ソフトバンク「お父さんは犬」CMに物申す

-ここ2年ほど無テレビ生活なので忘れていたが、ソフトバンクCMは確かにおかしい。私はコメントする余裕がないので、二人の人のご意見を以下に転載します-

当ブログ直前記事『電通によるテレビなどメディア支配の実態』への寒咲すみれさんのコメント
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-a96c.html

《ソフトバンクのCMについて》

犬の子は日本人に対する侮蔑です。

ソフトバンクのCMは
とても好きだったんですが、
「犬が父親」「黒人の長男」って
不思議な取り合わせな
気がしませんでした?

韓国語では、ケッセキ(犬の子)が
最大の侮辱用語で、
人種差別の酷い韓国で
黒人は最低ランクで
嫌われてますよね。

在日朝鮮人や韓国人は、
「日本人は犬の子」で、
「日本人の子供は黒人」と
喜んで見ている。

侮辱されてるとも知らずに
喜ぶバカな日本人を
喜んで見ている。

在日朝鮮人である孫社長が
それを知らない筈はありません。

ソフトバンクのCMは、
日本人を侮蔑する目的で
作られたCMです。(転載終り)

父親が犬のコマーシャルは、日本人の家族観を愚弄している (ダークネス)
http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/363.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 3 月 24 日

テレビばかりを見ていると馬鹿になるというのは、テレビの番組がくだらないということもある。

しかし、それだけではない。コマーシャルもまた洗脳に次ぐ洗脳で構成されていたり、良識を疑うようなものが大量に放映されていて危険だ。

テレビのコマーシャルで、ずっと日本人の家族観を愚弄し続けていると言われているのは、父親が犬の設定になっているコマーシャルである。

日本人家族が出てくるのだが、「父親が犬」なのである。

このコマーシャルは「好感度ナンバーワン」と多くのメディアで自画自賛されている。しかし、数年前からこのコマーシャルの家族観に疑問を呈している人で満ち溢れている。

「なぜ、父親は犬畜生なのか?」
「子供たちは犬の子供ということなのか?」

今まで日本のコマーシャルの多くは一貫して日本人の父親を愚弄するような設定だったが、今や日本人の父親は「犬扱いが当たり前」になっている。

■父親を犬扱いするコマーシャルで洗脳される

日本人の父親が犬扱いされることに納得いかない人々はたくさんいる。そういった人々の意見は、検索で調べれば山ほど出てくる。実際に検索して調べてみて欲しい。

「父親が犬 コマーシャル」

これで検索すると、いかに多くの日本人がこのコマーシャルに関して疑問を持っているのかが見て取れる。

このコマーシャルはおかしな点は多い。たとえば、構成する家族は人種すらもバラバラである。よく知らないが、母親は犬と交わった上に、さらに不倫でもしたという設定にでもなっているのだろうか。

テレビを見るというのは、このような不快度100%のコマーシャルを強制的に見せつけられるということだ。

見せつけられるだけでなく、何年も渡って日本人の父親を犬扱いするコマーシャルで洗脳されるということでもある。

大人は単に「不快だ」で済むかもしれないが、こんなコマーシャルを子供のうちから見せられる子供たちはどうなるのだろうか。子供たちは洗脳された結果、無意識にこう思うのではないだろうか。

「お父さんは、犬だ」

コマーシャルとは洗脳であり、洗脳とは意識を超えた無意識への刷り込みである。根本的なところで、「父親は犬」という感覚が刷り込まれていく。

これがどんなに危険なことなのかは、考えるまでもない。「父親は犬」という刷り込みがなされて、日本人の子供たちは健全な家族観を持つことができるだろうか。

■家族観をズタズタにするようなコマーシャル

犬が「かわいい」かそうでないかという話を問題にしているのではない。

本来であればペットとして出てこなければならない犬が、「日本人の父親は犬」という設定で刷り込みが行われている非常識を問題にしている。

非常識であると共に、常軌を逸していると言える。

この企業は、莫大な金を投下して「日本人の父親は犬」という徹底的な宣伝をしているのだから、どう考えても感覚がおかしいとしか言いようがない。

こんなコマーシャルを平気で流しているテレビも企業も、感覚がどこか普通ではない。

「なぜこんな設定にしたのか」、あるいは「批判がある中で、それを執拗に粘着的に続ける理由が何なのか」は、この会社のトップしか真意が分からないことだ。

私たちに分かるのは、日本人の家族観をズタズタにするようなコマーシャルが、あたかも日本人の子供たちを洗脳するかのように行われているということである。

「日本人女性が結婚する相手は犬だ」
「日本人の男は犬だ」

その暗喩に侮蔑的な意味を感じる人は少なくないし、薄気味悪い感覚や、底知れぬ不快感を感じる人もたくさんいる。

このような刷り込みを続けるコマーシャルを、何年もかけて大量に流し続ける企業は本当に有益な企業なのか、私たちはもっと深く考えなければならないときが来ている。

決して放置してはいけないものであるし、見過ごしてもいけないものでもある。

■コマーシャルの持つ影響力は非常に大きい

日本人の父親を犬扱いするコマーシャルは、どうしても子供たちが見る。見せないわけにはいかないほどの物量でコマーシャルが大量投下されている。

だから、私たちは子供たちに、「父親を犬畜生扱いしたコマーシャルを見せない」という選択ができない。

そうであれば、このコマーシャルが出たときに、子供を持つ父親、母親は、子供たちにきちんと教えなければならない。

「このコマーシャルは、お父さんを犬扱いしているけど、この会社はひどいね。お父さんは犬じゃないのにね」

父親を犬扱いしているコマーシャルが出るたびにそうやって子供たちに教えていると、子供たちもきちんと「これは悪いコマーシャルだ」「この会社は悪い会社だ」と理解できるようになる。

コマーシャルが出るたびに、その家族観が間違っているということを子供たちに教育できる。

世の中には「得体の知れないもの」もあるということが分かるようになり、無意識に刷り込まれる前に、意識的に排除することができるようになる。

「お父さんを馬鹿にしているコマーシャルはひどい」と、たったひとこと教えるだけで、それは意識として残り、無意識の刷り込みが減らせる。

たかがコマーシャルだが、コマーシャルの持つ影響力は子供たちには非常に大きなものであり、無意識に刷り込まれる影響は計り知れないものがある。

子供たちが無意味なものに感化されないようにきちんと守るというのは、それ自体がとても重要な教育である。

しかし、子供に「おかしなコマーシャルがある」と教育するためには、最初に大人自身が「これはおかしい」という感覚をすぐに持てるようにならなければいけない。

日本のコマーシャルの多くは、一貫して日本人の父親を愚弄するような設定になっているのだから、気を付けた方がいい。そういったコマーシャルが大量に流された結果、日本人の家族観はすでに崩壊してしまっている。(転載終り)

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10・24までにM7.5の地震首都圏襲う?

