタイミングを逸してしまいました。
 しかしこれ以上ぐずぐずしていると、今月8日はもう暦の上の「立秋」です。どなたもご存知かと思いますが、マナー上この日を過ぎてしまえば「残暑見舞い」となり少々具合の悪いことになってしまいます。そこであす、あさってあたりまでには、急ぎ取りまとめて現実上の暑中見舞いを出さなければと、大いに気が焦っているきょうこの頃です。

 というような次第で、当ブログでも大変遅ればせながら、本記事をもちまして「暑中見舞い」とさせていただきます。(ちなみに去年は、『暑気所感』記事の7月27日のことでした。)
 さすがにここ近年の「猛暑型」でない分しのぎやすいと申しましても、やはり夏ですから暑いことは暑いです。曇りでも雨でも、少し動きでもすれば、体の中からジトッと汗が吹き出してきます。どうぞ皆様。お体大切に、暑さ本番の今月を乗り切っていただきたいと存じます。
 と申しておりますこの私が、諸事、雑事に追われがちな日々の中で、早くも少し夏バテ気味です。それが当ブログにも影響しておりまして、ここのところ更新が滞りがちです。毎日のように新記事を楽しみにご訪問いただいております皆様には、ご期待に添えない日もあり、大変申し訳なく存じます。と申しましても、食欲がないとか夜眠られないというような重症ではありませんので、ご心配なきよう。

 それに致しましても、当月は選挙戦一色になりそうですが、何せ何十年ぶりかという八月・真夏の選挙ですから、全国各選挙区の候補者の方々はさぞ大変なことと思います。かんかん照りの中街頭に立ちっ放しで、自身や所属政党の政策を声を限りに訴えたり、聴衆のただ中に飛び込んで握手をして回ったり…。それも1、2ヶ所ではなく何ヶ所、十何ヶ所と回るわけですから。
 衆議院議員という国家の選良(エリート)と言えども、先ずは頭脳戦よりは体力戦を強いられるわけです。特に70歳以上の高齢候補者にとって、真夏の選挙戦は一段とこたえるのではないでしょうか。有権者何千万人分の一の一人に過ぎない者ながら、ご同情申し上げますといったところです。

 話は全く変わりまして―。例の草なぎ剛の、芸能界復帰はほぼ順調のようですね。確か他のSMAPメンバーに混じっての、何かの大型新作CMも、きょうあたりからオンエアーされるのではないでしょうか。
 また事件当時総務相の鳩山邦夫の厳しい批判で、「地上デジタル担当大使」はもう金輪際ないだろうと見られていましたが、結局先月下旬地デジ・メインキャラクターに再び任命されたとのこと。「たかが酔っ払ってハメを外したくらいで逮捕とは」という世間の同情の声に押し切られた形なのか。日本郵政の西川社長留任を受けて辞任した、鳩山大臣という重しが取れたせいなのか。
 とにかく草なぎ剛にとってのその後の芸能活動。「雨降って地固まる」的状況のようで、本人もやれやれといったところでしょうか。
                         *
 既にお気づきのとおり、当ブログ背景をこれまでの『若葉』から『Winter』に変えました。昨年よりご訪問の方はお分かりと存じますが、このテンプレート引き続きまして今年も使用致します。ココログでは、ブログ背景として数多くのテンプレートを取り揃えていますが、いざ探してみますとなかなかピンとくるのがないものです。そこで私は各シーズンごとに同じものを繰り返し使用する方針です。なお去年梅雨時使用しました『カッパ君と雨』、愛着はあるものの短期間のため割愛しました。どうぞご了承ください。
 なお「Summer(夏)」なのにどうして「Winter(冬)」なのか?につきましては、既に去年ご説明したとおりです。8月も冷夏続きで寒々とした背景にならぬよう、本来の(ただし猛暑ではなくそこそこの)暑さを望みたいものです。
 
 (大場光太郎・記)

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夏祭り

   お祭りを見るや見ざるや蛾眉(がび)の月  (拙句)

 週間予報では確か、関東地方のきょうあしたは曇りのはずでした。(私の天気予報感覚はそんなもので、今朝最新の予報など見ないのです)。きのうおとといの雨がちの空模様からして、私は『おそらく予報どおりかな?』と思っておりました。
 しかし当地では曇りは朝のうちだけで、その後少しずつ雲が切れ始め薄日が射してきました。昼過ぎは日差しが強まり、それと共に気温もぐんぐん上昇し、午後は何ごともなかったかのような真夏の日となりました。

 所用で午後、当厚木市内を少しぐるぐる回るかっこうになりました。街並みは夏の太陽の輝きのただ中にある感じです。そして市街地を逸れでもすると、当地はけっこう自然が豊かで、おちこちに小山が連なっています。それがさながら夏の季語の「青嶺(あおね)」そのものなのです。久しぶりの日差しに、全山の深緑が生き生きとして目に迫ってきます。遠い前線から運ばれてくるものなのか、やや強い風が吹き渡っています。暑い戸外ではこの風こそは涼風です。
 述べる機会がありませんでしたが、蝉ももう10日ほど前から聞かれました。久しぶり晴れたきょう午後は、また一段とかまびすしい鳴声が聞かれます。

 このような天気を目の当たりにすると、きょう現在の天気図など見ていないので梅雨前線がどうなったのか分からないものの、『あれっ。やっぱり気象庁の梅雨明け発表は正解だったのかなあ』と思えてくるから奇妙です。しかし明日になればまたぐずついた天気に戻るかも知れず。こればっかりは、今しばらくは予断を許しません。(深夜のニュースによると関東地方は真夏のような日でも、今度は九州地方が集中豪雨に見舞われたとのこと。)

 きょうのこの真夏そのものの天気に誘われたわけではないものの、方々を回って目につくのは「お祭り」の多さです。そう言えばきょうは7月下旬の土曜日。子供たちも20日頃から夏休みのはず。夏祭りを行うにはもってこいの日であるわけです。
 その一つ。厚木市街を少し南の平塚方面に行った高層住宅群の自治会では、夕方普段は団地内公園と思しき場所がすっかりお祭り広場と化していました。もう大勢の人が集まっていました。信号待ちの間見ていますと、中央に櫓(やぐら)が組まれています。本番はやはり盆踊りの夜祭りのようです。櫓から少し離れて、煙がもくもく上がっています。見ると自治会の役員たちが焼き鳥を焼いて参加者に振舞っているようです。もっとよく見ると、焼き鳥をもらおうと、たくさんの人が一列になって並んでいます。
 これからお祭り広場へ行こうとして、歩道を歩く家族連れの姿も見かけられました。中に、小学生と思しき可愛らしい浴衣の少女の姿も認められます。

 そして我が住居から何百mか南にある5階建ての団地群自治会でも、やはり今夜夜祭りのようです。7時少し前、今度は徒歩で歩いていて分かったのです。そのお祭り広場を見る前から、ドンドンドーンという太鼓の音が聞こえてきて『おっ。こっちでもやってるな』とすぐ気がつきました。
 少し離れた道を、そのようすを横目で見ながら通りました。やはり先ほど見た祭りの光景とだいたい同じような感じです。そのさまを見ながら思い出しました。去年の7月最終土曜日は26日でしたが、その日のことを『暑気所感』という記事にまとめました。同じくその日はそこのお祭りだったものの、何と夕方からもの凄い雷と豪雨になり、道に水が溢れるは、近年珍しく停電になるはで、お祭りも取り止めになったことでしょう、というようなことを述べました。
 あれから1年、今年は好条件の中無事夜祭が行われそうです。

 そう言えばきょうお祭りが行われるのは、ほとんどが大きな団地関係の所のようです。やはり現住居から数百m先の、例の中津川堤防道に到る旧道沿いの自治体の場合は、例年8月が夏祭りです。お寺の駐車場が会場ですが、付近は旧農家など古くからの家が多いため旧盆過ぎくらいになるのでしょう。ちなみに現居住地付近は、皆新しい住宅群で果してきちんとした自治会があるのかないのか、今もってよく分かりません。ついぞそのような催し物の案内を受けたことがないのです。
 特に都市部ほど、普段から人間関係が疎遠になりがちです。それを解消し、同じ地域社会に住むお互いの交流、親睦を図る意味でも、お祭りのような老若男女誰でも参加できる場がもっと必要なのかもしれません。

 (大場光太郎・記)

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我が懐かしのS&G

 1970年代前後一世を風靡したアメリカの音楽デュオ・サイモン&ガーファンクルが、当月日本公演ツアーを行いました。7月8日ナゴヤドームを皮切りに、10、11日東京ドーム、13日京セラドーム大阪、15日日本武道館、18日札幌ドームというスケジュールだったようです。
 サイモン&ガーファンクル(以下「S&G」と表記)は、私にとっても「我が懐かしの“青春のデュオ”」といっていいくらいです。今回の来日公演にあたっては、東京公演など4月頃から前売り開始していたようです。私も『行ってみたい』と思いながらも、諸事、雑事に追われがちな昨今、『どうしようかな?』と迷っているうち、気がついたらもう終わっていたという次第です。

 これはあくまでも私個人のことながら。当時20代の私にとって、S&Gはビートルズなど問題にならないほど深い影響を受けました。その音楽的水準の高さ、込められたメッセージ性、知的でクールで時に哲学的とも思われる歌の内容…。
 その音楽性が私の感性にフィットしたからなのでしょうか。私はアメリカをはじめ外国のミュージシャンの音楽はほとんど集中して聴いたことがないのに、S&Gだけはレコードやカセットテープなどをせっせと集めては、とにかく繰り返し聴いていました。

 S&Gが我が国で最初にヒットしたのは、昭和43年の秋以降。私が山形の高校を卒業して現居住地である厚木市にやってきた年でした。映画『卒業』のテーマソングでもあった『サウンド・オブ・サイレンス』が、日本でも大ヒットしたのです。しかしその頃私は度々述べましたとおり、仕事にも首都圏(ぎりぎり)での生活にも共になじめず、おろおろもじもじしていた時でした。何となく『いい歌だなあ』とは思いながらも、その時は特別な思い入れはありませんでした。
 『卒業』も同じ頃我が国でも上映され大評判だったものの、すぐには観ませんでした。観たのは、2年くらいたってからのリバイバルだったと思います。

 余談ながら、映画『卒業』について―。
 この映画は、その後相次いで公開された『俺たちに明日はない』『真夜中のカーボーイ』などと共に、「アメリカ映画を変えた映画」と評されました。何せラストにおいて、教会で他の男との結婚式の最中の恋人(キャサリン・ロス)を、大学卒業間もない主人公(ダスティン・ホフマン)が強奪するのですから。それまで「教会」といえば、キリスト教国・アメリカでは絶対的権威のシンボルのような所です。その神聖な場所で、今まさに「永遠の愛」を誓い合ったはずの花嫁を奪い去る。これは神の冒涜そのもので、とても許される行為ではなかったはずです。さあ当時のアメリカはさぞショッキングで、大センセーショナルを巻き起こしたことでしょう。
 非キリスト教国である我が国で、その衝撃の深さが本当に理解できた人がどれだけいたのだろうか?少なくとも私は、ただぼんやりこの映画を観ただけでした。
 なおこの映画でS&Gは、『サウンド・オブ・サイレンス』の他にも『ミセスロビンソン』『スカボロ・フェア』という名曲もカバーしています。

 私が本式にS&Gを聴くことになるのは、それから2年後の昭和45年以後のことでした。きっかけは何だったのか、今ではよく覚えていません。上記の歌以外にも『早く家に帰りたい』『ボクサー』『いとしのセシリア』『コンドルは飛んで行く』『アメリカ』などは繰り返し聴きました。20代のあの頃の私にとって、とにかくS&Gの歌は「もう聴きあきた」ということがなかったのです。
 その中でも私が特に好きだったのは、比較的マイナーな『四月になれば彼女は』でした。S&Gの楽譜集でこの曲を見ながら、下手くそなギターでコードを弾いて、これまた下手な英語で歌ったりしていました。また『アイ・アム・ア・ロック』という歌からは、生きる方向性が見出せないで苦しんでいた当時、「お前はお前のまま、今のまま強く生きるんだよ」という励ましをもらいました。

 我が懐かしの青春のデュオ・S&Gも、爆発的な世界的大ヒットとなった『明日に架ける橋』を最後にデュオを解消してしまいました。ポール・サイモンとアート・ガーファンクル。共にユダヤ系アメリカ人で、小学校時代からの親友だったものの、お互いの音楽観の違いからそれぞれソロ活動をすることになったのです。
 私はデュオ解散後もしばらく、二人のソロアルバムを集めてはそれも熱心に聴いていました。しかし30代になるとさすがにS&G熱も冷めて、徐々に遠ざかっていきました。
 これを機会にまたS&Gメロディ、じっくり聴いてみたいと思っております。

 (注記) 本記事は、「二木紘三のうた物語」の『明日に架ける橋』コメント(昨年2月14日)と一部重複しています。ご了承ください。

 (大場光太郎・記)

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雨大暑

   作物に人によろしき雨大暑   (拙句)

 本日23日は二十四節気の一つの「大暑」です。
 去年は1日早い22日が大暑で、やはり『大暑』という記事にしました。それを読み返してみますと、去年はその前の週末に梅雨明けし、それから22日までの3日間ほどそこそこ暑かったようです。同記事では暑さが更に増幅するような、「暑さを表現する季語」をズラッと並べたり、気象庁の「暑い夏を表現する用語」を紹介しました。

 暑さが最も厳しい時期とされる大暑ながら、日本列島の広い範囲できょうも曇りや雨模様となり、西日本では梅雨明けのめどさえ立たないなど、すっきりしない一日となりました。
 思えば、今年の関東甲信地方の梅雨明けが発表されたのは14日のことでした。その後確かに3日ほどは真夏らしく連日30℃を越える暑い日が続いたものの…。その後はずっと曇ったり雨が降ったりの、ぐづついた日が続いています。当厚木市でも本日は朝から雨がちで、昼過ぎに一時ぶんまくような激しい雨さえ降りました。

 私はこのぐづついた天気から、何日か前から『関東地方の梅雨明け発表は少し早すぎたんじゃないの?』と思っておりました。きょうの昼のあるテレビ番組で、この天気について特集していました。その中で知ったことには、この疑問は私だけではないらしく、気象庁には「いったいどうなってるの?いっそ(関東甲信地方の)梅雨明けを取り消したらどうか」というような問い合わせが、けっこう多く寄せられているそうです。
 その番組専属の気象予報士によると―。(気象庁が関東甲信地方の梅雨明けを発表した)14日の日本列島の天気図では、太平洋上の高気圧が強まり、関東甲信地方をすっぽりその勢力圏内におさめ、なおかつ列島広く包み込み、梅雨前線は南は中国大陸の方、北は北海道の海上に分断されてしまっていた。これは典型的な夏型の気圧配置で、この状態では関東甲信地方に梅雨前線が下りてくることはもうないだろう。ただ関西など西日本は高気圧の周縁部にあたり、まだ予断を許さない。それで西日本に先駆けて、関東甲信地方の梅雨明け発表となったもようです。

 しかし何のいたずらか、真夏をもたらす太平洋高気圧はその後勢力を弱め、列島から大きく後退し、代わって分断されていた梅雨前線が再びつながって活発化していることが、現在の戻り梅雨のような状態をもたらしている、ということのようです。
 過去にも1993年、2005年が今年と似たような年だったようです。そして両年とも冷夏傾向で、特に1993年は昔なら大冷害、大凶作といっていいほどで、ご記憶の方も多いことでしょうが国内の備蓄米が底をつき、タイ米などを急遽輸入して何とかしのいだ年でもありました。

 ということは、今年は例年の猛暑による熱中症の急増などはあまり心配しなくてもいいのかもしれません。その代わり、21日中国地方特に山口県を襲った集中豪雨被害のようなことが多くなるかもしれません。
 私は気象庁は潔く誤りを認めて、関東甲信地方の梅雨明けを取り消すべきだと思います。しかし、お役所における「メンツ意識」はなかなかのもの。そう簡単に取り下げはしないでしょう。ただその代わり、例年その年の梅雨の状況を9月末頃見直して、その時点で改めて梅雨入り、梅雨明けを確定する仕組みのようです。
 なお同予報士の見立てでは、今のこの状態は今月30日くらいまでで、それ以降本当の梅雨明けとなるでしょう、ということでした。

 (大場光太郎・記)

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面白くなってきたぞ。ペナントレース !

