薬物汚染の拡がりを憂う(39)

 泉田勇介が自供を始めた?

 まず前回(38)記事の補足をー。押尾学ら3容疑者は、やはり拘置期限を10日間延長されたもようです。そして当初は3人とも容疑を否認していて、一時はこのまま不起訴かと危ぶまれたました。しかしここにきて事態は一変、今回の件で鍵を握ると見られていた泉田勇介容疑者が少しずつ自供を始めているというのです。

 泉田は逮捕前『週刊文春』の取材で、自身の薬物疑惑については否定しながらも「俺は今まで押尾をかばってきたのに、押尾に裏切られた」と恨み言を述べていたと言います。ただ泉田はその際、「押尾は田中さんからクスリをもらったと言っていた」と押尾をかばってもいたのです。
 対して押尾からは連絡がなく、それどころか「泉田にはめられた」と共通の知人に言って回っていたといいます。これで泉田は『押尾に裏切られた』という気持ちになり、今回の自供につながったのでしょうか?また事実を認めて話せば、20日間の拘置期限の年末ぎりぎりでシャバに出られるという計算も働いたのかもしれません。
 情報通によると泉田は、自分が押尾にMDMAを渡し、さらにそれを誰に譲って“ドラックセックス”したか知る限りを自供し、さらに田中香織さんが変死した後の押尾の言動についても供述しているもようです。これにはさすがの押尾学も観念したようすだということです。

 PJの野口美佳、毎日新聞社を提訴

 話は変わって、ピーチ・ジョンの社長野口美佳の近況についてです。
 野口美佳(44)は、「押尾学に加担したかのように報じられた」として、毎日新聞社と記事執筆者を提訴したとのことです。「1100万円の損害賠償」と「紙面での謝罪広告掲載」を求める民事訴訟です。
 既報のとおり野口は、今月2日のブログ再開と共に、「良くない噂」を流したマスコミと争う姿勢を見せていました。ついにその口火が切られたかっこうです。

 提訴は、押尾事件を報じた『サンデー毎日』10月11日号の記事に対してのようです。訴状によれば、同記事で押尾学と一緒にいて田中香織さんが変死した六本木ヒルズのマンションの部屋を「野口社長が自由に使わせていた」と報じましたが、野口側はこの内容を虚偽として「事件に加担したかのような印象を与える内容で、社会的評価の低下は明らかだ」と主張しています。これに対してサンデー毎日の山田道子編集長は、「請求は棄却されるものと考えている」と、法廷闘争に向けて自信のほどをのぞかせています。

 以前も述べましたとおり、野口美佳vs毎日新聞、徹底的に争えばいいと思います。本当は、この法廷闘争劇をテレビなどが大々的に取り上げてくれれば俄然関心が高まるのですが。何せPJからの黒いカネの毒が回っているテレビ各局がどれだけこの件をニュースとして扱うのか、あるいは無視するのか?それも注視していきたいものです。
 なおこれを扱ったあるサイトには、36件ものコメントが寄せられました。1、2カ月に1件くらいの寂しいコメントの当ブログなどは羨ましい限りです。それはともかく、中にはずいぶん核心を衝いたコメントも多くありました。36件のうち、野口美佳擁護コメントは1件もありません。
 無断ながら、その一部を順不同で、可能な限りご紹介してみたいと思います。なお段落を適宜詰めたり、一部省略したりしています。

<某サイトのコメントから>
(無題) PJ早くなくなれば良いのに。ワコールも早くPJ追い出してください。みんなもPJ買わない方が良いよ。売上げで何してるか分からないよ。
売春を操作しているのかは分からないけど、自分のマンションで女性が亡くなった事に対して逃亡w女性の味方ですか?むしろ敵でしょ。 「女の恥」さん

(無題) 「心からの応援と共に貸したつもりの場所」 なぜ応援にヒルズのマンションが必要なんだ?自宅以外の部屋を持たせる事が、どうしてどう仕事の応援になるんだ。苦し紛れにもほどがある。  「名前不明」さん

(逆ギレか?) 自由に部屋を使わせていたんじゃないのなら、かってにお塩が部屋にあがりこんだっていうのか?誰もそんなの信じないし、報道される前から、野口が貸してた複数の人が、ヤリ部屋として使ってたと皆知ってるよ !  「ひろひろ」さん

(無題) 妻子もちの男にどーして部屋を与えるんだこのババア  「モツ」さん

(無題) 勝てると思ってるのかな。絶対無理でしょ。自分の愚かさを露呈しているようなもんだよ。自業自得。(以下略)  「名前不明」さん

(無題) 神は裁きを下す 野口美佳逃げんなよ  「一般人の逆襲」さん

(なにをやっても) もう二度とPJの商品は買わないな。カタログ見てもテンション上がらないでしょう。ショップの袋も恥ずかしくて持ち歩けないし。  「うーん」さん

(醜い) 全部消せるつもりでいるのか、こいつは?ネット社会をわかってないですな。  「天宮アイル/山口セロニアス」さん

(無題) …思いのほか世間が忘れてくれないから行動を起こしたんでしょうね。世間に分かってもらう前に説明責任があると思う。裏で噂が駆け巡るばかりで、テレビでまったく報道されない不自然さ。信じられるわけがない。  「世間はばかじゃない」さん

(野口さん) 今度は、ゆすり?被害者面して、何なんだ?悪いことを、悪いと認めないで、社長を続けていくつもりなのでしょうか… 誰もが、冷めた目で、見ています。早く捕まって、罪を償ってください。 下着も、色褪せて、汚れたものに見えます。  「らら」さん

(押尾を訴えるのが筋) 押尾に損害賠償するのが先だろ。(下略)  「かめ」さん

(無題) 野口はサイテーだな。こいつのせいで今回の事件は起きたんだよ。(中略)野口がいなければこのような事件も起こらなかった。  「品川商事」さん      (残念ながら、以下割愛します。)

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(38)

 麻薬取締法違反(譲渡)容疑で7日再逮捕された押尾学容疑者(31)、同時に逮捕された遠藤亮平(28)、泉田勇介(31)両容疑者らの拘置期限は、確か今月の18日までだったかと思います。一応の期限は過ぎてしまったものとみられますが、釈放されたという話を聞かないところを見ると、拘置を延長して取調べ続行中ということなのでしょうか?

