【世界中が騙されてきた】メルケルとオバマは叔母と甥? メルケルとオバマの母は共にヒットラーの娘、メイ英国前首相も 元々ヒットラーはロスチャイルドの血流

-「Q」による驚きの情報公開である。オバマの母とメルケル、そしてメイ英国前首相はアドルフ・ヒットラーの娘だったという。末娘を入れて、ヒットラーには4人の娘たちがいたというのだ。詳細は不明だが、このうち戦前に生まれたのがオバマ母で、後の3人は第二次世界大戦後の生まれということなのだろうか。えっ、ヒットラーは、米英仏連合国によるベルリン侵攻により1945年4月30日、ナチス官邸地下室で自殺したことになっているのだが。近年の定説では、自殺死体は替え玉で、本物のヒットラーは愛人のエヴァ・ブラウンとともにドイツを脱出、最終的に南米のアルゼンチンに落ち着き長い余生を送ったという。脱出の手引きをしたのは英国(軍or情報局?)だと。ヒットラーは米国にも密かに立ち寄り、ホワイトハウスで時のトルーマン大統領と密談したという説もある。憎っくき仇敵のはずなのにどうして?ヒットラーがドイツ人というのは真っ赤な嘘で、実は英国ロスチャイルド家の誰かの非嫡出子だったのだ。カバール連中としては、世界史的な大仕事を誰かしかるべき者に任せなければならない。出来れば悪魔13血流から出したいがそれではミエミエすぎる。白羽の矢が立ったのが、ロス茶の流れを汲みながらドイツ人夫婦の子として育ててきたアドルフ・ロスチャイルド・ヒットラーである。「やつら」は芸が細かいのだ。ということはさておき。ヒットラーには4人の女児がいた。その子たちは時満ちて、長女が黒人と結婚してオバマを産みその子が米国大統領となり、次女のメルケルはドイツ首相、三女のメイは英国首相となった。ヒットラーという怪物の血のなせる業であり、ロスチャイルド悪魔血流のなせる業である。それは、メルケル(現在独警察により取り調べ中)、オバマらが任期中どれほど「カバール第一」の仕事ぶりだったかを振り返っても一目瞭然だろう。戦前、戦時中、戦後そして現代に至るまで、世界中の人々はすっかり騙されていたのである。 (大場光太郎・記)-


【本日のツイート】





























果林&樹林 (Karin & Kirin)

@japanawakening






返信先:
さん

メルケルがヒトラーの娘である証拠資料が続々と出てきていることを以前ツイートした。ヒトラーは自害していない。戦後、イギリスの助けにより国外脱出したと言われている。メルケルは、脱出先のパタゴニアで生まれ、西ドイツ・ハンブルクのHorst とFerlind Kasnerのカップルの養子となった。


























果林&樹林 (Karin & Kirin)

@japanawakening






ヒトラーには4人の娘がいたと言われている。
その4人とは、なんと、Ann(オバマの母)、メルケル(ドイツの首相)、テレサ・メイ(イギリスの元首相)、Dalia(リトアニア大統領)。家系を隠して存続させるため皆養子に出された。










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果林&樹林 (Karin & Kirin)

@japanawakening






これが本当なら、バラク・オバマはヒトラーの孫となる。そして、メルケルとは叔母と甥の関係ということだ!!








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果林&樹林 (Karin & Kirin)

@japanawakening






オバマはトランプが大統領に選出された2016年11中旬メルケルと会っている。トランプ大統領就任の前日、オバマが大統領として最後に電話をかけたのはメルケルだった。







Obama's Final Phone Call as President Was With Angela Merkel

The phone call came a day before President-elect Donald Trump's inauguration

time.com





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果林&樹林 (Karin & Kirin)

@japanawakening






2019年5月、オバマはプライベートなミーティングをしにメルケルのオフィスを訪れている。この記事によると、二人は定期的に会っているという。







Shadow Government: Barack Obama Arrives in Berlin to Meet With Angela Merkel in Private

Former US President Barack Obama traveled to Berlin on Friday to meet with Chancellor Angela Merkel at her office in private. German officials characterized the meeting as “routine.” Merkel’s...

thegatewaypundit.com





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235





























果林&樹林 (Karin & Kirin)

@japanawakening






ヒトラーとの繋がりは、正直ぶっ飛んだ考えに思える。しかし、本当かもしれない、と、メルケルの行動を見ると思うのだ

考えている顔






















果林&樹林 (Karin & Kirin)

@japanawakening






出生届は、オバマがやっているようにいくらでも偽装できる。
これはオバマの兄でトランプ支持者のMalik Obamaがツイッターに載せたバラク・オバマの出生届。出生場所がケニアになってる。もしこれが本当なら、不正に選ばれた大統領が8年も在籍していたことになる

絶叫した顔




引用ツイート









Malik Obama

@ObamaMalik
·

What's this?








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果林&樹林 (Karin & Kirin)

@japanawakening






オバマの育ての母親の父、つまり祖父にあたるStanley Dunhamは、CIAエージェントであったと言われている。そしてなんとパパブッシュのいとこだという。ということは、オバマとG.W. ブッシュも離れたいとこ関係ということに

目

!!マーク

ディープステートって、家族経営?(苦笑)(笑えないけど)

勝ち誇った顔

ふくれ顔

肩をすくめる女性










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トモ

@kurarie720






オバマが偽のロシアゲートスキャンダルを命じたことが
大手ニュースサイトである
ニューヨークポストによって報道されました

オバマ大統領が国全体で偽のロシアゲート「スキャンダル」を煽る上で中心的な役割を果たしました

つまりオバマゲートは※陰謀論ではなく※
本当の※大スキャンダルでした※
5994















K-2U

キラキラ
WWG1WGA

虹

@K78881570






これは二重のトリック‥
証明書の左下に「Republic of Kenya(ケニア共和国)」とあるがオバマが生まれた1961年はまだイギリス領‥つまり「The Colony and Protectorate of Kenya(イギリス領ケニア)」で無ければならないので偽物。ハワイでも無く、ケニアでも無いとしたら‥?




引用ツイート









Malik Obama

@ObamaMalik
·

What's this?






5995






















大花慶子 ハナリン

@ohanakeiko






メルケルはすでに逮捕されてて自宅軟禁中だと聞きました

目が笑っている笑顔
だから移動は囚人用のバンなんですかね?




引用ツイート









トモ

@kurarie720
·

メルケルが逮〇された!とかいう情報がありましたが
正直信じられなかったんですよね
でもそれを検証してくれた人がいて
今日はそれを紹介します
メルケルは今年4月謎の黒いバンに乗車しました
実際調べるとそれは囚人輸送機でした
もちろん内装も窓が檻のようになっていることが分かります
このスレッドを表示







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(以上転載終わり)

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【悪電通の黒歴史】「電通・政府・企業・宗教・ネトウヨ」-悪の五芒星の筆頭・電通の悪しき歩み

-『長州忍者のDNA』直前記事では、長州田布施部落出身の伊藤博文、岸信介や関東軍などとともに「電通」も槍玉に挙っていた。「満州は私の作品」と戦前豪語していた岸信介だが、電通の前身社はその満州において産声を上げた。その時から電通は、国策謀略の広告、通信会社としての宿命を負っていたのだ。戦後は一時的に解散に追い込まれたものの、満州から引き上げてきた旧電通及び旧満鉄幹部らが時の日本政府や米GHQに巧みに取り入り、現電通の母体となる広告代理店をリスタートさせている。このように電通は、戦前戦後を通じて時の政権にまで深く食い込んでいるダニのような企業体なのである。数年前、『「電通・政府・企業・宗教・ネトウヨ」悪の五芒星を断て!』記事でも取り上げたが、電通は「悪の五芒星」の筆頭に挙げられるほど性悪な組織である。特に際立っているのがテレビ局支配である。テレビ番組の内容さえコントロールしているという。ということは、電通は間接的にテレビ視聴者たる国民そのものをマインドコントロールしているということなのだ。少し前までは電通批判はタブー視されていた。米国代理店とも揶揄される電通は米国DS、CIAとも気脈を通じ、カバール全盛の頃は国内全マスコミをいいようにコントロールし、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのだ。だが、ここ何年か、東京五輪誘致のための買収工作の電通関与が明るみになった頃から徐々に風向きが変わってきた。そして今回の持続化給付金不正疑惑で、経産省肝煎りの幽霊法人が数十億円の中抜きをして電通に746億円で同事業を投げていた実態が明らかになった。それを端緒に、電通、経産省、安倍政権の癒着ぶりに疑惑の目が向き始めた。その結果新たな事実が判明した。電通から4名の社員が「内閣官房」に出向していたことが判明したというのだ。いまだ届かないアベノマスクでもそうだった。何かの政策を実施するたび「まず利権ありき」が安倍晋三&同政権の本質だ。長州田布施朝鮮人部落の岸信介の悪しきDNAをモロに受け継ぐ安倍晋三は、岸伝来のズブズブ電通癒着もそっくり受け継いでいるのである。いつも言うことだが、この国における電通支配を終わらせれば日本はだいぶ風通しの良い国に生まれ変わることだろう。 (大場光太郎・記)-

関連記事
「電通・政府・企業・宗教・ネトウヨ」悪の五芒星を断て!
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-39f9.html
電通をぶっ潰せば日本は変わる
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-be58.html 

<NEWS23>新たな事実判明! 重要政策を担う「内閣官房」に電通から4人の出向者
http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/389.html
投稿者 赤かぶ 日時 2020 年 6 月 13 日 10:40:05:

【阿修羅掲示板同投稿記事コメントより】-電通の黒歴史

54. 2020年6月13日 18:57:30 : 5XPJIdqnho : TWZWT0p3L05MVXc=[6] 報告

以下は、とても参考になる。長いので抜粋
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>「電通」と自民党・公明党・CIA、「電通」を取り巻く、日本でいちばん醜い利権の構図
~エゴポイントも(ママ)、東京オリンピックも、世界陸上も、自民党・公明党の広告宣伝費も、みーんな「電通」の利権です!~ http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/805.html

(第1章)「電通」と自民党・公明党・CIAの歴史

1895年(明治28)
11月、瀬木博尚によって教育雑誌の広告取次店として「博報堂」が創業。
社名の由来は、瀬木博尚の経営理念「博く、華客に奉仕報酬する」から付けられた。

1901年(明治34)
広告代理業「日本広告株式会社」の併設機関として、通信業「日本電報通信社(電通)」を創立。

≪黎明期の電通≫
1935年(昭和10)の2.26事件が起きる前年、吉田秀雄は上海に渡り、排日運動が熾烈をきわめる中で、邦字新聞、日系漢字新聞など、中国市場の媒体の殆どを電通扱いにしている。この吉田秀雄の快挙の背後には、当時の中国市場、ことに情報機関を完全に掌握していた日本軍との、何らかの連携があったに違いないが、そのあたりのことは、現在の「電通」幹部は、全く知らないようだ。ただ一つ、はっきりしているのは、この時、上海で吉田秀雄は塚本 誠なる人物と懇意になっている、ということだ。

この人物は、戦後、吉田秀雄に迎えられて「電通」に入社し、取締役になっている(1975年8月死亡)。塚本 誠は、元憲兵大佐であり、戦前は、上海で有名な影佐禎昭大佐の「梅工作機関」など、いわゆる特務機関と連携し、或いは特務機関の束ね役として、反日運動などの弾圧の指揮をし、汪精衛の南京政府づくりの舞台裏でも活躍したようだ。実は、吉田秀雄が上海で塚本 誠と懇意になったのは、こうした時代、つまり塚本 誠が中国市場の情報関係の人間たちに絶大な力を持っていた時代なのだ。

尚、塚本 誠は、東条英機が政権をとると憲兵特高課長に迎えられているが、一方では近衛文麿と、彼をとりまく学者、ジャーナリストたちとも親しく、憲兵特高課長という顔の他に、ジャーナリズムとの根回し役もつとめていたようだ。この時代、吉田秀雄は、「読売」の正力松太郎、「同盟」の松本重治、「毎日」の吉岡文六、田中香苗、そして、「朝日」の団野信夫、宮崎世龍などと懇意になっている。

1936年(昭和11)、2.26事件が起き、日独伊防共協定が締結されるなど、日本が、破滅への途を選んだ運命の年だが、「電通」にとっても、大きな選択を、それも無理矢理に強要された年だった。

報道管制が行われ、日本政府、そして日本軍は、報道調整という言葉を使った。報道を掌握するには、情報チャンネルの一元化が必要で、そこで先ず、新聞に内外の情報を提供する通信社を統合して、単一の国策通信社をつくることを考えたのである。国家にとって都合の悪い情報は遮断する。情報整理、そして情報操作。

1936年(昭和11)1月、政府は、地方新聞など反対派を強引に封じ込んで国策通信社である社団法人・同盟通信社を発足させた。そしてこの時から、「電通」は、通信社部門を失い、広告代理行専業の会社になったわけだ。

1906年(明治39)
「南満州鉄道」設立(初代総裁は、後藤新平)。後藤新平は、現NHKの初代総裁であり、正力松太郎に資金援助し読売新聞を買い取らせた人物であり、通信社を独立させ、翌年には逆に通信社が広告会社を合併。「電通」はこの年、ロスチャイルドと関係の深い「ロイター(1871年、既に長崎・横浜に支局開設)」と契約。

