【対米隷属の決定打】日航ジャンボ機撃墜“事件” 同脅迫により1カ月余後のプラザ合意で日本は大幅な為替レート変更を余儀なくされた

-ここ何年かこの時期になると、ある問題を取り上げようとずっと考えきた。がしかし、うまくまとめきれず、延び延びになっていた。1985年(昭和60年)8月12日に起きた、日航ジャンボ機123便墜落の真相についてである。その経過や御巣鷹山に墜落した次第は、これをお読みの方も概略ご存知のことだろう。下に同ジャンボ機関連動画を掲載したので、ご視聴、ご確認いただきたい。世界航空機事故史上最大被害とされた同ジャンボ機墜落は、初めから今日まで「事故だった」ということになっている。各マスコミもその線でガンガン報道したから、国民の多くはいまだに墜落事故と信じて疑わない。しかし当初から、事故説に異論を唱える日航関係者や専門家がいた。しかし彼らの言説は悉く封じ込められてきた。時には真相を暴露しすぎて、講演会終了直後急死させられた人までいる。演壇上の飲み物に毒を入れられたとみられている。

 その点では、日航ジャンボ機撃墜事件は、9・11や3・11&フクイチなどと同様のパターンなのである。ということは、同ジャンボ機を撃墜したのはどこの誰か、すぐに目星がつく。直接的に同ジャンボ機(垂直尾翼)を「核ミサイル」攻撃したのは米軍(空対空の米軍機?)。それを命令したのは時のレーガン政権、なかんずくパパ・ブッシュ副大統領(当時)。さらにその奥には、CFR(外交評議委員会)を牛耳る“闇の帝王”D・ロックフェラーからの極秘指令があったことだろう。何のために?この年から米国経済は、財政赤字と貿易赤字のいわゆる“双子の赤字”に苦しみ出し、ちょうどその頃、米国を経済的にもっとも脅かす存在になっていた日本が標的にされたとみられる。それまでの長年の寛容な対日政策を百八十度転換し、武力で脅しにかかったのである。いよいよ牙をむき出したのだ。歌手の坂本九さんなど有名人や財界要人から夏休みで東京や関東にやってきていた大勢の大阪の家族連れまで、524人を乗せた同ジャンボ機は「日本の縮図」のようなものだった。米国悪魔勢力は、そこに狙いをつけたのである。

 もちろん同ジャンボ機墜落の真相は、時の中曽根総理はじめ日本政府、全官庁幹部などみな知っていた。しかし米国の武力行使、その裏に隠されたメッセージに皆震え上がったのである。「原因をとことんまで追究すると戦争になってしまうぞ」。日本航空や報道機関にまで徹底した緘口令が敷かれ、「事故」で通すことにした。末尾関連記事の通り、まだ生存していた数十人は、現地に駆けつけた自衛隊員によって息の根を止められたという。さらに同隊員たちの多くがその後謎の不審死を遂げている。

 その1ヶ月余後に行われる予定だった「プラザ合意」に向けて、米国からの「大幅円高」圧力に、それまで強硬に反対していた竹下登蔵相、大蔵省(共に当時)も折れざるを得なかったのである。その後のバブル崩壊などを経て、今日に至る「日本零落」の始まりである。3番目の動画の中で中丸薫氏は、「この年のプラザ合意以後、官僚たちの仕事への取り組みがガラッと変わった。それまでの国益第一から米国の方ばかり見て仕事をするようになった」と指摘しておられる。それは、今日の安倍政権下の官僚群においてますます顕著である。そのきっかけとなったのが、520名もの尊い犠牲者を出した日航ジャンボ機撃墜事件だったのである。いやはや。「世界一のならず者国家」アメリカ隷属から脱しない限り、日本の真の独立はマジであり得ない! (大場光太郎・記)-









「陰謀でもなく、日航機は撃墜されたとしか思えない」 日航ジャンボ機墜落事故(1985年)特別インタビュ―◎安部譲二 
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/454.html
投稿者 黄昏時のパルチザン兵士 日時 2006 年 8 月 14 日 14:16:23

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安部譲二氏画像 (本記事とは無関係)

ボ―イング社の修理ミスによる圧力隔壁の亀裂、急激な空気の流入による尾翼破損、操縦不能で墜落。これが最も知られている520人の命を奪った大事故の原因である。
全てが公開されなかったボイスレコ―ダ―、二転三転した事故調査委員会の文言・・・・・・・。事故から21年、まだ謎は解けていない。

作家・安部譲二氏は日航機の客室乗務員だったという時代がある。単発エンジン小型機の操縦免許も持っている。
その安部氏は1985年、日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落した事故を、事故ではなく、事件だと確信している。
著書、『日本怪死人列伝』(02年、扶桑社文庫)で安部氏は、<無残に撃墜されたのだ>と断言している。

85年8月12日、羽田発大阪伊丹行きの日航機123便、ボ―イング747型機が墜落して520名という航空機単独の事故としては史上最大の被害者を出した。飛行機事故の歴史に残る大事故である。
この事故には、当時から数多くの疑問が投げ掛けられていた。
「墜落した日の夜中に日航のスチュワ―デスをしていたおばさんから電話があってね。日航のイチニイサン(123)便が〝行方不明〟で大騒ぎになっている、って言うんだ」
事故発生の時点で安部氏は首を傾げている。
「だってね、あんな大きい飛行機がいなくなっちゃったって言う。85年でしょ。その頃は日本全国、軽飛行機ですら行方不明になるなんてことはあり得なかった」
安部氏によると、この時代には米軍のレ―ダ―サイトが張り巡らされ、自衛隊のレ―ダ―監視網も日本の全ての空域をカバ―していた。さらに空港の管制塔はエリアごとにすべてをフォロ―していたという。
JAL123便を示す影が管制塔のレ―ダ―から消え、機体の消息を絶った、とされているのは18時56分。18時18分に羽田を離陸した約40分後である。18時24分に123便は緊急事態を告げる〝スコ―ク・セブンセブン〟というサインを送っている。
このサインを送る直前、123便は操縦能力をほぼ完全に失い、関東上空を迷走したうえでのレ―ダ―からの消滅だった。
「行方がつかめなくなった末にどこに墜ちたかわからない、(自衛隊、米軍の防空能力が)そんなことだったら戦争なんかできないでしょ」
機体の発見まで長い時間がかかったことは事実である。国民はやきもきして臨時ニュ―スを夜通し流すテレビを観続けた。埼玉県と群馬県の県境にある御巣鷹山の山腹で123便の残骸が発見されたのは翌日の9時である。消息を絶ってから13時間が過ぎていた。
たしかにこれでは、例えば国籍不明機が侵入してきても、いったん機影を失えば半日間は発見できない可能性がある、というのに等しい。

★すべて公開しない謎
事故そのものが不測の事態だから、思いもつかぬことが重なって混乱したということは考えられるが、航空機事故という大事に、いったいこんなことがあり得るのか。
ともあれ、安部さんは事故発生のその日から深い疑問を抱く。
「その頃は、もう知っている人間は乗っていなかったけど、飛行機乗りってのは、(事故には)敏感なんですよ。まだプロペラの時代だけど、昔『木星号』という旅客機が墜ちた。大島の三原山に墜ちたんだけど、マスコミには相模湾に墜ちたとミスリ―ドして引きつけておいて、そのあいだに何かを回収した。ああ、またやってるなと」
木星号事件とは52年に起きた航空機の墜落事件である。乗客乗員37名全員が死んだが、当時、空路を管理していた米軍からもたらされる情報が交錯矛盾し、疑いをもたれた。松本清張がこの事件を題材に『52年日航機「撃墜」事件』という小説を著している。
航空機事故で、事故原因の解明にきわめて重要な役割をもつのが操縦席の会話を録音したボイスレコ―ダ―だ。後年、テレビで123便のボイスレコ―ダ―が公開された。
「聴きました。それでプライバシ―に関わることなので一部は公開しないという。あれは犯罪じゃないですか」
安部さんが言う通り、ボイスレコ―ダ―の全ては公開されていない。
「520名が亡くなった事故だよね。コクピットで何を叫んでいようと、たとえ『お前のかあちゃんと寝た』と叫んでいようとも、公開しない理由にはならないでしょ」
テレビで公開されたのはダビングしたものだが、オリジナルは他の資料といっしょにすでに廃棄処分されている。
航空事故調査委員会はこの事故をボ―イング社の修理ミスに起因するものと結論ずけたが、当時からこの結論に疑問を呈する声、真っ向から否定するものは多かった。
事故調―――航空事故調査委員会が報告した事故原因を簡略化してまとめてみよう。

1、 該当の機体は事故の7年前に伊丹空港でしりもち事故を起こして客席と機体外壁を隔てる「圧力隔壁」が破損した。

2、「隔壁」の破損を米ボ―イング社で修理したが、修理ミスがあった。

3、以後の飛行による劣化で、事故当日、修理ミス部分から「隔壁」に亀裂が入った。

4、気圧差でその亀裂から客席の空気が吹き出し、圧力で尾翼を破損させた。

5、尾翼の破損で油圧系統がすべてダウンし、操縦の機能も失われた。

6、迷走の果てに墜落。

ということである。いったいそんなことで尾翼が吹き飛ぶのだろうかという疑問はあったが、事故調支持の学者は材料工学などを駆使して、「あり得る」とした。

★急減圧はなかった
であるとしても、そこには強烈な空気の移動があったことが前提になる。繰り返し議論になっている客席の「急減圧有無論争」である。
急減圧とは、どういう事態なのか、急減圧が起きたら、機内はどうなるのか。
「僕は、急減圧を経験したことはありません。だけど急減圧に対する訓練ってのはね、乗務員が不時着水よりも時間をかけてやることなんです。だからパイロットは急減圧があったら、それこそ急減圧のキュを聞いたら(酸素マスクが)落ちてこなくても落ちても反射的に手を伸ばすものなんです。客室には客席分の酸素マスクのほかにバゲッジに10メ―トルごとに携帯用の酸素ボンベがあって、乗務員はとりあえず酸素を確保できるようになっているんです」
事故調は急減圧があったとしたうえで、パイロットが酸素マスクを装着しなかった理由については「不明」としている。
だが安部さんによると、あの高度、メ―トルで推定6000から8000くらいで急減圧があった場合であれば酸素マスクをつけなくても操縦は可能だという。
「エベレストの高さで酸素マスクをつけずに登ったって言う、それと同じでそれほどの高々度ではない」
しかし高度にかかわらず、エンジンの出力だけを操作して困難な飛行を数十分も続けることは超人的な技能なのだ。
生存者のひとり、客室乗務員の落合由美さんの証言は、どう解釈しても急減圧はなかったことを証明している。落合さんは急減圧を感じなかったと事故後の調査で証言している。繰り返し急減圧の訓練を受けている乗務員の彼女が、実際にはあった急減圧をなかったと勘違いすることはあるのだろうか。
「それはあり得ない」(安部氏)
酸素マスクを装着していた遺体はひとつもない。
これらのことから、日航の従業員組合の組織、日航乗員組合連絡協議会は「急減圧はなかった」と結論したレポ―トを発表している。
だが事故調は急減圧があったと報告をまとめ、運輸省に提出し了承されている。
「事故調は急減圧はあったと言っているけど、どっちが正しいかと言うと100対0でこっち(日航乗員組合側)が正しい」

★修理ミスを認めた理由
事故調を支持する側の学者は、すると急減圧はなかったが、ゆるやかな減圧はあったのだとした。
しかし急減圧がなかったのなら、事故調が報告した隔壁の亀裂そのものが疑わしくなり、尾翼が急激な気圧で吹き飛んだという説が成り立たなくなるのである。つまり事故調の報告はまったくの虚妄ということになる。
「ボ―イングが、ずいぶん早くにまず修理ミスから圧力壁の破壊と言いだしたんだよね」
どうしてボ―イング社が、修理ミスを早々に言い始めたのか。ボ―イング社がそうする必要がどこにあったのだろうか。
「今、日本ではダグラスとかほかの社の飛行機はほとんど飛んでいないじゃないですか」
幹線を主にして、確かにボ―イング機がほとんどである。
「当時の日本の航空会社のトップはボ―イングっていう名前にアレルギ―があったんですよ。ボ―イングのB29からB17にさんざん爆撃されたからね。聞くのもイヤな名前で、だからダグラスばかりだったんです。その隙をついて、ロッキ―ドとか売り込みにきて、ボ―イングは大苦戦だったんですよ」
戦後、日本の民間航空を再建したのは、旧陸海軍で航空に携わった者たちだった。
こうして日航、日本政府に貸しをつくったボ―イング社が、のちに日航をはじめとして日本の民間航空機の市場を制したという。
日航乗員組合連絡協議会の元日本航空のベテラン機長、藤田日出夫さんは、尾翼が壊れた原因として『新潮45』(00年8月号)で「フラッタ―説」を書いている。フラッタ―とは、分りやすく言えば細かい震動である。航空機の場合、旗がはためくように震える現象を指し、機体の破壊につながる。
「藤田さんは、僕みたいな小説家と違って、専門家として冒険ができなかったんです。思うことはあったとしても、パイロットの立場としてはいえないことがあるんでしょう」
藤田氏は、ボ―イング機の構造的な欠陥によってフラッタ―が起こり、尾翼が破壊されたと、わずかな行数で遠慮がちに指摘している。
「航空機の尾翼は、戦闘と、(衝突の)事故以外で壊れたことは、プロペラ時代も含めて、ライト兄弟以来、一回もないんですよ。それくらい尾翼というのは堅牢な中でも堅牢なものなんです」
では安部氏が主張する事故原因、尾翼破壊の原因とはなんなのか。
それは、自衛隊の無人標的機が123便の尾翼に衝突して破壊したのだというのだ。事故当時、新造された護衛艦「まつゆき」が相模湾で試運転中だった。その「まつゆき」艦上からテストで無人標的機が発射され、123便の尾翼に衝突した、というのである。
「ぶつけたんじゃなくて、ぶつかってしまったんでしょ。標的機はジェットエンジンで高速で飛ぶものだから、当てようとしてもなかなか当たらないものだそうです」

★民間機相手の訓練
この説を主張しているのは安部氏だけではない。
「雫石のあとでしょ。あの時は自衛隊機が全日空機を相手に戦闘訓練を勝手にやってて、それで後ろから突込んじゃった」
雫石事故とは71年、全日空機のジェット機727型機に航空自衛隊のF86F戦闘機が衝突した事件である。この時、自衛隊は全日空にも管制にも訓練を報せていなかった。この時、ある疑いがもたれた。自衛隊機が民間機の全日空機を敵機に見立てて戦闘訓練をしていて誤って衝突したのではないかという疑惑である。乗客乗員162名が死亡。この時は航空幕僚長の辞任で収まっている。運輸省管轄の航空事故調査委員会はこの事故をきっかけに誕生している。
日航機事故の当時は第二次中曽根内閣。中曽根康弘が内閣総理大臣、航空を含めた運輸行政を司る運輸大臣は山下徳夫、防衛庁長官は加藤紘一、内閣官房長官は藤波孝生だった。もし安部説が正しいとしたら、この日航機事故の情報はどこまで上がっていて、誰が処理に関する全ての決定権を持っていたかということだ。
「それは中曽根でしょう」
安部氏は言う。
自衛隊機が民間航空機を仮想の敵機として訓練することは今もあると安部氏は睨んでいる。
「僕がいたときはしょっちゅうだった。米軍機だけだよ。やんないのは。ほかの国は日本を含めて予算がないから、民間機を相手に訓練するんだよ」
無人標的機が衝突したという話を最初に聞いたのは、いつ、どういう機会だったのか。
「いつだったかな。日航の仲間からだったと思うけどね。彼らが自費で船を調達して、発見されなかった尾翼の部分を探しているって聞いた時かな。見つからなかったけどね。もうとっくに海上自衛隊が回収したんでしょう」

