折り折りの短歌(15)

611


咲き満ちし夜の桜と深き闇溶けていかなる化合起こすや


思わざる処に藤の木がありて花房しとど垂れていにけり


ごらん今啼きつつ空を飛んでいる鳥はひたすら今飛びしのみ


62530

和田傳(わだ・でん)の石碑の前で猫といて朧(おぼろ)三日月西に見しかな (※1)


初夏(はつなつ)の日射しが強き昼下がり西の峰々気だるく霞む


もう発(た)つぞ上煤が谷行きの終バスが乗らねばヤバイ人ら走れり  (※2)


薄氷(うすらい)のごと東(ひんがし)に浮かびたる午後の三時の初夏の月かな


ささやかな小藪なれども貴重なり綺麗な蝶が訪(とな)うからには


生田小学校沿いの裏道の下幽玄な孟宗林  (※3)


裏道の六十段階段登るとき背後でしげき夕のうぐいす


お婆らの話の終いはここ痛いあっち痛いの病気の話


街灯に浮かび上がりし緑葉の常にはあらぬほどのみどりよ


去年(こぞ)しげく夜蛙(よかわず)鳴きし水田が宅地に化けて寂(せき)たる今年


日傘など差せし奥様ちらほらと見ゆる五月の午後の街かな


6126

ソクラテス最期の年に近づけど足元にもの未熟なる我れ  (※4)


俺などはこの年までに何事も為し得ていないこのバカ野郎!


さやかなる南(みんなみ)寄りの中空に火星従えウエサクの月  (※5)


うす赤きアジサイ街路紫陽花(あじさい)も横浜に交われば赤くなるのか


深緑の木立の中に埋(うず)もれしごとメルヘンな家並みありけり


 (大場光太郎)


【注記】

62531
和田傳 1900年(明治33年)1月17日 - 1985年10月12日)
(厚木市恩名のご自宅前で。下の記事にも書きましたが、昭和40年代後半、私もご住居付近を散歩中の同氏をお見かけした事があります。)

※1 和田傳は、当厚木市出身・在住だった戦前、戦後の農民文学者。詳しくは『鰯雲(鱗雲)』記事(2009年10月)参照のこと。その和田傳文学碑が、実はアク、コクロなど野良猫たちの「猫山」なのです。画像では分かりにくいですが、和田傳代表作の一節を刻んだ石碑の下がくぐれ、全体が平になっていて、猫たちが集うのに格好の場所なのです。多い時には数匹集まりましたが、今はアク一匹、アクが猫山の主になりました(笑)。今年初春頃まではコクロもいましたが、いつの間にか近くの当市内一の中央公園にお引越しなさいました(笑)。したがってこの拙歌の猫とはアクです。文学碑を背にして縁石に腰掛け、遊歩道向こうの厚木中学校校舎の間の西空を見ていたのです。すぐ側にちょこんとアクが蹲って。なおアクの噛まれた右前足、おかげさまで4月中旬くらいに完治しました!

※2 上煤が谷(かみすすがや)とは愛甲群清川村煤が谷の一番奥の部落。七沢と飯山からの二本の道が合流した先が清川村煤が谷ですから、本厚木駅から20キロくらいあるのではないでしょうか?最終バスに乗り遅れたら完全にアウトです。なお上煤が谷の向こうの峠を越えた先が宮が瀬地区でしたが、今では東洋一という宮が瀬ダムが築造され湖底に沈んでいます。

※3 生田小学校は川崎市多摩区内にあります。五月初旬頃、小田急線生田駅から高台にある同校裏手の閑静な住宅街の建設会社を訪問しました。同小学校をぐるっと回っての初訪問の帰り際、奥さんから近道を教えてもらいました。同小学校裏道ルートです。急階段を下りるとほどなく駅で、なるほど近いです。しかし行く時は次の拙歌のように心臓破りの六十段階段があります。聞くと70代半ばくらいの奥さんは、今でも駅方面に用事で出かけた帰り、その階段を難なく登るそうです。いやはや感服です。