 逮捕直後は、3人とも肝心の容疑事実については否認しているとのことでした。その後依然として否認し続けているのか、それとも少しずつ容疑事実を認め始めているのか?捜査に進展はあるのかないのか?ここのところ彼らに関する新しい情報がさっぱり入ってきません。これは警視庁、東京地検、東京地裁など関係機関による、厳しい「情報戒厳令」の一つなのでしょうか。小沢一郎現民主党幹事長関連政治団体の西松建設献金疑惑に対しては、1年近くにもわたってネチネチと執拗に、時にはとっくに時効を過ぎた古い事実を蒸し返してリークしているのとはえらい違いです。

 それに再逮捕以来、テレビなど各マスコミも押尾関連を取り上げません。これには理由があるようです。ズバリ「押尾では視聴率が取れない」からだと言うのです。再逮捕時各局とも大騒ぎで取材に駆けつけ報道したものの、軒並み視聴率を落としたらしいのです。そこで各局とも押尾事件からは手を引きはじめているというのです。
 国民視聴者からすれば、「押尾学というダーティイメージの三流役者の件など、もうけっこう」という気分があるのかもしれません。

 しかし「ちょっと待ってくださいよ」ではないでしょうか?同事件発生時から、テレビ各局などは完全に腰が引けた報道に終始してきました。以前お伝えしましたとおり、「この事件には複雑な問題があるから、報道は手控えるように」と上層部から通達されたテレビ局もあったよし。他局とて似たり寄ったりでしょう。そしてほどなく起きた、「押尾事件隠し」としての“のりピー失踪”を、これ幸いとばかりに一斉にそっちの方にシフトしていったのです。
 とにかく押尾事件は、単に薬物事件というよりも、政界、官界、財界、芸能界、スポーツ界、闇社会など、今の社会の腐敗を暴きこの国を再生させるための「一丁目一番地」のような重大事件です。この事件の背後には、とれほど巨大な闇があるか各マスコミは当初から分かっていたはずです。
 
 マスコミ界は、最初から「事件性なし」として早期決着を図ろうとした麻布警察署と同じ穴のムジナというべきです。各方面とのまずい癒着があるから、いざという時「正義の言論」「真実の報道」ができなくなってしまうのです。
 だから新聞、テレビでは、今もって事件が発生した部屋の所有者(借り主)のピーチ・ジョン社長野口美佳の名前も、そこに入り浸っていた森祐喜や北島康介なども一切名前が出てきません。ましてや押尾事件の「もみ消し圧力」に動いたと思われる森元総理などや、押尾学の背後にいるフィクサーたちの名前など知られるはずがありません。彼らの「やり得」「言い得」を許しているマスコミ界は、政権交代以前の旧自民党的悪しき体質からまったく脱け出せていないと言わざるを得ません。

 新聞、テレビなどが真実を報道しない以上、事件発生時六本木ヒルズの密室にいたのは押尾学と変死した田中香織さんだけ、事件は2人の間だけで起き、その後押尾の連絡を受けて遠藤や泉田らが駆けつけたくらいの認識しかないのではないでしょうか?だから「これ以上押尾関連を報道されてもつまらない、もういい加減イヤになる」ということになるのです。
 これが最初から押尾事件の真実をきっちり伝えていれば、視聴者もいかにこの事件の闇が深いものであるかが分かり、物情騒然、話題沸騰、捜査当局への真相解明圧力は信じられないほど大きなうねりとなっていたことでしょう。

 それにいざ再逮捕はしたものの、警視庁捜査1課は「本当に大丈夫なの?」と心配になってきます。当初は「逃げ得は許さない」と息巻いていたものの、遅々として進まない捜査状況に不安を覚えます。保護責任者遺棄、同遺棄致死罪での立件など遠のいた感じです。年の瀬もいよいよ押し詰まった頃、「嫌疑不十分で3人とも釈放」「今年のことは今年のうちに。はい、これで幕引き」などとならないことを切に祈るばかりです。

 (大場光太郎・記)

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米沢上杉藩物語(2)

 上杉藩米沢移封までの置賜地方の歴史

 和銅5年(712年)置賜地方は、それまでの陸奥国(むつのくに)から出羽国(でわのくに)と変更された国の一地方となりました。また平安末期には奥州藤原氏の支配下に入りました。
 
 ついでですから脱線しますが、奥州藤原氏のことを少しー。奥州藤原氏の遠祖は藤原頼遠(よりとお)とされ、平忠常の乱(長元元年-1028年)において平忠常側についた頼遠が、陸奥国多賀郡(現在の岩手県)の官吏に左遷されたものと推測されています。頼遠の子藤原経清(つねきよ)の時代、陸奥国内に荘園を経営するなどして勢力を拡大していきました。なお奥州藤原氏は、当時の藤原摂関家から係累を認められる家系ではあったようです。
 さて11世紀半ば、陸奥国には安陪氏、出羽国には清原氏という強力な豪族が存在していました。安陪氏、清原氏とも東北地方の先住民系豪族だったようです。

 このうちの安陪氏が陸奥国の国司と争いになり、これに河内源氏の源頼義が介入して足掛け12年にわたって戦われたのが「前九年の役」でした。同役では安陪氏が終始優勢に戦いを進めていたものの、最終局面で清原氏を見方につけた源頼義が安陪氏を滅ぼしました。安陪氏側についた藤原経清も斬首されました。
 しかしこれで、安陪氏、藤原氏の血筋が絶えたわけではありませんでした。殺された安陪頼時の娘の一人が藤原経清に嫁しており、経清死後清原武則の長男・武貞に再嫁することになりますが、この時経清の息子も武貞の養子になったからです。(安陪頼時の外孫でもある)経清の子は長じて、清原清衡(きよはらのきよひら)を名乗りました。

 永保3年(1083年)清原氏の頭領の座を継承していた清原真衡(武貞の子)と清衡そしてその異父弟の清原家衡との間に内紛が発生します。この内紛にまたまた源頼義の子の源頼家が介入してきました。内紛は真衡の死をもっていったんは終息しましたが、源義家の裁定によって清衡、家衡に3郡ずつ分割継承されることを家衡が不服とし、清衡と家衡との間に戦端が開かれることになりました。
 源頼家はこれにも介入し、清衡側について家衡を討ち取ります。この一連の戦いが「後三年の役」と呼ばれるものです。

 こうして清原氏の所領は清衡が継承することになったのです。清衡は実父の姓を再び名乗り、藤原清衡(ふじわらのきよひら)となりました。これが奥州藤原氏の始まりとなります。
 後に藤原氏は清衡の子基衡(もとひら)から秀衡(ひでひら)、泰衡(やすひら)と4代100年にわたって繁栄を極めることになりました。都を平泉に置き平泉文化を開花させ、平安京に次ぐ日本第二の都市と讃えられました。
 平家を滅亡した源頼朝の敵視政策により、源義経を匿(かくま)ったなどの咎(とが)により鎌倉勢の討伐を受け、文治5年(1189年)7月藤原泰衡は殺され、奥州藤原氏は滅亡しました。

