【 #新宿占拠0112 】大デモ 「安倍辞めろ」「自衛隊派遣反対」等を訴える その模様を大手新聞としては珍しく毎日新聞が報道 安倍退陣に向かって良い兆候である

-12日(日)、東京新宿をはじめとして全国主要都市で「安倍辞めろ」デモが行われた。これは自衛隊の中東派遣や桜を見る会をめぐる政府の不適切対応などに抗議して行われたものだが、最大のテーマは「安倍晋三首相の退陣」を求めるものだった。「 」と銘打った新宿デモは大規模で、主催者発表で5千人が参加したという。参加者の中には、下画像にもあるとおり、共産党の吉良よし子氏、社民党の福島瑞穂氏、作家の室井祐月氏らの姿もあった。とはいえ、このくらいの規模のデモは毎年都内で行われてきた。が、今回画期的だったのは毎日新聞がその模様を報道したことである。思えば、私も端くれとして加わった、戦争法案反対時の2015年「8・30国会前反対デモ」では12万人もの人々が国会周辺に詰め掛けた。その模様は国内メディアはもとより海外メディアも取材に訪れ広く世界中に発信された。その時も毎日新聞などは、空撮で、物凄い人で埋め尽くされた国会前の様子を映し出した。が、大規模デモ報道はここまでだった。官邸筋からデモ報道自粛の横槍が入ったのだ。その後はいくら国会前などで大規模デモを行おうとそれを取り上げる新聞・テレビは皆無だった。メディア各社への恫喝が功を奏したことに調子に乗り、反対デモなどまるで無視で、安倍政権は特定秘密保護法、共謀罪法、種子法廃止法などの悪法を片っ端から凶行成立させていった。それに即して言えば、今回の自衛隊中東派遣は国会審議、採決、成立という正規のプロセスすらなく、「閣議決定」だけで決められたのだ。安倍晋三レプ政権下では、民主主義など崩壊したに等しいのである。が、救いはやはり毎日新聞報道である。ちなみに毎日は、首相主催のメディア関係者会食には今後出席しないことに決めたという。それがまっとうな報道機関としてのあり方である。他の各社も自粛すべきである。そして国民が真に求める政治的報道に立ち返ってもらいたい。安倍様報道官の岩田明子を抱える犬HKもな! (大場光太郎・記)-

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【本日のツイート】  (順不同)

凡人エリック @No_Zey_2020 13時間前


これから新宿のデモ開始。思いを一つに。

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凡人エリック @No_Zey_2020 16 時間前


政権、国民、メディアがいずれも変わってほしい。政治は生活につながる。それだけに特に無関心国民は消費税をきっかけにするなど、身近なところから政治を見るようにしよう。





まさか吉良よし子さん達がいらっしゃっていたとは。
でもこうした議員の方や著名人が帯同すると非常に心強く感じる。
次回もこうした議員の方が一緒にやってくださることを期待したい。勿論安倍政権の総辞職が先になることを願うが。




集団的自衛権を行使できるように法律を改悪したバカ→ の罪は大きい!自衛隊の中東派遣は絶対反対!

 

自衛隊中東派遣「戦争に加担するな」 各地で反対デモ(朝日新聞デジタル)

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返信先: さん

最初の時点で集団的自衛権を止められなかったのがここにきて響いた格好ですね。やはり安倍首相は戦争できる口実を求めているのでしょう。自衛隊の中東派遣を議論なしで閣議決定することが許せないです。
私も今日デモに参加しましたよ。皆さんの熱い思いが伝わってくるように感じました。

宙(Sora) @GingaSora1 4 時間前

返信先: さん

戦争を知らない子供が、子供のまま大人になって戦争をしようとする愚かさです。

凡人エリック @No_Zey_2020 4 時間前

返信先: さん

そういう意味では、太平洋戦争敗戦時をはじめ、絶対に歴史を改竄してはならないし、戦争を知る人がしっかりと教育する必要があります。そして今の子供達がそれをさらに次代に託すようにしてほしい。

宙(Sora) @GingaSora1 4 時間前

返信先: さん

更に現憲法も詳しくは知らない感じをアベ政治に感じますね。そして個人の自由や幸福を追求する権利を重んじたり、戦争しない誓い立てた平和憲法が出来た経緯も知らないで口を開けば「改憲」です。

凡人エリック @No_Zey_2020 1月11日


もう出発したが、敢えて言おう。
自衛隊は本来日本を守り、災害対応までする部隊のはず。昨秋の台風被災地復興はまだ道半ば。
なのに中東派遣され、しかも原則武器を使った自己防衛はできない。もし死者が出た場合どうするんだ?
間違っても憲法9条のせいにはしてほしくない。 

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【74回目の終戦記念日】戦後74年で逆戻りか 真綿で絞められるような息苦しさ この国は確実に壊れている

-本転載の日刊ゲンダイ特集記事ははじめから終わりまでまったくそのとおりと共感できることはかりである。同タイトルの『戦後74年で逆戻りか 真綿で首を絞められるような息苦しさ この国は確実に壊れている』という今日的状況は、6年半余の安倍晋三政権によってそうなったわけだが、そういうことも含めて詳細は転載記事全文をご一読いただきたい。本日は「74回目の終戦記念日」ということもあり、ここではまったく別の問題を取り上げてみたい。

 他でもない。「昭和天皇の戦争責任」ということについてである。「昭和最大の名優」裕仁は、戦後呆けたような姿で国民の前に姿を現わし、裕仁は元から平和主義者で、軍部の圧力により日中、日米という先の戦争を嫌々ながら承認するしかなかった、いわば裕仁自身が先の戦争の犠牲者の一人だった、という説が広く流布された。御用学者、御用作家らがしきりにそう喧伝し、メディアがそう流し、戦前の裕仁の素顔など知る由もない国民はそれにまんまと騙されたのである。直近記事で見たように、しかし実態はまったく違うのである。戦後皇籍離脱した裕仁をよく知るある元華族某氏は、「裕仁は“戦争馬鹿ロマンチスト”だった」と証言している。大のナポレオン狂で宮中にはナポレオンの胸像を置いていた、ところが敗戦と同時にダーウィンの胸像に差し替えた、と。裕仁はまた大の海軍びいきで、宮中の御文庫こそが本当の大本営、日米開戦となった真珠湾奇襲攻撃はそこでナポレオンの戦略を元に裕仁自らが立案し中堅参謀たちに伝えたものだったことは既に記事にした。それに同戦争の巨大なマネーゲームも絡むのだが、裕仁は各海戦や各作戦にいちいち口出しし指示していたのである。東条英機は東京裁判で、「我々は陛下のご指示なしには何一つ動けないのであります」と証言した。それを聞いて慌てた裕仁は、キーナン主席判事らに宮中のいい女をせっせとあてがい、戦争犯罪人にならないための工作をした。終戦間際、米国からヨハンセングループを通じて「最初の原爆投下地を決めるよう」要請された時は、迷わず「広島」と答えたのも事実である。1945年7月、米国ニューハンプシャー州ブレトンウッズで戦後体制を話し合う会合がもたれた時、裕仁は日本代表として秘密裏に出席もしている。太平洋戦争自体完全な出来レースだったのだ。が、こう駆け足で見てくるだけで昭和天皇裕仁が超A級戦争犯罪人だったことは疑う余地がないのである。「昭和天皇は死刑になるべきだった」とは言わない。が、軍民合せて310万人もの犠牲者を出したのだ。何らかのけじめはつけるべきだった。例えば、昭和天皇は東京裁判判決直後にも天皇の座を降り、他の者に譲位すべきだったのではないだろうか。以下転載記事で厳しく指摘しているような問題が起きても誰も責任を取らない、「戦後日本の無責任体制」のそもそもは昭和天皇が作ったものなのである。 (大場光太郎・記)-

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戦後74年で逆戻りか 真綿で絞められるような息苦しさ この国は確実に壊れている(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/452.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 8 月 14 日 02:15:05

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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で献花する安倍首相(C)共同通信社
(※ 最近コヤツの顔崩れちゃってねえか?w)

〈白が黒と言われ、黒が白と言われ、上のものが下に置かれ、下のものが上に置かれはじめた時、その国は「乱れ」、民は幸福と安寧を失い、貧困と混沌を生きねばならなくなります。そしてまさに今の日本は、国は「乱れ」、貧困と混沌を生きることを余儀なくされています〉

〈こうした「乱れ」を正していく、最も強い力を持っているのはもちろん「政府」です。しかし、その政府自身が「乱れ」はじめては、もはやその国で、政治の力で民の幸福と安寧を取り戻すことなど、期待できなくなります〉

 内閣官房参与を昨年末退任した藤井聡京大大学院教授は〈壊れかけた日本〉と題し、こう書いていたが、今のこの国の姿はもはや「壊れかけ」どころか、「すでにあちこちが粉々にぶっ壊れている」といった表現の方が正しいのではないか。2012年の第2次安倍政権発足以降、戦前の軍国主義時代を彷彿とさせるような「乱れ」が当たり前になりつつあるからだ。

 最近の出来事で真っ先に思い浮かぶのが、学校法人森友学園の国有地売却をめぐる財務省の文書改ざん・廃棄事件だろう。大阪地検特捜部の不起訴を受け、大阪第1検察審査会は佐川宣寿元財務省理財局長ら10人を「不起訴不当」と議決。特捜部の再捜査が行われたものの、結局、結論は変わることなく終結してしまった。

■権力犯罪を許す特捜部は即刻、解体すべきだ

「再度の不起訴処分は極めて遺憾。非常に怒りを持っている」

 佐川元局長らを告発した阪口徳雄弁護士が会見で怒りをあらわにしたのも当然だ。財務省はなぜ森友に国有地をタダ同然で売却する契約を結んだのか。コトの経緯を記した決裁文書や報告書はなぜ改ざん、廃棄されたのか。誰がいつ、どういう理由で改ざんや廃棄を指示したのか。何一つ、明らかになっていないのだ。

 国有財産が毀損し、自殺者まで出るなど、戦後史に残る重大事件と言ってもいいのに、政治家も官僚も誰ひとりとして責任を取らない。これが犯罪に問われないのであれば、この先も政府や役所はやりたい放題。都合が悪いことが起きたら、関連文書をすぐに改ざん、廃棄し、後は組織を挙げて知らぬ存ぜぬを貫き通せば許されてしまうからだ。佐川元局長らを告発していた上脇博之神戸学院大教授はこう言う。

「今回の結論に沿えば、公文書変造・同行使や、公用文書毀棄といった罪は成り立たなくなる。森友問題を反省し、二度と起きないよう行政文書をきちんと残すべきというのではなく、むしろ積極的に隠す方向に向かいかねない。とても民主主義国家とは言えません」

 その通りだ。それなのに特捜部は「必要かつ十分な捜査をした」とオウムのように繰り返すだけ。どんな追加捜査をしたのかもサッパリ分からない。かつては「巨悪を眠らせない」と息巻いていた特捜部だが、今や権力犯罪の真相に迫るという本来の役割を放棄し、グウグウと高いびきをかいて眠る巨悪をやさしく見守る組織に成り下がった。権力者の顔色をうかがい、言いなりで動く組織であれば、即刻、解体するべきだろう。

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公権力が乱用された(C)共同通信社

■「アベ政治」の暴走を許せば行き着く先は戦争国家だ

 腐敗堕落の特捜部と同様、戦前の嫌な空気を感じさせるのが、開幕から3日で中止に追い込まれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の一件だ。

「ガソリン携行缶を持って美術館に行く」と脅迫文を送った愛知県内の男が威力業務妨害容疑で逮捕されたのは当然として、それ以上に深刻なのは、河村たかし名古屋市長が「日本人の心を踏みにじる」と言って展示中止を要求したり、菅官房長官らが芸術祭への補助金交付の見直しを示唆したりしたことだ。

 欧米では半ば常識となっている通り、現代芸術の作品は権力者を批判したり、賛否が分かれる社会問題をあえて取り上げたりするのが一般的だ。それぞれの立場や異なる視点で物事を考えさせるのが目的の一つでもあるからで、政府や権力者の意向に沿った作品の展示しか認めないのであれば、公権力による権力の乱用、表現の自由の侵害は言うまでもないし、独裁国家のプロパガンダ芸術と変わらなくなる。「表現の不自由展・その後」の中止にネトウヨは拍手喝采だが、「表現の不自由」が積み重なるほど、74年前の「いつか来た道」の時代に時計の針は逆戻り。いつの間にかジワジワと社会全体が真綿で絞められるような息苦しさを覚えることになるのだ。政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。

「安倍政権は、この6年半、特定秘密保護法や共謀罪を成立させ、集団的自衛権の行使も容認するなど戦争するための国づくり、つまり、戦前の軍国主義化の準備を着々と進めてきました。表現の不自由展をめぐる今の異様な空気、排外主義とも言うべき主張は、一連の『アベ政治』の流れから生まれてきたものであり、今の日本の政治状況が極めて危うい状況になりつつある表れとも言えます」

■対抗措置や非難の応酬で得られる成果はない

 泥沼化する日韓対立でナショナリズムをあおるような今の日本政府の強硬姿勢もまた、植民地戦争、支配を肯定させた大日本帝国の「大国主義イデオロギー」を思い起こさせる。侵略戦争による植民地拡大、膨張政策が始まった当時の日本では、「文明国である日本」と「野蛮な国であるアジア」の戦いという図式が公教育とメディアを通じて広められたが、今回の日韓対立でも〈日韓基本条約で解決済みの徴用工問題を取り上げる野蛮な韓国を日本が「ホワイト国(優遇対象国)」から除外するのは当たり前〉といった論評が目立つ。

