【北朝鮮の裏真相】北朝鮮は大日本帝国の残置国家として建国 三代目金正恩の母親は北朝(新羅系)天皇家の流れを汲む横田めぐみか!?

-転載本文の『北朝鮮ミサイル実は“日本製” マンガもいいところ!』もさることながら。今回は、同記事阿修羅掲示板投稿への「地下爺」氏コメントの方をメーンと考えてお読みいただきたい。以前記事にもしたが、事ほど左様に北朝鮮という国は謎の多い国なのである。建国からして、戦後敗戦国となった日本が、将来を見据えてかの地に創った大日本帝国残置国家が北朝鮮らしいのだ。首謀・立案者は、陸軍中野学校のエリート将校(秘密組織「黒龍会」の一員でもある)畑中理(はたなか・おさむ)で、畑中は建国後「金策」と名乗り、何人もの候補者の中から金日成を初代に据えたのも金策である。二代目・金正日は金日成の実子ではなく(養子)、実の父親は金策こと畑中だという。そして三代目・金正恩は、金正日と拉致被害者の象徴的存在・横田めぐみの子だという。横田めぐみは、母方が日本皇室の北朝(新羅系)の流れを汲む(現天皇家は南朝(百済系))という。その他貴重な情報てんこ盛りだが、真偽のほどは各人が調べて結論を出していただきたい。いずれにせよ、「北朝鮮が~」と叫んでいる安倍晋三そのものが北朝鮮とゆかりの深い長州田布施部落出身家系なわけだし、北朝鮮系カルト宗教の統一教会、創価学会が安倍政権を強力にサポートしているわけである。^米CIAなども北裏事情は十分把握していることだろう。アメリカは北朝鮮など短期間で潰せるだろうが、すると日本や韓国に多くの基地を置いている意味がなくなる上、今回トランプが北危機あおりで、日韓にベラボーな兵器セールスに成功したが、そういうおいしい事ができなくなるのである。日米合体で北朝鮮を激しく非難攻撃している裏で、それを覆すような摩訶不思議な動きがあリ所詮プロレスである。 (大場光太郎・記)-

【北朝鮮の現状】

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「北朝鮮への圧力を最大に」と口では唱えつつ、現実のピョンヤン市内のスーパーではご覧のとおり。輸出禁止のはずの日本製品がずらり。

【平壌空港と米軍横田基地との直行便】

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治外法権の基地から、米軍が何をどこに運んでも一切口出しも調査も出来ない。

【泣く子も黙る日米合同委員会】

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上画像(&文章は元の文に少し手を加えさせていただいた)元記事
国民よ気づけ!表には出ない<日・米・北>の恐るべき密約(simatyan2のブログ)
http://www.asyura2.com/17/senkyo235/msg/388.html

北朝鮮ミサイル実は“日本製” マンガもいいところ!
http://www.asyura2.com/17/senkyo235/msg/705.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 11 月 14 日 20:35:05
http://85280384.at.webry.info/201711/article_84.html
2017/11/14 18:14  半歩前へ 


▼北朝鮮ミサイル実は“日本製” マンガもいいところ!


 北朝鮮で弾道ミサイル開発にかかわり、米国に亡命した元技師が米上院政府活動委員会で「部品の90%は日本から来た」と証言した。何のことはない“世界に冠たる北朝鮮ミサイル”は、実は“日本製”だったわけだ。マンガもいいところ、お笑いではないか。

 麻薬の密売に関与したという元高官は「北朝鮮は世界で唯一、麻薬の生産と密輸を国策事業にしている国家」「主要な市場は日本」と証言。 さらに「北朝鮮が国家ぐるみでケシの栽培に乗り出したのは70年代後半」で、その理由は現在の金正恩のじいさんである金日成の個人的な資金源を確保するためだと言った。

 そう言えば80年代から90年代は北朝鮮製の偽ドルと麻薬が話題になった。密輸も日常茶飯事で、しかも偽ドルや麻薬密売を行っていたのが北朝鮮の外交官やビジネスマンと聞かされ世界が驚愕したのを覚えている。

 このように北朝鮮はすべてが金王朝、金一族のための国家で、そこにつながらない一般の人民は「奴隷」扱いだ。 中国やロシアに大量の出稼ぎ労働者を送り込んでいるが、稼ぎは個人の懐には入らない。監視員として同行した党関係者を通して金正恩のところに届く仕掛けになっている。 

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米上院の北朝鮮の麻薬密輸と兵器輸出に関する公聴会で20日、袋を頭からかぶって証言に臨む北朝鮮の元高官と元ミサイル開発技師。左端は通訳=AP