1932年(昭和7)
満州国建国。国策通信社「満州国通信社」初代社長には、里見 甫(さとみはじめ)が就任。里見 甫は、裏社会とつながりがあり、満州国高官だった岸 信介の命によって、アヘンの密売であげた巨額の利益を、関東軍の資金にする犯罪行為の一端を担っていた人物。

「満州国通信社」は、当時の軍国主義下の国策通信社であり、その阿片マネーから、児玉誉士夫、笹川良一といった人間に繋がり、阿片を利用し戦争指揮をとった東条英樹、「満州は、私の作品」と豪語する岸 信介、そして、日本の右翼勢力とも元々密接な関係があり、更には、中国の裏社会(マフィア)との繋がりもあった。

1936年(昭和11)
「日本新聞聯合社(聯合)」と「電通」の通信部門合併により、「同盟通信社」を設立。その際、「電通」の広告部門は、「日本新聞聯合社(聯合)」の広告部門を吸収し、広告のみを扱うという現在の姿の原型が完成。同年10月に、岸 信介が、満州国の国務院(満州国における行政機関。満州国は議会を持たなかった為、国政の最高機関であった)の実業部総務司長に就任している。

1945年(昭和20)
敗戦に伴い、「同名通信社」は解体され、政治、社会、一般ニュースを扱う「社団法人共同通信社」と、経済報道を扱う「株式会社時事通信社」に分社化。しかし現在では、「共同通信社」、「時事通信社」、「電通」は株式を持ち合い、設立当初の寡占状態を回復している。

1947年(昭和22)
吉田秀雄が「電通」第4代社長に就任。この頃から、「日本電報通信社(電通)」は戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。吉田秀雄は、戦犯として公職追放された政財界人、満州や上海から引き上げてきた旧軍人、満鉄(満鉄調査部、満州国通信社)関係者などを大量採用し、これが、「電通」が“満鉄調査部の後身”と言われる所以である。当時の電通ビルは、“第二満鉄ビル”と呼ばれていた。彼らは、広告のノウハウは無かったものの、実質フィクサーとして活動し、現在の日本支配の礎を築きあげていった。また、吉田秀雄はこの頃から、米国式広告=“プロパガンダ”手法を導入。

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55. 2020年6月13日 18:58:23 : 5XPJIdqnho : TWZWT0p3L05MVXc=[7] 報告

≪終戦直後の電通≫
1947年(昭和22)5月、前社長の公職追放により、吉田秀雄が社長となった。この経営危機の時期に、吉田秀雄は、何故か旧軍人、軍属、或いは「満州鉄道」関係者をどんどん採用しているのである。市川 敏(満州国弘報処長)、小沼治夫(陸軍少将)、島崎千里(産業経済新聞)、高橋 渡(満州日報業務局長)、高橋威夫(満鉄文書課長)、塚本 誠(憲兵大佐)、松本豊三(満州日報理事長)、古賀 叶(満鉄錦州鉄道局長)、高田元三郎(毎日新聞社)、森山 喬(大陸新報理事)、森崎 実(満州日報編集局長)、芝田研三(南満州鉄道)、金沢覚太郎(満州電信電話)、古瀬甲子郎(満州日報営業局次長)、峯間信太郎(天津米穀統制会理事長)、白川威海(毎日新聞社)、山名文夫(資生堂意匠部)、蜂谷輝雄(台湾総督府外事部長)、東郷青児(画家)、中西寅雄(東大教授・陸軍嘱託)、宮崎博史(三越宣伝部長)、小滝 彬(外務省情報部長)、新田宇一郎(朝日新聞社取締役)、新保民八(花王石鹸取締役)

広告業界の連中は、誰もが「電通」ビル(旧電通ビル、中央区銀座七-四)を「第二満鉄ビル」と呼んだ。あまりに満鉄関係者が多かったからである。

吉田秀雄は、経営が危機に瀕していた時期に、何故、広告のことを皆目知らない、言わば使いものにならない連中をこれ程集めたのか、吉田秀雄は、旧軍人、満鉄関係者たちを社員として採用しただけではなく、公職追放となった政治家や財界人、新聞人などの為に、「旧友会」という、言わば“サロン”をつくって、彼らが、月一回集まって食事をしながら、心置きなく談笑出来るように設え、そればかりではなく、彼らの為に「ユニバーサル広告社」という会社までつくっているのである。

戦後、「電通」が大きく躍進出来た原因の一つが民間ラジオ放送で、もう一つが民間テレビ放送だと言われている。テレビに執念を燃やしたのは、吉田秀雄よりも正力松太郎(読売新聞社主)のほうで、ついに「日本テレビ(読売)」開局に漕ぎつける。

NHK編の『放送五十年史』は、正力松太郎のテレビ計画を、「講和、独立を控えた特殊な情勢の下で、米国の極東戦略に深く関連しながら、全国のテレビ網を一挙に手中に収めようとした」と、極めて含みの多い表現で説明している。

正力松太郎のテレビ計画の周辺を取材すると、旧軍人たち、それもGHQとの関わりの深い情報プロたちの影が、何人も浮かび上がってくる。そして、旧情報将校たちが米国に足繁く通う中で、折から、公職追放中だった正力松太郎が、何故か突如追放解除となり、それをきっかけに、テレビ開局計画が急ピッチで具現化するのだが、そのキーマンとして動いたのが、カール・ムントという人物なのである。

カール・ムントは、米上院議員であり、カール・ムントは、1951年4月、米上院で、次のような演説を行っている。「共産主義は、“飢餓”と“恐怖”と“無知”という三大武器を持っている。こうした共産主義に対する闘いにおいて、米国が持っている最大の武器はテレビである。我々は『米国のビジョン』なるテレビ・ネットワークを海外に普及させる必要がある。それを最初に試験的にやるべき地域は、ドイツと日本で、例えば、日本の隅から隅まで行き渡らせる為のテレビ網建設費は460万ドル。これはB29爆撃機を2機つくるのと同じ金額である」

テレビは、共産主義勢力に対する武器としては軍事力などより遥かに強力で、しかも安いというわけだが、このムント構想が打ち出されるや、直ちに正力松太郎の密使が米国に飛び、ムント議員と接触している。その密使が、柴田秀利(後に日本テレビ専務取締役)である。

柴田秀利は、GHQの新聞課長インボデン少佐にも、関係者たちの話では、「かなりどろどろした手段を使って」深く食い込み、正力松太郎を、共産主義殲滅の代理人にさせる、との約束を取りつけたようだ。

「米国が、直接行なうと、情報支配の形があまりに露骨で、日本人の神経を逆なでする。日本人の手でやらせた方が遥かに効果的だ」との柴田秀利の説得が功を奏したものらしい。

「電通」が、戦後、初めて商売として政治と関わりを持ったのは、1952年10月、日本が独立した最初の総選挙の時だった。吉田 茂(麻生太郎の祖父)自由党としては、国民に対して大PR作戦を展開することにし、その大きな柱の一つとして、戦後初めて全国の主要新聞に大々的な広告を打つことになったのだが、そのプロデューサー役を演じたのが「電通」だった。

関わりが深まるにつれて、政治は次第に、吉田秀雄「電通」にとって、商売の対象だけではなくなってきたようだ。それが、一つの頂点に達したのが、1960年の安保騒動だった。革新陣営に「これで新聞は死んだ」と嘆かせた、所謂、「七社共同宣言」のフィクサーも、実は吉田秀雄だったと言われている。

「七社共同宣言」とは、東大生だった樺美智子が殺された直後、1960年6月17日に、全国紙五紙(「朝日」、「毎日」、「読売」、「日経」、「産経」)と「東京新聞」、「東京タイムズ」の七紙が、「暴力を排し議会主義を守れ」との声明文を掲載したもので、この共同宣言は、反安保の盛り上がりに水を浴びせる役割を果たした。


≪不起訴により釈放され、裁判を免れたA級戦犯被指定者≫
青木一男、安倍源基、天羽英二、安藤紀三郎、石原広一郎、岩村通世、岸 信介、葛生能世、児玉誉士夫、後藤文夫、笹川良一、正力松太郎、須磨弥吉郎、高橋三吉、多田 駿、谷 正之、寺島 健、梨本宮守正王、西尾寿造、本多熊太郎、真崎甚三郎、近衛文麿(自殺)、小泉親彦(自殺)、橋田邦彦(自殺)、本庄 繁(自殺)、徳富蘇峰(不起訴により自宅拘禁解除)

尚、A級戦犯に指名されながら、釈放された者は少なくとも70名強存在するが、網羅的な資料が存在せず、その人数は確定出来ない。

1952年(昭和27)
10月の総選挙で、自由党・吉田 茂首相が「電通」にキャンペーンを依頼したことが発端となり、「電通」と吉田 茂、「電通」と自民党の関係が深まっていく。元々、旧軍が中心だった「電通」の人脈は、政党政治家に拡大していき、「電通」は反共・安保擁護の為の保守体制に組み込まれることになった。

更には、吉田 茂を介した政界浸透や、「電通」で採用していた旧軍人・満鉄関係者の公職追放解除に伴う政府要職復帰、コネ採用による有力者の子弟の取り込みなどにより、電通人脈は更に強力に、日本中に張り巡らされていくことになった。

こうした吉田秀雄の人脈戦略は大きな成功を収めることとなり、「電通」は総理府の宣伝予算をほぼ独占、“影の情報局” “築地のCIA”と呼ばれるほど威力を拡大し、現在に至っている。

1953年(昭和28)
「電通」は、テレビ放送開始に着目し、多くのラジオ局・テレビ局の設立に関与、吉田秀雄は、幾つかの放送局で取締役に就任。中でも「TBSテレビ」は吉田秀雄の関与が深く、現在でも、民放で最も電通と親密だと言われている。何故、日本テレビの社名は「日本テレビ放送網」となっているのか?「網」の字にはどんな意味があるのか?その理由は設立時の秘密にある。

実は、日本へのテレビの導入は、米国による情報戦の一環だった。テレビ放送網は、そのまま「反共の防波堤」であり、更に軍事通信網にもなるはずだったのである。「テレビの父」である正力松太郎のテレビ構想は、米国側に巧みに利用されたものに過ぎない。CIAは正力松太郎に、「ポダム」という暗号名まで付けていたのである。
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56. 2020年6月13日 18:58:59 : 5XPJIdqnho : TWZWT0p3L05MVXc=[8] 報告

1955年(昭和30)
「森永乳業」の粉ミルクに砒素が混入する事件(砒素ミルク事件)が発生。死亡者は138人、被害者は1万人以上を数えたが、「電通」は、クライアントだった「森永乳業」を守る為に報道統制を行ったが、
後にそれが明るみに出て、「電通」は世論の激しい非難を浴びることになった。何故、電通がメディアの報道を統制出来たか?といえば、1951年に「新聞用紙割当統制」が解除された結果、新聞紙の自由競争時代に入り、新聞社・雑誌社間の広告獲得競争が厳しくなったことに起因しており、競争が激しくなった結果、多くのメディアは「電通」の存在に依存するようになり、自力での広告獲得能力を失ってしまった。

「電通」は、広告主の“宣伝” “媒体探し” “広報対策”を引き受ける一方で、マスメディア側の“広告集め” “広告主対策”なども一手に引き受けていた為、広告業のノウハウ・情報が一元的に「電通」に集まってしまった。その為、新聞社の中には、朝日新聞のように「電通」と資本関係を結んで、緊密な関係になるものまであった。

こうなった最たる原因は、「電通」が余りにも巨大になり過ぎたことにあり、更には、関連会社の「共同通信」と「時事通信」が、新聞記事のネタ元になる通信記事を配信しており、広告だけでなく、ニュースにおいても寡占状態にあることがこれを後押しした。その上、メディアは本格的なテレビ時代を迎え、徐々に放送内容への「電通」の介入が当たり前のことになっていった。

1965年(昭和40)
「大正製薬」の風邪薬ショック死事件が発生、「電通」は、1955年の砒素ミルク事件と同じように、クライアントだった「大正製薬」を守る為の報道統制を行った。「電通」にとっての大きな金づるであった「大正製薬」の、自社生産の風邪薬を飲んでショック死した人々についてのニュースを「電通」が検閲し、内容を変えさせたことが発覚したが、森永砒素ミルク事件ほどの社会的ムーブメントにはならなかった。

1973年(昭和48)「電通」、取扱高世界一を達成

1975年(昭和50)「電通」の取扱高が3000億円を突破、
高度成長の波を受け、「電通」は名実ともに巨大資本としてマスコミ界に君臨。任意団体「関西公共広告機構」が社団法人化され、「公共広告機構(AC)」と改称し、全国組織となる。主な業務内容は、様々なメディアを通した公共広告により啓発活動を行うこと。広告を取り扱う企業を会員とし、会員から集めた資金で運営されており、会員社数は、放送業界・新聞業界・広告業界など1356社(2004年度)。

1996年(平成8)
同年4月、電通グループの広告制作会社「電通テック」が設立。この「電通テック」の前身となったのは、1943年(昭和18)に設立された、広告イベント・スペース・CM・映像制作会社「電通プロックス(旧電通映画社)」と、広告印刷会社「電通印刷株式会社(電通アクティス)」と、広告製本会社「電通コーテック」の3社である。

「電通テック」は、広告プロダクションとしては世界最大規模と売り上げを誇る、文字通り、世界最大の広告制作会社。「オリンピック」、「ワールドカップ」、「愛知万博」など、メガイベントの実制作も手がけている。