 本記事とは何の関係もありませんがー。直前の『新聞はいま、誰が読むのか』記事の私のコメントで書き忘れたことがありましたので、ここで補足させていただきます。
 「私は(新聞を)読んでいません」と書きましたが、それは朝日、読売、毎日などの「大新聞を読んでいません」という意味です。それ以外なら、夕刊紙の『日刊ゲンダイ』を、月曜日から金曜日まで、近くのコンビニなどで買っては読んでいます。

 と言うわけで今回は、その『日刊ゲンダイ』の『えっ、そうなの?』と思った記事を以下に転載します。
 「今月24日までに、首都圏M7.5、震度6、7規模の地震が起きる」と、地震雲研究の第一人者が緊急警告している、と言うのです。

 「そりゃ、大変だ」となるわけですが、本当に大変かどうかは本文をお読みいただくとしてー。例によって、少し脱線話をしてみたいと思います。

 日本は世界でも有数の地震が多い国です。そのためか、昔から専門家以外の人による「いつ、いっかに地震が起きる」式の予言をして世間を騒がすケースがまゝありました。
 代表例は、日露戦争の英雄の一人、と言うよりNHKドラマスペシャル『坂の上の雲』の主役の秋山真之(あきやま・さねゆき)です。

 秋山真之には元々優れた霊能力があったようです。それが最大限に発揮されたのが、他でもない「運命の日本海大海戦」です。『坂の上の雲』でそのことが描かれていたかどうか観ていないので分かりませんが、ロシアのバルチック艦隊が日本海か太平洋かどちらのコースを取って北上するのかが分からず、東鄕平八郎司令長官は悩みに悩みます。

 秋山参謀は進言します。「バルチック艦隊は必ずや日本海を北上して来ますから、我が艦隊をそちらに集結させましょう」
 その根拠は、「そのようすを心の眼でありありと視た」、つまり霊視したというのです。日頃から秋山参謀の手腕を高く買っていた東鄕司令長官はその進言を容れ、日本海でバルチック艦隊を迎撃し、かくて「皇国の興亡この一戦にあり」を大勝利したのでした。

 (この項、私の記憶違いによる記述だったため削除しました。)

 秋山真之はその後神秘的傾向を強め、大正6年、「本年6月26日東京で大地震が起きる」の予言となります。日露戦争の軍神の地震予言に世間は騒然としますが、その日結局何も起きず秋山の評価はガタ落ちになります。

 当ブログでも取り上げましたが、3・11のあった年の8月、やはり首都圏直撃大地震を予言した、静岡在住の「コテ造」君という小学生による予知夢がネットで大きな話題になりました。結局この時も何も起きませんでした。
 こういうケースはけっこう多いようです。

 「地震予言はなぜ外れるのか?」、これはまたまたオカルト的解釈ですがー。
 この世の事象はすべて、霊界(幽界)にまず「型」(青写真)となってから現れると言われています。霊能者はそれを感知するわけです。しかし事地震に限っては、ある人がそれを予言し大勢の人が知ってしまうと、どういうわけか予定の日時が変えられてしまう、つまり予言が外れる、ということが起こるようなのです。

 今回は予言ではなく、地震雲研究の第一人者によるデータの積み重ねに基いた「予知、予測」です。そこが違うわけですが、さてどうなるのでしょう?私もその一人ですが、首都圏にお住まいの方はその間用心するに越したことはないかもしれません。
 その結果「何もなかったじゃないか」となるのが一番いいわけです。 (大場光太郎・記)

                        *
第一人者が緊急警告
10・24までにM7.5の地震首都圏襲う
「日刊ゲンダイ」(10月16日5面)

「今月24日までに、首都圏M7.5、震度6、7規模の地震が起きる」――。地震雲研究の第一人者が、緊急警告だ。

 大地震の予測を出したのは、北陸地震雲予知研究観測所の上出孝之氏。30年以上地震雲の観測を続け、スマトラ沖地震(04年、M9.3)や四川省地震(08年、M8.0)の発生などを予知し、2年半前の3・11直前の三陸沖地震も的中させた。
 今回も上出氏は帯状の巨大な地震雲を観測。08年の四川省地震の直前に出ていた地震雲と、形や大きさがよく似ていたという。

「今月9日の午前9時から午後3時の間、自宅から見て南西の空から北東にかけて発生していました。私の蓄積データや経験則から、この方角に地震雲が出ると、かなりの高確率で、東京湾から福島沖の範囲、つまり関東全域と福島県の間で地震が起きています。発生した地震雲が四川省地震と同じくらいの規模だったことから、今回はM7.5(±0.5)の地震が起きる可能性がある。地震雲の発生から2週間程度は、要注意。震度6~7の揺れを警戒してください」

<重なる不安要素>

 12日未明には、茨城県北部と南部で震度4の地震が起きた。関東周辺の地震は収まる気配がないだけに心配だ。さらに、上出氏は続ける。

「関東大震災の直前が大嵐だったとの記録が残っているように、私が調査してきた過去の統計から見ても、台風の後や満月の前後は大きな地震が発生しています。今週は、16日に台風26号が本州に接近すると予報されており、19~20日は満月。不安要素が重なっているだけに、なおさら注意が必要です」

 上出氏の一連の地震予知は、マスコミや関係自治体に発信されている。昨年1年間は48回の予知のうち42回が的中。今年(10月14日現在)は31回中24回も的中させているという。それだけに侮れない。心構えはしておきたい。 (転載終り)

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夢の話(4)

 久しぶりの「夢の話」です。

 現住居に引越しした直後、分けてもどっさりある本や書類の箱を整理していたら、ある箱から2枚のノートの切り抜きが見つかりました。『んっ?』と思ってざっと目を通してみると、ずい分前の夢の忘備録のようです。後で読むつもりで、A4ビニールファイルに挟んでそのままになっていました。

 今回そのファイルの日刊ゲンダイの切り抜きなどを整理しようとして、中からその2枚のノート片が出てきました。少し丁寧に読んでみたところ、はじめに「夢見」についての所感が述べてあり、続いて同じ日の早朝に見た夢が記されています。また少しおいた日に見た二つの夢が記されています。
 いつの頃のものかというと、文中の「先日亡くなった安部公房」がヒントになりました。調べたところ安部公房(あべ・こうぼう-作家)は、1993年(平成5年)1月22日死去ですからその年のものであることが分かりました。ちょうど今から20年前、私が40代前半のことです。

 折角ですから、それをここに再録します。誤字や、少し直した方がいいかな、というセンテンスもありますが、当時そのままと致しました。なお読みやすいように各夢に見出しをつけ、また適宜段替え、行空けをしています。
 どうぞ皆さんご自由に夢分析、夢判断をされ、私という人間の心の奥深くにうごめく情動、情念や本質を暴き出してみてください(笑)。

                         *
1/27(水)曇
 昨深夜、「視力復活・眼筋トレーニング」(青春出版社、PlayBook 若桜木虔著)を読み、多少そのメソッドを試みる。
 そのせいで、脳あるいは心の深い処がやゝ刺激を受けたのか、明け方5時過ぎ頃、夢を見る。その直後目がさめたのであるが、その夢のシーンは一つながりのものとして、比較的ハッキリと印象深く、思い出せたのである。 
 
