ギリシャ神話の中の薔薇(3)

 昨年公開の『ギリシャ神話の中の薔薇』シリーズは完結しないままになっていました。バラの盛りは過ぎてしまいましたが、ほぼ1年を経た今回完結させたいと思います。

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 バラは本シリーズ(1)(2)で見ましたように、ギリシャ神話の中でも「花中の花」のような存在なのでした。

 それは「美と愛の女神」アフロディーテの誕生と共にこの世にもたらされたとされるなど、互いの深い関係性をもって語られていることからもうかがえます。またアフロディーテは、バラの花がお気に入りで、「私の花よ」と言って髪にバラの花をつけていたほどでした。

 さてお話は、アフロディーテとその息子エロスとのからみで、バラの棘(とげ)がどうして出来たのかという由来からー。

 ある時野辺でエロスがバラの花を摘んでいました。母に大好きなこの花を上げたいと思ったからです。ところでエロスは、あまりの美しさに花びらに口付けしようとバラに顔を近づけました。と、バラの中に潜んでいた蜜蜂が飛び出し、エロスの唇をチクリと刺したのです。

 それを知ったアフロディーテは激怒し、蜜蜂たちを集め、刺した下手(げしゅ)蜂に名乗り出るよう命じました。そこで一匹の蜜蜂が「私です。ブンブン」と言いましたが、周り中がブンブンうるさくて、アフロディーテもエロスもどの蜂か特定できませんでした。そこで蜜蜂を片っ端から捕らえ、エロスの弓に数珠つなぎにしていまいます。______r873ae4cbfd4d4bbe8530ae4b8a_2

 何もそこまでしなくてもというところですが、女神の怒りはそれにとどまりません。「うちの可愛いエロスが怪我をしたのはお前のせいじゃ」と、今度はバラにまで八つ当たりし、蜜蜂たちから針を抜くと、バラの茎にそれを植え付けたのです。以後バラには棘があるようになったということです。

 上の説話では、アフロディーテの息子エロスへの溺愛ぶりが強調されています。しかし時と場合によっては、エロスへも非情な仕打ちをすることがありました。

 「時と場合」とはアフロディーテにあっては不義密通の場合ということです。
 本シリーズ(2)で見ましたが、オリュンポス一の美神アフロディーテは、ゼウスの命によりオリュンポス一の醜男の鍛冶の神ヘパイトスと結婚したのでした。しかし生来男好きであるアフロディーテは体中がうずいて火照ってたまらず、夫と主神ゼウスの目を盗んでは多くの男神と不倫を重ね、多くの子を産んだのでした。

 アフロディーテはある頃、逞しい軍神アレスと密通し、情事に耽っていました。しかしある時、その密会現場をわが子エロスに見られてしまったのです。さあ大変、夫やオリンポスの神々に知られることを恐れたアフロディーテは、一計を案じます。

 沈黙の神ハルポクラテスに頼んで、息子エロスの口が利けなくなるようにしてもらったのです。こうして外に漏れることなく秘密は守られました。アフロディーテはお礼として、ハルポクラテスに紅いバラの花束を贈りました。こうしてバラの花は「秘密を暗示するもの」になったということです。

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 割を食ったのは息子エロスです。母と間男の密通現場を見てしまったうえ、罰としてしばらくの間口が利けないようにされてしまったのですから、踏んだり蹴ったりです。そのショックでエロスは以後半グレ状態となり、破れかぶれで「性愛を司る神」となり、射抜かれると誰でも恋心を抱いてしまうという弓をやたら引き絞り、矢をぶっ放し、誰彼となくその胸を射通すことになったのかどうか、いまひとつ定かではありません(笑)。

 母とよその男との情事を盗み見る少年の物語として私が思い出すのは、三島由紀夫の小説『午後の曳航』です。作家としての三島が最も脂の乗り切っていた頃の横浜の港町を舞台とした問題小説です。三島には古代ギリシャへの憧れが強くあったようですから、あるいは本エピソードが同小説創作のヒントになったのかもしれません。

 毒のあるこの小説では、外国航路の船乗りの男は最後に少年グループから“処刑”されてしまいます。しかしそこは鬼才三島の事、母(未亡人)を“寝取ったから”というマザーコンプレックス的ジェラシーと言うような単純な図式ではありません。むしろ少年は、自分の部屋から盗み見た(母の部屋の中にいる)全裸の逞しい船乗りを賛美し英雄視していたのです。処刑は別の理由で・・・。

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 これは人類の普遍的テーマらしく、小説『午後の曳航』は海外でも高い評価を得、三島の死後(1976年)、日米英合作で映画化もされています。映画は原作に忠実ながら、全て外国が舞台に移し替えられました。

 だいぶ脱線してしまいましたが、本題の「アフロディーテとバラ」に戻しますー。
 
 アフロディーテはアドニスと言う美青年を愛していました。
 ある時アドニスは狩をしていました。そこへ突然猪が現れ、獰猛な牙でアドニスを突き刺し、彼は命を落としてしまいます。アフロディーテは旅の途中でしたが、「天耳通」のアフロディーテはその時のアドニスの悲鳴を聞きました。急ぎ彼の所に駆けつけるべく、茨を踏み、鋭い角のある岩をも気にせず走りに走りました。

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 その時道々に咲いていた白いバラの花は、アフロディーテの足の血で赤くなったということです。また別伝として、アフロディーテの流した紅涙によって、白バラは赤く染まったと言う説もあります。


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 なおアドニスは、死してアネモネに姿を変えたと言い伝えられています。

 ここに至るまでのアフロディーテとアドニスの込み入った物語は省略して、結末だけ簡単に紹介しました。いずれ別記事として、二人の関係の物語をもう少し詳しく述べられればと思います。  -完-


関連記事
『ギリシャ神話の中の薔薇(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-551e.html
『アネモネ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-83b5.html
 

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ギリシャ神話の中の薔薇(2)