1998年(平成10)
同年3月、「I&S」(1986年参照)が、米国の大手広告代理店グループである「オムニコムグループ」と資本提携・傘下に収まり、同年6月、「オムニコムグループ」傘下の「BBDOワールドワイド」と業務提携。

2000年4月には、オムニコム/BBDOグループの明確化の為に、「I&S/BBDO」に社名変更する。
2003年4月には、「BBDO」ネットワーク統一ロゴマーク導入により再度社名変更し、現社名の「I&S BBDO」になる。(但し、現在も「読売グループ」・「セゾングループ」との資本関係は続いている)「BBDO」という広告会社は、現在、日本では「電通」・「博報堂」と並ぶ広告代理店「アサツーDK(ADK)」を吸収する形で日本に進出しており、この会社のクライアントには、自民党もしっかりと入っている。森田 実氏の話では、電通もこの「BBDO」に乗っ取られつつあるということだ(2006年時)。


1999年(平成11)
同年5月、与野党ともに「郵政民営化」がタブー視されていた当時、超党派の国会議員で構成される「郵政民営化研究会」が立ち上げられた。会長を小泉純一郎(神奈川県横須賀市、清和会)が、事務局長を松沢成文(現・神奈川県知事、松下政経塾)がそれぞれ務め、メンバーには中田 宏(前・横浜市長、松下政経塾)、前原誠司(松下政経塾)、堂本暁子、上田清司らの名前があった。「郵政民営化研究会」では、郵政民営化の実施計画として、郵政持株会社の傘下に郵便会社、地域別の郵貯銀行、地域別の簡保会社をそれぞれ設ける案を提示していた。

郵政民営化の正体
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1045.html
「米国年次改革要望書」と「日本道路公団の民営化」の関係
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/485.html
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57. 2020年6月13日 18:59:41 : 5XPJIdqnho : TWZWT0p3L05MVXc=[9] 報告

「電通」は、日本の全テレビ・コマーシャルの3分の1の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して実質的に独占的決定権をもつ。約120の映像プロダクション、400以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。午後7時~11時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主(クライアント)は、電通を通すしかない。スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を、「電通」が握っているからだ。

日本では、扱い高が即、政治力になるので、「電通」はこうした役割(事実上の編成局)を演じられるのである。その結果、「電通」の影響力は、日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例が見られないほど、強力なマスメディアを通しての、社会統制になる。そして、このことには重大な政治的意味がある。テレビという麻薬が、日本ほど見事に利用されている国は他にない。

「電通」の広告扱い高は、日本の総広告費の約4分の1に当たる。大手新聞の広告の5分の1強、主要雑誌の広告のおよそ3分の1が「電通」扱いである。残りの4分の3を、約3000社の中小広告代理店が分け合っている。「電通」が、これほど無敵の存在になれたのは、その人脈のおかげである。

同社の社員採用方針で常に目指してきたのは、テレビ界や出版界のトップ・クラスの管理者や幹部役員、及び特別な広告主、プロの黒幕などの息子たちや近親者からなる人材プールを維持拡充することであった。彼らを指して、大きなスポンサーと良好な関係を保つ為の“人質”だとは、「電通」のある役員が例え話に言った言葉である。

「電通」出身者の落ち着き先(天下り先)の1つは、テレビ番組の人気度を評価する視聴率調査会社「ビデオ・リサーチ」社である。管理者たちに不評なテレビ番組を解除するのにも活用される。論争の的になる時事問題(例えば、部落問題、文部省による教科書検定、税制など)を扱った『判決』という番組は、低視聴率という口実をもって、放送が打ち切られた。

「電通」は、消費者の追及から大企業を庇ったりもする。「電通」のある幹部は、米国の消費者運動活動家ラルフ・ネーダーを日本に招いた「読売新聞」が、「電通」の警告に応じて、同紙の予定していた、ネーダーについての二面抜きの特集記事を小さな記事に分割し、しかも調子を落としたと、スピーチで誇らしげに語った。また同じ頃、「毎日新聞」が、これも「電通」の指示のもとに、消費者運動についての記事を穏当なものに変えた。

「電通」は、報道媒体に強大な圧力をかけ、「電通」の広告主(クライアント)の名声に傷がつくような出来事は、報道させないか、報道に手心を加えさせることも出来る。1955年、森永乳業の砒素入りミルクについてのニュースを電通が統制したケースは有名である。また、1964~1965年には、大正製薬が製造した風邪薬を飲んでショック死した人々についてのニュースを、「電通」が検閲し、内容を変えさせた。

「電通」が報道関係を巧みに検閲出来るのは、財政的な力に起因するだけではない。1936年から1945年まで、独占的な政府の宣伝機関だった「同盟通信社」と一体だったこと、また、どちらも戦時中の「同盟通信社」の末裔である「共同通信社」と「時事通信社」という、日本の二大通信社と非常に緊密な関係にあることにも起因する。この繋がりは、株式の相互持ち合いによって強化されている。「共同通信社」が扱うニュースについては、常に「電通」に情報が入る。

「電通」のもう1つの機能は、官僚及び自民党のPR活動をしたり、世論調査を通して国民の“伝統的な価値”を支えることである。「電通」は、総理府及び自民党が必要な情報を収集し、偏った意見調査を通して“世論”を作り上げる手伝いをする。自民党の選挙キャンペーンという最も手の込んだ部門は、「電通」が引き受けている。原子力発電所の安全性の宣伝や、様々な省庁の企画に関する宣伝なども扱っている。

1970年代後半に、一連の野党系市長や知事を退陣させる政治的策動を取り纏め、政治的に重大な地方消費者運動や反公害運動に対抗する反キャンペーンを展開したのも、「電通」である。

このような官庁及び自民党の為の仕事は、主に電通の「第九連絡局」でおこなわれ、
ここには、建設省、運輸省、農水省、郵政省、文部省、大蔵省、総理府の各省を担当する別々の課がある。公式には民営化されたが、実際には以前と殆ど変わっていないNTTやJRなどの公共企業も、この局が扱っている。

この「第九連絡局」は、総理府の広報予算の3分の1以上、他の省庁の同40%を吸収する。また、自民党の広報宣伝予算についても、「電通」が独占に近い形で自由に使っている。自民党と「電通」とが、このような親密な関係を保てる理由の一つは、「電通」は寡占によって、実業界の顧客から非常に高い手数料を取れる、従って、いつも政治資金の足りない自民党は、安くしてもらったり、支払いを急がなくてもよいからである。

「電通」の「第九連絡局」は、1972年、田中角栄内閣発足直後に作られた。その一年後に、電通は注目すべき『自民党の広報についての一考察』という報告書を刊行し、その中で、自民党は既に「記者クラブ制度」を通じて、大手新聞、テレビ、ラジオの記者とはかなり有利な関係を保っていたが、新聞社発行以外の主要週刊誌との関係は、まだ十分に決められたルールに基づくものではなかったと、よく引用される主張をしている。
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58. 2020年6月13日 19:00:19 : 5XPJIdqnho : TWZWT0p3L05MVXc=[10] 報告

「電通」のおよそ40%に当たる売上高を持つ、日本で2番目に大きい広告代理店「博報堂」もまた、管理者、とくに財政金融界の管理者たちの間に安住している。この会社の社長が二代続いて、また他にも数名の取締役が大蔵省からの天下りであるから、当然ともいえる。

だが、もう少し小規模で、官僚の為に宣伝活動を展開して、最も興味をひくのは、非常に積極的な「東急エージェンシー」である。「電通」は、通常、官僚を通じて仕事の注文を受けるのだが、中曾根康弘が首相在任中は、彼自身が直接、「東急エージェンシー」に電話をかけて指示した。

このような緊密な繋がりがあるのは、東急グループの総帥で、1987年まで日本商工会議所の会頭だった五島 昇(1989年死去)が、東大の同期生・中曾根康弘を、彼の人脈の頂点に置いていたからである。

「東急エージェンシー」が担当した最大の仕事は、中曾根康弘が戦後のタブーを排除する計画の一部として遂行し論争の的となった、建国記念の日に関連する祝賀イベントである。対象範囲が更に広いものとしては、中曾根康弘の行政改革案に関連し、全国で展開された宣伝キャンペーンがある。このキャンペーンでは、主婦組織などから参加者を募って圧力団体を作り、市中行進や国会前デモを組織した。1983年3月には、15000人のデモ隊動員に成功している。

このような大きな仕事を担当して、金銭的には損失があったが、人脈の繋がりがいっそう強固なものになったおかげで、「東急エージェンシー」は急成長する広告代理店になった。

自民党政府が次々と出す「政策要綱」は、大抵、広告コピーのように聞こえるのだが、
それは具体的な政治理念の代わりに出てくるスローガンが、前記の代理業者のどれかで作られたものだからである。

(下記、追加)
戦後、GHQとの関係をきっかけに、CIAとも綿密な関係を持つに至り、「電通」は、日本国内の最大最強のCIAエージェント(諜報機関)とも言われており、また、山口組を始めとする暴力団との裏のコネに豊富で、「電通」の“実力行使”の為に、毎年かなりの金額が暴力団に第三者を通じて流れている、と言われています。

「日本を思うように動かす為には、先ずマスコミを掌握しなければ」

その結果、現在、「電通」を媒介にして米国による民放支配はほぼ完了しました。公共放送である「NHK」は、米国も直接支配が出来ないので、政府・自民党を通じて、「NHK」の政治報道に圧力をかけつつ、もう一方で、大新聞・民放テレビ・雑誌ジャーナリズムを使って、「NHK」を解体させようとしているようです。

小泉純一郎首相は、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領にとって、最良のパートナーでした。その小泉政権下で、日本の広告独占体(電通)は“ブッシュ世界戦略”の道具と化し、米国と、日本の広告巨大独占体(電通)は、各テレビ局と大新聞に対して、小泉を勝利させる為に総力をあげるよう工作、各テレビ局と大新聞は、この要求を受け入れ、全力をあげることを誓わされました。

日本の民放テレビ、大新聞は、広告巨大独占体(電通)の指導のもと、郵政選挙で小泉政権を勝利させる為に大キャンペーンを行い、同時に、郵政民営化反対派に対する、ネガティブキャンペーンを行いました。

Benjamin Fulford氏などによれば、郵政選挙でCIAが「電通」に対し多額の資金を注入し、「電通」が各マスコミに働きかけることで、小泉純一郎を全面的にバックアップしたと言われています。http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2008/03/post-11.html

藤原 肇著『朝日と読売の火ダルマ時代』より、「秘密の鍵はニューヨークにある」
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200410030000/

また、2000年7月16日付「琉球新報」によると、1968年11月に行われた、沖縄の日本“返還”後初の「沖縄知事選挙」において、米国CIAが、自民党の知事候補に選挙資金を援助し、自民党を勝たせるように裏工作していた事実が報道されています。

この記事では、米国大使館から出された「自民党にCIA資金を選挙の裏金として渡すよう」指示した、1968年8月16日付の電文がスクープ掲載されています。尚、この「沖縄知事選挙」で、自民党幹部職員として選挙を担当していた金尚氏によると、CIAの代理人として、沖縄でCIA資金2000万円の授受を担当していたのは、小泉純一郎・元首相その人です。(週刊文春2002年8月15日、22日合併号)

つまり、このことから小泉純一郎・元首相は40年前から既にCIA工作員であった、ということが窺えます。

以下略______5


(以上転載終わり)

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【機密情報につき取扱注意】長州忍者のDNA:岸信介と関東軍特務機関による日本支配の真実 清和会、右翼、S学会、共産党!?