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※4 先月『ソクラテスの弁明・クリトン』(岩波ワイド文庫)を読み終わった直後の二つの拙歌です。同書を大感激しながら初めて読んだのが高校2年生の時。以来40代前半に2回目と都合3回目の読了となります。今回は讒言により告訴されたソクラテスの、アテネ市民たちへの弁明の場に若きプラトンなどと共に私もいて、ソクラテスの生の説法を聴くような感覚で読んでみました。クリトンと併せて、いやぁとにかく凄い哲人だった事が再認識されました。釈迦、孔子、イエスと共に「人類の教師」とされますが、かくも偉大な真理貫徹の愛知者がいてくれたことに感謝です。『ソクラテスの弁明・クリトン』は、私自身の未熟さ、至らなさがまざまざと鏡のように映し出される大古典です。

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鞍馬寺「五月満月祭」のワンシーン

※5 「ウエサクの月」については『ウエサク祭とは?』(2010年5月公開)参照のこと。今年のウエサク月は5月21日(土)の満月でした。その夜、京都鞍馬寺では恒例の「五月満月祭」が行われました。また東京でも、さらには米国カリフォルニア州の聖山・シャスタ山麓でも行われています。毎年この時期になると同記事(正・続)へのアクセスが急増します。

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折り折りの短歌(14)

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(横浜・山下公園の「赤い靴はいてた女の子の像」)


大山の右ひときわなアミターバ光輪放つ春の入日よ  (※1)


幅広き用水路の中ほどに豊かに生うる春の水草


街中の用水に生うる水草にも草の暮らしがあるんじゃないか


傾斜地に一群(ひとむら)咲ける春花は見られるために咲くには非ず


数ミリの丸き紫の野の花が風に震えて咲いているなり


雑踏のただ中にある桜木の今は二分咲きから三分咲き


5078

晴れし午後八王子駅構内の黄なるがまぶし菜の花盛り


何処(いずこ)より風が運びしものなるか河原菜の花今盛りなり


きららかな駅ビル同士の隙間にもはばかりもなくたんぽぽの花


たんぽぽが群れて咲きいし脇道につい誘われて逸(そ)れて入りにき


ほらごらんお目々ぱっちりたんぽぽが肩寄せ合って咲いているわよ


横スタの巨人戦観たさの乗客の関内駅を辛くも抜けし


横浜の港の街は緑豊かそれゆえわたし好きな街です


5072
(両側の木の間の白い建物が幸福の科学ビル。何となく違和感あり。)

由緒ある横浜の街幸福の科学のビルがでんと聳(そび)えり


夕暮れの山下公園一角で「赤い靴」上手(うま)し男性テノール  (※3)


公園の大き一本の桜木の夜の闇溶かす妖し花かな


稲城市役所通りに沿いし細(ささ)流れ桜花びら浮かべ流れり  (※4)


昼下がり川の辺の道対岸は大山までの萌(も)ゆる新緑


春の夜の西に輝く火の星よ生き抜く力我に与えよ


 (大場光太郎)


【注記】
※1 「アミターバ」とはサンスクリット語で、「阿弥陀如来」のこと。あのような荘厳な入日を見ると、古人が西方極楽浄土の阿弥陀様の救済力をイメージしたのも何となく分かる気がします。 

※3 ホント、男性の歌う「赤い靴」は素晴らしかった!ジーンとなり、久しぶり同公園内の「赤い靴像」に会ってきました。というのも、『二木紘三のうた物語』の「赤い靴」に3歳で死んだ妹のことをコメントしてより、何度も「会いに」行ったのです。また当ブログでも幾つも関連記事を出しています。
〈フォレスタの「赤い靴」〉
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1918.html

※4 東京都稲城市役所です。

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折り折りの短歌(13)

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うずくまる猫かと見ゆる黄昏(たそがれ)の風に震える冬の生(お)い草


マックにて老人ホーム情報を長く見ている老女ありけり


あじさいの新芽早くも角(つの)ぐみし二月半ばの寒いとある日


枝黒く紅(べに)をほのかに含む花その白梅にしばし見惚れり


ふきのとういつもの場所に芽を出して二十幾つも摘みて帰れリ  (※1)


黄緑(きみどり)の初々(ういうい)し芽を出だしたるふきのとうこそ春告げる草


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(すぐに横浜港に注ぐ大岡川・弁天橋よりの眺め。かもめが浮いていたのは川の左端、また留まっていたのもフェンス左端。)
 
浜近き川面(かわも)数羽のかもめ鳥ふわりゆらりと浮いていたりし


川境のフェンスに連なるかもめ鳥そをデジカメで撮りし娘よ


桜木町行き電車対面の美女の生脚艶(なま)めきて春  (※2)