北朝鮮の元技師「ミサイル部品、日本から」米上院で証言
http://www.asahi.com/special/nuclear/TKY200305210142.html


【阿修羅掲示板投稿へのコメントより】

9. 地下爺[910] km6Jupbq 2017年11月15日 07:26:54 : F8wPZQzmYo : F4K4j5cqXzU[582]

 
 金 三 胖 は 岸 三 胖(アヘン死ぬゾウ@山口4区) の お 友 達

    -------------------  参考資料 --------------------------

金正日の父は日本人の畑中理(ハタナカオサム)
http://xuzu0911.exblog.jp/15104648/

★昨日(12月19日)、金正日が亡くなったという報道が大々的に日本でされた。多くの番組を中止して、金正日の死亡の報道である。これはなんか変だ、と、思った!韓国の大統領が死んだ場合、こんな報道が日本でされるだろうか?それはないだろう。

★北朝鮮とは極東のイスラエルであり、第三次世界大戦に極東の国々を導くために存在していると私は見る。

★多くの日本人は北朝鮮は金王朝の独裁政権であり、人々は貧しく、苦しい生活を強いられていると思っている。それは事実そうだと思うが、北朝鮮と日本の関係は、イスラエルと米国と同じで、日本より北朝鮮の方が上だと感じる。

★戦後の日本の政治家と北朝鮮の関係。自民党清和会と北朝鮮の関係、旧社会党と北朝鮮の関係。そして、統一教会と創価学会という北朝鮮カルトの日本支配。それを考えると北朝鮮が日本を支配しているとわかる。

★現代日本を代表する政治家の前原や小沢や石原や自民党の安陪晋三とか、思いついたまま名を出せば、北朝鮮の指示で政治をやっているのでは?と思ってしまう。

★北朝鮮とは何なのか?その答えは、北朝鮮とは【 戦前の大日本帝国が生き残り変身した国家 】という解釈で見えてくる。金正日の父は日本人であり、右翼団体・黒龍会の畑中理(はたなかおさむ)である。北朝鮮を建国したのは大日本帝国の日本人達であり、今は大日本帝国の子孫達が北朝鮮の支配者であり、【 金王朝の核は実は日本人の集団 】ではないか?と推理する。そして北朝鮮の一番深いところに、戦前の軍事独裁の天皇制があると見ている。

★世界権力は北朝鮮を通して日本を支配していることを、これから書いていきたい!

1、北朝鮮は旧日本軍の「 残置諜者 」が建国した!

★佐藤守著「 金正日は日本人だった 」のP124に月刊日本に寄せた安部桂司氏の朝鮮半島統一前夜という記事の一部が掲載されている。その一文が以下

【 朝鮮総督府の密偵だった畑中理(朝鮮名・金策「キムチェク」)などの抗日パルチザンが金日成を擁立、壇君神話を元に創設した大日本帝国の残置国家 】

★残置諜者とはザンチチョウジャと発音し、意図的に残して置いた大日本帝国のための工作員ということで、工作員とは情報収集や、ある目的(最終的には戦争と紛争)のために謀略活動・スパイ活動をする者達のことだ。有名なのはルバング島の残置諜者の小野田少尉で、彼は1970年代前半まで大日本帝国の軍人として戦っていた。

★1945年8月15日以降の朝鮮半島では大日本帝国の残置諜者は非常に重要な意味を持つ。なぜなら、1945年8月15日まで朝鮮半島は大日本帝国だったから、日本軍が皆、日本列島に帰ってしまうと、朝鮮半島には【 大混乱 】しかなくなるからだ。

★表面上の歴史解釈では朝鮮人の抗日パルチザンが韓国と北朝鮮を建国したことになっているが、抗日パルチザンの正体は愚連隊や強盗集団が実体であり、思想性なんぞ皆無であり、戦後、大日本帝国の残留日本人が韓国と北朝鮮の国造りを、世界権力の命令でしたというのが真実だろう。

★CIAの前身のOSS文書では1942年6月に戦後の日本の天皇は象徴天皇制にする、という公文書「日本計画」があり、1950年の朝鮮戦争の計画も1942年までにはあったはずだ。朝鮮戦争をするには、北朝鮮と韓国という二国の国が成り立ってなければならない。そのために、世界権力が大日本帝国の残置諜者に北朝鮮と韓国の国造りを命令し朝鮮戦争をさせた、と、推理する。

  戦後の北朝鮮も韓国も日本人が造り、彼らは朝鮮人を偽装して今も北朝鮮と韓国の中心に存在する!