★撃墜された日航機
安部さんは123便が山に向かって北上したことにも、疑惑を抱いている。
「機長は大阪行きなら、もし伊丹空港での着陸がなんかの事情で不能になったら、すぐ代わりにどこに着陸するか考えるものです。123便は相模湾上空でなんだかわからないけどアネ―ブル・コントロ―ル(操縦不能)になった。あの場合、海に不時着することを考えるのが普通なんですよ」
操縦席では尾翼が壊れていることはまったく分かっていない。
「分かっていてもいなくても、操縦不能なんだから」
123便が海に向かわないで陸地に向かった理由は何だったのか。
「僕はね、最終的には撃墜するためだと思いますよ。本ではそこまで書けませんでしたけど。123便の操縦士は横田か福生に降りようとしていたと思うんですよ」
123便は海ではなく、山の方に故意に誘導されたと安部さんは主張する。では123便はいつ、どこで撃墜されたのか。
御巣鷹山近くの複数の住人が、123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言している。例えば123便が機体を安定させようとエンジンを操作し、最大のパワ―でジェットエンジンを噴出したとして、その排気を炎と見間違えることはあるのだろうか。
エンジンからの排気、または金属の機体が折りからの夕日を反映したということも考えられはする。検証をせずに123便に炎があったと断じることは危険である。が、そういう目撃談があることは事実である。
「自衛隊の浜松基地から2機の戦闘機(F14)が発進してるんですよ。どの時点で撃墜するためのミサイルをぶっ放したか、僕は分かりません」

★NHKが故意に誤報した
自衛隊が、ダッチロ―ルで飛行している123便をなぜ撃墜する必要があったのか。
「あの機体が横田でも福生でも羽田でも、もしあのまま着陸してしまったら、内閣、吹っ飛びますよ」
安部さんはNHKが墜落地点を故意に誤報したとしている。NHKは翌日の朝まで墜落地点を長野県北相木村と報じた。これは報道陣をはじめとした人間たちを故意に違った地点に導くためだったとしている。
御巣鷹山は群馬県上野村にある。上野村の当時の村長は黒沢丈夫氏だった。のちに御巣鷹山に慰霊施設をつくり、登山道を整備した名物村長である。海軍兵学校を出た黒沢村長は戦争中は零戦のパイロットでミッドウェイ海戦にも出撃した勇士である。
その黒沢村長が飛行機乗りの経験者として村民の証言などから墜落地点を御巣鷹山だといちはやく推理している。のちにある座談会で、事故対策室や日航、自衛隊が墜落地点をなかなか特定できなかったことに疑問を呈している。
安部氏は言う。
「(NHKを使って)積極的にミスリ―ドしたことは間違いありません。それは、無人標的機の残骸と、最後に123便にとどめを刺したミサイルの残骸とそれに傷つけられた機体を回収するためです。シコルスキ―(自衛隊の大型ヘリコプタ―)を持っていってすぐ、生存者よりもなによりも早くそれを回収するため行ったんです。なにかオレンジ色の大きなものを釣り上げている写真を新聞社か週刊誌は持っていたはずですよ」
オレンジ色の部品は123便にはない。無人標的機の塗装色である。
当時、日航の大株主は日本政府である。35%の株を持っていた。
「日航ってお役所でしょう。僕の経験では、日航は政府にまるで頭があがらんでしょ。だって運輸省の下部組織みたいなものだったんだから」
安部氏は日航機事故をもう一度書きたいと言う。
「全日空にも日航にもエライさんに知っているのがいるんだけど、みな日航機事故のことをいうと黙るんだよね」
日本のマスコミは本当のことを言わないし書かない、調べようともしない。
「だから、本当のことを言い続ける僕の仕事がなくなることはない。日航機の事故は必ず書く。これはライフワ―クだと公言しているんです」

別冊宝島1324  
昭和・平成日本「怪死」事件史 〝疑惑の死〟から見える日本の「闇」と「タブ―」

取材・文◎桃井 四六  撮影◎金子 靖

(以上、転載終わり) 


関連記事
日航ジャンボ123便 生存者は自衛隊員がアーミーナイフで殺害していた
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32年前の8月12日にJAL123便が墜落、その際の不可解な動きを明かされた日本政府は戦争体制へ(櫻井ジャーナル)
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[日本航空123便墜落事故]  自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!)
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日航ジャンボ123便 生存者の男の子(自分で顔を隠す元気)が自衛隊員により死体置場に運ばれていく様子を記者が見逃さず撮影
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【永遠の奴隷国?】オリバー・ストーン監督インタビュー「アメリカはスパイプログラムを日本のダム、駅、病院、原発、銀行などに組み込んだ」←同盟国でなくなった時、インフラ破壊するため

-これは大衝撃の発言である。映画『スノーデン』のプロモーションのために3年半ぶりに来日した、米国の映画監督オリバー・ストーン氏がTBS深夜報道番組『NEWS23』のインタビューで語った内容のことである。同映画でも描いているとおり、モスクワにおけるスノーデンとの会談で知りえた日本についての米国発のサイバーテロの核心について語っているのである。それを親日家のオリバー・ストーン監督は、今回のNEWS23インタビューで惜し気もなく公開してくれたのだ。これは大変なことだ。同盟国解消時点のみならず、向こうさんが「最近日本はどうも勝手なことばかりしおって」と考えれば、ダム、駅、病院、原発、銀行などの一部にでもスパイプログラムを始動されれば目も当てられない事になるからだ。実際私たちは、311直後、管理会社のマグナBSP社によってストークスネットをイスラエルから遠隔操作され、フクイチの深刻な事態を引き起こした事例を既に経験済みではないか。話は変わるが。3年ほど前、これもスノーデン氏暴露によってだったか、米国NSAによって主要先進国首脳などの通話が軒並み盗聴されていた事が発覚したことがあった。英独仏などは時のオバマ大統領に猛抗議した。国家機密級の内容が盗み聞きされていたのだから当然である。そんな中、わが国の安倍政権だけはオバマに強く抗議するでもなく曖昧ヘナヘナな対応で終始した。属国だから他の国のような強い抗議が出来ないのだ。今回浮き彫りとなった各インフラへのサイバーテロについても、安倍らは内々に知っている事だろう。もし知らなかったら国家統治者として失格のレベルなのだから。これではB・フルフォード氏が「トランプ就任式の20日までが、日本銀行を国有化するチャンス。これを逃せばチャンスは二度と訪れない」と熱っぽく語っても、安倍らは動こうとしないわけだ。それ以前に日本政府は決定的な部分で首根っこを押さえられているのだ。しかし真の国士・愛国者なら、国内主要インフラにストークスネットを仕掛けられていて黙って見過ごすようなことをしないことだろう。それでは単なる売国奴だ。どこに仕掛けられているのか、どうすれば解除できるのか、技術立国日本の英知を結集してそれをとことん解明し、二度と攻撃されない対策を講じる。でなければ、そういう卑劣な攻撃は即刻解除するよう米国に強く要請するはずだ。ここでも安倍増長らの売国奴は確定である。 (大場光太郎・記)-

【追記】
 つい先日は例の「内閣支持率67%」問題で大きく評価を落としたのが、毎日新聞、JNN、TBSだった。汚名挽回なのか、今回のNEWS23のオリバー・ストーンインタビュー企画は大クリーンヒット、いなホームラン級かもしれない。やればできるじゃないかTBS、である。

≪衝撃≫オリバー・ストーン監督インタビュー「アメリカはスパイプログラムを日本のダム、駅、病院、原発、銀行などに組み込んだ
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/431.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 20 日 18:45:05:
【衝撃】オリバー・ストーン監督インタビュー「アメリカはスパイプログラムを日本のダム、駅、病院、原発、銀行などに組み込んだ」
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/26107
2017/01/20 健康になるためのブログ

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NEWS23 オリバー・ストーン監督が明かした“衝撃情報

オリバーストーン監督の日本への警告20170118NEWS23 投稿者 gomizeromirai

以下ネットの反応。


 コハラ ミユキ @milkykoara 

オリバーストーン監督。NEWS23 のインタビュー 「安部首相は、日本を間違った方向に導こうとしている」、と!

関連記事
NEWS23 オリバー・ストーン監督が明かした衝撃情報 「日本は昔持っていた主権がない。アメリカの衛星国で人質なのです」
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/380.html

(阿修羅掲示板投稿へのコメントより)

1.    2017年1月20日 20:34:06 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1442]
独立しましょう。まずは駐留米軍の追い出しです。

(1)日米地位協定25条の改定…日米合同委員会、日米共同部の廃止(官僚を操る糸を切る)
(2-1)日米地位協定2条の改定…基地返還を義務付ける(ドイツ型の米軍排除)
(2-2)憲法に『外国軍の駐留を禁止する』と書き込む(フィリピン型の米軍排除)

2.    2017年1月20日 21:08:42 : XQ1mjvIPMo : eWEHzvd873A[61]
スタクスネットの事ではないのか。主要設備に仕掛けられているのであれば当然、原発にも仕掛けられている。

3.    2017年1月21日 17:45:43 : 8R157G1l0E : rlXnYrxRKcE[61]
アメリカの為、日本は人質ならぬ国質になっていて、すでに奴隷国化している。沖縄は米軍の好き勝手に基地を造られ軍事訓練で騒音といつ墜落するか解らない恐怖にさらされている。

(転載終わり)            

 

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【アベ政治の原流】岸信介はこうして「極刑」を免れた~明かされるGHQ尋問の真相 超エリート官僚の、狡猾な戦術(現代ビジネス)

-確か私が若い頃読んだ何かの本で、「若槻礼次郎は東京帝国大学始まって以来の秀才だった」と記されていたように記憶している。その若槻礼次郎は東大法科を主席卒業後、大蔵官僚そして政治家、ついには総理大臣になった。だが昭和6年(1931年)の満州事変への対応の不手際により若槻内閣は総辞職に追い込まれたのである。と、本記事は若槻とは関係ないのであるが、最近あるネットサイトで「岸信介は東京帝国大学始まって以来の秀才だった」と記されているのを読み、『あれっ。ということは岸の方が若槻より優秀だったのか?』と、ふと考えたものだから触れてみたのである。岸信介も東大卒業後若槻と同じように官僚(農商務省)から政治家に転身し、戦後ついに総理大臣に上りつめた。まあどっちがどうだっかはどうでもいいが、とにかく岸が頭脳優秀だったことは間違いなさそうだ。しかし頭脳優秀者の常として「紙一重」ということがある。岸信介は「狡猾さ」という面でもずば抜けていた。それは以前見たように、満州経営の実力者としてアヘン密売に関わり東条英機内閣の生みの親になったこと、そして今回のテーマであるA級戦犯指定を受けながら巧みにそれを回避したことなどにいかんなく発揮されている。(近年ドラマ化もされ何かともてはやされているがその実GHQスパイだった)白州次郎とハリー・カーンあたりが、「岸は役に立つ男だから」とGHQに働きかけたともいわれているが、その裏では「その時アヘン巨財が動いた」ということなのではないか?こうして戦犯解除された岸自身CIAスパイとなり、CIAの資金援助があった自由民主党の創設メンバーの一人だった。また60年安保の時の首相として、日米地位協定など今日に至る米国従属を確定させたのも岸である。本転載文にも出てくる『岸信介回顧録』を、出来の悪い孫の安倍は座右の銘とし、ボロボロになるくらい読み込んでいるという。なるほどそうなのだろう。安倍増長には、事実上血筋的に、また精神的にも、岸信介の狡猾で謀略的なDNAが二重の意味でしっかり埋め込まれているということだ。が、喫緊の日本の課題は、「岸信介的なるもの」「自民党政治なるもの」の呪縛をいかに断ち切るか、ということなのである。 (大場光太郎・記)-

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岸信介はこうして「極刑」を免れた~明かされるGHQ尋問の真相 超エリート官僚の、狡猾な戦術(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/416.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 9 月 25 日 09:40:05
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49732
2016.9.25 魚住 昭 『週刊現代』2016年9月24日・10月1日号 現代ビジネス


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■したたかな岸の供述

岸信介はなぜA級戦犯として起訴されなかったのか。その謎を解くカギを探して、GHQによる岸の第1回尋問調書(1946年3月7日付)を読み解く作業をつづけている。

この尋問があったときA級戦犯28人はまだ起訴されていない。つまり岸にも起訴される可能性が十分にあった。そうなれば最悪、極刑も覚悟しなければならぬ状況に置かれていた。

にもかかわらず「岸は快く、ためらうことなくしゃべった」と捜査官は記録している。

これにはちょっと驚いた。岸は言葉を濁して相手の不信を招くような真似をしていない。いざというとき肝が据わり、最適の対応ができる。そこに彼の真骨頂があるのかもしれない。

尋問の主なテーマは、岸が経営に携わった満州国の実情だった。岸は捜査官の問いにこう語っている。

「関東軍が満州の支配権を握っていて、われわれが何かやろうとすると、必ず関東軍の許可がいった。関東軍の意向を無視すれば地位を失うぞ、と私も同僚もしばしば関東軍に脅された」

「私が満州で多くの軍幹部と親しくなったのは事実だが、関係が常に良かったわけではない。石原莞爾・参謀副長のような人から叱責されたこともある」

要は自分を関東軍と同一視してくれるな、関東軍の絶対権力に従わざるを得なかったと言いたいのだろうが、本当だろうか。

そもそも商工省工務局長で、官界のホープといわれていた岸が渡満したのは、満州の産業開発を急ぐ関東軍の熱心なオファーがあったからである。

1936(昭和11)年10月、満州に着いた岸は関東軍参謀長の板垣征四郎(東条の前任者)に会うなりこう言った。

「私は日本で食い詰めて満州に来たわけではない。産業経済については任せてもらいたい。もし関東軍の言いなりになれというなら、自分ではなく誰か代わりの者をよこしてもいい」

超エリート官僚の強烈な自負心の表明だった。これに対し板垣は「いや、産業経済の問題は君に任せるつもりなのだから、そのつもりでやってくれ」と答えた。こうして岸は満州の産業経営の主導権を握った。

やがて満州で「二き三すけ」という言葉がたびたび人々の口の端に上るようになる。二きは関東軍参謀長の東条英機と満州国総務長官の星野直樹。三すけは満鉄総裁の松岡洋右、満州重工業開発総裁の鮎川義介、そして岸信介である。

この5人が満州の実力者という意味だ。しかも三すけは長州出身の縁戚トリオだから、関東軍でも簡単に手出しできなかったろう。関東軍に従わざるを得なかった、という岸の供述には、関東軍の横暴を強調することで自分の責任を小さく見せようとする意図も透けて見える。

岸を尋問した捜査官も岸の供述を真に受けてはいない。捜査官は調書にこう書いている。

「ある商工大臣の経験者が『岸は軍閥の手先だった』と明言していたが、その証言のほうがどう見ても、岸本人が尋問で語っていることよりも真実に近い」

尋問調書には興味深い点が他にもある。その一つが、日米開戦の翌年4月に行われた翼賛選挙をめぐる話だ。東条内閣の商工相だった岸は、大臣の身分のまま、地元山口から衆院選に立候補した。

郷里の人々からは「代議士になるのは大臣になるためなのに、大臣になっているのに代議士になろうというのはおかしい」という声が出た。当時の衆院は軍部に牛耳られて無力化していたからなおさらである。大臣にまで登りつめた岸がそんな議会に籍を置くことに、いったい何の意味があるのか。

が、岸は本気だった。このときの心境を岸は最晩年の1983(昭和58)年公刊の『岸信介回顧録』(廣済堂出版刊)で詳しく語っている。これは岸の政治哲学の核心に関わる問題なので少し詳しく説明しよう。