 安倍首相も「日韓請求権協定に違反する行為を韓国が一方的に行い、国交正常化の基盤となった国際条約を破っている」などと“隣国憎し”の発言を繰り返しているが、対抗措置や非難の応酬で何か得られるのか。相手国に対して拳を振り上げるばかりでは問題が解決しないのは北朝鮮問題でも分かったはずだ。安倍が「対話のための対話はしない」と言って「圧力一辺倒」の姿勢を取り続けた結果、米国や中国、ロシアなどが次々と金正恩朝鮮労働党委員長と首脳会談を行う中で、日本だけが蚊帳の外に置かれた。今回だって日韓の対立が長引くほど、核やミサイル開発を進める北を利するだけということがなぜ、分からないのか。

 政府の「乱れ」を正すのは本来、メディアの役目だ。「冷静になれ」と言うべき論陣を張ってもいいのに静観している。それどころか、政権と一緒に日韓対立をあおっているかのような報道もあるから何をかいわんやだ。元東大教授の桂敬一氏(ジャーナリズム論)はこう言う。

「今のメディアは問題の深掘りも検証もしない。やれ新元号『令和』だ、やれ進次郎が結婚した、と話題に飛びついて大騒ぎしてオシマイ。内政、外交でさまざまな問題が表面化してきた長期政権の安倍政治に対しても、大所高所から論点を整理して報じるべきなのに何もしない。全くどうかしています。メディアが権力の監視をやめて萎縮し、礼賛報道の大本営発表となれば、権力の私物化は際限なくなるでしょう」

 このまま「アベ政治」による「乱れ」を傍観していたら、間違いなく行き着く先は戦争国家だ。

Alexander john @john72352990

戦後74年で逆戻りか 真綿で絞められるような息苦しさ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/260188 
一人の戯けと、其れを容認する民の為に日本は辛苦を舐める民と成る。

KK @Trapelus

【この国は確実に壊れている】戦後74年 真綿で絞められるような息苦しさ 森友捜査終結、「表現の不自由」に公権力、かつて侵略した隣国憎し、民主主義への侮蔑、メディアの萎縮、忖度から、いよいよ大本営礼賛報道へ 「アベ政治」の暴走を許せば行き着く先は戦争国家だ(日刊ゲンダイ)



(転載終わり)

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【天皇裕仁の戦争】戦争とは巨大なマネーゲーム~太平洋戦争と天皇家の関係~

-19世紀後半のアメリカフリーメイソンの大物アルバート・パイクは、第1次世界大戦から第2次世界大戦そして第3次世界大戦までを予言していた。その予言どおりに第1次、第2次世界大戦が起こった。すべて彼らの筋書きどおりだったのである。両大戦の目的は何だったのか。欧州各国に離散しているユダヤ民族(多くはハザール偽ユダヤ)の国家を建設すること、世界人口の大削減、彼らがコントロールする国を勝たせ、彼らの所有する国際的企業群の金儲けのため・・・。さまざまにあったのかもしれない。その一環として太平洋戦争もみなければならないだろう。第2次世界大戦自体、グローバルなサタニスト勢力の大きな構想の中に収まっていた以上、日本も彼らの術中にまんまとはめられたのであり、日本敗戦の責任を天皇裕仁ただ一人に押し付けるのは酷かもしれない。それを承知で、当ブログでも時折り見てきたように、戦後まんまと戦争責任を免罪されてきた天皇裕仁の責任は厳しく追及されなければならない。本転載文にあるとおり、大戦争ほどの「巨大なマネーゲーム」はないのであるが、天皇裕仁ほどその本質を知り抜いていた人物は日本にはいなかったのである。いつか別の記事で見ていくかも知れないが、(幕末維新以来わが国は英国ロスチャイルド=英国王室と深く関わってきたが)裕仁は英国王室からガーター騎士団勲章を受章されていた。英国王室の臣下身分であり、一説には同王室のスパイだったという見方さえある。だから太平洋戦争開戦以前から日本の役割は十分知らされており、宮中の御文庫という所は東条英機なども入れない本当の大本営であり、そこから裕仁自らが事細かく指令を発していたという。以前見たとおり裕仁は大のナポレオン狂であり、真珠湾攻撃は海軍びいきの裕仁自らがナポレオンの戦略を海戦に翻案し立案したもの、だから同奇襲に成功した時裕仁は誰よりも喜んだという。戦後の呆けた姿からは想像もできないが(誰かが「昭和天皇は昭和最大の名優だった」と言った)、戦前の裕仁は十分聡明な天皇だったのである。だから太平洋戦争という巨大なマネーゲームにも熱中し、事実天文学的巨利を得たのである。戦争末期、国民が塗炭の苦しみに喘ぐ中裕仁はその莫大な財産を保全すべくスイスや南米の秘密口座に移すなど必死の工作をしている。米国から最初の原爆投下地を決めるよう秘密裏に要請された折りは「広島」と事もなげに言った。そしてクーデターを恐れて陸軍の主力部隊を広島に集結させたのである。それでもあなたは「平和主義者裕仁天皇」を信じるだろうか。 (大場光太郎・記)-

関連記事
米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ba5e.html    (矢印部をクリック)
昭和天皇の戦争責任(1)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html  


戦争とは巨大なマネーゲーム~太平洋戦争と天皇家の関係~

http://blog.nihon-syakai.net/blog/2019/08/9105.html
2019年08月01日  日本を守るのに右も左もない

元号が令和となって初めての終戦の日が間もなくやってきます。
昭和天皇や平成上皇と異なり今上天皇は戦後生まれである為、これまでの様な天皇の戦争への関りや戦争責任を考えるような番組は、今後はもう無いと思われます。

一方、冷戦が終結しかつての様な「世界大戦」はもう無いものの、世界各地では今なお紛争や軍事的緊張が頻発してます。
そしてその背後には軍産複合体を背景にした金貸し勢力による世界支配がある事は疑問の余地がありません。
この構造は、約100年前の第一次世界大戦で確立され、現在も続いています。

 「戦争は儲かる」
この事実を100年前の政治家や国家元首は既に熟知していました。
現代の様なインターネットや市民の監視圧力が無い時代、「戦争と金」を巡る様々な権謀術数が闇で繰り広げられていました。
これは日本の天皇家も例外ではありません。

以下、るいネットから、天皇家がその中枢にいた「戦争と金」に対する記事を抜粋し紹介します。
日本では古来、天皇家は浮世離れした清廉で高潔な印象を持たれていますが、決してそうではなかったことが分かります。
たとえ御代替わりしたとしても、この本質は連綿と受け継がれている事を私たちは忘れてはならないと思います。

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■戦争とは巨大なマネーゲーム リンク

〇戦争は国家間の利害、憎悪の衝突から起こるものだけではなく、巨大なマネー・ゲームでもある。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。

 この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。この銀行に加入していなければ、中国本土に攻め込む力さえなかったのである。ひと度、この銀行に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちばん金の儲かるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知りつくした人物は日本にいなかったし、これからも登場しないだろう

■太平洋戦争と政府、天皇、そして赤十字の関係 リンク

〇近衛文麿首相はいく度も天皇に戦争の中止を訴えた。
天皇一族は、日清戦争や日露戦争を通じて多額の賠償金を手にしており、その一部はスイス銀行に預けられた。それは日本の天皇だけでなく、ルーズベルトやチャーチル、スターリンなどもそうであり、このような悪事を通じて彼らは国際銀行家(イルミナティ)に弱みを握られることになった。フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回顧録』にはそれらのことが克明に書かれており、明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座はスキャンダルの種になり得るものであった。そしてここに、近衛首相の忠告を無視して、再び太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源があるのだ。

 戦争は、国家間の利害や憎悪の衝突から起きるものではなく、それは巨大なマネーゲームでもある。天皇が仕掛けた南進策、つまり東南アジアやオセアニア侵略は、巨大マネーゲームの創造であった。この面を考察することなくして、我々の日本史の嘘を見抜くことはできない。天皇とその一族は三井、三菱、住友らの財閥と組んで、戦争によるマネーゲームをしていたのだ。戦争が一番儲かるゲームであることを、天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。
内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃すよう指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは秘密裏にナチスに戦争協力したので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。」

■天皇が戦争狂になった訳  リンク

〇昭和天皇は大東亜戦争中、宮中に大本営を置いて陸海軍の下僚参謀を指揮して作戦を実行した。それの実態が連合軍にバレれば自分も戦犯として処刑されるという恐怖と、せっかく築いた莫大な資産が取り上げられることを心配したのだ(むろん実態は連合国は承知していた)。
だから彼は、資産をスイスや南米の銀行に預けた。海軍の潜水艦を私的に使ってアルゼンチンに金塊を避難することまでやった。
(中略)
 「中島知久平(中島飛行機 ゼロ戦の製造で有名)は、陸軍が(支那事変で)未だ戦線を黄河あたりにまででとどめようとしているとき、閣僚の一人として漢口まで行かねばならないと主張した。もっとも大胆に(中国戦線)拡大を唱えたのは、鐘紡社長津田信吾である。彼は中国との全面戦争とともに、イギリスとの戦争を説いた。彼の強硬論は鐘紡の高利益の基礎に外地会社の多角経営があり、これを積極的に中国領内に拡大する希望を持ったこと、(中略)中国国内に原材料基地を見出さねばならぬという因果関係からくるものであろう。」

 中島知久平が閣僚になって戦争を主張したように、また王子製紙社長の藤原銀治郎は、海軍顧問、商工大臣、国務大臣。軍需大臣を歴任し、その地位を利用して戦争でしこたま儲けたクチである。

 戦後、自民党の大物議員で60年安保時に外相を務めた藤山愛一郎も戦前、大日本製糖社長として、戦争を煽った人物である。彼は台湾での製糖事業を一手に握っていたが、さらに南方と中国南部に製糖工場を広げるべき軍部と結託した人間である。
 こうした三井.三菱以外の中小財閥も、積極的に戦争経済を推進しようと図ったのである。それを最も喜んだのはこれらの会社の大株主だった天皇であった。
 こうして見てきたように、天皇は莫大な蓄財を行うために、財閥と組んで国民を売りとばし、戦争を仕掛けて国民を殺してきた。責任はすべて軍人と国民とに押し付けた。血も涙もない、とはこのことではなかろうか。

(以上転載終わり)

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【生きていたのかタコ入道】出た~、第4次アーミテージ・ナイレポート! 東アジアがキナ臭くないと商売上がったりの“ダボハゼの晋”はこれに食いつくんじゃないか?

-「世界帝王」デビッド・ロックフェラー死去により、米国戦争屋ネオコン勢力は一気に壊滅状態かと思われていた。実際先の米大統領選で、戦争屋の旗手・ヒラリーがトランプにあわやの敗北を喫した背景にはそれがあると見られている。戦争屋大ボスの父ブッシュの死亡が囁かれ、つい先ごろはジョン・マケインの死亡が発表された。その子分どものリチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、ジョセフ・ナイらジャパンハンドラー連中も、昨年の「#お前が国難」総選挙辺りまでは都内や横田基地に屯ろし、安倍自民党勝利に積極的に加担した。が、その後はとんと音沙汰なし。親分筋のマケインも病死と見せかけて殺されたわけだし、子分たちも四分五裂の散り散りバラバラでご愁傷様と思われていた。がどっこい、米国内の戦争屋悪魔勢力はしぶとく生き残っていた。今頃になって「第4次アーミテージ・ナイレポート」なるものを出してきたのだ。その詳しい内容等は以下の二つの転載文をお読みいただきたいが、早い話が、北朝鮮の核ミサイルや軍拡方針の中国の脅威が存在する以上、日本はよりしっかりと防衛力をさらに高め、日米同盟の強化に努めていくべきである、というものである。へっ、死に損ないのアーミテージタコ坊主らめ、今頃何を抜かすか余計なお世話だ、てなもんである。北朝鮮をめぐっては、非核化統一コリアという目標に向け米朝・南北対話が具体的に進んでいる。また落ち目のアメリカが日の出の勢いの中国の脅威論を振りかざしたところで、米朝戦争など出来るわけねえだろう。ははぁ、さては手前らが出来ない戦争を忠犬ポチ安倍公に代理でさせるつもりだな、と巷の市井人にさえ見抜かれるのである。そんな間抜け提言、遅かりし「十日の菊」、無用の長物だ。が、安倍の強力支持母体の産軍経済界+電通・大手マスコミはこの提言なるものを国内拡散させ、安倍ら日本会議自民党議員らとともに国民に炊きつける可能性がある。今までもそうだったが、ジャパンハンドラーなどと恐れられている連中、本場米国でもさしたるパワーはなく、やつらの“ラストリゾート”遊び場として日本にちょっかいかけているだけなのだ。やつらも子分の安倍晋三もしょせん張子の虎、怖がって戦争危機の扇動に乗ってはいけないのである。 (大場光太郎・記)-

「アーミテージ・ナイ・レポート」の新提言、ジャパン・ハンドラーズは、相変わらず、「中国の軍備拡大と北朝鮮の核・ミサイル・・・
http://www.asyura2.com/18/senkyo251/msg/714.html
投稿者 笑坊 日時 2018 年 10 月 05 日 08:01:43:

「アーミテージ・ナイ・レポート」の新提言、ジャパン・ハンドラーズは、相変わらず、「中国の軍備拡大と北朝鮮の核・ミサイルの脅威」を煽って、日本でカネ儲けしようとしている
https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/a64325fc76a55ae1f6793e3244827da6
2018年10月05日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆〔特別情報1〕
「小沢一郎代表が、あいつらはマフィアだと非難した、死んだはずのジャパン・ハンドラーズが、生き返ったのか」米リチャード・アーミテージ元国務副長官(ブッシュ政権1期目、共和党派)やハーバード大学のジョセフ・ナイ教授(民主党派)ら超党派の外交・安全保障専門家グループが10月3日、新提言「21世紀における日米同盟の刷新」を発表した。このなかで「中国の軍備拡大と北朝鮮の核・ミサイルの脅威を前に、日本が防衛支出を国内総生産(GDP)比1%以上に拡大することが必要だ」と指摘し、「在日米軍と自衛隊との基地統合を進めたり、共同統合機動部隊を設置したりすることで、有事に備えて意思決定の速度や部隊運用の効率性を高めるよう」訴えた。ジャパン・ハンドラーズは、キッシンジャー博士の部下だったけれど、トランプ大統領が就任する直前に、「クビ」になっていた。ところが、ここにきてまたもや、「中国の軍備拡大と北朝鮮の核・ミサイルの脅威」を前面に押し出してカネ儲けしようと謀り、キッシンジャー博士、トランプ大統領、プーチン大統領、習近平国家主席が、天皇陛下と小沢一郎代表に託されている「MSA資金」の力を得て、推進している「新機軸」潮流を妨害しようとしている。安倍晋三首相は、ジャパン・ハンドラーズとの関係が深いだけに、新提言をどう受け止めるのか。

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でたか、第4次アーミテージ・ナイレポート。これで、安倍政権の動きが全て読める。しかし、もし、政権が従わなければ、どうなるんだろう。選挙で落ちるのかな
https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/18f87b04b4f6777acea219e0ebab9f88
2018年10月04日 のんきに介護





アーミテージ氏ら、日米同盟に提言 基地の共同使用など
https://digital.asahi.com/articles/ASLB41SQ8LB4UHBI005.html
2018年10月4日07時39分 朝日新聞

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リチャード・アーミテージ元米国務副長官=ランハム裕子撮影

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ハーバード大教授のジョセフ・ナイ元国防次官補

 リチャード・アーミテージ元国務副長官やハーバード大教授のジョセフ・ナイ元国防次官補ら米国の共和、民主両党の知日派グループは3日、日米同盟のあり方について、両政府への提言をまとめた「21世紀における日米同盟の刷新」を発表した。中国や北朝鮮の脅威を強く意識したうえで、自衛隊と在日米軍の基地の共同使用など同盟の深化を提案し、日本に国内総生産(GDP)1%以上の防衛費の支出を求めた。

 提言ではまず、トランプ米大統領が「米国第一主義」を唱え、米軍の前方展開に疑念を示していることで「同盟に対して深刻な危機が生まれている」と指摘。また、「日米が関税を協議している間に、中国と北朝鮮の脅威が高まっている」と警告した。そのうえで、両国がアジア、世界で強いリーダーシップを発揮する必要性を訴えた。

 具体的な同盟深化の政策としては、日米は在日米軍と自衛隊によって別々の基地を共同使用することを提案した。また、中国の海洋進出を念頭に、日米が西太平洋における共同統合任務部隊の創設を求め、「台湾、南シナ海、東シナ海での偶発的な衝突に対応できる」とした。

 さらに、軍事的な緊張が高いが有事とは言えない「グレーゾーン事態」についても、自衛隊が単独で対処するのではなく、米軍の関与を検討すべきだと求めた。

 提言ではまた、北朝鮮の核ミサイルの脅威に対抗するため、日米韓3カ国による共同軍事演習の拡大を求めた。トランプ氏が在韓米軍の駐留や軍事演習に疑問を示していることを念頭に、「軍事演習、米軍のプレゼンスを北朝鮮との交渉材料とするべきではない」と米国にクギを刺した。

 アーミテージ、ナイ両氏は2000年、07年、12年にも日米同盟に関する提言書を発表。集団的自衛権の行使の容認など、日本の防衛政策の重要な転換を後押しする役割を担った。(ワシントン=園田耕司)

日米同盟に関する提言(要旨)

安全保障


・中国の軍事的な能力の向上と北朝鮮の核ミサイルの脅威のもと、日本は国内総生産(GDP)1%以上の防衛費を支出する必要がある。

・日米は米軍と自衛隊が別々に使用している基地の統合と共同使用に向けて動くべきだ。最終的には在日米軍は日本の国旗を掲げた基地から部隊運用をするべきだ。

・日米は西太平洋における共同統合任務部隊を創設するべきだ。台湾を始め、南シナ海、東シナ海における偶発的な衝突に対応できる。

・日本は統合作戦司令部を創設するべきだ。現在の統合幕僚監部では組織への負担が極めて重すぎる。

・中国は日米の意思決定の遅さを利用し、既成事実を積み重ねる戦略を持つ。日米は意思決定を早めるため、共同の緊急対応計画を策定する必要がある。日米はいわゆる「グレーゾーン」事態に米軍を関与させることを検討するべきだ。

技術開発

・新型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の開発のように、日米は防衛装備品の共同開発を拡大するべきだ。

・日米は情報共有、サイバー、宇宙、人工知能(AI)など高度科学技術分野で連携を強化するべきだ。

地域諸国との連携

・北朝鮮の核ミサイルの脅威に対抗するため、日米韓は3カ国の共同軍事演習を拡大するべきだ。北朝鮮の非核化交渉では、軍事演習、米軍のプレゼンスを非核化の交渉材料とするべきではない。

・中国は経済圏構想「一帯一路」でインド太平洋地域に大きな影響力をもつ。日米はインフラ整備のための地域基金を設立するなど、地域諸国にとって魅力的な投資計画を作るべきだ。

・日米の経済・ビジネスリーダーは短期的な2国間の貿易赤字に焦点を当てるべきではなく、貿易、投資、開発、金融サービスのあり方など長期的な議論をするべきだ。

経済協力

・日本は「包括的および先進的な環太平洋経済連携協定」(CPTPP)を支持し続けるべきだ。最終的な目標は米国の参加にある。

・日米は政府高官と企業の最高経営責任者(CEO)による「官民対話」を設置するべきだ。










 

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【♪こんな女に誰がした~】終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた 「次から次へ、体じゅう痛くて…」

-前回は、敗戦時の旧満州におけるソ連兵「性接待」のケースを取り上げた。が、東京、神奈川など占領米軍基地周辺の町ではまったく同じことが起きていた。日本占領は長期にわたって続いた関係で、米兵たちによるそれは、満州侵攻ソ連軍とは比較にならないほどの深刻な傷跡を残したといえる。いなそれは沖縄各米軍基地、神奈川県横須賀基地などで現在でも進行中のことなのである。熱心なキリスト教(主にプロテスタント系)国アメリカだから「汝姦淫するなかれ」の戒律が厳格に守られているかというとそうではない。戦前から戦後にかけて米国を奥から支配してきた「悪魔の十三血流」ロックフェラー家が表向きはキリスト教を装ってきたことに如実な通り、一般米国民のキリスト教信仰は底の浅いものだった。まして荒くれ者のたまり場米軍にあってはなおのこと。占領時代の一こまとして、ある晩、米軍兵士たちが何台ものジープに分乗し、東京のとある町に乗りつけたという。町に着くと米兵たちはジープから降り、各自民家に散って行った。そして女を見つけ次第、人妻だろうが女子高生だろうが見境なく強姦して去ったのである。そうした鬼畜の所業が、定期的に東京の町々で繰り広げられたと。米占領軍の厳しい報道管制により表ざたにならなかっただけである。今回のリポートはそういう事態を引き起こさないための日本政府による仕掛けが占領早々に作られたという内容である。「黒川開拓団いけにえ」の国家版である。それとは別かもしれないが。俗に「パンパン」とか「パンすけ」などと呼ばれた、米兵相手に体を売る日本人女性の出現もあった。今のように主婦でも素人でもAVに出演して快楽をむさぼりながら金が得られるという時代ではない。ごくまれには当時も、高学歴女子があまりの価値観の転換に捨て鉢となり、今と同じような理由でパンパンになったケースもあるという。が、その多くは大食糧難時代をとにかく生き延びる方策としてやむなくパンパンに身を落としたのである。それにしても「世界の警察官」米軍の性モラルは今も昔も決してほめられたレベルではない。日本政府がお膳立てした性奴隷制がありながら上のようなケースをまま引き起こしていたし、ベトナム戦争でもイラク戦争でも米軍兵士による現地女性強姦事件が多発したと報告されているのである。 (大場光太郎・記)-

「星の流れに」菊池章子

※ 以前の『名曲-所感・所見』『フォレスタコーラス』カテゴリーでもこの歌を取り上げた。その中でも触れたが、藤谷美紀、木村多江が好演した映画『ゼロの焦点』(松本清張原作)で、広末涼子演ずるヒロインが横田基地を訪れた際の盛り場のシーンでこの歌ががんがん流れていた。

終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた 「次から次へ、体じゅう痛くて…」(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/18/senkyo249/msg/348.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 8 月 16 日 19:30:05

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終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた 「次から次へ、体じゅう痛くて…」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962
2018.08.15 貴志 謙介 元NHKディレクター・プロデューサー 現代ビジネス

ようやく見えた「戦後ゼロ年」の真実

今年も8月15日がめぐってきた。だが、73年前の敗戦をめぐる記憶は日々確実に薄れている。

とりわけ記憶の劣化が著しいのは、敗戦直後の一年間、いわゆる「戦後ゼロ年」であろう。みじめな焼け跡暮らし、占領の屈辱、飢え、虚脱感、思い出したくもないヤミ買い。高度成長という威勢の良い華やかなサクセス・ストーリーの陰で、暗い役回りを押し付けられたせいかもしれない。

だがもっと本質的なことは、敗戦直後の時代には、その時代を経験した人であっても知ることのできなかった秘密がたくさんあるということだ。

占領軍は、情報をコントロールしていることを悟られないような巧妙なやり方で検閲をおこない、メディアを支配する情報戦を仕組んでいた。その結果、占領政策にとって都合の悪い出来事や情報は隠されたまま、いわばブラックホールのなかへ姿を消してしまった。

「戦後社会の原点」とみなされる時代であるにもかかわらず、多くの真実が欠落し、核心がぼやけたまま風化してしまったのである。

ところがここへ来て、思いがけず、戦後ゼロ年をめぐる新しい視野がもたらされようとしている。原動力のひとつは、機密資料の公開である。たとえば、2007年に機密解除された10万ページのCIA文書があり、150万点に達するGHQの検閲記録がある。A級戦犯に対するIPS(国際検察局)の尋問記録やアメリカ戦略爆撃調査団の調査報告も公開された。

こうした極秘文書を多くの証言とつきあわせていくと、驚くべき真実が続々と浮かび上がってくる。まず、時計の針を敗戦から3日後の1945年8月17日にあわせてみよう。

日本政府がつくった「性の防波堤」

この日、組閣された東久邇内閣の国務大臣に就任した近衛文麿がなによりも急いだことは何だったか。

実は近衛は入閣直後、ただちに警視総監の坂信弥を呼びつけ、米軍相手の売春施設を作るよう要請したのである。

40万人の占領軍上陸を2週間後に控え、日本の戦争指導者がもっとも恐れたことは、兵士による性犯罪であった。そして「性の防波堤」と位置づけられたのが、「国策売春組織」、すなわち「特殊慰安施設協会(RAA)」であった。

RAAをめぐる公式記録『R・A・A協会沿革誌』はこう述べている。

〈R・A・A協会が、その使命を忠実に達成する為、真先に開業したのは慰安所である。進駐軍将兵にとって、何よりも先ず慰安すべき面はセックスの満足であった〉

電光石火のごとく霞が関が動いた。外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁など、主要官庁がこぞって協力。座長役を務めたのは、大蔵省の主税局長・池田勇人(のちの首相)である。池田の号令で大蔵省がポンと3300万円を出す。現在の価格に換算すれば10億円を超える。

占領が始まる前に、政権の中枢にいた政治家や軍人、そして官僚が何を置いても、外国の軍隊による性暴力にこれほど強い恐怖感を抱いたのは、なぜだろう。国家が主導した売春施設を準備した警視総監・坂信弥は、内務省の資料のなかでこう証言している。

「東久邇さんは南京に入城されたときの日本の兵隊のしたことを覚えておられる。(略)それで、アメリカにやられたら大変だろうなという頭はあっただろうと思います」(大霞会編『続内務省外史』、地方財務協会)

軍国主義者がおびえていたのは、結局のところ、来るべき占領軍の蛮行というよりも、鏡に映った己の姿、日本軍の影だったのではあるまいか。

「からだじゅうが痛くて…」

8月28日、午前9時、RAAの幹部20名が皇居前広場に集合した。『R・A・A協会沿革誌』によれば、ここで全員が宮城に向かい宣誓式を行ったという。宣誓の主旨はこうである。

〈(RAA協会は)戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を課せらる。(略)『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、(略)「国体護持に挺身せんとするに他ならざることを重ねて直言し、以て声明となす〉

敗戦国であるドイツやイタリア、あるいはソ連に占領された東ヨーロッパの国々にも、占領軍を相手にする売春婦は大勢いた。しかし、国家が号令を発して、莫大な予算を投じ、官僚がプロジェクトを組み、「国体護持」のために女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国はほかにない。

8月27日、RAAは、占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に「慰安所第一号」として、「小町園」を開店した。ポツダム宣言の受諾からわずか2週間しかたっていない。

50人の女性、それも大半はシロウトの女性が送り込まれ、10畳、20畳の大部屋をカーテンや屏風で仕切り、30ほどの部屋が作られた。待ちかねたように、米兵がどっと押し寄せ、障子や襖を蹴破って、土足のまま押し入ってくる。女たちは恐怖のどん底へ投げ込まれた。