駐車場停まりし車のナンバーが根性決めて「666」


背の高き枯れ木の枝のいずこかで甲高く啼く夕鳥ありき


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三月の五日早朝近くにてはっきり聴こゆ鶯(うぐいす)の初音


三月の冷たい雨の降る午後の下校児童の傘の波かな


手前なる小高い山の幾つもを一つに隠せり丹沢霞


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(この像は清水小学校のものではありません。)

懐かしき二宮金次郎少年像建っていたりし清水小学校  (※3)


グランドで児童掛け声元気よく体操している春うららかな


道端の薄むらさきの小さなるすみれ咲きいし春うららかな


真青(まさお)なる東の空の中ほどに上弦(じょうげん)の月淡く浮かべり


 (大場光太郎)

【注記】
※1 「ふきのとう摘みとは面妖な」とお思いの方もおられるかもしれません。がしかし、幼少を山形県内陸部の郷里で過ごした者にとっては当たり前なのです。もちろん「摘む」のは食用にするためです。てんぷらに、刻んで煮込みうどんの添え味に、苦みばしってなかなか乙な里の幸なのです。

※2 往年の美少年も(大笑い)この年になると電車に乗る場合、ケータイもスマホも持っていないので、対面座席の人となるべく目を合わせないように気をつけています。特に女性だったりすると、チラッとみただけでセクハラとみなされかねませんから。この拙歌の状況は、横浜駅から桜木町駅までの数分間でしたが、目の前に美脚美女ですから、本当に目のやり場に困りました。いくら見まいと思っても、いつの間にか美脚の方に目が吸い寄せられてしまうのです(笑)。

※3 二宮金次郎像は郷里の宮内小学校校舎前にも建っていました。今どきはもうあるまいと思っていたのに、何と現住居付近の清水小学校校舎前にもやはり建っているのです。二宮尊徳は現・小田原市出身のためか県内小学校に同像は多いようです。また金次郎像は石像が多いかと思いますが、全国に像が普及し出した昭和初期は銅像が主だったといいます。それが戦時中の物資不足で銅や金物類が軍部に接収された折り取りはずされ、石像に替えられたのだといいます。

※番外編 野良猫たちの四季
 今回もいろいろ記しておきたい事がいっぱいありますが、切りがないので一つだけ。問題児(実際はメス猫)アクニャンには困ってしまいます。年末から年初には自分で背中の毛をむしったらしく大きな「毛むしりクレーター」を作り、赤い皮膚がむき出しになりました。それが1ヵ月くらいで治ったと思ったら、今度は他所の野良猫と喧嘩し右前足を噛まれたらしく、その足をだらんと垂らし、三本足でピョコタランピョコタランと痛々しい姿です。「出来の悪い子ほど可愛い」といいますが、本当に心配です。アクよ、早く良くなれ!

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折り折りの短歌(12)

217


西空の希望の色の冬茜(ふゆあかね)地に生く命寿(ことほ)ぐ如く


長歩きすれば存外暑いほど小春川辺で一服するか


2175

みなとみらい横浜港の上の雲白くふんわり浮いていたりし


クリスマスイヴ雑踏の駅通路左右掻き分け急ぎ歩めり


2172

かの杜甫の名詩絶句にみならえば今年看(みすみ)すまた過ぐるなり  (※1)


去年(こぞ)今年越えていまだに咲いている存外強きコスモスの花  (※2)


さすが厚高男子生女子に9条説いて歩めり  (※3)


白鷺がゆらと翼をはためかせビルの狭空(さぞら)を飛びていたりし


禍々(まがまが)し蛇腹(じゃばら)のようなケムトレイル冬夕空に長く伸びたり


人溢れこの俺の価値減じるとある種の怖れ感じるひと時


雲間よりシリウス一つ瞬(またた)きて我に何かを告げるが如し


夕靄(ゆうもや)にうす煙せる遠近(おちこち)の景色を眺め川野辺の道


早春の気そこはかとなく漂わす曇り日の下のおらが街かな


うっすらと雪を被(かぶ)りし丹沢のけふは厳しき峰の連なり


日が暮れて川辺の道を行くときに冬の水音冷たかりけり


鉛色の冬空覆う電線に何の黙示か鳥連なるは


2171

大寒の道辺(みちべ)に薄きクリームの小(ち)さき水仙早や咲いてるよ


雲割りてさやかなる月躍り出ず午後五時半の冬の刻(とき)かな


 (大場光太郎)