-阿修羅掲示板に、2010年に投稿された記事である。少し長文であるが、学校の教科書では教えられることのなかった幕末明治初期以降のわが国の真実の歩みや朝鮮半島の歩み等が述べられている。そのロングスパンの歩みの中での「核心」とは何か。「長州忍者のDNA:岸信介と関東軍特務機関による日本支配の真実 清和会、右翼、S学会、共産党!?」というタイトルに見事に集約されている。こういう「負のキーワード」を見据えることによって、明治から今日に至るまでの150年余のわが国及びわが国を取り巻く近隣関係が明らかに俯瞰出来てくるのである。 (大場光太郎・記)-

【機密情報につき取扱注意】長州忍者のDNA:岸信介と関東軍特務機関による日本支配の真実 清和会、右翼、S学会、共産党!?
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/437.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2010 年 3 月 14 日 16:53:24:

☆北朝鮮建国時の高官であった金策は帝国陸軍が半島に残した残置諜者

(学生)
先生、『金正日は日本人だった』(佐藤守)という本があるそうですが、いわゆる「都市伝説」なんですか。


(ものしり博士)
いや、そうでもないんだ。

元奉天特務機関にいた田中光一によれば、満州全土に散っていた正規の特務機関員は約三千人、一割は未帰還者で、その多くは戦後も現地に残って情報収集活動を続けた、残置諜者になったというんだ。

北朝鮮建国時の高官であった金策は帝国陸軍が半島に残した残置諜者で、日本名は畑中理。金策は建国時の北朝鮮で、金日成を中心とする疑似天皇制を敷くことを提言し、金日成親子はそれを実行してきたのではないかとされている。

ネットの世界では、金策が明石機関の一員だったというのは定説になりつつあるんだが、いやいや、それだけじゃない、金策は実は、日本人なのだ、という話まである。金日成の神格化のスタイルは、日本の天皇制を真似したものだと言うのだ。


(学生)
終戦直後、支那大陸やロシア各地になお相当数の間者(諜報員)が残っていたんですか。

特務機関=諜報機関というのが、キーワードですね。


☆日中戦争は、岸信介のための第二次アヘン戦争

(ものしり博士)
そうだ。戦前、関東軍は、謀略を使って満州国を作った訳だが、特務機関を操って、その満州国を支配したのが、岸信介と東条英機なんだよ。

当時ほとんど『独立国家』だった関東軍・満州国は、現在のCIA同様、多額の活動資金を賄うため大陸の阿片を資金源にしたんだ。日本が、日中戦争の泥沼に陥ったのも、岸や東条の麻薬利権のためだったとも言われているんだ。

闇社会が扱う最大の物品は阿片であり、この取引で得た莫大な上がりが岸・東条の手下の甘粕や里見ら特務機関の財源であった。

内閣誕生のわずか5年前、2.26事件勃発時には、満州の憲兵隊司令官にすぎなかった東条が、戦時の絶大な権力を手に入れ、総理大臣にまで上り詰めた原動力がこの金という訳だ。

阿片は、関東軍と満州国が押さえていた。しかも生産者との交換のための物資の調達や輸送は、関東軍御用達の総合商社満鉄の仕事だった。

この満鉄、特務機関の残党が、戦後再結集して作り上げたのが、戦前の大本営発表機関、同盟通信の兄弟会社「電通」だ。


(学生)
じゃあ、岸や東条の麻薬利権のために、大勢の日本国民が死んだというんですか?
それが本当なら、岸も東条も許せない売国奴じゃないですか。
一銭五厘の赤紙で徴兵され、戦地で死んだ英霊たちは浮かばれませんね。


(ものしり博士)
そうだ。岸や笹川達が、自分の金儲けのために大勢の国民を死なせといて、その後継者の清和会の連中が、やれ靖国参拝だ、愛国教育だなんてお笑いだ。金の亡者が、愛国心や徴兵制を語る時点で終わっている。


☆岸、児玉、笹川の戦後日本支配

(ものしり博士)
ニューヨーク・タイムズ記者.ティム・ワイナーや公開された米国機密文書によれば、戦後、東条英機の処刑の翌日釈放された、A級戦犯の岸信介、児玉誉士夫、笹川良一は、読売新聞社主の正力松太郎同様、アメリカ(CIA)のエージェントだったとうのは最早常識だろう。

児玉や笹川が大陸で、大勢の中国人を虐殺して徴発した、ダイヤモンドやレアメタルが、自民党の結党資金となり、その後、自民党総裁に収まった、岸が総理大臣となり、日本を支配したことはネット世界では常識な訳だが、岸、児玉、笹川の巣鴨プリゾン三人組は元々、特務機関の幹部として繋がっていたようなんだ。

CIAの手下である統一教会の文鮮明が、岸、児玉、笹川を支配した、戦後日本は、朝鮮人によってアメリカに間接統治されたとネット上で言われているが、日本間接統治の主体である朝鮮人と岸、児玉、笹川の関係は、実はもっと腐れ縁のようだ。

朝鮮総連に詳しい朝鮮新報社元記者の河信基『証言「北」ビジネス裏外交』によれば、小泉時代、北朝鮮の拉致家族帰国交渉を仲介した吉田猛の父吉田龍雄(金奉龍)は、北朝鮮の金日成と太いパイプを持っていた。彼は戦前、南京大虐殺で有名な松井陸軍大将に私淑し、日本軍相手の会社を経営していたそうだ。戦前上海には、日本軍に物品を納入する○○機関という商社があり、特に児玉、阿片王里見が有名だが、恐らく龍雄も特務機関のメンバーだったんだろう。

龍雄は、創成期の在日運動に尽力し、彼の下には、在日朝鮮人運動左派グループが集まった。その中には、朝鮮総連を創設し、議長となる韓徳銖、日本共産党中央委員でもあった金天海らがいたんだ。龍雄は、日本共産党の野坂参三を支援して家屋敷まで譲り渡したそうだ。

戦後の共産党活動は、在日朝鮮人と一体不可分であり、共産党から在日朝鮮人が分かれて朝鮮総連を作ったといっても過言ではないんだ。そしてその背後には、特務機関工作員残党の可能性が噂される吉田龍雄がいた訳だ。

成太作(ソン・テチャク)という在日説がある、S学会のI名誉会長も若い時代、労働組合活動に参加していたそうだが、傘下の商工業者を税務署から守ることを名目に、シンパを引きつけているところは、共産党、朝鮮総連、S学会とも瓜二つなんだ。非常に興味深いね。

共産主義者だけじゃない。在日運動には、右派もいて、町井久之(鄭建永)は、朝鮮建国促進青年同盟東京本部副部長として朝鮮総連に対抗し、反共的な東声会を結成、母校専修大生を集めて愚連隊を組織した。東声会はやがて児玉誉士夫とつながりの深い暴力団に変質したんだ。

面白いことに龍雄と町井は同じソウル出身で、共に児玉と接点があり、当時としては珍しい高等教育を東京で受けているから、お互い当然面識があったと思われるんだ。


(学生)
龍雄が、児玉と同じ戦前の特務機関のメンバーで、児玉の知遇を得ているとしたら、彼は在日が大半を占めると言う暴力団とも繋がる訳ですね。


(ものしり博士)
暴力団、似非右翼ともバッチリ繋がる訳だ(笑)


☆カルト宗教 宗教の皮を被った特務機関

(ものしり博士)
戦後の日本支配の中で、統一教会の果たした役割は極めて大きい。

統一教会というと『合同結婚式』や霊感商法、原理研究会を使った大学生洗脳・誘拐、中南米での麻薬取引等で有名だが、大手マスメディアはあまり報じない。

統一教会は、現在の北朝鮮出身の文鮮明が起こした宗教だ。1960年代の冷戦体制下で反共を掲げ、勝共連合を設立、KCIA支配下の韓国で勢力を拡大した。

日本でも勝共連合を設立し、その下に保守政治家、高級官僚、右翼が結集した。
財界人を中心にした「勝共運動を応援する会」や学者文化人による「全国 教授勝共講師団」、自衛隊OBや防衛関係者による「勝共国民運動の防衛問題に協力する会」、国会議員による「勝共推進国会議員(の会)」などを結成し、幅広い国民運動を展開したんだ。

「公安検察」の設立に尽力したのも満州帰りで、勝共連合メンバーの緒方浩(元公安調査庁長官で元最高検察庁公安部長の緒方重威の実父)なんだ。

フジ・産経グループは、勝共連合名誉会長だった笹川良一の日本船舶振興会(後の日本財団)と密接な関係があるが、総帥の鹿内信隆は、戦争中、岸の子分で、長州出身の日産コンツェルン鮎川義介の手下だったんだ。

(学生)
財界、学者文化人、防衛関係者、国会議員・・・

公安検察にフジ・産経といった大手マスメディア。

正に日本を支配しているといった感じですね。産経新聞が、日本財団関係者や元議員秘書上がりの大学教授達の怪しい論説ばかり載せていて、『カルト新聞』かと思ったんですが、直感は正しかったんですね。


(ものしり博士)
自民党は、北朝鮮の拉致被害者が問題にしているが、大学で洗脳されて行方不明になる学生数は、それ以上だよ。

北朝鮮批判の急先鋒である安倍も、似非右翼もその辺りは全く触れないね。もっとも自民党の世耕議員のように早稲田で原理研のトップだったという噂もある人物もいるし、自民党には統一教会に祝電を送ったり、教会に関係ある秘書を抱えたり、清和会=統一教会といってもあながち誤りとはいえない。

統一教会の最大の謎は、反共という金看板を掲げていたのに、1991年12月に、文鮮明教祖が北朝鮮を電撃訪問し、金日成主席と和解したことだ。北朝鮮に対し、35億ドル(約4400億円)の支援を約束している。

こうなると北朝鮮も文鮮明も元から同じ穴の狢ではなかったのかという疑念が湧いてくる。

統一教会は、壺や印鑑の霊感商法のほかにも、信者の全財産を寄進と称して巻き上げたり、麻薬ビジネス、マネーロンダリングと悪い噂が絶えないね。その辺りは、統一教会の別働隊と言われるオウム真理教やS学会の手法と驚くほど似通っているね。
S学会のI名誉会長は、大倉商事という街金上がりで、大倉商事の社長のT田二代目会長と一緒にS学会に入って、組織を乗っ取ったんだ。宗教法人の皮を被った街金といっても過言ではない面がある。

共産党や朝鮮総連でも触れたが、宗教法人は、税務署から『治外法権』になっていて手が出せない。一種のブラックボックスなんだ。

脱税やマネーロンダリング目当てに、休眠中の宗教法人を買い漁る暴力団がいるという噂も絶えないね。日本を浄化するには、どうしても宗教法人課税を行なって、宗教法人の資金の出入をクリアにする必要があるだろう。


(学生)
財務省、自民党、みんなの党、財界、マスメディアが主張する消費税の増税より、宗教法人課税を導入するのが先ですね。


☆明治維新と長州忍者のDNA

(学生)
岸信介や日産の鮎川、児玉、笹川、甘粕、里見・・・

それにしても何で山口出身者や特務機関が政治の裏舞台で日本を支配しているんですか?
平成の現代に、薩長藩閥政治が続いている訳でもないでしょうし。


(ものしり博士)
それこそが『日本建国の闇』なんだ。

加治 将一氏の『幕末 維新の暗号』を読めば分かるが、木戸孝允、伊藤博文といった長州の志士と言われた人間は、実は英国諜報機関のエージェントだった。そうじゃなければ、鎖国時代の日本から現在価値で数億円にのぼる留学などできるはずがない。

鹿島昇氏の著書にあるように、伊藤達は長州忍者組織の下忍で、要人暗殺を任務とし、坂本龍馬、大久保利通ら敵対する勢力を粛清する中で、『長州の天皇』を戴いて明治政府のトップに上り詰めたという説があるんだ。

いずれにせよ長州人が、明治政府を牛耳ることになった訳だ。岸も佐藤栄作も山口県の田布施の出身。その他歴代首相の多くも長州山口の出身だ。日産の鮎川も、最近有名になった宮内庁のハゲ田もそうだ。

鹿島昇氏は、これら長州人の政・財・学の人的ネットワークを『偽史シンジケート』と呼んで、激しく糾弾したんだ。こいつらの思想が日本を戦争へと導いていくことになったからだ。

岸の操った大陸の特務機関は、この『長州忍者のDNA』をそのまま受け継いでいる訳だ。


(学生)
明治維新の闇が、未だにこの日本に影を落としているとは驚きですね。

でも、先生の話を聞いて、理解できなかった日本の政治や東アジアの国際情勢が飲み込めてきました。

何故、公明党が自民清和会と連立を組んで、日本を支配したのか、
何故、検察もマスメディアが異常な国策捜査や執拗な民主党批判を行うのか、
何故、自民党と一緒になって共産党が鳩山・小沢を攻撃するのか、
何故、似非右翼やネットウヨが自民清和会べったりなのか、
何故、似非右翼やネットウヨが従米ポチ主義で反中国、反韓国なのか、
何故、自民党がピンチになると北朝鮮はミサイルを発射するのか

このことに日本人は気が付かないのでしょうか?


(ものしり博士)
異常な検察の国策捜査やマスメディアの偏向報道で、流石のB層日本人も『何かおかしい』と気が付いてきたようだ。とはいえ、日本軍の特務機関の残党一味が未だに日本を支配しているという現実は信じられないかもしれない。

特にこれらは全て『タブー』といわれることで、表立って発言することすら難しい。ネットに散らばる真実を繋ぎ合わせてゆく地味な作業が必要になる。

しかし、日本が、米英の影響から離れて、真の独立国になるには、真実の歴史、真実の支配構造を知る必要があると思う。

※長文をご容赦ください。
 賛同される方はクリックねがいます。↓

<参考リンク>

◆金正日は日本人
 http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/11/post_3c15.html

◆A級戦犯岸信介の犯罪:東条英機、甘粕機関、関東軍と満州の阿片の闇
 http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/498.html

◆韓徳銖【ハンドクス】
 http://kotobank.jp/word/%E9%9F%93%E5%BE%B3%E9%8A%96

◆創価学会は北朝鮮宗教である
 http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm

◆ 統一教会とユダヤ人と北朝鮮
 http://www.asyura2.com/0601/cult3/msg/286.html

◆ 正力松太郎
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8A%9B%E6%9D%BE%E5%A4%AA%E9%83%8E

◆ 鹿内信隆
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%86%85%E4%BF%A1%E9%9A%86

◆満鉄調査部・「電通」・勝共連合そして安倍晋三、その点と線
 http://www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/902.html

◆平沼=生長の家=統一協会、文教族は宗教右翼のゴロツキ
 http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/956.html

◆文鮮明師の北朝鮮訪問を報じる新聞記事(1991年12月)
 http://www.chojin.com/korea/moon_kim/papers.html

◆「電通」と自民党・公明党・CIA、「電通」を取り巻く、日本でいちばん醜い利権の構図
 http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/805.html

◆幕末~明治維新の背後にうごめく、ロスチャイルドのネットワーク
 http://d.hatena.ne.jp/boogierock/20100216/1266313213


(以上転載終わり)