「恐怖におびえるまもなく、兵隊が入ってくるなり私を抱くと、しびれるほど唇を吸う。(略)入れ替わりに、つぎの兵隊がくる。(略)つぎからつぎへと抱いては送り、送っては抱き、(略)からだじゅうが痛くて……。」(『東京闇市興亡史』より)

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RAAが横須賀に設けた慰安施設「安浦ハウス」(米軍資料)

女とみると、手あたりしだい

『R・A・A協会沿革誌』によれば、小町園を皮切りに、立川「キャバレー富士」、調布「調布園」、福生「福生営業所」、北多摩「ニューキャッスル」、築地「宮川」、人形町「花家」、向島「迎賓館大蔵」、若林「R・A・Aクラブ」が次々とオープン。

東京だけで33か所。従業員は450人。ダンサー2000人。350人の「慰安婦」。ひとりの女性が最高で一日60人を相手にした、との証言もある。

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銀座松坂屋近くにRAAがつくったキャバレー“Oasis of Ginza”(Photo by gettyimages)

一方、RAAの幹部連中は何をしていたか。戦前に吉原で遊郭を経営していた経歴を持つRAA営業所長・岡本清次の談。

「RAAの仕事は国家の肝煎りですから、国から給料もらっているような身分でした。基本給千百円、手当て千百円の計二千二百円というのは、当時としてはそうとうな高給取り」

「食事のほうは、米兵からの土産もあったし、なにしろ警視庁から食券がきていましたから。(略)兵隊がもってくる牛肉は、ブ厚くてスキヤキにするとほんとうにうまかった」


当時、警視総監であった坂は、「RAAがあったおかげで占領軍兵士による強姦事件はほとんどなかった」と主張している。しかし、近年公開された米軍の極秘資料は、それがまぎれもなく“虚偽の申告”であり、実態はむしろ逆であったことを示唆している。

米兵による暴行事件は、8月30日にはじまり、RAAの営業によっても止むことがなかった。1945年11月中に発生した米兵の犯罪は、婦女暴行、強姦、盗み、おどし、たかりなど、554件に達している。報道が禁止されていたゆえ、一般に知られなかっただけなのである。

特に強姦事件や強盗事件が多かったのは、小町園に近い大森海岸であった。売春婦の紹介業を務めていた菅原道雄は、その理由をこう証言している。

「大森で、強盗・強姦事件が頻繁におきたのも慰安所と関係ありますね。タバコや洋服を『金にかえてくれ』といってくるヤツが多かったし、それもないヤツは強盗をしてまで女を抱く金を得ようとする。慰安所にはGIが行列をなしていてあぶれちゃうヤツがでるんですよ。そうなると、手あたりしだい、女とみると襲いかかるのです。

夜の八時ころだったでしょうか。大森から大森海岸へ行くまっ暗な道で女の人の悲鳴をきいたことがあります。たぶん素人の人でしょうが強姦されていたんです。私は一目散に逃げましたよ。だって、アメちゃんは刃物をもってましたからね」


RAAの組織と人脈から、占領終了後、赤線や基地売春が生まれた。国家がつくりだした巨大売春施設こそ、戦後の売春産業の源泉であったのである。

いまも残る「東京ブラックホール」

戦後ゼロ年のブラックホールに迷い込んだのは、国家の「いけにえ」となった女性ばかりではない。占領下の東京には、いたるところに、ブラックホールが存在していた。

あらたに発掘された映像からも、その痕跡がみつかる。たとえば、東京湾から引き揚げられた大量の金塊の映像。数兆円にもおよぶ日本軍の隠匿物資の一部である。もとはといえば、本土決戦のために軍が国民から徴用した物資であり、こうした莫大な財産は国民には返還されず、高級軍人や官僚など特権階級に横領されて、ヤミ市に横流しされていたのである。

戦後ゼロ年、飢餓やインフレは、戦争中より深刻だった。もし、隠匿物資が国民を救うために使われていたら、どれほど多くの戦災者が救われていたことだろう。

人々を苦しめた敗戦直後の地獄は、物資の隠匿に狂奔したエリートの不正によってもたらされたのである。その事実を、私たちの記憶のなかに、あらためて刻み込んでおかなくてはならない。

膨大なCIA文書から、戦後ゼロ年にどのような権力構造が生まれていたかを知ることもできる。たとえば、占領軍は、表向きは「日本を民主化し、軍国主義者を追放する」政策を推進したが、裏では大本営の参謀を戦犯の訴追から外し、対ソ諜報戦の手先にしていた。

米軍の諜報機関に囲い込まれた軍や特務機関の残党は、アメリカの後ろ盾を利用して密輸や謀略を重ね、密かに影響力を拡大していく。軍国主義の残党、ヤミ成金、官僚や政治家を問わず、占領軍に深く食い込んだ者だけが権力を確保し、利権を得た。

こうして戦後ゼロ年を出発点として、アメリカの秘密工作に積極的に協力した日本の支配層との合作で「世界最大の親米国家ニッポン」が造られていく。そのときできあがった権力構造のDNAは、いまも日本を支配している。

戦後ゼロ年は、戦前のしがらみを断ち切った年ではなく、むしろそれを温存し、戦争を推進した旧支配層を取り込んで、アメリカの国益に沿った日本社会の改造が開始された年だったのである。

戦後ゼロ年 東京ブラックホール』という本では、いままで視界から失われていた闇を見つめ、わたしたちの記憶の欠落を埋めていくことを試みた。復元された戦後ゼロ年の姿を現在の日本と重ね合わせれば、いまの日本を呪縛する仕掛けも見えてくるにちがいない。

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1945年8月、占領軍に対する「性の防波堤」として、女性たちが犠牲になったことを知っていますか?【終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた】 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962

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【終戦秘話】ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白 満州・黒川開拓団「乙女の碑」は訴える

-今回もまた先の戦争の忌まわしい側面についての告発記事である。こういう負の事実を持ち出すと、安倍晋三を頂点とするネトウヨ会議連中は、「また自虐史観を・・・」というかもしれない。がしかし、これは終戦直後実際起きた現実だったのだ。事実から目を背けてはいけない。目を背けず直視していかないと、安倍晋三らのような嘘八万ネトウヨになってしまう。終戦直前、ソ連軍が旧満州に侵入してきた。折り重なるように敗戦である。そのため、そこに居住していた日本人たちはいっぺんに天国から地獄を味わうことになる。旧満州の敗戦悲話はこれまでも多く語られてきた。が、当時十代未婚女性がソ連兵の更なる暴発抑止策として「性接待」のために差し出された、という今回の話は初耳である。が、さもありなん。死と隣り合わせなのが戦場である。異常心理が支配する空間なのだ。相当軍律を厳しくしないと略奪、暴行が横行しかねないのである。現にそういう事例が古今東西の戦史では数え切れないほど残されている。黒川開拓団が取った、未婚女性をソ連兵に差し出す策はその意味で責められるものではない。が、人柱にされた若い娘たちはたまったものではない。日本版従軍慰安婦のようなもので、その過酷な体験は大きなトラウマとなって終生残り続けたのである。それにしても許せないのは関東軍上層部連中である。国策で内地から移住者を積極的に募っておきながら、敗戦の色が濃くなると自分の家族たちをまず内地に帰し、同胞たちを見捨て自分らも安全に避難して行ったのだ。民草にだけ塗炭の苦しみを味あわせておきながら、何が「皇軍」だ。笑わせるな。前回記事の中の「戦前の日本では、天皇の権威を借りて、上の者が下の者を、下の者がさらに下の者をそれぞれ絶対的に支配していくやり方(=内なる天皇制)が広がっていた」という阿修羅読者のコメントはそのとおりなのである。その魔道ヒエラルキーの頂点に昭和天皇がいた。昭和天皇がきちんと戦争責任を取らなかったその先に、満州アヘン利権王・岸信介の孫にして史上最大の無責任男・安倍晋三がデンとふんぞり返っているのである。 (大場光太郎・記)-

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ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白 満州・黒川開拓団「乙女の碑」は訴える(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/807.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 8 月 23 日 15:03:30

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いまは亡き友を惜しむ豊子さん(筆者撮影)

ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白 満州・黒川開拓団「乙女の碑」は訴える
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52608
2017.08.23 平井 美帆 ノンフィクション作家 現代ビジネス

敗戦とともに崩壊した「満州国」では、地獄絵図としか表現しようのないほど、飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。孤立無援の満洲開拓団は次々と、集団自決に追い込まれていった。

そのとき、ある開拓団の男たちは、ひとつの決断を下した。現地の暴民による襲撃、ソ連兵による強姦や略奪から集団を守り、食料を分け与えてもらう代わりに、ソ連軍将校らに結婚前の乙女たちを「性接待役」として差し出したのだ。

犠牲となった「彼女たち」は、日本への引き揚げ後もこの忌まわしい記憶をずっと胸の内にとどめていたが、70年が経ち、その重い口を開いた――。ノンフィクション作家・平井美帆氏の特別寄稿。


■託された詩

忘れられない詩がある。後半のカタストロフィーと対比を成すかのように、詩は明るい朗らかな一節からはじまる。

≪十六才の 春の日に
 乙女の夢を 乗せた汽車 
 胸弾ませて 行く大地 
 陶頼昭に 花と咲く≫


「乙女の碑」と題された詩を書いたのは、黒川開拓団の一員だった文江さん(仮名、2016年1月没、享年92)である。1942年3月、文江さんは両親、妹、弟ふたりの一家6人で、夢と希望を胸に新天地・満州へと向かった。日本が戦争に負けるとは露ほども疑わずに……。

それからおよそ半世紀経ってから、彼女は「乙女の碑」を書き残すことになる。心の奥底に封印されていた記憶は時空を超えて、あの日あの場所へ飛んだにちがいない。再び苦悩を味わいながらも、書き遺さなければならなかった魂の執念が伝わってくる。

「これがすべてなの。話すより、これ読んでもらったほうがようわかるけども。自決を止めるために…って書いてるけど、もう泣けて、泣けてさ」

2016年5月6日、文江さんの親友、スミさん(仮名、当時88歳、以下年齢は取材時のもの)はそう言って、まだインタビューも始まっていないのにこの詩を私に見せてきた。

両面印刷のワープロ用紙2枚。全体がよれた紙には裏表に、計4ページ分の「詩」が縦書きで打ち出され、あとから手書きされた箇所が数カ所ある。題名のななめ左下、赤色のインクで書かれた文言が目を引く。

遺族会以外の人に見せてはいけない

その横には黒インクの手書きで「平成二年 六十五才」とある。時代が平成に移ってもなお、そのことは深いタブーだった。

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文江さんはこの詩を、同じ目に遭った女たちに見せていた(@MihoHirai)

「それ、持っていってもらっていいよ」

遠慮がちな目を向ける私に、「いいよ、私。要らんもの」とスミさんは用紙をぐいと差しだした。約4カ月前にこの世を去った親友の遺書ともいえる詩を――。先ほどまでの穏やかな口調と異なり、声に硬さがにじみ出ていた。

長きにわたって、山麓に封じ込められていた書を手にして、私はスミさんの家をあとにした。弱い雨脚のなか、円を描くように山をくだると、川幅の広い水流が見えてくる。山間の道はどこを走っても、瑞々しい渓谷の景色に縁どられていた。

ここへたどり着いたのはひょんなことからだった。2015年秋、中国残留孤児の軌跡をまとめた本を上梓した私は、それからも継続して満州にかかわった人々を追い続けてきた。とりわけ女たちの満州体験に目を向けていたところ、「黒川開拓団」のことを知る人から話が伝わってきたのだ。

その夜、飛騨川沿いのひなびた旅館で考えた。どうして彼女はほぼ見ず知らずの自分に、亡き親友の詩をくれたのか。スミさんは友の思いを私に託したのだ。私はそう受けとめた。

文江さんの遺した詩は訴える。

≪乙女の命と 引き替えに
 団の自決を 止める為
 若き娘の 人柱
 捧げて守る 開拓団≫


■ソ連の侵攻、集団自決

今からさかのぼること80年余り、日本は中国の東北地帯に「満州国」の建国を宣言。大和民族を頂点とする五族協和をめざすとして、日本人を計画的に満州へ移住させた。「拓け満蒙! 行け満洲へ!」――。旧拓務省はしきりに、人々の愛国心や開拓精神に訴えながら、移民事業を推し進めていった。

だが、すでに戦況で不利な状況にあった国には、ソ連との国境付近に日本人を配置して、軍事的に備えておきたい目論見があった。また、満州移民計画の背景には、過剰人口、耕地の不足によって疲弊する国内の農村問題が横たわっていた。国や県は補助金を出して、農村部の自治体に村を分けて満州に移住させる分村・分郷運動を働きかけた。

村の面積の約9割を山林が占める岐阜県東部の黒川村(当時)。村の指導者らは、食料不足に悩む村の行く末を憂い、国策に従って満州への分村移民を決めた。

1941年4月、黒川開拓団は29名の先遣隊を満州に派遣した。そして、翌年4月から毎年、3回にわたって計129世帯、600人余りが海を渡った。入植地は、新京(現・長春)とハルビンの中間地点にあたる吉林省・陶頼昭(とうらいしょう)の鉄道駅から西一帯だった。開拓民らは複数の部落に分かれ、豆、高粱(コーリャン)、芋などを作付けして農作業に励んだ。

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満洲へ渡った黒川開拓団の子どもたち。まだ平和だったころのものだ(元団員提供写真)

しかし、「満州国」はもろくも崩れ去る。1945年8月9日ソ連の満洲侵攻、6日後の日本の無条件降伏――。約27万人の開拓移民らは、突如、異国となった荒野に取り残された。

もともと、開拓民らが移り住んだ家や土地は、日本人を入植させるために、満拓(満州拓殖公社)が現地民から安く買い叩いたものだった。日本が戦争に負けると、現地民の一部は衣服や物品を狙って、日本人部落を襲ってまわった。   