【注記】

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※1 杜甫の(五言絶句)『絶句』は高校漢文でどなたも習ったことでしょう。また当ブログ『名詩』カテゴリーでも以前取り上げましたから、詳しい意味などはここでは省略します。盛唐を突如揺るがした「安禄山の変」により、玄宗皇帝・楊貴妃らはもとより杜甫一家も都・長安を追われ、遂に長安に帰る能わず、最晩年の長江船中での死まで漂泊の生涯となったのです。という事はともかく。私ごとき凡人は毎年「やり残し感」いっぱいで年の瀬を迎えることになります。
※2 結局1月中旬頃まで咲いていました。

2176

※3 「厚高」とは神奈川県立厚木高等学校のことです。日本でも有数の進学校ひしめく本県にあって、厚高はここ10年くらいで県内ベスト5、6番手くらいまで頭角を現わしてきました。他市の優秀な生徒がけっこう電車通学しており、当駅周辺でいかにも賢そうな同校生をよく見かけます。本拙歌は1月中旬頃のある夜の一こまです。駅近くの道で十数メートルくらいすぐ後ろについて聞いていて、『君凄いねえ。さすがよく勉強してるね!』と声をかけようかと思いましたが『恋路を邪魔しては』と止めました。厚高生にとって大先輩に当たる甘利明の今回の不祥事、現役の彼らはどう受け止めているのでしょうか?
※番外編 野良猫たちの四季
 今回は野良ちゃんたちについての短歌はありませんが、消息だけ記しておきます。現在7ヵ所ほどで餌を上げ、顔なじみ猫ちゃんが10匹以上となりましたが(ワォーッ!)、中核のミケニャン、アクニャン、コクロ、メメクロ、アッチャカなど、おかげさまで全猫つつがなく冬を越せそうです!

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折り折りの短歌(11)

12201
(『十月はたそがれの国』挿絵より)

十月はたそがれの国終わる日はにわかに冷えて冬コートかな  (※1) 


木枯らしが街路樹鳴らし落ちし葉がかさこそ鳴りて路上を舞えり


長雨で落ちて濡れいし桜葉の赤や黄色の色さまざまに


公園のベンチに落ちし桜葉の紅(あか)きを見つつ側に座れり


1220
(『十月はたそがれの国』挿絵より)

サタニズム世を覆いたる難しき今この時を如何に生くべし 


人寒(さむ)と身をばすくめて行くときに凛として咲く菊の姿よ


どんよりと雲垂れ込めし十一月下旬の街で生くる人々


雑踏(ざっとう)の生垣にある山茶花(さざんか)の汚(けが)れを知らぬ純白の花


12205

落魄(らくはく)の心抱えてふと見れば銀杏(いちょう)落葉の黄落のさま


散り敷きし銀杏の黄なる落葉(らくよう)の上を歩くは渡海の如し


大山の上幾つもの横筋の雲朱(あけ)なれり冬の夕焼け


味気なき通りを飾る一輪のピンクの色の冬のバラかな


時ならぬ冬の嵐が起こりしは落葉(おちば)町中散らさんためか


冬痩せし川の小石の上に乗りつがいの鴨がしばし憩えり


鳥類のシンパシーとでも言うものか白鷺の周り鴨が囲めり


12206

道の辺の返り紫露草の花にそぼ降る冬の雨かな  (※2)


横浜の駅海抜1m(いちめーとる)少しの津波でみんな死ぬわな


横浜駅ジョイナスビルのすぐ上で強く光れり夕の眉月(まゆづき)


夢の世はどうせすべてが夢なれば見たい夢見て生きよじゃないの

 (大場光太郎)


【注記】

12203 
(創元SF文庫『10月はたそがれの国』)

※1 冒頭の拙歌に用いた「十月はたそがれの国」は、エドガー・アラン・ポーの衣鉢を継ぐ「SFの叙情詩人」と評されたアメリカのSF作家レイ・ブラッドベリ(1920年8月22日~2012年6月5日)の幻想的名短編集のタイトルです。代表作『華氏451』など数作品が映画化されています。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『華氏911』(2004年)のタイトルは『華氏451』にならったものです。