■岸が目指した国家の姿

岸は商工省時代の1930(昭和5)年、鋼材調査のためヨーロッパに出張し、ドイツに滞在した。そのとき第一次大戦でドイツが敗れた原因についても研究した。彼が出した結論は、軍部だけで戦争したためということだった。軍部が失敗したとき、それをカバーする力がドイツには存在していなかった。

これを言い換えると、国家はつねに複数の柱で支えられていなければならぬということだ。でないと、柱が一本折れただけで国家は脆くも崩れ去る。

つねに先を見通し、どんな事態が起きても国体を護持できる体制を作らねばならない。そのためには軍とは別の強力な政治勢力が必要だ。それが国民と密着した政党というわけだ。

前にふれたように(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49125)岸は国粋主義者だったが、天皇制の絶対化には反対した。彼が理想としたのは、国民と苦楽を共にするフレキシブルな天皇制と、それを支える重層的構造の強靭な国家である。その中軸として、彼は将来、岸新党を結成することを視野に入れていたようだ。

岸は出馬に際し、首相の東条に「もし、首相が現職閣僚の出馬に反対なら、商工相の地位を去っても立候補する決意だ」と告げたところ、意外にも東条は全面的に賛成したという。

選挙の結果は約3万票をとってトップ当選。岸は調書のなかでこの選挙を振り返り「蔵相の賀屋興宣や財界人の藤山愛一郎、著名作家の山本有三らが来て応援演説をしてくれた。活動資金はすべて自前で、総額で約1万円かかった」と述べている。

これは事実ではない。岸は1981(昭和56)年公刊の『岸信介の回想』(文藝春秋刊)でも〈東條さんとの関係においても、金銭的に東條さんを援助したこともぜんぜんありませんし、また東條さんから、金をもらったこともありませんしね〉と述べているが、思い違いだろう。

岸は他界する4年前の『岸信介回顧録』でこう述べている。

昭和17年の翼賛選挙への出馬には〈軍は反対だったが、東条さん(首相)だけは賛成してくれて、選挙資金として五万円出してくれた。当時の五万円は今の何千万円になるか見当がつかないが、相当使いでがあると思ったことを覚えている〉。

*参考:『岸信介-権勢の政治家-』(原彬久著・岩波新書)

『週刊現代』2016年9月24日・10月1日号より

10025


(阿修羅掲示板投稿コメントより)

1.       中川隆[4165] koaQ7Jey 2016年9月25日 10:08:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4571]
この人は一番肝心な事を隠しているね

岸信介と昭和天皇は JPモルガンの傀儡でアメリカ金融資本の手先でアメリカのスパイだったんだよ

アメリカが自分の手先の岸信介や昭和天皇を戦争犯罪人にする訳ないだろ:

 日本では「関東軍の暴走」という話をよく聞くが、もし本当なら日本軍は軍隊の体をなしていないということになる。説得力がない。もし、参謀本部や陸軍省が関東軍を押さえられなかったとするならば、理由はひとつしか考えられない。皇族の介在だ。

 1941年6月に今度はドイツがソ連へ攻め込む。「バルバロッサ作戦」である。当初、ドイツ軍が優勢なときに米英の支配層は傍観、1943年1月にドイツ軍がソ連軍に降伏してから慌てて動き出したことは本ブログで何度も指摘してきた。バルバロッサ作戦が始まった半年後、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、アメリカとの戦争に突入する。その翌年までグルーは日本に滞在、日本とアメリカとの戦争を回避するために努力したというが、当然だ。彼らは日本をソ連侵略の手駒と考えていたのだから。投資の回収をどうするかも大きな問題だっただろう。

離日の直前、グルーは岸信介からゴルフを誘われている。
(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

 大戦後、グルーは日本からニューディール派的、つまり民主主義的な要素を払拭する活動を始める。その中心になったグループがジャパン・ロビーだ。

日本国内でもJPモルガンの傀儡に反発していた勢力も存在する。例えば、血盟団や二・二六事件を引き起こした将校たちだ。現在の表現を使うならば、この傀儡たちは新自由主義者。庶民は貧困化し、東北地方では娘の身売りが増えた。労働争議や欠食児童も問題になっている。その一方、支配層は裕福になり、貧富の差は拡大した。

 こうした政策の背後にはJPモルガンがいたのだが、この巨大金融機関と最も親しくしていた日本人は「適者生存」、つまり弱者切り捨てを主張していた井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じて親しくなったという。浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めている。この井上は1932年、血盟団に暗殺された。その前、1930年には浜口雄幸首相が銃撃されて翌年に死亡、井上が殺された翌月には三井財閥の大番頭で、ウォール街とも親しくしていた団琢磨が暗殺された。二・二六事件は1936年である。

アメリカの金融資本が大きな影響力を持つようになった切っ掛けは1923年9月1日の関東大震災。その復興支援の調達をJPモルガンに頼ったことから、この金融機関は日本に大きな影響力を持つようになる。その代理人として1932年に来日した人物がジョセフ・グルー駐日大使。そのいとこであるジェーンが結婚した相手がJPモルガンの総帥だったジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだった。またグルーの妻、アリスは少女時代に華族女学校(女子学習院)で九条節子(貞明皇后)と親しくなっている。つまり、皇室にもパイプがあった。

 グルーが日本へ来た1932年までアメリカの大統領はハーバート・フーバー。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」した人物である。

JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。

駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。

 グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。

1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608030000/

(以上、転載終わり)


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【昭和のアヘン妖怪・岸信介劣伝】闇に埋もれた戦前日本の対中「アヘン政策」~岸信介の金脈を暴く それは公然の秘密であった
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-729f.html
岸信介とCIA
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50454697.html

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【小渕首相死の真相】小渕元首相「暗殺説」の点と線

-阿修羅掲示板にかなり前の興味深い記事が顔を出していた。直前2記事の「加藤の乱」にもつながるが、『小渕元首相「暗殺説」の点と線』という穏やかでないタイトル&内容である。小渕元首相は、2000年4月1日夜10時過ぎ突然脳梗塞を発症し、都内順天堂大学病院に担ぎ込まれた。その2時間ほど前から兆候が出ていた。連立を組む自由党党首・小沢一郎(当時)との党首会談を終えた小渕は記者会見に臨んだが、記者の「小沢さんは離脱と明確に言ったのか」との問いかけに、10秒ほど言葉が出てこなかったのだ。小渕首相は結局昏睡状態から回復することなく、翌5月14日死去した。そのことから当時永田町界隈やマスコミ界では「小沢が小渕を殺した」というようなデマが駆け巡った。しかし真相はまったく別のところにあった、というのが本転載文のテーマである。詳細は転載文を読んでいただきたいが、CIAがよく使う「F」という薬を投与すれば人工的に脳梗塞を発症させる事ができる、というのだ。原因はこれだったのか!?真相は藪の中であるが、これをきっかけに日本政界は一気に混迷を深めていくことになったのは事実だ。昏睡状態の小渕が指名したとして青木幹雄官房長官(当時)が首相臨時代理に収まり、疑惑渦巻く中青木は構わず野中弘務、村上正邦、亀井静香、森喜朗の「五人組」の密室談合により、森喜朗を次期総裁に決めてしまった。自民党史に残る大汚点がつまりは、その年11月の加藤の乱を招いたともいえるのである。それにしても仮に暗殺が事実だとしたら、「誰が(どこの組織が)何の目的で?」という疑問は当然残る。転載文はこの事を明確にしていないが、私のうがった見方は以下のとおりである。翌年の2001年には、世界中を震撼させた911が起こった。もうこの頃は、米国ネオコンを中心とする闇勢力はその仕込みに余念がなかった事だろう。さらに自作自演テロの先にはイラク侵攻も既にシナリオとして描かれていた。頼りにならない自衛隊はともかく、金づるの従属国日本は我ら闇勢力の操りやすい政権にしておかなければならない。民族独立派の経世会小渕では具合が悪い。ヤツを消せ。そして対米従属一辺倒の清和会連中に政権を取らせるのだ。当面は「サメの脳みそ」森喜朗にやらせよう。ダメなら「SM変態強姦魔」小泉純一郎に交代だ。何せこっちはヤツラの弱みは全部握ってんだから、四の五の言わせはしない。おっと、それと総理候補の呼び声高い加藤紘一は何かと目障りだ。近いうち何か事を起こすようにし向けて失脚させよう。そうだ、我々に忠誠を誓っているポダム世身売りのナベツネをうまく利用しよう。ウッシッシッシ。これが我らの「蛇の道徳」だ。 (大場光太郎・記)-

9091

小渕元首相「暗殺説」の点と線  殺された代議士は何を知っていた------!?
http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/905.html
投稿者 黄昏時のパルチザン兵士 日時 2007 年 9 月 10 日 23:53:40

「偶然の死」と呼ぶにはあまりにも恐ろしい。
もしこれが事実ならば全てが繋がる------。
派閥の事務局長と一国の首相の「突然の死」。
それを誰が「必然の死」と知ったのか------!?

公にされなかった緊急入院
00年4月1日、午後7時52分------党首会談終了後、小渕首相が記者団の前に姿を現した。
「小沢さんは離脱と明確に言ったのか」
記者の質問に対して、小渕首相の口がパクパク動く・・・・・・だが言葉は出なかった。そんな状態が10秒近く続いた。記者会見の後、秘書官と首相公邸に向かう途中、小渕首相は、秘書の一人に「左手がない」と意味不明な言葉をつぶやいたという。それから約2時間後の午後10時過ぎ------小渕首相は倒れた。
小渕首相が体調不良を訴え、夫人が順天堂病院に連絡。病院に運ばれたのは、2日午前1時20分ごろ。報道によれば、2日午前1時20分ごろ。報道によれば、秘書が運転するライトバンに小渕首相、千鶴子夫人が同乗したことになっている。しかし、このライトバンには、もう一人警視庁警備(SP)が同乗していた。それにしても、なぜ一国の首相を運ぶ車が〝ライトバン〟なのか。さらに、その後の筆者の取材で驚くべき事実が判明する。首相の搬送に使用されたライトバンが、当局関係者によれば〝食材運搬車〟だったというのだ。
一国の首相が食材運搬用のライトバンで病院へ運ばれ、さらに〝佐藤洋一〟なる偽名を使って入院しなければならなかった理由とは何なのか?
緊急入院の一報が秘書官から青木官房長官に伝わったのは2日午前2時と言われているが、実際は病院に搬送される時にSPが配置されていたことから、事態をかなり前から把握していた可能性が高い。つまり、青木官房長官は、首相の緊急入院を知っていながら公にしなかった。そして、その後の青木官房長官の発言と行動は疑惑をさらに深める結果を招く。会話ができない状態にあった小渕首相から臨時首相代理に任命されたという発言、さらには赤坂プリンス新館の一室における、青木官房長官、村上参院議員会長、森幹事長、野中幹事長代理、亀井政調会長ら5人による〝密談〟により誕生した森政権・・・・・・こうした事態を外国メディアは皮肉を込めて「クレムリンのような秘密主義」(イギリス・ガ-ディアン紙)と報じた。

重なり合う「3人の死」の影
こうした秘密主義から生じた疑惑は小渕首相〝暗殺説〟にまで発展する。アメリカで医師となった人物は語る。
「診療経過を見ると自然に発症したようには見えないのですよ。問題は脳梗塞から出血性梗塞になった。つまり溶けた血の塊が血管細胞から漏れ出して止まらない状態になり、容態が急激に悪化した。こういう状態を見るとどうも人工的な薬が予め使われたのではないかと疑いたくなるものです」
この医師によればCIAが暗殺に用いる〝F〟という薬が存在するという。この〝F〟は確実に脳梗塞を引き起こす薬で、それが使用された可能性は否定できないと語った。
さらに「小渕が倒れたのは向島の料亭」という怪文書が流れた。
≪「4月1日、小渕首相が病気で倒れる直前の夕刻、小渕首相は向島の料亭で〝数人〟を相手に〝激論〟を闘わしていた。登場人物はフィクサ-・福本邦夫ほか、複数の〝右翼関係者〟、野中幹事長、鈴木宗男総務局長、小沢一郎党首ら数人の政界関係者だった。そしてこの日のテ-マは、北朝鮮との国交回復と戦後補償も含めた経済援助だった。この日の〝激論〟の原因は、北朝鮮への援助が当初予定の5兆円が3兆円アップされ、コメ援助の1兆円も含めて合計8兆円を〝主張〟する野中、鈴木両者に対して、当初予定通りの5兆円でも多すぎると反対する小渕、小沢両者の〝対立〟からだった。こうしたことから永田町の一部で、今年4月の〝小渕緊急入院は、この向島の密談ではないか〟と噂された訳だ。」≫
小額面通り受け取るのは危険だが、偽名による入院と一国の首相を食材運搬車で運んだことを鑑みれば、この怪文書は俄然真実味を帯びてくる。
筆者がこの料亭を調べようと向島へ向かった時のことである。
「4月2日の午前4時ごろ、世田谷から代議士風の人を乗せたんですよ」
乗車したタクシ-の運転手が話し出した。その人物が向かった先は小渕首相が入院中の「順天堂病院」だった。
「お客さんは携帯で向島でどうしたこうしたという話をしていて、『記者に見つからないようにタクシ-で来い』というようなことを話していました」
運転手によれば、その人物の風貌が02年10月25日に刺殺された民主党・石井こうき議員に似ていたという。
石井議員は、5人組の密談により誕生した森政権を批判する急先鋒だった。しかし、02年10月25日午前10時過ぎ、自宅前で自称右翼・伊藤白水なる人物に刺殺された。事件の後、ある民主党議員は筆者に語った。
「石井代議士が追究していたのは自民党の大物議員の政治資金問題だと聞いています」
石井議員は週刊誌の記者に「自民党がひっくり返るネタがある」と話していたという。小渕首相の怪死と森政権の誕生までの〝黒いプロセス〟にその影がちらつく石井議員の存在・・・・・・彼は何を告発しようとしていたのか。
4月1日午前10時ごろ、小渕首相の後を引き継いだ森喜朗の派閥の事務局長が急死している。様々な事情を知る事務局長が急死した夜、小渕首相が脳梗塞で倒れたのは、ただの偶然だろうか?奇怪な事件と3人の死は全て一本の線で繋がっている------筆者にはそう思えてならないのである。

取材・文  永島雪夫

実話GONナックルズ 2007 4月号


(転載終わり)

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【昭和のアヘン妖怪・岸信介劣伝】闇に埋もれた戦前日本の対中「アヘン政策」~岸信介の金脈を暴く それは公然の秘密であった