 本当に最近は、夢は見ているのだが、覚醒してからなかなか思い出せなくなっていた。覚えていても全体的夢のストーリーのほんの一部分のみ。そしてそれすらも、日常的な事共のうちに、たちまちにして忘れ去ってしまうという、甚だ情無い具合。

 先日亡くなった安部公房は、その直後の天声人語によると創作活動にあたって、「夢」をその創作上の大きな源泉として極めて重視していた旨(注 「由」の誤り)、「夢を見て、それを生々と想起出来ている時は、精神的に活性化している時である」というようなことも述べていたらしい。
 そうだ、「夢」を見て、それを出来るだけ生々と想起出来、それについて深く考える、又そこから現実生活上の養分を汲み取っていこうという姿勢は、一部の芸術家のみならず、私らにとっても極めて大切なことなのだ。

 そして「夢」を生々と想起する為のメソッドは確実に存在する。それは、案の条(注 「定」の誤り)今朝方割とハッキリ夢の一連を思い出せたように、ともすればこの年になると油断しているとどんどん機能が低下していきつつある、「大脳」を活性化し続けていけば良いのだ。
 要は「頭の少し深い部分」に鋭い刺激を与えるような、トレーニングを出来るだけ心がけるのだ。

 確かに、「夢を見ているか」あるいは「夢をハッキリと、一連のストーリー性のあるものとして思い出せるか」というのは、今現在の自分自身の頭と心が活性化されているか否かを確かめる、重要なバロメーターとなり得る。「夢を大切にしよう」。
 「幻のない国民は滅びる」(注 旧約聖書の言葉)。そう、「夢」も見れず、「幻-ヴィジョン」も持てないような人間は、滅びていくしかないのだ。
 という訳で、明け方の夢の概略。

家に侵入してきた怪しい男と立ち向かう母、逃げ惑う私

 今現実に住んでいる家とは、場所も家自体も違う家。大きく、幾分かは旧時代風の造りか。母と私が住んでいる、そして他の2・3人の身内がその中(1階)にいる。例によって色彩のないモノトーンの夢なので、一日のうちのいつのことなのかは思い出せない。

 その中に突然一人の初老(50代)と覚しきがっちりしたいかつい人相の男が現われる。明らかに襲撃の意図が感じられる。私は驚いて家の中を逃げ回る。その男に堂々と対決したのは、何と母であった。台所と覚しき部屋の中程に置かれたテーブルをはさんで、母は臆せずにその男と向かっている。他の人々はそのようすを見ながら立ちすくんでいる。
 やゝあって私は、ゆったりとした浴室に身を隠す。風呂に入る訳ではないから明りはつけず、暗い。こゝなら男に気づかれる気づかいはない。

 浴室と台所を隔てているのはガラス(上がスガラス、下が曇りガラス)の引戸である。私はその下にうずくまるようにして、スガラス越しに、男と母の対決のようすをこわごわ見ている。どうやら母は男を包ちょうで刺したようである。しかし、男はそれでも倒れるようすもない・・・。

 その家の外に出ている。かん木類の生えた丘のような感じで、私はそこを登っている。登っていると、中腹を過ぎた所に、件の男が立っているのを見つける。さっきは50代と思っていた男は、私よりやゝ年上位の感じで若くなってしまっている。
 私は驚いて、そこからガケの方に向かって走り出し、そこから飛び下りる。だいぶ高さがある、数メートル位だろうか?それでも何とかストンという感じで真すぐに足をついて下りたが、と同時に、その男も私と同じくやゝ離れた所に下りている。 (転載終り)

                        *
 そのあとの2月3日の二つの夢もご紹介する予定でしたが、内容的にこの夢以上のものではなく、長くもなりますので割愛することに致しました。

 上の夢について若干の分析をしてみます。家の中に侵入してきて母と戦い、なおも家の外まで執拗に私を追ってきた怪しい男とは、ユング心理学でいう「シャドー」だろうと思われます。
 シャドーとは「影の自分自身」なのですから、怖がって逃げ回っていてはいけないのです。第一いくら恐れて逃げても、この夢のように分身であるシャドーはどこまでもピタッとついてきます。

 逃げずに、夢主(むしゅ)自らがきちんとシャドーと立ち向かうことが必要です。この夢では逃げてしくじったため、その後もシャドーの夢は繰り返し見た記憶があります。しかしどれかの夢でしっかり向き合ったらしく、それ以来シャドーは夢に現われなくなったようです。

 (大場光太郎・記)

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どうなっちゃったんだ、山形大学

 -出身県の大学の不祥事から、この国の深刻な病根を思わずにはおられない-

 山形大学は、私の出身県である山形県にある国立大学です。私が郷里にいた昭和40年代前半頃は、東大・京大など旧帝大系は「国立一期校」、山形大学など多くの県の国立大は「国立二期校」と呼ばれて区別されていました。
 それでも国立大学には違いなく、当時は今と違ってあっちにもこっちにも大学がある状況ではなく、「山形大学生」というと地元の誰もが一目置く存在でした。

 今回私の出身県内とは言え、なぜ東北のローカル大学を取り上げるのかと言いますと、少し前の『日刊ゲンダイ』の「話題の焦点」というコラムに、山形大学の話題が載っていたからです。
 それも良い話題ではなく、最初の大見出しが「6人目の逮捕者」とあるとおり、不名誉な出来事が続いているためです。

 以下に『日刊ゲンダイ』記事を転載しますが、内容を読むと「山形大学、ホントにどうなっちゃったんだ?」と思うような体たらくぶりです。

 原因として、現学長の大学運営上の問題もありそうです。しかし私はそれだけではなく、と言うよりひとり山形大学のみならず、このような問題はすべての国公立大学、その他のどこの大学ででも起こり得るのではないだろうか、と考えます。
 深く病根に蝕まれているこの社会、システム全体、国民全体が劣化しているこの国の、一つの表出例なのではないだろうか、と。  (大場光太郎・記)

                        *
6人目の逮捕者 山形大で何が起きているのか

明石康も輩出

 学生の逮捕者はついに6人目だ。1月31日に男子学生が窃盗で捕まった。今月1日には別の男子学生が公然わいせつ罪で逮捕されている。教職員らも含めると逮捕、摘発は11人。元国連事務次長の明石康氏(旧制山形高校から東大)を輩出した山形大が異常事態に見舞われてる。

 大学側はHP上での注意喚起のほか、昨年末には、学生にも直接指導していたようだが、効果はなかったらしい。
 同校の広報担当者は、「過去5年、学生の逮捕は年に1~2人でしたが、今年度は6人。外部の専門家も入れて原因などを調べたい」と言うが、そもそも、例年1~2人の逮捕者が出ていたこと自体、驚きだ。