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黒川開拓団は襲撃から身を守るために、それぞれの部落から、本部近くの二カ所に集結した。

そこへ、さらに人々を心理的に追いつめる一報がもたされた。30キロ以上離れた隣の来民(くたみ)開拓団(熊本県)270人余りの、集団自決である。団の最期を知らせる役割をになった唯一の生存者・宮本貞喜さんが、命からがら黒川開拓団までたどり着いたのだった。

内地へ帰れるあてもなく、食料も尽きていくなか、暴民の襲撃に怯える集団避難生活がはじまった。さらに満洲侵攻後、陶頼昭駅付近に駐屯していたソ連兵らが、団の集団生活場所に毎夜のように「女狩り」にやってきては、若い女とみれば見境なく強姦をくり返した。

敗戦から数週間経った頃、幹部男性らはある交渉へとたどり着く。

大きな鉄道駅に近い黒川開拓団には、日本人がいることを聞きつけて、遠方から元軍属の日本人が入ってきて、さまざまな情報をもたらしていった。衛生兵、医者、通訳者――。

そこで数名の団幹部らは、ロシア語の話せる「辻」という男の手を借りて、ソ連軍将校側から救援を取りつけた。日本に帰れるまで、現地民の暴徒や下っ端のソ連兵から団を守ったり、食料を分け与えたりしてもらう約束である。そして、団幹部らが引き換えにしたのは……生身の人間だった。

まだ結婚しておらず、数え年の18歳以上。黒川開拓団のなかから「性接待役」として、ソ連軍側に差し出されることになった条件を満たす女性を探してみると、生存者らの証言どおり、12人から15人の少女が該当した。すでに亡くなった人が大半だが、3人の生存者が見つかった。

そのうちのひとりが、文江さんの遺した詩を手渡してくれたスミさんである。3カ月ほど前に大動脈解離に見舞われたという彼女は、「こんな歳になったら病気で死ぬのに、私は助かっちゃって。満州でも生き残ったから強い」とさらりと言った。

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文江さんと九州に旅行に行った時の写真を見せてくれたスミさん(@MihoHirai)

病院で2週間ほど意識不明だったとき、満州のことを口にしていたと息子から聞かされたそうだ。

脳裏に奥深く刻まれた記憶を、スミさんは気負わずに話してくれた。

団幹部から娘たちの「性接待」が命じられたとき、満州へ渡った黒川村の人々は衝撃に揺れた。

「○○さん(開拓団にいた男性)は『そんなつもりで娘を育てたわけじゃない』って泣いて、すごく怒られたけど……。出さざるをえなんだ。お母さんは行かされない、娘さんばっかり」

その日ソ連兵のところに行く女性はどうやって選んだのだろう。

「そりゃあ、具合の悪い人もあるし、もうとにかくめちゃくちゃよ。行ける人は行ってくれってね。義夫さん(仮名)、私のところにくるんよ。『頼む! 明日団に塩がない。塩がのうなってしまった。塩がなけりゃ、コーリャンご飯も食えへんで。その塩、もらわんなんで、頼む、行ってくれ』って。『私、昨日かおとつい行ったばかりだから、行かへんよ!』って」

■ベニヤ板づくりの部屋で

娘らを前にしたソ連兵の将校らは喜んで、ハラショーッと声を上げた。スミさんは自死を試みたこともある。

「あのとき、私は死のうと思って、銃持って外に出たの。重たかったよ。二発、(試し撃ちで)空に向かって撃った。団の人らが裸足で飛んできて、私の指を掴んでとめたの。あくる日、(団幹部らは)こわかったよー」

このような人身取引は9月頃から数カ月間は続けられ、未婚の女性らは数名ずつ交代で、ソ連兵のもとへ送り出された。連れていかれた先は、陶頼昭の鉄道駅付近にあるソ連軍の駐屯地。また本部内の一角にも「接待所」が設けられていた。

そこは「接待」などとはほど遠い、強姦、重姦の場だった。どれほど残酷だったかは、「乙女の碑」の紙に赤でペン書きされた文江さんの文章から浮かび上がる……。

≪ベニヤ板でかこまれた元本部の一部屋は悲しい部屋であった。泣いても叫んでも誰も助けてくれない。お母さん、お母さんの声が聞こえる≫

交代制の接待は団内部の決まりごとだった。病弱だった一人の少女を除き、例外はいなかった。副団長にも年頃の娘がいたが、皆の手前、性接待に出さざるをえない。それでも、副団長の娘は出される回数が少なかったと、スミさんは言う。

食事などは出ず、「接待」のみの時間。そして戻ってくると、団内部に設けた医務室に連れていかれた。また、接待に出た娘たちだけは特別に風呂にも入れた。

「自分もあと数年生まれるのが遅ければ、(性接待に)出さされていた」

神妙な面持ちでそう語るのは、当時12歳だった元開拓団員のみつさん(仮名)。彼女は風呂焚き係を命じられていた。

幹部の男性、義夫が五右衛門風呂を作り、子どもたちが燃えるものを拾ってきた。自分も含め、何百人もいる他の人たちは風呂など入れない。頭髪にはシラミの卵がびっしりとつき、集団生活は不衛生極まりない状態だった。

みつさんは母親にこう訊いたことを覚えている。

「なんで、あの人らだけ風呂に入れるの?」

すると、みつさんの母は「あの人らは自決から守ってくれた人たちだよ」「ロシア人のところに接待に行かれたんだよ」と答えた。何かあったんだな……。みつさんは子どもながらに何かを察したという。

■「独身のあんたらだけ頼む」

豊子さん(91)は、岐阜県内の酪農地で暮らしていた。戦後、満州からの引揚者たちが再入植し、開拓した山麓である。豊子さんは開拓団のリーダーを「先生」と呼び、集団避難生活が始まってから数週間ほど経った頃をふり返った。

「副団長の先生がな、広場の真ん中に皆を集めて言われましてね。奥さんには頼めんけどな、あんたら独り者はどうかな、身体を張ってな、犠牲になってくれやって。旦那が兵隊にいってる奥さんに利用するのは申し訳ないで、独身のあんたらだけ頼むって」

そんな要求を突きつけられたとき、豊子さんはどう思ったのか。

「そりゃあ、嫌でしたし、もうこれで私の人生も終わりと思いましたけれど、日本へ帰りたい。どんな辛抱しても病気になっても苦しい思いをしても、日本へ帰りたい。その一念でした」

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豊子さんは懐かしそうに思い出のアルバムを見せてくれた(@MihoHirai)

一方で、豊子さんは「団のためなら死んでもいいんだって思いました」「団のために仕方がない」とも語った。黒川開拓団に対しては恨む気持ちはないと言い切り、「あんな立派な開拓団はありません。よう、(自分のことを)仲間にして、連れて帰ってきてくれた」と評する。

満州の開拓女塾「興亜凌霜女塾(こうありょうそうじょじゅく)」の卒業生である彼女は、当時叩きこまれた自己犠牲の精神を今でものぞかせた。開拓女塾とは、未婚女性たちに開拓生活に必要な知識や理念を教える訓練校で、卒業生らは「大陸の花嫁」として各開拓地に送りだされた。

彼女の表情に生々しい感情が見えたのは、どのように接待に行かされたかと訊ねたときだ。

「義夫さん、こわかった」

それまで凛としていた豊子さんは顔をゆがめた。

接待係の男性は3、4人いて、「あんたら、今日は出てくれないか?」と娘たちに頼んで回った。豊子さんが名前を出した男性については、スミさんも「『義夫さん、嫌い』ってみんなが嫌がっとったから。みんな怯えとったよ」と語り、集団内の命令系統が浮かびあがる。

豊子さんによると、駅のほうへ馬車で連れていかれ、遅くとも翌朝には団へ返されたという。風呂や消毒の甲斐もむなしく、犯された少女らは次々と性病に感染していった。さらには発疹チフスも大流行し、開拓団では毎日のように人がばたばたと死んでいった。

「皆、性病を貰ったんです。性病と発疹チフスが一緒になっちゃったから。12人のうち、7人くらいは亡くなったんです。『(日本に)帰りたい。帰りたい』って言いながら、向こうで死んでいった」

豊子さんも発疹チフスに感染したが、九死に一生を得た。そのうち団では遺体を巻く菰(こも)も底をつき、旧本部の裏に野ざらしとなっていった。

敗戦の翌年、1946年5月。ようやく日本への引揚船がコロ島(遼寧省)から出港を開始した。同年8月以降、黒川開拓団は複数回にわたって引揚げを果たしたが、600人以上いた団員のうち、200人余りが満州や引揚げ途中で命を落とした。

■引き揚げ後も続く苦しみ

懐かしいふるさとに戻ると、娘たちが性接待に出された話はタブーとなった。

「もう、みんなが表に出さんかったからね。あの当時はとっても、こんなことは話せんて」

しみじみとそう語るスミさんは、満蒙開拓青少年義勇軍(青少年を開拓事業に参加させる制度)の隊員だった男性と結婚した。結婚前に接待のことを伝えると「そりゃ、辛かったやろう」と言葉をかけてくれたという。だが、妻が元開拓団員らの集まりに参加するのは嫌がった。

スミさんには、わが娘にも打ち明けられないと思った出来事がある。10数年前、長女と居間でテレビを見ていたときだ。韓国の慰安婦問題のニュースが流れると、娘はとがめるような口調で言った。「慰安婦、慰安婦って自分から言うとったら、子どもや孫に迷惑がかかる。自分からよう言うわね」と――。

「あーだから、私は言うたらあかんって思って」

スミさんは押し殺すように声を潜めた。

「言いたいことはもう、皆で言うちゃっとるで。集まったときに」

胸の奥の苦しみは、同じ目に遭った女たちと集まったときにだけ、思う存分吐き出すことができた。帰国後、親分肌だった文江さんが仲間を誘い、「乙女会」と名づけて、外に連れ出してくれたのだ。

遺族会の集まりで、あの話を持ちだす者はいなかった。ところが少人数になると、彼女たちをからかってくる父親世代の男もいた。それはこともあろうに、性接待に行かせていた側の団幹部、義夫からのものもあった。

豊子さんも、元義勇軍の男性と結婚した。満洲引揚者が多い部落に嫁いだ姉に、弟は「お姉はそんな既存部落なんて、嫁に行けんわ」とよく口にしたそうだ。さらに「嫁入り」前には、日本に帰ってきてからは梅毒が出てないことを医者に一筆書いてもらい、夫側に見せたのだという。

■ベルトを外す金属音がトラウマに

当時数え年で18歳。最年少で性接待に出さされた照子さん(仮名、88)は、東京郊外の街に暮らしていた。同居家族に聞かれると困るからと外で待ち合わせたが、喫茶店にも入ろうとしない。以降、照子さんとは交流を続けているが、いつも人目のつかない場所を彼女は選んだ。

照子さんは戦後、黒川開拓団の遺族会とは距離を置き、集まりに一度も顔を出したことはない。ただ、同じ開拓女塾で学んだ豊子さんとだけは、たまに手紙のやりとりをしていたそうだ。

彼女は豊子さんとは異なる思いを、黒川開拓団に対して抱いていた。

「開拓団にいい思い出、ひとつもありません。集団生活に入るでしょ。これが日本人か!って思った。言うことを聞く者はいいけど、よそ者扱いは見え見えでやるしね」

照子たち一家は、継母のつながりから開拓団に加わった。だが、満州にわたってから父母は離婚。叔父も開拓団にいたが、団幹部の男性らとは折り合いはよくなかった。

照子は辛い記憶をいくつも吐き出した。ソ連兵や中国人に殴られたとき、大人は誰も助けてくれなかったこと、同胞の裏切りによって中国人に売られて連れていかれそうになったこと――。

壮絶な満州体験を持つ彼女だが、これまでは過去をふり返る余裕などなく、生きるためにがむしゃらに働いてきた。

「私らなんて恥かしゅうて、ずっと口に出さんかったよ。だけど復興も見たし、あれからおいしいものも食べさせてもらったからよかった。それから、私、少し書き残す必要があるなって思って」

70代になってから少しずつ綴るようになったノートには、短歌風に思いが綴られていた。

≪守り忘れたか 関東軍。婦女子残して 又今日も南下する≫
≪日本に帰りたいと静かに眠る友の顔 一夜明ければ動かぬ人に≫


満州に進駐していたソ連兵らは黒川開拓団の避難場所へやってくると、少女らを見つけては引っ張り出していった。

「ソ連兵が来たーって聞いただけで、心臓がね、動いているか動いていないのか、わからなんようになっちゃう。ここら辺が冷とうなってきちゃうの」

照子は胸に手を置いた。ソ連兵は抵抗する未婚の娘たちを銃で殴り、何度失神しても連れ去ろうとした。

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漢口の陸軍病院で被弾した傷跡を見せる照子さん(@MihoHirai

そうこうしているうちに、今度は上の者たちの間で「性接待」の話がまとまった。

≪自決のがれて一息つく間もなし 接待に切りかえられる≫

極限状態とはいえ、どうしてそんなことを思いついたのか。思わずそうこぼした私に、照子さんは被せるように言った。

「楽よ、そうすれば楽じゃない。出しとけば、自分たちがわいわい騒ぐことない。出さないと『女出せ! 女出せ!』ってつつかれるから。大変じゃない。探しにいくの。皆、嫌で逃げてるから、どこに隠れてるかわからないし」

親に力がある人は(ソ連兵のところへ)行かされる回数が少なかったと、照子さんも語った。おばあさんたちの話からは幾重にも折り重なった差別構造が透けて見えてくる。「接待所」には仕切りもなかった。娘がずらりと並び、友人が犯されているのも見える。