 以前の私は大のプロ野球ファンでした。開幕前のオープン戦からペナントレース終了後の日本シリーズまで、ほとんどの試合中継を見て、なおかつ深夜のプロ野球ニュースをはしごするほど。ペナントレースが白熱してくると、自分で先の結果を予測してその場合の各チームの勝率やゲーム差などを計算するほどでした。
 しかしいつの頃からか、プロ野球に対する思い込みが徐々に失せていきました。ですからここ数年は開幕戦だけ見て、後は両リーグで導入されたプレーオフ、そして日本シリーズだけ見て「はい。今年はこれでおしまい」となっていました。
 今年は開幕戦すら見ていません。たまたまテレビをつけた時、どこかの局で野球中継をやっていれば、10~15分程度見るくらいです。

 どうしてこうなってしまったのでしょう?私の場合やはり、イチロー、松井秀喜、松坂大輔といった超一流プレーヤーが我も我もと米国大リーグに移ってしまったことが一番大きいと思います。とにかくそれによって著しく国内プロ野球への興味がそがれたことは間違いありません。
 プロ野球ファンにとって原因はそればかりではないと思いますが、やはりここ数年の「プロ野球離れ」は深刻なようです。実際ここ何年かの各球団の観客数、テレビの野球中継の視聴率低迷など、プロ野球人気凋落は目を覆うものがあるようです。それは球界の盟主・読売巨人軍とて同じことで、巨人軍のキー局である日本テレビでも恒常的な10%以下の視聴率に、年々巨人戦中継を減らしているのが実情です。

 思えば長嶋・王の巨人軍V9の、昭和40年代がプロ野球全盛期でした。それからすると現状はまさに隔世の感があります。再びプロ野球人気を復活させるにはどうすべきか?これはプロ野球機構、各球団に智恵をしぼってもらうとして―。

 今年のベナントレース。これまでの前半戦、特にセリーグにおいては、WBC優勝監督である原辰徳率いる巨人軍が開幕ダッシュに成功し、何やらぶっちぎり独走の勢いで。常日頃申し上げておりますとおり、“アンチ巨人”の私などは『何だよ。つまんねえな』と更に興味をなくしておりました。(毎度のことながら“巨人ファン”の皆様、申し訳ございません。何せ私のアンチ巨人は、子供の頃からの筋金入りなもので。平にご容赦ください。)

 しかし球宴(オールスターゲーム)前の今現在、巨人独走がだいぶ怪しくなってきたようです。ために俄然『面白くなってきたぞ ! 』という状況なのです。
 先ず巨人の一番打者として首位打者争いをし打線を引っ張ってきた、若い坂本が調子を崩し始めたこと。これは過日の中日戦で執拗なインコース攻めにあい、フォームを崩されたことが大きな要因だと思われますが、それを見た各チームスコアラーがそこに坂本攻略法を見出したことも大きいと思います。その上坂本は、腰痛を訴え20日の横浜戦を欠場しました。正捕手の阿部、ストッパーの豊田も腰痛で欠場と、主力の故障が相次いでいます。

 巨人が明らかに下降気味なのに対して、中日がぐんぐんチーム状態を上げてきています。同日中日は広島に逆転勝ちし、これで6連勝。ついに巨人に2.5ゲーム差まで詰め寄ってきました。巨人のみならずどのチームも暑い夏場は投打とも戦力がダウンするものですが、中日は逆に「昇り竜」の勢いです。
 思えば中日の落合監督は、開幕ダッシュに成功した巨人に対して、「巨人は夏場以後必ず落ちてくる」と冷静に分析し、中日らしい粘っこい野球を続けてきました。
 実際落合監督は、巨人に8ゲームもの大差をつけられ5位に低迷していた5月でも、「巨人を追いかけられるのはうちだけ。ここから始まると考えればいい。追いかけますよ」と言い切っていたといいます。「ただの強がり」と取材陣などは相手にしなかったものの、親しい関係者には自信満々で次のように言っていたとか。 「何のために、あれだけの(春季)キャンプをやってると思ってんのよ。シーズン中盤、終盤にかけて、必ずあのキャンプが生きてくるから。まあ見ていなさいよ。」
 事実交流戦以後の中日は17勝5敗。特に7月に入ってからのチーム防御率、チーム打率ともライバルの巨人を上回っています。

 昨年何かの記事のある人とのコメント交換で、たまたま次期WBC監督は誰がいいか?という話になりました。私は真っ先に落合監督を推しました。(但し、楽天の野村監督がもう少し若ければ、そちらが優先ということで。)
 私は3度の三冠王に輝いた現役時代からの落合博満ファンなのです。「オレ流」。あんな個性的な名選手は今の球界にはおりません。それに星野仙一が監督でも低迷し続けた中日を、短期間でリーグ優勝、日本一に導いた監督としての手腕、頭脳は並みではありません。ハッキリ申し上げて、監督としての力量は、WBC優勝の原監督より上だと今でも思っています。球宴開け後、中日が巨人に追いつき追い越すのはもう時間の問題だと思います。
 阪神タイガースが5位と元気がないのは意外でした。やはり阪神が優勝争いに加わってくれないと、セリーグはもう一つ盛り上がりません。

 最後に、パリーグについて簡単に―。
 やはりダルビッシュ・有という、絶対的エースを擁する北海道日本ハムは強い ! それに引き換え、我がひいきチームの東北楽天は現在4位。球団は野村監督とは来期以降の契約更新はしない方針とのこと。楽天の懸案はやはり投手陣です。そこで岩隈以下先発投手の駒を揃えて、マー君こと田中将大を思い切ってストッパーとしてフル回転させれば、あるいは…。でもそれでは将来の日本球界のエース候補が潰れてしまいそうだし…。
 どうせなら、日本シリーズは中日vs楽天つまり落合vs野村で。そんな奇跡的な対決が実現すれば、超オモシロイんだけど。

 (大場光太郎・記)

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日々雑感(4)

 気象庁が関東地方の梅雨明けを発表してから、なるほど急に暑い日が続いていました。しかし本日、当地では朝から曇りがちな空模様。昼前はけっこう激しい雨に見舞われたりして、『さては戻り梅雨か?』と思われました。雨は30分ほどでやみ、昼過ぎからは薄日が射したりしたものの、まあまあしのぎやすい一日となりました。

 近年は特に梅雨が明けると、半端ではない猛暑が連日続く傾向があります。その間何日も何日も雨が一滴も降らないような。これも地球全体の温暖化傾向による異常気象のしからしむるところなのでしょう。しかし農耕社会の昔だったら、確実に旱(ひでり)、旱魃(かんばつ)で大騒ぎだったことでしょう。
 現代は自給自足ならぬ「他給他足の時代」ですから、ついそのことは看過されがちです。特に我が国では、農作物、穀物の自給率が30~40%にも関わらず、あい変わらずの飽食ですから、実は旱魃であることには少しも気づかず『毎日暑いですねぇ』で済まされてしまうわけなのです。

 しかしご存知のとおり、先進国といわれる国々でも我が国のように極端に低い自給率の国は他にありません。フランスなどは200%に迫るといわれ、やや低いアメリカでさえほぼ100%に達しています。もし仮に今日うまく機能している農作物輸入頼みの他給他足システムが万一全世界的に破綻したとしたら?…。国民の6、7割は飢餓線上をさ迷うことになるわけで、考えただけでもぞっとします。
 そういう意味では、来るべき総選挙では、各党ともこの問題にどう取り組むのか、しっかりした農業政策をきちんとマニュフェストに盛り込んでもらいたいものです。

 総選挙といえば。麻生首相が「解散予告」という前例のない発表をしてから数日。案の定「麻生おろし」の風が吹き荒れました。16日(木)には中川秀直、加藤紘一、武部勤といった元幹事長の面々を中心とする反麻生派が、与謝野馨何でも兼務大臣、石破茂農水大臣も取り込んで、両院議員総会を開催するのに必要な120余名以上の議員の署名を集めたとかで、大騒ぎになりました。
 「すわっ。やっぱり麻生さんは解散できずに退陣か ! 」と、成り行きを興味深く見守っていました。しかし結局は、現執行部と各派閥の締めつけにより、その勢いが急速にしぼんでしまったようです。今の自民党には「○○の乱」を起こすようなエネルギーすらないようで。これで、麻生首相の下で、今月21日解散、8月30日投票は確定のようです。
 しかし国外的に見た場合、これでよかったと言うことができます。もし仮に、一国の宰相が「解散する」と宣言しながら「解散できませんでした」では、また我が国の国際的な赤っ恥となるところでしたから。

 ここのところ『天地人』は、まあまあ可もなし不可もなし。特別『天地人シリーズ』として取り上げることのほどもなさそうです。
 肝心の主役・直江兼続役の妻夫木聡は、若くてイケメン過ぎて、回が進んで上杉家筆頭家老になっても、何度秀吉と対面しようと、どうもイマイチ戦国武将、名参謀、名軍師としての威厳、風格が感じられません。(これは、始まる前から言い続けていることながら。)
 と思っておりましたら、もう少し回が進むとヒゲをはやした兼続になりそうです。それによって、少しは風格が出てくれればなあと、今から期待しております。
 その点主君である上杉景勝役の北村一輝は、さすが決まっています。どっしりした落ち着きと重厚感があり、「さすが名門・上杉藩主」といった趣きで安心して見ていられます。

 今回の『天地人』では脇役である、豊臣秀吉や徳川家康を演じている笹野高史、松方弘樹は、さすがベテランの役者らしく、これも安心して見ていられます。特に笹野高史の秀吉は、『実際の秀吉もあんな感じだったんじゃないの?』と思われるほど、はまり役だと思います。
 小栗旬の石田三成役も最近ようやくなじんできました。しかしいつまでたっても何となく「小姓っぽい」いでたちなのが気になります。あの独特のカツラや衣装も含めて、実際の三成もあんな感じだったのだろうか?『少し違っていたんじゃないの?』という違和感は残ります。

 その他女性陣について。高島礼子の仙桃院、常盤貴子のお船の方、その侍女役のあき竹城…。それぞれの持ち味を出して、よく演じていると思います。目立たないながらあき竹城、そのうち舞台が生まれ故郷の米沢に移るわけで、さぞ大張り切りなことでしょう。深田恭子の淀君は意外でした。今後どんな演技を見せてくれるのか楽しみです。
 ただ高島・仙桃院は、幾つになってもシワ一つない若々しさです。まあ、若くてお美しい女性(にょしょう)は大歓迎ですけれども…。

 (大場光太郎・記)

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梅雨が明けて

   梅雨明けの夢のやうなる白き雲   (拙句)

 13日気象庁は、関東甲信地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。ここ何日かの夏そのもののような晴れがちの天気から、『梅雨明け間近か?』と思っていました。しかしいささか唐突だったようにも思われます。
 例年なら、梅雨明けは7月の20日前後だったように記憶しているからです。それに過日の1週間予報では関東地方は今週半ば頃また天気がくずれて梅雨が戻ってくるでしょう、というようなことでしたから。
 また異例なのは、中部、関西、中国など関東以南の地方をさしおいて、関東地方が一足お先に梅雨明けとなったことです。梅雨明けは必ず南の方から順ぐりでなければならない、という決まりがあるわけではないものの…。確かに今年の関東地方の梅雨明けは、例年より6日ほど早く、去年より5日早かったようです。

 それでも梅雨明け翌日の14日は、確かに暑かったものの空に雲も多く、その雲は既に梅雨雲のような鉛色の雲ではないとしても、かといって夏特有のニョキニョキムクムクの雲の峰といった感じでもない白い横雲で、何となく「プチ梅雨明け」といった趣きでした。

 しかし本15日は違います。朝から雲も少なく、日がカァーッと照りつける一日となりました。昨晩は熱帯夜で寝苦しく、早朝には既に30℃近くあったようです。それが日差しの強まりとともにぐんぐん気温も上昇し、(確かめたわけではありませんが)関東各地は35℃に迫ろうかという所が多かったのではないでしょうか。
 長くうっとうしい梅雨が早く明けないかなあと望みながら、いざ明けてみると今度は容赦ない暑さが襲いかかります。こういう季節の変わり目は、えてして体の変調が起こりやすいもの。体調管理には十分留意したいものです。

 話は変わって―。イギリスの作家サー・アーサー・コナン・ドイル(1859年~1930年)は、名探偵シャーロック・ホームズの生みの親(原作者)として有名です。しかし同時にコナン・ドイルは、イギリスにおけるスピリチュアリズムの先駆者の一人としても有名なのです。いな実はそれを広めることこそ彼のライフワークだと考えていて、そのため大評判のシャーロック・ホームズ物語で得た印税のすべてを、その啓蒙のために注ぎ込んだくらいです。
 コナン・ドイルは、死後の世界の最上界を「サマーランド」と名づけました。その世界は常夏のように果実がたわわに実り、緑豊かで、日が輝いて影のない(さりとて暑すぎもしない)世界とイメージしたわけです。あるいはイメージばかりではなく、コナンドイル自身が霊覚者としての一面がありましたから、それは彼自身の霊視によるものだったのかもしれません。

 なるほどと思いますね。これは対極的季節である真冬と比べてみると明らかです。万物が凋落し、すがれて寒々とした世界を天界とは誰も思わないだろうからです。
 しかしコナンドイル以降、スピリチュアリズムの進歩は目覚しく、今日ではここ地球世界に限ってみても、彼の表現した「サマーランド」は実はアストラル界という下から2番目の世界の最上界であって、その上に更に大別して5つもの精妙世界(細分化すれば35階層)が展開されていることが分かってきています。これは何を意味するのでしょうか?私たちの進歩、進化には限りがないということです。本当に「もうこれでオーケー」ということがないのです。無限に続く「学び」です。こちらの世界でも、あちらの世界でも。

 …日に向って歩こうものなら、まるでこの私の体に暑さがフォーカスされてでもいるかのようです。そのような暑さの中街を歩きます。見れば西の遠くの大山の峰の上に、薄黒い雲が横に大きくわだかまっています。何やら雲の峰崩れといった感じです。しかしそれを見ていると、何とはなしに涼感を感じてくるから奇妙です。
 にわかに風が吹いていることに気がつきました。それも、街並みの各店舗の店先の多くの布旗や木々の梢(こずえ)を、なみなみ揺らすほどのけっこう強い風です。これには救われます。本式な炎暑になると、風はベタッと凪いでしまいまるで無風状態、ただただ暑さだけが猛烈に実感されるということになるからです。

 (大場光太郎・記)

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やっと解散総選挙 !?

 政府与党は13日昼、首相官邸で麻生首相らが出席して幹部協議会を開き、衆議院選挙を「8月18日公示、同30日投開票」とする方向で合意しました。そのため7月21日にも衆院を解散する見通しです。

 12日の都議選の自民党の歴史的敗北により、政局は最大の山場を迎え、麻生首相は解散を決断するのか、それとも敗北の責任を取って退陣するのか。そのどちらを選択するのか注目されていました。
 しかし自らが連日のように都議選の応援に駆けつけていながら、「国政と解散は今回の都議選とは関係しない」とうそぶく、常人とはかなり違う神経の持ち主である麻生首相の辞書に「退陣」の文字はないのか、ついに解散に打って出る決断をなさったようです。

 しかしこれは都議選の敗北により一気に高まるであろう「麻生おろし」を封じ込める狙いによるものであり、あまりにも遅い解散の決断だったと思わざるを得ません。そのためある野党の幹部からは、「国民に追い込まれ解散」「野垂れ死に解散」だなどと揶揄的にコメントされていました。
 
 都議選同様大躍進が予想される民主党としては、支持率が低く国民から毛嫌いされている麻生首相の下で総選挙を戦いたいわけです。そのため同13日午後衆院に麻生内閣不信任決議案を、参院に同問責決議案をそれぞれ提出しました。自民党が不信任案を否決させれば、それは即麻生首相への信任の表明となり「麻生おろし」は大義名分を失い、嫌でも麻生首相の下で総選挙を闘わざるを得なくなるからです。

 それにしても、民主党の岡田幹事長が言ったように「なぜ7月21日解散なのか。どうして今直ちに解散出来ないのか」と思ってしまいます。しかし当初は首相自身は直ちに解散することが念頭にあったものの、都議選直後の選挙では自民党が持たないという幹部たちの声、同じく8月末くらいの投票なら何とかオーケーとする公明党への配慮から、先の解散時期を事前に発表するという前例のないことになったようです。

 例えば麻生首相の祖父である、戦後の名宰相・吉田茂には、有名な「バカヤロー解散」がありました。その結果迎えた総選挙で吉田は大敗し、辛うじて少数与党とはなったものの以後吉田の影響力は低下し、後の退陣につながっていくことになりました。
 祖父の吉田茂とは、政治家としての力量に雲泥の差がある麻生太郎の今回の解散は、その例にならって言えば誰かが言ったとおり、「破れかぶれ解散」「自爆テロ解散」とでもなるのでしょうか。
 とにかく投票日までの今後1ヶ月半、麻生自民党がどんな手を使ったとしても、都議選同様の結果となり、第一党の座、政権与党の座から転落するのは必至と思われます。

 一つ気がかりなのは―。麻生さん、本当に7月21日解散してくれるんですよね?それまで1週間、短いようでけっこう長いです。政界は一寸先は闇、何が起きるか分かりません。この間気がついたら、「やっぱり麻生の下では選挙は戦えない」とばかりに、首相の座から引きずり落とされていたなどということはないですよね?