-岸信介とは、今さら言うまでもなく安倍道鏡の母方の祖父である。今日に至る日米悪平等安保条約を強引に締結しようとして60年安保闘争に火をつけたのが岸総理(当時)だし、その前年の(米国言いなりの悪名高い米軍有利の)砂川判決を最高裁に出させたのも岸総理だ。もっと遡ると、連合国側からA級戦犯指定を受け巣鴨拘置所に収監されながら、米国に魂を売りCIAスパイになることによって同戦犯指定を解いてもらったのも岸信介だ。元はといえば敗戦日本から巻き上げた莫大な金の一部をCIAが還流し、その資金を元に1955年、自由党と民主党の保守合同による現在の自由民主党が創設されたが、設立発起人の一人が岸信介だ。CIA秘密指令によって韓国に創られた統一教会の日本支部ともいえる勝共連合設立に暗躍したのも、文鮮明のお友達の岸信介だ。共に朝鮮半島出身のためか創価学会の池田大作(本名:成太作-ソン・テチャク)とももちろん昵懇だった。弟の佐藤栄作、福田赳夫から森喜朗、小泉純一郎、そして現在の安倍晋三まで連綿と続く謀略極右派閥・清和会を創ったのも岸信介だ。そんなこんなの悪行ぶりから、岸は「昭和の妖怪」との異名をとった。「妖怪は一日にしてならず」。上に挙げたのはすべて戦後の岸の悪経歴であるが、その源泉は戦前満州での岸信介の暗躍にあったのである。満州経営の要の地位にあった岸はその立場を目一杯利用した。その中には、本転載文のテーマである「アヘン密売」も含まれていた。「八紘一宇」の「美しい国」戦前日本は、国家事業としてアヘン密売をしていたのだ。そして岸はそれから得た巨利を自在に動かせる立場だったのである。その資金力によって、関東軍参謀長出身で岸と近い立場だった東條英機を首相にし自分は商工相に収まった。そして「東條を続けさせると俺の立場がヤバくなるぞ」と判断すれば、冷酷にも東條退陣の引き金を引いた。「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」と昔から言い伝えられているが、こういう悪逆外道の祖父・岸信介を尊敬してやまないのが安倍道鏡である。再登板当初はその事を隠さず公言していた。しかしある時、日刊ゲンダイ1面にデカデカと「岸信介はCIAスパイだった。米公文書にも明記してある」旨の大活字が躍って以来、安倍の岸礼賛はピタッとやんだ。何でも、安倍は気になるのか以前から日刊ゲンダイの読者らしいが、ちょっとした記事にも因縁つける安倍もさすが図星の指摘に、「あまりおじいちゃんのことを吹聴するとやぶ蛇だぞ」と思ったか、それ以降は岸信介の「きの字」も出さなくなった。しょせん何事も“ソロバンづく”の安倍道鏡なのである(冷笑)。 (大場光太郎・記)-

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東条英樹(前段中央)と岸信介(最後列左)〔PHOTO〕gettyimages  

闇に埋もれた戦前日本の対中「アヘン政策」~岸信介の金脈を暴く それは公然の秘密であった(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/847.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 8 月 28 日 15:30:05
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49404
2016年08月21日(日) 魚住 昭 現代ビジネス

■最大のタブー

前回(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49375)の最後にほんの少しだけご披露した文書について、もう少し詳しくお話ししたい。

この文書は、終戦翌年の1946年5月、中国の南京高等法院からGHQ(連合国軍総司令部)に送られ、東京裁判の検察側証拠の一つになったものだ。

日中戦争の開始以来、日本が中国を占領支配するのにアヘンをどう利用したか。その実態を南京政府(汪兆銘政権。日本の傀儡だった)の元幹部である梅思平(同年9月、死刑)らの供述などに基づいて告発している。

その核心部をこれからご紹介しよう。なお、原文の片仮名表記は、読みやすくするために平仮名に変えてあることをあらかじめお断りしておく。

〈中国に於ける阿片取引は二つの理由によつて、日本政府の系統的政策であつた。第一に、内蒙古占領に続いて日本人により立てられたる傀儡組織であつたところの蒙疆自治政府は、罌粟の栽培を習慣としてゐる内蒙古で阿片を購ふ事に依つて財政的不足を解決せんと努力した〉

要するに、満州につづいて日本軍が占領支配した蒙疆(現在の内モンゴル自治区)政府の財政は、アヘンの売り上げで賄われていたということだ。

これは1980年代、江口圭一・愛知大名誉教授(故人)が発見した日本側資料によって裏付けられた客観的な事実である。

文書は、第二に日本政府自身も〈戦争に依る経済的困難〉を切り抜ける道としてアヘンに頼ったと指摘している。

そのうえで〈阿片購入用として指定せられたる蒙疆傀儡政府の貸附金〉はまず東京の大蔵省に送られねばならず〈そこで全額の幾分かは保留された〉と記している。

正直言って、私にはこの「貸附金」が具体的に何を指すのかわからない。

可能性として(1)蒙疆政府→農民がケシから採取したアヘンを集める業者団体への貸付(2)蒙疆政府→南京政府への貸付(3)南京政府→蒙疆政府への貸付などが考えられるが、いずれとも判断がつかない。

しかし〈全額の幾分かは保留された〉というくだりは、アヘン購入資金が融資される段階で東京の大蔵省に利益をピンはねされたという意味であることは想像できる。文書はつづく。

〈他方では上海並びに中国の都市に於て売られた阿片の売上金の大部分は東条内閣の補助資金、及議員への補助金に割当てられる為東京に送られた。それは公然の秘密であり、そして幾らかの本国内の日本人も又この東条内閣の名うての政策に反対して居た事は周知の事であつた〉

問題はこの〈東条内閣の補助資金〉や〈議員への補助金〉が何を指すかだが、簿外の内閣機密費や国会議員に配る裏金の類と考えるのが普通だろう。

ただ、梅思平ら「傀儡南京政府」旧幹部も金の行く先を特定する資料は持っていないらしく〈(宏済善堂の会計簿を捜索すれば、略々其の痕跡を発見し得可し)〉と付け加えている。

■日本と中国との「密約」

宏済善堂とは、上海の「阿片王」里見甫が運営していたアヘン取引のための会社である。次に登場する盛文頤は、その里見のアヘン取引の中国側パートナーだ。文書はさらに興味深い事実を明らかにしていく。

〈盛文頤の言に依れば、利益支配の状況は極秘にして、東京と直接の来往に依つたのであると。即ち在華日本側機関も又、其の詳細を知る由が無かつた。維新政府(=汪兆銘政権ができる前の日本の傀儡政権)は税款(=税金)の極少を得るのみ〉

つまり文書が言わんとするのは、金の行く先はすべて東京で決められ、旧南京政府がアヘンで受けた利益は〈極少〉に過ぎなかったということだ。

こうして中国のアヘン問題は1943年冬にいたるまでまったく改善されなかった。が、同年12月、南京、上海、杭州そのほかの都市で学生たちがアヘンを売る店やアヘン窟を打ち壊す示威運動を起こした。それを契機に中国国民の日本のアヘン政策に対する反発も強まった。

文書は、このときの日本軍の対応をこう述べている。

〈しかし日本の軍隊は敢へて之に干渉しなかつた。結果として、日本政府は、南京政府が、“阿片の利益は蒙疆自治政府の主なる財源である”といふ事実を考慮する条件の下に於ては、もし中国が戦前の阿片禁止法案を回復する事を望むならば、中国を助けるといふ意思を表示して経済顧問を南京政府へ派した〉

要約すると、アヘンの利益で蒙疆政府の財源分だけ確保できるなら、中国側がアヘンの取り締まりを厳しくするのをサポートするというふうに日本側の態度が変わったということだ。

文書はこの〈急変〉について〈三つの事実らしき理由が発見された〉としてこう述べる。

〈第一に、東条内閣は秘密の目的又は政治的目的に阿片の利益を使用した事について、日本国内外の国民に依つて攻撃された。第二に、日本政府は中国国民の嫌悪を減少せんとした。第三の最も重要なる事実は当時の日本は中国の物資統制によつて阿片取引の十倍の収入を得てゐた〉

そのため政治的・軍事的支出の支払いのための基金に困ることはなかったというのである。

以上のような経過をたどって上海や南京のアヘン禍は次第におさまっていくのだが、ここで留意しておかねばならないのは、主な陳述者である梅思平が置かれた立場だ。彼は当時、日本に中国を売り渡した漢奸として責任を追及されていた。

アヘン問題で東条内閣が行った悪事を強調すればするほど彼の責任は軽くなる。そういう事情があるから、彼の陳述を何の裏づけもなく、すべて信用するわけにはいかない。

そこで東条政権とアヘンの関係について日本側で言及した文献はないかと探してみたら、あった。近衛文麿元首相の女婿で、秘書官でもあった細川護貞(細川護煕元首相の父)の『細川日記』(中公文庫)である。

細川は戦時中、陸海軍や政界の要人らから集めた情報をこの日記に綴っていた。その記述を追っていくと、東条はむろんのこと、彼の内閣の一員だった岸信介の金脈に関する極秘情報に遭遇することになる。

*参考:『資料 日中戦争期阿片政策』(江口圭一編著・岩波書店刊)

『週刊現代』2016年8月20・27日号より

数百億のアヘンマネーが岸信介の懐に流れた!?〜戦前史「最大のタブー」その真相を辿る
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49494
2016年08月28日(日) 魚住 昭 現代ビジネス

71年前まで公爵・近衛文麿の別邸だった荻外荘は、JR荻窪駅の南を流れる善福寺川のほとりにいまも残っている。

古びた門ごしに中をのぞいてみると、砂利敷きのアプローチが30mほど先で右に折れ、奥の玄関へとつづいている。周りは鬱蒼とした林である。

前回(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49404)ふれた細川護貞(細川護熙元首相の父)の『細川日記』(中公文庫)には、荻外荘の一室で護貞と近衛が密談する場面が何度も出てくる。護貞は近衛がかつて首相だったときの秘書官で、しかも女婿である。

太平洋の戦局が悪化の一途をたどる1943(昭和18)年10月、護貞は近衛に秘密の任務を与えられた。その任務とは、政財界や軍の動向などについてのディープな情報を集め、高松宮(昭和天皇の弟)に報告することだ。

近衛によれば、当時、戦争の見通しに関する正確な情報が昭和天皇にまったく届いていなかった。東条英機首相らが都合のいいことばかり上奏し、マイナスの情報を天皇の周囲からシャットアウトしていたからだ。

このままでは国が滅びかねない。それを防ぐには高松宮の耳に誰かが正確な情報を入れ、宮の口から天皇に伝えてもらうしかない。宮も「方々駆け巡って各方面の意見を聞いて来る者がいるといい」と希望したので、近衛は「年は若いが細川はいかがでしょう」と、当時31歳の護貞を推薦したという。

こうして始まった護貞の情報収集活動の一部始終を記録したのが『細川日記』である。

結局、東条内閣は翌'44(昭和19)年7月、内閣の一員だった岸信介の”叛乱”が決定打になって瓦解する。それから約2ヵ月後の9月4日の『細川日記』にこんな記述がある。

〈伊沢多喜男(元警視総監)氏、父(細川護立)を訪問され、「岸は在任中、数千万円少し誇大に云へば億を以て数へる金を受けとりたる由、然もその参謀は皆鮎川(義介。日産財閥の総帥)にて、星野(直樹。東条内閣書記官長)も是に参画しあり。結局此の二人の利益分配がうまく行かぬことが、内閣瓦解の一つの原因でもあつた。これについてはさすが山千の藤原(銀次郎。東条内閣国務大臣)が自分の処で驚いて話した」と〉

文中の〈此の二人〉が鮎川・星野を指すのか、岸・星野、あるいは岸・東条を指すのか、今一つ判然としない。が、いずれにせよ、岸が今の貨幣価値で数百億円相当の裏金を受け取ったという途方もない話である。

戦後の1959(昭和34)年、衆院予算委で野党議員からこの話について追及された岸は憤然として反論している。

「事実は全然そんなことありません。/私はいかにもそれが事実のごとく書かれておるということの良心を疑いたいと思う」

私は岸の言を信じたい。国の存亡がかかった戦争の最中に巨額の裏金を懐にするような政治家がいるはずがない。が、『細川日記』をさらに読み進んでいくと、私の確信は揺らぎだす。護貞は、東条退陣から約3ヵ月後の10月14日の出来事を克明に記している。

■謎の多い裏金ルート

この日、護貞は近衛、鳩山一郎(後の首相)、吉田茂(同)らとともに深川に〈海の猟〉に出かけた。風が強かったため猟はできず、地元の海産組合長の家で雑談して時を過ごし、その帰途、永田町の吉田茂邸に近衛、鳩山と3人で立ち寄った。

そこでの雑談で鳩山が「白根宮内次官が東条を礼讃している」と言い出し、〈一体に宮内省奥向に東条礼讃者あるは、附け届けが極めて巧妙なりし為なり〉として具体例を挙げた。

〈例へば秩父、高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物、衣服等の御土産あり、中に各顧問官夫々のイニシアル入りの万年筆等も交りありたりと。又牧野伯の所には、常に今も尚贈り物ある由〉

そのうえで鳩山が〈東条の持てる金は十六億円なり〉と述べると、近衛は〈夫れは支那に於てさう云ひ居れり、主として阿片の密売による利益なり〉と言って共謀者の名まで挙げた。

護貞は「自分も何かの会合で、東条は10億の政治資金を持つと聞いた。先日の海軍懇談会でも、ある大佐が昨今の東条の金遣いの荒さを語っていた。あるいは多少の誇張もあろうが、東条は多額の金をもっているようだ」という趣旨の感想を述べ、最後に鳩山の〈斯の如き有様なれば東条復活の危険多し〉という言葉を日記に書き留めている。

この10月14日の記述は、かつての独裁者・東条がその権力の座を維持するために意外なほど濃やかな気配りをしていたことと、そのために湯水のように金を使ったことを物語っていると考えて差支えないだろう。

では、その資金は、彼が自由に使えた内閣機密費ですべて賄われたのか。それとも別ルートからも調達されたのか。護貞は2日後の10月16日、さらに驚くべき情報を記す。

〈朝、川崎豊君(帝国火災保険支配人)を訪問、談たまたま東条に及びたるに、彼は昨年中華航空にて現金を輸送せるを憲兵隊に挙げられたるも、直に重役以下釈放となりたることあり、是はその金が東条のものなりしを以てなりとのことにて、以前より里見某なるアヘン密売者が、東条に屡々金品を送りたるを知り居るも、恐らく是ならんと〉

つまり上海の「阿片王」里見甫から東条への秘密資金輸送が中華航空により行われていたというのである。事実とすれば禍々しき事態である。

しかし、読者に留意していただきたいのは、『細川日記』の記載の大半は、情報源が政界や財界の要路にある者とはいえ、また聞きだということだ。もしかしたら間違いや誇張がたくさんあるかもしれない。

そこで私は例によって『細川日記』の信憑性を判断する資料を探しに出かけた。それらしきものはすぐ見つかった。歴史学者の粟屋憲太郎さんらがまとめた『東京裁判資料 田中隆吉尋問調書』(大月書店)だ。

田中は元陸軍省兵務局長。戦後、多くの旧軍人たちから「裏切り者」「日本のユダ」と罵られた男である。

『週刊現代』2016年9月3日号より

(阿修羅投稿コメントより)

2.    2016年8月29日 18:18:29 : w7SikJBrCI : DM3x@Az4RSM[127]
>近衛によれば、当時、戦争の見通しに関する正確な情報が昭和天皇にまったく届いていなかった。

これには異論があって、バーガミニ「天皇の陰謀(Japan's Imperial Conspiracy)」によると、敗色濃くなって戦争責任を心配しだした天皇と木戸内府は①「天皇は何も知らなかった」ことにするための大規模な文書捏造を行った、(その最たるものが近衛の首相在任3年間の日記だった)②ポツダム宣言受諾からGHQ進駐までの2週間に日本中の証拠となる文書を焼却する、という歴史改ざんを行った、とある。

バーガミニはそれを暴くために、7年かけて日本で焼却を免れた資料はもちろん米国側の情報(日本の通信は暗号解読されていた)までも解読して本書を著した。
例えば、東京裁判で、東条が「天皇に背いたことなどない」という有名な証言をした時、これは「天皇が何も知らなかった」という主張に矛盾する証言だから、木戸は脅したりすかしたりして、東条の家族の生活は保証する約束で証言を撤回させた。