 その後鎌倉幕府の智将・大江広元(おおえ・ひろもと)が置賜地方を支配し、広元の子の時広(ときひろ)が頼朝の命により地頭(じとう)となり、後に時広は長井姓を名乗ることとなりました。この頃から置賜地方は「長井の庄」と呼ばれ、近世には「長井郡」とも呼ばれるようになったのです。
 長井時広から8代143年の間、その拠点であった米沢城は長井氏支配の中心地になっていきました。

 その後天授6年(1381年)伊達氏8代宗遠(むねとお)が長井領を侵犯し、時の領主の長井宗広は追放されてしまいました。
 新しい領主となった伊達氏は、主に高畠(たかはた)地方を根拠地として人心を掌握し、高畠城、米沢城をはじめとして、伊達、信夫(しのぶ)、柴田、伊具(いぐ)の諸地方にわたって各地に居城を構え、戦略上転々と本拠を移し、15代晴宗の時になって米沢城を根拠地にしました。ちなみに後に“独眼龍”と呼ばれることになる、伊達政宗は米沢城で呱々の声を上げたのでした。
 しかし恭順した豊臣秀吉の命によって、政宗は天正19年(1592年)25歳で米沢に名残を惜しみつつ、岩出山(現宮城県大崎市)に移って行きました。天正15年米沢城の西、館山の地に築いた外郭の跡は、今も政宗の雄大な計画の名残りをとどめていると言われます。
 政宗まで伊達氏が置賜を領すること、実に10代212年にも及んだのでした。

 次いで秀吉は、奥州の鎮護を考慮して、知勇兼備の名将・蒲生氏郷(がもう・うじさと)を会津に配し、会津に加えて伊達、信夫、長井三郡を与え、75万石の領主としました。氏郷はその将蒲生郷安(さとやす)を米沢城に配置し、3万8千石の領主としました。郷安は近江国(おうみのくに)松ヶ崎の人なので、米沢城を松ヶ崎と言ったとも伝えられています。
 蒲生氏郷は京都で40歳で世を去り、世継ぎの鶴千代がその後を継承しました。しかし彼が統率の才に乏しいのを見た秀吉は、蒲生氏を宇都宮に移し、越後の上杉景勝を会津に移して120万石を与え、奥州鎮撫の大任を課したのでした。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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師走だより(2)

   真夜更けのかの天狼(シリウス)の光濃し   (拙句)

 先日の『日々雑感(8)』記事などで取り上げましたとおり、今冬は例年のような西高東低の冬型の気圧配置にはなかなかなりにくい、したがってしばらくは暖冬傾向が続くことでしょう、などと悠長なことを述べました。
 まさかその記事が「冬帝(とうてい)」の目に止まったわけでもないでしょうが(笑)、「ならば、これでどうじゃ !」と言わんばかりに、ここ2、3日にわかに日本列島全体に大寒波が襲いかかってきています。

 北海道や東北はもとより、北陸、山陰など日本海側は言うに及ばず、広島県芸北地方など太平洋側、四国山地沿いなど四国西部地方、さらには九州北部から佐賀県にかけてまで、かなりの積雪に見舞われたもようです。
 いったい急にどうしたことなのでしょう?私など素人にはよく分かりませんが、さすが気象予報士の中には先週末既に、今週後半から週末にかけてのこの寒波襲来をきっちり予報していた人もいたようです。とにかく今現在の列島周辺の気象図を見ますと、いつの間にか中国大陸には高気圧がデンと居座り、方や太平洋上には低気圧がこれまたデンと構えています。東西横綱級の両気圧に挟まれた格好の我が日本列島は、なるほど密に何本もの等圧線が南北に走っている典型的な冬型の様相です。これでは北極、シベリア圏からの大寒気団が列島に思うさま吹きつけられもするわけです。

 某テレビ局の報道番組によりますと、17日早朝の北海道のある地域では、何と氷点下25℃にまで気温が下がったそうです。それがどれだけの寒さかと言いますと、リポーターが雪で覆われた外で防寒服を重ね着してリポートしていましたが、それでもなお立っているだけで震えがくる、体中が痛くなるほどの寒さだと言うのです。ためしにシャボン玉を膨らませてみますと、シャボン玉はあっという間にカチカチに凍りついてしまいます。また外で生卵を割ろうとするも、カチンカチンに凍っていて殻をむくことさえできません。屋外全体が天然の“冷凍庫”状態だと言うのです。
 「寒い」とは言ってもたかが知れている関東地方在住の私などには、およそ想像すら出来ない“極寒地獄”のような感じなのではないでしょうか?

 そう言えば思い出しました。私も18歳までの子供時代を、山形県南部の内陸部・置賜地方で過ごした経験があります。今年初めの『雪に埋もれし我が故郷』シリーズでご紹介しましたとおりの豪雪地帯です。一段と冷え込んでくる真冬の夕方など急に寒さが襲ってきて、外で遊んだりしていますと、むき出しの両耳がちぎれるほど痛くなります。まさか-25℃とまではいかなくても、とにかく氷点下であったことは間違いないと思われます。
 そのため羨ましいことにお金持ちの子供などは、予め狐のふさふさした毛皮で作られたような市販の耳隠し(郷里では別の呼び方があったかと思いますが、忘れてしまいました)をしっかりつけていました。もっとも小学校時分に、顔の前面だけ出るようにして、頭から両耳、両頬がすっぽり隠れ、あごの下で両方から紐で結ぶ黒い色の“冬帽子(?)”を被って登校した記憶もあります。

 山形といえば、夜某テレビ局で鶴岡市大網七五三掛地区内の積雪のようすを中継していました。同地区は今年2月頃から部落全域にわたって地すべりが起こっており、ひどい所では2~2.5mもの段差が生じ、とても住める状況ではなく集落全体が自主非難している地区だそうです。えてして災害は限界集落に集中しやすく、同地区も例外ではなかったようです。
 そこにもってきてこの大雪です。50代の男性は、「今の雪質は湿ってっから、とても雪下ろしなど出来ね。今上さ登っと、つるんとすべっから」と、経験に則って話していました。事実同市内の70代の男性が屋根から転落して死亡したことを、同局では直前に伝えていました。
 県では地すべりの原因を、地下25mの地層にある地下水が流れ込んだために起こったものとしています。とにかく地すべりと大雪のダブルパンチです。とんだ難儀なことと心よりご同情申し上げます。