 同大は医、工、理、農、人文、地域教育文化の6学部ある国立大だ。大手予備校の代ゼミによれば、偏差値は医学部が60、人文学部が57、工学部が48となっている。大学通信のゼネラルマネージャー・安田賢治氏がこう言う。
 「典型的な地方大で、医学部の医学科を除けば難関ではない。学生は、地元進学校の出身者が中心です」

 フジテレビの武田祐子アナや、「幽☆遊☆白書」などで知られる漫画家の富樫義博、ロックミュージシャンの遠藤ミチロウ、作家の藤沢周平(山形師範学校)なども卒業生だ。

 実は、結城章夫学長は、“大学業界”の有名人。東大卒のキャリア官僚で、05年には旧科技庁出身者として初めて文部科学事務次官に就任、07年に退任し現職となった。当時母天下りとの批判もあったが、「地域と連携し、先進的な改革をしている、ヤリ手のイメージが強いです」(安田氏)と意外にも評価は高い。

 07年12月には朝日新聞のインタビューで「山形大は教養教育で勝負しようと思っています。教養教育の充実には、カリキュラムを変え、先生の考え方を『学生中心』に変えないといけない」と語っていた。だが、その結果が逮捕者続出を招いたとすれば、方向転換が必要になりそうだ。  (転載終わり)

【蛇足の一言】
 結城学長は、山形東高校、東大工学部を経た元キャリア官僚のようです。文科省事務次官まで務めたエリート官僚だったわけです。で、そういうお人に学校経営を委ねると、このような結果です。翻って、隣県の秋田国際教養大学を急成長させている学長は民間出身です。
 今この国は事実上「官主主義国家」です。官僚が国家の根幹を押さえ、国を牛耳り、国民の首根っこを抑えている状況なのです。一大学の経営ですらロクな成果を上げられないエリート官僚に、国家経営の要(かなめ)を抑えられていていいのでしょうか。

転載元
『日刊ゲンダイ』-「話題の焦点」(2月11日5面)

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世界の中で止まっている日本

-日本が「動き出す」には硬直した官僚支配構造の打破が最も必要なのだが…-

 現在の我が国の建築家の中でもっとも著名でもっとも活躍しているのは、安藤忠雄(あんどう・ただお)氏ではないでしょうか。
 安藤忠雄氏は1941年大阪生まれの71歳。若い頃世界各国を旅した後、独学で建築を学び、69年に安藤建築研究所を設立したというい異色・異能の人です。97年東大教授に、2003年から同大名誉教授に就任しています。また10年には文化勲章を受賞しました。

 以前何かの本でだったか、安藤氏の言葉に感銘を受け、それを手帳に書き写しました。それはおおむね次のような内容でした。

 感動のない仕事は成功しない → 感動出来ない人間は成功しない
 ①本気で取り組めば、面白いことや感動することが必ず出てくる。
 ②仕事をしている時は、ワクワクしながら生きてみよ。

 同氏自らがそのような姿勢で仕事に取り組んでこられたのでしょう。なかなか説得力のある言葉です。
 凡人は分かっていても、常時「本気で仕事に取り組む」ことも、絶えず「ワクワクして生きる」ことも出来はしません。しかし成功哲学としてはまさにそのとおりなので、時折り読み返してはわが身の至らなさを反省している次第です。

 その安藤忠雄氏、『日刊ゲンダイ』(1月5日号12面)の「新春特別インタビュー」で、グローバルに活躍する同氏の視点から、日本の抱える今日的問題を語っています。普段国内にいる者にはなかなか気づけない指摘だと思われますので、以下に転載します。

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世界の中で止まっている日本  新春特別インタビュー 安藤忠雄

国家の復興には一人一人の「人間力」が問われている

 現在、私の仕事はその80%が欧米、アジア、中東など、海外のものです。そのため、外から見た日本の評価をよく耳にします。特に発展目覚しいアジアの国々、中国や韓国、台湾、インドなどから見たら、今の日本は止まっているように見えるようです。
 確かに日本は国家の決断が遅く、スピード感がありません。また、長らくリーダーを欠いた状態で、国家としての明確な目標も見えてこないことが、国民の不安をあおっています。

 戦後、日本の復興は「世界の奇跡」といわれたものです。日本人は忍耐力があり、勤勉でした。しかし、社会が経済的に豊かになった1980年代以降、国民は緊張感を失い、考えることを放棄するようになった。その弊害は、東日本大震災以後の社会の対応の中で、顕著に表われました。

 復興会議メンバーとして参加しましたが、「2030年にはせめて30%ある原子力発電を15%にする。そのためにまずは7.5%の省エネに努め、7.5%を自然エネルギーにシフトする。そして、2050年に向けて原発をゼロにする方針を発表すべきではないか」といったエネルギー問題の方策についても、また「住宅の高台移転」の問題についても、「そういった具体的な話をする会議ではない」とされ、踏み込んだ議論には発展しませんでした。

「何とかなるさ」では死んでしまう

 エネルギーの指針ひとつとっても、国が明確な方向性を示せない。その結果、しっかりとしたトップがいて、決断が速い企業は、次々と海外に拠点を移したのです。しかし、こうした企業はひと握りで、政府も、他の国内企業も決断が遅く比較的のんびりしている。国民も含めて「何とかなるさ」と思っているのでしょうが、この国はもはや瀕死の状態です。

 こうなったのは戦後日本の教育が、「責任ある強い個人」を育ててこなかったからです。よく言えば民主主義的、悪く言えば、「責任回避型の社会」の弊害です。

 今こそ、国民一人一人の意識の改革が必要です。資源もエネルギーもなかった日本の国が、かつて唯一誇っていた「人間力」、レベルの高い資質を呼び起こし、国家としての復興ののろしを上げなければなりません。年末の選挙で政権政党が交代しましたが、新しい政権が、どれだけの決断力を持ち、強いリーダーシップで国民を導いていくことができるのかー真価が問われるのはこれからだと思います。  (転載終わり)

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「就職偏差値」が異様に高い2つの地方大学

 -就職超氷河期が続く当今、入学偏差値より就職偏差値が重要らしい-

 例えば東大、京大、北大、東北大などの旧帝大系や早慶などの有名私大。受験生たちの大学のブランド志向は依然根強いものがあります。しかし就職超氷河期の今日、これらの名門大学ですら希望の企業に就職できないのが現状です。

 そんな中、有名大学ほど「入学偏差値」は高くないものの、一流企業に抜群の就職実績を誇る“お買い得”大学が地方に存在するといいます。その好例として今年4月、秋田国際教養大学(AIU)について記事にしました。
 つい先週どこかのテレビ番組でこの大学を取り上げたのか、その夜の10時台から『「秋田国際教養大」急成長の秘密』へのアクセスが急増し、翌日の「検索フレーズランキング」で1位以下を関連フレーズが占めました。受験生を中心にその父兄たちなのか、「就職率のいい大学」への関心がいかに高いかを如実に示す一つの指標だろうと思われます。