いいだももの翻訳は、出版事情(ページ数、価格)を考慮して原著のBibliography,notesなどを省略しているが、それを確かめるには原著を読まねばならないが。
秦郁彦はこの本が誤訳や、誤解が幾つかあることを理由に、「トンデモ本」と決めつけているが、問題はどのような「誤訳」や「誤解」であるかが重要で、重箱の隅をつつくような枝葉末節を誤解したからと言って全体の価値がなくなるわけではない。秦の言いがかりのような気がする。

日本の現代史はかなり根本のところで捻じ曲げられているのかもしれない。日本人は最も自国の歴史を知らない国民なのかもしれない。マスコミ、出版業界のせいで。

【大場注】
秦郁彦(はた・いくひこ)は元官僚の歴史学者であるが、どういうわけか岸家、安倍家同様山口県「田布施町」出身なのである。

(以上、転載終わり)

関連記事
岸信介とアヘン王の関係を追う〜密売で儲けた「数兆円」はどこに消えた?(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/senkyo210/msg/759.html
岸 信介 - 佐藤栄作 ー 安倍晋三   CIAの手先家系図秘話
http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/890.html
CIAに取り込まれてスパイになった岸信介と孫はKCIAの手先に安倍晋三
http://www.asyura2.com/13/senkyo143/msg/199.html
法治国家を崩壊させた吉田茂と岸信介ー(植草一秀氏)
http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/840.html
岸信介のDNAはヤバイ 安倍政権が続けば国は滅びる (日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/563.html

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【大衝撃】天皇陛下の「生前退位」ご意向の意味とそこから派生する皇室某重大事案

-都知事選、やはり不正の疑いあり参院選、仏ニーステロ事件など取り上げたい事が多くある中、どうしてもこの「天皇生前退位」問題を取り上げないわけにいかない。板垣英憲氏文にもあるとおり、この問題は憲法改正と密接に関係するのだ。だからNHKが第一報を流した後、安倍、菅は憮然たる表情でノーコメントとしたのだ。この報道には改憲を急ぎたい安倍政権筋が一枚噛んでいるとの見方もあるが、それはないと思う。明治以前は普通だった生前退位だが、明治制定の皇室典範により認められなくなった。これは薨去まで天皇の地位にあり続けることによって「現人神(あらひとがみ)」として神格化させる仕掛けなのである。生前退位を認めてしまえば天皇は一つの役職に過ぎなくなり、再び天皇を現人神・神格化させたい安倍ら日本会議・神社本庁カルトは目算が大きく狂うこととなる。ということはやはり、今上陛下の御意志が強く働いての今回のリーク報道だったということなのだろうか。下に引用するコメントでは、政府は皇室典範改定の作業を既に進めているとのことだが、この作業は憲法改正に先んじて行うべきものでゆうに数年かかるとみられ、つまり安倍の総理在任中は改憲は出来ないということらしい。今後の推移を慎重に見守る必要があるが、やはり今回のリークは護憲の思い殊更に強い今上陛下の意を汲んだごく近い筋からとみるのが妥当なのではないだろうか。さてそういうまじめな論議は、関連記事として掲げたリテラ文などをじっくりお読みいただくとして。今上陛下退位となると必ず浮上してくるのが浩宮皇太子殿下以下の皇位継承者問題である。つまり現皇室典範は「男系継承」しか認めていないから、浩宮→秋篠宮→悠仁親王となるわけである。さてそこで問題なのが秋篠宮家だ。これは何年も前からユーチューブ動画にもアップされているが、秋篠宮は皇后の子ではあっても今上陛下の子ではない、という噂が絶えないのだ。皇太子は陛下と似ているところがあるが、秋篠宮は2人にまったく似ていないし体型も違う。以前から宮家らしからぬ言動もまま見受けられた。秋篠宮は40歳前後で髪が真っ白くなったが、同宮自身も出生の秘密を知り人知れず苦悩していたのだろうか。どう言うわけか安倍ら日本会議カルトはその秋篠宮を天皇に担ごうと躍起らしいが、彼らとて同宮が皇統を受け継がない血筋かもしれないという秘密を知らぬはずはあるまい。知っていて担いでいるとしたらまさに逆賊だ。 (大場光太郎・記)-

71013

天皇陛下の「生前退位」ニュースの背後に、平和を願う天皇陛下と憲法改正を急ぐ安倍晋三首相と確執説あり(板垣 英憲)
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/528.html
投稿者 笑坊 日時 2016 年 7 月 15 日 08:18:13
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/2e7a2b55400ae81632c7430453b07b45
2016年07月15日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆〔特別情報1〕
 「天孫人種六千年の歴史」を誇る「万世一系の天皇制」を揺るがす大激震が起きている。「天皇陛下が生前退位の意向を示されていることが13日、政府関係者への取材で分かった」と共同通信47NEWSは7月13日午後配信したニュースが、日本国内のみならず、世界を駆けめぐり、多くの人々を驚かせたからだ。宮内庁の山本信一郎次長は13日夜に取材に応じた「そのような事実は一切ない」と否定、安倍晋三首相、菅義偉官房長官は14日午前、「コメントは差し控えさせていただきたい」と話している。だが、このニュースの背後に、平和を願う天皇陛下と憲法改正を急ぐ安倍晋三首相と確執説がある。天皇陛下にごく近い筋は「安倍晋三首相の陰謀だ。天皇陛下は、憲法改正に反対されており、安倍晋三首相を快く思っておられない。このため、安倍晋三首相は、天皇陛下を生前退位させて、皇太子殿下に皇位を継がせて、思い通りにしたい」と警戒感を示し、野党関係者のなかには「皇室典範には生前退位は規定がなく、改正しなければならない。憲法改正の前に皇室典範を改正しておく必要があり、時間を要するので、憲法改正を阻止しようとする意図が感じられる」という説もある。諸説紛々だ。  (転載終わり)

(阿修羅投稿コメントより)

6.    2016年7月15日 09:31:10 : SWpf9B0huY : mB@kMMFW31c[1]
〉「安倍総理は天皇陛下を退位させ皇太子殿下を即位させたい」
これは違うと思います。今上陛下と同様に、皇太子殿下も事あるごとに「日本国憲法を遵守します」とおっしゃっておられます。安倍総理とその支持派(日本会議)は、「護憲派」を公言している陛下と皇太子殿下をまとめて「排除」しようと考えていたのではないでしょうか。そのために「摂政制度」を利用しようとしていた事を察知し、陛下の意向を組む側が先手を打ってきた、という事ではないかと思います。

8.    2016年7月15日 10:35:49 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-9221]
Domestic | 2016年 07月 15日 06:46 JST
生前退位、年内にも骨子案

http://s1.reutersmedia.net/resources/r/?m=02&d=20160715&t=2&i=1145468459&w=644&fh=&fw=&ll=&pl=&sq=&r=PN2016071501001047.-.-.CI0003
生前退位、年内にも骨子案

 政府は、天皇陛下が生前退位の意向を示されていることを踏まえ、早ければ来年の通常国会で皇室典範改正を含めた法整備を行う方向で調整に入った。現行の皇室典範には生前退位の定めがないための措置。今年12月23日の天皇誕生日をめどに骨子案をまとめたい考えだ。政府内で杉田和博官房副長官をトップとする極秘の担当チームを6月に設置し、検討を始めていた。有識者会議も発足させ、意見を聞く方針だ。複数の政府関係者が14日、明らかにした。

 皇位継承や皇族の範囲などを定めた皇室典範には生前退位の規定がなく、実現するには新たな法整備が必要となる。

〖共同通信〗

10.    2016年7月15日 19:21:01 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-9208]http://jp.reuters.com/article/idJP2016071401002143

Domestic | 2016年 07月 15日 19:09 JST
お気持ち表現、慎重検討

 天皇陛下が自ら近く公表される方向で調整している生前退位へのお気持ちを巡り、その内容や表現について「退位」という言葉を使わないなど、天皇の政治関与を禁じた憲法に抵触しないよう、宮内庁を中心に慎重な検討が進められていることが15日、政府関係者への取材で分かった。

 宮内庁関係者は、お気持ちの内容を「自身が象徴としてどうあるべきかといった考えを示すものになるだろう」と指摘。1989年の即位以降、国内外で重ねた公務への考えや姿勢を伝える一方、法改正などが必要な退位といった具体的な言葉で対応を求める表現は控えるとみられる。

〖共同通信〗

http://jp.reuters.com/article/idJP2016071501002199

71012

<皇室>天皇陛下「生前退位」意向 数年内に譲位:「そうした事実一切ない」=宮内庁幹部は報道否定:秋篠宮→悠仁絡み?
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/467.html
投稿者 あっしら 日時 2016 年 7 月 14 日 01:28:28

(以下同投稿コメントのみ)

4.       中川隆[3263] koaQ7Jey 2016年7月14日 06:24:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3614]

天皇はどうしても秋篠宮一族だけは天皇にしたくないから生前退位しようとしたんだな:

世間の噂:

秋篠宮文仁  

みなさんこんにちは 

もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)

その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください

美智子妃殿下   秋篠宮様の父は誰でしょう?
「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150830

秋篠宮様の父親はだいたいわかっているみたいだけど、関係者が撹乱情報を流していたね:

秋篠宮 (文仁) 殿下が、天皇実子でないという噂は、関係各位に根強く伝承されている。

噂の出所は、天皇一族の警護、護衛を主務とする皇宮警察。 皇宮警察と言えば、警察官の中でも選りすぐりの良血者で構成されている機関だが、良血と言っても所詮は田吾作集団。

酒が入れば、口も軽くなり、同期生が集まれば、ここだけの話が、あっちこっちで交わされるのである。

「ここだけの話だが、秋篠宮が、天皇の本当の子供でないってこと、お前知ってるか?」 ここだけの話の一つが、それである。

それが酒席の冗談で終わらなかったのは、それなりのバックボーンがあるからだ。

遡ること四十数年、昭和天皇の后や、后の取り巻き女官たちから陰湿なイジメを受けた美智子妃殿下 (当時) は、精神に深いダメージを受け、那須の御用邸で一人寂しい静養生活を送っていた。

生まれついての貴種である前の皇后にとって、平民出身の美智子妃殿下の一挙一動作がしゃくの種。 子供 (浩宮) の育て方に始まって、手袋の持ち方一つにもアヤをつけたのである。

悩み多き貴婦人の警護を担当していたのが、若き偉丈夫の皇宮警察官。 深い同情が恋情に変わり、いつしか二人は恋に落ちたというのが、まことしやかな警察物語である。

そして、皇太子 (当時) と没交渉の筈の妃殿下に、懐妊のニュースが流れることになる。 

道ならぬ恋の噂は、宮内庁首脳にも届いている。 だからと言って、出産を止める手だてなどあろう筈もない。 そこで代々の宮内庁長官に、一つの言葉が引き継がれることになった。 

「皇位継承者は浩宮の血脈から ・・・」 と、である。

秋篠宮 (文仁) 殿下は成長するにつれ、天皇一族とは明らかに異なる特徴を見せつける。 体型、思想、行動の全てである。 皇太子や、黒田清子さんが、一目で陛下のお子さんだと分かるのに比べ、秋篠宮の体型は似ても似つかぬものがある。

それよりも何よりも、ナマズの研究にかこつけて、タイ女性にうつつを抜かしたり、祖父である昭和天皇の喪が明けぬ内に結婚を決行するといった傍若無人の精神性を露出する。 挙げ句の果てには、兄である皇位継承一位の皇太子を、公然と批判したりするのである。

「文仁殿下は、血の秘密を知っているに違いない」 の呟きが宮内庁首脳から洩れる。

そうとしか理解できぬ異常行動が多すぎるのである。

菊のカーテンの奥に潜む機密事項が、小泉総理にもたらされたのは、今から一年以上も前になる。

雅子妃殿下の病状が思わしくないこと。 おそらく、お子さんは愛子内親王お一人でありましょう。

「だからこそ、皇室典範を改訂し女性天皇、女系天皇への道筋をつけて戴きたいのです」 さもないと、神武天皇以来続いた万系一世の貴種は、今世をもって終焉するかも知れません。万が一にも秋篠宮家に第三子が誕生し、それが男子であったなら ・・・・・・・

流石の小泉も、菊の秘事を耳にして腰を抜かさんばかりに驚いたという。

当時は、郵政政局真っ盛りの頃、政局に破れ退陣するようなことにでもなれば、郵政もさることながら、皇室が大変なことになるのである。

結果、総選挙に大勝し、郵政を片づけた小泉内閣は、早速大事案である皇室典範の改訂に取りかかる。 平沼赳夫のように、小泉憎しで反対音頭を歌うのはどうでも良い。 何としてでも片を付けてみせると決意を固めた矢先である。

秋篠宮紀子妃殿下が十一年ぶりに懐妊したとのニュースが日本全土に配信される。 長兄に男子が出来ぬなら、作って見せようの気構えかどうかは別にして、皇室典範事案の帰趨が大問題になっている矢先の懐妊である。

このことが万々歳でないことは、美智子皇后が突然体調を崩されたことからも察することが出来る。

馬鹿なマスコミは、目出度さ一色の報道を繰り返すが、目刺しの頭も信心からと言う事態になるやも知れないのである。

日本には、触れれば血が出る、死人が出ると言われる世界が三つあった。 同和、総連、それに菊の紋所である。 特に菊は、タブー中のタブー、同和・総連が小泉改革で崩壊しても、菊に関しては批判めいたことが何一つ言えないという風潮がまかり通っている。

だから今回は、署名投稿で秘中の秘、禁断のエリアに踏み込んでみた。 その場を与えてくれた、論談編集者に礼を言いたい。
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060208-3.html


5.       中川隆[3265] koaQ7Jey 2016年7月14日 06:57:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3616]

「生前退位」意向示されたのは5年ほど前

天皇は今は認知症だけど、5年前はまだ大丈夫だったから、認知症が理由で退位したいという話ではないね。

やはり天皇の実子ではないと噂されている秋篠宮の子供を天皇にしたくなかったんだろうな :

やはり、天皇は認知症かも。 2016-01-30 13:19:55

フィリピン訪問の映像ですが。
陛下は認知症のようです。

Welcome Ceremony for Their Majesties The Emperor and Empress of Japan
https://www.youtube.com/watch?v=5cq9REapoj4

この映像の35分過ぎから、陛下が親書にサインされるシーン。
サインされて立ち上がり、皇后さまにも・・・と、何度も促される様子。
皇后さまは困惑、拒否され、周囲もニコニコはしているけれど、困惑されている様子。
最後は椅子とテーブルの間を通って退場。
随行されている方々の表情は凍り付いています。

国賓としてのお振舞には見えませんでした。
天皇としての威厳もオーラもそこにはありませんでした。

(以下省略)     (以上、転載終わり)


関連記事
明仁天皇の「生前退位の意志表明」は安倍政権と日本会議の改憲=戦前回帰に対する最後の抵抗だった!(リテラ)
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/501.html
天皇陛下の生前退位「憲法改正を阻止するため」「政府の陰謀」などの説が浮上
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/495.html
用意周到に仕組まれた天皇の「生前退位」意向説流布の背景と意味を読み解く
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/505.html

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【水爆実験大騒ぎ安倍政権の茶番】横田めぐみは、朝鮮の李王朝と天皇家の後継者として計画的に拉致され金正恩の母親となった!?