 また本日昼頃には、別のテレビ局が北陸富山湾岸での寒ぶり漁のもようを中継していました。日本海に面した富山湾沿岸一帯は、11月下旬から12月中旬にかけてぶりが湾内に回遊してくるので、“寒ぶり”のかき入れ時だというのです。そしてぶりの到来を知らせるように、同時に陸風が陸上から吹き込む強い南風となって、複雑な気候をもたらし、雷を伴った荒れ模様の天気となるのだそうです。
 「冬の雷」とはこれまた面妖ですが、これが鳴るとぶりがよく獲れることから同地方では昔から、この時期の雷のことを「ぶりおこし(鰤起こし)」と呼び習わしているようです。そう言えば先月読んだ松本清張の『ゼロの焦点』にも、同小説は冬の北陸が舞台とあってぶりおこしのこともさり気なく描かれていました。
 同地方ではまた新婚家庭の場合、新婦の実家から新郎の実家に獲れたての生きのいいぶりを贈る風習があるようです。一つには新郎の無事息災のためと、もう一つはぶりという“出世魚”にあやかって、新郎が仕事で活躍できるようにという願いを込めたものだそうです。

 本18日当地(厚木市)は、雲は四辺の低い空にわずかに認められるばかり。抜けるような青空が広がる冬晴れの一日となりました。空がそんな具合ならば、街のようすもいつになくすっきり、くっきりと見えています。そのさまは、冬帝(冬将軍)に遣わされた無数の見えざる寒兵たちによって、邪気という邪気がきれいさっぱり祓われてしまったかのようです。しかしその分外に出ますと、ピューピュー吹きつける北風が余計身に沁みます。
 関東南部はさすがに雪こそ降らないものの、列島の脊梁山脈を越えてきたカラカラに乾燥した冷たい空っ風(からっかぜ)が吹きつけて来るのです。
 週間天気予報によりますと、この超冬型の気圧配置はあした土曜日くらいがピークかと。それでも来週火曜日の朝頃まではこの冬型が居座り、それ以降は徐々に寒さも緩んでいくでしょう、ということのようです。

 本夕方日が沈んで少し後の大山の姿を見ました。西空の青い色が残る冴えた夕空を背景に、黒か紫かと見まごう常にも増して引き締まったその秀峰を仰ぎ見ることができました。大山の稜線がなだらかに降りていく左側の低い空には、佳人の美しい眉のような眉月(びづき)も認められました。

 (大場光太郎・記)

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松本清張『ゼロの焦点』

 映画『ゼロの焦点』のあまりの強い印象に、松本清張の原作が読みたくなりました。私にとって逆はあっても、映画を観てから原作をというのは珍しいパターンです。
 映画を観終わって2、3日後から、新潮文庫版『ゼロの焦点』を読み始めました。470ページ以上はあるものの、活字が大きく私のような年配の者には助かります。松本清張の筆力のなせるわざなのか、ぐいぐい物語りに引き込まれ、一気に読み終えました。

 映画を観た後なので、どうしても映画と比べながら読み進めることになりました。『あゝこの箇所は同じだったな。ここは映画ではこう変えたんだな』などと。原作は物語のプロローグから綿密に出来事や状況を積み上げていき、丹念な細部のプロットのすべてが響きあって、驚くべき感動的なラストへと収斂(しゅうれん)されていくような構成です。
 そこには齟齬や破綻がほとんど見当たらず、全編の隅々に及ぶピーンと張りつめたような精緻な構想力を感じます。清張自身「代表作の一つ」と言っていただけあって、清張という作家の創作的エネルギーがピークだったからこそ可能となった作品であるように思われます。

 映画は、原作とは事件の状況そのものすら大きく変えているところがあります。それに映画『ゼロの焦点』記事で述べましたとおり、映画の方は何やら“現代版シェークスピア劇”を観ているような荘重かつ大きなスケールの構成となっており、息詰まるサスペンスで終末の大悲劇、大破局へと向かっていきました。改めて原作を読んでみますと、『こんなに変えちゃっていいの?』と、泉下の清張が苦笑しているのではないかと思われるほど変えているところもあります。
 私のような素人にはよく分かりませんが、映画の場合それが観客を「魅せるための」演出であり、脚本であるということなのでしょうか?

 原作は推理小説でありながら珍しいことに、事件の謎を見事に解明するエルキュール・ポアロや明智小五郎といった名探偵役が登場しません。しかしそれでも最後には、犯人や鵜原憲一の失踪の理由、事件が起こった背景などがちっきり解明されていきます。
 『ゼロの焦点』では、書き出しから登場する鵜原禎子(映画では広末涼子)に名探偵としての役割を与えています。そのため鵜原禎子には、英語が堪能などストーリー上必要なインテリジェスを前もって賦与している上、なおかつ彼女を金沢や能登の断崖絶壁など、北陸各地の事件との関わりが深い場所に向かわせています。
 26歳の新妻の視点から描かれた事件解明のプロセスといった趣向で、これは当時も今も斬新な手法なのではないだろうかと思われます。

 原作は推理小説としての面白さに加えて、当時の世相や一つ一つの場面描写が的確で細密です。それがただ単に表層をなぞるだけではなく、時に深部に食い込んで核心を抉り取るような描き方です。現代推理作家にここまで迫れる者は少ないに違いなく、さすがは「社会派作家」という称号を与えられた清張だけのことはあります。
 またヒロイン鵜原禎子の心の動きも実によく描けていると感心します。苦労人清張の、女性心理の襞にまで及ぶ人間観察の鋭さには脱帽です。

 また映画『ゼロの焦点』記事で触れましたが、「ゼロの焦点」の「ゼロ」とは、戦争、敗戦のことを指しているもののようです。清張自身この作品の中で、タイトル解題をしているわけではありませんから、読み方によっては別の捉え方も出来るかとは思いますが…。私にはプロローグの「ある夫」から最終章の「ゼロの焦点」まで、ひたすら戦争という「ゼロへの告発」を目指して疾駆しているような印象を持ちました。

 「敗戦」という我が国近代史上かつてない深刻な事態が、田沼久子(木村多江)と宝田佐知子(中谷美紀)という2人の女のその後の人生を大きく狂わせてしまった。彼女たちは極端な例かも知れないとしても、昭和30年代前半はまだ、戦争の傷跡を引きずっていた人たちが多くいたのに違いない。そのことを見据えて、清張は犯人を裁いたり責めたりしていません。むしろ書きながら、犯人に憐れみや共感すら感じていたのではないだろうか?そうも思えてきます。
 
 この小説は、定型的な評価ですと「社会派推理小説」と言われています。そしてこの分野は松本清張によって確立され、その後一ジャンルとなっていったわけです。しかし私はこの小説は推理小説という枠を超えて、日本近代文学史に刻まれるべき記念碑的作品の一つなのではないだろうかと考えます。