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【死者の大半はワクチン接種者】スペイン風邪 その伝染は予防接種が原因だった! 悪魔勢力による人口削減目的のヤラセだったのだ

-今回の新型コロナウィルスによる世界的騒動では、1918年(大正7年)から2年間、世界的大流行となった「スペイン風邪」がよく引き合いに出される。世界全体で2千万人もの人たちがそれで亡くなった。これは当時同時進行で進んでいた第1次世界大戦(1918年11月11日終結)による死者数の2倍にも上ったという。かくも恐ろしいスペイン風邪だが、死者数の大半を占めたのは何と同風邪予防ワクチン接種を受けた人たちだったのだ。それまでは緩やかな伸びだった世界人口が20世紀に入って数学でいう漸近線のような急激な伸びを示すようになった。地球全体を管理支配しているつもりのカバール悪魔勢力は自分たちのコントロール不能となることを恐れたのである。そのための人口大削減の方法が、第1次世界大戦でありスペイン風邪ヤラセだったのだ。実際その何年か前、米国のハリマン財閥当主とその妻が中心となって人口削減をテーマとした秘密会合が開かれていたことが分かっている。スペイン風邪で大量の死者を出すために用いられたのがワクチン予防接種の奨励である。もちろん毒入りワクチンであることは百も承知の上で。以下転載文の通り、結果的に同予防接種を受けた人たちはコロコロと死に、同接種を拒否した人たちは同風邪に罹ることなくピンピン元気で生き延びたという。これは、コロナパンデミック恐怖を嫌というほど植えつけられている私たちには身につまされる大きな教訓である。当時は法律的な接種義務はなかった。だから予防接種しなくとも法的ペナルティは発生しなかった。ところで。医療界大手やテレビ等のPRによって、今では「ワクチン接種」は必要不可欠なものとして大衆に広く浸透している。以下転載文でも、1979年以降米国の小児マヒはすべて「小児ワクチン」が引き起こしたと告発しているが、その他にも最近の米国幼児たちは幼児期に何十回ものワクチン接種を義務化されているという。ために自閉症児、奇形児、未発達児などがかつてないほど発生している。近年わが国でも子宮頸がん予防ワクチンによって多くの女性が深刻な後遺症に悩まされ中には死亡した人たちまでいる。「ワクチンは危ない」。それなのにコロナプランデミック企みにより、カバール連中は予防ワクチンの強制接種を行うつもりでいる。わが国でもカバールに丸ごと操られている安倍政権下なら同接種を義務付ける法律を強行成立させるはずだ。今からそうさせないための対策を考えておくべきである。なお、「ワクチン強制接種により世界人口の10~15%が削減できる」と豪語する強力なワクチン推進者のビル・ゲイツは、自分の子供たちへの各種ワクチン接種を一切させないという。 (大場光太郎・記)-

【本日の画像】

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(※ 当時も今も「総マスク族」)

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(※ スペイン風邪で大儲け。商魂逞しき安倍昭恵の実家の在日商法)

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(※ 漸近線)

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1918年のスペイン風邪の伝染は予防接種が原因だった!1979年以降の小児マヒは、全て『小児マヒワクチン』自体が  引き
http://www.asyura2.com/14/iryo4/msg/339.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2014 年 11 月 09 日 13:06:00:

(回答先: ワクチン危険 Vaccines: Get the Full Story アメリカの権威ある医師学者が84名も署名 投稿者 てんさい(い) 日時 2014 年 11 月 04 日 16:18:06)

https://twitter.com/neko_aii/status/530747090758934528

1918年のスペイン風邪の伝染は予防接種が原因だった! 当時の医学界は、この大量殺人とも言える流感の原因が 予防接種であったことを隠すため 「スペイン風邪」などという訳の分からない病名を付けてごまかしていた。

https://twitter.com/neko_aii/status/530746346618101760
★1979年以降の小児マヒは、全て『小児マヒワクチン』自体が  引き起こしたものである(ワシントンポスト誌) ★小児マヒの強制予防接種が行われた地域では、  小児マヒ発生率が、行われなかった地域に比較して7倍増加

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/ac99f15a62e96e977c0010237afaea6e

1918年のスペイン風邪の伝染は予防接種が原因だった!

http://jphma.org/fukyu/overseas_090806_Spanish_grippe.html より全転載

1918年のスペイン風邪の伝染は予防接種が原因だった!

私は1918年のスペイン風邪の流行の現場を目撃した。

1918年のスペイン風邪が流行したときに生きていた医師や一般の人々は、それが歴史上、世界中で起きた最も恐ろしい病気だと口を揃えて言っている。体力のある元気旺盛な男たちが、発病して、翌日には突然死亡していた。その流行病は黒死病(ペスト)の特徴に加え、チフス、ジプテリア、肺炎、天然痘、麻痺、および、第一世界大戦直後に人々に接種されたすべてのワクチンの病気の特徴をもち合わせていたのだ。実際に、人口に占めるほとんどの人たちが、1ダース(12)以上の病気の「種を植え付けられた」予防接種を受け、または毒性の血清を体内に注射をされたのだ。そして、人々がそれらの当時の医者によって作られた病気を一斉に発症し始め、悲劇的な事態へと発展したのだ。

その流行病は、当時の医師たちが、症状を抑圧しようとしてさらに投与した有毒な薬物によって勢いが保たれ、2年間にわたって続きました。私が知り得た限りでは、予防接種を受けたことのある人しかそのスペイン風邪に罹らなかった。予防接種を拒んだ人たちは罹らなかった。私の家族はすべての予防接種を拒んだため、その流行病の間ずっと元気だった。私たちはグラハム、トレール、ティルデンらの健康についての教えから、体内を毒物で汚染することが必ずや病気につながっていくことを知っていたのだ。

そのスペイン風邪の流行がピークに達したとき、すべての店、学校、事業が閉鎖された。そして、医師たちや看護師たちもワクチンを接種うけており、そのスペイン風邪に罹っていたため、病院も閉鎖されていたのだ。街中の道路には人っ子一人いなかく、まるで廃墟の町のようだった。どうやら私の家族だけがその風邪に罹らなかった。当時医師の往診を受けることが不可能だったため、私の両親が家を一軒一軒回ってできる限り病人の世話をした。細菌、バクテリアや病原菌が病気を引き起こすことが可能だとしたら、一日何時間も病人と一緒に過ごしていた私の両親を襲う機会は山ほどあった。しかし、私の両親はスペイン風邪には罹らず、また私たち子供たちに悪影響を及ぼす細菌を家に持ち帰ることもなかった。当時は地面に雪が積もった冬でしたが、私の家族は誰一人もスペイン風邪に罹ることなく、鼻をグスグスすすることすらなかった。

近くでくしゃみしたり、咳をしたりしている人を不快に思って身をすくませている人をみると、私はその人がその病気-それがなんであろうとーに感染することはないことにいつ気づくのだろうと思ったりする。ある病気に罹る唯一の方法は、誤った食事、飲酒、喫煙、または、体内の中毒を引き起こし、活力を低下させる行為をすることでその病気を自ら発症することだからだ。すべての病気を予防することが可能であり、そのほとんどが-当時の医師に知られていない、また薬物を使用しない治療家の全員にも必ずしも知られていない―正しい方法を用いれば治癒できるのである。

1918年のスペイン風邪は世界中で2千万人の人々が死亡したとされている。しかし、実際には、彼らは、当時の医者による、未熟でひどい治療や、薬物によって亡くなったのだ。これは厳しい告発ですが、薬物を処方しない治療家と薬物を処方する当時の医師の成功率を比較すると、それが事実なのが明らかである。

当時の医師及び病院が抱えていたスペイン風邪患者の33%の死亡率と比較して、薬物を処方しない、バトルクリーク、ケログやマクファデンの治療院では、水療法、入浴、浣腸、断食やその他のシンプルな治療方法の後に献立を綿密に工夫された自然食の食事によって100%近い治癒率を達成していた。

ある治療家は8年間で1人も患者が死亡することがなかった。薬物投与をしなかった治療家のうち、患者を治癒に導き、1人も死亡させることがなかった治療家の治療法について、本書の他の章で「有罪な予防接種」というタイトルで後に出版予定である。

もし薬物を使用する当時の医師たちが薬物を使用しない当時の治療家と同じぐらい進歩していたなら、当時のスペイン風邪によって2千万人も死亡者が出なかっただろう。

予防接種を受けていない市民と比較して、予防接種を受けている兵士の方が7倍も病気に罹っていた。私が、海外から1912年に帰国したある兵士から聞いた話によると、軍の病院が小児麻痺の症例でいっぱいになっていたとのことだった。その兵士は何故成人した男性が乳児のかかる病気に罹っているのかが不思議だと言っていた。このことにより、私は、それらの麻痺がワクチンによる中毒の後遺症だということが分かったのだ。戦争に行かず、家を守っていた人たちは、1918年の世界的な予防接種のキャンペーンの後に、初めて麻痺の症状を発症していったからである

原文は、ワクチン海外総合情報サイト で見ることができます。

(転載終了)

当時の医学界は、この大量殺人とも言える流感の原因が

予防接種であったことを隠すため、「スペイン風邪」などという

訳の分からない病名を付けてごまかしていた。

「ガンは治って当たり前」(明窓出版)著書 から抜粋引用 ↓↓

2千万人の死者を出したスペイン風邪は今世紀初頭に大流行した。

この2千万という数字は、第一次世界大戦の戦死者の2倍に匹敵する。

公式にはスペイン風邪の原因は不明とされているが、

被害者と生存者には特有のパターンが見られる。

被害者は、強制的に予防接種を受けた若い人々であり、

その結果、軍事病院のベッドは戦争の負傷者ではなく、

ワクチンの被害者で埋まってしまった。

反面、賢くも予防接種を拒否した者は生き残った。

そして当時の医学界は、この大量殺人とも言える流感の原因が

予防接種であったことを隠すため、「スペイン風邪」などという

訳の分からない病名を付けてごまかしていた。

しかし大流行の原因が「予防」接種そのものであったのは

史実として認めざるを得ない。

★1979年以降の小児マヒは、全て『小児マヒワクチン』自体が

 引き起こしたものである(ワシントンポスト誌)

★小児マヒの強制予防接種が行われた地域では、

 小児マヒ発生率が、行われなかった地域に比較して7倍増加

「ガンは治って当たり前」(明窓出版)著書 から抜粋引用 ↓↓

1950年代の後半、小児マヒの世界的流行に伴い、何千匹ものサルが

米国に輸出され、長い針で小児マヒのウィルスがサルの腎臓に注入された。

当然ながらサルは発病し、非常に苦しみ始めた。

その苦しみが最高潮に達した時点でサルは殺され、腎臓が摘出された。

その膿が分離・培養されて、めでたく小児マヒのワクチンが完成した。

確かにワクチン中、小児マヒのウィルスは死んでいるのだが、

シュヴァイツァー博士が最も恐れていた、サル特有のウィルスが

サルの腎臓からワクチンに紛れ込んでいた。

この恐るべき新ウィルスが混入している知る者はいたが、沈黙は守られた。

かくして製造されたワクチンを画期的発明であるとして誉めそやしたが、

宣伝の騒音に隠れて、子供たちの受難が始まった。

高熱、幻聴、幻覚、恐怖感、絶望感、体力減退、思考力減退、精神異常など。

やっとワクチンの異常に気づいた無責任な医学会は、今度は蒸留水の

「まやかしワクチン」を代わりに注射し続け、騒ぎの収まるのを待った。

人体に進入したサルのウィルスの特異点は、レトロウィルス、

つまりRNAのウィルスであり、環境に応じて次々と変異する。

さらには宿り主の健康状態に応じて、何十年でも潜伏を続ける。

強制予防接種がおこなわれた地域では、小児マヒ発生率が、

行われなかった地域に比較して7倍という増加を示した。

1988年になってやっと報道されたワシントンポスト誌の記事によると、

1979年以降の小児マヒは全て小児マヒワクチン自体が

引き起こしたものであり、自然タイプのものは1979年以降、

1件も発生していない。

さらに米国の小児マヒは、ワクチンによるものである、とのことである。  

(以上転載終わり)

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【里見甫】現電通&共同通信の前身通信社の創始者 阿片密売は日中戦争遂行の裏資金として不可欠だった 里見は中国・満州での同密売を仕切り「阿片王」と呼ばれた

-里見甫(さとみ・はじめ)は旧満州人脈の中でたびたびその名前が出てくる。(東條英機内閣の陰のコントローラーにして)同内閣の商工相(現在の経産相)だった岸信介や、(民間人を虐殺した「甘粕事件」後満州に渡り関東軍の特務工作に従事し満州国建設に一役買った)満州映画協会理事長の甘粕正彦らとともに満州人脈の中心的人物の一人だった。李香蘭(山口淑子)につき、亡くなった直後そのエピソードや『蘇州夜曲』などの記事を公開したが、李香蘭関係資料にも里見甫の名はよく出てきた。それで記憶に残っていたが具体的な業績などはあまりよく知らなかった。今回「世界銀行300人委員会」氏が、『るいネット』記事とともに里見甫を紹介してくれているので、以下にそのるいネット記事を転載する。里見を歴史の表舞台に踊り出させたのは意外にも中国大陸における「阿片密売」に中心的に関与したからだった。そのため里見は後に「阿片王」と呼ばれたという。実は日中戦争遂行上、阿片密売による裏資金確保は旧日本帝国にあって必要不可欠なものだった。その裏資金確保に、里見甫は手腕を発揮したのだから阿片王と呼ばれて当然だったのである。岸信介はその阿片資金に深く食い込み、東條内閣存続のために使い、また戦後自身がA級戦犯として巣鴨拘置所に拘留されていた際その資金をGHQ工作に活用し戦犯指定を解いてもらったといわれている。岸は、後に総理にまで上り詰め、その後も政界に隠然たる力を奮い「昭和の妖怪」と恐れられ孫の安倍晋三独裁的犯罪者を準備した。終戦直後服毒自殺した甘粕正彦とともに碌でもない末路といえよう。翻って里見甫はどうだったか。戦後内地に引き上げてきてから、その才能を発揮すればいくらでも顕職に就くことは可能だったはずである。が、里見はそうはしなかった。栄達の道をきっぱりと捨て、野に下ったのである。そのため「阿片王・里見甫」の名前は人々から忘れられていった。ある意味もっとも賢明な生き方だったと言えそうである。 (大場光太郎・記)-