-拉致問題では蓮池透氏(拉致被害者家族連絡会元副代表)から「安倍は大嘘つき」と大暴露をされ、慰安婦問題では「最終的、不可逆的解決」になにやら暗雲が漂い出したちょうどその矢先(講談ならばここで講釈師が張り扇叩いてデデンデンデンと大きな調子が入るところ・笑)、金正恩将軍様の北朝鮮がドデカク水爆実験をぶちかましてくれた。毎度おなじみのお陰様・北朝鮮様々で、笑いをかみ殺し苦虫噛み潰した体で「今回の暴挙はとうてい容認できない」とワンパターンのコメントを発した詐欺師安倍とは裏腹に、正直者の中谷防衛相などは「すわっ、朝鮮有事で我が軍の海外派兵実現間近!」と喜色満面の体で官邸内を走り回っていた。今回転載する内容は知らない人には驚愕の事実かもしれない。しかしかつて石原慎太郎もポロッと漏らした事があり、もちろん最重要国家機密を一手に握っている安倍晋三以下安倍一派もみな知っている事だろう。知っていて知らんぷりして拉致問題・ミサイル発射・水爆実験などと大騒ぎして国民に「北の脅威」を煽っては政権維持、支持率上昇、防衛費増大などにつなげているのだ。何から何まで犯罪的なのが安倍&安倍一派なのである。旧日本軍の残党が建国しかつ横田めぐみさんが正恩将軍の生母である国が、日本や東京を火の海にするはずがないではないか。もし仮に近未来核ミサイルが日本のどこかに着弾したとすれば、東アジア発第3次世界大戦のトリガーを日本に引かせたい米CIAのシナリオだということである。 (大場光太郎・記)-

175

【注記】転載文には画像が入っていませんので、文中適宜画像を挿入しました。


横田めぐみさんは、朝鮮の李王朝と天皇家の後継者として計画的に拉致され金正恩の母親となった。
https://www.facebook.com/notes/553584364745398/
フェイスブック(桐沢凛々子) 2014年7月4日 14:47


金正恩の恩は、すでに後漢時代の許慎の『説文解字』において、「恵(めぐみ)」という意味だと解説されていた。

横田めぐみ さんが北朝鮮の工作員によって拉致された理由は、母親の早紀江さんが皇族の血筋を引いている為であることは一部ではよく知られている事実だ。横田早紀江さ んは、明治維新からの近代皇室に繋がっているのではなく、長州の田舎侍たちによって断絶させられた北朝系の天皇の血筋なので、とびきりの貴種といえる。い たいけな少女をわざわざ拉致してくるのにはそれ相応の事情がある。金正日の妻にして金正恩の母親である横田めぐみさんは、今や北朝鮮の西太后として絶大な る権威を有していると思われる。

http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/826.html

 

1392年から1910年までの約520年間27代続いた李氏朝鮮。

その朝鮮王朝最後の李 垠(り ぎん)皇太子に嫁いだのが

元日本の皇族(梨本宮方子女王)である李 方子(り まさこ)皇太子妃です。

 

李 方子さん→(娘)横田早紀江さん→(娘)横田めぐみさん→(息子)金正恩氏

 

横田めぐみさんには朝鮮王朝の血が流れている(日本の皇族の血もですが)。 もし噂が本当であれば北朝鮮はその血統が欲しかったからめぐみさんを拉致したのではいうことになります。

17

夫:李 垠(り ぎん)さん

妻:李 方子(り まさこ)さん

 

1907 年(明治40年)に李 垠さんは10歳?で大韓帝国の皇太子となる。 数ヵ月後日本に渡りその後は学習院に入学した。1910年(明治43年)の日韓併合のあと、1920年(大正9年)に2人は結婚(今でいう政略結婚)。 方子さんが自分の婚約を知ったのはなんと新聞の報道だった。(Wikipediaより)  方子さんは、祖国を離れて東京赤坂の邸宅で暮らす夫を支えた。

171
(左:李方子様 右:横田早紀江さん)

早紀江さんは李方子皇太子妃の娘といわれている。単純に考えると朝鮮王朝と日本皇族の血が1/2ずつ。

夫の滋さんは日本銀行に勤めていたからこそ皇族の血をひく早紀江さんと結婚できたのではないか?(まだ裏話があるかも)

李方子さんと早紀江さんの写真ですが、似ていますね。


176
(※ すぐ下の本文でいう写真とは違うと思います。)


めぐみさんの写真は2枚貼りました。 めぐみさんは李方子さんの孫であり横田早紀江さんの娘ということになります。 朝鮮王朝の血のクォーターですね。 めぐみさんの大人になった写真は父親の滋さんの面影もあるように見えます。

173


172
(※ 横田めぐみさんと金正恩、そういえばどことなく似ているような気もする?)


父親は金正日、母親は横田めぐみさん、

名前の「正」は金正日の正、「恩」は横田めぐみさんの 恵 からとったと言われています。この血筋がゆえに、彼が北朝鮮のリーダーになったのでしょうね。

 

写真1,2枚で「似てる」と騙されっぱなしだったりして…。

 

【李 垠さん、方子さんの結婚と子供、敗戦後の2人について】

あ る医師の判断では「方子さんは子供が産めない体質(世継ぎができない)」ということで好都合だと李王朝に嫁がせたが、結果的には男子を産んでしまい赤ん坊 のうちに暗殺されたと数年前読んだ覚えがある。最初の息子は亡くなったが、その後男子2名(既に他界)、女子1名(横田早紀江さん)が居るようだ??

 

http://brownpapa.blog.so-net.ne.jp/2012-08-18

実 は朝鮮総督府にとっては方子様と李垠の間に子が授かった事は都合が良いことではありませんでした。 朝鮮総督府を実質支配していた日本の陸軍は日本の皇室 典医を通して方子様が子供を産めない身体だと確認したから李王朝の皇子と成婚の運びとなったのです。 この時点で朝鮮総督府内の陸軍参謀の一部が李王朝の 断絶を目論んでいたのは明らかです。 しかし、実際には二子をもうけたのです。 診断した日本の皇室典医は自殺したそうです。

 

http://goldbook.ashita-sanuki.jp/e606396.html

(短く編集しています。)

結果的に方子さんは結婚2年後に王子を出産。名は晉(チン=しん)と命名。

朝鮮側の強い要望により、生後8ヶ月の赤ん坊を連れて夫妻は初めて1923(大正11)年日本から朝鮮に渡る。 明日日本に帰国するというお別れの晩餐会の後、部屋に戻ると赤ん坊が青緑色のものを吐いており、3日後に死去。 これには日朝双方の暗殺説がある。

 

その後、公式には男子を2人産んだ事になっていて(2人とも既に他界)、女子は記録にない。 ところが、昔から皇族では女子は「員数外」であって、嫁入り 先にも困るので、こっそり尼寺に入れちゃったりするわけです。 京都には無数の尼寺があって、そういうのって、たいてい皇族と関係があったりする(早紀江さんは京都生まれ)。 で、この李方子さんが産んだ女の子が、あの横田めぐみさんの母親である「横田さきえ」さんだ、という説です。

 

さ て李夫妻の話に戻りますが、終戦後の1947年(昭和22年)2人は日本国籍を喪失した(無国籍)。 私が思うに、戦争で負けた日本による韓国併合は振り 出しに戻り、日本も韓国もアメリカの影響を受け始めた。 李夫妻は大韓民国の初代大統領・李承晩の反日政策により韓国への帰国を拒否され続ける。 李承晩 大統領は1910年の日韓併合に反発し、朝鮮独立運動家として活動後、アメリカへ亡命した過去を持つ。 そのアメリカのバックアップもあったように思われ るが、終戦時に韓国に帰国し初代大統領となった。 (この大統領も同じ李さんなのですが、「王族の分家」で「1948年5月の初代総選挙」で大統領に就任したようす。)

1963年(昭和38年)の朴正煕大統領時代に李夫妻はようやく韓国への帰国を果たした。 生活費は韓国政府から支出された。

 

李方子さんは夫の死後も韓国で障害児の援助や福祉に力を注ぎ学校も設立している。 韓国国民からは「韓国の母」と呼ばれている。 62歳から87歳で亡くなるまで、方子さんの四半世紀は福祉一色だったそう。

http://blogs.yahoo.co.jp/poyanko2007/66049925.html

 

「金正恩の妹の金予正と横田めぐみの娘の恩慶は同一人物?「正」は正日の、「恩」はめぐみの子供の印?」

(抜粋)

3月18日の「拉致被害者の横田めぐみさんの娘キム・ウンギョンさん(26)と、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)第1書記の実妹、予正(ヨジョ ン)氏は同じ大学に通い、同じ政府機関の部署で勤務していたとみられる」との報道は来るべきコペルニクス的転換の予兆である。二人が同一人物であること (つまり横田めぐみが金正日の妻であり彼らの子供がジョンウンとヨジョン=ウンギョンである)が報道され、彼ら三人家族が北朝鮮の皇室として姿を現す日が 近いと想像する。夫の金英男は単なる警備要員で、死んだはずの正日が実は生きていて姿を現し四人家族になるかもしれない。彼らが日本語で大日本帝国の正義 の為に北朝鮮人民と帝国陸軍残置諜者が協力して戦ってきたという歴史の真実を語る時、一般の日本人は衝撃を受け、GHQのwar guilt information programから覚醒するだろう。

 

ジョンウンの正しい漢字表記が「正恩」であることが公表されたのは2010年10月1日。かつてこのブログのコメント欄で教えていただいた通り、 正日の「正」とめぐみの「恩(辞書によればめぐみと読むことがある)」の二人の子供であることを示したものだ。その妹とされる金汝貞(キム・ヨジョン)は 予正という表記を朝鮮中央通信が使用している。父の「正日」から「正」の字を引き継いでいるのだ。

 

そして、横田めぐみの長女とされるヘギョンは2011年秋の結婚の際に本名がウンギョン(恩慶)であることが明らかになっている。「恩」の文字が 入っているのは母のめぐみ(恩)から引き継いだものだろう。金汝貞(キム・ヨジョン)=金予正は1987年9月26日生まれ。キム・ヘギョン=ウンギョン (金恩慶)は1987年9月13日または3日生まれで、誕生日も非常に近い。13×2=26であることは二人が同一人物であることを示唆している。現在金 汝貞(キム・ヨジョン)=金予正と報道される女性はキム・ヘギョン=ウンギョン(金恩慶)とは顔が少し違う様だが影武者だろうか?

 

北朝鮮の金正日(キムジョンイル)の息子正恩(ジョンウン)が体制を引き継いでいますが、その正恩(ジョンウン)の妹・予正(ヨジュン)と拉致された横田めぐみさんの娘とされる恩慶(ウンギョン)は同一人物ではないかという仮説です。

 

となると正恩(ジョンウン)の実母は横田めぐみさんです。高英姫(コヨンヒ:在日二世)が実母と公表されています。

 

この説は飯山一郎というこれまた有名な妄想系ブロガーが2年前に唱えています。

 

http://grnba.com/iiyama/

 

◆2014/03/17(月)  鳴り物なしのアヤしい「ご対面」

横田早紀江さん 「今は話せない」

横田早紀江さんは、今回の「ご対面」の対話内容は、永久に話さないだろう。

 

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横田夫妻とヘギョンさんがモンゴルで「ご対面!」というニュースについて、鷲はココにコメントを書いた。

たしかに、今回の「ご対面」は異様である。

 

本来なら政府・マスコミが前宣伝し、カネ太鼓を鳴らして「手柄」を吹聴するものなのに、な~んか後ろめたい感じで、何日か経ってから、思い出したように発表する。この発表の仕方は、アヤシい。なんかヘンだ。

 

この「アヤしさ」の理由は…、

一つ、(米国や中国に)知られたくない「日朝の密約」。

二つ、知らせたくない「めぐみさんの“今”」。

三つ、「今は話せない」めぐみさんの“過去”(の栄光)。

 

上の三点について、簡単にコメントしたい。

 

“密約”とは…。

北朝鮮は大日本帝国の「残置国家」なので、今も(皇室・政府・政界・財界・官界は)様々な「パイプ」を保持している。この「パイプ」の中核が今回はモンゴルで極秘のバルブを開いた…。

 

“めぐみさんの今”とは…、健康状態と精神状態と国家的な地位である。これが横田早紀江さんが言う「今は話せない」理由だ。

「“今は話せない”めぐみさんの“過去”(の栄光)」とは、鷲の著書:『横田めぐみさんと金正恩』に書いてあるとおりの過去の栄光である。

 

三つ目の件に関しては…、

「ウンギョンさんの夫と娘が同席。めぐみさんの夫(?)である金英男氏は同席していなかった」という情報で、ピン!ときた方が多いと思う。

 

金英男という男は、めぐみさんを監視し警護するための諜報員で金正日の特殊諜報部隊の隊員だった。その「使命」が完了したので今回モンゴルに来なかったのは当然なのである。

 

いずれにしても…、

「めぐみカード」は、米国と中国を排除し、日朝が協同して爆発させる!

これが今回の(北朝鮮主導の)「日朝密約」の要点である。

 

http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941

 

 

[板垣英憲情報局]横田めぐみさんが金正恩の母親であるという噂の信憑性が高くなってきた

 

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=62817

竹下雅敏氏からの情報です。

これは驚くべき情報ですが、内容が詳細で、その場に立ち会った個人的な人物名が明記されているため、確かな情報だと思います。ますます、横田めぐみさんが金正恩の母親であるという噂の信憑性が高くなってきたという気がします。

(竹下雅敏)

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板垣英憲情報局(有料の無料部分)

転載元より抜粋)

 

北朝鮮にいる横田滋、早紀江夫妻の「奇跡的」発言と「安堵感」あふれる表情に込められた真実とは?

───────────────────────────────────

 

◆〔特別情報①〕

北朝鮮による日本人拉致被害者の横田めぐみさん(拉致当時13歳)の父、滋さん(81)と母、早紀江さん(78)が3月24日、東京都千代田区の日本外 国特派員協会で記者会見し、モンゴルの首都ウランバートルにあるモンゴル政府の迎賓館で孫娘の金恩慶(キム・ウンギョン)さん(26)と面会したときの様 子を明かした。夫妻の表情は、実に明るく、笑顔に満ちていた。その「安堵感」あふれる表情は、一体何を意味しているのか? これは世界支配層(主要ファミ リー)筋の情報である。

横田滋さん、早紀江さん夫妻は3月10~14日の間、実質3泊4日の日程でモンゴルの迎賓館2階で、金恩慶と夫、その長女で曾孫(2013年5月に生ま れ10カ月)と初めて面会した。めぐみさんの夫と言われてきた金英男(キム・ヨンナム、韓国人拉致被害者)さんも同席した。その後、みんなで3階に上がっ ていくと、何と、めぐみ(朝鮮名・金恵慶=キム・ヘギョン)さんが待っていた。涙の再会である。積もる話は、尽きない。みんなで集合写真も撮ったという。

この場には、日赤の田坂治・国際部長、朝鮮赤十字会の李虎林事務総長、外務省の小野啓一北東アジア課長、北朝鮮外務省の劉成日課長(日本担当)らが同席した。

◆〔特別情報②〕

横田滋さん、早紀江さん夫妻が17日午前11時半から、神奈川県川崎市の自宅近くの集会所で記者会見した際、「夢のような時間が実現した」「本当に奇跡 的な事で大きい喜び」「めぐみの生存への確信は全く揺らいでいません」とコメントした言葉が、そのことを示唆していたのである

この記事には英語版があります:

(転載終わり)

【補足】
 (どこか忘れたサイトの情報)

 梨本宮方子様(李方子様)は、明治以降の偽皇室の流れではなく、それ以前の北朝系の「正統な皇統」の流れのお方のようです。泉パウロという陰謀論(とは、不都合な真実を知られてはまずい筋がそう名づけた)で有名な牧師が、横田早紀江さんに「皇室との関係」を聞いたことがあったそうです。早紀江さんは一部でそういう情報が流れている事は知っていて、「とんでもない。私は普通の人間ですよ」と否定したそうです。(「はいそうです」とは口が裂けても言わないでしょう、それは。)

 事実上北朝鮮を建国したのは、特務機関・中野学校のエリートだった畑中理(はたなか・おさむ)だったといわれています。大陸・半島に日本・日本軍の勢力を温存するためです。表は初代・金日成の国家のように見せかけて、実質は「金策」と名を変えた畑中が実権を握っていたといいます。そして金正日は日成の子ではなく、金策(畑中)の子だったというのです。

 日本もどの国々も、教科書で習った近代史などみな嘘っぱちだったということなのでしょうか?