 (大場光太郎・記)

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米沢上杉藩物語(1)

 はじめに

 今年のNHK大河ドラマ『天地人』は11月22日で終了しました。どなたもご存知のとおり同ドラマの主役は上杉藩の重臣・直江山城守兼続でした。ドラマは兼続の生涯を描きながら、本能寺の変、朝鮮出兵、関が原の戦いなど激動の戦国絵巻を織り交ぜて展開されていきました。
 直江兼続は、終生仕えた主君の上杉景勝と共に、戦国激動のあおりをくって故郷の越後から会津、会津から置賜(米沢)へと転封されていきました。

 私は、最終的に我が郷土置賜地方が舞台となるドラマとあって、珍しいことに『天地人』を第1話から最終回まで欠かさず見続けました。そして時折り辛らつな批判交じりの感想などをシリーズとして記事にもしてきました。
 振り返ってみますと、私が郷里の東置賜郡宮内町(現南陽市宮内)で過ごしたのは18歳までです。そのため肝心の「米沢上杉藩」のことも、直江兼続のこともよく知りませんでした。特に直江兼続については、大変お恥ずかしいことに昨年8月記事『万物備乎我(6)』で、ある人と交わしたコメントによってはじめて知ったくらいのものでした。小、中、高校を通して、上杉藩のことや郷土史などを教わった記憶がほとんどないのです。

 『天地人』終了と共に、大河ドラマファンの関心は早や、今放送中の『坂の上の雲』あるいは来年の大河ドラマ『龍馬伝』の方に移ってしまっていることでしょう。少し時期を逸した感は否めませんが、10代までを郷里で過ごしかつ『天地人』をシリーズで記事にした者として、「米沢上杉藩」をご紹介する義務のようなものを感じます。
 それによって、これまであまりよく知らなかった郷土の歴史や上杉藩のことを、私自身学び直し、再認識していければと思います。

 本シリーズ何回になるか分かりません。多分飛び飛びになろうかと思いますが、ご関心がおありの方ご一読くだされば幸いです。

 置賜地方の地理など

 置賜地方は、山形県内陸南部に位置する一地方です。「おきたま」「おいたま」どちらの読み方でもオーケーです。ただ「おきたま」の方が古い呼び方のようです。
 現在でいえば置賜地方は南東部の米沢市を中心とした「米沢都市圏」、それに北接する南陽市を中心とした「南陽都市圏」、そしてこの両者の西に接する長井市を中心とした「長井都市圏」の三つの地方都市圏に分類されます。「都市圏」とは言ってもしょせん山形県の一地方のこと、人口で見ても米沢都市圏は14万人、長井都市圏は6万人、南陽都市圏は4万人、合計でも24万人に過ぎません。(ちなみに、現在居住しております厚木市は一市だけで22万人以上、お隣の平塚市に至っては26万人以上です。)

 同地方は現在、米沢市、南陽市、長井市、高畠(たかはた)町、川西町、小国(おぐに)町、白鷹(しらたか)町、飯豊(いいで)町の3市5町を含む地域となります。
 かつてその一隅に住んでいた者としては、『けっこう広い地域だったんだなあ』というのが実感です。この広大な一帯をそっくりそのまま、江戸時代を通して上杉藩が領地としていたわけです。

 また置賜地方は四方を奥羽山脈や吾妻山地、飯豊山地などの山並みに囲まれています。別の分類では、山形県庄内地方に河口を持つ最上川の上流部にあたる米沢盆地と、新潟県下越地方に河口を持つ荒川の上流部にあたる小国盆地(小国町)の二つの流域があり、両者は出羽山地の分水嶺で分けられます。
 米沢市、長井市、南陽市の中心部は、内陸盆地の地勢で見通し良く開けた感じがあるものの、同時に(私が小学校1年の秋までを過ごした旧吉野村太郎のような)山間僻地もまた多く、山形県と福島県を隔てる県境の飯豊連峰、吾妻連峰から山形県側の同地方は、途端に豪雪地帯となります。現在では高地を利用した放牧畜産が盛んで、分けても“米沢牛”は名産として知られています。
 とにかく関が原以後、米沢に移封して置賜地方を領地とし、全域の開墾と藩経営に乗り出した、兼続をはじめとする上杉藩士たちのご苦労が偲ばれます。
 
 県庁所在地である山形市を中心とする村山地方は、県政、県経済両面で山形県の中枢部となっていますが、村山地方から東京への陸上交通には、置賜地方を通って福島県に至る山形新幹線と国道13号があります。
 ただ高速道路は村山地方から宮城県に直接入って東北自動車道と繋がる山形自動車道のみであり、置賜地方を通過しないことになります。現在置賜地方を通って福島市で東北自動車道と繋がる東北中央自動車道が建設中です。
 また南側の福島県会津地方との間は、国道121号、西側の新潟県下越地方との間は、米坂線(鉄道)と国道113号で繋がれてします。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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「大物逮捕」はなかった

 本15日は、以前の『薬物汚染の拡がりを憂う(33)』で触れました「大物政治家逮捕の“Xデー”」のはずでした。ところがこの日一日、とうとうそういう事態は起こりませんでした。

 同記事でも紹介しましたが、そもそもの出所はジャーナリストの勝谷誠彦(かつや・まさひこ-49)が、そのような意味のことを関西の某テレビ番組で述べたことにあるようです。それが一部ネットで取り上げられ、あっという間にネット上を駆け巡ってちょっとした騒ぎになったわけです。
 勝谷氏といえば、テレビ朝日の『朝まで生テレビ』にパネリストとして参加するなど、なかなかの論客として鳴らした人物です。そんな同氏が根も葉もない“デマ”の類いを、テレビという公器を使って流したとも考えられません。捜査関係者などから何らかの情報を得て、長年のジャーナリストとしての勘からかなりの確信をもってそれを述べたものと考えられます。

 まるっきりのデマ情報だったとは考えにくく、あるいは捜査当局によって、本15日を目指した「大物逮捕」の動きが実際あったのかもしれません。ところが何らかの事情によって、逮捕が何日か後にずれ込んだとも考えられます。
 しかし早や年末です。年末年始を迎え拘置期限のことを考慮すると、ぎりぎり今週末くらいがリミット。それを過ぎても動きが見られなければ、もう年内の“大物逮捕”はないとみるべきでしょう。