「だから、隣にいる人とね、『お互いにがんばろう』って言って、こうやって手を握ってね」

強姦するときも、ソ連兵は銃の向きを変えただけで肌身外さない。恐怖で身体が硬直し、頭は真っ白である。やがて、ガチャッ、ガチャッと音がする……。兵士が太いベルトを外すときの金属音だ。帰国後もあの音が耳から離れず、フラッシュバックに苦しんだ。

「男はああいう目をさせておいてねえ、それで助かっておいてね。帰ってきたら、『いいじゃないか、減るものじゃないし』って、とんでもない話だよ」

団幹部だった男性から発せられた、性暴力を軽んじる言葉。そうした心ない言葉は再び女性たちを深く傷つけていた。

≪傷つき帰る 小鳥たち
 羽根を休める 場所もなく
 冷たき眼 身に受けて
 夜空に祈る 幸せを≫


詩の「小鳥」の横に“娘”、羽根の横に“心”と、文江さんは書き入れている。

<明日公開予定の後編へ続く>

(以上、転載終わり)

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73回目の終戦記念日-戦艦大和の最期 上官は切腹して果てた

-私事を申し上げれば。小学校5年生終了時のクラスの文集の「将来何になりたいか」アンケートに、私は「私立探偵」と書いた。そのこころは、その時までに少年版『シャーロックホームズ全集』を読破し、いっぱしのシャーロキアン(シャーロックホームズファン)気取りで探偵業に憧れたからである。が、移りやすきは女心と少年の心と秋の空(笑)。小学校6年卒業時のクラス文集の同アンケートでは「造船技師」。なぜかというと、当時の少年雑誌のグラビアに大きく戦艦大和の絵が描かれていて、それを忠実に画用紙に描くほど熱中していたからである。なお昭和30年代半ば頃でも零戦などその手の絵は少年雑誌にしょっちゅう出ていた。だからといって、戦艦乗組員や海兵隊などと書かなかったところがミソである。幼少から体が細く小さく非力だったため、そっち方向への関心はまるで湧かなかったのである。ただ前面に何門もの巨砲を積んだ戦艦大和の勇姿にはなぜか心が躍ったのだ。たぶんその頃でも、大和は築造されて間もなく米艦隊によりあっという間に撃沈されたことは知っていたと思う。さて今回の終戦記念日の特集はその「戦艦大和の最期」である。以前読んだ記憶のある阿修羅掲示板投稿記事を検索により引っ張り出してみた。ここでは内容については一切触れないが、これは八杉康夫という当時上等水兵で大和乗組員だった人の手記である。「文藝春秋」2012年9月特別号に掲載された。続く阿修羅読者氏たちのコメントも丁寧にお読みいただきたい。最後に、一言だけ申せばー。こういう悲惨で地獄的な状況は、アッツ島、硫黄島、サイパン島、グァム島、レイテ島など南洋諸島、インドシナ方面のインパール“白骨街道”死の行進、沖縄戦そして昭和20年3月の東京大空襲、広島・長崎への原爆などなど。多くの戦闘員、非戦闘員(一般国民)を巻き込んだ悲惨な出来事、状況こそ違え同じようなことが起きていたのである。ノーモアヒロシマ・ナガサキ!ノーモア・ウォー! (大場光太郎・記)-

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戦艦大和の最期 上官は切腹して果てた (文藝春秋)  
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/785.html 
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 8 月 18 日 00:32:38 戦艦大和の最期 上官は切腹して果てた
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/424
「文藝春秋」2012年9月特別号 八杉 康夫 (上等水兵・昭和二年生)

昭和二十年四月六日、戦艦大和は沖縄に向けて出撃し、翌日、鹿児島・坊ノ岬沖で海の底へ沈んだ。艦橋から奇跡的に生還した十七歳の兵隊は、四ヶ月後、広島で再び壮絶な経験をする。

「お前の行先は戦艦大和じゃ。よかったのぉ。あの船が沈む時は日本が沈む時じゃ」

 上官に赴任先を告げられ、嬉しさのあまり泣きました。広島県福山市に生まれた私は十五歳で海軍に志願入隊。昭和二十年一月に戦艦「大和」へ乗りこんだときは、まだ十七歳でした。持ち場は海面から三十四メートルにもなる艦橋の一番上です。長さ十五メートルという世界一の測距儀を使って、敵との距離や角度を計算する測距員の一人でした。

 赴任から三ヶ月後、大和は沖縄への「海上特攻」に出撃しました。

 四月六日の夕方、別府湾沖を航行中に「当直を残して手空き総員前甲板」と命令がありました。整列している私たちを前に、有賀幸作艦長が連合艦隊司令部からの命令書を読みあげ、続いて能村次郎副長から訓示がありました。その後、左舷の皇居方向に向かって最敬礼して「天皇陛下万歳」を三唱。その後に君が代と「海ゆかば」を歌いました。最後に、

「各自、故郷の方向へお別れしろ」

 と言われたので、隊列を崩してそれぞれの故郷へ向かい、ある者は合掌し、ある者は黙礼をしていました。あちこちから「さようならー」という声が聞こえます。能村副長の「遠慮はいらんぞ、大いに泣け」という言葉に涙を流している人もいました。私自身は上官のはからいで、最後の上陸日に母と会うことができたため、涙は出ませんでした。

■上官の自決を目の前で

 運命の四月七日は一面の曇り空でした。十一時過ぎに「目標捕捉、敵の大編隊接近す」という見張り員の叫び声を聞き、測距儀を覗いて驚きました。レンズの中が真っ黒になるほどの大編隊が迫ってくるのが見えるのです。主砲の射程四万メートルに敵が入るのを興奮しながら待っていましたが、敵機は雲の上に消えていきました。こうなるとお手上げで、測距儀で見えなければ大砲は撃てません。

 敵の爆撃機や戦闘機は雲を抜けて、ほぼ真上から襲ってきました。近すぎて主砲も副砲も使えません。機銃で応戦しましたが、後部艦橋に爆弾二発が命中して副砲が破壊されました。低空で襲ってきた雷撃機の放った魚雷が一発、左舷前部に命中しました。

 この第一波が去った後に上から甲板をみると地獄のようでした。あちこちに穴が空き、首がないもの、腹から内臓が飛び出しているもの、手足が吹き飛んで人間の形をしていない肉片が散乱していました。甲板の血を応急員がホースで洗い流している横を、衛生兵が走り回って負傷者や死体を運んでいましたが、ちぎれた手や足はポンポンと海へ投げ込まれていました。

 そうした光景を見て動転しているところに第二波、第三波が来ました。魚雷が命中するたびに震度五ぐらいの強い揺れがあり、次第に艦は左へ傾いていきました。後日、魚雷は左舷に九発、右舷に一発当たったと聞きました。艦を水平に復元するためには、艦内右舷側の部屋をいくつも閉鎖して海水を注水しますが、傾きが大きくなったので、ついには兵隊が残っている部屋にまで海水が注がれたそうです。こうした犠牲を払っても大和の傾きは戻らず、十四時過ぎには壁に手足をついて体を支えるのがやっとの状態になりました。総員退去の命令が出たらしく、気が付くと周囲には誰もいません。が、筒状の測距儀の向こうに、直属の上司である保本政一少尉がいるのに気が付きました。

 声をかけようとした瞬間、保本少尉は戦闘服を肌着ごと引き裂き、戦闘帽を刃に巻いて握った日本刀を左の脇腹に突き立てたのです。すごい勢いで血が吹き出し、保本少尉は一瞬、目を見開いた後に崩れ落ちました。血で染まった肌着は、従兵だった私が前の晩にアイロンをかけて届けたものです。そのとき「お前には世話になったなあ」と言葉をかけてくれました。その優しい上官が目の前で切腹したのです。私は声も出せずに、その場で硬直してしまいました。

 その間も大和は傾きつづけ、ついには横倒しになってしまいました。海面から三十メートル以上の高さにあった測距室の二、三メートル下まで海面が迫っています。我に返った私は海に飛び込んで泳ぎ始めましたが、二メートルも進まないうちに、沈む大和が作りだした巨大な渦に巻き込まれてしまいました。二十メートルほど沈んだでしょうか。海中でオレンジ色の閃光が走りました。大和が爆発したのです。その直後に私は意識を失い、気が付くと海に浮かんでいました。爆発の圧力で海面へ押し出されたようです。あたり一面には重油が浮き、波間に数百人の生存者が漂っています。

 上空に敵機はいませんでしたが、赤やオレンジ色にキラキラと光ったり、鉛色になったりする物体が、満天を覆っているのが見えました。爆発で吹き上げられた大和の破片です。爆発の熱で真っ赤になっていたんですね。それが次々と降ってくるのです。五メートルほど前に浮いていた兵隊の頭が突然、二つに割れて膨れ上がり、声もなく海中に消えていきました。手足を切断された人もいました。

 私の右足にも厚み一センチ、一辺の長さが二十センチほどの三角形の鉄片が刺さりました。水泳には自信がありましたが、右足がマヒしてしまい、溺れてしまいました。

「助けてくれぇ」

 重油とコルクの浮いている海水を飲みながら、とっさに声が出ました。すると近くにいた士官が、抱えていた丸太を私の方へ押し流してくれました。川崎勝己高射長でした。高射長とは対空砲火の責任者です。

「落ち着け。もう大丈夫だぞ。お前は若いのだから頑張って生きろ」

 高射長はそう励ますと、波に揺られて離れていきました。最後に高射長を見たのは、四時間後に駆逐艦「雪風」が救助に来たときです。みんなが怒号をあげながら、下ろされた縄梯子を奪い合っている中、高射長は大和が沈んだ方向へ一人、泳いでいきました。

「コーシャチョー、コーシャチョー」

 と私が声を限りに叫んでも、振り返ることはありませんでした。

■原爆投下の翌日、広島へ

 呉に戻った私は陸戦隊へ配属されました。本土決戦に備えて、呉市の山奥で新兵を鍛えることになったのです。

 昭和二十年八月六日の朝、小隊長の訓示を聞いていると、上空を一機のB-29が飛んでいきました。それから三分ほど経ったとき突然、周囲が青白く光り、直後に猛烈な風が吹きました。広島市からは二十三キロも離れているのですが。午後には特殊爆弾が落ちたという情報が届いていました。

 翌日、広島駅の復旧作業を命じられ、百六十名を率いて広島市内へ向かいました。当時、西日本一と言われていた鉄筋三階建ての駅舎は外壁だけが残り、天井は地面まで落ちていました。その下に手や足、つぶれた頭があるのが見えました。駅の周辺にも何千、何百という死体がありました。死体置き場になった駅裏の東練兵場には異様な臭いが漂っていました。暑さのため腐敗が進んだ死体の腹がパンパンに張り、そこかしこで死体がポン、ポンと放屁しているのです。その臭いは言葉に出来ません。

 翌朝、偵察を命じられた私は部下を連れて、被害状況をスケッチで記録していきました。市内南部にある御幸橋周辺の記録を終えて立ち去ろうとした瞬間に右足をつかまれました。とっさに軍刀へ手をかけながら足元をみると十歳ぐらいの少年が手を伸ばしていました。顔がドロドロに焼けただれていたので、てっきり死体だと思っていたのですが、まだ息があったのです。

「兵隊サン、ミ、ズ、水ヲ下サイ……」

 少年が弱々しく呟きました。このとき私の水筒には水が入っていましたが、「重体者に水を与えると死ぬ」と言われていましたし、「負傷者の救助はするな」という命令も出ていました。私は「待っておれよ、また戻ってくるからな」と言って、その場を立ち去りました。

 ごめんなさい。あのとき、私が水をあげて死なせてやればよかったのです。ごめんなさい。思い出すたびに涙が出てきます。いまでも御幸橋を通るときは必ず両手を合わせます。

この続きは「文藝春秋」2012年9月特別号でご覧ください。

【阿修羅掲示板投稿へのコメントより】

01. 2012年8月18日 09:19:03 : yocCpRwZlQ

不沈艦といわれた戦艦武蔵は多数の魚雷・爆弾を受け沈没した。
渡辺は、『戦艦武蔵の最期』で、凄惨を極めた武蔵の艦上の様子を、体験者でなければ書くことはできないリアリティーでもって描いている。
http://zenkyoto68.tripod.com/watanabekiyosi01.htm
「・・・少し先へいくと、応急員のマークをつけた、まだいかにも子供っぽい面長の少年兵が、何かぶよぶよしたものを引きずりながら、横向きになってもがいていた。
歯をくいしばって振っている顔は、すでに死相をうかせて土色だった。
見ると、腹わたをひきずっているのだった。
腹わたは血につかって彼の足元にもつれた縄のようにひろがっていた。
うす桃色の、妙に水っぽいてらてらした色だった。
少年兵は途方にくれながら、わなわなふるえる両手でそれをかきよせ、もう一度それをさけた下腹の中へ一生懸命押しこめようとしていたのだ。そうすれば、またもと通りになると思ってでもいるように・・・・・・。」(197頁)
「砕かれた頭蓋骨、どろどろの脳液、吹っとんだ首、縄のようにもつれた腹わた、ちぎれた手足、そして床一面の血だ。血は折り重なった死骸の下をあらいながら、入り口のへしゃげた防水扉の隙間から通路がわへぴたぴたと流れ出た。天井やまわりの壁もはねた血でずっくり濡れ、ところどころ肉片が平たくはりついていて、そこからも血の滴りが雨だれのように垂れていた。」(160-161頁)
こうした記述をとおして渡辺が伝えようとしているのは、
「その死は一様に醜く無残だった」(205頁)ということである。
戦場における死は「『勇ましい』ものでもなかった。
『立派なもの』でもなかった。
『美しい』ものでもなかった。
みんな踏みつぶされたボロ布か虫けらのように死んでいった」のであり、「おれはそれをこの眼で見たのだ」(同)。渡辺は、「一様に醜く無残だった死」を、「ここで、こんなふうに死んでいかなければならないくやしさを、哀しさを、そして空しさ」(266頁)を人々に伝えなければならないと思うようになる。死んでいった者の悲痛な叫びを、誰かがかわって伝えなければならない、それこそが残された者の義務なのだ。
そこで書かれたのが『戦艦武蔵の最期』だったのである。
かれらが利害を持たない他人や他の民族の人々に冷淡・残虐であった事実(ときに父母兄弟にさえそうであったろう)は勿論、<一様に醜く無残だった死>も、<ここで、こんなふうに死んでいかなければならないくやしさ、哀しさ、そして空しさ>も存在しない。
靖国神社は、『戦艦武蔵の最期』で描かれたこうしたリアリティーを排除したうえに成り立っているのである。
http://esashib.com/tuzimoto04g.htm