※2 紫露草(むらさきつゆくさ)は毎年6~9月頃に咲く多年草の草花です。郷里町の我が家(○号室)の狭い裏庭に梅雨時になると決まって咲いていました。あまり日の射さない場所なのに毎年咲くので強く印象に残っています。その花が12月上旬、現住居からバス停までいつも歩くコースの道端にポツンと一株咲いていたのです。このところの寒さのせいかさすがに今はしおれてしまいましたが。

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折り折りの短歌(10)

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大山と丹沢黒き山並みの上鮮やかな秋の夕映え


大山の上より北へ東へと伸び広がれる夕うろこ雲


きらきらのパチンコ店の裏側は暗く汚れて殺伐たりき


良い流れ掴みかけてる秋の夜(よ)の芒(すすき)一群(ひとむら)ただに在りけり


晩秋の夜(よ)にほろと鳴く虫の音(ね)よ帰って動画でタイース聴くか  (※1)


潅木の繁みに沈む三日月を見やり深まる秋を感じつ


かさかさと乾いた音を聞きながら桜落葉を踏みつつ歩く


あらかたの葉が散りゆきし桜木の枝を透かして秋の青空


晴れし夜(よ)に両手何本も傘下げて少しシュールな女が通る


東(ひんがし)の空にぽっかりほの紅(あか)き雲が浮かびし秋の夕暮れ


11209

夕暮れの大山遠くコスモスが群れて咲きいしとある公園


つまりはね愛か恐れの二つしかないの愛ゆえ咲きしコスモス


11207

十月も下旬というに道端の小(ち)さき宵待(よいまち)まだ咲いている


バス待ちのおんぼろベンチ腰掛けてさあお月見と洒落(しゃれ)てみやうか


我らみな真実などは知りもせずでも生きられる危うい時代


小田原の駅の外れのコスモスが連なりわたし迎えしごとし


11208

このところ絶えて見ざりしケムトレイル小田原上空暴れ回れり  (※2)


夕暮れの車窓(まど)より湾を眺望す小っぽけな我(が)寄せつけぬ海


黄昏(たそがれ)の空の低きを鳥たちが西へ西へと目指し飛びいし


 (大場光太郎)


【注記】
※1 「タイース」は「タイースの瞑想曲」(作曲:マスネ)のつもりで。ご存知の方が多いかもしれませんが、同曲はバイオリン(+ピアノ)の名曲です。わたくし的には、この曲は「クラシック小曲マイベストテン」の一曲です。「タイスの瞑想曲」ともいうようです。
[ナクソス・クラシック・キュレーション #ファンタジー]盤
https://www.youtube.com/watch?v=mIqMn1Vdly0
※2 「ケムトレイル」
 (英: chem trail) は、航空機が化学物質などを空中噴霧することで飛行機雲に似た航跡を生ずるとするchemical trail, ケミカル・トレイルの略で、con trail, コン・トレイル(航跡=飛行機雲)より派生した語である。公害などの副次的被害ではなく有害物質が意図的に散布されているという見解である。(「ウィキペディア」より)
 「ケムトレイルまた撒いたのか東より西へと長き冬の妖雲」 (『折り折りの短歌(3)』より)
 昨年末の拙歌で詠みましたように、当地上空でも今年初あたりまで確認されていましたが、それからばったり見かけなくなっていました。ネットなどで大騒ぎされ、さすがに自粛したのかと思いきや、この何日か後に当地でも久しぶりで見ました。自粛は戦争法成立までだったのでしょうか?いずれにせよこんな生物化学有害物質雲を撒くのは、米国指令の防衛省関係筋でしょう。神奈川県の場合、東富士演習場辺りから飛来しているのでしょうか?いずれにせよ、ホント厄介で困った連中です。

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折り折りの短歌(9)

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ささやかな水脈(みお)を残して鴨(かも)三羽つつと上りし荻野川かな

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(荻野川。向こうの山が大山)

大山を遠くに望む荻野川その土手沿いに咲く曼珠沙華(まんじゅしゃげ)