 バラが花の女王なら、ギリシャ神話中の最高の美の女神は「アフロディーテ」です。両者を関連づけるように、「アフロディーテとバラの物語」が幾つも残されています。もちろんバラはほかの神との関連でも語られていますが、やはりアフロディーテのバラ物語が最も興味深いので、今回はこの女神とバラの関わりに絞ってみていくことにします。

アフロディーテの誕生とバラ

絵画(油絵複製画)制作 サンドロ・ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」

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 この絵を知らない人はいないことでしょう。イタリアルネッサンスを代表する画家の一人ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』です。ヴィーナスはローマ神話における呼び名ですが、アフロディーテと同一の女神です。

 上古の日本がそうだったように、王権国家の建国にあたって神話の制定は極めて重要です。当時の新興国であったローマ帝国(ただし当初は王制、共和制)は、世界覇権を正当化する上で、ゼウス→ジュピターというように、多くを先行のギリシャ神話から換骨奪胎したと考えられます。

 アフロディーテの誕生についての、(異説はあるものの)ヘシオドスの『神統記』による神話は以下のとおりです。

 神々の父であるクロノス(時)が、父親のウラノスを殺し、その体の一部(男性器)を切り取って海に投げました。その時、それから出た血が海水と混じり合って白い泡となり、 アフロディーテはそこから生まれたとされています。そもそもアフロディーテとは、「泡から生まれた」の意味なのです。

 生まれて間もないアフロディーテに魅せられた西風の神ゼヒュロスが彼女を運び、キュテラ島に運んだ後、キプロス島に行き着きます。彼女が島に上陸すると美と愛が生まれ、それを見つけた季節の女神ホーラたちが彼女を飾って服を着せ、オリュンポス山に連れて行きました。オリュンポスの神々は出自の分からない彼女に対し、美しさを称賛して仲間に加え、大神ゼウスが養女にしたのでした。
 こうしてアフロディーテは、オリュンポスの十二神の一神となったのです。

 アフロディーテが生まれた時、神々はバラの花も一緒に創り、美の神である彼女の誕生を祝ったとされています。ボッティチェリの絵でも、彼女が巨大な帆立貝から誕生した時、周りに花が浮かんでいるのが描かれていますが、この花がバラの花なのです。

 アフロディーテの誕生と共にバラの花も一緒に創られたというのは、代表的な「美の花」としての面目躍如と言うべきです。

アフロディーテの恋愛遍歴 

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                       *
 アフロディーテは、大神ゼウスの命令により結婚することとなりました。
 その神というのは、鍛治の神ヘパイトスです。彼女は世にも稀なる美女なのですから、ヘパイトスもさぞや美男の神かと思いきや。何と彼は、ずんぐりむっくり背が低く、足が不自由、その上神々の中で一番の醜男でしたから、「美女と野獣」のカップルの誕生に皆驚きました。

 ゼウスがなぜ二人を結婚させたか、というと―。
 ヘパイトスはゼウスの息子の一人ですが、彼が「雷」を作ったので、そのご褒美としてアフロディーテを妻として与えることにしたというわけです。なぜなのか、ゼウスの認識では、雷の発明は絶世の美女に値いするほど偉大な発明だったことになります。

 ところで、アフロディーテは「愛と美と性」を司る神です。積極的に恋愛して、下々にそのお手本を示さなければならない立場(?)です。そのとおり、アフロディーテは夫がありながら、多くの男神と浮気し、父親の違う多くの子を産みました。しかしどれほど不倫を重ねても、彼女はいつもヘパイトスの元に返り、彼もいつも彼女を許してくれたのでした。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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ギリシャ神話の中の薔薇(1)

  薔薇などはどこかつれない花なるに心惹かれて凝っと見ている  (拙歌)
  

 久しぶりの『ギリシャ神話選』です。

 関東・甲信はおろか東北までもが、あっと言う間に梅雨入りしてしまいました。北海道には梅雨がないそうですが、これで全国がしばらくは梅雨前線に覆われることになります。この季節はよく、「うっとうしく、じめじめして嫌だ」と言われます。確かにそういう面はありますが、私は特に嫌ではありません。

 きょう(6日)のような大雨でも傘さして、長靴履いて、ジャブジャブ街へと出て行きます。雨にけぶった街並みは常ならぬ叙情性がありますし、この季節の花の紫陽花は雨でこそ引き立つ「雨に咲く花」です。

 いや、今回の主役の花は紫陽花ではなく「薔薇」なのでした。
 薔薇は梅雨に先立つ初夏を代表する花で、神奈川県県央の当市では、5月中旬頃から色とりどりの美しい薔薇の花をよく見かけます。

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  白ばらの匂う夕べは
  月も夢を見ている
  窓辺のまがきにもほのかに
  別れた友の手
  ひとりおもう ・・・

 今回たまたま思い出しましたが、これは『白ばらの匂う夕べは』というドイツ歌曲(作詞:不詳、作曲:ネーゲリ、訳詞:高橋博夫)の一部です。高校3年1学期の音楽の授業で教わり、詞曲ともにロマンチックで甘美な歌で当時“お気に入り”の一曲でした。「別れた友の手」というのは唱歌用としての訳詞だからで、おそらく原詞では「別れた女性(ひと)の手」なのでしょう。

 バラは、西洋の詩や音楽や絵画など芸術上の欠かすことの出来ない素材です。また「ローズマリー」と言われるように、バラは白百合と共に聖母マリアを象徴する花でもあります。「ローゼンクロイツ(薔薇十字)」が示すように、バラは秘教学的シンボルともなりました。さらに歴史上、イングランドの覇権を巡って、ヨーク家(絞章:白薔薇)とランカスター家(絞章:赤薔薇)が争った「薔薇戦争」(1455年~1485年)もありました。

 このように、バラは西洋を代表する花というイメージです。確かにバラは西洋において、品種改良が重ねられ、今日私たちも鑑賞できるような優美で華麗な多くの品種が生み出されて来ました。

 が、しかし、バラは西洋の専売特許というわけではありません。元々その原種は、北半球に広く自生する花だったのです。それを裁培するようになったのもずい分古く、数千年前の中国やバビロニア(現在のイラク)で始まったと言われています。