【おまけ画像】

Photo
(このISクソコラ、海外では「ISIS(アイシス)ちゃん」バージョンと共にバカ受けだったらしい。)

関連記事
『官邸の中を走り回るパフォーマンスを見せた中谷防衛大臣の無能さ加減  天木直人(新党憲法9条)』
http://www.asyura2.com/16/senkyo199/msg/317.html
『“北朝鮮”水爆実験  ネオコンと安倍官邸を後方支援(世相を斬る あいば達也)』
http://www.asyura2.com/16/senkyo199/msg/316.html
『「戦略見えない」 安倍政権の拉致交渉に蓮池透氏怒り爆発(日刊ゲンダイ)』
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/484.html
『横田めぐみちゃんは生きています』
http://blogs.yahoo.co.jp/tt23vd8m/12342028.html

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【美しくない戦前日本】天皇家は邦人女性数十万人を売春目的で海外に売り飛ばし巨大蓄財の足がかりを得た

-(今や英国ロスチャイルドなどの筋書きだった事が明らかになりつつある)明治維新以降の日本は、「欧米列強に追いつき追い越せ」をスローガンに猛烈に西洋式近代化を押し進めた。そしてそれは見事な成果となって表れ、短期間で欧米列強が警戒するほどの国力・軍事力を築いた。その強力な求心力となったのが、西洋式立憲君主制に倣った「天皇ハ神聖ニシテ犯スヘカラス」(大日本帝国憲法第三条)とする近代天皇制なのだった。その絶対君主的天皇家に、「光に闇が添うように」あまりにもおぞましい「負の側面」があったのである。欧州などに性奴隷として売られていった女性たちは「からゆきさん」、米国に売られた女性たちは「あめゆきさん」と呼ばれたが、こんな鬼畜の所業で蓄財していった天皇家に対する敬愛の心など、少なくともこの私は消し飛んでしまった。やはり明治天皇に成りすました長州田布施部落出身の大室寅之祐は、それまでの皇統とは縁もゆかりもないただの朝鮮渡来系だったのではないだろうか、とさえ思えてくる。この人身売買を昭和天皇も引き継ぎより徹底化したわけで、「何が美しい戦前日本だ!」という話である。それとこの件で指摘すべきは福沢諭吉の関与である。福沢が現1万円札に描かれているのは学問上の功績によるものではなく、天皇家及び三菱・三井旧財閥に巨利をもたらした貢献によってではないだろうか?自伝文学の白眉は、海外では『フランクリン自伝』そして日本では『福翁自伝』と言われている。私は高1で『フランクリン』を高2で『福翁』を読みどちらも大感激したのだったが、フランクリンは「人食いサタニスト」片や福沢は「売春目的人身売買提案者」で、ともに唾棄すべき人物だったわけである。もし慶応大学在学生や同大学OBの方がこれをお読みになれば私以上にショックを受けられることだろう。この情報が真実か否か、ご自身で徹底的に探求されることをお勧めする次第である。 (大場光太郎・記)-

【注記】
  同一テーマで阿修羅掲示板に『この人を見よ _ 人間の屑  福沢諭吉のした事』(2011年4月30日)というより完全な版があります。かなりの長文なので、今回は『オルタナティブ通信 2007年05月02日』からの転載としました。
『この人を見よ _ 人間の屑  福沢諭吉のした事』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/485.html

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天皇=売春業者

http://alternativereport1.seesaa.net/article/49608120.html
オルタナティブ通信 2007年05月02日

1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社、日本郵船が創立される。
明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。
そこで福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」という指示を天皇に与える。賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。(福沢諭吉全集 第15巻)

1900年初頭から天皇の命令の下、「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」という宣伝が日本全国で大々的に行われた。日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた。
天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。
大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員であれば10数年分の給与を手に入れていた。
その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。
その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の売春業者であった。
天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。これが従軍慰安婦の原型である。

日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設する。渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する「売春業参加のお礼」として建設された。
(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。

また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。

こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で
1億ドルを超えると記録されている。国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していた。
戦争中、全ての日本人は餓死寸前の中、軍需工場で「無給」で重労働を行っていた。そうした重労働と日本人男性=軍人の死によって戦争によって得られた賠償金を、国民のためでなく自分の私的財産として天皇は着服し、密かに蓄財していた。
また日本軍が朝鮮、中国に侵略し、朝鮮人、中国人を殺害し略奪した貴金属は、天皇の経営する日本郵船によって日本に運び込まれ、日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」という巨大な壷に蓄財された。中国、朝鮮から略奪された貴金属、そして賠償金=侵略戦争は天皇の個人的蓄財のために行われていた。
この問題を調査したエドワード・ベアは、「天皇一族は金銭ギャングである」と吐き棄てるように語っている。(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)

1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族は、この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、海外に蓄財を「逃し」始める。天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、スイスに850万ポンド、ラテンアメリカに1004万ポンド等、広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、
天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念する。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5~10億ドルに上るとしている。(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)

広島、長崎に原爆が落とされ膨大な死傷者が出、戦後日本をどのように再出発させるかを考えなくてはならない時期に、天皇はひたすら自分の蓄財を守るため数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。
日銀の地下金庫からは、莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され、アルゼンチンの銀行そしてスイス銀行まで遠路運搬されていた。

中国では日本に逃げ戻るための船舶が無く、逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数強姦殺人され子供が殺害されている最中、天皇は貴重な船舶を独占し、自分の金塊を遠路アルゼンチン、スイス等に運び出していた。
天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など何も考えていない事は明白である。(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」マルジュ社)

なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは何故なのか?
敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?

天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行く。天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンである。
そしてここでも「何故か」CIAと天皇は「共同経営者」である。

天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を「移し」始めるが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。
天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族の蓄財を隠していた。天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であった。(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ 及び、濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)

1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった。
天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、
1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。

「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」

この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。
天皇一族は神でも「象徴」でも無く、人間のクズの集団である。


追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語るのがジャーナリストの仕事である。天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。

(転載終わり)

関連記事
『アメリカ建国の父の一人、ベンジャミン・フランクリンは人食いサタニストだった!』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-6ff8.html

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明治維新は長州藩内通のメイソン偽革命、今日のメチャクチャニッポンの原因はザビエル日本上陸にあった!

-「僕たちが教わってきた歴史はみんな嘘っぱちなんだ」 (byマイケル・ジャクソン)-

 今回は、船井幸雄氏と太田龍氏という異色の顔合わせとなる『日本人が知らない「人類支配者」の正体』という対談本を抜粋転載しているサイトからの再転載です。

 お二人ともすでに故人となられましたが、船井氏は、わが国で初となるコンサルタント会社一部上場を果たした船井総研の設立者、というより私などはわが国スピリチュアル界の牽引者だったことにおいて懐かしい人です。

 船井幸雄氏については、ブログ開設年に『東京ビックサイト』(6回シリーズ)、昨年の逝去時に『船井幸雄氏の遺志を引き継ごう!』記事を出しています。『東京ビックサイト』シリーズは、スピリチュアルリーダーとしての船井氏がもっともパワーのあった今から20年ほど前、お台場の東京ビックサイトを会場として「FUNAIフォーラム」が開かれ、当時スピリチュアル界で名の通った人たちが結集し、参加者も何万人にも上った、そのときの模様を述べたものでした。

 船井氏は、大川隆法の霊言本と並ぶくらいギネス級の冊数となる本を出しています。200冊ほどになるでしょうか。私も『エゴからエヴァへ』『未来へのヒント』『百匹目の猿』など20冊ほど持っています。(「大川隆法の霊言本」ですか?一冊も持ってません!初期のもの2、3冊読みましたが、アホらしくなってとっくに捨てました。)

『船井幸雄氏の遺志を引き継ごう!』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-9f00.html

 また太田龍氏は、戦前戦後の若い頃共産革命を目指した革命家で、のちにフリーメイソンやイルミナティや反ユダヤ研究で第一人者だった人です。

 私はつい2ヵ月ほど前、イルミナティの概略を知るのに欠かせない太田龍氏監訳による『イルミナティ 悪魔の十三血流』を、当市図書館経由で藤沢市図書館から取り寄せてもらいました。厚木図書館の係りの女性から「他市図書館からお借りした本ですので、期日までに必ずお返しください」と念を押されたにもかかわらず、なにぶん600ページ以上の分厚い本で、時間が取れない上、近年の遅読も重なり、2回くらい催促がありましたがしぶとく粘り、2週間ほどオーバーして漸くほぼ読了させました。

 「これは是非」と、その読後感をまとめたものを記事として出す予定でいましたが、今もって出せていません。それこそ「日本人が知らない「人類支配者」の正体-イルミ十三血流」について、綿密に調べ上げて書かれた力作です。911以前の発行ですが、今日でも必要とされる情報満載といっていいでしょう。

 なお船井幸雄氏は、だいぶ以前、「私は黒田如水(黒田官兵衛)の生まれ変わりだ」と言っていたと記憶しています。黒田如水は豊臣秀吉の軍師でその天下取りに大きく貢献したわけですが、船井氏が一代で船井総研を築いた才覚、パワーはやはり只者ではありません。

 船井氏逝去の昨年のNHK大河ドラマが『軍師官兵衛』だった事に不思議な暗合を感じます。同大河ドラマは高視聴率だったようですが、今年の大河『花燃ゆ』は稀に見る低視聴率で、安倍へのゴマすりで長州藩を美化しようと試みた籾井NHKは頭を抱えているようです。

 (なお転載文中に画像を挿入させていただきました。)

 (大場光太郎・記)

日本人が知らない「人類支配者」の正体http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi033.html

船井幸雄 太田 龍 


ビジネス社 2007年10年

 【イルミナティに徹底利用された長州藩の正体】

10287
(故・船井幸雄氏)

船井(幸雄) 少し話が脱線しますが、岸信介や安倍晋太郎・晋三が出た土地は、大室寅之祐(=すげ替えられた明治天皇)が出たというあたりとほとんど同じところだといわれています。

伊藤博文などもその辺に近い出身の人です。

岸・佐藤栄作、安倍系の政治家についてはそのことも知っておく必要があります。

10288
(故・太田龍氏)

太田(龍) 大室寅之祐は今の山口県・田布施町という所の出身です。田布施町の周辺から実際、首相が何人も出ています。これは単なる偶然ではありません。

  最近、フリーメーソンの会員と自称している加治将一という作家が、『幕末維新の暗号』(祥伝社刊)という本を書いています。

彼は鹿島曻さんの『裏切られた三人の天皇』を読んで初めてこの問題に気がついたのです。そこに書かれていることを自分で調べて検証していくわけです。そうすると、明治維新というのは完全なフリーメーソン革命だということに気づくわけです。

船井 もうひとり、鹿島さんの友人だった松宣揚江さんという人も『二人で一人の明治天皇』(たま出版刊)という本を書いています。そういうことを皆合わせると、太田さんの説はやはり正しいようだ、と思います。

太田 長州藩が幕末からいまに至るまで強固な支配体制を維持している理由は、日本の政治では非常に異質な「忍者・諜報」機関が背後にいたということだと考えられるのです。そんな国家は日本には他に存在しませんでした。

  それは英国というかヴェネチアの国家に非常によく似ているのです。国家の中心が諜報機関なのです。そういうふうなシステムが毛利藩に継承されていきます。というのは長州をつくった毛利元就(1497~1571)は最初は小さな勢力でした。

ところが、いまの中国地方10力国を支配するような大大名にのし上がったのです。それはもっぱら諜報と謀略活動で大きくなったのです。豊臣秀吉も似ていますが、それとは違います。

  そのような性質を持った毛利藩が関ヶ原の戦で負けて小藩になります。しかし諜報機関は維持されて、「忍者集団」になります。そのトップが「上忍」で、「中忍」「下忍」などのシステムができあがります。そういうシステムこそ英国の国家、諜報機関、フリーメーソンと非常に相性がよかったと思われるのです(笑)。

  そして公然と孝明天皇を弑逆して息子の睦仁天皇も殺す、それを平然と行なうわけです。しかも、すり替えして隠蔽しきるという、日本のなかでは異質な手段を用います。
 
そういうところでは、薩摩は長州の敵ではありません。グラバーの世話で長州の伊藤博文以下5人がロンドンに留学します。

1028
薩摩も同じようにグラバーを通じて続々とヨーロッパに留学して、そこでフリーメーソンになって帰って来た人物がたくさんいます。しかし、権力の中枢は長州藩にあって、薩摩のほうは下位に過ぎなかったのです。

  しかも、長州の諜報機関、忍者集団出身の権力中枢の連中は、薩摩を蹴落とすために分裂させるわけです。大久保利通(1830~78)と西郷隆盛(1827~77)を分裂させて、西郷派を一掃すると、薩摩の勢力は半分くらいなくなってしまいました。

さらにその次は、大久保利通を消してしまうのです。大久保を暗殺したのは島田一郎という加賀藩の人物でしたが、その動きは長州側が察知していて、彼を泳がせて大久保を暗殺させました。だからその主犯は木戸孝允と伊藤博文なのです。これは鹿島さんが書いています。

  そういう諜報と謀略能力は、長州のほうが日本の他の藩とか勢力に比べて段違いに勝っていたのです。しかし、そういう諜報能力と謀略の力は英国のフリーメーソン、イルミナティのレペルと比べるとはるかに劣っているので立ち行かなくなってしまいます。

 【西郷隆盛は明治天皇すり替え事件を知っていた】

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(西郷隆盛の「本物」と思われる写真。311直後、偶然にも福島県いわき地域の神社・仏閣で発見された。理想化されているとはいえ「明治新政府」は今日まで残されているおなじみの肖像をなぜ西郷と偽って流布させたのか?機会があれば記事にしたい。)

太田 薩摩の西郷隆盛は日本の侍の典型ともいえる存在です。たびたびフリーメーソンから誘われますが、西郷さんはそれを拒否します。そこで、言うことを聞かないために西郷さんを処分するようなシナリオが書かれて、実行されたのです。

  西郷さんは孝明天皇弑逆事件の前後についても、フリーメーソンの謀略であるということを知っていたのです。

もちろん大室寅之祐のすり替えの真相も知っていました。したがって西郷さんが政権を握ればそういう秘密が全部、日本国民に開示されてしまいます。

明治天皇と称する大室寅之祐についても、西郷さんは全然、恐れ入っていません。明治天皇は西洋の帝国主義の傀儡になってしまったわけですが、そういう天皇が邪魔をすれば切るだけだ、という趣旨の詩を書いています。

  だから西郷さんはなにも言わないで死んだけれど、沈黙して世を去った陰で明らかになっていないそうした心情というものは日本人に伝わっていて、それはいまでもつづいているのではないでしょうか。

船井 そうした秘密が封印されているし、それを日本人が胸中で感じるのでしょうね。だから、西郷さんは国民に人気があるのでしょうね。これは私にもわかりますよ。私も、もっとも好きな人です。

太田 西郷さんの出発点は島津斉彬(1809~58)に見出されたことにあります。島津斉彬という藩主は偉大な人物であり、藩主になった途端に異母弟との間に、確執・お家騒動が起こりました。

前藩主・島津斉興の側室であるお由羅が生んだ次男・島津久光(1871~87)を藩主にしようという強い執念をお由羅は持っていて、斉彬が藩主になったとき、斉彬を呪い殺すという秘密の呪術までさせたといいます。