木が繁る小坂の道を降りしとき曼珠沙華ありはっとしたりき


秋の日を浴びし乳母車の嬰児(みどりご)が両手広げり舞うがごとくに


車窓より上り坂ある街を見しどんな人らが奥に住めるや


秋の日の下校途中の女の子マンガ手にしてクスと笑えり


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バカ高いランドマークの上空で大魚泳ぐや夕うろこ雲


イルミナティカード禍(まが)しく描きたるみなとみらいの秋日和かな  (※1)


夕闇の空の低くきを蝙蝠(こうもり)が円を描きてただ飛びしなり


古寺の御堂におわす御仏のアジナーチャクラに射す秋西日  (※2)


十月の初旬の原の遠近(おちこち)に小さく咲ける返りたんぽぽ


弱ったにゃ~普段のテリトリ踏み越えてメメクロずっと追いかけて来る  (※3)


風募り地水火風を想いつつ暗い夜道をどこまでもかな  


現代の風物詩かや夕暮れの街路樹目指し鳥集まるは


もの皆が深まる秋を感じてるそんな気がする夕暮れの刻(とき)


大相撲厚木場所なるものありて夜の巷(ちまた)にお相撲さんが


バス降りて夜更けの道を帰るさのすぐの小山でしげき虫の音


このような世の中だもの誰しもが心に刃物潜ませている



【注記】
※1 下のカードがみなとみらい地区のパシフィコ横浜ホテルを表わしたものだと言われています。右手前の崩れた赤壁は赤レンガ倉庫の残骸だと。そういえば地面に原子力のマークが落ちていますよね。近未来、首都圏を核爆発が襲う?

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(実際の横浜パシフィコ)

※2 人体には7つのチャクラ(霊的車輪)があると言われていますが、「アジナーチャクラ」は下から6番目のチャクラ。眉間の奥にある(松果体と関係あり?)とされますが、「第三の目」のつもりで詠んでみました。なお当『折り折りの短歌』では、原則として実際出会った出来事や物事を詠むように心がけていますが、もちろんこの短歌はフィクションです。

※3 「メメクロ」はミケニャン、コクロ、アクニャン野良猫グループの(春頃からの)ニューフェイスです。昨年生まれのようです。どこにでもいるのかもしれませんが、パンダの白黒を裏返したような黒白猫です。鼻筋から口、あご、首筋あたりが白。そして白靴下を履いたように足が白いのです。図太いところがあり、先輩たちの食べ物を横取りする勢いです。体は小っちゃいのに、まあ元気でドンドン走り回っています(この時も「まくのに」一苦労しました)。オスかメスか分かりませんが、正式な名前は「御目々黒々目々九郎」と申します(笑)。

 (大場光太郎)

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折り折りの短歌(8)

夏休みがらんとしたる校庭で少年独り屈(かが)みていたり


わたくしの視えざる体いっぱいに広げ触れたし入道雲を


扉(と)が開き美し熟女出で来たり花に水遣(や)る夏の夕暮れ


虫かごに蝉をいっぱい詰め込んでジージー鳴かせ少年が去る


夕暮れの公園ベンチ『ファウスト』の一節一節意味新たなり


カナカナが遠くの森で鳴いている町の外れの夏の夕暮れ


まだ青さ残りし宵の西空に低く掛かれる秋の眉月(まゆづき)


清澄な九月二日の昼下がり赤とんぼの群れ低く飛びたり


私鉄線停まる一つの駅ごとに暗くなりゆく秋の夕暮れ


あらためて生き直すぞと思わせる台風一過の秋の夕映え


雲覆う阿夫利峯(あふりね)近き土地にいて何やら寂し秋の夕暮れ


用水の小橋たもとの酔芙蓉(すいふよう)去年(こぞ)根元より枝を伐られし


根元より枝伐られたる酔芙蓉また葉が繁り花を咲かせり


夜(よ)の辻にひそりと台を構えつつ客待ち顔の女占い師


建て込みし住宅街の方々でリンリン鳴きし夜の虫かな


ビル連なる繁華な街の一処(いっしょ)よりほろと聞こゆる夜の虫かな


この国を滅びの淵に誘い込む戦争法案絶対反対!