 近代美術館のバラ

 だからそれよりも時代が下った古代ギリシャでも、ニンフ(妖精)たちが遊び戯れる野やアテネ市民の家の庭先で、バラは咲き誇っていたものなのでしょう。
  ただ当時のバラは、今日私たちが見知っているバラとは違って、今よりもっと素朴で野性的だったのではないでしょうか。

 しかし何といっても、バラは「花の女王」です。当時から人を惹きつける美しさを持っていたようです。

 例えば―。ホメロスの大叙事詩『イリアス』で、劇的な場面でバラが登場します。
 『イリアス』は、BC15世紀頃だったとされる「トロイア戦争」を雄渾に描いた叙事詩です。両軍の衆人が見守る中での、ギリシャ神話の英雄アキレス(アキレウス)と敵将ヘクトルとの一騎討ちのシーンは、トロイア戦争中の名場面の一つです。これに見事勝利したアキレスの盾はバラの花で飾られ、一方敗れたヘクトルの亡骸(なきがら)はバラの油で清められた、と叙述されているのです。

 なお、「トロイア戦争」こそはギリシャ神話最大のイベントです。「これを書かずになんとする」。よって、いずれ当『ギリシャ神話選』でもシリーズ化するつもりです。首を長~くしてお待ちください(笑)。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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ペルセポネの略奪

 前回は、竪琴の名手であるオルフェウスが、亡き妻エウリュディケをこの世に連れ戻すべく「冥府下り」をした物語を見てきました。この物語の中でオルフェウスの奏でる妙なる竪琴の音色に、さしもの冥王ハデスも心を動かされ「よかろう」となったのでした。
 分けても深く感動したのが冥王の妻であるペルセポネでした。ハデスによる「エウリュディケ連れ戻し許可」は、ペルセポネの強い執りなしがあったからなのです。

 もっとも、折角妻を取り戻しかけたオルフェウスでしたが、ハデスから「何事があっても決して後ろを振り返っはならない」と固く言い渡されたにも関わらず、つい後ろを振り返りすべて水泡に帰してしまいました。
 こうして「オルフェウスの冥府下り」は一大悲話となったのでした。

 実はペルセポネが冥王の妻となるに至った次第も「悲話」であるのです。今回はその悲話について見ていきたいと思います。

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 ペルセポネはそもそもは「コレー」と呼ばれた、ゼウスとデメテルの娘でした。ある時ペルセポネ(コレー)は、ニューサという山地の麓の野原でニンフ(妖精)たちと花を摘んでいました。
 すると、とある場所に、ひときわ美しい水仙の花が咲いているではありませんか。つい美しい水仙に魅せられたペルセポネは、その花を摘みたくなって、ニンフたちから離れてしまいます。

 と、その時です。急に大地が裂け、地の底から、ヨハネ黙示録の「死を司る第4の騎士」さながらの、黒い馬に乗ったハデスが現れたのです。そしてハデスは、次の瞬間ペルセポネをかっさらって、冥府に連れ去ってしまったのです。
 ハデスは以前から美しいペルセポネに目をつけ、自分の妻にしようと機会をうかがっていたのでした。

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ペルセポネの略奪 (レンブラント画)

 
愛する娘が行方知れずになったことを知った母デメテルは半狂乱になり、オリュンポスの神々に娘の行方を尋ねて回りました。その結果太陽神ヘリオスの語るところにより、娘は冥府に連れていかれたことを知ったのです。

 ゼウスの数多い“臨時妻”の一人だったデメテル女神は、すぐさまゼウスに抗議に向かいます。しかしゼウスはまったく取り合おうとしません。それどころか、「冥府の王であるハデスなら夫として不釣合いではあるまいて」と、平然と言い放ったのです。
 これを聞いたデメテルは、娘の略奪にゼウスも一役買っていたことを知り、激怒します。

 実は豊穣の女神であるデメテルはオリュンポスを去り、姿を隠し、大地に実りをもたらすことを止めてしまったのです。そのため地上は、たちまち大飢饉に見舞われる深刻な事態となってしまいました。

 一方冥府に連れ去られたペルセポネは、丁重に扱われたものの、自分から進んで来たわけではないため、冥王ハデスのアプローチにも首を縦に振ることはありませんでした。

 豊穣の女神デメテルのサボタージュに大弱りなのが主神ゼウスです。たまらず智恵の神ヘルメスを遣わし、ペルセポネを開放するようハデスに伝えました。ハデスもしぶしぶこれに応じ、ペルセポネは開放されることになります。

 その時ハデスは、ペルセポネにさりげなくザクロの実を差し出しました。それまでは頑なに拒み続けてきたペルセポネでしたが、ハデスが丁重に扱ってくれたこと、何より空腹に耐えかねて、ザクロの実にあった12粒のうち4粒(6粒とも)を食べてしまいます。
 これが実は、ハデスの巧妙な罠だったのです。

 こうしてペルセポネは母デメテルの許(もと)に無事帰還しました。しかし娘から「冥府のザクロを食べてしまった」ことを聞かされたデメテルの嘆くまいことか。
 我が国の『古事記』神話でも、黄泉の国(よみのくに)に身罷ったイザナミは「黄泉戸喫(よもつへぐい)」したため、自力では黄泉の国から出られなくなったのでした。オリュンポス神話でも、「冥界の食べ物を食(しょく)したる者は冥界に属すべし」という神々の取り決めがあり、そのためペルセポネは、イヤでも冥界に属さねばならぬ身となったのです。

 母デメテルは神々の法廷に進み出て、「娘は詐欺的行為により無理やりザクロを食べさせられたのだ」と、無罪を訴えます。しかし神々の取り決めを覆すことは出来ませんでした。ただ最終判決には恩情的なところもありました。
 判決主文にいわく、「一つ。被告ペルセポネは、食(しょく)したるザクロの数だけ、すなわち一年のうち三分の一(または二分の一)を冥府にて過ごすべし。二つ。残りの期間は地上にて過ごすを可とするものなり」