 (大場光太郎・記)

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娘ことごとく売られし村

                            結城 哀草果

  貧しさはきはまりつひに歳(とし)ごろの娘ことごとく売られし村あり

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 結城哀草果(ゆうき・あいそうか) 明治26年山形市生まれ。本名光三郎。黒田家より結城家の養子となる。大正3年「アララギ」に入り、斎藤茂吉に師事。以後、農民生活を歌い、特に昭和10年刊行の『すだま』で東北の凶作を歌い、注目を集める。昭和24年に「山塊」、同30年に「赤光」を創刊、主宰した。歌集『山麓』『群峰』など。随筆集『村里生活記』他数冊。昭和49年没。  (講談社学術文庫『現代の短歌』より)

 山形県出身の歌人・斎藤茂吉は、近代短歌の代表的歌人として広く知られています。しかし茂吉の弟子だった結城哀草果は、活動の中心が地元山形というローカル歌人だったこともあって、よほどの短歌通でなければその名を知らないと思います。
 ちなみに私の出身中学である(山形県)宮内中学校の校歌は、結城哀草果の作詞によるものです。

 略歴にあるとおり今回の短歌は、昭和初期の東北の凶作を歌った歌集『すだま』収録中の一歌です。日本史の教科書に載った「娘売ります」の張り紙を立てた写真の部落が、私の母校があった長井市の一部落だった。このことは、昨年末記事『今は昭和初期と酷似 !?』の中で既に述べました。
 この歌は、解釈の必要がないほど平易な歌ですが、当時の深刻極まりない東北の農村の実情を直視した社会的短歌です。

 歌冒頭の「貧しさきはまり」とは、一体どのような状況だったのでしょう?
 直接の原因は当時東北地方を襲った凶作です。しかしそれと共に、上記記事でもふれました1929年(昭和4年)ニューヨークのウォール街に端を発した、世界恐慌のあおりを受けた「昭和恐慌」の影響も見過ごすことはできません。当時もアメリカ輸出依存だった我が国は、それによって米国への輸出品だった東北産の生糸(きいと)の値段が三分の一にまで落ち込み、また米価も半値以下にまで暴落したからです。
 その結果、当時は(自己所有の田畑を持たない)小作農が多かったわけですが、それによって地主への重い小作料が払えなくなった貧農が東北各村で急増したのです。

 それに、冷害による「昭和大凶作」が追い討ちをかけました。しかも冷害は一度ならず、昭和6年、7年、9年、10年と続けて発生しました。宮沢賢治の有名な詩「雨ニモ負ケズ」の中の、「サムサノナツハオロオロアルキ(寒さの夏はオロオロ歩き)」は昭和6年冷害を叙述したものです。昭和6年と同9年の冷害が特に深刻で、両年の米の収穫高は、例年の半分以下だったといわれています。
 昭和6年の大凶作で、例えば青森県では借金を抱える農家が続出し、やむを得ない口減らしの手段として「芸娼妓(げいしょうぎ)」として売られた少女は、県累計7,083人にも上ったといいます(そのうち一部は町場の娘も)。当時山形県内のある女子児童は、「お母さんとお父さんは毎晩どうして暮らそうかと言っております。私がとこ(寝床)に入るとそのことばかり心配で眠れないのです」と作文で述べたそうです。

 上に見られるとおり、東北の娘たちは東京の遊郭に売られていくケースが圧倒的でした。そもそも「娘売り」は、江戸時代から女衒(ぜげん)の手によって行われていましたが、明治以降戦前まで継続されました。
 特に今回問題となる昭和恐慌、大凶作のダブルパンチで、東北地方から売られてきた娘たちと、遊郭の楼主との生々しい証文(契約書面)も多く残っています。(このような契約は、「公序良俗」を厳しく求める戦後の現民法では無効となる契約です。)
 なぜ「娘売り」で「息子売り」ではなかったのか?これには当時の厳格な家父長制も関係しますが、農家の長男は家の跡継ぎ、二男、三男でも当時は軍隊の下級兵になる道がありました。現に旧日本軍の下級兵で、東北出身の二男、三男の占める割合は多かったのです。社会的地位の低かった女子はそうはいきません。そこで一家の人柱となって、何百円(当時)かで売られていくケースがずいぶん多かったのです。

 こうして東北の娘たちは、主に東京の吉原、州崎などの遊郭に売られていきました。東京に行儀見習いに行くといって上京したはずの妹が、実は吉原に売られていた。兄が上京してたまたま吉原で遊女を買ったところ、出てきたのが実の妹だった。二人は抱き合ってワンワン泣いた、というような話が伝わっています。
 東京だけでなく、遠く京都の遊郭にも東北出身の遊女が多くいたようです。さらには国内のみならず、海を越えて旧満州の遊郭や、果ては南は東南アジア、北はシベリアのウラジオストックの娼館に連れていかれた娘たちもいたようです。

 そうして連れていかれた東北農村の娘たちは、甚だ劣悪な環境の下で途中で病に冒された者も多く、よほどの僥倖でもない限り悲惨な生涯を送ったであろうことは想像に難くありません。
 同じ条件にあった東北の農家の全部が全部ではなかったにしても…。近代日本の赫々(かくかく)たる歩みの中で、光に影が寄り添うように、このような哀しい裏面史があったのだ―哀草果のこの歌は、そのことを歌の行間から告発しているようです。

 (大場光太郎・記)

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俳句を始めた頃(5)

 句作を始めた年が明けた2月頃、毎日俳壇(毎日新聞日曜版俳句コーナー)に投句しました。同俳壇の選者は3名ほどいたと思いますが、好きな選者を指定して投句してよい決まりになっていました。そこで私が選んだのが鷹羽狩行(たかは・しゅぎょう)でした。既に『現代の俳句』収録の鷹羽の代表的な何十かの句を読んでその句風に共鳴出来たこと、そして同じ山形県出身であることに共感を覚えたことなどが主な理由だったと思います。

 投句したのは、
   煮凝り(にこごり)の凝るをかしさ食ひにけり  
という句です。寒さ厳しい雪国では、冬の夜に母が煮魚をこしらえておきますと、次の日の朝になると煮汁が固まってこげ茶色の寒天状になってしまいます。そうして食べた煮魚そのものももちろんですが、煮凝りのトロンとした舌ざわりがまた何とも言えず乙な味だったのです。寝たきりで臥せっている母を介護しながら、そんな郷里でのことをふと思い出して詠んだ句です。 
 それが何と、初投句でいきなり毎日俳壇に掲載されたのです(もちろん私の句ばかりではなく、10数句くらいと共に)。『うわぁ、オレの句と名前が全国紙に載ったんだ ! 』。今となっては別にどうということもありませんが、当時の私はまるで天にも昇る嬉しさでした。嬉しさあまって、その日曜版を5部ほどまとめて買ったことを覚えています。

 味をしめて次も鷹羽選で投句しました。しかしその時は採用されませんでした。初投句でいきなりというのは良し悪しというもので、その後は毎日俳壇への投句をやめてしまいました。
 代わって、私が当時購読していた朝日新聞の朝日俳壇にチャレンジしてみることにしました。しかしこれがなかなかの難関なのです。選者も、稲畑汀子(いなはた・ていこ)、金子兜太(かねこ・とうた)ら4名、いずれも当時超一流の俳人です。後で分かったことながら、同俳壇に掲載されるのはわずか数10句ですが、それに向けて1回あたり約1万句くらいの投句があるというのです。
 投句者の中にはプロを目指している人も大勢いたことと思います。そんな中で駆け出しの私など、とても太刀打ち出来るものではありません。不採用が何回続いてもこりずに10数回投句し続けました。しかし結局ただの一度も採用されることなく、終いには断念しました。

 なお毎日俳壇の選者だった鷹羽狩行は、毎年中秋の名月に行われる伊勢神宮観月会・俳句部門の選者でもありました。テーマは「月」でしたが、私は3、4回毎年こちらにも投句しましたが、その度に採用していただきました。次の句はその中の一句です。
   あをあをと月に読まるる川原かな

 このようにして数年間、1日10句以上をノルマに俳句を作り続けました。そうして句がびっしり書き込まれた手製の俳句手帳も6冊に及びました。
 しかし身心のコンデションが何とか復調し、頭の働きも自分で『まあまあ元に戻ったかな』と思われる段階になると、毎日句を作り続けることが面倒くさくなってきました。そうして気がついた時には、ほとんど句を作らなくなっていました。

 当ブログでしばしば過去の拙句を冒頭に掲載するのは、現在ほとんど句作していないからです。そして今現在にわかに句を作ってみても、「継続は力なり」というもので、集中して句作していたあの頃より句のレベルは明らかに落ちてるなと、自分でもそう思います。  ―  完  ―

 (大場光太郎・記)

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俳句を始めた頃(4)

 そのようにして手製俳句手帳に書き連ねていった1000以上の句の中から、50句、100句くらい何とかものになりそうな句を選んで、今度は別の用紙に書き出してみました。その頃になると単なる能力開発という目的とは別に、『もっと俳句がうまくなりたい』という欲が出てきました。
 そのため歳時記を揃え読み出したり、有名俳人の俳句入門書を読んだり、『名句観賞』の俳人略歴で度々引用しております講談社学術文庫中の『現代の俳句』(平井照敏編)を少しずつ読み込んだりしました。また『角川俳句』『俳句朝日』『俳句研究』という月刊の俳句雑誌を毎号欠かさず講読するようになりました。

 何事もそうでしょうが、俳句の場合も上達の最も良い方法はとにかく先人の優れた作品に数多く接し味わうことに尽きるようです。その意味で『現代の俳句』を繰り返し読みこんだことは、私の句作のレベルを上げる上で大いに効果的だったと思います。
 実はもう一つ優れた方法があります。それは自分と波長の合った先輩俳人を見出し、その同人結社に加わることです。そしてそこで催される句会などに積極的に参加して、そこから大いに刺激を受けること。句会は俳聖・松尾芭蕉以来の伝統でもあるわけで、本当はこれこそが俳句上達の王道であるのかもしれません。

 しかしすっかり出不精になり、元々あまり社交的でない私は、これには当初から抵抗がありました。句会の席で自分の作った句を周りの人から批評、指摘される。逆に私がそういう立場になることもある。『ウーン、どうもなあ』という感じがしたのです。
 それにもう一つ、特定の俳句結社に所属してしまうことは、その結社のカラーに染められ縛られてしまい、それを越えるような発想が出来にくくなる可能性もあるのではないだろうか?とも思われたのです。

 それに、この年になって何も「プロの俳人」を目指すわけでもないのだし。結局早い段階で、同人結社に所属しないことにしようと決めました。
 ただ同人結社の利点はもう一つ。自分の作った句が大勢の批評眼にさらされることによって、独りよがり、自己満足になりがちな傾向から逃れられるということがあると思います。自分の作った句はどうしても評価が甘くなりますから。そこで極力そうならないよう、自作を厳しくチェックする「もう一人の自分」を常に置いておかなければならないなとも思いました。

 「プロ俳人を目指すわけではない」と言いながら、次の段階として『自分の作った句を出来るだけ多くの人に読んでもらいたい』という欲求が芽生えました。ともかくもそういう欲求が芽生えたということは、その頃には当初の軽いウツ傾向は脱しつつあったといっていいのかもしれません。

 各俳句雑誌では、定期的に「俳句賞」「俳句新人賞」などへの応募を呼びかけていました。例えば「角川俳句賞」「俳句朝日賞」「俳句研究新人賞」といったものです。30句または50句をまとめて、それに自分で決めたタイトルをつけて応募するというような形式です。その中でも角川俳句賞は俳句界では権威ある賞ですから、もし受賞でもすれば一気にプロ俳人への道が開かれるわけです。また俳句研究新人賞も、プロ俳人としての登竜門になるような賞です。

 無謀にも私は、句作を始めて何ヶ月かした段階でこれらに次々に応募するようになったのでした。応募して何ヶ月かすると、各誌に受賞した作品、次点何作品かが発表され、それに選考委員の講評が出されます。
 結果は言わずと知れたもので、毎回まるでかすりもしませんでした。しかしせっせと応募した効用は確かにありました。私自身が応募した賞ですから、まず受賞作、次点作を丹念に読むわけです。そして『なるほど違うなあ』と彼我の力量の差が、そこで測れるわけなのです。そして選考委員の講評をじっくり読んだことで、自分の句作の力を高める上でずいぶんヒントが得られたように思います。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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七夕だより

   雲切れて七夕富士の全容(すがた)かな   (拙句)

 7月7日七夕のきょうは、久しぶりの梅雨晴れ間の一日となりました。それでも午前9時過ぎいったん曇りだし、どっちに転ぶか分からないような空模様となったものの、昼が近づくにつれて日差しが優勢となり、後は気温もぐんぐん上昇し、夏そのものの一日となりました。そういえば本日は、七夕であるとともに、二十四節気の「小暑」でもあります。
 ただ空全体を、梅雨雲ではないものの薄白色の雲が覆っており、『これじゃあ、彦星も織姫星も見られないな』と、日中から何となく予想されました。

 昼過ぎお隣の平塚市に向かい、同市内の不動産会社を訪問しました。
 その話のついでに、「いい天気で(平塚の)七夕、きょうはさぞ賑わっているでしょうね?」と私。すると同社社長は「何言ってんですか。七夕は日曜日で終わっちゃいましたよ」。「えっ。そうだったんですか。ずいぶん早かったんですねぇ」
 新暦7月7日の七夕の日を待たずに、その2日前に七夕まつりが終わってしまうとは。いくら何でもちと早過ぎませんか?平塚市さん。しかし実際そのとおりらしく、同社長いわく、平塚市紅屋町(べにやちょう)の大通りを華々しく飾った七夕飾りは、旧暦(新暦8月)で催される仙台の七夕まつりにずいぶん流用されるのだとのこと。
 「こっちが本場なのに、いつの間にかあっち(仙台)の方が有名になっちまって」と社長。『んっ、ホントに?』。その言葉は出さずに飲み込みました。

 気になって後で調べてみました。平塚七夕、去年までは7月7日と土日をはさんだ数日間行われていたものの、今年からは7月第一木曜日からの4日間(つまり次週日曜日-今年は7月5日まで)に変更されたもようです。なお平塚市が7月開催にしている由来は、平塚七夕が始まった戦後間もなくの頃は新暦による開催地がなく注目度が集まることや、飾り物が旧暦の開催地に対して譲渡出来る(やっばり ! )利点があるなどの理由によるもののようです。
 平塚市は第二次世界大戦中、海軍火薬廠があったため米軍の攻撃目標とされ、1945年(昭和20年)7月の「平塚空襲」で焼け野原となりました。終戦後の1950年(昭和25年)7月に復興まつりが開催され、翌年平塚商工会議所、平塚商店街連合会が中心となり、仙台七夕まつりを模範とした第1回「平塚七夕まつり」が行われた。云々。
 社長の話の中の、仙台七夕への譲渡は正解。しかし「平塚の方が本場」というのは誤りだったわけです。

 ついでに「仙台七夕まつり」の由来も少々―。
 始まりは、江戸時代初期の仙台藩祖・伊達政宗公の肝入りでとも言われますが、詳細は不明のようです。ただ1783年(天明3年)の有名な「天明の大飢饉」による荒廃した世俗の世直しを目的として藩内で盛大に七夕祭りが行われ、以来江戸末期まで続いたようです。その後明治新政府による新暦採用により、七夕の風習は廃れる一方でした。
 1927年(昭和2年)この事態を憂えた地元商店街の有志らによって大規模な七夕飾りが飾られました。すると大勢の見物客で大賑わいだったそうです。これが仙台七夕まつりの原点と言えるもののようです。
 ただ第二次世界大戦の戦局悪化により縮小の方向に行かざるを得ず、それに仙台も平塚と同じように空襲で焼け野原となりました。戦後の1946年(昭和21年)52本の竹飾りをし、復活の兆しが見えました。翌47年(昭和22年)昭和天皇の巡幸の際には、沿道に5000本もの竹飾りで天皇をお出迎えし、これが完全復活になったようです。その後高度経済成長期には、東北三大祭りの一つに数えられ、日本全国から団体客が大勢押しかけ、日本有数の七夕まつりとなって今日に至っています。