 しかし待てよ。永田寿康民主党元議員(故人)が引っかかった、‘06年国会での「堀江偽メール問題」という例もあるぞ。魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)するこの世の中、さしもの勝谷氏もある筋からとんだガセネタを掴まされて、まんまと騙されたということも考えられるぞ。
 『一体どこの誰が何の目的で?』ということはありますが、そういう可能性もないではありません。しかし私の場合勝谷氏に直接コンタクトを取って確かめることも、現場に直接行って取材して裏を取る態勢にもありません。あくまでも、二次情報、三次情報を拾ってきては、当ブログ記事として公開しているに過ぎませんから。
 いずれにしてもそういう話になりますと、この件はそこでお終いになってしまいます。そこで一応それはない(ガセネタではない)ことにしたいと思います。

 さて勝谷氏の話として、「“大物を入れる”ため、東京拘置所に刑務官が全国から集められている。こういうことが以前“田中角栄逮捕”の時にあった」という情報も流されました。かつてのオウム真理教の麻原彰晃の時も、ライブドアのホリエモンこと堀江貴文逮捕の時も、このようなものものしい態勢は取られなかったというのです。
 これから推定すれば、「大物」とはやはり田中角栄のような総理経験者クラスの大物政治家しか該当しなくなります。「東京拘置所に全国から刑務官が集められている」というのが本当かどうなのか確かめようもありませんが、いろいろな情報を当たりますと、「大物政治家」だけではなくもっと広く「大物」と捉えた方がよさそうです。

 これはあくまで推測、憶測でしかありませんが、もしこの時期「大物逮捕」という事態があるとすれば、それはやはりどう考えても「押尾事件関連」しか思い当たりません。そうすると対象者はおのずと絞られてきます。
 時が時だけに具体的な名前を挙げることははばかられますが、もし「大物政治家」ではなく「大物」だったとしても。当ブログの『薬物汚染シリーズ』をお読みの方々にとってはさほどの驚きでもないことでしょうが、しかし同事件の裏側をご存知ない方々にとっては、酒井法子の時以上の大きな衝撃が走ることでしょう。捜査当局はそれで慎重になっているのでしょうか?

 「逮捕関連」で言いますとー。
 『かなえの殺人レシピ(10)』で述べましたように、11月19日付け読売新聞で、埼玉県警は木嶋佳苗被告(35)を今月中にも「殺人罪で立件」の方針とのことでした。そういう方針であるからには、木嶋事件の方もかなり詰めの捜査が進展しているはずです。ところがその後ピタッと動きがありません。埼玉地検による「情報戒厳令」がよほど厳しいらしく、佳苗自身の近況などもさっぱり漏れてきません。
 こちらの事件も年末年始を控えて、そんなに悠長には構えていられないでしょうに。早くしないと、こちらも年明けまで立件持ち越しとなりそうです。いや年明けでも何でも立件できばOKでしょうが、まさか「結局立件できず」などということはないでしょうね?

 新聞各紙やテレビ各局がこの事件に触れる場合、依然「豊島区の35歳の女による結婚詐欺事件」などと、今もって氏名や顔写真も伏せられたままです。(なお木嶋佳苗は11月27日で満35歳になりました)。被害者男性の氏名や顔写真などが公表されていることから見て、大いにギャップや矛盾を感じます。
 加害者なのになんでかと言いますと、同事件で万一木嶋佳苗が殺人罪で立件されない場合、実名や顔写真を公表して「安藤建三さんや大出嘉之さんらを殺害した疑いをもたれています」などと報道してしまえば、木嶋側から名誉毀損で訴えられる可能性があるからなのだそうです。
 
 当ブログではそんなこと露知らず、とうの昔に名前をバンバン公表しています。まさかとは思いますが立件されず、木嶋佳苗から『当ブログを訴えられたらどうしよう』と考えますと、夜もおちおち眠られません(笑)。

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(37)

 押尾学の華麗なる女性遍歴

 麻薬取締法違反(譲渡)の容疑で、7日夕方警視庁に再逮捕された押尾学容疑者の、逮捕時のようすが少し明らかになってきました。押尾は横浜市神奈川区内の“みなとみらい”にある高級マンションで身柄を確保され、そこから麻布警察署へと連行されていきました。同マンションの最上階には、人気モデルが居住しており、押尾はそこに身を潜めていたものとみられています。

 同マンションに居住している人気モデルとは?名前は明かされていませんが、「nanami」ではないかと囁かれています。私は知りませんでしたが、nanamiは23歳、172cmという長身のスレンダー美女だそうです。かつては、TBSの人気ドラマ『三年B組金八先生』にも出演したこともあり、第1回ミス東京ガールズコレクションで見事グランプリを獲得した経歴の持ち主だそうです。
 売れっ子モデルともなると住んでいる所からして違います。同マンションは中古でも1億で売買される超高級マンションだそうで、押尾の逮捕現場となったモデル居住の31階は最上階で別エレベーターがあり、特別なセキュリティが入っているVIPフロアだそうです。

 それにしても、既に逮捕状が出ている押尾を住まわせ匿(かくま)っていたとは。押尾の“オスとしての吸引力”のなせる業なのか、ただただ驚くばかりです。ただ彼女は、田中香織さん(当時30)変死直前の7月下旬、押尾から渡されてMADAを飲んだとされるモデルなど複数の女性の1人ではないようです。
 今回改めて驚愕させられるのは、押尾学という男の「女人脈」の広さです。事件発覚時押尾は、矢田亜希子(30)を妻に持つ妻帯者でした。にも関わらず押尾はその当時も何人もの女性と交流、交際があったとみられています。私などは『矢田亜希子という美人妻がありながら何で?』と思ってしまいますが、俗に言う“不倫関係”にまで到ったのかどうかは別として、とにかく「超モテ男」ぶりです。

 振り返ってみれば押尾は、矢田との結婚前から派手な女性関係は有名だったようです。その一端を見てみればー。
 まず元「モーニング娘」たちは軒並みだったようです。特に安倍なつみは、押尾のマンションに通う姿が写真週刊誌に撮られたことがありました。安倍はモー娘の市井沙耶香や矢口真理と押尾を取り合ったといいます。またタレントの平山あやは、深夜に平山のマンションから2人が出てきた後、何があったのか押尾が土下座している姿をキャッチされています。
 魔性女優奥菜恵とは、‘01年奥菜との“ハレンチ写真”の流出で騒がれました。さらには矢田との結婚直前、グラドル長崎莉奈とイタリア料理店で食事をし、六本木ヒルズ周辺でフェラーリを乗り回しているのを週刊誌にキャッチされ顰蹙を買いました。
 その他噂ながら、伊東美咲、優香、財前直見、菅野美穂、横山めぐみ、片瀬那奈らの名前も挙がっています。

