雪の原の犬
川端 茅舎
雪の原犬沈没し躍り出づ
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川端茅舎(かわばた・ぼうしゃ) 明治33年東京日本橋生まれ。独逸協会中学卒。洋画家を志し、藤島武二絵画研究所に入り、のち岸田劉生に師事した。病弱のため画業を断念、少年の頃からたしなむ俳句に専念することとなった。大震災後京都の寺に住んだこともあり、仏典に親しみ、仏語を多用して、茅舎浄土をえがいた。池上本門寺裏がその終の棲家であった。兄は川端龍子。句集に『川端茅舎句集』『華厳』『白痴』。昭和16年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)
《私の鑑賞ノート》
俳句は、ごくありふれた日常的な場面を切り取って詠む文芸です。第一、政治的、社会的な出来事を大上段に振りかぶって描くことなど、わずか5・7・5の十七音のみの俳句に出来るわけがありません。
しかしだからと言って、ごくありふれた日常の一こまを、ごくありふれた言葉で綴ってもいけません。それでは単なる忘備的なメモ書きとさほど変わらないではありませんか。
俳句は詩型の一種なのです。それゆえごくありふれた日常の、ハッとする場面、感動的場面を鋭くキャッチして詠んだものでなければなりません。
と、要らざる講釈をしたところで川端茅舎の句についてです。
雪の原犬沈没し躍り出づ
まずもって発句に「雪の原」と置いたことによって、この句の構図がスパッと決まっています。全景一面の雪に覆われた野原のイメージが読み手にも伝わってきます。
とある雪の原に、今一匹の犬がいます。さてこの犬はどんな犬か。和犬かはたまた大型の洋犬か。黒犬か白犬か赤茶けた色の犬なのか。そういう詳細な情報は何もなしに、いわゆる動物種としての「犬」。
俳句という短詩型では一々の細密な描写は不可能ということもありますが、この句にあっては不必要ですらあります。
この句で詠まれているのは、何色の何種の犬であろうとも、犬が雪の原にいれば共通して見せるであろう面白い行動についてだからです。
その行動とは何か。
「犬沈没し躍り出づ」、これです。
昔の童謡『雪』でも歌われているではありませんか。
雪やこんこ 霰やこんこ。
降つても降っても まだ降りやまぬ。
犬は喜び 庭駈(か)けまはり、
猫は火燵(こたつ)で丸くなる。 (2番)
犬は寒がりな猫と違って、むしろ雪の中でも平気で遊び回るもののようです。その特性をこの句はしっかりと捉えてうまく表現しています。これこそ先ほど述べた、ありふれた日常における決定的な「俳句的場面」を捉えた、格好の例句といえそうです。
一旦は雪の中に「めろんと」(とは私の郷里の方言で、「まるごと」「すっぽりと」の意)姿が見えなくなるまで埋まり、『あれれれっ』と思った次の瞬間、犬は辺りに雪片をまき散らながら躍り上がってきたのです。
その活き活きとした躍動感。そのようすをデジカメででも連写したら、きっと面白いスナップショットが出来たことでしょう。
略歴にあるとおり、川端茅舎は若い頃岸田劉生の下で絵画修業をしたといいます。そのためか、この句全体が極めて絵画的で映像的です。これは良い句の大切な要素の一つであると思われます。
(大場光太郎・記)
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