(大場光太郎)

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折り折りの短歌(7)

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六十年安保小学五年生なれど悲しき樺美智子の死   (※1)


青木立その下陰のあじさいの花が多彩に連なる小径(こみち)


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小揺れせし未明の地震(ない)に鳥たちの異様なほどに鋭い啼き音(ね)


鬱陶(うっとう)し雨上がりたる夕間暮れ青葉くきりと立ち顕(あ)れにけり


おちこちにあざみの花を見かけしが「あざみの歌」記事今年も見送り


長雨止みアク久しぶり現われる「ニャンだニャンだニャンニャンだだ~」  (※2)


洋猫系で横着面(おうちゃくづら)のアクなれどげっそり痩せてよろよろとして


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横浜の柏尾川堤(かしおがわてい)野良子猫ほれこの餌でしばしの飢えを (※3)


瀟洒(しょうしゃ)なる住宅街の住人も人間家畜に変わりあるまい


いつもより少し早めか七月十八日朝ミンミンの遠き初鳴き


夕風がそよろに通う木立より分けても繁き蝉の声かな


小藪よりふと飛び出せし油蝉行きつ戻りつ次どこねまる


久しぶり驟雨襲いし町空の上がる兆しの南(みんなみ)の雲


相模川に注ぐ手前の荻野川水面(みなも)きららな日盛りの午後


シールズを私は支持をするけれど少し黙れやバスの学生


これもまた男女子化の表れか野郎が寄ればとかく姦(かしま)し


「長崎の鐘」の歌詞とメロディが今年は身に染む八月九日


(大場光太郎)


【注記】
※1 樺美智子(かんば・みちこ) 東大文学部の学生だった樺は、60年安保闘争クライマックスとなった1960年6月15日の国会乱入デモに参加し死亡しました。死因は圧死とされています。享年22

※2 アクニャンは私が日頃世話している野良愛猫の一匹です。上拙歌のように洋猫系でふてぶてしい顔(毛は長くありませんがチンチラ系の顔立ち)をしていますが、また一番べたべた甘えてくるのもアクなのです。全身グレー色なので「灰汁(あく)色」から「アクニャン」と名づけました。7月の長雨の時は珍しく一週間以上姿を見せず、『こりゃもうダメだ』とあきらめていました。昨年6月の2日続いた大雨以来オオクロシマが姿を見せなくなったことがあったからです。だから久しぶりで現われた時は驚き、実際拙歌のように語ったのです(←アホー!)。長く続いた雨に気落ちしたのか、暑気あたりだったのか。一週間ほどよろよろ病み上がり状態でしたが、お陰様で今では元気回復、食欲旺盛です。

※3 柏尾川(かしおがわ) JR東海道線戸塚駅近くを流れる川です。

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折り折りの短歌(6)

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(薔薇4首)

薔薇などはどこかつれない花なるに心惹かれて凝(じ)っと見ている  (※1)


茫々の草の川辺にただ一つ真っ赤なバラが立ちて咲きをり


垣根よりふいに顔出す紅きバラ我に何かを告げしごとくに


ギリシアの野に咲くバラと戯(たわむ)れるニンフの姿幻視してみる  (※2)


7910


晩春か初夏かと惑うきょうの日の街にさやかな風と緑と


生温(なまぬく)き夜の車道の下潜(くぐ)る下水の管の涼し水音


街中(まちなか)の水路につがいの鴨がいて離れつ寄りつ遊びてをりぬ


用水の両に草々連なりて街ささやかなビオトープなり  (※4)


嵐来る予兆の風に吹かれつつ震える木々にじっと目を遣(や)る


鳥が啼き風吹きつのる午後でした青葉の中の病葉(わくらば)落ちしは


「5・11」知ったこっちゃない子供らは元気な声で遊び回れり


民草と青人草と古語にあり名もなき草にも心はあるか


遊歩道の野良愛猫(のらあいびょう)と遊びつつ西の彼方の美し夕焼け


街中のわずか残りし早苗田のここだにしげき夜の蛙音(かわずね)


仄暗き駅構内で外見れば街に溢るる初夏の光よ


昼顔が所在なさげに咲いている午後二時過ぎのとある片町


青葉せし木の下闇(このしたやみ)がかもし出す小幽玄にしばし憩える


 (大場光太郎)


【注】
※1 この短歌は『ギリシャ神話の中の薔薇(1)』冒頭に掲げたものですが、今回こちらに借用しました。
※2 「ニンフ」とはギリシャ神話中の妖精的存在(複数)。女性として現われる。
※3 「ビオトープ」とは、生物の住息環境を意味する生物学の用語でドイツで生まれた概念。私自身は水辺の環境と捉えています。  

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