 …午後3時前帰路につきました。ルートは金目川(かなめがわ)という秦野市方面を上流として、相模湾に注ぐ中河川沿いの道を秦野市方向に向いました。そのまま川沿いにずっと進めば、以前ご紹介した東海大学湘南キャンパスの校門が道の右手に見えます。その何キロか手前を右折して、小田原厚木道路の側道に入るのです。
 この道を走っていますと、ちょうど真正面に大山が見えています。厚木市から望む大山は、その右手に一連なりのように少し低く丹沢連峰が並んで見えます。しかしこちらから望む大山は、丹沢連峰がその陰に隠れている按配で、大山の秀峰だけが強調されている感じです。この道は以前からずいぶん通ったはずなのに、今まで気がつきませんでした。
 新しい発見ですが、この方向からの大山も実に秀麗です。本日上空に少しグレーの雲で覆われているものの、深緑(ふかみどり)色した大山はその全容を余すところなく現しています。ただし、厚木市で見られるよりは幾分遠い感じなのが難点です。

 と、そのずいぶん左手の方向に、大山以上に美麗な富士山の姿が見えているではありませんか。麓から中腹にかけて幾分白い雲に包まれているものの、その濃紺の気高い全貌がくっきりと望まれます。山頂から縦に幾筋かの残雪の富士が、また素晴らしいのです。
 確か7月1日に「富士のお山開き」があったはず。こんなに隔たっていては確かめようがないものの、この時分にも山頂目指して登っている人もずいぶん多いことでしょう。

 小田原厚木道路沿いは何度も述べましたとおり、まだまだ豊かな田園が広く残っています。水田の青苗も、畑の里芋の大ぶりな葉群も、玉蜀黍(とうもろこし)葉群も。輝く陽光のもと、一帯がすっかり夏野になっておりました。

 夜何度か外に出て夜空を見上げました。夜が更けるとともに、雲は切れ出しました。ですから幾つか強い光を放つ星は認められるものの、彦星、織女星の今夜の主役星は探し出せませんでした。ましてや天の川の所在などからきしダメで…。やはり夜光都市での星探しは無理のようです。
 加えて今夜は旧暦6月15夜の満月です。雲を払って、夏満月が煌々と光を放っていることも多分に影響しているのかもしれません。
 空地の方々から、(既に6月下旬頃からですが)早や虫の声が聞こえています。ただ秋虫よりは、まだか細い鳴き音(なきね)です。やや強い風が吹き渡っています。日中の暑さにさらされた身を元から冷ましてくれそうな心地よい夜風です。
 そういえば、金目川沿い道で信号待ちしている時気がついたのですが、川の葦原の上を何と気が早いことに赤とんぼがけっこうな数、すいすい飛んでおりました。 
 
 (大場光太郎・記)

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俳句を始めた頃(3)

 俳句を作ろうと思い立った当初、私の俳句心得は、俳句とは五・七・五の十七音で季語を一つ入れて作るものという、初心者の域を出ないものでした(でも後々分かったことには、この基本こそがいつの場合も句作で最も大切なのです)。当初は、入門書や歳時記や有名俳人の名句集など何一つ用意せず、ぶっつけ本番で『とにかく俳句を作ってみよう』という甚だ無謀なものでした。

 しかしいざ句作に取り組んでみると。子供の頃からどちらかというと、知的関心があっちこっちと分散、拡散しやすい散文タイプの私にとって、予め「十七音」に制約されている俳句という詩形を作るということは予想外に難しいことでした。例えば「すすき」という秋の風物を目の当たりにすると、その周辺の事物の連想が広がり『あれも、これも句の中に盛り込みたい』となってしまって収拾がつかなくなり、一句として凝縮、収斂させていくのが困難だったのです。
 それに(当時)50歳という年齢も意識され、いくら初心者でも子供じみた稚拙な句は作れない、というような変な気負いのようなものもあったと思います。

 こうして、一句目がなかなか作れずに何日も過ぎてしまいました。しかしある時、俳句を作るのは人様に読んでもらうためではない、あくまで自分の能力開発の一環なんだと思い直し、目先の事物をとにかく一句にまとめてみようと思い立ちました。そしてまた「すすき」を一句だけでまとめようとするからかえってまとまらないのであって、関連した句を幾つ作ってもいいじゃないかと考えることにしました。
 これ自体は、アィデア創出法の一つである「ブレーンストーミング法」にならったやり方だったかもしれません。通常は会議などで、良し悪しを一切判断せず参加者に自由気ままにアィディアを出させる手法ですが、私は句作に当たって「一人ブレーンストーミング法」を試みたことになります。

 そのためには、字余りでも季語がない句(無季句)でもなんでも構わない。散文、雑文でも構わないから、思いつくままどんどん作ってみよう、ということになったのです。そうして思いついた「俳句もどき」を、用意した一冊の小さなノートに次々に筆記していきました。後で気がついたことですが、自前のにわか俳句手帳だったわけです。
 すると大いに気が楽になって、「十七文字」がポツリ、ポツリと出てくるようになりました。大変お恥ずかしい話しながら、時には変なエロの句も飛び出してきました。それらを委細構わず、小ノートにどんどん書きとめていったのです。業務上車で少し遠い所に移動している時など、移り行く風景を眺めているうち途中から調子が乗ってきて、その日1日で100以上の句が出来た時もありました。

 こうして気がついた時には、小ノートは4、5ヶ月で「俳句もどき」でほぼびっしり埋め尽くされていました。数えてみますと、ゆうに1000句以上。当初のそのプロセスは、長年私の心の奥深くで重く澱んでいたものが、これをキッカケに表面に浮上させられた具合でした。そのため作ったものの大半は、自分自身で後で読み返しても恥ずかしいようなもので、とても公に出来るようなシロモノではありませんでした。
 しかしそれが呼び水となったのか、途中から10数句に1句くらい(あくまで初心者の判断ながら)『んっ。これはいけそうだぞ ! 』という上澄みのような句が、ポツリポツリと混じり出したのです。例えば上に例に出しましたすすきの句として当時出来たのは、以下のようなものです。
   薄穂(すすきほ)のそこだけさはなる夕の風   (拙句)
 なお「さは(さわ)なる」は、「多なる」の古語、雅語として用いたものです。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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裕次郎二十三回忌

 テレビなどで既にご存知かと思いますが。石原裕次郎の二十三回忌法要イベントが5日、東京・国立競技場で盛大に行われました。
 会場となった競技場内には、聖火台の下に立つ総持寺をモチーフにした壮麗な“裕次郎寺”が築かれ、その前には11万人以上のファンが列をなし、昭和の大スターを偲んだそうです。雨男の裕次郎の法要イベントとしては初めて雨が降らず、時折り日差しも差し込む空模様の中、石原軍団を率いる渡哲也(67)の音頭で「裕ちゃん」コールが唱和され、会場に大きくこだましたそうです。 (ネット版『中日スポーツ』より)

 なぜ総持寺なのか?さして裕次郎通でない私は初めて知りましたが、総持寺に裕次郎が眠っているからなのだそうです。そして会場内の度肝を抜くような“裕次郎寺”は、総持寺の太祖堂を模したものなのだとか。同寺からはこの法要イベントに、総勢120人もの僧侶が参加したとのことで、これまたびっくりです。
 
 ご存知の方も多いかと思いますが、横浜市・総持寺は福井県・永平寺と並ぶ曹洞宗の二大本山の一つです。個人的な話で恐縮ながら、当家も曹洞宗の最末席檀家の一家です。ですから母逝去の折りは、郷里に帰って当家が所属する曹洞宗寺院にて、親族だけでひっそりとした葬儀を執り行ないました。
 私は数年前のそのことが想い起こされ、彼我の違いをまざまざと感じながら、テレビで繰り広げられている盛大な裕次郎忌のニュースを眺めていました。
 
 曹洞宗の宗祖・道元の生涯を描いた映画『禅-Zen』が、今春公開されました。一末席檀家として是非観てみたいと思いつつ、つい観そびれてしまいましたが…。途方もなく高い仏法の境地を求め俗塵に対して峻厳だった孤高な道元禅師と、遙か後代の度肝を抜くような裕次郎法要イベントと。
 この落差は一体何なのだろうと、正直思いますね。泉下の裕次郎さんも、これで本当にお喜びなのかな?もしお喜びなら、裕次郎大居士院のあちらでのご境地まだまだなのでは?とも。

 私のような団塊の世代の者にとって、石原裕次郎は私らより一世代前のスーパーヒーローという感じなのです。今ひとつ私自身のヒーローという実感が湧きません。その分同法要に直接感情移入出来ずに、少し離れて冷ややかに見てしまうのかもしれません。
 第一私らが青年だった昭和40年代以降、時代は「英雄」つまり「ヒーロー」を必要としない社会に変貌していきました。その意味で昭和45年の三島由紀夫の死は、極めて象徴的だったと思われます。

 「英雄が必要とされない社会」。これに対する是非論はさまざまにあることでしょう。しかし私個人としては、結果的にこれで良かったんだと思います。
 もう外なる英雄、ヒーローを追い求め、担ぎ上げる時代ではないのですよね。裏を返せば日常の一つ一つの身近な場面で、「私が」「オレが」ヒーローであり、ヒロインだということなのだろうと思います。すべては自己責任。もう外なるヒーローに頼り、すがれる時代ではないということです。そして事実、外なるいかなる権威にも頼れません。答えはすべて、自分自身の内側にあるそうですから。

 (大場光太郎・記)

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俳句を始めた頃(2)

 何日かクルミ回しを続けた結果は効果てきめんでした。それまでクモの巣が張られているようで何となくもやもやしていた頭の中が、少しずつ晴れていく感じがしました。それと共に失いつつあったやる気も、徐々に取り戻しつつあることが実感されました。

 手はよく「第二の脳」「脳の出先機関」などと表現されることがあります。実際最新の脳科学によりますと、手のひら全体また手の各指は脳の特定の部位と密接に関連し合っていると言われています。よってクルミ回しという一見何の変哲もない運動は、実は脳全体に直接的、間接的に大きな刺激を与えていることになるのです。ちなみに、左手は右脳へ、右手は左脳への刺激となります。
 とにかくこのシンプルな手の運動を、気がついた時特に夜寝る前や車で遠出した運転時など、1日15~30分ほど毎日続けるのを習慣にしました。我が錆びついた頭の機能が、少しずつ回復していくのが実感されました。特にやり始めの頃、普段なら夢はほとんど覚えていないのに、明け方しばしば鮮明な夢を見るようになりました。

 こうして頭と心が少しずつ元気回復して半年ほど経ったその年の秋頃、次に始めたのが「俳句」でした。クルミ回しが我が脳トレの基礎編なら、俳句はその応用編、実践編というべきものだったでしょうか。
 当時も今も、高度な脳トレあるいはボディワークは数多く存在します。しかしいかに高い成果が見込まれるとしても、長続き出来なければあまり意味はありません。その点何事も飽きっぽく三日坊主的傾向のある私には、この2つのワークはまさにうってつけだったようです。毎日欠かさずとはいかないまでも、今日に到るまで継続出来ているからです。

 何で俳句をと思いついたのか、今となっては仔細に覚えていません。しかし思い当たるのは、30代半ば頃(昭和60年頃)脳科学者・品川嘉也の著した『俳句は右脳から飛び出す』といういっぷう変わった俳句入門書を読んで、いたく感じ入ったことです。多分その時その本を思い出し、『イメージ脳である右脳を鍛えなければ。それには俳句が一番いいのでは?』と思ったのだろうと思います。

 俳句は中学2年の国語の授業で、(当ブログ『名句観賞』でも取り上げた)高浜虚子の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」「流れ行く大根の葉の早さかな」などの句を教わり、社会人になってから河出書房版・日本文学全集中の『現代詩歌集』の、子規、虚子、飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男といった有名俳人の句をぱらぱらと拾い読みしたくらいでした。
 いや中学時代詩作を始めた頃、実は句作を試みたことがありました。しかし頭をひねりにひねってようやく出来たのは、
    世の波に忘れられゆくすすきかな  (拙句-中学3年)
という一句だけという、大変お寒い状況でした。以来俳句を作るのは大変難しいというのが、私の固定観念となっていたのでした。

 その後30数年も経ってから、改めて俳句に取り組もうというのです。しかしその後人間社会の大波にもまれて、さまざまな人生経験を積んできた大人なのだから、今度は俳句を作るのは簡単だろうと思ったらさにあらず。いざ句作を試みても、やはり難しくてなかなか一句として形になってくれないのです。
 10年前俳句について知っていたことと言えば、原則として一句は五・七・五の十七音であること、そして一句の中に「季語」を一つ入れるということだけでした。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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俳句を始めた頃(1)

 『梅雨の名句(3)』で鷹羽狩行について述べながら、私が俳句を始めた頃のことを思い出していました。今回はその頃のことを述べてみたいと思います。

 私が拙い俳句を始めたのは、今から10年ほど前のことです。
 その頃は現業務を開業して2、3年ほど、また自宅で母を介護して1、2年ほどでした。その頃は思うように業務が確保出来ず、その上連日の母の介護による疲れ、両方から知らず知らずのうちに身心にストレスがかかっていた時期でした。
 今考えれば、当時は軽いうつ病にかかっていたのではないかと思われます。何となく諸事やる気が湧かなかったのです。また例えば深夜母のその日の介護を終えて、座イスを適当に倒しながら身を横たえ見るともなしにテレビを見ていますと、『死にたい』という想いが意識の表面に上ってくるのです。次の瞬間『そんなことを考えてはダメだ』と打ち消せるほど軽症なものながら、その想いは毎晩のように続きました。

 また同時期、若年ボケのような症状も自覚されました。とにかく我ながら呆れるほど、物忘れやとんでもないポカが多かったのです。お客や横浜の県庁窓口に行ったのに、肝心な書類などを忘れてお話にならず、出直しというようなことがけっこうありました。
 『これは放置していたらとんでもないことになるぞ』。早めに何とかしなければと焦りました。何かリハビリの必要性を痛感したのです。しかし当初は何をどうすればよいのか、皆目見当がつきません。しかし先ず思ったのは、『頭の働きを元どおりにしなければ…』ということでした。
 人間の「力」というものを「知力」「体力」に大別した場合、私は若い頃から体力の方はからきし自信がありませんでした。そのため(元々有るか無きか分からないながら)ともかく知力だけが私のすがるべき力なのでした。なのに『肝心の頭がダメになってしまったら…』、それこそ私という人間の一巻の終わりだと思いました。

 そこでボケ症状を直し、知力を取り戻すにはどうすれば良いのか?その方法は意外なところで見つかりました。多分ビデオだったと思いますが、以前評判になった映画『梟の城』(司馬遼太郎原作)を観ていた時でした。その中で戦国武将の前田利家が、居城にいて家臣の者に何事か指示する、というようなシーンがありました。見ればその時利家の手のひらには3個のクルミの実があり、それをくるくる回していたのです。
 途端に『これだ ! 』と思いました。そこでクルミの実をどこからか探し出すことが、当面の懸案事項ということになりました。

 とは言っても、それはそう簡単には見つけられないだろうと思っていました。しかし必要を強く感じているものはどこからか手に入るもののようです。
 時は3月上旬早春の頃のことでした。中津川堤防道のことは、当ブログでしばしば述べてきました。ある午後、いつもの地点より下流(大堰より数百メートル下流)の堤防道端に車を停めて、そこから川に降りて行ったのです。その辺では川の本流は向こう岸側にあり、こちら側はわずか1m弱のちよろちょろとした流れがあるばかり。早春の午後の日を浴びて輝いている細い流れをまたいで、広い中州に入って行きました。
 というのも、そこの州に胡桃の木が3本ほど植えられているのを知っていたからです。その季節葉はすっかり落ちた裸木になっていました。ひょっとしてその木の下に実が落ちていないだろうか?と淡い期待を抱いて木の根元に向ったのです。

 すると、そこら一面に実がどっさり落ちていたのです。思わぬ展開に小躍りしながら、『どうせ今もって誰も拾っていないんだから…』とばかりに、私は一心にクルミの実を拾いました。既に皮は無く黒くて固い殻むき出しの実を、コートとズボンのポケットいっぱいに、詰めるだけ詰め込みました。(なお3本ほどの川中の胡桃の木は、現在では伐採されてもうありません。)
 そして家に持ち帰って、早速その日から掌でのクルミ回しトレーニングを開始しました。当初は回しているうちに、殻表面の黒っぽいのが手に付着したりしましたが、構わず回しているうちに徐々にピカピカ光るほどツヤが出てきました。と共に天辺の角もとれて、より滑らかに回せるようになりました。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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梅雨だより(4)

   キキと鳴き嬉々(きき)と飛びたり雨つばめ   (拙句)

 ここ何日か雨が降ったり曇ったりの梅雨らしい日が続いています。むしむししてうっとうしい感じはあるものの、真夏の暑さではない分しのぎやすいというものです。雪国生まれで猛暑に弱い私にとっては大助かりです。それでも今月中旬過ぎにはほぼ間違いなく梅雨は明け、以後9月初旬頃まで連日の暑さが続くと予想されるわけで…。今から夏バテしないよう、しっかりと心構えをしていきたいと思っています。

