フォレスタの「カチューシャの唄」
フォレスタ カチューシャの唄
ここのところ『フォレスタコーラス』記事すっかりご無沙汰していました。が、最近、(以前フォレスタ記事によくコメントいただいた)東海林太郎様(改め高橋一三様)よりコメントあり、びっくりの情報が寄せられました。何と、中安千晶さんと吉田静さんが女声フォレスタから離れられるというのです。
東海林太郎様は「また新しい記事を」とそれとなく要請されました。というわけで、またぼちぼち『フォレスタコーラス』記事を再開したいと思います。
それにしても、昨年の白石佐和子さん、上沼純子さん、内海万里子さんに続いて、今回は中安さん、吉田さんまで活動休止とは。絶句です。お二人は同じ年で気も合う仲のようですが、いわば女声フォレスタの中核メンバーではないですか。
特に私は数年前、過去何度も述べたとおり、フォレスタ動画がユーチューブに大量アップされた折り、たまたま『フォレスタの「別れのブルース」』を聴き、しびれるほど感激し、速攻で女声フォレスタと独唱した吉田静さんの大ファンになりました。そんな私からすれば(中安千晶さんはもとより)「吉田静さんのいない女声フォレスタなんて」という感を深くします。(フォレスタコーラス最初の記事-『美しすぎる「フォレスタ」』参照)
本当に今後どうするんですかね、フォレスタは。と、つい要らざる心配をしてしまいます。
フォレスタファンで、中安さん、吉田さん活動休止をご存知ない方は、以下の『フォレスタ通信』中の「What`s News?」
2018-01-13 | 「FORESTAフォレスタメンバーについてのお知らせ」 |
「What`s News?」には別項目で「新女声メンバー募集」があります。中安さん、吉田さん2名の代わりとしてソプラノ、メゾソプラノ(アルト)各1名ということですが、それを読みますと「年間約70本のコンサート活動(地方・都内)、とあります。わぉー!ということは、月5、6回はコンサートということになります。スタジオ録画だけではないわけで、いかに全国からの要望が強いとはいえ、かなりの激務でしょう、これは。休止の5人はどうもこれを敬遠したのかな?と思わないでもありません。
ともあれ、創設メンバーで唯一残ることになった小笠原優子さん、そして新加入の財木麗子さん、谷原めぐみさん、池田史花さん、加えて募集中で未知のお二人にがんばっていただくしかありませんよね。
*
気を取り直して。フォレスタ記事再開の最初として『カチューシャの唄』を取り上げたいと思います。というのも、いつぞやの『ゴンドラの唄』記事末尾で、「女声フォレスタがまだ「カチューシャの唄」を歌っていないのは女声七不思議の一つです」というふうに、(当時はBS日テレフォレスタ担当の方がフォレスタ記事に訪問されているのを承知で)女声フォレスタが早くこの歌を歌ってくれるよう暗に催促したことがあったからです。(フォレスタの「ゴンドラの唄」参照)
『カチューシャの唄』については、10年余前既に「二木紘三のうた物語」中の『カチューシャの唄』にコメントしました。これは「同うた物語」2度目のコメントでした。そしてこれをきっかけに「同うた物語」各歌コメントに熱中し、引いては当ブログ開設にもつながったことを思えば思い出深いものがあります。以下に同コメントを転載させていただきます。
(転載開始)
2年ほど前、二木先生の「MIDI歌声喫茶」に初めてアクセスし、曲のカテゴリーを見てためらわずに「戦前歌謡曲」をクリックしました。そしてその中の曲名一覧をたどって心の中で小躍りしながら真っ先に聴いたのが、この「カチューシャの唄」でした。
私はいわゆる団塊の世代ですから、20代はフォークソング全盛、その後のニューミュージックの流れもだいたい分かっているつもりです。しかし、体内に「古い日本のDNA」を色濃く受け継いでいるのか、それとももう二度と戻ることのない古き良き時代へのノスタルジアなのか、年と共に古い時代の曲に惹かれるようになりました。
「カチューシャの唄」。掛け値なしに良い歌です。二木先生の演奏も素晴らしいです。
帝政ロシア末期の悲劇のヒロインが、この曲によって、遠く離れたわが国で、大正ロマン的意味合いをおびながら劇的に「復活」したということでしょうか。
当時の唱歌など皆そうですが、おそらく作詞、作曲された方々の精神性が高かったのでしょう。日頃の世事、雑事でとかく曇り、汚れがちな心が、聴くたびに浄化されます。
日本歌謡史のさきがけとなった歌に、最初にコメントできる光栄を感じつつ。