 今回『日刊ゲンダイ』紙に、またまた地方の2つの“お買い得”大学が紹介されましたので、早速当ブログでも取り上げてみたいと思います。

立命館アジア太平洋大学(APU)

 この大学があるのは大分県。2000年に開校しました。入学偏差値は50~55と中堅校レベルにも関わらず、就職率は95%を超え、国内学生の1部上場企業への就職率は約36%を誇るといいます。
 ちなみに、入学偏差値が65~70の慶応大学の1部上場企業への就職率は約43%とさして大差なく、偏差値を超えたAPUの人気も分かろうというものです。

 今年は三菱重工業に6人の内定者を出しました。同社の事務系採用数では、東大、一橋大、早慶といった名門大学を抜いてトップだそうです。
 また11年度の就職先でも、新日本製鉄、旭化成、コマツ、住友化成、東芝、三菱商事、野村證券、三井住友銀行、武田薬品工業といった一流企業がズラリと並びます。

 立命館アジア太平洋大学の強さの秘密は何なのでしょうか?
 これは秋田国際教養大学にも言えたことですが、ズバリ「グローバルな人材育成」を主眼に置いていることにありそうです。
 5800人いる学生の約半数が世界83カ国からの外国人留学生で、日本の大学とは思えない雰囲気だといいます。1年次の講義は日本人と留学生が一緒の少人数、学生寮では日本人と外国人との同室が必須なのです。互いに理解し合えないと、寝食すら共にできないハードな環境です。

 とは言っても、人種や国籍が違う以上、摩擦や軋轢(あつれき)が当然のように起こります。実は大学側の狙いはそこにあるのです。企業が重視するコミュニケーション能力を身につけさせるために、人種や国境の壁を乗り越える体験を多く積ませるわけです。そういう体験の繰り返しで、日本人学生の意識も変わるといいます。
 その結果、企業の採用面接で「海外で働けますか?」と聞かれ、「途上国はちょっと…」という(他大学の)学生もいる中、<自分から手を挙げて、「どこでもいいから行かせてほしい」と言うのがうちの学生の特徴だ>と、就職担当者も誇らしげに語っています。

小樽商科大学

 北海道小樽市にあるのが小樽商科大学です。この大学は国立にしては珍しい社会学科系単科大学です。上のAIU、APUのような新興大学ではなく、戦前の小樽高等商業学校を前身としています。小樽高商時代は文科系の教育機関だったため、『蟹工船』(戦前)の小林多喜二や「チャタレイ裁判」(戦後)で有名な伊藤整などの作家を輩出しました。
 それはともかく。同大学も一流企業への就職実績では、知る人ぞ知る名門国立大だというのです。

 入学偏差値はこちらも55と、他の地方の国立大学と変わりません。が、就職先の平均年収から算出される就職偏差値は60を超え、これは北大や東北大より上なのです。
 11年度は、メガバンクをはじめ日本生命、東京海上火災保険など、保険や金融業界を中心に実績を残しています。
 「毎年1人は必ず採用している。学生のレベルは旧商校の一橋大学と遜色はない。先輩で活躍している人が多く、役員になった人もいる」と、ある財閥系総合商社の人事部長も、同校の実力にこう太鼓判を押しています。

 小樽商大の抜群の就職実績の秘密は何なのでしょうか?
 「企業の評価が高いのは、同校の実践的キャリア教育です。地域企業の課題解決に取り組むインターンシップは、連携している高校生や卒業生まで巻き込んで長期間行います。こうした幅広いネットワークが就職活動の強みになるし、高校生への人気も続く。大学には一石二鳥です」(ジャーナりストの溝上憲文氏)

 東大が今年になって「グローバル化に対応できる学生の育成」などと言い始めています。我が国トップとされる東大が、秋田国際教育大などの教育方式の右倣えを始めたのです。
 灘校の橋本武先生の教え子の濱田純一総長殿、「遅いでしょ、それでは」。しかしこれは学長個人の責任というより、教授会などを含めた旧弊かつ硬直化したシステムの問題と言うべきなのでしょう。

 いずれにせよ大学の選択は、もはや名門云々ではなく、教育や就職支援の中身を吟味する時代になったといえそうです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』-「就職偏差値が異様に高い立命館アジア太平洋大学と小樽商科大学(10月30日9面)
関連記事
『「秋田国際教養大」急成長の秘密』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-c7ce.html
『「銀の匙」と灘校名物国語教師』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-762a.html

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横浜外国人墓地のこと

-「墓地に歴史あり」などとは変な話だが、同墓地には興味深い歴史があった-

 有隣堂書店の広報紙『有鄰』の9月10日号2面に、斎藤多喜夫という人の『「横浜外国人墓地に眠る人々」にみる居留地社会の主役たち』という一文が掲載されています。繰り返しますが有隣堂とは、主に神奈川県内を中心に多数の店舗を持つ大手書店です。同書店広報紙記事はこれまでも何度か取り上げてきました。
 斎藤多喜夫氏は横浜開港資料館等調査委員で、『横浜外国人墓地に眠る人々』(有隣堂書店刊)は斎藤氏が著わした本です。

 この一文では、横浜港を見下ろす高台(横浜市中区山手地区)にある横浜外国人墓地(単に「外人墓地」とも)の歴史やそこに眠っている著名だった人たちなどについて述べているのです。これを読んで同墓地の意外な事実を知り、目からウロコの感じがしました。
 同文はかなり長文ですが、それに『ウィキペティア』の記述も加えて、今回は同墓地について簡単に見ていきたいと思います。

                        *
 横浜外国人墓地のそもそもは、ご存知のペリー来航に端を発します。
 1854年(嘉永7年)ペリー率いる米艦隊が横浜港に寄港していた際、ある若い水兵がフリゲート艦「ミシシッピ」のマスト上から誤って転落死したのです。「海の見えるところに墓地を設置してほしい」というペリー提督の意向を受けて、横浜村(当時)の真言宗増徳院の境内墓地の一部に墓地が設置され埋葬されたことに始まります。
 同墓地はキリスト教形式の墓石が多い外国人の墓地なのに、元々は仏教寺院墓地だったというのは面白い話です。

 その後も外国人死者がその付近に葬られ、1861年(文久元年)に外国人専用の墓地が定められました。以来四十数ヵ国、約4,870人が眠っています。

Gaijin bochi.JPG

 それではかつて横浜に居留し(外国人墓地に葬られ)た外国人社会の主役とはどんな人たちだったのでしょうか。
 それは「ビジネスに励み、生活を楽しんだ人々」が中心であり、そして彼らは「居留地の貿易と産業を担った人々」でもあったのです。
 国籍別となると、当時の世界の超大国だったイギリスが一番でした。数が多いだけではなく、彼らの生活規範が外国人社会全体をリードもしていたのです。
 その規範を一言で言えば「英国紳士」となりますが、その「理念型」としてキルビーという人物が挙げられます。