★金正日は日本人で金正恩も日本人であり(或いは日本人の残置諜者の子孫)、韓国の元大統領の金大中も日本人の噂があるのは、このためである。

2、金正日は金日成の息子ではなく、金日成神話は捏造されたもの

★抗日パルチザンの中で金日成と名のった者達は多数いた。金日成とは名誉英雄称号みたいもので、代表的な者達は4人いたが、それ以外にも金日成を名のった者達がいた。代表的な4人は、金光端・金一員・金成柱・金一星。金日成神話とは捏造されたもので、もちろん真実ではなく、金日成とは架空の英雄である。

★金日成として生きた者の本名は金聖柱(キムソンジュ)。この金聖柱と金正日は親子となっているが、金正日の本当の父は大日本帝国の残置諜者の畑中理であり、金正日は金日成(金聖柱)の本当の息子ではなく養子である。金聖柱を金日成としたのはスターリンの命令というのが佐藤守氏の結論で、金正日とは金策(キムチェク→畑中理)と金聖柱(金日成)の正式な妻(金正淑)との不倫の子というのが佐藤守氏の結論。

★北朝鮮は血統を非常に大事にしているふりをしてるが、金王朝の最初の血統から誤魔化しているわけで、誤魔化し血統での権威づけは、日本の天皇と全く同じである。明治に創られたの天皇制をモデルに金王朝が創作されたから当然か。

★金王朝の本当の血統については、佐藤守著「金正日は日本人だった」を参考にしてほしい。ここでそれを書いていると長くなりすぎる。

★大事なことは北朝鮮とは主体思想とかいうマルクス主義は偽装の表面であり、日本の明治からの天皇制をモデルにした王朝であること。そんなのは当たり前で、大日本帝国が北朝鮮と名のって存在している国~~~それがズバリ、北朝鮮である!!!マルクス主義を偽装した天皇制の大日本帝国が北朝鮮であるから、左翼であり右翼、というのが本質。

3、日本人拉致の目的は北朝鮮を日本人の王朝とするためか?

★ネット上の噂で言われているのは、横田めぐみさんは、新羅系天皇(北朝)の血統(母が華族)を持つ人物だから拉致され、金正恩は横田めぐみさんの息子という説。

★最初、この説を聞いた時、飯山一郎のジジイは何を妄想言ってるんだ!と思ったが、北朝鮮が旧日本軍の残留者が創った国ならば、その可能性は大を超えて、それしかない。大日本帝国は天皇を拝んでいた国だから。天皇を拝んで世界権力に忠実に従う国が大日本帝国だったのであり、明治天皇とは世界権力と伊藤博文が創作したものである。

★国だった、という過去形ではない。北朝鮮に変身して大日本帝国はいまだに生きているんだから。要するに、大日本帝国は北朝鮮となり、ナチスは米軍とイスラエルとその同盟組織になって生き残っている。

★アルバート・パイクの預言どおり三回の世界大戦で世界を支配するために。

★さて話を横田めぐみさんの新羅系天皇(北朝)血統説に戻したいが、天皇には北朝と南朝がある。

  北朝 → 新羅系天皇

  南朝 → 百済系天皇

   である。

★天皇とは663年の白村江の戦いで、倭国に勝った新羅の王族が、倭国を侵略して【 天皇 】と名のって支配したのが最初。学説でも天皇という呼び名は40代目の天武天皇から始るとなっているが、天武天皇から天皇は始ったわけで、神武天皇から39代天皇までは朝鮮史を借りた捏造された歴史である。

★今の日本の天皇は百済系天皇(南朝)の流れ。それは2001年12月23日に平成天皇の御言葉で、「 桓武天皇(南朝)の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本書記に記されていることに、韓国とのゆかりを感じます 」と発言していることでもわかる。

★今の日本の天皇が南朝系で、北朝鮮は北朝系の天皇制を作り上げようとして、北朝(新羅)系天皇の血統の横田めぐみさんを拉致し、北朝の天皇の子孫として金正恩を産んだ?ということになるのか?それはありえると思う。

★金正恩の公式の母は高英姫(コヨンヒ)だが、コヨンヒは大阪市生野区鶴橋の生まれの在日だった。父は大同山というプロレスラーで、日本では無名だが、柔道の鬼の木村政彦と対戦したことがあり、コヨンヒは踊り子であった。