 まあ押尾学の“美女喰いまくり”ぶりには、ただただ驚嘆、賛嘆するばかりです。キレイな表現をすれば「現代版光源氏」、エゲツナイ表現をすれば17世紀スペインの伝説的放蕩児ドン・ファンも真っ青の「歩く種馬」と言ったところでしょうか。
 芸能界は一種アウトロー的な世界、一般庶民の規範が通用しない世界です。役者としては二流、三流というのが押尾評ですが、「女遊びは芸の肥やし」と見れば許容範囲なのかもしれません。もし事件がなければ、押尾もそのうち“芸能界性豪列伝”にその名を刻んでいたのかもしれません。
 
 しかしそれに、「薬物使用」という犯罪行為を絡ませてはいけません。上に名前が挙がった女性タレントの中には、押尾をはじめ森祐喜、北島康介、泉田勇介、酒井法子夫妻らが出入りしていた、西麻布の有名な“薬物クラブ”出入りの噂が絶えない者も含まれています。また今回の件で、押尾からMADAを勧められ飲んだのが佐々木希でなければ、次に怪しいのは「あの女?」と言われている者もいます。
 いずれにしても、押尾の華やかなりし栄光ももはや過去のもの。現在では東京湾岸署内の拘置施設で、他の拘置者から罵声を浴びせられることもあるそうです。

 ところで今回の押尾の再逮捕に、芸能界は戦々恐々だそうです。今回は押尾本人だけではなく、元マネージャーの遠藤亮平(28)や麻薬売人の泉田勇介(31)も同時に逮捕されていますが、彼らの口からどんな名前が飛び出すか分からないからです。そのため撮影所などでも、「次は誰が捕まるのか?」という話で持ちきりだとか。中でも、所属事務所を近々解雇される人気モデルの逮捕が近いと、もっばらだそうです。

 既報のとおり、押尾と関係のあった複数の女性が捜査当局から事情聴取を受けています。そのうち人気モデルや銀座のクラブ関係者など数人は、押尾からMDMAを譲り渡されて服用したことを認めています。その際押尾は「すぐ飲む?」とどこかの法廷で聞いたようなメールを複数回送っていたと言います。中には服用して意識を失い、「もしかして死んでいたのは私だったかも」と言っている女性もいます。
 押尾がいくら否認してももう既に、押尾が“薬物セックス常習者”だったことの裏は取れているのです。

 (大場光太郎・記)

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日々雑感(8)

   曇天に暴発しさうな冬の柿   (拙句)

 おとといは冷たい冬の雨降る一日、かと思ったらきのうは小春日和の暖かな晴れの一日、そしてきょう13日(日)はまたまた鉛色の分厚い雲が垂れ込める肌寒い一日で。まあ師走半ばの空模様はここのところ日替わりでくるくる変わっています。

 既にご存知のように、冬の気圧配置は一般的に「西高東低」と言われます。これを簡単におさらいしてみますとー。
 冬になると西の日本海上や中国大陸辺りに高気圧が、そして東の太平洋上に低気圧が居座る気圧配置のことを指しています。その東西の気圧に挟まれた日本列島に、等圧線が何本も密に南北に走っている特徴的な配置図になるのです。その結果北方のシベリア寒気団(シベリア高気圧)から寒気が吹き込みやすくなり、列島各地に寒さをもたらす北からの風(北風、北西風)が吹きつけることになります。
 そうして北海道や日本海側では大雪となり、関東地方など太平洋側は乾燥した冷たい空っ風が吹きつけることになります。

 ところで今年の気圧配置は今のところ、このお決まりの西高東低の型がびしっと定まっていないようです。出来ても「西高東低くずれ」といった按配で、あっという間に型が崩れてしまうのです。そのため今冬は例年にもまして雪が少なく、そろそろシーズン本番でかき入れ時のはずの苗場、草津、妙高といった各スキー場でも降雪がみられず、仕方なく滑降コースにだけ人口雪をあてがい、その周辺は土の地肌丸見えという状況のようです。(ただしこれは3日ほど前のお天気情報で、今もそうかは分かりません。)
 反面世界に目を転ずると、米合衆国では比較的南部の中西部に位置するコロラド州でしっかり降雪があると言います。このような気象のアンバランスは、赤道ベルトの海温がこの冬例年以上に高く、北極圏からの寒気団が日本列島などに南下出来ないことに大きな原因がありそうです。

 国連気候変動締結国会議(COP15)も良いけれど。先進国と発展途上国とがそれぞれの利害をにじませた議論を重ねるだけで、地球環境にとって真に有効な打開策が見出せないもどかしさを感じます。そうしているうちにも、笑い事では済まされないほどの気候変動がどんどん進行していくわけですから。

 いくら暖冬傾向とは言え、やはり外を歩くと体感では十分寒く感じられます。我が街でも季節は確実に冬本番、落葉樹はもうすっかり木の葉を落とし尽くし、冬枯れた裸木となって茫然と立ち尽くしているかのようです。
 そこで当ブログも『いつまでも落葉模様もないだろう』とばかりに、きょう未明ブログ背景を替えてみました。昨年から引き続きご訪問の方々にはおなじみかと存じますが、『本を開きて』。私自身落ち着いたエレガントな感じが気に入っている上、やはり冬は暖かい系に限ります。

 トップ面の「最近の記事」を見てもお分かりのとおり、ここのところ『薬物汚染の拡がりを憂う』記事が連続しています。これは今月7日の押尾学再逮捕という新しい展開を踏まえたものです。世の中の関心が依然高く、同シリーズを載せますと訪問者が断然伸びるため、私もついついその気になって続けて取り上げてしまいます。
 事件記事は、当ブログ開設当初はおよそ考えもしていませんでした。しかしこれも立派な一つのジャンルと言うべきです。押尾事件も木嶋佳苗事件も、今の社会の「相応の理(り)」として起きている面があります。いずれまた掘り下げる機会があるかもしれませんが、他の事件共々小泉政権以降の自公政権末期に起きたものである、これは大きな問題をはらんでいると思われます。
 事件物ですから、興味本位な内容になるのはある程度致し方ありません。しかしただ単にそれのみで終わるのではなく、そこに隠された本質的な部分にまでいかに踏み込めるか。大変荷の重い難しい課題です。

 押尾事件はとにかく「奥が深い」というか「謎、闇が深い」事件です。次々に新事実や新しい事件の関与者が出てきたりします。押尾からMADAを勧められ「次の逮捕者か?」とも噂される“人気モデル”とは一体誰なのか?当ブログで既に名前を出した女性なのだろうか?近いうちの逮捕は本当にあるのだろうか?
 またジャーナリストの勝谷誠彦氏が関西の某番組で漏らしたという「15日を“Xデー”として大物政治家の逮捕がある」というのは、本当の話だろうか?一説には「大物政治家」ではなく単に「大物」だという話もあるけれど。いずれにしても、間近に迫っているのにそんな気配は微塵も感じられないし…。