 こうしてペルセポネは、やむなくハデスの王妃として嫁いでいきました。その結果、母デメテルは娘が冥府にいる時期は、地上に実りをもたらすことを止めてしまったのです。これが、ギリシャ神話における「冬という季節」の始まりとされています。
 またペルセポネが地上に戻る時期は、母デメテルにとって喜びが地上に満ち溢れる季節、つまり「春という季節」なのです。そのことからペルセポネは、冥王の妻でありながら「春の女神」とも呼ばれています。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』-「ぺルセポネー」の項
関連記事
『ギリシャ神話』カテゴリー(直前の『オルフェウスの冥府下り』シリーズあり)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat41440534/index.html

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オルフェウスの冥府下り(3)

 オルフェウスは、エウリュディケの手を引きながら長い漆黒の冥府の道を歩いているうち、さまざまな疑念が湧いてきました。それが極限に達し、たまらずエウリュディケをチラッと振り返ったのでした。

 エウリュディケは確かにそこにいたのです。しかし彼が一瞬垣間見たものは、妻のこの上ない悲しげな表情でした。次の瞬間、彼女はまるで実態を持たないホログラフィーのように薄くなり、ふらふらと吸い込まれるように地の底へと落ちて行ったのです。
 「待ってくれ。エウリュディケ。待ってくれ」

 オルフェウスは必死に手を伸ばして、落ちて行く妻の手を求めましたが、何の甲斐もありませんでした。
 「さ・よ・う・な・ら~ オルフェウス~」
 悲痛な声は次第にか細くなり、遂には闇の底へと消えていってしまったのです。

 オルフェウスは悲嘆のあまり、しばらく立ち尽くすのみでした。が、気を取り直してもう一度地の底へと向かいました。
 「頼む。川を渡らせてくれ」
 冥府の川の渡し守に頼んでも、今度は頑として応じてはくれません。
 諦めきれないオルフェウスは川のほとりに腰を落とし、7日7晩飲みもせず食べもせず泣き明かしました。しかし冥府全体が寂(せき)として声なし。
 神々の憐れみを得られず、彼は仕方なく冥府を出てトラキア地方の深い山の奥に赴き、身を隠したのでした。

 このエピソードは、文化人類学的かつエソテリック(秘教)的に言えば、一種の「イニシエーション」だったと見ることができます。それもかなり高度な。アセンションを達成するには第六イニシエーションをクリアーしなければならず、それをクリアーできればその人間を呪縛する死を克服し、不死のマスターになれると言われています。
 そこまではいかずとも、オルフェウスのこのケースは第四か第五かのイニシエーションに相当したものと思われます。極度の疑念を克服するまでの「信じる心」。いずれにせよオルフェウスは、その人生では失敗したのです。

 既にお気づきの方がおありかもしれませんが、我が国神話の中にもこれと同じようなモチーフの物語があります。イザナギノミコト(伊邪那岐命)の「黄泉(よみ)下り」です。
 イザナギも亡くなった妻神のイザナミノミコト(伊邪那美命)を取り返すべく、黄泉の国に赴きます。もっともイザナギはイザナミと共に、日本国土の国生みをしたほどの力ある大神です。だからオルフェウスのように冥府の王への執りなしなど必要なく、黄泉にいるイザナミと差しで話をしています。

 「ちょっとお待ちください。でも待っている間に決してこの部屋の中を見てはいけません」
 イザナミは、「鶴の恩返し」のような「見るなの座敷」の原型となる言葉を言います。しかし「見るな」と言われればなおなお見たくなるのが人情というもの。いやイザナギは神様でしたが、大神とて同じらしく、“ゆつつま櫛”に火を灯してやっぱり覗いてしまうのです。
 そうしたらそこには、いと醜いイザナミの姿があったのです。

 「♪あら、見てたのね~」どころの騒ぎではありません。イザナミの怒るまいことか。イザナミも、エウリュディケのようなたおやかな死者ではありません。「よくも私の恥ずかしい姿を見たわね」と言いながら、黄泉醜女(よもつしこめ)たちを遣わして逃げるイザナギを追わせたのです。
 黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂下まで来て、そこにあった桃の実三個を取って撃ち返したところ、黄泉醜女たちは皆退散していきました。

 最後にはイザナミ自らがやってきました。そこでイザナギは千引(ちびき)の石を引き塞いで、黄泉比良坂をこの世とあの世の境にして、夫婦最後の「事戸(ことど)」を言い合います。
 「我が愛しき夫神よ、かくなる上はあなたの国の民草千人を殺しましょうぞ」
 「なんのなんの。我が愛しき妻神よ、それなら私は妊婦たちに一日千五百人の子を産ませてみせるわ」

 こうしてイザナギは、祝詞(のりと)にもなっている「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」(つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはら)で黄泉の国の穢れを祓うべく、禊(みそぎ)をしました。その結果生まれたのが、アマテラス、ツキヨミ、スサノオの「三貴子」なのでした。

 その後のオルフェウスに話を戻します。
 トラキアの山奥に隠棲した失意のオルフェウスは、妻エウリュディケを偲びながら、竪琴を奏で歌を歌って過ごしました。それに引き寄せられるように妖精や人間の女たちが集まってきました。オルフェウスに言い寄る女たちもずい分いました。しかしオルフェウスには亡き妻の姿しか眼中にありません。
 ディオニュソスの祭りの晩のこと。頑としてなびこうとしない彼に憎悪の念を抱いていた女たちは、酒の勢いも手伝って、オルフェウスに石を投げあいました。

 まさかアマゾネス軍団ではなかったでしょうが、いくら女とはいえ多勢に無勢。その一つがオルフェウスのこめかみに命中し、彼は絶命していまいます。元々生きる気力を失っていた彼にはかえって良かったのかもしれません。今度は本当に冥府の住人として、愛しいエウリュディケに会い、共に永く暮らすことができるのですから。