 近所のとある家の垣にバラが広がっています。5月中旬頃そこには真紅の美しいバラの花が幾つも咲き誇っていました。その後6月に入って気がついた頃には、そこのバラの花は消えていました。
 それが本日たった2輪だけですが、また見事な花を咲かせていました。緑の葉群の中、真っ赤なバラですから、遠目にもすぐに分かるのです。同じ夏の間ながら、これも戻り花というべきなのでしょうか。
                         *
 マイケル・ジャクソン(50)が急死して、早や一週間ほどが経過しました。マイケルは生前から私生活をあまり覗かせず、ミステリアスな部分の多い人物でした。いな謎が多いゆえに、スーパースターだったのかもしれません。今の日本の芸能界のようにすぐに私生活がフォーカス・フラィデーされてしまう状況では、スーパースターは育ちにくいのかもしれません。何の神秘性もミステリアスもなくなってしまうからです。
 マイケルの死因をめぐってはさまざまな揣摩(しま)憶測を呼びました。莫大な彼の遺産の行方も気になるところです。
 私は急死後何度か記事にしようと試みました。しかしマイケルという存在が大きすぎることと、あまりよく知らないこともあいまって、一文としてまとめるのは大変です。今後もしうまくまとまりましたら、公開したいと考えております。

 我が国の政界模様もこの梅雨空と同じくどんより澱んだ状況が続いています。これを一気に晴らすには解散総選挙しか方途はないはずですが、依然ずるずると先延ばしの方向です。
 今回の東国原英夫宮崎県知事入閣問題にしても、結局小粒だった内閣改造人事にしても、麻生内閣、自公政権の小手先だけの延命策ばかり。もういい加減にしてよ ! というところですが、今日のこのような閉塞的状況を招いた責任は、そもそも私たち国民にもあります。
 考えてみれば、自公政権は現在絶対多数の議席数を占めているわけです。そう簡単に解散などするはずがありません。選挙をすれば減りこそすれ、まず増は見込めないわけですから。だったら任期いっぱいまで引き延ばそうじゃないの、となるのが人情というものです。

 これは小選挙区制度の怖さでもあります。やはり私たち国民は、不用意に一つの政党に絶対安定多数を与えてはダメだということだろうと思います。今回のように解散は任期満了までずるずる引き延ばされるは、その間国民の審判を仰ぐことなく何人も総理大臣が変えられるは、数の力を頼りに2/3の衆院再議決を乱発して慎重審議なしの法案が可決されるは…。
 かえって国政の停滞、閉塞を招くばかりで、国民にとっていいことはあまりありません。まるで「一億総霊がかり」のようだった、先の郵政選挙から私たちはどれほどの教訓を得ただろうか?なりふり構わぬ自民党による東国原擁立問題、それをほぼ無批判で垂れ流し報道する大マスコミ…。少なくとも「権力側」は何も変わってはいません。後は私たち国民がそれらに影響されることなく、どれほど冷静な国政判断が出来るかどうかにかかっていると思われます。
                         *
 早朝はざあざあ降りだったものの、少しして雨は上がりその後は終日曇りでした。
 夕方市街地を離れて愛川町方面に車を走らせました。車道の右片側(そのずっと先は中津川)には、何十枚も見渡す限りの田んぼが広がっています。たまに農家がポツンと点在し、道際に消防署分署があるくらいなもの。そちら側は市街化調整区域で開発から免れているのです。
 昔なら日本全国どこででも見られた田園風景は、今はこのようにごく限られた場所でしか見かけられなくなりました。でも青々と伸び広がる苗のさまが目に心地良く、チラッチラッとそちらの方に顔を向けながら運転していました。

 途中つばめが私の向うすぐ前を低く滑空しています。以前にも書きましたが、つばめたちはこういう曇り日が本当に大好きみたいです。田んぼといわず道路といわず、嬉しさが伝わってくるようにすいすい飛び交っています。『おい。ぶつかるぞ』と冷や冷やしながらも、そこはつばめたちも慣れたもの。際どいところで、すいとばかりに優雅に逸れていきます。
 暑くなって涼しいお国に行くまで、梅雨の間はまだ当地で滑空を楽しみたいようです。

 (大場光太郎・記)

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ご報告致します(7)

 諸事、雑事に追われてつい忘れておりましたが、おかげ様で23日(火)当ブログ開設以来の総訪問者数が15,000人を越えておりました。遅ればせながら、ここにご報告申し上げます。訪問者等の概略は以下のとおりです。

(1)開設~‘09年6月23日(延べ日数-421日)
    訪問者合計       15,046 人
    日 平 均          35.7 人
(2)1万人達成時点(4月14日)~6月23日(延べ日数-70日)
    訪問者合計        5,007 人
    日 平 均          71.5 人
(3)訪問者5,000人当たり対比
    前回  100日で到達  (1月5日~4月14日)
    今回   70日で到達  (4月14日~6月23日)
    今回/前回比        0.70
(4)直前1ヵ月間(5月25日~6月23日)
    訪問者合計        2,287 人
    日 平 均           76.2 人
 
 実際のところ前回の1万人到達が、私の中で一つの大きな区切りであったようです。と申しますのも、以来訪問者累計がさほど気にならなくなったからです。ですから今回は何日も見過ごしてしまい、気がついたら15,000人(中には開設以来毎日のようにご訪問たまわり、お一人で300回以上ご訪問されている方もおられます)に達していたというような具合です。
 ともあれ私如き者のブログに、これほど大勢の方々のアクセスをたまわりましたこと、心より感謝申し上げます。大変ありがとうございました。

 最近は、毎日のようにご訪問される方が10人前後おられます。その方々は毎日の記事更新を楽しみにしておられることと存じますが、ここ何ヶ月かは記事更新無しの日がけっこうあり心苦しく思います。しかしこれは私の諸事、雑事により止むを得ないこととご理解たまわりたいと存じます。

 記事数も既に450を越え、さすがに「書き慣れ感」はあります。しかしだからといって、以前よりさらに皆様の心を打つような優れた文章が書けているのだろうか?と己が胸に問いただしてみますに、必ずしもそうではなく、最近はむしろ安直な文章になっているようにも思います。
 何ごともそうだと思いますが、「初心忘るべからず」という先人の言葉はまこと至言です。皆様のお心に響く文とは、きらりと光る文とは、人様を惹きつける文とは、人様のつかの間の癒しとなるような文とは…?。先ずもって私自身の心のリフレッシュを常に心がけ、日々新生のつもりで日常の出来事に新鮮な気持ちで向き合い、その中から得られたキラッと光るものを逃さず掴んで文章化、記事化していければと思います。
 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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梅雨だより(3)

   青梅雨の哲学の道逍遥す   (拙句)

 ここ何日か晴れて暑い日が続きました。それは梅雨のさなかの気まぐれの晴れ間というようなものではなく、まるで梅雨がすっかり明けきって盛夏になってしまった感じでした。
 しかし本日当地は朝から雨となり、久しぶりに梅雨本来の姿を取り戻しました。この雨こそは、何日も続いた晴天により、プチ日照り状態で雨を欲していた青苗やきゅうり、トマトなどの農作物や草や木々にとって、かっこうの慈雨、喜雨となったかもしれません。

 午後外出し、いつもの水路道を通りました。道沿いの木々も草花も息を吹き返したように青々とした生気ある緑になっていました。
 ただその中で一群の赤紫の紫陽花は花の盛りを過ぎて、既に腐(く)たれ気味。せめて本当に梅雨が明けるだろう7月中旬頃までは咲いていてよ、と思わないでもありません。梅雨といえば紫陽花、紫陽花といえば梅雨なのですから。

 当地近郊の田んぼの早苗は、丈を既に20cmくらいまで伸ばしています。神奈川県央の当地では、街を離れると青田が遠くまで連なっている田園風景にも出会います。そんな青田のさまを眺めると何となく心が落ち着いてきます。
 雨に打たれる時はしっかり打たれて、やがて来る炎暑に身をこがされながら、ずしりと重い稲穂になっていくのでしょう。

 冒頭の句は、ある人のブログで画像と文章で「哲学の道」が紹介されており、それに触発されてにわかに詠んだものです。
 「哲学の道」は京都市左京区にある小道です。その昔『善の研究』という名著などで名高い哲学者・西田幾多郎が、この道を散策しながら思索にふけったことからいつしか「思索の小径」と呼ばれました。その後西田の愛弟子だった田辺元や三木清なども好んでこの道を散策するようになり「哲学の道」と名づけられ今日に到っています。
 「日本の道100」にも選ばれている散歩道です。古都京都に憧憬の思いはあっても、私自身はまだ京都の由緒あるスポットを見て回ったことがありません。『いつかは…』と思いつつも、さていつのことやら。そこで往時の京都学派の優れた業績に思いを馳せながら、せめてイメージの中だけでもその道を歩いているつもりになって作ってみました。春は桜、秋は紅葉が見事なら、きょうのような梅雨の風情もまた格別なのではと…。

 …夕方雨は上がりました。この季節は雨雲が垂れ込めた夜7時過ぎでも、外はほんのり明るさをとどめた薄暮の感じです。帰路のため少しの間バス停で待っていますと、思いのほか強い風が街路に吹きつのっています。2、300m先の本厚木駅に続く街路の木々が身もだえのように白っぽい葉裏を見せています。
 住居への道を北に向って歩いていますと、風はいよいよ強い向かい風に思われました。なるほどよく確かめてみますと、この季節にはそぐわない北風なのです。そのせいか風をまともに受けながら進む身には、涼しさをとおり越して幾分肌寒さすら感じられるほどでした。

 (大場光太郎・記) 

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UFO記念日(2)

 我が国では昭和20年代後半既に、「世界人類が平和でありますように」の提唱者・五井昌久先生が、宇宙人の実在を説いていました。奈良時代のアセンデット・マスター「役(えん)の行者」を過去世に持つと思われる、金星の長老からのメッセージをことあるごとに伝えていたのです。
 弟子の一人・村田正雄氏には、『空飛ぶ円盤と超科学』という驚くべき本があります。それによりますと氏は、幽体(ゆうたい)で円盤に乗せられ金星に連れて行かれたそうです。その間の金星人との対話、金星の超科学基地の見学、円盤の詳細な断面図などが掲げてあるのです。(注 金星は地球の姉星にあたり、今後地球が目指すことになる「アセンション」を星全体で既に果しています。三次元に囚われると理解出来ない話しながら…。)
 当時の理解者からは、「先生の宗教のお話はとっても素晴らしい。しかし空飛ぶ円盤や宇宙人のお話だけはいただけない」と言われたそうです。しかし先覚者・五井先生は「私は実際(むこうの)話を聞いて、(こちらも)話をしているんだから」と、宇宙人の実在を取り下げることは決してありませんでした。

 また作家の三島由紀夫も、空飛ぶ円盤や宇宙人にはことの他関心があったようです。三島は昭和30年代半ば過ぎ頃、それをテーマにした『美しい星』という小説を書いています。文明批評的なものも含まれた、なかなかの秀作です。
 さらに三島は生前の昭和40年代前半、当時気鋭の前衛芸術家だった横尾忠則の才能を高く買っていました。その横尾はご存知のとおり、40年代後半から50年代にかけて、UFOが登場するサイケな絵をずいぶん描いています。そして昭和60年代前後のある時、幽体離脱(アストラルトリップ)状態でUFO母船内に招待され、そこで三島と逢ったそうです。三島の立ち居振る舞いの見事さとかっこうよさは、母船内宇宙人の賞賛の的だったとか。
 そこで横尾は三島から、人類の未来の一端を知らされ、また横尾は三島の魂の弟だと告げられたそうです。(これは、当時住んでいた我が家の郵便ポストにたまたま入れられていた、新宗教「世界救世教」機関紙の横尾氏インタビュー記事によるものです。)

 世間一般の話題としては、昭和50年代前半ピンクレディによる『UFO』が大ヒットしました。2人の独特のコスチュームは今思い返しても大変印象的で、当時10代以下の子供たちは競って「ユーフォー ! 」という歌と振り付けを真似していました。
 また世界的には、スティーブン・スピルバーグ監督による1978年の『未知との遭遇』、1982年の『E.T』の世界的ヒットがあげられます。
 これらの大衆芸術的な分野でこれらのテーマが取り上げられたことは、UFOや地球外知的生命体の存在可能性に対して、人類が潜在的に受容していく上で測り知れない影響力を及ぼしたものと思われます。

 しかし問題は常に世界レベル、国家レベルでの統治機構に行き着きます。ここでは詳述出来ませんが、各国政府特にNASA(米国航空宇宙局)を擁するアメリカ政府の姿勢が大問題なのです。UFOやE.Tに関して、相当な重大情報を隠していると見て間違いないものと思われます。自分たちが永続的に、国民や人類をコントロールするためには「不都合な真実」は隠蔽し続けなければいけないのです。
 だがいつまでも隠し続けることは出来ないでしょう。種々の理由により、それは不可能です。

 以上「UFO記念日」ということで、それをテーマとするものを駆け足で述べてまいりました。広島原爆投下以降なぜ急激にUFOの目撃例が増え出したのか、一体何の目的があって現在地球上空にUFOの大群が集結しているのか、UFOはどうやって光速の壁を超えられるのか、といったことにつきましては、いずれ機会があればさらに詳しくご紹介してみたいと思います。  ―  完  ―

 (大場光太郎・記)

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UFO記念日(1)

 だいぶ前の、俵万智の「サラダ記念日」の影響でもないのでしょうが。当今はまあさまざまな「記念日づくし」です。1年365日「何とか記念日」あるいは「何とかの日」で埋め尽くされているような感じもします。5月3日の憲法記念日のようにきちんとした由来があるものもあるかと思えば、中には「二ャー二ャー二ャー」という鳴声にあやかった、2月22日の「猫の日」などというものまであります。
 そんな中で今回取り上げるのは、「空飛ぶ円盤記念日」別名「UFO記念日」です。本日6月24日が、まさにその日にあたるのです。さてその由来は―。

 1947年(と言うことは、現在60歳を迎えた私が生まれた年よりもさらに2年前)の6月24日、実業家のケネス・アーネストが自家用飛行機でワシントン州カスケード山脈上空を飛行中のこと。後にアーネスト自身が語ったところによれば、時速2700Kmという当時も今も驚異的なスピードで急降下急上昇する、9個の円形の奇妙な飛行物体に遭遇したというのです。
 アーネストは航空機にしては尾翼がないので、遭遇当初は『あれっ。新型ロケットかジェット機か?』と思ったそうです。しかしアメリカ空軍は、そのような新型ロケットまたは航空機の存在を否定する公式発表を行いました。

 いずれにしてもその飛行物体は、「受け皿を川で投げ、水切りしたような飛び方」(アーネスト談)から、「Frying Saucer」つまり「空飛ぶ円盤」と名づけられました。そしてアーネストの目撃談が全米中に報道されると同時に、堰を切ったように各地から同様の目撃証言が多数寄せられました。
 事態を重く見た米国空軍は、改めてこの飛行物体を
  UFO(Unidentitied Frying Object)―未確認飛行物体
と命名して、UFOは依然「未確認飛行物体」のまま今日に至っています。

 その後UFOは世界中で目撃例が相次ぎ、それらしき飛行物体が映っている写真や画像が世界各地で膨大に撮られてきました。それらの中には甚だ信憑性に欠け、中には明らかにトリック写真と思われるものがないでもありません。否「これはまさしくUFOだ」と断定出来るのは大変少ないのかも知れません。

 そんな中で、私なりに信頼出来るものとしては、比較的初期(1957年頃)の頃のジョージ・アダムスキー(1891年~1965年)の円盤遭遇、同乗あるいは金星人との会見があげられます。この頃撮影されたと思われる円盤写真は「アダムスキー型」と呼ばれ、その後同型の円盤が多く目撃されることになります。しかしアダムスキーは、この問題のデリケートさを映し出すかのように、今では彼の事跡や情報はおおむね否定的に捉えられているようです。
 アダムスキーには『空飛ぶ円盤同乗記』『金星人会見記』などと共に、『生命の科学』『テレパシー』『宇宙哲学』などの深遠な内容の著作も多く、それらを読むかぎりではアダムスキーはひたむきな「宇宙哲学の求道者」だったのではないだろうか?と私は個人的に思います。

 またUFO情報に関しては、スイスのビリー・マイヤー(1937年~)が、1950年代後半から、プレアデス星系出身の女性宇宙飛行士・セムシャーゼなどからのメッセージを取り次ぎ、また数千枚にも及ぶUFO画像やビデオを公開し世界中の注目を集めました。ただしそのUFO画像は、多くのUFO研究者から捏造とみなされているようです。
 彼のプレアデス星人からのメッセージは、多くが地球の歴史と未来に関するもので、予言的な内容も多く、1991年のソ連邦崩壊などを何十年も前に予言するなど、今でもアメリカではその内容に対する評価は高いようです。そのメッセージを伝達する目的でスイスに「フィグ(Figu)」という団体を設立し、1991年には日本でも「フィグ・ヤーバン」という支社が設立され今日に至っているようです。  (以下次回につづく)
 