 キルビーは1873年に来日し、1884年に独立してキルビー商会を興しました。ヴィクトリア・パブリック・スクールの設立に尽力し、外国人商業会議所、クライスト・チャーチ、山手病院、居留地消防隊の委員を務めました。
 スポーツマンでもあり、横浜クリケット&アスレチック・クラブの会長も務めています。日本アジア協会の創立時からの会員であり、フリーメーソンの重鎮でもありました。

 キルビーの人物像から浮かび上がってくる「英国紳士」とは、しっかりした経済的な基盤を持ち、公共事業に尽くし、スポーツマンであり、教養人であり、社交性に富んだ人のことというような理想的人物像です。
 キルビーのようにすべての要素を兼ね備えた人物を「ゼネラリスト」とすれば、ほかにも元英国領事館員で弁護士のラウダー、貿易商のキングドンやモリスン、医師のウィラーら多士済々の英国人が横浜居留地にはいました。

 ゼネラリストとは別に、スポーツや音楽など特定の分野に秀でた「スペシャリスト」たちもいました。

 スポーツ関係としては、競馬の日本レース・クラブや陸上競技の横浜クリケット&アスレチック・クラブ、水上スポーツの横浜ヨット・クラブなどがありました。
 また日本アジア協会という専門性の高い日本研究団体があり、外国人が研究の中心だったものの、横浜の貿易商も会員として運営を支えました。
 さらに音楽も盛んでした。パットン夫人はプロの音楽家でしたが、横浜児童トニック・ソルファ合唱団を組織しました。セミプロのカイルは横浜アマチュア管弦楽団を指揮し、アマチュアのグリフィンは横浜フィルハーモニック協会を指揮しました。

 社交団体としては、横浜ユナイテッド・クラブとフリーメーソンがありました。前者の会長は外国人社会の名士の指定席でした。前者が会員でなくても利用できる「開かれた団体」だったのに対して、後者は入会資格に制限があり、奇妙な儀式や教義を持ち、非公開を原則とする「閉ざされた団体」です。
 (ここで詳述はしませんがー。近代フリーメーソンは表向きの友愛団体とは裏腹に、イルミナティ結社とともに、現世界システムや世界的出来事を奥の奥からコントロールしている謎の秘密結社です。)

 ご存知かと思いますが、現在外国人墓地に葬られる外国人はいません。その意味で同墓地は、横浜開港史中の重要な遺構の一つなのです。
 そうなってしまった最大の出来事は、1923年(大正12年)の関東大震災でした。同震災は東京のみならず横浜市街地にも激甚な被害をもたらしました。これによって、それまで親密に結ばれていた居留地社会は、日本を離れて地球上の四方八方へと散っていってしまったのです。

 「破滅以前の横浜」は、異質な価値観や生活様式を持つ人々が共存し、民族と文化の多様性を許容する、日本の歴史においては稀有な国際都市でした。
 だがそれもノスタルジックな遠い「過去の思い出」であり、残されたのは外国人墓地だけになってしまったのです。
 (なおあまり知られていませんが、横浜にはここのほかにあと3ヶ所、外国人墓地があります。)

 (大場光太郎・記)

参考・引用
有隣堂広報紙『有鄰』(9月10日号2面)
『ウィキペディア』-「横浜外国人墓地」の項
有隣堂広報紙の関連記事
『神奈川県の米軍基地(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-cc89.html
『神奈川県の米軍基地(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post.html
『ほんとうの横浜』(文:藤原帰一氏)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-b57f.html
『歴史を知れば横浜はもっとおもしろい』(文:山崎洋子氏)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9cbf.html
『本屋さんに行く』(文:伊東潤氏)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-0f79.html

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ブログの事件記事はどこまで踏み込むべきか

 -「事件記事」は多くのアクセスが見込める。しかし隣り合わせでリスクもまたある-

 森喜朗元総理引退表明が契機となった、過去の当ブログ『押尾事件の陰の主役森祐喜氏死去』記事へのアクセス集中現象。これは次の日の24日も止まりませんでした。と言うより、この日ピークを迎え、何と開設以来最高のアクセス数を記録したのです。
   24日(火)    純訪問者数    7,470人
            総アクセス数  14,790件
 25日はさすがに下火となりましたが、それでも通常より倍以上の訪問者数、アクセス数でした。

 そもそも私が当ブログを開設した4年余前は、事件や政治や芸能関係記事を公開するつもりはまったくありませんでした。それよりは身辺雑記、自然観察文や純然たるエッセイ、名詩、名曲、名文学作品などの鑑賞文などを主体としたかったのです。
 事実しばらくはもっぱらそれらのみを主体とした記事をほぼ毎日更新していました。しかし私がいくら「一記事入魂」のつもりで書いても、思うように訪問者数が伸びてくれないのです。

 ブログを運営されている方ならどなたもそうでしょうが、やはり訪問者・アクセス数の伸びこそは何よりの励みになります。そこで思い悩んだ私はつい初心を忘れて、「どうすれば視聴率(アクセス数)が取れるか?」と考えるようになりました。
 そこで話題の映画や社会的な関心の高い出来事など、いろいろなジャンルの記事にトライしているうちに、「アクセス数を増やすには事件記事が一番だ !」という結論に達したのです。

 それで徐々に従来の記事に交えて事件記事を増やしていきました。その結果が2009年の、大相撲界、小向美奈子の薬物事件を端緒とする『薬物汚染の拡がりを憂う』シリーズです。その年8月の押尾学、酒井法子事件という超ど級の薬物事件が発覚したことにより、同シリーズは結局40回以上もの大シリーズとなりました。
 また同じ年には、希代の保険金詐欺師・木嶋佳苗による男性連続不審死事件が発覚しました。これにも「待ってました」とばかりに飛びつき、『かなえの殺人レシピ』として15回のシリーズとしました。

 その他朝青龍や市川海老蔵の暴行事件などなど。それぞれが事前の予想通りの“大当たり”でした。そのつど当ブログアクセスはぐんぐん上昇していったのです。
 作り手として「ありきたりの書き方ではつまらん」とばかりに、より深部、暗部に迫るべく、いつしか各事件とも私なりに“取材”に熱中しました。と言っても、プロのルポライターのように事件現場や関係者に直接当たることは出来ません。
 そこでもっぱら夕刊紙、スポーツ新聞、週刊誌、そして貴重な情報源であるネットの2ちゃんねるなどを丹念に読み込んで、私なりに組み立て直して記事にしていったのです。

 例えば朝青龍の場合は、大マスコミが口を閉ざして報じようとしない暴行相手の川奈毅の実名を早々と特定し、川奈の来歴や闇社会とのつながりなどを暴露しましたし、事件のきっかけとなった六本木クラブ内での朝青龍の外国人ホステスへのレイプの可能性にも触れました。
 押尾学事件の場合はもっと壮大で、政治家、政治家ジュニア、警察・検察などの高級官僚、他の有名芸能人、大物アスリートなどの薬物汚染の実態や事件との関わり、それらに加えてマスコミや財界の闇社会との癒着などにまで踏み込みました。