  島津斉彬は50歳前で病気のため急死してしまいます。それは日本にとって致命的な損害というか損失でした。斉彬は西洋の勢力が日本に迫ってくる、それをはっきり認識したうえで、対抗措置と政策を体系的に展開して、薩摩に西洋式の産業とか軍事工場とかをつくって、日本の体制を立て直して、公武合体政策を推進しようとしました。

薩摩は代々、朝廷との関係が深かったのです。朝廷と武家が一致して強力に体制を立て直して、西洋の侵略に立ち向かわなければならないという姿勢をとりました。その当時の藩主でこのようなことを実行できる人は誰もいませんでした。

  この偉大な島津斉彬に見出されて、西郷さんは側用人になったのです。ところが、斉彬は病死してしまいます。これは日本にとって最大の損失といわれています。島津斉彬の後、藩主になった島津久光はお話にならないボンクラで西郷さんは冷遇され、何度も島流しにされてしまいます。

  内村鑑三は西郷隆盛を「代表的日本人」としていますが、まさしく西郷さんは代表的日本人です。明治10年(1877年)に西南戦争が起こったとき、西郷さんの4人の主要な部下のうち、村田新八(1836~77)という人はヨーロッパでかなり長い間勉強して、西洋のことを非常によく知っていました。

村田新八は次代の日本の最高指導者になるだろうと期待されていました。ところがその村田新八が西郷さんと一緒に鹿児島に帰って西南戦争で戦死してしまうのです。鹿児島に帰ってきたときは陸軍少将でした。

 【西郷隆盛はイルミナティから危険視されていた】

太田 西郷軍のなかには西洋のことをよく知っている人が何人もいたのです。だから、長州藩の背後にいたイルミナティやフリーメーソン、英国の諜報機関や外交機関などの勢力は、西郷を潰さなければいけないという狙いをつけていたのです。それで西南戦争に動員された政府の軍隊の規模は莫大なものでした。

莫大な西洋式軍隊をつくった資金はサッスーン財閥を通じて、東京の政権に対してあらゆる援助を与えたのです。だから西郷軍が戦ったのは東京の政権というより、背後にいる英国と西洋の軍隊だったのです。

  鹿児島ではこのような事情が、意識的か無意識的かは別として何らかの形で浸透しているのではないでしょうか。いまでも西郷さんは代表的薩摩人、鹿児島人であり、大久保利通のほうはまったく振り向きもされず、問題外なのです。

  しかし、長州と大久保一派がっくった歴史ではまったく逆になっています。「征韓論」論争がそれです。明治6年(1873年)に西郷が韓国を征服するという「征韓論」が出てきて、まず国内を固めることが先だという大久保一派と論争をして、西郷のほうが敗れたという具合に、今でも教科書に書かれています。

日本人はそういうふうに教えられていますが事実はそうではありません。

  大久保と木戸と岩倉などが欧米を回覧してきた「岩倉使節団」が同年(1873年)9月に帰国した後、西郷の征韓論を批判しました。

なぜ大久保と木戸の一派が強硬に西郷を韓国に派遣することを阻止したかというと、単に彼らの考えではなく、背後に英国・フリーメーソンの支配と指示があったからなのです。

  つまり、フリーメーソン・イルミナティの東アジアに対する基本的政策は、数百年来、中国と日本と韓国の3つの国を、絶対団結させてはならないという基本方針があったからなのです。

これはいまに至るまで変更されていません。西洋に対して、この3カ国をそれぞれ分裂させてお互いに争わせ、殺し合いさせ、憎しみを掻き立てる、そういうふうに分断するというのが基本方針です。

  この方針を知っていた西郷隆盛は、「自分は韓国に行ってよく話し合って、一緒に西洋と戦おう」と言いに行こうとしたのです。それができたら次は北京に行って、清国の政府とも話し合いたいと公言しています。
  そんなことは絶対許さないはずです。フリーメーソン・イルミナティからすれば、西郷隆盛はその当時におけるアジアのもっとも危険な人物だったのです。

「あらゆる力を行使して、西郷を潰せ」という彼らの命令を実行したのが大久保利通と長州勢だったのです。残念ながら、そういうことが鹿児島の人たちにはいまもってわからないのです。

【ザビエルの布教以来、日本はイルミナティの最終破壊目標】

太田 私は、フランシスコ・ザビエル(1506~1552)が1549年に日本に来て以降、一貫してユダヤ・イルミナティの日本に対する戦争は継続していると考えています。フランシスコ・ザビエルというのはイエズス会の創立メンバーの一人で、イグナティウス・デ・ロヨラ(1491~1556)につぐナンバー・ツーです。

ザビエルとロヨラが2人で相談して、ヨーロッパとアフリカと新大陸はロヨラが、インド以東アジアはザビエルが布教するというふうに協定したのです。

  日本人はザビエルという人物の正体というか重要性にまったく気づいていません。ザビエルはインドからマラッカ経由で日本に来ました。ザビエルの役割は単なるキリスト教の伝道師ということだけではありません。

彼はイルミナティの世界支配の将校、斥候というか将軍くらいの役割を持って日本に来たのです。

  日本に4年足らずいて、たちまち信者をつくっていったのですが、そんなことが目的ではなく、日本の値踏みをするというか、日本を徹底的に調べ尽くして、どのように処分するかという戦略を立てて、彼らの根拠地を日本につくることにありました。ザビエルは1年半かそこらでイエズス会の本部に報告書を出しています。

  「日本はヨーロッパと対等か、もしかするとはるかに優れた水準の文明をつくっている。しかもまったく付け込む隙のないような強力な軍隊を持っている、民族として団結している」という報告をしています。

  だから彼らにとって、日本は危険な存在だと見抜いたのです。そこで、日本人全部をキリスト教に改宗させ、精神的に彼らの奴隷にするか、それができなければ殺すしかないという選択に迫られたわけです。

日本を最終的に奴隷にするか、キリスト教徒にするには、南米とかアフリカでは部族を全部征服して、部族ごとキリスト教に改宗させることを強要し、集団洗脳しました。日本人は読書する能力もあり、そういうことはできなかったのです。

  そこで、文章による教育、布教が必要だと認識しました。そのため、宣教師は日本語を勉強して洋書のポルトガル語辞典をつくったりし、早い時期からさまざまな日本語を翻訳したりしています。このような文章による布教により、日本人の精神を洗脳するという戦略を行使したわけです。

  中国に対しては、日本よりはるかに大きな世界最大の国家ですから、これをどのように処分するかについて、ザビエルは中国にしばらく滞在して方針を立てて、報告書をローマ本部に送っています。

  そのとき以降、彼らの日本に対する方針は一貫しています。つまり、精神的に日本を日本人でないようにするための方針、アジアに対しては武力による侵略を行使するという方針を立てます。

最終的に、米軍が日本を占領して原爆を投下して、恐怖に陥れるわけです。アメリカや西洋の文化を押し付け、日本の歴史を否定し、頭脳を変えてしまいました。

  いまでもこの方針は続いています。精神的に心理的に、習慣・風俗・食べ物などすべてにわたって日本的なものを全部変えてしまうわけです。そして抵抗するものは排除します。

そういうふうにして日本に対する一貫した工作が行なわれているということを、日本人は知らなければならないと思うのです。

● ミニ解説 ●

  本書は、人類を支配していると思われるイルミナティや異星人などの「闇の権力」に関して、船井幸雄氏、太田龍氏が対談方式で語り合った内容がまとめられています。お二人の、よく整理された該博な知識には感嘆させられます。もちろん、実際の対談の後で加筆修正された部分も多いとは思いますが、これからの世の中の変化を占う上で参考になる情報が盛りだくさんです。

  しいて言えば、船井氏の発言の中で、私が「終末」と考えている今日の世の中のとらえ方や日月神示の解釈などについては、少し違和感を感じる点があります。

  また、太田氏の発言の中で「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの世界宗教は、イルミナティの人類支配のための道具としてつくられた」という内容は、おそらくデーヴィッド・アイクの説をベースにされたものと見られますが、私から見れば牽強付会の印象はぬぐえません。

ここでは、幕末に関する太田龍氏の発言のご紹介に留めました。関心のある方は本書を入手してご自分で検証してみてください。

(なわ・ふみひと)

日本人が知らない「人類支配者」の正体~船井幸雄・太田龍

(転載終わり)

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CIAの本拠地はスイス、同国を建国したのは近代悪魔組織の源流・テンプル騎士団?

11031

-スイスといえば、白雪をいただくアルプスと美しい湖のある国、永世中立の平和な国、アルプスの少女ハイジの国、時計など精密工業に優れた国など、どちらかというと良いイメージの国である。しかし今回の転載文によれば、そういう見方は暗黒勢力にとって思う壺なのらしい。そういえばスイス、特にジュネーヴには末尾に転載するとおり国際機関が異常に多いのである。首都でもない人口わずか18万人に過ぎない都市になぜこんなにも多くのイルミ国際機関が集中しているのか?もっと早く気がつくべきだったのだろうが、「彼ら」は気づかせないためにも世界中にスイスの好イメージを振りまいてきたわけである。分けても驚くのは、「CIAの本拠地はスイス」という今回のテーマである。えっ、あの“世界的広域暴力組織”の本拠地はアメリカでしょ?それがどうも違うらしい。CIAは戦後日本を占領したGHQの情報局が発展して出来た比較的新しい組織というのが通説である。ついでに裏話をすれば、その創設資金はGHQが押収した旧日本軍の退隠蔵物を本国に持ち帰って換金した(今の時価換算で50兆円)一部が当てられ(退隠蔵物隠匿取締りの日本手先が今の東京地検特捜部)、1955年の自由民主党設立は売国スパイ岸信介ら経由でさらにその一部の援助金に拠るものだった。しかし私たちが知るCIAは米国支局のようなもので、本拠地はあくまでもスイス、そしてその淵源は何と、今日のすべての悪魔組織の源流とされる(十字軍遠征時結成の)テンプル騎士団にまで遡り、スイス建国(1291年?)の40年後にはもう創設されていたという驚愕の話なのである。 (大場光太郎・記)-

11033


CIAの本拠地はスイス
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1925395.html
大摩邇 18:17   
日本や世界や宇宙の動向さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51955492.html

<転載開始>
やはり。。。。スイスが!という感じです。何しろスイスには多くの著名人、独裁者、企業家、銀行家に好かれている国です。彼らはスイスを第二の故郷にしているのでしょう。
スイスだけがどうして戦争もなく平和であり続けるのか。。。スイスは世界で唯一の中立国として侵略されず、主権も犯されず、テロの被害にも、災害の被害にも遭っていませんし、金融危機も起きません。
しかもヨーロッパの中心部に位置するのに。。。何の民族紛争もありません。
また、戦前、スイスには国際連盟の本部があったようですし、戦後は国連の様々な機関がスイスに置かれています。
なぜ、このようにイルミナティの多くの機関がスイスにあるのか。。。どう見てもおかしいのです。
そのため、スイスには何かあるなと思っていました。私は個人的にスイスはあまり好きではありません。景色も美しく、犯罪も少なく、汚染されておらず、平和的でとても素敵な国だと観光客は思うでしょう。
でもスイスは何か近寄り難い独特の雰囲気があります。
そのような奇妙な雰囲気がある理由は、一般のスイス人のせいではなく、スイスがイルミナティのための天国として建国されたからなのかもしれません。
それにしても、何百年も前にCIAが結成されたことや、スイスが彼らの本拠地だった事は、本当に驚きです。
つまりCIAはアメリカの諜報機関ではないということです。アメリカはCIAの支局が置かれている国だったのです。
CIAはまさにグローバル集団であり、NWOの象徴です。
そういえば、数週間前に、アメリカのCIA本部が一時閉鎖されていましたが、フルフォード氏は、その理由をCIA本部が捜査され、複数のCIA職員が逮捕された、と説明していましたが。。。たとえ本当にアメリカのCIA本部が捜査されたとしてもトカゲのしっぽ切りでしかないということが、これで分かります。フルフォード氏の情報は
50%は正しくないと言わざるを得ません。気を付ましょう。
まあ、彼は中国大好き人間ですから。。。

http://beforeitsnews.com/alternative/2015/03/1-most-censored-story-in-the-world-10-reasons-switzerland-is-home-to-cia-central-intelligence-agency-3130940.html

(概要)
3月31日付け:
スイスがCIAの本拠地です!
11035

11034

以下の情報は2014年12月21日に初めて出版された著書「Greenland Theory: Apocalypse Now」及び関連サイトに投稿された記事に基づくものです。ここではスイスとCIAの関係について明かされており、非常にショッキングな内容となっています。スイスに本部を置くCIAによる数世紀にも渡る世界的戦争犯罪を終わらせるために、この事実が明かされなければなりません。

Truther.orgのデービッド・チェイサー・テイラー氏によると:

ヨーロッパの中心に位置するスイスはCIAの本拠地です。CIAはHoly Sea=Holy C(聖なる海)という偽名の下で活動しています。CIAは、約755年前にスイス連邦(Confoederationis Helveticae )が建国されて40年後に創設されました。
演繹的推理を基に、スイスがCIAの活動拠点であると考えられます。スイスのバーゼルにあるBIS国際決済銀行へのお金の流れを見れば分かります。この銀行は秘密裡にCIAの活動資金を供給しています。
スイスはCIAを匿っている世界で最もユニークな国です。
スイスとCIAは世界中で絶えず暗殺、テロ攻撃、戦争を内密に起こしています。そのため、スイスではそのような騒乱は一切起きません。。
つまり、スイスは世界的な騒乱の嵐の目なのです。スイスは、過去500年以上、金融危機も、テロも、戦争も起きていません。結局、CIAの指揮下で活動しているテロリストらは、世界中でブラック・オペレーションを実行した後、静かで安全な逃げ込み場所に戻る必要があります。
さらにテロリストらは、誰からも告発されないように安全な場所に逃げる必要があります。スイスは国際的にも中立的な立場をとっていますから、彼らが逃げる場所としては最適です。このような理由から、悪名高い銀行家、海賊、テンプル騎士団やオーダー・オブ・セントジョンと呼ばれるテロリスト集団などは、スイスに逃げ込むのです。
CIAは世界各国の諜報機関や軍隊を指揮・支配しているため、彼らこそが世界的な暗殺、テロ、戦争の首謀者なのです。スイスは世界中で思うがままに政治的、軍事的作戦を行えますので、スイス・アーミー・ナイフの概念はここから由来しています。
スイスは傭兵隊員で有名ですが、傭兵とは、CIAが暗殺やスパイ活動を実行するために、外国陸軍、政府、法廷に戦略的に配備した隊員のことをいいます。しかし99%のスイス人は彼らの国がCIAの本拠地であることを全く知りません。

スイスがCIAの本拠地となった理由:
1. ヨーロッパの中心に位置する。
2. 世界で唯一の中立国である。
3. 世界で唯一の主権国家である。
4. オニキス・インターセプション・システムの本拠地。
5. 聖なる海(Holy See )がある→(Holy C-I-A)
6. BIS国際決済銀行がある。
7. スイスの名前はChとSuisseでありCIAとSSと同じ。
8. スイスの国家的な記念日はスパイ神殿(Temple of Spies)の記念日と同じ日である。
9. スイスは独裁者と親密な繋がりがある。(例:ヒットラー、ムッソリーニ、金正恩など)
10. スイスを建国したのはテンプル騎士団とオーダー・オブ・セントジョンである。

以下省略

人口18万人のジュネーブに国際機関が集まる理由
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20080925-90005089-r25

(転載終わり)

11037
(戦闘に向かうテンプル騎士団)

11038
(イルミナティ国際機関集中都市ジュネーヴ)

(参考-ウィキペディア)

ジュネーヴに事務局・本部等を置いている国際機関には以下のものがある。

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