渡辺は、戦前の日本では、天皇の権威を借りて、上の者が下の者を、下の者がさらに下の者をそれぞれ絶対的に支配していくやり方(=内なる天皇制)が広がっていたと指摘している。
それは、人々を支配する有効な仕組みであるとともに、おそるべき無責任の体系をつくりだすことになった。
「天皇の命令だということで、国のあらゆる悪事をはじめ、軍隊における理不尽な制裁さえ免罪になって」(127頁)しまうのであった。
 渡辺は、そのような無責任の体系を打ち破るためにも、天皇の戦争責任を裁くことがどうしても必要だと主張する。
責任の所在をつきとめ、それぞれに必要な責任を取らせていくためには、まず天皇の責任を明らかにすることが不可欠なのである。渡辺は、これがなされないうちは「戦後は終わらないし、またそれまでは終わらせてはいけない」(226頁)と主張している。

02. 2012年8月18日 19:16:06 : CJCvqIjxAE

現場はそれぞれ責任を取らされたが、天皇はもちろん上層部はだれも責任を取らなかった。

05. 2013年5月24日 18:44:06 : PMoag7tADA

莫大な金を掛けて建造された戦艦大和は ほとんど活躍もせず海の藻屑となった

中でも特に情けない話は、あの ハリネズミの如く装備された対空砲火が まるで役に立たず
アメリカの記録によると、大和撃沈までの攻撃による未帰還機は たったの10機だそうな
しかもそのうち5~6機は 大和最後の大爆発に巻き込まれたものだと言う証言が有る
大和を護衛していた駆逐艦が撃墜した機も有り、つまり、大和の あの所狭しと並べられた
対空砲火によって撃墜できたのは、せいぜい2~3機しか無く 正に一方的な戦いとしか言えず
なぶり殺しをされるために出撃したとしか表現のし様は無いのである。

こんな戦いをさせるために、国民に耐乏生活を強いてまで莫大な国家予算を注ぎ込んだのであろうか
大和に限らず、あの戦争は どれほど無駄な金と血を浪費した事であろうか

「世界の三大馬鹿 ピラミッド 万里の長城 そして戦艦大和」
これは、他ならぬ大和乗組員達が 嘲りを込めて言っていた事である。

(以上、転載終わり)

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【統一コリア一直線】南北首脳会談開催で合意 ハシゴを外された安倍政権の醜態

-森友文書改ざん事件についてまた新たな動きがあり、取り上げたいのは山々であるが、日本国民としてはこちらの動向も重要、今回はあまり旧聞にならないうち南北朝鮮をめぐる情勢の急展開について見ていきたい。文在寅大統領は、平昌五輪時、金正恩実妹・金与正氏が特使として韓国を訪問した返礼に、鄭義溶国家安保室長を中心とする特使団を平壌に派遣、鄭氏らは金正恩委員長と会談した。その結果、4月末に金正恩と文在寅南北両首脳が板門店で会談開催の運びとなった。以下の板垣氏情報、日刊ゲンダイ記事が伝えるとおり、対北強硬策一辺倒と思われていた米国トランプ大統領も態度を大きく軟化させ、大歓迎の意を表している。驚くべきことに金正恩委員長も、朝鮮半島非核化の意思を明確にしたほか、北朝鮮に対する軍事的脅威が解消され、体制が保証されるのであれば核を保有する理由がない点を明確にしたという。もう南北和解のレベルから、事は一気に南北統一(統一コリア)に向かって進んでいるようだ。それに向けた歴史的南北首脳会談後、今度は北は米国に金与正氏を特使として派遣、新しいニュースでは米朝首脳会談を5月までに開催する予定という。このペースで行けば、南北統一は今年中にも実現されそうな運びである。北と国境を接する中ロももちろん諸手を挙げて大賛成。関係国で、安倍晋三と仲間たちを除いては、東アジアの安定平和を望まぬ者はいないのだ。圧力、圧力と今に至るも馬鹿の一つ覚えを唱えている安倍らは世界中の物笑いである。これまで北の脅威を煽りに煽り、それを名目にモリカケ隠し目的の「国難解散」をやらかした落とし前はどうつけるつもりだ。この面からも、安倍晋三の早期辞任は避けられない情勢となったと言えるだろう。 (大場光太郎・記)-

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韓国の文在寅大統領は北朝鮮に特使を派遣、早ければ、「3月中に南北和平・米朝和平が実現する」という
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2018年03月05日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆〔特別詳報1〕
 韓国の文在寅大統領は3月5日、北朝鮮へ大統領府の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長(閣僚級)を団長とする特使団を2日間の日程で北朝鮮の首都平壌に派遣する。特使団は鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長のほか、情報機関・国家情報院(国情院)の徐薫(ソ・フン)院長、統一部の千海成(チョン・へソン)次官、国情院の金相均(キム・サンギュン)第2次長、大統領秘書室の尹建永(ユン・ゴンヨン)国政状況室長を含めての5人。北朝鮮の金正恩党委員長=元帥が2月9日からの平昌オリンピックに合わせて、実妹の金与正第1副部長に特使として韓国に派遣したことへの答礼であり、文在寅大統領の親書を託しており、金正恩党委員長に親書を直接手渡す。特使は6日午後に韓国に戻って、文在寅大統領に結果を報告する予定で、韓国政府はその後、鄭義溶国家安保室長と徐薫国家情報院長2人を米国に派遣して、北朝鮮側との協議の内容をトランプ大統領に報告させる。早ければ、「3月中に南北和平・米朝和平が実現する」という。

米トランプ大統領が、文在寅大統領の親書を携えた特使団の平壌市入りに、「うまくいくことを願っている」とエール
https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/0025566c5dee4afc7537870df27c233f
2018年03月06日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」 

◆〔特別情報〕
 「うまくいくことを願っている。いずれ(金正恩党委員長=元帥と)会うことになるだろう。私は特殊な人を厭わないけれども、私のほうが特殊かもしれないので、向こうのほうが戸惑うのではないか」-米トランプ大統領は3月5日、韓国政府高官ら計10人で構成する文在寅(ムンジェイン)大統領の親書を携えた特使団(BISの担当者も同行)が5日午後、特別機で平壌市入りし、北朝鮮の金正日党委員長=元帥を6日までの日程で訪問したのを受けて、「エール」、米朝首脳会談実現に大きな期待感を示した。金正日党委員長はこの日午後6時から特使団を晩餐会に招き、歓待した。特使団は6日、南北和平と米朝和平について、具体的協定内容や日程などを協議して、いったん帰国した後、米国を訪れて訪朝の結果を説明する。天皇陛下は、小沢一郎代表とともに委託されている「MSA資金」から朝鮮半島統一により新たに建国される「コリア」に数十兆円を分配(シェア)される。

文在寅大統領の特使団は、金正恩党委員長からトランプ大統領宛ての「非核化を約する念書」を得て帰国、大成果を獲得!
https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/8ed6961cdaa986d4aecba8fc12035543
2018年03月07日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆〔特別情報1〕
 「韓国と北朝鮮は4月末、南北軍事境界線上にある板門店で南北首脳会談を行うことで合意した」-文在寅大統領の特使団(鄭義溶大統領府国家安保室長を首席に、情報機関である国家情報院の徐薫院長ら)が6日午後6時、北朝鮮の金正恩党委員長=元帥との会談(5日から1泊2日の日程)を終えてソウルに帰り、文在寅大統領に報告後、韓国大統領府が6日夜、「虚心坦懐意見を交わし、満足のいく合意をした」との内容を報告後、鄭義溶大統領府国家安保室長が、「南北首脳会談を行う」と発表した。特使団は、金正恩党委員長=元帥からトランプ大統領宛ての「非核化を約する念書」を得て、文在寅大統領に提出し、大成果を獲得している。

トランプ大統領は、米軍将兵5万人以上が死傷、巨額戦費を費消する第2次朝鮮戦争を回避できてホッと胸を撫で下ろしている
https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/333a04c1431ed5cd7737113148501f6b
2018年03月08日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆〔特別情報1〕
 「北朝鮮との対話で進展があったようだ。この数年で初めてのことで、すべての当事者が真剣に努力している。世界は見ている、そして待っている!我々はどちらに転ぼうとも強く向き合う準備ができている」―トランプ大統領は3月6日朝(日本時間同日夜)、韓国と北朝鮮の南北首脳会談が4月末の実施で合意したことについて、自身のツイッターで期待感を述べた。第2次朝鮮戦争=核戦争勃発を望む不逞の輩がいる危機的状況の下で、金正恩党委員長=元帥が「南北和平→米朝和平」に向けて大英断を示したとの報を受けて、ホッとしている心情が滲み出ている。第2次朝鮮戦争ともなれば、米軍将兵5万人以上が死傷、巨額戦費を費消すると予想されているだけに、さすがのトランプ大統領も、気が重かったに違いない。「強力圧力む一辺倒」の戦争好きな安倍晋三首相とは違う。

54015

南北首脳会談開催で合意 ハシゴを外された安倍政権の醜態(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/881.html 

54016
握手する金正恩と韓国大統領府の鄭義溶国家安保室長(5日、平壌=朝鮮中央通信撮影・共同)

南北首脳会談開催で合意 ハシゴを外された安倍政権の醜態
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/224609
2018年3月7日 日刊ゲンダイ  

 実現すれば2000年、07年に続く3回目だ。韓国大統領府の鄭義溶国家安保室長は6日の会見で、北朝鮮側と南北首脳会談を4月末に板門店で開催することで合意したと明らかにした。

■トランプ「世界にとって素晴らしいこと」

 首脳間のホットライン設置でも一致し、北朝鮮側は非核化問題協議や米朝関係正常化のため、米国と対話する用意を表明。対話が継続している間、核実験や弾道ミサイル発射を凍結する考えを示し、朝鮮半島非核化の意思を明確にしたほか、北朝鮮に対する軍事的脅威が解消され、体制が保証されるのであれば核を保有する理由がない点を明確にしたという。

 南北首脳会談が実現すれば、金正恩朝鮮労働党委員長が権力掌握して以降では初めてで、中国国営通信の新華社なども速報した。

 金正恩は1月の朝鮮中央テレビを通じて放送された新年演説で、韓国との関係改善について「私たちは民族の尊厳と気概を内外に知らしめるためにも、凍結状態にある北南関係を改善し意味深い今年を民族の歴史に書き加える年に輝かさなければならない」「南北間の先鋭的な軍事的緊張状態を緩和し、朝鮮半島の平和的な環境から用意しなければならない」「北と南の情勢を激化させることをこれ以上してはならず、軍事的緊張を緩和し、平和的環境を用意するために共同で努力しなければならない」と話していたが、本気だったわけだ。

 トランプ米大統領も、北が非核化で米国と対話する用意があるとしたことについて、北朝鮮は「真剣だ」と評価し、歓迎の意向だ。6日、ホワイトハウスでの共同記者会見で「非常に前向きだ。世界にとって素晴らしいことだ」と発言した。北朝鮮の非核化の意思を慎重に見極めるとしながらも、南北対話が局面打開につながることを「望んでいる」と期待を表明した。

 元外交官の天木直人氏が言う。

「正月の演説でもあった通り、金正恩委員長は大きく方針転換を図った。平昌五輪に参加した北朝鮮について、日本国内では『ほほ笑み外交』とか『米韓分断作戦』という報道であふれたが、そうではなかったと評価し直すべきではないか。米朝会談が実現すれば、日本もこれまでの強硬路線を見直さざるを得ないでしょう。北朝鮮に対して『圧力を最大限高めるしかない』とこぶしを振り上げていた安倍政権はハシゴを外されるわけです」

 日本政府内では「韓国側から直接、真意を聞いてみないと判断できない」と戸惑っているようだが、平昌五輪開会式に出掛けて行って、文在寅大統領に「北朝鮮に圧力を」なんてエラソーに訴えていた安倍首相はカヤの外。内政も外交もメタメタだ。 


 日刊ゲンダイ  @nikkan_gendai 

平壌を訪れた韓国の使節団は、会見で北朝鮮側と南北首脳会談を開催することで合意したと明らかにしました。トランプ米大統領も「世界にとって素晴らしいこと」と評価しましたが、日本政府は完全にハシゴを外された形です。 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/224609

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【単細胞の晋】北朝鮮と米韓 “複雑系ゲーム”から取り残された日本の首相