 当初は“怖いもの知らず”で突っ走りました。が、やはりブレーキがかかったのは、(直前の『森元総理の引退表明と当ブログとの妙な因果関係』で紹介した)野口美佳元社長による「訴訟も考えます」のツィッターでの一言でした。
 総資産百億円以上で天下のワコールの個人筆頭株主から名誉毀損で訴えられ、裁判で「一千万円の損害賠償の支払いを命ずる」などとなれば、しがない私はお手上げです。第一逆立ちしても払える額じゃありませんよ。

 こちらは無報酬でブログを運営し記事更新している立場です。なのにそんな決着になればおよそ割りに合いません。また私が記事の根拠としているのは、第二次、第三次資料のたぐいで反証としては弱いのだし…。そんなこんなを考慮し、同記事及び『薬物汚染』シリーズの野口美佳氏関連のおおよそは削除したのでした。
 その結果1年ほど経過した今も、私の下に野口氏サイドからの訴状は届いておりません。

 これで事件記事トラブルは一件落着か、と思いきや。『日々雑感(13)』で少し触れましたが、最近当ブログなどココログブログ全体を統括しているニフティ株式会社より私の下に書留郵便が届いたのです。
 開設以来同社からこのような郵便を受け取るのは初めてで「ギクッ」としました。直接的には同社法務部長からで、『送信防止措置請求に係る意見照会書』という文書でした。

 内容のあらましは、当ブログのある記事に対して「権利が侵害されたと主張」され、送信防止措置請求をしてきた方がおられるため、「プロバイダ責任法」第○条第○項第○号に基づき、侵害情報の送信防止措置を講ずることについて、貴方のご意見を照会いたします、ということです。添付の回答書に記入の上1週間以内にご回答願いたいというのです。

 「名誉権」「プライバシー権」を侵害されたと主張される請求者の請求に基づく同文書に接して、私は「これは下手すると当ブログ全削除になっちゃうのか?」と暗澹たる気持ちになりました。内容は違いますが、今年2月頃『二木紘三のうた物語』以来旧知のY氏が、同氏のブログに各歌の歌詞を無断転載したカドにより、JASRAC(日本音楽著作権協会)の通報を受けた管理会社のヤフーにより全削除された“事件”があったからです。

 しかし念入りに文書を当たってみれば、当該記事の当該箇所の削除だけで済みそうな気配です。ならばお安い御用。久しぶりで当該記事を読み返したところ、他にも「よくもこんなことを書いたものよ」と思うようなかなり際どい箇所が見つかりました。それでまた面倒が起らないよう同記事全部を削除し、その旨を回答書に書いて返送した次第です。
 余談ながら。今この時期に、大物政治家の関係者からこのような請求がくるのは「いよいよ総選挙近し」を思わせます。

 長々と述べてしまいました。つまり事件記事はかなりのアクセス数が見込まれるものの、内容次第では関係者から民事訴訟を起こされたり、記事削除請求がきたりするリスクと隣り合わせだと言うことです。
 今現在の当ブログの「森元総理引退表明特需(?)」も数日もすれば収まり、平常に戻ることでしょう。それでも、1日平均800人前後の純訪問者が来てくださっています。上を見れば切りがありませんが、何も危ない橋を渡る必要はありません。
 初心に戻って、アクセス集中は見込めずとも、今後はなるべく自分が本当に書きたいことを記事にしていきたいと思います。

 ただ『押尾事件の陰の主役-森祐喜氏死去』にyamato様が、次のようにコメントしてくださっています。

日本の政官界、検察、警察組織が如何に反社会的、反民主的であり、如何に国民の利益に反する行為をしているか・・・が分るような気がします。これはある意味では国家的犯罪組織とも思われるような部分が有ると思います。
これからもこのように分りやすく、事実を知ることが出来る記事をたくさんお書き下さい。

 そうですよね。押尾事件や一連の小沢事件のように、裏に巨大な国家的犯罪、謀略の可能性がありそうな場合は、多少のリスクを承知でまたとことん追及していく所存です。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『森元総理の引退表明と当ブログとの妙な因果関係』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-a94a.html

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森元総理の引退表明と当ブログとの妙な因果関係

-森元総理引退の政界への影響を語るのではなく、当ブログに引きつけたお話を-

 自民党の森喜朗元首相(75)が22日の地元石川県能美市での会合で「次の選挙に出ることを見合わせたいという思いだ」と述べ、次期衆院選に立候補しない意向を表明していたことが分かった。森氏の事務所関係者が23日明らかにした。 

[時事通信社]

 ここのところ無テレビ生活の私がこのビックニュースを知るきっかけとなったのは、意外と思われるかもしれませんが当ブログアクセス推移によってです。まず昼前この日のそれまでのアクセス推移をぱっと見て、午前10時台から尋常ではない伸びを示しているのに気がつきました。
 それでさらに詳しくたどってみたところ、昨年のちょうど今頃の『押尾事件の蔭の主役-森祐喜氏死去』記事にアクセスが集中していることが分かったのです。

 押尾事件は押尾学への実刑が確定し、もうすっかり風化気味の事件のはずなのに何で今頃?結局すべてを押尾一人に押し付けて、同事件の巨大な闇はほとんど暴かれることなく幕引きとなりました。それをもって私の同事件への関心もとんと薄れてしまっていたのです。
 直後ネットニュースを見て、トップの「森元総理政界引退」の文字を見てようやく納得したのでした。

 同記事が当ブログにとって1年に1回あるかないかの「お祭状態」を引き起こしてくれたのはこれで2度目です。1回目は同記事公開日の昨年7月28日のこと。その時はツィッターと、同記事が阿修羅掲示板に転載されたことによるものでした。
 分けてもツィッターによる拡散効果は凄まじいものがありました。ただしそれは、(田中香織さん死亡事件のあっだ)六本木ヒルズレジデンスB棟一室の借主野口美佳氏に触れた(実際はかなり辛らつなことを書いた)ためなのでした。

 直後の『大変だ。野口美佳元社長に訴えられる』で述べたように、同記事はただちにピーチ・ジョンの野口元社長の知るところとなり、ツィッターで一連の弁明をされ、とどめに「一段落したら訴訟も考えます」のつぶやきとなったのでした。
 ビビった私は、翌日その記事を出すとともに『押尾事件の蔭の主役-森祐喜氏死去』記事から野口氏関連の記述を削除したのでした。

 結局23日1日の純訪問者数は5343人、総アクセス数は9868件、特にアクセス数では過去最高を記録しました。(どうせだったら1万件突破してくれればよかったのに。)
 もうこのくらいの数字になると、面倒でアクセス推移のほんの一部しかめくれません。だから断定はできませんが、今回はツィッターによる拡散はなかったもようです。「森喜朗 息子」「森元総理 長男」などの検索によるアクセスがもっぱらです。