世界銀行300人委員会 @someone5963 3月21日


現在の電通と共同通信の母体となる満州国通信社を作った【阿片王・満州のドン】里見 甫 - るいネット

 

電通は生まれつきの悪魔企業👿


59312
里見甫(1896年1月22日 - 1965年3月21日 )右が中国大陸時代の里見

 
市場の支配構造
158118 現在の電通と共同通信の母体となる満州国通信社を作った【阿片王・満州のドン】里見 甫
 
彗星 ( 中年 ) 07/08/02 AM04 【印刷用へ

人生のセイムスケール(リンク)に里見甫(さとみはじめ)【満州のドン/「阿片王」】(明治29~昭和40)の経歴が紹介されています。

 通信社の歴史は、当時の満州国までさかのぼることになります。里見は、児玉誉士夫、笹川良一、岸信介(安倍現首相の祖父)ともつながり、現在の安倍晋三の安倍家の人脈・金脈につながっている歴史上重要な人物と思われ掲載させていただきます。

-----------------------------------------------転載
秋田県の能代で生まれ、父親は元陸軍軍医。福岡の名門・修鄭館中学、当時超エリート高であった上海の東和同文書院を経て、中国で新聞記者になる。

やがて日本軍に見込まれ、上海・宏済善堂で阿片売買を任される。満州や中国での日本軍の機密資金を捻出する。戦後は隠遁生活に入り、1965年3月に死去。

中国に進出した日本陸軍の軍資金の一端は阿片の売買で賄われた。その中心的人物が阿片王と呼ばれた里見甫。米進駐軍の取調べを軸に、日本陸軍の中国大陸で犯した罪が明らかになった。

「満州には、「戦後」の核心が眠っている―。策謀渦巻く満州帝国で、最も危険な阿片密売を平然と仕切って巨額の資金を生み出した里見甫。その謎に満ちた生涯を克明に掘り起こし、麻薬と金に群がった軍人、政治家、女たちの欲望劇を活写する。今まで誰も解明できなかった王道楽士の最深部を抉り出した、最高傑作!」。

「里見甫という名前を聞いても、「阿片王」とも称せられ、満州のドンとして君臨していたと知る人はいまや希有であろう。これは里見の身の処し方にも関連している。戦後、里見は満州時代に培った人脈で政財界などで権勢を振える立場にいたが、一介の市民として生涯を全うした。里見は満州国営通信社を設立。その後、日中戦争勃発を契機に阿片の取り引きに従事し、日本軍の資金調達の一翼を担った。「阿片王」という異名をもつほどの実権をにぎったが、戦後は、みずから野に下った。本書はその生涯を描いたノンフィクション・ノベルである。巻末に掲載された参考資料も昭和史に関心がある向きには役に立つ。里見の人生をイメージするには、里見の墓石に記された墓碑銘を繰り返し読むとよい。

<凡俗に墜ちて 凡俗を超え 名利を追って 名利を絶つ 流れに従って 波を掲げ 其の逝く処を知らず>

この墓碑銘から、里見の生き方が察せられよう。虚名を欲するのは、ある種の人間にとっては本能に近い。自己責任といえばそれまでだが、分をわきまえず不相応な挙に出て身を持ち崩す人間がいかに多いことか。成功ノウハウのたぐいがセミナーや書籍で過剰供給される時世だが、いかなるノウハウも、およそ当人の器量に結実のすべてがかかっているといってもよい。里見の生涯は器量の何たるかを見つめ直す、ひとつのテキストであろう」。

「満州の邦字新聞の記者として軍人や中国の要人との人脈を築き、満州事変後は関東軍第四課の嘱託として対外宣伝と宣撫工作を担いながら、現在の電通と共同通信の母体となる満州国通信社を設立。中国の裏社会に通じた里見は軍の密命を受けて上海で阿片販売のボスとして君臨した。関東軍の財源は阿片に依存しており、阿片の産地を求めるように日中戦争の戦線は拡大されていった。数十万人の中国人を阿片で廃人に貶めた「20世紀の阿片戦争」でもあったわけだ。天皇も懸念していたというし国際的な非難を避けるためにも、関東軍はこうした汚れ仕事を里見甫などに任せ、憲兵や特務機関員を介在させて資金を吸い上げていった。関東軍の意を体したもう一人の汚れ役としては、大杉栄を暗殺した甘粕正彦が隠然たる権勢をふるっていたという。里見は阿片によって得た莫大な利益の半分を蒋介石側に、残りの半分を日本側の傀儡であった汪兆銘と関東軍に上納していたという。なんともスケールの大きな話だが、阿片マネーのもとには児玉誉士夫、笹川良一といった有象無象も群がっていた。そもそも阿片の利用価値を認識したうえで侵攻の指揮をとったのは東条英樹だし、「満州は私の作品」と豪語する岸信介は経済相としてグランドデザインを描いていたという。さらに里見の秘書役を務めた旅館の女将がラストエンペラー溥儀をかくまったというから、キャストは豪華絢爛だ」。
-----------------------------------------------転載終了
阿片王・満州のドンと言われる【里見甫】。当時の満州国を支配下に置き、阿片で資金調達に君臨し、現在の電通と共同通信社の母体となる満州国通信社を設立している。この通信社は明らかに国策通信社である。
阿片マネーの児玉誉士夫、笹川良一、阿片を利用し戦争指揮をとったのは東条英樹、「満州は私の作品」と豪語する岸信介との歴史は、消しても消せないものなのだろう。

(以上転載終わり)

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【JFK暗殺衝撃の真実】真犯人は外部ではなく車中にいた二人 まずシークレットサービスの男が首を撃ち、隣の妻ジャクリーンが介抱するふりして頭部貫通のとどめの一撃を放った!

-「えっ~、こんなことってあるのかよ~」というびっくりの情報である。1963年11月22日のJFK(ケネディ大統領)暗殺についての新事実である。この歴史的事件は、ケネディ大統領夫妻ら一行を乗せたオープンタイプの大型リムジンがテキサス州ダラスの街中をパレード中に起こった。これまでは、(車道前方向から見て)左側後方の教科書倉庫6階窓際からライフル銃で狙撃したとするオズワルド単独犯行説、左前方の斜面木立の間から狙撃手たちが狙い撃ったとする説など諸説あったが、いずれも決め手に欠いていた。今回のこの説は、事件当時の状況と見事に符合するようである。少し回りくどい説明になってしまったが、JFKを狙撃した真犯人は同車内に乗っていた二人、それもシークレットサービスの男と妻のジャクリーン夫人だったというのである。まずシークレットサービスのケラーマンが予め車内に仕組まれていた発射メカニズムを使用してJFKの首に一発目を発射した。続けて後方にのけぞった夫の姿を確認したすぐ隣に同乗していたジャクリーンが、介抱するふりをして掌に隠し持っていた小型ピストルで首から頭部に貫通するとどめの一発を発射した。

 JFK暗殺の一部始終は米国とのテレビ衛星回線が始まったばかりの日本でも同時中継された。直後のジャッキーの奇妙な行動に世界中の関心が集まった。ジャッキーは後ろの平らなトランクの上をはいずり回ったのである。狙撃されたJFKを置いて咄嗟に自分だけ逃げようとしたのではないか?と非難されたのである。それに対してジャッキーは「後ろに散らばったJFKの脳を集めようとしたのだ」と話した。が、実際は使用した小型ピストルが発射の衝撃でトランク上に投げ出され、それを隠匿するための行動だったという。それにしても大衝撃である。沿道の人々に何食わぬ顔して笑顔をふりまいていたファーストレディが大統領に止めをさしたというのだから。動機は何か。FRBを廃止して通貨発行権を自国に取り戻したかったケネディが邪魔になり、その暗殺をジョンソン副大統領、父ブッシュCIA長官ら当時のDS闇勢力は事前に綿密に計画していた。以下ツイートにもあるとおり、一番確実な方法としてジャッキーにとどめをささせることにしたのである。ジャッキーは最初は拒否したものの、家族皆殺しなどの脅迫を受け、二人の子供を守るために決断したという。後にジャッキーはギリシャの大富豪オナシス(イルミ悪魔の十三血流の一家)と再婚したが、「暗殺に協力してくれたら悪いようにはしないから」というDS側からの唆(そそのか)しもあったのだろう。以下画像にもあるように、父の葬儀で棺(ひつぎ)に向かって敬礼するいたいけないケネディジュニアの姿が世界中の同情を誘った。キャロラインや(今も生きているといわれている)JFKジュニアはこの真実をとうに知っていたことだろう。最愛の父を殺したのは最愛の母だった。なにやら、シェイクスピア悲劇の現代版といった趣きである。「1963.11.22」。911、311の11と並んで22もカバラ数秘術では極めて重要な意味を持つ数字である。ここからもJFK暗殺はカバールDS連中が仕組んだものであることがはっきり読み取れるのである。ジュニアの親友だったというトランプやQアーミーもこの真相は先刻知っていることだろう。JFKの命日には改めてカバール退治を誓い直しているに違いない。 (大場光太郎・記)-

Mandela Effect: JFK Assassination has changed Jackie does it?  

【本日の画像集】 (一部不適切な画像がありますがご了承ください)

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ウォーレン委員会の展示からの写真は、ケネディ大統領とダラスのダウンタウンを通過したオープンリムジンを示しています。ジョン・コナリー知事と彼の妻ネリーが彼らの前に座った。(National Archives、RG 272)
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ジャクリーンがとどめの一撃に使ったと同じ小型ピストル
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ジャッキーはトランクと後部座席の隙間に小さなピストルを隠そうとし、誤ってトランクに落としたので、トランクに登った本当の理由です。彼女は、撃たれたばかりの夫の脳の破片を拾っていると主張しました。彼女は小さなピストルを回収しています。
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JFKが彼女のすぐ隣で死んでいるので、ジャッキーがそれを見ている間、シークレットサービスエージェントがそれに手を差し伸べるトランク上の小さなオブジェクト。彼女の夫は射殺されたばかりであり、彼女の焦点は彼女の安全ではなく、彼女の焦点は彼女の夫ではなくトランク上の物体にあります。
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トランク上の可視オブジェクト
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銃声の入り口であった首の傷を示す剖検写真。JFKの首の傷についての説明はありませんでした。それらは入場傷です。ケネディ族は腐敗した犯罪家族でしたが、ブッシュ・ウォーカー家族のような人類の完全な奴隷化を求める他の人ほど腐敗していません。黒人貴族、イタリアのサボイ、スペインのブルボン、ギリシャのグルックスブルク、およびプロイセンのホーエンツォレルンはすべて、おそらく彼の死を命じました。JFKのスピーチはNWOのリーダーを怒らせたので、彼は妻に世界中の前でビデオで昼間の広い範囲で彼を殺してメッセージを送るようにさせました。
JFK出口の傷は頭蓋骨の上部にあります。

上画像元記事
JFK暗殺記録
https://smfjapan.jp/world08.html  smfjapan.jp/world08.html

【本日のツイート】  (順不同)

佐倉 淳 @JunSakura_Japan 5 時間前


ジョン・F・ケネディーを撃ったのはシークレットサービスと、妻のジャックケネディーです。日本語訳ページアップしました。

ジョン・F・ケネディーは頭ではなく首から撃たれています。


返信先: さん、さん

ありがとうございます。下部にある文中の 入場傷 とはなんでしょうか?字違いも含めて調べてみましたがでてきませんでした。あとシークレットサービスのところのせておきます。

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DS7くん @5Ey81K1fdop8YS7 5 時間前

返信先: さん

あの、シーンはショックでした!

 

で、疑問が残るのですがですが奥さんのジャッキーは、策略結婚だったのでは?ショッキングですが。

 

後に再婚したオナシスしかりで、普通オナシスなどとは結婚できません!