 (大場光太郎・記)

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けふは夏至

   夏至遠きメリケン波止場の灯を想ふ   (拙句)

 きょう6月21日(日)は「夏至(げし)」です。多分列島の広い地域でそうだったのかも知れませんが、当地(神奈川県厚木市)ではあいにく朝からの雨となりました。午後から雨は小降りとなり、夕方にはほぼ雨は上がったものの、それでもなお外を歩いていますと、湿っぽい細やかな水滴のようなものが絶えずまとわりついてきます。しかし薄暮の街に涼風が吹き渡り、それすらも心地良い感じがして周りの草花などを眺めて歩きました。
 考えてみますと、毎年この時期はちょうど梅雨にあたるわけで、夏至の日が雨もよいなのは致し方ないのかも知れません。

 夏至は二十四節気の一つで、太陽黄経が90度の時で、この日の太陽は北回帰線上にあるため、北半球では昼が最も長く、夜が最も短くなります。旧暦では五月中にあたります。夏至はまたこの日から小暑までの期間を指すこともあります。
 春分から秋分までの間、北半球では太陽は真東から上りやや北寄りの方角に沈みます。また北回帰線上の観測者から見ると、夏至の日の太陽は正午に天頂を通過します。また夏至の日には、北緯66.6度以北の北極圏全域で白夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域では極夜となります。
 なお1年で日の出の時刻が最も早い日、日の入りの時刻が最も遅い日と、夏至は一致しません。日本では日の出が最も早い日は夏至の一週間前頃、日の入りが最も遅い日は夏至の一週間後頃となります。  (この項、フリー百科事典『ウィキペディア』「夏至」の項を参考にしました。)

 ところで古来から夏至、冬至、春分、秋分などは、1年でも最も「神聖な日」とされてきました。しかし現代人たる私たちは、このような季節の節目に対して大変鈍感になり、夏至が来てもさほど関心をはらうことなくその一日をやり過ごしてしまいがちです。
 以前少し触れたことがありますが、現在「世界共通暦」になっているのはグレゴリオ暦です。これは残念ながら、自然のサイクル、諸天体の運行などとは同調出来ない暦なのです。
 どうしてか?その一端を申し述べれば―。グレゴリオ暦は「1年12ヶ月」表示です。そもそもこれがいけないのです。昔の太陰暦をご存知の方はお分かりかと思いますが、満ち欠けしながら月が1年で巡る回数は「13回」です。よって「1年13ヶ月」表示に戻すことが必要であるようです。

 我が国で「聖(ひじり)」の語源とは、「日知り」すなわち「天文暦数を明らかに知る賢者」を意味していたそうです。私たちは今日、中世キリスト教会が制定した同暦を何の疑問もなく用い、それに合わせた日常生活を送っています。暦は今日の社会全体、私たちの生活全般を深いところから支配していると考えて間違いではないのです。
 肝心要の「暦(こよみ)」から変えなければ、いくら口先で「エコロジー」だ「地球にやさしく」だと唱えてみても、それはしょせん虚言、自然破壊が止むことは決してないと思われます。

 キリスト教会は「13」という神聖数を隠すために、「13番目の使徒(裏切り者・ユダ)」あるいは「13日の金曜日(イエスが処刑されたとされる日)」などを強調することで、13を「忌み嫌うべき数字」という刷り込み(マインドコントロール)をしてきました。
 これはとんでもないことです。「マヤの予言」を今日でも遵守している中南米の先住民、あるいはオーストラリアのアポリジィ二などは「13月の暦」の重要性をよく知っていて、今でもグレゴリオ暦とは違う暦で生活しているのです。
 これだけ世界中で、日本全体で各方面の破綻が目立ち始めている昨今、彼らは遅れている人類、そして私たちは進んでいる人類などと本当に言えるのでしょうか?

 私ははっきり申し上げておきます。近未来グレゴリオ暦は廃止されます。代わって、「マヤ暦」を基本とした「13月の暦」が採用されることになるでしょう。自然や諸天体や銀河と真に同調するためには、それが不可欠であるからです。
 現に世界各地で、ごく少数ながら「13月の暦」に切り替えている人たちが以前から出始めているのです。そしてさらに「心ある人たち」は、夏至や冬至や春分、秋分には、日の出日の入りの太陽を拝し、夜は一人であるいは小グループで瞑想をしている人たちもいるようです。(諸事ずぼらな私はまだそこまでは到っておりません。)

 なお冒頭の拙句は、本夕「二木紘三のうた物語」の『別れのブルース』コメントに掲げたものです。(ハンドルネームは「街の灯」。)

 (大場光太郎・記)

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『大山詣で』復活?

 今回もまた「ココログニュース」で見つけた話題です。前回の『えっ。小栗旬が映画監督 !?』は派手めな話題でしたが、今回はそのような話題ではありません。

 「大山(おおやま)」は、当厚木市西部にひと際高く聳える秀峰です。標高1,250m、その奥と右手に連なる丹沢の山々と並んで「丹沢大山国定公園」に指定されています。
 この大山については、当ブログの季節の便りや当地紹介文の中で、しばしば触れてきました。ですからあまりよくご存知ない方にとっては、『大山は厚木市がメーンの山?』とお思いかもしれません。しかし実際の大山は、神奈川県伊勢原市、厚木市、秦野市の三市と境を接する広大な裾野を有する山なのです。

 私は当地に住んでかなり長いですから、厚木市からのみならず、伊勢原市あるいは秦野市からも大山を眺めてきました。しかし三角形にキリッと尖ったその秀麗さが一番引き立つのはやはり厚木市からの眺めだと思います。
 昭和30年代前半頃、当市出身の農民文学者・和田傳(わだ・でん)原作の『鰯雲(いわしぐも)』が映画化されました。主演は淡島千景。女学校卒業後厚木市在の農家に嫁に入った女と、東京から赴任して来た若い新聞記者とのうたかたの恋を描いた秀作でした。この映画の背景として、厚木市から見られる大山の姿が、当時ののどかな田園風景の後方に映されていました。「変わりゆくもの、変わらぬもの」。変化ただならぬ今の世にあって、大山は以前と少しも変わることなく、当市にあっては今日でもどこからでも眺められる何ともシンボリックな山の姿です。

 大山は別名・阿夫利山(あふりやま)とも言われます。以前述べましたとおり、「雨降り山」からの転化と言われますが、実は大山の頂上には「阿夫利(あふり)神社・本社」が鎮座ましますのです。ですから私たち当地の者がその頂上を振り仰ぐ時は、無意識的にその本社に波長を合わせている具合になるわけです。
 大山は奈良時代に遡ると言われるほど歴史の古い信仰の山でもあったのです。鎌倉幕府3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)は歌人としても有名ですが、次の和歌を阿夫利神社に奉納したと伝わっています。
   時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ  (源実朝)

 特に江戸中期の宝暦年間の「大山講」以降、江戸を初めとする関東一円の庶民の間で、「大山詣(もう)で」が盛んになりました。信仰、物見遊山、観光と目的は違っても、多い時は年間20万人もが大山詣でに押し寄せたと言われています。『大山詣(まい)り』はまた有名な落語の演題でもあるようです。
 「信仰の山・大山」という観点で捉えますと、(残念ながら)主役は伊勢原市になってしまいます。江戸中期以降各地に大山を目指す「大山道」が出来ました。現在でも神奈川県内には「大山街道」と旧名で呼ぶ道路が残っていますが、それらの行き着く先はすべて伊勢原市内です。そこから下社そして頂上の本社まで登り参拝することが「大山詣り」だったのです。
 
 (以上回りくどい説明になりましたが)今回「ココログニュース」で、 ブーム再来?大山詣り というのは、その大山詣りが再び注目されるイベントが始まったことによるものです。同ニュース記事を以下に紹介致します。

 ―6月6日、歌舞伎の十代目坂東三津五郎さんが大山を訪れ、9月に大山阿夫利神社に奉納する舞踊の成功祈願とお練りを行った。当日は、伊勢原市民と坂東流門弟の女性、ファン、報道陣で参道を埋め尽くし、かつてないほどの賑わいを見せた。
 9月16、17日には、坂東流の家の踊りともいえる『山帰り』を、大山阿夫利神社に奉納する公演のほか、林家正蔵さんによる落語『大山詣り』の奉納公演を予定しており、当日はお練り以上の人々で賑わうことが予想される。

 私は残念ながら下社駐車場で車を停めて、その辺りをぶらぶら散策したくらいなものです。下社すら参拝しておりません。いつか機会がありましたら、当地域に何十年も住まわせていただいてお礼として、山頂の本社はともかく下社くらいはきちんとお参りしたいものと考えております。
 その折りはまた「阿夫利神社参拝記」の一文を記事にしてみたいと思います。と同時に今回のイベントが、本当に『大山詣り』ブーム再来となりますよう心より願っております。

 (大場光太郎・記)

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えっ。小栗旬が映画監督 !?

 以下は「ココログニュース」で見つけた話題です。

 話題というのは、小栗旬(26)がこの夏「映画監督デビュー」するというものです。
 小栗旬といえば、若者たちを中心に人気の今をときめくイケメン俳優です。当ブログでシリーズ記事にしております、NHK大河ドラマ『天地人』にも石田三成役で準レギュラー出演の真っ最中です。私自身は小栗・三成はイマイチ評価しておりませんが、TBS系ドラマ『スマイル』の悪党役は凄みにあふれ、上々の評判のようです。また昨年は、ドラマで共演した女優の山田優(24)との熱烈交際が報道され話題になりました。

 小栗旬が本当に映画監督デビューするなら、20代俳優による大手配給会社の作品は今まで例がないそうです。俳優史上最年少でメガホンを取る映画は大きな注目を浴びることになりそうです。 小栗自身は以前から映画制作には興味があったようで、ハリウッド映画『イーグル・アイ』の監督と対談した際は、映画の演出について質問攻めにし、「君は映画監督になれるよ」と言われたこともあったそうです。
 作品の正式タイトルはまだ明らかになっていないとのこと。しかしオリジナル脚本で、出演者へのオファーも既に済んでいるようです。誰が「小栗監督」のもとで演技をすることになるのか、今から発表が待たれるところです。

 話は変わって―。今日の「映画監督流行り(ばやり)」。先鞭をつけたのはやはり「世界のキタノ」こと北野武監督だったのでしょうか。私は北野作品は一度も観たことはなく、今後も観る予定はありませんが、何せ作る作品が皆カンヌ映画祭などに出品され、今や毎年のようにその作品はマスコミに大きく取り上げらます。
 同監督に刺激を受けたのか、つい先年はコメディアンの松本人志(ダウンタウン)が『大日本人』という映画を作りました。
 それ以外にもやはりコメディアンの品川祐(品川ヒロシ名義)が、『ドロップ』という自伝小説を自分が監督して映画化しました。コメディ界は「北野武」という大御所に追いつけ追い越せとばかりに、ちょっとした「映画監督流行(ばや)り」のようです。

 のみならず「外様に負けてたまるか」と、映画界に身を置いてきた俳優たちも続々映画監督としてメガホンを取っています。主だったところでは、津川雅彦(マキノ雅彦名義)の『旭川動物園物語』、奥田瑛二の『長い散歩』、役所広司の『ガマの油』などなど。
 これらの人たちが監督としてメガホンを取ることについては、あまり目くじら立てることはありません。既に俳優としてまた映画人として映画制作に十分なキャリアがある人たちだからです。その間いろいろな監督の下でさまざまな役を演じ、映画監督としてのノウハウも身につけてきたことでしょう。だからこの人たちの作る作品がどんな時代のどんなテーマであれ、水準以上の作品には仕上がるはずです。

 問題はやはり門外漢であるコメディアンや、年少の俳優が「我も我も」と映画を作りたがる、その危うさです。現に先ほど紹介した、松本人志の『大日本人』は、初作品ながらカンヌ映画祭にも出品されマスコミの話題をさらった作品です。ところが同映画祭での外国人観客からは大不評だったようです。松本はよほどの天才でシュールレアリズム的手法を駆使したものか、ストーリーは支離滅裂。各シーンで失笑が起きたり、あげくは途中で席を立つ人がずいぶんいたようです。某映画評論家は、「この映画は国辱ものだ」とまでこき下ろしています。
 
 小栗旬が映画監督としてどれだけの才能があるのかは知りません。意外な才能を発揮する可能性がないとは言い切れません。しかし、プロ野球の世界に「名選手必ずしも名監督ならず」という箴言があります。映画の場合も「名優必ずしも名監督ならず」となりかねません。
 もっとも小栗は「名優」とは言うもはばかられる、まだ駆け出しの若手俳優です。当今マスコミ界の諸事情で、「今たまたま人気が出ている」というにすぎません。彼が真に名優であるかどうかは、十分長いスパンで見ていかなければなりません。


 私などは『誰も彼も猫も杓子も、ただ映画を作りゃぁいいってもんじゃないんだよ ! 』と思ってしまいます。一映画ファンとして言いたいのは、くれぐれも一時の気晴らし・気まぐれで映画監督になって欲しくくない。タレント続けて、コメディアン続けて、空いた片手間で映画のメガホンでも取ってみるか…。映画監督って、そんな安直に出来る仕事じゃないでしょっ !?ということなのです。

 今日の「映画監督ブーム」。小津安二郎や黒澤明などの往年の巨匠は、泉下でどう思っていることでしょう?

 (大場光太郎・記)

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梅雨だより(2)

   梅雨時は雨降るがよき暮色かな   (拙句)

 当地では本日、朝からどんよりした曇り空の蒸し暑い日でした。空全体に雨雲が低く垂れ込め、くぐもった薄暗さに覆われた街のようすです。
 我が国はいかに行き過ぎた国土開発、乱開発が行われていようと、四季の巡りはめりはりが効き自然豊かな国柄です。少し街中を離れますと、田畑や荒地や小山などがけっこう点在し、緑豊かな木立を方々で目にします。

 このような梅雨曇りの日は日盛りの緑陰というイメージではなく、木立の間には一種陰鬱な感じの闇が広がっています。しかしよく見てみれば、木立に図らずも生じる深い闇こそは、見る者にある深い静けさ、幽玄さを伝えてくれているようです。
 私たち現代人は「明るい生活」になじみ過ぎて、ともすれば「闇」の持つ豊かな側面、深遠な側面を見落としがちです。そう言えば、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』が本棚のどこかにありましたっけ。『はて、どんな内容だったのだろう?』。何せ読みかけ、積読(つんどく)こそは我が習い。そのうち(はなかなかこないものながら)じっくり読み直し、出来うれば読了したいものです。

 小山全体を覆わんばかりの深緑の木々の深い下闇に、しばし目を奪われそうになりながら車を走らせます。すると木立のとば口の道伝いに、紫陽花が一群全体に大ぶりな赤紫の色で咲いているのが認められます。その赤紫の色はほの暗い闇の中から鮮烈に私の視覚に訴えかけてきます。『紫陽花は何も、青紫だけではないんです。赤紫の私たちだって、立派な紫陽花の花なんです。色にこだわらずに、紫陽花全体をもっとよく見て味わってくださいね ! 』

 今の季節方々に車を走らせていますと、『おっ。ここにも ! あそこにも ! 』と思われるほど、家々、道々、畑々いたる所で紫陽花の花を見かけます。なるほどよく見ると、青紫系に限らず、赤紫は赤紫でなかなか良い色です。これまで『あじさいは水色、青紫に限るわい』と思っていた私にとって、ささやかながら意外な発見というべきです。

 午後は内外ともに一段と薄暗くなってきました。そして午後4時過ぎ頃から、とうとう雨が降り出しました。10日に気象庁が「梅雨入り」を発表してから、当地では初めての本格的な雨となりました。
 時折り遠雷も聞こえてきます。去年は当ブログ記事で述べましたとおり、強烈な雨と雷で、当居住地は2回も夜の停電に見舞われました。しかし今年は年初以来去年に比べてずっと穏やかな天候で推移していると言うべきで、まだそのような強烈なことにはなっていません。雷自体、ずいぶん久しぶりで聞いた思いがします。

 雨は一旦夕方6時頃には小止みになりました。夏至もほど近い6月中旬とはいえ、午後6時過ぎの街は早や暮色に包まれています。木立や草花は雨にたっぷり打たれて、にわかに生気を取り戻したかのように、生き生きした緑色で夕闇から浮かび上がってきます。
 その中を人々は、傘を指したり折りたたんで手に持ったりしながら、慌しく夕暮れの通りを行き交っていました。
 
 夜8時頃、再び激しい雨となり遠くで夜雷が鳴り出しました。と、そのうち「バリバリ、ドッカーン」という今年初の強烈な雷が轟き、そしてじきに遠雷となりました。ただ雨はその後もしばらく小止みなく降り続きました。

 (大場光太郎・記)

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どうなってんだ?今の政界 !!