 魂はそうでも、地上には彼の体が残っています。死体は凶暴な女たちによって八つ裂きにされてしまいました。憐れに思ったへブロス川の神が、その首と竪琴だけを拾い上げ、海に流してやりました。
 オルフェウスの首と竪琴はレスボス島にまで運ばれ、この島で手厚く葬られたのです。その功徳(くどく)なのか、レスボス島はその後素晴らしい詩人と歌手を輩出することとなります。代表的なのは、古代ギリシャきっての女流詩人サッフォーです。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ギリシャ神話を知っていますか』(阿刀田高、新潮文庫)
『ウィキペディア』-「オルぺウス」の項
関連記事
『オルフェウスの冥府下り(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-583e.html
『オルフェウスの冥府下り(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-fa85.html
『ギリシャ神話選』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat41440534/index.html
『夕星(ゆうずつ)の歌』(サッフォーの詩)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-7dd8.html

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オルフェウスの冥府下り(2)

 オルフェウスは、死んだ新妻エウリュディケを返してもらうべく、冥府へ下ってそこの王ハデスと直談判することを決意しました。

 タイナロン岬のどこかの冥府の門をくぐり抜け、暗黒の隧道をどこまでも下っていきました。やがて地の底に行き着くと、地界の王ハデスの館を取り囲むように五つの川が流れています。どの川を渡ったかまでは分かっていませんが、オルフェウスはとにかくその中のどれかを渡って死者の地にたどり着きました。

 周囲には、得体の知れない蒸気のような亡者たちがゆらゆらと揺らめき動いています。無明(むみょう)の闇のみが辺り一帯を領し、魂を凍らすほどの冷たさ、気味の悪さです。漂う空気には名にやら名状しがたい怨嗟(えんさ)の気配が漂っています。
 オルフェウスを前に進めるものは、ただただ愛するエウリュディケを取り返したい一念だけ。彼はなおも奥深くに進んでいきます。最深部はタルタロスと呼ばれる地域で、地上の極悪人たち、例えばシシュポス、タンタロス、イクシオンなどが無限に続く刑罰を受けている所です。

 上の三悪人の刑罰を簡単にみてみます。
 シシュポスは大きな石を山の頂上まで運びますが、あと一歩のところで石もろとも下に落とされ、それを無限に繰り返す刑罰。タンタロスは果実がたわわに実った果樹に吊るされ、食べたい果実が永劫に食べられない刑罰。イクシオンは、火が燃えさかる車に縛り付けられたまま空中を絶え間なく回転しているという刑罰。
 特にシシュポスの場合は、『異邦人』の作家・カミュに『シシュポスの神話』という作品があるように、なぜそういう刑罰を受ける羽目になったのかなど興味深いものがあります。(いずれ取り上げられたらと思います。)

 どうして生身のオルフェウスがここまでたどり着くことができたのでしょうか。
 それは、彼の奏でる竪琴と彼の歌う歌声が、冥府の番人たちを感動させたからにほかなりません。地獄の番犬ケルベロスですら美しい音色に魅せられて、凶暴な唸り声を出すのを忘れたほどなのです。

 オルフェウスは遂に冥王ハデスの館に到着しました。館に入るやハデスの前に進み出て、
 「どうか私の妻を地上にお戻しください」
と、涙ながらに願い出ました。

 ハデスもその妻ペルセポネも、オルフェウスの歌に深く心を動かされていました。そこでハデスは、
 「よかろう。特別の計らいで返してやろう。だが、よいな、太陽の光を仰ぐその時まで決して汝(なんじ)の妻の方へ振り返ってはならぬぞ。これが掟じゃ」
 そう告げて、エウリュディケの手をオルフェウスに握らせました。
 オルフェウスの喜びは例えようもありませんでした。

          妻の手を引くオルフェウス(注 実際は漆黒の闇)

 オルフェウスは、エウリュディケの手を引いて冥府の道を引き返しました。
 だが道のりは長いのです。周囲は漆黒の闇。心細さが少しずつ彼の胸に募ってきます。後ろからついてくるのは本当にエウリュディケだろうか。もしやハデスが騙したのではあるまいか。
 それに妻の手の感触は何と頼りないのだろう。何と冷たいのだろう。さぞや痩せ衰えて情けない姿になっているのではあるまいか……。
 闇の深さに誘われるように、次から次へと疑念が湧いてきます。

 せめてエウリュディケのため息なりとも、衣擦れの音なりとも聞かんものと耳を澄ましても、それすらも聞こえません。
 「エウリュディケ」
 呼びかけても、もちろん返事はありません。

 オルフェウスの不安はもう極限にまで達しました。
 『後ろを振り向いて一目妻の姿を見たい』。
 掟破りの願望ながら、もう我慢できなくなりました。
 ハデスにあれほど固く止められたのに、オルフェウスはちらっと振り向いてしまったのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

関連記事
『オルフェウスの冥府下り(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-583e.html
『ギリシャ神話選』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat41440534/index.html

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オルフェウスの冥府下り(1)

  オルフェウスの竪琴をふと星月夜  (俳句の国三重「音の一句」採用の拙句)

 この句は2008年9月公開の『星月夜』の冒頭にも掲げました。今から7、8年前三重県(が毎年「○○の一句」で募集している)の「音の一句」に応募し佳作となった句です。これは角川学芸出版から出されている『音の一句』にも収録され、私が作った句ではあっても、著作権法上はもう私の手を離れています(ので冒頭の但し書きをしました)。

 この句のようにオルフェウス(ギリシャ語読みではオルぺウス)は、ギリシャ神話中随一の竪琴の名手です。また『イリアス』『オデッセイア』などで名高いホメロスなど、後世の吟遊詩人の先駆的存在とされることもあります。
 歴史家のアポロドーロスによれば、ムーサイのひとりカリオペーとオイアグロスの子として、ただし名義上の父親は(太陽神)アポロン神として、オルフェウスは生まれたとされます。またオルフェウスの父はトラーキア王であったともされ、グレイヴズはオイアグロスをトラーキア王としています。彼の竪琴の技はアポロンより伝授されたともいわれます。