投稿: 大場 光太郎 | 2008年1月 5日 (土) 19時07分 (転載終わり)
「二木紘三のうた物語」中の『カチューシャの唄』より
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/05/post_23d9.html
実はこの歌の元となったトルストイ『復活』を一昨年読了しました。『復活』を読むのは私の中学時代からの宿題のひとつでしたが、以来55年ぶりくらいでやっと読み終えることが出来ました。そこでせっかくですから、読後感を記事にするつもりが、新潮文庫上下二冊の大作、どうまとめたものかと思案しながら結局記事化せず今日まで来てしまいました。
『復活』を読むにあたっての最大の関心事は、もちろんこの歌のヒロイン・カチューシャが実際どう描かれているのか、ということでした。
「ウィキペディア」『復活』の項が簡潔にあらすじをまとめていますので、以下に引用してみます。
(引用開始)
若い貴族ドミートリイ・イワーノヴィチ・ネフリュードフ公爵は殺人事件の裁判に陪審員として出廷するが、被告人の一人である若い女を見て驚く。彼女は、彼がかつて別れ際に100ルーブルを渡すという軽はずみな言動で弄んで捨てた、おじ夫婦の別荘の下女カチューシャその人だったのだ。彼女は彼の子供を産んだあと、そのために娼婦に身を落とし、ついに殺人に関わったのである。
カチューシャが殺意をもっていなかったことが明らかとなり、本来なら軽い刑罰で済むはずだったのだが、手違いでシベリアへの徒刑が宣告されてしまう。ネフリュードフはここで初めて罪の意識に目覚め、恩赦を求めて奔走し、ついには彼女とともに旅して彼女の更生に人生を捧げる決意をする。 (引用終わり)
これでもお分かりのとおり、メーンはネフリュードフとカチューシャの愛別離苦ストーリーです。ただそれとは別に、法廷での息づまる攻防の様子、劣悪な刑務所内部の状況、当時の帝政ロシア末期の農奴たちの悲惨な暮らし、それから搾取してぬくぬく贅沢三昧して生活している都会の上流階級の堕落ぶり、高位聖職者を中心とする退廃と信仰の矛盾点、当時勃興しつつあったロシア社会変革の夢に燃える若き社会主義活動家たちの様子、全囚人が徒歩でシベリアまで行く過酷さなどを克明に活写しています。世界的文豪・トルストイの代表作と言われるゆえんです。
なおこの物語は、知人から聞いた実話を元にトルストイが組み立て直したもののようです。カチューシャのモデルとなった女性は罪を犯し実際シベリア流刑となり、同女に対する若い頃の過ちの贖罪から共にシベリアに行った富裕な男性もいたものの、『復活』とは違って同女はかの地に着いてまもなく病死したようです。
『復活』というタイトルには、イエスキリストが十字架上で死し三日目に蘇った(復活した)という新約聖書の故事を想起させます。トルストイの念頭にそのことがあったのは確実でしょう。十代後半の頃の過ちを悔い改め、久しぶりで意外な場所で邂逅したカチューシャを、法的にも霊的にも救済しようとするネフリュードフ公爵の姿はイエスキリストの小型版のようでもあります。そして今では売春婦に身をやつしその上殺人の嫌疑で裁かれようとしているカチューシャは、新約の中で群集の石打ちの刑で殺されかけた姦通の罪を犯した女とも。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」・・・「誰もあなたを罰しなかったのか。私も罰しない。さああなたも行きなさい。もう二度と罪を犯すことのないように」(『ヨハネ福音書』より)
*

1 カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて淡雪 とけぬ間と
神に願いを(ララ)かけましょうか
2 カチューシャかわいや わかれのつらさ
今宵ひと夜に 降る雪の
あすは野山の(ララ)路かくせ
3 カチューシャかわいや わかれのつらさ
つらいわかれの 涙のひまに
風は野を吹く(ララ)日はくれる
4 カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて又逢う それまでは
同じ姿で(ララ)いてたもれ
5 カチューシャかわいや わかれのつらさ
ひろい野原を とぼとぼと
独り出て行く(ララ)あすの旅
1914年(3年)3月、島村抱月率いる劇団芸術座3回目公演として『復活』が舞台化され、その劇中歌として舞台で主演の松井須磨子らが歌ったのが『カチューシャの唄』なのです。