― 鳩山総務相辞任に思うこと

 鳩山総務相は12日日本郵政の西川善文社長の更迭要求が受け入れられなかったとして、麻生首相に辞表を提出し受理されました。これまでの経緯から、これは表向き「辞任」の形を取ってはいるものの、事実上首相による「更迭」と見られます。
 日本郵政がいかに巨大組織で西川氏がそのトップだからとは言え、既に「民営化」され政府が100%出資している一民間企業です。片や鳩山総務相は同社を所轄する立場であり、麻生首相の盟友でもあり、派閥横断的「太郎会」会長として先の総裁選では麻生太郎新総裁誕生に貢献した恩人でもあります。

 なのに「時代劇で『御用商人が悪事を働いていて懐を肥やしている』と家老が殿様に進言したら、『お前が腹を切れ』と言われたようなものだ」(国民新党・長谷川憲正議員談)という喩えどおりの展開です。益々麻生首相の「バカ殿様ぶり」が強く印象づけられたような今回の一件でした。
 麻生首相は以前図らずも、「私は郵政民営化に必ずしも賛成ではなかった」とのたまいました。それなのになぜ民営化に懐疑的な盟友・鳩山邦夫を切ったのか、理解に苦しみます。それに恩人を自ら切ったことにより、党内支持基盤の更なる弱体化は必至でしょう。いくら「鈍感力」の鑑(かがみ)のようなお人でも、今回はさすがに苦渋の決断だったのではないでしょうか?

 そもそもことの本質は、国民の財産である「かんぽの宿」を、日本郵政が不当に安く売ろうとしたことに対する是非にあります。2,400億円で建設した施設をたったの109億円で売却しようとしたのです。これは(時価よりだいぶ安い)固定資産評価額でも857億円の価値があるものです。しかも売却先は西川社長とも親しく、郵政民営化推進派だった、宮内義彦社長率いるオリックス不動産でした。
 誰が考えても怪しい話なのです。そのため国会議員12人は、西川社長を「特別背任未遂容疑」で東京地検に刑事告発しています。(もっとも「西川留任」でまたあいまいな決着にされることでしょう。)

 今回もし反対に「西川更迭」の決断をしていれば、今週末に行われる各社世論調査で内閣支持率は急上昇していたかもしれません。というのも、だいぶ以前からくすぶり続けていたこの問題に対して、「辞任すべきは、鳩山、西川、どっち?」という世論調査では「西川社長が辞任すべき」が約7割にも達していたからです。今回の件を受けて、「国民感情からすると、鳩山大臣の主張の方がすとんと胸に落ちる」(井吹元幹事長)という党内からの声もあるほどです。
 しかし麻生首相は、「国民感情」からしても真逆の決断をしました。これによって、現在の支持率20%台からの下落は避けられないと思います。それを見て党内からは、「麻生では総選挙が戦えない」という麻生降ろしの機運が一層強まることも予想されます。

 上記諸々のマイナスが懸念されながら、麻生首相は今回なぜこのような決断を下さざるを得なかったのでしょうか?
 言わずと知れた、郵政民営化を推進してきた小泉・竹中一派の圧力に屈したからです。小泉元首相からは、「西川社長をクビにしたら選挙がもめるぞ」と直接脅されたなどという話も伝わっています。
 またそれ以上に、アメリカや財界を敵に回すことを恐れたとも言われています。(まあ麻生太郎は、漫画好き、ハードボイルド好きなくせして、あっちこっちの「脅し」にはいとも簡単に屈してしまう男だ)。どうも日本郵政を完全民営化させ、日本の郵貯、簡保資金を開放させるというのが、アメリカや財界の悲願であるようなのです。総額350兆円にも上る莫大な財産(言っておきますけど、国民から預った貴重な財産ですよ ! )を山分けしてボロ儲けしようとしているのです。
 そして西川社長は、民営化のシンボル的存在として小泉元首相が送り込んだ人物です。もし解任されたら、民営化がどうなるか分からなくなる上、郵政民営化にまつわる巨大な「悪」が一気に表面化し、疑惑は小泉元首相自身にも及ぶかもしれないと言われています。

 ホントに「いやはや何とも…」ではないでしょうか?組織に大きな不祥事が発生した。トップは、その不始末をきちんと片付けてその上で身のけじめをつける。これが一般社会の常識というものです。私はこれまで「社会通念の打破」ということを述べてきましたが、これは世の中がどうなろうとも決して崩してはいけないことです。
 しかし特に小泉元首相時代あたりから、とにかく政界をはじめとする各界トップの「けじめの無さ」「いいかげんさ」が目にあまります。「上の如く下もかく在り」「政(まつりごと)乱れれば民乱れる」で、この社会全体にそのような無責任の風潮が瀰漫(びまん)しています。今やモラルハザードは凄まじく、この国は根っこの部分からどんどん腐ってきているのです。結果、「今の世の中何でもありなんだ」とばかりに、詐欺、脅迫果ては殺人などの異常犯罪が増加する一方ではないですか。

 (大場光太郎・記)

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中津川寸描(4)

   川の面(も)に目を凝らしをり梅雨晴れ間   (拙句)

 11日午後県厚木合庁からもう一つ別の役所に寄り、それから帰路に着きました。中津川側道ルートを通り、久しぶりでいつもの中津川堤防に降りてみました。(午後3時半頃。)

 すぐ下流側の大堰は早春の頃早々とまた堰き止められ、こちら側はさながら湖水のように満々たる水を湛えています。それに最近の雨続きで、水量はことのほか豊かです。去年よく鴨が一羽ずつ蹲(うずくま)っていたテトラポットも、今は再び頭だけ水面に出て、二列で飛び飛びに見えています。残念ながら、本日鴨たちの姿はありません。
 堰の方からはゴーッと大量に流下する水音が絶えず聞こえています。が、それとても自然の音声、さほど気になりません。

 本夕河原を渡る風はそよ吹く風で、コンクリート堤防中ほどの突起に腰を下ろしている私を、爽涼とかすめて吹き過ぎていきます。町場から持ち来たった蒸し暑さが払われます。
 そよそよ風のせいか、きょうの川面(かわも)は少し揺らいではいるものの、いたって穏やかなようすです。私が位置しているより数メートル上からそのままずっと上流に伸びている中州にも、目路(めじ)の限りの対岸にも、葦が繁茂していて一面青葦原といった感じです。その葦群と対岸に飛び飛びにある木々と、さらに川向うの工場の建物なとが、鏡のような水面(みなも)にほぼそのまま逆さに映じています。特に、濃淡の緑の上下対称形は絶妙です。

 空模様はと見上げますと、なるほど梅雨空らしく一面雲で覆われています。しかしそれはおおむね薄い横すじ雲の集まりで、雨雲のたぐいではないようです。それに時たま背後の西の方から日差しが漏れ出し、河原全体を明るく照らしたりしています。

 改めて川に視線を下ろしますと、こちら側(右岸側)の堤防面は、早春の頃はきれいに刈り込まれ丸坊主のように視界良好でしたが、今は雑草がびっしりです。ともすれば、堤防中ほどまでの古いコンクリート護岸の四角い枠の割れ目伝いにさえ、草は根を生やしています。
 まして私のすぐ前に見えている、土を締め固めネットで連結した堤防下部は、それはもう伸び放題です。その中に何という草花なのか、丸い小さな(よく見るとほんの少しうす紫がかった)花がいっぱい咲いています。こんな名もない花でさえ、こうして今まさに花の命を咲いているのかと、健気(けなげ)に思われます。

 その先はもうこちら岸の青葦の連なりです。水際(みぎわ)に葦が浸っているさまは、何ともいい水辺の風情です。
 今月1日から鮎解禁のはずですが、やはりこの辺一帯は禁漁区になったのか、昨年同様ずっと下流の方まで釣り人の姿はまったく見かけられません。そんな中、上流百メートルほど先に一本の釣竿が認められました。白くて細い竿がしなって放射状に上向いています。葦原にうまく隠れて、釣り人の姿はまったく見えません。

 時折り上流の遠くから、ピィーーッ、ピィーーッとやや節の長い鳥の鳴声が聞こえてきます。そちらの方に耳を澄ましていますと、今度はピッピッピッという何鳥かの声。また時折りうぐいすの声まで聞かれます。
 すぐ前の草むらの上を、上流からひらりひらりとモンシロチョウが下流の方に飛んでいきました。と次の瞬間、堰の方から白鷺がゆったりと羽ばたいて川の中ほどの上空を上流に向って飛んでいきます。川面はその優美な白い飛跡をつかの間映し出していました。

 (大場光太郎・記)

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梅雨だより

   紫陽花(あじさい)の夢はつかの間午後の街   (拙句)

 6月10日気象庁は、「関東甲信地方は、梅雨入りしたとみられる」と発表しました。両地方の例年の梅雨入りの平均は6月8日らしいですから、2日ほど遅かったわけです。
 ちなみに昨年は5月29日とだいぶ早い梅雨入りでした。そういえば昨年は、当ブログでしょっちゅう記事にしましたとおり、3月から5月にかけてやたら雨の多い年でした。
 今年は昨年とはうって変わって、3月から5月中旬までは通常の穏やかな気候で、おかげ様で麗しい春の季節を十分堪能できました。しかし先月下旬から空模様が一変し、連日『もう梅雨の走りか?』と思われるようなぐづついた天気が続きました。そのため私は、今年はとうに梅雨入りしていた感じがしていました。

 梅雨入り翌日の本日は、空に雲が多く占めるものの、けっこう薄日が射すまあまあ「晴れ」といってもいいような一日となりました。
 そんな午後2時過ぎ、当厚木市内のある役所に向いました。246号線からそれてすぐの道沿い。右手に二階建ての広いテナントビルがあります。何ヶ月か「テナント募集」のもぬけの空状態だったのです。そのビルの一階で引越しが始まっています。見ると「民主党」ののぼりが建物の何ヶ所かに立てられています。『おっ。いよいよ臨戦体制か?』
 実はこの建物、昨年晩秋頃まで同じ民主党候補の選挙事務所だったのです。しかし自民党秋の総裁選で、「選挙に勝てる顔」として選ばれたはずの麻生太郎が、例によって解散先延ばし戦術で。資金的に苦しくなったのか別の所に移転していて、どう転んでも3ヶ月以内には総選挙が実施される今、同じ所にまた戻ってきたようなのです。

 車が渋滞気味なので、そこのようすを見るともなしに見ていました。建物内外でスタッフが、荷物運びなどで出たり入ったり忙しく立ち働いています。と、候補者のGが隣の車修理工場への挨拶を終え、今度は道の向かい側の某不動産会社に挨拶に行こうと道をまたいでいきます。(同社は私の顧客でもあります。)
 候補者Gは、これまで何度も本厚木駅頭で見かけました。まだ30代、例の郵政選挙の際は直接握手もしましたし、立会い演説も聞きました。名門厚木高校卒業後東大法学部に進み某省出身という割にはインテリっぽくなく、見るからにバイタリティ溢れ「何かやってくれそう」な感じです。

 市内のご年配の某司法書士は厚高出身、ご子息も厚高でGと同級生だったとかで、前回は事務所入り口にポスターを貼っていたりしました。前回はあんな具合で、直前の父の死により自民党から立候補した同世代の世襲議員(3代目)のKに大差で敗れました。
 今度はどうなのか、捲土重来となるのかどうか。もし当選でもしたら、ここの事務所内から各局の選挙特番で、Gの喜びの第一声が全国のお茶の間に流されることになるのでしょう。さて、どうなることやら。

 (途中別の所に立ち寄り)向った役所は、神奈川県の厚木南合同庁舎です。午後3時少し前に同庁舎に着きました。いつもの習慣で、広い玄関手前に車を停めます。本来そこは停車してはいけない場所なのですが、先の駐車場まで行くのが億劫で『どうせ十数分以内には戻ってきますから…』と、ついここに停めてしまうのです。
 停めた車のすぐ際から、庁舎壁面までの1、8mくらいの奥行き(幅3mほど)に、ちょっとした植え込みがあります。そこには「オカメザサ」―と小さな表示プレートがあります―が植えられています。「笹」とはいっても、いたって小ぶりで、葉も竹の葉をもっと小さくしたような感じです。それがせいぜい40cmほどの高さで一面びっしり植え込まれているのです。
 そしてその奥の一角(庁舎壁面際)に、紫陽花(あじさい)の一塊りが見られます。

 ここの紫陽花の花の色が、私にぴったりの色なのです。一言で紫陽花とはいっても、俗に「七変化」とも言われるとおり、植えられた土壌の酸性度の強弱により青紫から赤紫までいかようにでも花の色が変わります。(昨年知ったことには、それまでの私の思い込みとは裏腹に、青紫系の方が酸性度が強い)。私はどちらかというと赤紫よりも、青紫というのか水色というのか、そちらの寒色系の紫陽花を好みます。
 この庁舎内の紫陽花がまさにぴったりその色なのです。こんもり丸い一花も、株全体の花々も、すっきりした青紫(水色)の純色です。そこで私はこの季節にここに来ると、着いて車から降りる時に、一瞥、二瞥(というのも、いつも慌しく庁舎内に駆け込みますので)、庁舎内での所用を終えて車に乗り込んで一服しながら、今度はじっくり見るのを常としています。

 (大場光太郎・記)

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『レッドクリフPartⅡ』を観て

 大いに時期を外してしまいましたが、『レッドクリフPartⅡ』観てきました。
 実は5日夕方『天使と悪魔』を観を終わって、『観られる時に観ておくか』と引き続き観ることにしたのです。以前『観ないつもり』と言っておりましたが、結局気になっていたわけです。
 「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」は、海老名サティというデパートの2階にあります。デパートの買い物客がついでに映画でも…という思惑からか、こういう形式の映画館は全国の地方都市でふえているのかもしれません。これ一つ取ってみても、まさに「大衆娯楽社会」の極みのような良き時代です。

 しかしどこもかしこも「禁煙」なのには、愛煙家の私などは本当に困ってしまいます。映画館内の2時間強の禁煙は致し方ありません。世の中のマナーですから。しかし『天使と悪魔』が終了と同時に、やたら長いエンディング字幕などそこそこに館内を出ました。もっともトイレにも行きたかったもので。外に出て一服して、見ると外はざあざあ雨の本降りで…。その時ふと『このまま帰ってもつまんないな。レッドクリフやっぱり観るか』となったのです。
 決断が少し遅れた分(今度は別のスクリーン)、既に本編に入っていました。どうやら前編のダイジェストを先ず持ってきているようでした。それからタイトルが出て、PartⅡ自体がそこから始まりますからぎりぎりセーフといったところです。
                          *
 『レッドクリフPartⅡ』。全体を通した印象では、中国映画とはいえ監督は中国生まれながら、アメリカで長く映画を作ってきたジョン・ウーですから、ハリウッド映画の手法が随所に見られる映画だなという印象を強く持ちました。
 確かにハリウッド映画仕込みの、迫力あるスピード感溢れるストーリー展開は魅力です。「三国志」をあまりご存知ない観客、特に欧米の観客にとっては、歴史エンターティーメント映画として十分楽しめたかもしれません。

 しかし中学2年以来の「三国志ファン」である私にとって、観るほどに原作をこれだけ改変していいのだろうか?という疑問が湧いてきました。それがすんなりストーリー展開されていれば文句のつけようもないのですが、どうも違和感を感じてならなかったのです。
 原作はたびたび述べますとおり、『三国志演義』です。それまでさまざまに語り継がれてきた三国時代の説話や民間伝承を基に、明代初期羅貫中らによって『演義』という形にまとめられたのです。これ自体が史実とは大きく異なるフィクションです。ですからこれをいかように変えようとも、誰も文句を言えないこともまた事実です。
 しかし『演義』は、千古の歳月を経てきた中国三大奇書中の一書です。それを簡単に変えて果して、原作を超えることが出来るのだろうか?ということなのです。

 『三国志演義』は中国民衆の判官びいきを受けてか、魏・呉・蜀の三国のうち蜀を中心に描かれた物語です。しかしジョン・ウー監督は、広東省広州市(三国時代は呉の領土)生まれで香港育ちのせいか、当初から呉を中心とした『三国志』を作りたかったのではないでしょうか。それには「赤壁(レッドクリフ)」に的を絞るに限る。その意図は分からないでもありません。おおむね蜀と魏の抗争史としての色彩の濃い三国志の中で、唯一呉が精彩を放つのが、「赤壁の戦い」であるからです。
 しかし呉への思い入れが強すぎて、『三国志演義』の骨子を大きく崩してしまったようです。