 オルフェウスが奏でる竪琴がどれほど素晴らしいものだったか。
 その技は非常に巧みで、彼が竪琴を弾くと、神々も妖精も聴き惚れ、森の動物たちも集まって耳を傾けたといわれています。それのみか、自然界の樹木や、果ては命なきはずの岩石までもが感動せずにいられなかったというのです。(注 実際は樹木や草花には感情があり、宝石など岩石にも意識がある。)

 『ギリシャ神話選』としていずれシリーズ化するかもしれませんが、オルフェウスは、イアソン率いる往路だけでも2千kmという「アルゴー船探検隊」にもヘラクレスらとともに加わっています。
 オルフェウスはその折り、人間を歌で誘惑し殺害する女魔物セイレーンに歌合戦を挑み一座を鼓舞し、無事に海峡を渡ることができたのです。

 さてここからが本シリーズのプロローグです。
 オルフェウスは森の妖精エウリュディケを深く愛し、結婚しました。しかし幸福はあまりにも儚く、婚礼の歌がまだ終わらないうちに死が花嫁を奪い去ってしまいました。エウリュディケは毒蛇に足を噛まれ、あっと言う間に死んでしまったのです。

 最愛の新妻を失ったオルフェウスの悲しみはたとえようもありませんでした。
 オルフェウスはまた歌の名手でもありましたが、彼の悲歌は四方に流れ、かつ溢れ、ために野も山も泣き叫ぶほどでした。鳥たちは声をからして泣き、花々は花弁から涙を落としました。

 「愛しいエウリュディケよ。お前はどこに言ってしまったのだ !」
 とうしても諦めきれないオルフェウスは、身の毛もよだつ黄泉(よみ)の国に行き、冥府の王ハデスに哀願してエウリュディケを返してもらう決心をしたのです。

 ギリシャ神話における冥府の入り口はどこにあったのでしょうか?
 それは、ペロポネソス半島の最南端・タイナロン岬にあったといわれています。
 


 ペロポネソス半島は上の地図のオリンピア、コリントス、スパルタなどがある半島です。確信があるわけではありませんが、タイナロン岬は、スパルタから真南(真下)に地中海に突き出た最先端部だと思われます。
 この辺りの岸壁は洞穴が多く、そこから地界(冥府)への道が通じていると考えられていたのです。事実古代ギリシャ時代、タイナロン岬付近一帯に広く、死者たちが冥府に向かう道しるべとして、ネクロマンテア(石像)が立っていたようです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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『星月夜』
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ゼウスはなぜ好色なのか

 -ゼウスの好色性にみられる、周辺各地神話吸収・合併のプロセスについて-

 『ギリシャ神話選』カテゴリーで、長かった一連の「クレタ島物語」を何とかまとめ終えました。その作成過程でふと考えたことがあります。それは他でもない、「ゼウスの好色性」についてです。

 以前の「ペルセウス冒険譚」では、青銅の塔の中に幽閉されていたその母ダナエを、ゼウスは黄金の雨となって交った結果ペルセウスが生まれたのでした。そしてクレタ島のミノス王は、フェニキア王の娘のエウロパが侍女たちと海辺で遊んでいるのを見計らって、美しい牡牛に化けたゼウスによってクレタに連れ去られて生まれたのでした。

 このように、何かに化身した主神ゼウスのご乱行によって生まれた神話中の人物は枚挙にいとまがありません。それで私は、ギリシャ神話中の最高神に対して、「好色神」「エロ大神」「歩く種馬神」などと面白おかしい表現を用いてきました。
 これは例えば、「汝姦淫するなかれ」と諭すユダヤ教(そしてキリスト教)の唯一神「ヤハウェ」とは著しい対比を見せるものです。
 ギリシャ神話のゼウスはなぜこうも良い女を見てはムラムラときて、人妻だろうが誰だろうが見境なく次々と思いを遂げていったのでしょうか。
 そのことに関して作成過程で気がついたことは以下のとおりです。

 エーゲ文明、ミノア文明はシリーズ中で見たとおり、紀元前20世紀以前から栄えた文明なのでした。そしてミノス王の紀元前15世紀頃絶頂期を迎えたわけですが、方やギリシャ文明はその頃ようやく曙光期を迎えたばかりなのでした。
 その後ミノア文明の方は衰退していき、代わってギリシャ本土はもとよりエーゲ海一帯を広く勢力範囲に収めていったのがギリシャ文明です。いわば後進の文明の信仰的、精神的基盤となったのが、ゼウスをはじめとするオリュンポス山の神々だったのです。

 それ以前のオリュンポスの神々は、ギリシャの一地方の神々に過ぎなかったと考えられます。それがアテネやスパルタなど都市国家の隆盛による勢力拡大に伴い、オリュンポスの神々の稜威(みいつ)も勢いを増していったのだと考えられます。
 これはキリスト教が世界宗教化していく中で、それ以前はユダヤという小国の神に過ぎなかったヤハウェが「世界的な神」になっていったことと似たところがあるように思われます。

 その過程で、クレタ神話のように本来はギリシャ神話とはまったく別体系の各地の神話を、吸収・合併してギリシャ神話中に取り込む必要があったと考えられるのです。
 我が国上古の天武天皇治世下で行われた古事記編纂などに見るまでもなく、「神話」は権力の根拠を示す強力な基盤であるのです。

 吸収・合併は、オリュンポスの神々の慈愛性を示す形にしなければいけません。穏やかな方法で周辺神話の神々がオリュンポスの神々にまつろった体裁でないと、後々具合が悪いわけです。
 それには、各地の王家の血統は遡れば皆々オリュンポス山の神々の系譜にたどりつくことにすればいいわけです。そのために、各時代のギリシャ神話の作り手たちが伝統的に用いた手法が「血の交わり」です。
 そこで好色な主神ゼウスの登場です。ゼウスが各地の美しい王家の女たちを次々に手ごめにし、その血統にゼウスの神的DNAを注ぎこませる形にしたのではないでしょうか。