劇『復活』自体は、トルストイ原作のうち宗教的、社会的テーマはひとまず置いて、カチューシャとネフリュードフの悲恋物語に絞って上演したものです。これは泉鏡花の長編小説『婦系図(おんなけいず)』の内、大衆の圧倒的人気に応えてお蔦・主税(おつた・ちから)の悲恋物語『湯島の白梅』として再戯曲化したケースと類似しています。(フォレスタの「湯島の白梅」参照)

左から松井須磨子、(前)島村抱月、(後)中山晋平、相馬御風
『カチューシャの唄』。作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。歌詞は上掲載のとおり1番から5番までありますが、1番だけを島村抱月が作り、2番以降は1番をなぞる形で相馬御風が作ったと伝えられています。
また作曲した中山晋平としては、この作品が作曲家として初めて世に出した作品でした。当時中山は島村家に寄宿しており、島村から「学校の唱歌でもなく、西洋の賛美歌ともならず、誰にでも親しめ日本中がみんな歌えるものを作ってくれ」と指示されます。中山には無理な注文のように思われ、実際なかなか作曲が進まず思い悩んでいました。と、ある時、歌詞の合間に「ララ」という合いの手を入れることを思いつき、これが突破口となりようやく完成させることが出来たといいます。
こうして生まれた『カチューシャの唄』は劇中で松井須磨子らによって歌われたことは前述しました。劇上演成功により東京はもとより全国主要都市公演を重ねたこともあいまって、やがてこの歌は当時としては驚異的な大ヒットとなりました。この年の8月には松井須磨子吹込みによりレコード化もされました。
あまりの爆発的ヒットにより、各地の中学校、高等学校、女学校などでは風紀が乱れるなどの理由で、観劇及び歌唱禁止令が出たほどだったといいます。
まさに私の上コメントどおり、この歌は「日本歌謡史のさきがけとなった歌」なのです。ともあれ、かくも格調高い歌が今日に至るわが国近代歌謡曲のさきがけとなったことに私たちは誇りを持っていいと思います。

竹久夢二による『カチューシャの唄』楽譜表紙
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女声フォレスタによる「カチューシャの唄」。
歌うは6人の女声陣です。(画面左から)白石佐和子さん、内海万里子さん、上沼純子さん、中安千晶さん、吉田静さん、小笠原優子さん。この当時の女声フルメンバーです。
私は『ゴンドラの唄』でまた、ゴンドラ独唱の小笠原優子さんの独唱で『カチューシャの唄』も聴きたいと、図々しい注文をつけました。さすがにこれはお取り上げいただけませんでしたが、このコーラス編成でオーケー、というよりベリーグッド!です。
まず一番は6人全員によるコーラス歌唱、息がぴったり合っていていささかの乱れも見せていない見事なコーラスです。
続く2番は噂の中安千晶さん。こういう純情系叙情歌は中安さん、白石佐和子さんとともにお手の物、さすがはしっとり聴かせてくれます。そして3番は上沼純子さん。上沼さんもどちらかというと純情系が得意分野と思しく、しみじみ味わいながら聴かせていただきました。
そして4番と5番は再び全員による合唱。さすが全員音大卒らしい完成度の高いかつ大正ロマン髣髴の『カチューシャの唄』を聴かせていただいております。この歌にはうるさい余も満足じゃ、です(笑)。
既に見てきたとおり、このうちの5人が一時休止とはいえフォレスタを離れ、唯一小笠原優子さんだけが残られることになったわけです。中安さん、吉田さんとも、「フォレスタとして皆様とまたお会いできる日が来るまで」というようにご挨拶では述べておいでです。でも私の予感では、(寂しいことを言うようですが)お二人とももう戻られることはないのではないか、そんな感じがしてならないのです。
「カチューシャ可愛いや 別れのつらさ せめて又逢う それまでは 同じ姿で(ララ)いてたもれ」
お二人ともお元気で、今後ますます活動の幅を広げていってください。陰ながらいつまでも応援しております。
(大場光太郎・記)
参考記事
昔新聞・大正時代の記事|芸能 「カチューシャの唄」100年(朝日新聞デジタル)
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2014040900001.html
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