 それと夜になってから、『陽光堂主人の読書日記』さんが森元総理引退記事の中で同記事を紹介してくださり、そちらのサイトからの訪問、そして陽光堂主人さんの記事が阿修羅掲示板に掲載されたことにより阿修羅からの訪問が結構増えました。
 なお『陽光堂主人の読書日記』は、時々に生起する政治などの事象を独自の視点から論考しておられる優れたサイトです。私も「お気に入り」に入れて時たま訪問させていただいております。

 それにしても森元総理引退表明で、既に死去した長男の森祐喜氏記事が再びこんなに注目されるとは。世間一般の“善男善女”市民(実は「B層」)はいざ知らず、ネット市民の間では、森祐喜氏は「押尾事件の蔭の主役」として定説化していることの現れです。さらには同事件の真相のもみ消しに、森元総理が関与したとされる疑惑がくすぶっている証拠なのでしょう。

 真相(?)をもう少し詳しくお知りになりたい方は、当ブログ同記事をお読みください。
 また陽光堂主人さんによれば、陰で押尾事件の再捜査が続いているらしく、「早すぎる」森元総理の政界引退はそれとのバーターの可能性もありそうです。しかし森元総理が仕切ってきた清和会は、昨年のディビッド・ロックフェラーの失脚により力を失っており、間もないとみられる総選挙の結果次第では、押尾事件の巨大な闇が明るみに出る望みもなお残されているようです。

 (大場光太郎・記)

参考
『陽光堂主人の読書日記』-「清和会のオーナー・森元総理が謎の引退表明」
http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-697.html
関連記事
『押尾事件の陰の主役-森祐喜氏死去』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-26e0.html
『大変だ。野口美佳元社長から訴えられる』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-e301.html

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『銀の匙』と灘校名物国語教師

-文部省(当時)指導要綱などくそくらえ。名物先生の「銀の匙」教室について-

 中勘助(なか・かんすけ)という作家の『銀の匙』という作品をご存知でしょうか。ためしに私が持っている岩波文庫カバーの、『銀の匙』紹介文は以下のとおりです。

 - 古い玩具に混じって大切にとっておかれた銀の匙。少年時代の思い出を自伝的に綴ったこの作品には、大人が追想した子どもの世界ではなく、子ども自身の感情世界が、子どもが感じ、体験したままに描き出されている。漱石が未曾有の秀作として絶賛した名作。-

 音に聞こえたあの灘校で、かつてこの『銀の匙』の文庫本(多分私のと同じ岩波文庫かと)一冊だけを、3年間かけて読み込む国語の授業を行っていた名物先生がいたというのです。
 おそらくそれ以前もそれ以後も、全国どこの高校でも行われなかったであろう極めてユニークな授業を進めたのは、今年で百歳をお迎えになる橋本武先生です。灘校で50年間教鞭を執り、昭和59年に同校を去りました。
 橋本先生が退職して28年ほど経過したことになります。しかし今でも「銀の匙」教室は、伝説の授業として語り草になっているというのです。

 「生涯心の糧となるような教材で授業がしたい」。橋本先生のその思いは、当時公立校のすべり止めに過ぎなかった灘校を、全国トップレベルの進学校に導き、数多くのリーダーを生み出してきたのです。
 2010年12月には、この「究極のスロー・リーディング」授業の誕生と実践を描いた『奇跡の教室』(伊藤氏貴著、小学館刊)が刊行されベストセラーとなり、「偏差値教育」「脱ゆとり教育」で揺れ動いている昨今の教育界に大きな反響を呼びました。

 戦前の東京高等師範学校を卒業した橋本武先生は、担当教員から灘校への赴任を命じられます。当時私立は公立の格下扱いでしたが、橋本先生は「公立ではできない面白いことが、ここではできる」と、逆転の発想で臨みました。
 そんな新米教師の希望を打ち砕いたのが太平洋戦争です。名作アニメ『火垂るの墓』でもリアルに描かれていたように、灘校のある神戸市は大空襲の被害に遭いました。終戦とともに巷には闇市が広がり、進駐軍のトラックが行きかう日常が続きました。

 「毎日、地獄絵図を目の当たりにした。GHQの指導(検閲)で、教科書は黒塗りになり、ぺらぺらですよ」(橋本先生談)
 こんな劣悪な環境で育つ子どもに、どんな授業をすればいいのか。思い悩んで行き着いたのが『銀の匙』だったのです。橋本先生自身、東京高師時代『銀の匙』と運命的な出会いをし、その作品世界に心酔していたのです。こういう経緯があって伝説の「銀の匙」教室が生まれたわけです。

 文科省指導要綱、日教組、教育委員会、PТAがかまびすしい今日では考えられませんが、教科書は一切使わず、文庫本『銀の匙』1冊を横道に逸れながら3年間かけて読み込んでいく国語の授業法です。
 しかし橋本先生の型破りで画期的な授業法の感化力は凄まじく、灘校がかつて東大合格数日本一に輝いた原動力になったと評価されています。それに巣立った教え子たちの社会的活躍も見逃せません。
 例えば、戦後生まれ初の(現)東大総長になった濱田純一氏。現日弁連事務総長の海渡雄一氏。元フジテレビキャスターで現神奈川県知事の黒岩祐治氏。

 『奇跡の教室』の中で、彼らは橋本先生を次のように懐かしんでいます。
 「いつも言葉に真実味があった。ただ、真剣だというのとも違って核心を押さえているというか」(濱田氏)
 「橋本先生からは“センス”を学んだ。気づくセンスこそが国語力って」(海渡氏)

 一々ご紹介できませんが、文庫本の中の言葉一つで授業は、日本の伝記伝承からアラビアンナイト、中国の故事にまで話は及んだといいます。
 2011年6月8日、25日、98歳にして灘校の特別授業「土曜講座」で27年ぶりで「銀の匙」授業を行ったそうです。

 数十年を経ても色あせない「銀の匙」教室。橋本先生自身は、こう語っています。
 「普通に読むだけでは、なあんにも残りませんから。自分が中学生のときに何を読んだかおぼえていますか?私は愕然としたんですよ。何も覚えていないって。先生への親しみはあっても授業の印象はゼロに近い……なんとかして、子どもたちの生活の糧になるようなテキストで授業がしたい、そう思ったんです」

 今回焦点の名作『銀の匙』。私は20余年前に同文庫のを求めながら、実はまだ読了したことがないのです。なかなか読めない本として、外国文学ではトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』でしたが昨年読了し、いつか記事にするため今再読中です。
 『銀の匙』も。これを機会にじっくり最後まで読み通してみようと思っています。

【追記】
 本記事は昨年3月上旬頃、たまたま買った『週刊ポスト』の中の記事を参考・引用してまとめたものです。その頃まとめるつもりでしたが、直後の3・11の発生、同週刊誌の紛失などにより諦めていました。それがつい先日同記事のコピーが見つかりましたので、今回こうして記事にできました。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『全国高校偏差値ランキングから』(灘校の偏差値や東大進学者数など)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-4cfd.html

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