 しかしその際、異国の美しい娘や人妻たちと最高神ゼウスが生身で交わったのでは、いくら何でも露骨過ぎて不具合です。そこでギリシャ神話の作り手たちが編み出した“苦肉の策”が、ゼウスが白鳥や黄金の雨や牡牛に化身して交わるという手法だったのではないでしょうか。
 もしゼウスがオリュンポス神界に実在しているのなら、「私はあんな好色な神ではないのじゃがのう」と、苦笑もしくは嘆いておられるかもしれません。

【注記】
 本拙考は、私の単なる思いつきをまとめたもので、何の学術的裏づけのあるものではありません。もしどなたかギリシャ神話通の方がおられましたら、その辺の事情についてご教示いただければ幸いです。
 なお本考に関わらず、今後ともゼウスの好色ぶりを面白おかしく描いていきますので、ご了承ください。

 (大場光太郎・記)

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『ギリシャ神話選』
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エーゲ海の由来&イカロスの翼

エーゲ海という名の由来

 ディオニュソス神が領するナクソス島にアリアドネを残し、テセウス一行を乗せた船はひたすらアテネ目指して航海を続けました。

 ところでテセウスが人身御供としてアテネを発つ時、父王アイゲウスに、
 「もし無事で帰ってこられた時は白い帆を掲げましょう。黒い帆が発っていたなら私は死んだものと思ってください」
と言い残してクレタ島に向かったのでした。

 ナクソス島を出た時、船は黒い帆を張っていたのでした。途中で気がついて白に張り替えるべきでした。しかしテセウスも人の子、アリアドネをナクソス島に残してきたことが気がかりで心中穏やかではなく、父王との約束などすっかり忘れていたのです。
 それは船中の者たちとて同じこと。クレタ島から脱出させてくれ、船旅を共にしていた王女の非在を誰もが悲しんでおり、これまた帆を替えるのを忘れていたのでした。

 一方老いたるアイゲネス王は、息子の帰還を一日千秋の思いで待っていました。ある日岸壁に立って海上を見ていると、遠くにテセウスの船らしきものが確認されました。
 「さて帆の色は?」
 徐々に近づく船の帆を見るに黒ではないか。
 老王はよろめき、絶望のあまり断崖から身を投げ出して死んでしまったのです。以来ギリシャ本土からクレタ島までを包み込む内海を、アイゲネスを偲んで「エーゲ海」(「Aegean Sea」)と呼ぶようになったのです。

 なおテセウスは、アリアドネとの別れ、父王の不慮の死と相次ぐ不幸に見舞われながら、めげることなくすぐにアテネ王となり、後代の世界史に冠たる都市国家アテネの礎(いしずえ)を築いたのでした。

イカロスの翼

 話は転じて。
 テセウスがラビリントスから逃げ出したこと、その手引きをしたのが愛娘アリアドネであること、愛娘はどうもテセウスと“愛の逃避行”をしてしまったらしいこと…。事の一部始終を知ったミノス王の怒るまいことか。
 「誰か要らざる入れ知恵をした奴がいるに違いない」
 厳しい捜査を命じた結果、すぐにダイダロスであることが割れました。

 「妻の時といい、今度といい。あの老いぼれ大工め。もう許しておけん !」
 ミノス王の怒りはダイダロスに向けられました。
 「罰としてあやつを迷宮に閉じ込めよ。息子のイカロスも一緒にな !」
 王の命令は直ちに実行に移され、ダイダロス親子はラビリントスに幽閉されてしまいました。

 もちろん糸玉の持ち込みなど許されるわけもありません。迷宮の主のミノタウロスは退治されていなくなったとは言え、脱出はほぼ絶望的です。それでも生への執着心の強い若いイカロスは、ここから一刻も早く脱出したくてたまりません。
 「お父さん、どうする?何か抜け出すうまい方法はないの?」
 「まあ、そう焦るなって。きっと何か良い方法があるはずだ」
とは言ったものの、名工ダイダロスにもどうにもいい脱出法が思い浮かびません。

 しかしさすがは“古代発明王”です。必要に迫られて、またまた取って置きのアイディアが閃いたのです。
 「そうだ、空だ ! 地べたをたどって逃げられないのなら、空から鳥のように飛んで逃げればいいではないか !」
 2次元平面発想が3次元立体発想へと飛躍した瞬間です。

 ダイダロス親子が幽閉されたのは「塔」だったという説もありますが、「迷宮説」の方が広く流布されています。だとしたらラビリントスは地下迷宮ではなく、クノッソスの大地を深くくり抜いただけの仰げば空が見える式の迷宮だったことになります。

 ダイダロスは優れた科学者でもありました。かのレオナルド・ダビィンチが約3千年後に思い描いたことを、この時まさに思い立ち、かつ実現化を試みたのです。古代科学者は鳥の体をつぶさに観察し、それを模して二人分の翼を作りました。
 長い歳月の間に迷宮内に散らばり、堆積している鳥の翼をかき集め、人間用の大きな翼を作ったのです。

 「イカロス、お前はこれをつけろ。よいか、いい気になってあまり高く飛ぶでないぞ」
ダイダロスはそう注意を与えて、一方の翼を息子に与えました。
 こうして2台の「にわか飛行機」は迷宮から飛び立ち、空高く舞い上がりました。若いイカロスは父の忠告にも関わらず、天空に舞い上がって下界を見下ろしつい嬉しくなり、上へ上へと上昇し続けました。
 「ダメだ、イカロス。そんなに高く昇るんじゃない。危ないから降りるんだ !」
が、父の必死の叫び声もイカロスの耳には届きません。

 案の定あまりにも太陽に近づき過ぎて、接着剤として使用していた蝋(ろう)が溶け始めました。“有頂天”のイカロスはそれすら気がつきません。
 「ああっ」という甲高い叫び声が上がるとともに、イカロスの翼はふわふわ宙を漂い、イカロス自身は真っ逆さまに、ある島にほど近い海へと落下したのでした。
 イカロスが墜落死した海を、彼の名にちなんで「イカロス海」、そして近くの島を「イカロス島」と名づけられました。

 以上、長かった「エーゲ海、クレタ島物語」の終了です。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』-「エーゲ海」「エーゲ文明」「ミノア文明」「ミーノース」「パーシパーエー」「アリアドネー」「イーカロス」などの項
『ギリシャ神話を知っていますか』(阿刀田高著、新潮文庫刊)