 押尾学自身にその自覚はなかったのでしょうが、同事件発覚によって今の社会の「ブラックボックス」さらに言えば「現代のパンドラの匣」を開けてしまった感があります。どうやらこの匣には、政界、官界、財界、芸能界、スポーツ界などのあらゆる災いが潜んでいて、それが現に飛び出していますし、これからもなお飛び出してくる可能性があります。
 この際中途半端に蓋をしてはいけません。この事件に関わる真実(膿)は悉く出し切るべきです。その結果あらゆる災いが飛び出して、同事件で最後に残るのは「希望」だけになるでしょうから。

 (大場光太郎・記)

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『坂の上の雲・第2回』を観て

 6日(日)夜8時(90分間)放送の第2回『坂の上の雲』は「青雲」でした。明治17年(1884年)秋山真之(本木雅弘)が伊予松山から上京して1年目の、故郷とは別世界のような東京での生活から始まりました。
 9月真之と正岡子規(香川照之)は揃って大学予備門に合格。2人から報告を受けた真之の兄の好古(阿部寛)は、座右の銘である福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」を引用し、「今後とも自分を甘やかさず勉学に精進せよ」と諭します。

 それにしても「青雲(せいうん)」、久しぶりで目にする懐かしい言葉です。今ではどこぞのお線香の名前としてしか知られていないと思いますが(笑)、私が高校時代を過ごした昭和40年代初頭くらいまでは、まあ何とか社会の一部では通用する言葉だったと思います。「青雲の志し」ーそこには大きな望みを抱くと共に、安直に経済的栄華のみは求めないという、「精神性」をはっきりと「物質性」の上位に置く、どこか硬派な心意気が込められていたように思います。
 まさに当時の明治の新生日本という国も、そして「太政大臣(今の総理大臣)になって帰ってくるぞ」と言って松山を飛び出した子規も、「太政大臣は升(のぼ)さんに譲るけん」と言って後に続いた真之も。自分たちの未来や国の将来に、そんな大きな夢を抱けたわけです。当時といえども多くの難題はあったことでしょう。しかし「幻(まぼろし-ヴィジョンの意)無き国民(くにたみ)は滅びる」(旧約聖書)。国民誰もが将来にヴィジョンが描ける世の中は、幸せな世の中です。

 「一身独立」。これまた良い言葉です。60歳にもなった者が言うのも何ですが、しかし「六十の手習い」という言葉もありますから言いますが、改めて「座右の銘」の一つにしたいくらいです。孔孟の教えの「修身斉家治国平天下」が想起されます。天下を治めようとする者は、先ずもって自分自身の身を修めなければならない。これを述べた福沢には当然その言葉が念頭にあったことでしょう。
 福沢諭吉は若くして緒方洪庵に師事し、師の適塾で“洋学”の重要性に目を開かれました。しかしその素養の中には当然、儒学や論語的なものも備わっていたものと思われます。(なお『福翁自伝』は自伝文学中の白眉です。)

 ドラマからは離れますが。思えば司馬遼太郎の原作がサラリーマンを中心によく読まれたのは、高度経済成長の真っ只中のことでした。日露戦争に到る明治期と戦後の高度経済成長期は、どこか相似形でシンクロしているようなところがあります。方や明治維新の開国によって方や敗戦下の米国統治によって、国の形の根本からの問い直しに迫られます。そして一方は富国強兵というスローガンの下、西欧列強に「追いつき追い越せ」。他方は経済成長をスローガンに欧米先進諸国に「追いつき追い越せ」。原作が大ベストセラーになったのは、そういう時代的共通性が大きかったのではないだろうかと考えられます。
 その意味で司馬遼太郎の原作は、良くも悪しくも当時の高度経済成長政策を追認し、免罪符を与えた側面があります。

 昭和50年代前半の頃、当時の会社の上司でなかなかの読書家がいました。司馬遼物もけっこう読破していたよし。ある時私は聞きました。「“竜馬がゆく”と“坂の上の雲”、読むとしたらどっちがいいですかねぇ」「そりゃぁ“坂の上の雲”だよ」。その先輩は即答しました。
 それが心の片隅に残っていたのかどうか。私は40代前後「バブル崩壊」の頃、つまり司馬遼ブームはとうに過ぎた頃『坂の上の雲』を読んだのです。文春文庫で7、8冊、一冊がまた分厚くてなかなか読み応えがありました。しかし一旦読み出すと、これが手に汗握る面白さで、苦もなく短期間で読み終えました。重要な箇所には赤線を引きながら。
 しかしその後はついぞ読み返すことなく、何年か後に全部処分してしまいました。ドラマ化された今となっては残念至極ながら、その時の私は「もう用済み」と判断したもののようです。

 話を戻して。この回は「明治の青春」が実によく描かれていたと思います。その格好のサンプルが、我が国で初めてと言っていいくらい早期に「野球」に熱中した正岡子規であり、大学予備門から子規の親友となった塩原金之助(後の夏目漱石)であり、秋山真之であったわけです。後のエゲレス(英国)留学でノイローゼになって帰国する漱石も、この頃は青春を謳歌していたようです。
 バンカラで自由闊達な彼らは、寄席や江ノ島への無銭旅行も敢行します。予備門から東京帝国大学へと進んだ子規と真之は、一時期下宿を共にし切磋琢磨して勉学に励みます。

 しかしそんな中で互いの進路はおのずと決まって行き、それぞれが「一身独立の道」を歩み始めることになります。子規はやがて、太政大臣コースから大きく逸れた「俳句に新風を吹き込むこと」に己(おのれ)の活路を見出します。真之は学者になっても二流にしかなれない自分の限界を悟り、すぱっと東京帝大を中途退学し海軍士官学校へ。そして東京を離れ広島の海軍港江田島へと赴任して行きます。
 秋山好古は、旧松山藩主がフランス留学するに当たって共に行ってくれるよう頼まれ、引き受けます。当時軍事はプロイセン(ドイツ)式が主流でしたから、プロイセンに敗れたフランスに行くことは出世コースから外れることを意味していました。しかし「万事塞翁が馬」というもの、何が幸いするか分かりません。何とフランス騎馬隊はプロイセン騎馬隊を凌いで、世界トップレベルだったのです。それを吸収した好古が組織した日本騎馬隊が後に、当時世界一と言われたロシア騎馬隊を死闘の末撃破することになるのです。

 (大場光太郎・記)

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