 呉の中でも中心人物は、大都督・周諭。演じたのは、トニー・レオン。この映画では、「美周郎」と讃えられた美丈夫としてよりも、魏の曹操の大軍襲来に国運を双肩に託された沈着冷静な総司令官としての周諭像を全面に出していたようです。なかなか味のある「周諭ぶり」だったと思います。
 しかし周諭を主人公にしてしまったため、完全に割を食ってしまったのが諸葛孔明です。『演義』では常に周諭を上回る神の如き明察で、周諭は殺意を抱きことあるごとにその殺害を企てます。しかし周諭びいきのジョン・ウーは、それでは困るわけです。ですから、孔明の「神秘力」をそいでしまって、共に魏の大軍に立ち向かう同志(あけすけに言えば「お友だち」か?)にしてしまうわけです。そのため、赤壁というより全三国志中のハイライトの一つである、南屏山に壇を築いて「孔明東南(たつみ)の風を七星壇に祈る」の名場面までカットしてしまったわけです。

 神通力を失った孔明役として、金城武はそれなりによく熱演していたと思います。しかし金城武には悪いけれども、中国電視台制作『三国志』で孔明を演じた唐国強には遠く及ばなかったな、という印象です。
 敵方の曹操は、チャン・フォンイー。いかにも内に狡猾な才知を隠しもっていそうな曹操像で、これも気に入りました。しかしこちらも中国電視台『三国志』の曹操役・鮑国安の勝ち。(なお鮑国安と唐国強は同『三国志』で、共に中国映画界最高賞である金獅子賞を受賞しました。)
 その他主だった配役では。劉備役はいかめしい顔立ちで、もう少し温和な顔立ちの役者の方がよかったのかなという気がします。張飛役の凄いメーキャップには失笑気味です。関羽役は迫力不足に感じました。趙雲役に到っては、終いまで顔が覚えられませんでした。結果として私が思うに、周諭役のトニー・レオン以外は全員中国電視台『三国志』キャストの方が勝っていたということです。

 艶話が何度か出てくる『水滸伝』と違って、『三国志演義』は騒乱に明け暮れる男くさい物語です。それにジョン・ウーはハリウッド的味付けで、印象的な女性二人をけっこう主要な場面で用いています。一人は呉の君主・孫権の妹(架空の人物)役・孫尚香役のヴィッキー・チャオ。兄に内緒で魏軍に単独潜り込み、敵情を偵察する役柄です(以下は省略)。
 もう一人は、周諭の妻・小喬役のリン・チーリン。小喬欲しさに、曹操は南征を決意したと『演義』で述べられている、絶世の美女役をリン・チーリンは良く演じていたと思います。その美貌も小喬に迫るものがあり、何よりも一つ一つの挙措に気品が感じられました。私が知る限り、残念ながら日本の女優にはこのような気品ある女優はいないようです。(匹敵するのは、『宮廷女官・チャングム』のイ・ヨンエくらいなものでしょうか?)

 しかしいくら何でも、この小喬が夫の周諭にも内密で、赤壁大戦直前に単身魏陣営の曹操に面会に行くという設定はいかがなものか?と思います。大変失礼な物言いながら、「ジョン・ウーさん。あなたは中国人でしょ?母国の大切な古典物語を勝手に作り変えて、アンタ一体何様のつもりだ ! 」と言いたくなります。
 ヒロインが果敢に敵陣に立ち向かい、十中八九は首尾よく行くものの、結局は危難に陥る。それをヒーロー(この場合は周諭)が敢然となぐりこみ、危機一髪ヒロイン(小喬)を救い出す。めでたし、めでたし。いわゆるハリウッド映画のワンパターンです。

 赤壁の戦いの戦闘シーンは確かに、大スペクタクルらしい凄い迫力がありました。しかしそういうことが結果として、中国史上名高い「赤壁大戦」を単なるハリウッド映画的アクションシーンに貶めてしまったのではないだろうか?と思われてなりません。
 この映画は誰も彼もがおおむね好意的な感想のようです。そこで天邪鬼な私は、『一人くらい辛口コメントもいいだろう』とばかりに、いささか辛辣な批評をしてみました。

 (大場光太郎・記)

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『天使と悪魔』を観て(2)

 既にご紹介しましたとおり、この映画を試写した有名人たちからは大絶賛のコメントが寄せられました。(諸般の都合上、当然といえば当然ですが。)
 ただ私のような「オカルティスト」(冗談です。もしそうであれば、最高の名誉だと思いますが)からすれば、『天使と悪魔』は前作の「イエスキリストの妻帯をめぐる謎」という大ミステリーには残念ながら及ばなかったのではないだろうか?と思われてなりません。
 それに今回の映画では秘密結社・イルミナティを重要な鍵としていながら、同結社の歴史的経緯や悪魔崇拝などの説明が省かれていたことにも物足りなさを感じます。

 『ダ・ヴィンチ・コード』では、キリスト教最大のタブーに果敢に鋭く斬りこみました。それが『天使と悪魔』では少し影をひそめたようでその意味でも残念です。『ダ・ヴィンチ・コード』の公開からまる3年、その間一体何があったのでしょう?
 前作は、ヴァチカンをはじめとするキリスト教会から猛烈な抗議を受けたようですし、今回の映画では予定していた2つのローマ市内の教会の撮影の許可が取り消されるということもあったようです。
 
 ところでタイトルの『天使と悪魔』(『Angels&Demons』)が意味するものとは何でしょう?原作者ダン・ブラウンや監督ロン・ハワードの意図するところは分かりません。だから勝手に推測するならば、「神の教会」であるヴァチカンが「天使」、それに対して攻撃や破壊を企てる犯人、その背後にあるとみられるイルミナティという秘密結社などが「悪魔」という図式になるのかもしれません。
 さらには、演繹的に「神初めに天地を創り給えリ」(『創世記』冒頭)という、「神の御業」としての天地創造を持ってくる宗教が「天使」、対して帰納、分析、実証的手法によって「神抜き」の宇宙の起源にまで迫り、遂には究極の超物質である反物質まで手に入れてしまう科学は「悪魔」、ということを暗示しているのでしょうか?
 その意味で、ヴァチカンという宗教的大殿堂の最奥部に、それを破壊するため反物質が据えられたというのは、極めてドラマチックな設定です。

 「天使と悪魔」のみならず、「神と悪魔」「善と悪」「光と闇」「霊と肉」というようなキリスト教的宗教概念から始まって、「人間と自然」「宗教と科学」「精神と物質」というような西洋近代原理の相克概念に到るまで、このような対立的二元論は欧米思想の大きな特徴です。(もっとも東洋的一元融合論では、今日のような物質文明の開花はあり得なかったことでしょう。)
 その意味では、大変月並みなタイトルであると言えると思います。
 もっとも映画の中でラングドン教授に「宗教と科学は対立するものではなく、元々は互いに補完し合うものだったのだ」というようなことを言わせていますから、原作者、監督の意図はそんな単純な対立図式でもないようです。

 直前の『イエスとマグダラのマリア』シリーズで、ヴァチカンを厳しく批判し過ぎたキライがあります。少し補足させていただければ―。
 キリスト教2千年史の中で、聖フランチェスコ、聖コルベ、マザーテレサのように非の打ちどころのない「天使的聖人」も多く輩出させています。
 例えばこの映画で2番目の教会(だったでしょうか?)として登場したサンタ・マリア・ヴィットリア教会の中で、「聖女テレジアの法悦」という彫像が映し出されました。傍らに立つ天使が矢をテレジアの胸に突刺そうとして、テレジアが恍惚の表情で横たわっているという白い大理石の立派な芸術彫刻です。

 これはスペインは「アビラの聖女・テレジア」(1515年~1582年)が、ヴィジョンの内に現われた天使に、何度も心臓を槍で突き刺された実体験を元にしていると言われています。
 聖テレジアはそれのみか、いともたやすく法悦状態に入れ、すると彼女の体が自然に浮き上がることがしばしばだったそうです。何十分も何時間も、そのまま修道院の天井近くで浮いていたそうです。同僚の修道尼(シスター)たちはすっかり慣れっこになって、さほど気にも留めずに、下で通常のお勤めを果たしていたそうです。
 「5次元の意識状態になれば、体は浮いて、飛べるようにさえなります」。聖テレジアは、私たちの今回の目標地点に、数百年も前既に達していたと推察されるのです。
 ただキリスト教全史を通しても、彼女のようなずば抜けた霊的巨人は極めて稀だったことも事実です。信徒、民衆のレベルにいたっては、「(キリスト教によって)本当に救われた者がどれほどいたのだろうか?」ということだろうと思います。

 ともかく。この映画のラスト近くで、大選皇枢機卿がラングドンに言います。「宗教は不完全であることを認めざるを得ない。しかしそれはとりもなおさず、人間が不完全だからなのだ」。
 なるほど確かに。しかし同時に、『そんなに簡単に片付けられては困るんだがなあ』という想いも残ります。  ―  完  ―

 (大場光太郎・記)

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『天使と悪魔』を観て(1)

 5日(金)夕方、映画『天使と悪魔』を観てきました。(海老名市サティ内「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」。)当日は終日の雨、業務も一段落、そして何よりもとにかくこの映画が観たかったので。
 
 何ヶ月か前の『K-20』以来です。今回はスムーズに上映スクリーンに入り、席も観やすいようにやや後列の中央部にしました。花の金曜日の夕方なのに、見れば観客は私と同列右の年配のご夫婦の三人のみ。評判の映画なのに何とも寂しい限りです。地方館の厳しい実情を垣間見る思いがしました。
 予告編5本のうち、若い人ならば圧倒的に『ターミネーター4』でしょうが、私は『愛を読むひと(洋画)』『真夏のオリオン』『ハゲタカ』を機会があれば、と思いました。もっとも『おくりびと』『禅-Zen』なども結局見ず終いでしたから、さてどうなることやら。
                         *
 『天使と悪魔』は、ヴァチカン(ローマカトリック教会)が主な舞台としてストーリーが展開される極めて珍しい映画です。いきなりローマ教皇の死という、何十年に一度しか起こらないような事態からストーリーは始まります。規則により、教皇の死後14日以内に新教皇を選ばなければなりません。コンクラーべ(教皇選挙)の期限が迫っていて、広大なサンピエトロ広場には、無数の信徒や各国の報道機関などがひしめき合って選出を今か今かと待ちわびています。

 冒頭のヴァチカン内部という極めて宗教的な映像から、一転場面は急転回。最先端の物理学研究所での、のっぴきならない事態発生が描かれます。(「宗教」と対極に位置する「科学」を次いでもってくるあたりのコントラストは見事です。)
 同研究所でやっとのこと生成した「反物質」が、何者かによって盗み出されてしまったのです。この反物質はもし悪用されれば、核爆発にも匹敵する怖ろしい武器にもなりかねません。

 一方のヴァチカンでは、コンクラーベの期限が迫る中、4人の教皇候補者(プレフェリーティ)がこれまた何者かによって誘拐されてしまいます。犯人からは、陰に秘密結社「イルミナティ」の存在をにおわせる一枚の暗号文が届けられます。さあそうなると、前作『ダ・ヴィンチ・コード』で大活躍の、ハーバード大学の宗教象徴学教授ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)の出番です。
 早朝ラングドン教授がヴァチカンに到着すると、中には既に研究所の女性研究者ヴィットリア・ヴェトラ(アイェレット・ゾラー)の姿も見えています。(余談ながら。ゾラーはユダヤ系らしいエキゾチックな雰囲気の漂う知的な美人女優です。)ローマ市警の警部も交えた話で、反物質はヴァチカン内部に隠された可能性があることが分かります。反物質はそれまでに発見しないと、明日午前〇時には爆発してヴァチカン(サンピエトロ大寺院)全体が吹き飛んでしまうことになると、ヴェトラは説明します。

 ヴァチカンのトップクラス以外立入り禁止の最重要文書保管所に、特別に許可を得てラングドンとヴェトラが入り、膨大な古文献の中から今回の事件の手がかりとなるガリレオの古写本を探し出します。閲覧リミットの間際ヴェトラが咄嗟の機転で問題のページを引きちぎるあたりから、ドラマのテンポが一気に早まり、次々と息もつかせぬ展開になっていきます。
 当該ページで示された「土、火、空気、水」の四大元素に対応する、ローマ市内の古い教会に手がかりがあるはずだ。二人と共に、部外者が普段うかがい知ることの出来ないヴァチカン最深部のようすや、ローマ市内や由緒ある古教会を一緒に追体験している感じがしてきます。
 二人は苦労して教会を一つずつ探し出すも、誘拐された教皇候補者が次々に、胸に各要素を示す焼きごてを当てられた謎の変死体で…。

 この映画の面白さは、ラングドン教授をシャーロック・ホームズに、ヴットリア・ヴェトラをワトソン博士に置き換えてみると分かりやすいと思いますが、純粋な推理小説的謎解きの面白さだと思います。それと犯人たちとのスリリングな攻防サスペンスも面白さの一つになっていると思われます。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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日々雑感(3)

 蒸し暑い初夏の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 大懸案だった『イエスとマグダラのマリア』、きのう5回目で何とか完結させることが出来ました。いざ記事にはしてみたものの、最近は『弱ったなあ。これをどうやって完結させようか』とそればかりが気がかりで。当初は例により、2回くらいで終わらせる予定でした。しかしいざ始めてみますと、「歴史的大問題」がそんなに簡単にまとまるはずもなく、書くべきことがどんどん広がって収拾がつかなくなりそうでした。

 今までの長い記事、例えば『万物備乎我』『東京ビッグサイト』『レッドクリフ&三国志』『田母神論文をめぐって』などと同じように、とにかくまとめるのに大変苦労しました。しかし、現時点で私の持てるものを全部投入するつもりで記事にしました。だから私としては、このような記事こそ大勢の皆様にお読みいただきたいのです。
 しかし実際はアクセスが少ないのです。まあこうして一度公開した以上、今後ボチボチのアクセスに期待はしておりますが…。(嬉しいことに、中には繰り返し熱心に読まれている方もおられます。)

 以前述べましたとおり、今は有史以来のありとあらゆる「信念体系」「社会通念」などへの根本的見直しが迫られている時期だと思われます。私たちが日常ごく普通に当然のこととして受け入れていることの中にも、「おかしいこと」「クサイこと」がいっぱいありそうです。
 今とこれからの超変化にスムーズに対応していくためにも、一人一人が『本当にそれで間違いはないのだろうか?』と、その課題に進んで取り組んでいくべきだと思われます。そういうものを後生大事にいっぱい抱え込んでいる分、変化に対応するのが困難になると思われるからです。
 その意味で、今回の記事を含め当ブログ記事の中には、それを読み通していただくことによって、知らず知らず「信念体系」や「固定観念」打破のためのトレーニングになることがあるかもしれません。
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 5月下旬に発生しました「アクセス解析障害」は、当ブログの場合同31日時点で完全に復旧致しました。開設以来のアクセス・訪問者数データもすべて復旧し、その後現時点でのアクセス状況表示も順調です。
 2、3の方が、「ココログ アクセス解析 障害」というような検索フレーズでアクセスしてこられました。やはり同障害は当ブログだけではなかったようです。@nifty ココログのコメントでは「サーバー不良により」とありました。当ブログはここのところ少し急にアクセス数が伸びていました。これと同じようなケースの各ブログに対応出来ず、突然サーバーが何らかのトラブルを起こしてしまったのでしょうか?
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 以前『天使の歌声』でご紹介しました、英国の中年の歌姫、スーザン・ボイルさん(48)。一週間ほど前、デビューと同じオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の決勝まで進みました。
 決勝戦において彼女は、英国中いな全世界注目の中、デビュー時よりももっと洗練された美しい歌声で『夢やぶれて』を熱唱していました。しかし結果は惜しくも優勝を逃してしまいました。
 彼女を破ったのは、「ダイバーシティー」というダンス集団。メンバーは12~25歳の10人編成で、黒い衣装を着てアップテンポな音楽に合わせて一糸乱れぬストリートダンスを披露。そのユーモラスな動きに、観客は大興奮だったようです。

 「ブリテンズ・ゴット・タレント」での優勝は逃したとはいえ、スーザン・ボイル人気は以前凄まじいようです。世界的な人気に火をつけた動画サイト・You Tubeへのアクセスが、遂に1億件を突破し、それまでの記録を抜き去るのは時間の問題と報じられたのは1ヶ月も前のこと。今では新記録樹立はおろか、2億件にも達しているのではないでしょうか。
 そして実利的な話題として英マスコミによると、彼女は今後CDや書籍販売で12億円以上稼ぐだろうと予想され、また2012年のロンドン五輪にも登場か?とも噂されているそうです。
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 噂の草なぎ剛(34)のテレビ復帰スタートは、先月29日の『笑っていいとも ! 』(フジテレビ系)だったようです。同番組は草薙がレギュラー出演していた番組で、黒いジャケットで登場し、番組冒頭深々と頭を下げ、「一月休んでしまいました。(スタジオの)この空気を毎週感じるのは生活の一部ということが分かりました。よろしくお願いします」と挨拶したそうです