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アリアドネの糸(4)

 アテネ王子テセウスとクレタ王女アリアドネは、クレタ島を離れ船上の人となり、アテネに向かって北上していきました。何しろ怪物ミノタウロスを退治した上、ラビリントスという大迷宮を無事脱出できたのです。
 並みのハリウッド映画ならこれで「ハッピー、ハッピー」、市民の歓呼の声に迎えられて二人そろってアテネに凱旋してジ・エンドのはずです。

 しかし神話では、北上途中航路を少し東に寄せてナクソス島に立ち寄ったことが、アリアドネの運命を決定的に狂わせてしまうことになりました。そのまま真直ぐ北上し続けた方が近道だったはずですが、テセウスは「ナクソス島に立ち寄った方がいい」と考えたのでしょうか。

 ナクソス島は「ディオニュソス神」の住む島なのでした。ディオニュソスは別名を「バッカス」と言い、酒と収穫の神様として知られています。大神ゼウスの息子ですが、初めはオリンポス十二神の中に加えられず、その性格はさながら酒に酔った時のように凶暴で、衝動的で、理性よりも感情の赴くままに行動する神として描かれています。
 19世紀を代表する哲学者のニーチェは、人間に芸術的意欲を起こさせる原動力として、陶酔的、激情的、衝動的なディオニュソスタイプと、調和を重んじて理性的、知的なアポロンタイプに分類しました。これは神話的伝説を根拠としたものです。
 このようなディオニュソスの性格が遺憾なく発揮されたのが、以下の物語です。

 ディオニュソス自身が冒険的であり、多分に反逆児としての側面を有していましたから、逃走中のテセウス一行を快く宮殿に迎えました。何せ「酒の神」なのですから、早速豪勢な大酒宴が催されました。
 客人に勧めるとともに、ディオニュソス自身もグイグイ酒をあおります。宴が進むにつれて、酒癖と女癖の悪いディオニュソスの眼が隠靡に輝き始めます。その対象はもちろん美貌の王女アリアドネ。彼女の唇に、胸に、太ももに、なめるようにまとわりつくように好色な視線を注いだのです。
 「おかしいわ、この人」
 正確には「この神様」と言うべきか。いずれにせよ、アリアドネもいやらしいセクハラ目線に気がつきました。

 酒宴がお開きとなり、テセウスとアリアドネはようやく寝所で臥すことができました。旅の疲れと深酒で、さしもの勇者も早々と深い眠りに落ちました。アリアドネもうつらうつらまどろみかけました。
 酒の席でのディオニュソスの視線が何となく気にはなりましたが、このままぐっすり熟睡して目が覚めれば、あしたの朝早くにはこの島を離れアテネにぐっと近づけるのです。

 とその時、誰かがアリアドネの体をまさぐったのです。「えっ?」と思って傍らのテセウスを見ると熟睡中で身動き一つしていません。
 「じゃあ誰、誰なの?」
 アリアドネはハッとなって、途端に眼が覚めてしまいました。
 酒くさい息、脂ぎった体臭、そして荒々しい愛撫。あろうことか大事な客人カップルの寝所に入り込み、エロ大神のDNAをストレートに受け継いだディオニュソス神の陵辱が始まったのです。

 抵抗してもがいても衣装はみるみるうに剥ぎ取られ、アリアドネのもぎたてのようなみずみずしい体が露わになっていくばかりです。つまりは全裸にされ、野性的な神の体が覆いかぶさってきます。
 頼みのテセウスはどんな物音でも起きないほどの爆睡です。逃げようにもディオニュソスがしっかり手首を押さえているため、か弱い女の力ではどうすることもできません。
 アリアドネとは「とりわけ潔らかに聖い娘」を意味しますが、こうしてアリアドネは、夜が白むまで何度も犯され続けたのでした。

 さらに問題なのは出航時です。つれないことにテセウスは、アリアドネを乗船させることなく出航していったのです。
 これは夜が明けてから、ディオニュソスとテセウスとの間で「取り決め」があったことを意味しています。
 「実はなあ、お前が寝ている間に、お姫様をちょいと抱かせてもらっぞ」
 ディオニュソスは悪びれもせずこう言ってから、
 「まあまあ、そう怒るなって。ものは相談だが、あの女をここに置いていけ。そうすればこれからはお前の守護神になってやろうじゃないか」

 何せ相手は名にしおう凶暴神です。それに力強い神の加護を受けるのと、恨みを買うのとでは、その後の人生大違いです。つまりはテセウスはその話を承諾したのです。
 アリアドネがテセウスを愛していたほど、テセウスはアリアドネを愛していなかったのか。それとも色恋よりも功利面を取る現実家だったのか。ミノタウロスを打ち負かした勇者も、なぜかディオニュソスの前では弱気だったのです。

 ラビリントス脱出には絶大な効力のあった糸玉でしたが、予期せぬ運命に翻弄され、アリアドネとテセウスを繋ぐ見えざる「運命の糸」は突如プツリと断ち切られてしまいました。遠ざかっていく船の影を、アリアドネはどんな想いで見ていたのでしょうか。
 アリアドネの記録はここで途絶えています。その後ディオニュソスの寵愛を受け続けたのならまだ救いもあります。が、むしろこの島で、自分を置いて去っていった恋人のことを想いながら薄幸な命を閉じた可能性の方が高そうです。

 悲運の王女の物語は後世の芸術家に霊感を与えたらしく、「悲しみのアリアドネ」を題材とした近代西洋絵画、彫刻、オペラ音楽などが創作されています。  (クレタ島物語のうち「アリアドネの糸」完)

【注記】クレタ島脱出後のアリアドネについては諸説ありますが、ここでは阿刀田高著『ギリシャ神話を知っていますか』(新潮文庫)を下敷きにまとめました。

 (大場光太郎・記)

参考
Do As Infinity『アリアドネの糸』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=GKkC3OhnakY
関連記事
ギリシャ神話選
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