 

疑問だらけです😎‼️

Hit girl @kie_pai 11月24日


⚠️JFK暗殺。あの日の真相。
1963年11月22日テキサス州ダラス
のパレードの最中それは起こった。
前席のシークレットサービスエージェントケラーマンは、車内に装備された発射メカニズムを使用して、最初のショットを発射します。 JFKの首を打つ。

Hit girl @kie_pai 11月24日

2発目……最後のショットは妻のジャクリーンが撃ちました。
ジャッキーは、発砲するとき少し傾く。これは 典型的な銃ではありませんでした。 平らな形。 軍用グレード。 最大のダメージを与える力を備えています。

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Hit girl @kie_pai 11月24日

弾丸は首から入り、煙が見える頭から出ます。 弾丸の破片が彼の肺と膝を打ちました。
※弾道が真上にの延びているのかわかります。

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Hit girl @kie_pai 11月24日

ジャッキーは、JFKの脳を拾うのではなく、銃を渡すために席を登ります。 銃は彼女の手の下にあり、布に包まれています。

58725 

Hit girl @kie_pai 11月24日

彼女は後部座席から駆けあがり後ろにいるシークレットサービスのエージェントであるクリント・ヒルに銃を滑らせました。なぜジャクリーンが?……


JFK暗殺計画には、多くの関係者といくつかの主なプランナーがいました-George H.W. ブッシュ。 (CIA)、J。エドガーフーバー(FBI)、リンドンB.ジョンソン。そしてこの計画でジャクリーンが大きな一部になることになります。




Hit girl @kie_pai 11月24日

【ジャクリーンへの脅しと脅迫】
彼女は、家族全員の死とJFKの事柄及び彼らの私生活を全て暴露すると脅されました。ジャッキーは最初は拒否しましたが子供たちを失う恐怖と救いたいと想いととの葛藤の中自分の弱さに勝てずそれを承諾し実行しました。

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Hit girl @kie_pai 11月24日

そしてその後、彼女は子供達の世話をよくしました。

 

当時は離婚も恥ずかしいことだったらしいです。ましてや大統領家族という立場……🤔しかしこれでJFKの子どもであるキャロラインとJFKJr.が守られることになった……う~ん、言葉にならない😑💧


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Living in dreams  @rainbow_rose15 11月24日

返信先: さん

ジャックリーンがこの後、ギリシャの船舶王 億万長者 アリストテレス ソクラテス オナシスとだいこんしますよね。オナシスと言えばイルミ◯◯◯血の13家。何か関連があっての結婚かな?


(以上転載終わり)

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【内なる寄生勢力】天皇・闇勢力による自己植民地化 ~米軍はなぜ日本に存在し続けるのか?

-本転載文で言われている「天皇」とはもちろん昭和天皇裕仁である。が、平成天皇明仁そして令和天皇徳仁も含めて敷衍して考えてみなければならない問題なのではないかと思われる。以下で語られるテーマの中心は今回も太平洋戦争及び戦後間もなくの頃の事であるが、そこでの天皇・闇勢力の不行跡は戦後ずっと令和の今日に至るまで引きずってきている深刻な問題なのである。私自身、数年前まで昭和天皇は平和主義者と信じて疑わなかった。今の日本がこれほど汚辱・腐敗にまみれているのはその下で仕えている政治家、官僚たちの腐敗によるもの、象徴天皇制のもとでの天皇にはなんら責任はないのだ、と。しかしそれは単なる偽装、擬態、擬制なのであり、メディア、御用学者、御用ジャーナリストらによるプロパガンダに過ぎないのかもしれない、と気づかせてくれたのは「ネット」なのである。そこには天皇家の平和的虚像しか流さない通常の新聞・テレビ報道や出版物などではなかなかうかがい知る事の出来ない、天皇及び天皇家の隠された実像が容赦なく暴かれていた。

 代表例は何と言っても明治天皇=(長州田布施朝鮮部落出身の)大室寅之祐説であろう。これは天皇家の万世一系説を覆しかねない大ごとなのだから。そうした天皇関連のネット記事は阿修羅掲示板過去記事等に多く残っているしユーチューブ動画にだってけっこうある。思えば我々が安倍政権の裏側を今のように明確に知り得る上で、阿修羅などのネット情報が果たした役割は多大なものがある。なのに事「天皇及び天皇家」に関しては「そんな情報は嘘っぱちだ」などとどうして言えるだろうか。誰しも我々日本国民は今各方面で意識レベルの向上が求められている。そうでないと例えば、直近の例として安倍晋三&同政権が仕掛けている日韓対立問題に対して、ただ同政権の誤った方向性に振り回されるのみで国民レベルでは何ら解決の方途が見出せないことになる。おそらく本転載記事で指している「天皇・闇勢力」の「闇勢力」の一角として憲法改悪などを通して戦前回帰を目論む安倍政権も入っているはずだ。問題は天皇・闇勢力の「天皇」が極道安倍政権と一切関わりがないのかどうなのか、という事である。原子力村の奥の院は天皇家という噂が根強くある。天皇と闇勢力は一体とみなすべきなのではないだろうか。嫌な事を言うようだが、平和憲法擁護姿勢を貫いた明仁上皇は昭和天皇をそっくり真似たカモフラージュではなかったのか、ということすら考えてみなければならないのである。 (大場光太郎・記)-

【追記】
 本記事のタイトルは当初、

【在日米軍はなぜ今も存続している?】GHQ占領政策が大成果を挙げ米国は駐留米軍を引き上げる予定だった その時、末永く駐留してくれるよう懇願したのは昭和天皇だった

というものだった。後で見返して、元記事タイトルの方がいいかぁ、と順序を少し変えたものにしたのである。

関連記事
【美しくない戦前日本】天皇家は邦人女性数十万人を売春目的で海外に売り飛ばし巨大蓄財の足がかりを得た
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-069d.html    (矢印部をクリック)
長州田布施部落出身の大室寅之祐(明治天皇)は果たして南朝の末裔か?
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-262b.html   



天皇・闇勢力による自己植民地化 ~米軍はなぜ日本に存在し続けるのか?・・・内なる寄生勢力~
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2019/08/9097.html#more 
2019年08月03日 日本を守るのに右も左もない

戦後75年にもなろうして、もう100年というのも見えてきた感じだが、
米軍っていったいつまで日本にいるんだろう?
・・・と考えたことはない??

すごい不思議なんだが、
金も力もないフィリピンでさえ、とうの昔に米軍を追っ払ったのに、日本に米軍が居るのは?
アメリカの目当てが日本の金だからか?・・・と少し前までは自分も考えていたが・・・。

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しかし、ここ数年天皇とバックの闇勢力をめぐる事実が明らかになってきて、数々の疑惑が渦巻く太平洋戦争と、その後の日米関係のつながりが見えてきた。

野党政治家も大手マスコミも学者も有識者も決して言わない日本と世界のタブー:天皇の犯罪② より以下引用

・なぜアジア・太平洋諸国民5000万人を虐殺した最大最高の【戦争犯罪人】昭和天皇が【戦争犯罪】を全面的に免責・免罪され戦後の【象徴天 皇制】の天皇に復帰できたのか?
第一の役割は、アジア・太平洋侵略戦争を開始して第二次世界大戦を勃発させる役目。
第二の役割は、敗戦後の日本を植民地として支配・搾取するための【駒】として免責・免罪した昭和天皇を【国民統合の象徴】【平和天皇】として機能 させる役目。

昭和天皇の最大の敵は、戦争中はクーデターの危険性を持つ日本陸軍であり、戦後は共産主義国ソ連と中国であった!
昭和天皇はもしも日本で共産党政権が誕生したり、あるいは ソ連や中国が攻めて来たら、自分は戦争犯罪人として処刑され天皇制は廃止されるとの強い危機感があったのだ。
昭和天皇はマッカーサーGHQ司令官との11回の面談で自分の命と天皇制の存続を米国に永久に保証してもらいたかったのだ。

日本は敗けると分かっている日米開戦になぜ踏み切ったのか? より以下引用
この闇勢力は明治維新という名のクーデターによって、かつ当時、世界の覇権を握っていたロスチャイルドの支援によって権力を手に入れた連中である。従って、彼らが何よりも怖れていたのは、同じくクーデターによって権力を奪われることであり、中でも彼らが最も警戒していたのが強大化し過ぎた陸軍である。従って、ロックとしては陸軍内部の不満分子に決起を促すだけで良い。それだけで、日本の闇勢力は竦み上がる。その上で、「敗けいくさを通じての陸軍潰しと戦後の軍隊廃止」を提案すれば、喜んで乗ってくる。

・・・・・・・
★天皇とバックの闇勢力に同化して考えると、
・日本の天皇・闇勢力の最大の敵は、戦前は陸軍(によるクーデター)だったこと
・陸軍つぶしのため、そして金儲けのために、ロックの提案した太平洋戦争をおっぱじめた。緒戦での大陸からの金塊略奪によって大儲け。
・戦後は、イメチェンして平和天皇の演出(これは、大笑いするしかない)、自国軍をお払い箱にして米軍に駐留してもらう。
・ソ連や中国は、天皇の戦争責任を追及。だから天皇は、日本の左翼化を極端に恐れた。→戦後、天皇の代理人、瀬島龍三・中曽根による国鉄etc民営化と左翼つぶし。
・ソ連が崩壊して、中国も市場化して、共産色が薄くなり、戦争責任もとわれなくなり一安心。
・陸軍はほぼ壊滅したが、旧陸軍勢力もまだ残っている(御巣鷹山etc)。→まだ米軍には残って欲しい。だけど米軍も弱体気味だし、そろそろロシアあたりに代わって貰うか?

※天皇の敵は、北朝鮮でもなんでもない、敵は内部にいるのだ。軍勢力や収奪・寄生の対象である日本人そのもの。

いったいいつまで、この朝貢癖の強い朝鮮王を日本の天皇にしておく必要があるのか?
日本人の追求力と見識が問われる。徹底的に事実を広める。

by Hiroshi

(転載終わり)

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昭和天皇と陸軍、原爆

-昭和天皇の「海軍びいき」「陸軍嫌い」は有名な話である。戦後もそれが引き継がれ、海軍善玉論、陸軍悪玉論と単純化された構図が残った。今にして考えればどっちもどっちだったんじゃないの?だが、どうしてなのか。単に個人的な好みだったのか。大別して陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥といわれる。だったら祖父の明治天皇は長州田布施部落出身の大室寅之佑だったことは明らかなのだから陸軍びいきになってもおかしくはないはずなのに、それが昭和天皇は執拗と思われるまでの「陸軍潰し」を仕掛けている。なぜなのか。戦後もその構図は続いてるという、本転載文にある「天皇と闇勢力」の真の意図とはなんだったのか。大きな謎というべきである。なお本転載記事の最初のリンクというのは、以前の当ブログ記事『米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?』である。この中の聞き慣れない「ヨハンセングループ」について簡単に説明しておきたい。これは当時の軍部・憲兵が名づけた米国スパイが疑われるグループで、「吉田茂反戦グループ」のことである。吉田茂、牧野伸顕、樺山愛輔、米内光政らで構成されていたとされる。吉田茂は太平洋戦争当時外交官を退官しており、戦後長期政権を築いた。超財産家だった吉田は超レアなケースだが東京帝国大学に金の力で裏口入学した。麻生太郎は孫に当たるが、みぞゆー麻生も学習院大学裏口入学が噂されている。 (大場光太郎・記)-


天皇と陸軍、原爆
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2019/08/9114.html
2019年08月08日 日本を守るのに右も左もない

先回の記事で、昭和天皇の最大の敵は、戦争中はクーデターの危険性を持つ日本陸軍であり、戦後は共産主義国ソ連と中国であった・・・ことを示した。天皇・闇勢力による自己植民地化

天皇の敵である陸軍潰しは終戦まで徹底していた。リンクより

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>米国側からヨハンセングループを通して原爆投下地を決定するよう要請された昭和天皇は、「広島」と返答しました。
なぜ広島だったのか?それには理由があったのです。
その時点で終戦決定していた天皇にとって、一番の障害となることが予想されたのが陸軍の存在です。終戦と聞いてクーデターを起こしかねなかったからです。

陸軍と広島の関係とは リンクより
>当時日本陸軍を東西に分け、東日本と西日本とにそれぞれ陸軍の管轄地域が分かれていました。この文にでてくる大屋中佐と畑元帥はその西日本の方で第2総軍(東日本の方が第1総軍)に所属していました。この第2総軍の司令部は広島の双葉山にありました。
>この広島の原爆で、第二総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。八月六日朝8時ごろに、多数の第二総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。

天皇の陸軍潰しは徹底していた。
そう考えるといろんなことが整合してくる。

なぜ太平洋戦争の島々に陸軍が送り込まれたか?
そしてガタルカナルやインパールでの陸軍の、補給が絶たれたことによる無残な死。あるいは玉砕。結果から言えば皆殺し。これらは原爆と同じ、陸軍つぶしのために最初から仕組まれていたのではないか?
・・・・・天皇と闇勢力の真の姿・意図がここに見えてくる。

戦後もこの日本内部の戦いは続いている。

>こうして対共産主義防波堤として、日本に資金と技術を投下して日本の高度成長が始まりますが、旧帝国陸軍勢力と田中角栄+鄧小平による中国の原爆開発が推進されるに至って、アメリカは大方針を再度転換します。
その象徴的事件となったのが、1976年のロッキード事件による田中角栄の失脚、及び1985年の「 御巣鷹山事変 」と、その直後のプラザ合意です。リンク

日本による原爆開発、福島原発への攻撃と続いてきた。
・・・この戦いは今後どのような展開をもたらしていくか?

by Hiroshi

(以上転載終わり)

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【天皇裕仁の戦争】戦争とは巨大なマネーゲーム~太平洋戦争と天皇家の関係~