-まず板垣氏情報では末尾の「憲法9条への自衛隊明記が国連憲章の敵国条項違反」、それを理由に安倍は退陣を迫られると。そうなのだ。かつての非フリーメイソン枢軸ドイツ・イタリア・日本三国同盟国のうち、アメリカなど戦勝五カ国に対し戦後粘り強い交渉の結果、独伊は既に当該条項を外され、日本だけが今でもくっついた状態なのである。これが今回思わぬ形で足を引っ張る形になるのか安倍晋三、の図式である。その安倍総理、1日予算委員会で北朝鮮情勢について「平昌五輪後が正念場」と。あれれれっ。これ、何日か前の当ブログ記事の私のコメント末尾で同じようなことを述べたばかりなんですけど。さては安倍総理、こっそり当ブログ訪問していてその部分をパクったのか?(笑)。とは冗談だが、安倍総理の対北ネガティヴ願望をよそに、米韓は少しずつ南北朝鮮安定化に向けた動きを進めているらしいことが、高野孟氏文までの以下3記事から読み取れる。仮に北朝鮮発の戦争が勃発すれば朝韓日米4ヵ国の被害者は1千万人以上、と米ランド研究所あたりが試算しているわけで、実際は今日北のみならずどの国、どの地域で核戦争が起ころうとも北半球に人類が住めない事態ともなりかねず。マッドドッグ・トランプ政権幹部らだって戦端を開くのには躊躇するだろうて。未だ対北朝鮮戦争を待望している安倍晋三らこそが、西のネタニアフ同様最大のウルトラマッドドックなのである。 (大場光太郎・記)-

キッシンジャー博士は、安倍晋三首相の国連憲章「敵国条項違反」を理由に密かに「退陣」を迫っている(板垣 英憲)
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/631.html
投稿者 笑坊 日時 2018 年 3 月 01 日 17:17:36

https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/99c6bc33eeba7a5736d9320e0d3f282a
2018年03月01日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆〔特別情報1〕
 「第2の日本」北朝鮮の金正恩党委員長=元帥はこのほど、韓成烈次官の後任として、対米交渉を担当してきた崔善姫北米局長を外務次官に昇格させた。崔善姫外務次官は、米トランプ大統領の指南番である「忍者外交のプロ」キッシンジャー博士の部下8人と「米朝和平の極秘交渉」を進めてきた実務担当の責任者。2月16日には、米朝和平合意が決定していたといい、金正恩党委員長=元帥は、その実績を認めて昇格を決めたという。これに対して、トランプ大統領は、国務省のジョセフ・ユン北朝鮮担当特別代表を辞任に追い込んでおり、キッシンジャー博士は、トランプ大統領を解任し、ペンス副大統領を大統領に昇格させようとしている。同時に、安倍晋三首相が、国連憲章の敵国条項に違反して、「憲法第9条に自衛隊を明記」させようとしているため、「国連憲章の敵国条項違反」を理由に密かに「退陣」を迫っているといい、日本政治は、大東亜戦争敗北以来、最大の転機に直面している。


北が挑発行為の可能性「平昌後が正念場」…首相
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12213-20180301-50101/
2018年03月01日 21時12分 読売新聞

 安倍首相は1日の参院予算委員会で、北朝鮮情勢について、「平昌ピョンチャン五輪・パラリンピック終了後が正念場だ」との認識を示した。

 大会終了後に、北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射などの挑発行為を行う可能性が高いとの見方を示したものだ。「北朝鮮はほほ笑み外交を展開しているが、この間も核やミサイル開発を続けており、現状は全く変わっていないことを認識しなければならない」とも語った。

 また、首相は北朝鮮に核・ミサイル開発計画を放棄させるため、国連安全保障理事会の制裁決議の履行を強く求めていく必要性を強調。その上で、北朝鮮が公海上で他国の船から石油精製品などを受け取る「瀬取り」について、「自衛隊や海上保安庁はそれに対するミッションを行っており、ある程度の効果を持っていると認識している」と述べた。

53912
文大統領、「朝鮮半島共同体」を強調=3.1節記念式

文大統領、「朝鮮半島共同体」を強調=3.1節記念式
https://news.nifty.com/article/world/korea/12211-207961/
2018年03月01日 13時53分 WoW!Korea

文在寅(ムン・ジェイン)大統領は1日、3.1節記念式で北朝鮮と関連し「朝鮮半島共同体」を強調した。

文大統領が北核と人権に対する言及なく、「分断を克服する南北共同体」を逆説するのは、最近の南北間”対話雰囲気”を勘案したものとみられる。

文大統領はこの日、ソウル・西大門刑務所歴史館で「第99周年3.1節記念式典」に出席し、「われわれは今後、光復100年に向かう中で朝鮮半島の平和共同体、経済共同体を完成させなければならない」と強く訴えた。

また「分断がこれ以上、われわれの平和と繁栄の妨げになってはならない。私はきょう、国民の皆さんへこの目標を共に成し遂げていくことを提案する」と述べた。

「北に特使派遣」韓国大統領がトランプ氏に伝達
https://news.nifty.com/article/world/worldall/12213-20180301-50136/
2018年03月02日 00時18分 読売新聞 

 【ソウル=中島健太郎】韓国の文在寅ムンジェイン大統領は1日、米国のトランプ大統領と約30分間、電話会談した。韓国大統領府によると、文氏は平昌ピョンチャン五輪に合わせた北朝鮮の高官級代表団の訪韓に応える形で、近く韓国政府の特使を北朝鮮に派遣する考えをトランプ氏に明らかにした。

 北朝鮮は五輪開会式に合わせ、金正恩キムジョンウン朝鮮労働党委員長の妹、与正ヨジョン氏を特使として韓国に派遣した。文氏はトランプ氏に対し、与正氏との会談について内容を説明した上で、「会談内容を確認するために、特使を派遣する計画がある」と伝えた。

 五輪に合わせた北朝鮮の高官級代表団の訪韓に応える形で、近く韓国政府の特使を北朝鮮に派遣する考えをトランプ氏に明らかにした。

 韓国大統領府の発表によると、両大統領は「南北対話の勢いを維持し、北朝鮮の非核化につなげていくために努力する」ことで一致した。今後行われる南北対話についても、米韓で緊密に協議、連携していくことで合意した。

53910

北朝鮮と米韓 “複雑系ゲーム”から取り残された日本の首相 永田町の裏を読む(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/617.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 3 月 01 日 09:05:05

北朝鮮と米韓 “複雑系ゲーム”から取り残された日本の首相 永田町の裏を読む
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/224145
2018年3月1日 日刊ゲンダイ

53911
「平昌外交」は空振り三振/(C)共同通信社

 安倍晋三首相の「平昌外交」は空振り三振に終わり、米日韓が結束して経済制裁と軍事圧力で北朝鮮を追い詰めていくという彼の3国“反共”同盟路線はすでに半ば破綻に陥っている。外交政策通の中堅与党議員が言う。

「慰安婦問題で怒り心頭の自民党の保守派、嫌韓派からは、首相の訪韓そのものに強い反対があったが、それを押し切って出かけて行った。文在寅大統領を叱りつけて、北の微笑外交に乗らないようクギを刺し、あわよくば北の代表に直接会って『核を手放せ、拉致被害者を返せ』と怒鳴りつけてやろうというくらいの意気込みだったのだろうが、不発。それで焦ったのか、文に『米韓軍事演習を再延期せずに実施しろ』と要求し、『我が国の主権の問題だ』と突き放されるという不始末まで演じてしまった」

 軍事演習をやるかやらないか、やるにしてもいつやるか、規模を縮小するかどうかは、文にとっては、米朝が軍事衝突に転がり込んで韓国が戦争に巻き込まれないようにするための命懸けの勝負であって、そこに演習に参加する資格があるわけでもない日本の首相が軽々しく口を挟むなど、非常識もはなはだしい。

 しかも、後で判明したことだが、その時、文は、北の代表とペンス米副大統領との会談を2週間も前から極秘調整してきたのに直前になって北側からキャンセルされて、てんやわんやの真っ最中。「何を子供じみたことを言っているんだ、このノーテンキ野郎が」とでも言いたいところを抑えて、「我が国の主権の問題だ」という上品な言葉を返したに違いない。

 この米朝会談の一件は、ドタキャンになったというその結果よりも、北が韓国政府に依頼して米国とのトップレベルの対話のパイプを開こうとし、米側がそれに応じたというプロセスに今後につながる大きな意味がある。

「対話のための対話は不要。圧力あるのみ」が安倍の口癖だが、北も韓国も米国も、そんな単純なことは考えておらず、引いたり押したりかわしたり、こわもてと笑顔を使い分けたりしながら、本当に戦争になってしまえば南北朝鮮と日本で死傷者1000万人とも試算されている事態をどうしたら回避できるかを探っているのである。米ランド研究所の最新の分析記事も「北の『米韓離反』工作などと言う人もいるが、米国と韓国は硬軟両面の役割分担をしているだけだ」と書いている。

 そうした複雑系のゲームから独り外れているのが安倍だが、本人はそのことに気づいていない。


高野孟 ジャーナリスト
1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。

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 日刊ゲンダイ  @nikkan_gendai 

【永田町の裏を読む/高野孟】北朝鮮と米韓 “複雑系ゲーム”から取り残された日本の首相 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/224145

 モア・リベラル☆勘違い保守は不要  @make_the_peace7 

北朝鮮と米韓 “複雑系ゲーム”から取り残された日本の首相 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/224145
国際感覚や多面的な外交交渉に疎い総理大臣が、何をかいわんやである。

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【そりゃ凄えや】弱小国北朝鮮が大米国ペンス副大統領に“懲罰”w&北朝鮮高官「米国と対話の用意」と

-平昌冬季オリンピックが25日、閉会式を迎えた。隣国ながら同じ東アジアの同胞として、テロとか不測の事態なしに無事終了できたことをまず喜び合いたい。分けても日本は冬季五輪史上最多となる13個のメダル獲得とかで重ねて喜ばしいことである。ただし羽生選手や小平選手など金メダル獲得者を中心に、そのつど安倍馬鹿三総理がお祝いと称する電話をかけまくり、自分のその時の様子をテレビに映させたのは腹立たしい限りだ。自己顕示欲塊り野郎の人気取り見え見えでウザッタくて虫酸が走る。今回の五輪は北朝鮮外交がやたら目立った。特に金正恩の妹・金与正の開会式を中心とした外交デビューは鮮烈だった。ペンス米副大統領、特にわが国安倍総理などすっかり霞んでまるでお呼びじゃなかった。金正恩による韓国五輪乗っ取り作戦図星の図式だ。韓国政府による「4・1・0対応」への腹いせかw、米ペンス副大統領は帰国後、大人気の金与正を「最も抑圧的な体制の中心人物の一人」などと批判した。対して北朝鮮は、「特大型の挑発行為の極致」と強く反発し、その上で「われわれの最高尊厳(金正恩氏)や体制を冒涜(ぼうとく)する者は誰であれ、どこにいても捜し出して無慈悲に懲罰するのが、わが軍隊と人民の気質だ」と威嚇したという。わぉー!!所詮、戦車を前にした蟷螂の斧のようなものだろうに、この大向こうを張った空威張りはどうだい。米国に対するこの虚勢、少しは見習ったらどうかね、ポチ晋三くん。しかしその一方では「米国と対話の用意」と、外交上の的は外していないのだ。閉会式に出席した金英哲朝鮮労働党副委員長がそう語ったのである。ボールを投げ返された米国は今後さあどう出る。どうもトランプ政権内部がグチャグチャで二転三転しているようだが。いずれにせよ、「戦争か平和か」、正念場は平昌冬季五輪が幕を閉じたここから始まる。 (大場光太郎・記)-

金英哲党副委員長ら訪韓、「米朝対話をする十分な用意がある」と発言、日本国内では、「日本の核保有国化」を訴える発言噴出!
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken

板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆〔特別情報1〕
 韓国平昌折リンピックは2月25日閉会した。北朝鮮の金英哲朝鮮労働党副委員長をトップとする代表団がこの日午後0時前に訪韓し、文在寅大統領と約1時間会談、このなかで「米朝対話をする十分な用意がある」「南北関係の改善と朝鮮半島問題の本質的な解決のために、米朝対話が早期に開かれるべきだ」と発言して、午後9時から開催された閉会式に出席した。しかし、日本では、「朝鮮半島統一」に脅威を抱く狭量の輩が少なくない。TBS番組「時事放談」(2月25日〈日〉06:00~06:45)で、田中均元外務審議官が「同じ民族の南北が統一を願うのは理解できる。日本が北朝鮮との外交パイプを持っていないのが問題だ」と発言したのに対して、自民党の中谷元元防衛相(防衛大学校24期=本科理工学専攻卒、陸上自衛隊2尉で退官)が、「北朝鮮の微笑外交に騙されてはならない。非核化を決めない以上、経済制裁の圧力強化は続ける」と対話に反対の姿勢を力説。テレビ朝日「たけしTVタックル」(2月25日11:49~12:55)は、「オリンピックで朝鮮半島情勢は新たなステージへ!?最強の“反日核武装国家"誕生とは!?米国が日本の核武装を提案!?世界各国の軍事パレード徹底比較!銀座で自衛隊パレード!?」などと盛んに煽り立てていたのには、幻滅した。


北朝鮮が米副大統領に"懲罰" 与正氏批判に強く反発=米副大統領を「懲罰」-北朝鮮
https://news.nifty.com/article/world/worldall/12145-2018022500233/
2018年02月25日 23時07分 時事通信

 【ソウル時事】25日の朝鮮中央通信によると、北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会は24日、報道官声明を出し、ペンス米副大統領が金正恩朝鮮労働党委員長の妹、与正氏を「最も抑圧的な体制の中心人物の一人」などと批判した発言について「特大型の挑発行為の極致」と強く反発した。
 その上で「われわれの最高尊厳(金正恩氏)や体制を冒涜(ぼうとく)する者は誰であれ、どこにいても捜し出して無慈悲に懲罰するのが、わが軍隊と人民の気質だ」と威嚇した。 

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