-19世紀後半のアメリカフリーメイソンの大物アルバート・パイクは、第1次世界大戦から第2次世界大戦そして第3次世界大戦までを予言していた。その予言どおりに第1次、第2次世界大戦が起こった。すべて彼らの筋書きどおりだったのである。両大戦の目的は何だったのか。欧州各国に離散しているユダヤ民族(多くはハザール偽ユダヤ)の国家を建設すること、世界人口の大削減、彼らがコントロールする国を勝たせ、彼らの所有する国際的企業群の金儲けのため・・・。さまざまにあったのかもしれない。その一環として太平洋戦争もみなければならないだろう。第2次世界大戦自体、グローバルなサタニスト勢力の大きな構想の中に収まっていた以上、日本も彼らの術中にまんまとはめられたのであり、日本敗戦の責任を天皇裕仁ただ一人に押し付けるのは酷かもしれない。それを承知で、当ブログでも時折り見てきたように、戦後まんまと戦争責任を免罪されてきた天皇裕仁の責任は厳しく追及されなければならない。本転載文にあるとおり、大戦争ほどの「巨大なマネーゲーム」はないのであるが、天皇裕仁ほどその本質を知り抜いていた人物は日本にはいなかったのである。いつか別の記事で見ていくかも知れないが、(幕末維新以来わが国は英国ロスチャイルド=英国王室と深く関わってきたが)裕仁は英国王室からガーター騎士団勲章を受章されていた。英国王室の臣下身分であり、一説には同王室のスパイだったという見方さえある。だから太平洋戦争開戦以前から日本の役割は十分知らされており、宮中の御文庫という所は東条英機なども入れない本当の大本営であり、そこから裕仁自らが事細かく指令を発していたという。以前見たとおり裕仁は大のナポレオン狂であり、真珠湾攻撃は海軍びいきの裕仁自らがナポレオンの戦略を海戦に翻案し立案したもの、だから同奇襲に成功した時裕仁は誰よりも喜んだという。戦後の呆けた姿からは想像もできないが(誰かが「昭和天皇は昭和最大の名優だった」と言った)、戦前の裕仁は十分聡明な天皇だったのである。だから太平洋戦争という巨大なマネーゲームにも熱中し、事実天文学的巨利を得たのである。戦争末期、国民が塗炭の苦しみに喘ぐ中裕仁はその莫大な財産を保全すべくスイスや南米の秘密口座に移すなど必死の工作をしている。米国から最初の原爆投下地を決めるよう秘密裏に要請された折りは「広島」と事もなげに言った。そしてクーデターを恐れて陸軍の主力部隊を広島に集結させたのである。それでもあなたは「平和主義者裕仁天皇」を信じるだろうか。 (大場光太郎・記)-

関連記事
米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ba5e.html    (矢印部をクリック)
昭和天皇の戦争責任(1)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html  


戦争とは巨大なマネーゲーム~太平洋戦争と天皇家の関係~

http://blog.nihon-syakai.net/blog/2019/08/9105.html
2019年08月01日  日本を守るのに右も左もない

元号が令和となって初めての終戦の日が間もなくやってきます。
昭和天皇や平成上皇と異なり今上天皇は戦後生まれである為、これまでの様な天皇の戦争への関りや戦争責任を考えるような番組は、今後はもう無いと思われます。

一方、冷戦が終結しかつての様な「世界大戦」はもう無いものの、世界各地では今なお紛争や軍事的緊張が頻発してます。
そしてその背後には軍産複合体を背景にした金貸し勢力による世界支配がある事は疑問の余地がありません。
この構造は、約100年前の第一次世界大戦で確立され、現在も続いています。

 「戦争は儲かる」
この事実を100年前の政治家や国家元首は既に熟知していました。
現代の様なインターネットや市民の監視圧力が無い時代、「戦争と金」を巡る様々な権謀術数が闇で繰り広げられていました。
これは日本の天皇家も例外ではありません。

以下、るいネットから、天皇家がその中枢にいた「戦争と金」に対する記事を抜粋し紹介します。
日本では古来、天皇家は浮世離れした清廉で高潔な印象を持たれていますが、決してそうではなかったことが分かります。
たとえ御代替わりしたとしても、この本質は連綿と受け継がれている事を私たちは忘れてはならないと思います。

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■戦争とは巨大なマネーゲーム リンク

〇戦争は国家間の利害、憎悪の衝突から起こるものだけではなく、巨大なマネー・ゲームでもある。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。

 この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。この銀行に加入していなければ、中国本土に攻め込む力さえなかったのである。ひと度、この銀行に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちばん金の儲かるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知りつくした人物は日本にいなかったし、これからも登場しないだろう

■太平洋戦争と政府、天皇、そして赤十字の関係 リンク

〇近衛文麿首相はいく度も天皇に戦争の中止を訴えた。
天皇一族は、日清戦争や日露戦争を通じて多額の賠償金を手にしており、その一部はスイス銀行に預けられた。それは日本の天皇だけでなく、ルーズベルトやチャーチル、スターリンなどもそうであり、このような悪事を通じて彼らは国際銀行家(イルミナティ)に弱みを握られることになった。フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回顧録』にはそれらのことが克明に書かれており、明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座はスキャンダルの種になり得るものであった。そしてここに、近衛首相の忠告を無視して、再び太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源があるのだ。

 戦争は、国家間の利害や憎悪の衝突から起きるものではなく、それは巨大なマネーゲームでもある。天皇が仕掛けた南進策、つまり東南アジアやオセアニア侵略は、巨大マネーゲームの創造であった。この面を考察することなくして、我々の日本史の嘘を見抜くことはできない。天皇とその一族は三井、三菱、住友らの財閥と組んで、戦争によるマネーゲームをしていたのだ。戦争が一番儲かるゲームであることを、天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。
内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃すよう指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは秘密裏にナチスに戦争協力したので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。」

■天皇が戦争狂になった訳  リンク

〇昭和天皇は大東亜戦争中、宮中に大本営を置いて陸海軍の下僚参謀を指揮して作戦を実行した。それの実態が連合軍にバレれば自分も戦犯として処刑されるという恐怖と、せっかく築いた莫大な資産が取り上げられることを心配したのだ(むろん実態は連合国は承知していた)。
だから彼は、資産をスイスや南米の銀行に預けた。海軍の潜水艦を私的に使ってアルゼンチンに金塊を避難することまでやった。
(中略)
 「中島知久平(中島飛行機 ゼロ戦の製造で有名)は、陸軍が(支那事変で)未だ戦線を黄河あたりにまででとどめようとしているとき、閣僚の一人として漢口まで行かねばならないと主張した。もっとも大胆に(中国戦線)拡大を唱えたのは、鐘紡社長津田信吾である。彼は中国との全面戦争とともに、イギリスとの戦争を説いた。彼の強硬論は鐘紡の高利益の基礎に外地会社の多角経営があり、これを積極的に中国領内に拡大する希望を持ったこと、(中略)中国国内に原材料基地を見出さねばならぬという因果関係からくるものであろう。」

 中島知久平が閣僚になって戦争を主張したように、また王子製紙社長の藤原銀治郎は、海軍顧問、商工大臣、国務大臣。軍需大臣を歴任し、その地位を利用して戦争でしこたま儲けたクチである。

 戦後、自民党の大物議員で60年安保時に外相を務めた藤山愛一郎も戦前、大日本製糖社長として、戦争を煽った人物である。彼は台湾での製糖事業を一手に握っていたが、さらに南方と中国南部に製糖工場を広げるべき軍部と結託した人間である。
 こうした三井.三菱以外の中小財閥も、積極的に戦争経済を推進しようと図ったのである。それを最も喜んだのはこれらの会社の大株主だった天皇であった。
 こうして見てきたように、天皇は莫大な蓄財を行うために、財閥と組んで国民を売りとばし、戦争を仕掛けて国民を殺してきた。責任はすべて軍人と国民とに押し付けた。血も涙もない、とはこのことではなかろうか。

(以上転載終わり)

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【ルーマニア革命7日間】チャウシェスク夫妻処刑に至るまでのこの映像は命がけで撮影した世界史に残る市民革命の貴重な記録!

-今回ご紹介するのは1989年12月に起きたルーマニア市民革命の7日間の記録映像である。翌1990年、NHKが『チャウシェスク政権の崩壊』と題して放送したドキュメンタリー番組の再放送(2019年1月)だという。ごらんになった人がいるかもしれないが、平成の終わりにあたり平成時代に起きた主な世界的大イベントの再放送シリーズの一環として放送されたようだ。当ブログでも安倍現政権に絡めてチャウシェスク夫妻の処刑シーン画像を公開したことがあるが、私自身はそれに至るプロセスを詳しく知っていたわけではない。今回そのルーマニア革命が1989年と知って、『あゝ平成元年に起きたことだったのか』と認識を新たにした次第である。同ドキュメンタリーは2人の市民カメラマンによる当時の7日間の記録映像を元に構成されている。半歩前へ氏文によると、それは「裏切り、暗殺、諜報、秘密警察、密告が横行した恐怖政治にピリオドを打った」7日間だった。がしかし、チャウシェスク独裁政権が倒れても市民たちの要望に応える新政権がスムーズに樹立したわけではなかった。チャウシェスク夫妻逃亡を受けて新政府作りが始まったものの議論百出、なかなかまとまらない共産党本部内の様子、外の大広場で待ち受ける膨大な数の首都ブカレスト市民たちの様子、チャウシェスク残党が突如物陰から発砲し市民たちが逃げ惑う様子などを映像は克明に撮り続けていく。市街銃撃戦は3日間も続いた。やがてチャウシェスク夫妻は捜し当てられ逮捕、それを境に銃撃戦は終息の方向に向かうがこれによって多くの市民が死傷した。ルーマニア市民革命は市民たちの流血を伴った血みどろの闘争だったのだ。銃撃で命を失うかも知れない、だが市民たちは圧政へのレジスタンスをやめなかった。地方からも若者たちが続々と駆けつけ地下鉄ホームをねぐらに闘争に加わった。チャウシェスク夫妻が既に処刑された12月25日クリスマス、1人の老市民が「あのイヤな夫婦のいないクリスマスはすばらしい」と語ったのが印象的だった。さあそこでいきなり現在のわがニッポンの状況である。この国にもいるよねぇ、「イヤな夫婦」が。安倍晋三&昭恵夫婦はチャウシェスク夫婦に迫るような独裁的な好き勝手をし放題である。どうすんの、これ以上なおのさばらせておくの?結論は「のさばらせておく」となるのだろう。今の「アホン人」は政治に無関心、安倍夫婦を放逐するような熱意もパワーもないもの。こんなアホン人、人類史上かつて現れたことがない絶滅危惧の珍種であろう。 (大場光太郎・記)-

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この映像は命がけで撮影した世界史に残る市民革命!
https://85280384.at.webry.info/201906/article_125.html

2019/06/16 00:17 半歩前へ

▼この映像は命がけで撮影した世界史に残る市民革命!

 1989年12月、世界史に残る市民革命が起きた。

 ルーマニアで長期にわたって独裁をほしいままにしたチャウシェスク政権が倒れた。

 裏切り、暗殺、諜報、秘密警察、密告が横行した恐怖政治にピリオドを打った。

 国家の富をチャウシェスクが独裁。

 便所のドアノブに至るまで純金製を使うなど贅沢の限りを尽くした。

 そんな共産党一党独裁が音を立てて砕け散った。

 これは2人の市民が命懸けで撮影した貴重な映像である。歴史的な記録だ。

詳しくはここをクリック
https://www.youtube.com/watch?v=GXuLTxxKrqw


チャウシェスク政権の崩壊|市民が撮った革命の7日間


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OZZY-ZOWプロジェクト【ハードル下げer】 @OzzyZOW

えっと、この人しってます?
チャウシェスクさんっていうひとなんですけど、むかーしルーマニアのアタマ張ってた人なんですけどね。https://www.youtube.com/watch?v=tUKCckRQDK8 



OZZY-ZOWプロジェクト【ハードル下げer】 @OzzyZOW

共産主義政権にありがちな風味の流れをたどって、民主化運動→革命軍により処刑って運命を辿ったひとなんですが。https://www.youtube.com/watch?v=GXuLTxxKrqw 


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YAF @yagainstfascism

NHK「チャウシェスク政権の崩壊」(1990年の再放送 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/41/1845565/ )がよかった。革命の7日間を撮影した2人の市民のテープを基にした番組。大群衆がWE ARE THE CHAMPのメロディで歌う「チャウシェスクはもういない」も凄い。独裁政権崩壊時の解放感はこんな風なんですねー。イメトレするか。笑


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YAF @yagainstfascism

NHK「チャウシェスク政権の崩壊」。革命直後の救国戦線本部内や銃弾の飛び交う市街戦のような緊迫した場面もとても貴重で重要ですが、独裁者を打倒した革命を守るために地方から駆けつけた人たちや、市民の「自由」への思いが伝わるやりとりがとても素晴らしい。自由万歳。



YAF @yagainstfascism

NHK「チャウシェスク政権の崩壊」。
とりあえず今年のクリスマスには日本でもこれを言いたいですね。
「あのイヤな夫婦のいないクリスマスはすばらしい」。笑 
とてもよくわかります笑


NHKドキュメンタリー @nhk_docudocu

【27日午後】平成に起きた出来事を振り返るシリーズ。平成が始まった1989年、東欧諸国では民主化転換が相次いだ。中でも“流血革命”となったのがルーマニア。
「チャウシェスク政権の崩壊」(初回放送1990年)を再放送。[総合]
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/41/1845565/ 


(以上転載終わり)

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