4、日本を操る北朝鮮

★古川利明著「さるぐつわの祖国」という本のP334に蓮池薫氏が北朝鮮の烽火大学を出ていると書いている。烽火大学とは工作員養成のための大学である。

★北朝鮮の大学って、「スパイ養成所」だったのか!?と驚いたが、これで多くの謎が解けるような気がする。

★戦後の日本には様々な政党や思想運動があったが、全て、北朝鮮に支配されている感じを私は持っていたからだ。左翼、例えば昔の社会党は『 北朝鮮はこの世の楽園 』と言っていた。右翼は北朝鮮である。これは説明しない。創価学会と統一教会という二大カルトは北朝鮮カルトであることは、ネットでは有名であり、それを知らない人は私のブログを読まなくても良い。

★創価学会は戸田城聖の頃までは北朝鮮カルトではなかっただろう。創価学会の目的は日蓮の預言した三大秘法を広めるためだ。しかし、三代目会長が池田大作になって北朝鮮カルトになった。

★日本の政治家は統一教会か?創価学会のどちらかの北朝鮮カルトの応援をうけなければ当選しないシステムが日本で出来上がっている。自民党は統一教会が支配し、創価学会は公明党だけでなく、小沢一郎の背後に位置する。小沢の奥さんの小沢和子さんは、創価学会の幹部である。小沢一郎を応戦する文化人達は創価学会雑誌の「 潮 」に執筆している。創価学会は統一教会と組んで日本を支配しているが、統一と創価は表面上は『 対立のふり 』をしている。

★華々しく本を出しているセンセ・ガタの背後には統一教会か?創価学会が存在するわけで、二大カルトの下には小さなカルトがあり、つまり、北朝鮮が日本の宗教や思想を支配している。そして北朝鮮の背後には世界権力があるということ。

5、新羅系天皇(北朝)が北朝鮮で蘇り、百済系天皇(南朝)が今の日本

★今日、北海道新聞の朝刊の広告欄を見ていると週刊新潮の広告が掲載されていて、記事は、

  1、北朝鮮の13の火柱

  2、雅子様に卸された東宮のラスプーチン

  という北朝鮮と天皇の記事が柱。

★朝鮮戦争は1950年に始まり、ソ連側の北朝鮮と米国側の韓国が戦ったというのが通説だが、米ソ対立は猪木とタイガージェットシン『 血だらけの戦い 』のように八百長であり、世界権力の「分断して支配する」というやり方で、分断して朝鮮半島を支配するため、また、戦争による軍事産業の活性化のために仕組まれたものであっただろう。

★朝鮮戦争に対して日本側に不明な点が多いのは、朝鮮戦争があった当時、日本はGHQに支配されていて、情報を制限され、正確な情報を得ることができなかったからだ。

★しかし、1945年8月15日まで朝鮮半島は大日本帝国であり、1948年に北朝鮮と韓国が独立し、1950年に朝鮮戦争という短期間の流れを考えれば、終戦からたった3年弱で国を独立させたのは、朝鮮人に偽装した旧日本軍であると、簡単に読める。抗日パルチザンのリーダーは日本人であっただろう。

★だから、金正日の父が黒龍会の畑中理という日本人であったというのは、不自然な考えでなくて、歴史を冷静に考えれば、旧日本軍、或いは、旧日本軍のスパイが、北朝鮮と韓国を世界権力の援助で独立させたことは、これから実証されると思う。

★そして北朝鮮と韓国を独立させた日本人の子孫が、今、北朝鮮と韓国の中心に位置するということ。朝鮮人を偽装して。

★さて、北朝鮮とは何か?それは大日本帝国が日本と韓国と北朝鮮に分かれたが、その大日本帝国の一番濃い遺伝子(DNA)であり、或いは、バージョンアップした大日本帝国である。

★北朝鮮はマスコミでは貧しい国、独裁者が牛耳る悲惨で、哀れな国と宣伝されれるが、そのマスコミは、1980年代中盤まで、北朝鮮を「この世の楽園」と宣伝していたので、マスコミの言うことなんぞ信じることはできない。

★北朝鮮という国家の核はマルクス主義ではなく「天皇制」である。だから新羅系(北朝)の血統の横田めぐみさんを拉致したというネットの説は、五分五分の説得力を持つ。100%正しいか?それはこれからの検証が必要だが。

★それに対して、今の日本は伊藤博文が孝明天皇父子を殺害して、大室寅之裕(南朝系の子孫というが?)を明治天皇にしたことで、南朝系天皇となっている。

 北朝鮮と日本の対立は、『 新羅(&唐) 』と『 百済&倭国 』の対立の再現である!

 が、実際は戦後から今に至るまで北朝鮮が日本を支配しているが。

★歴史は663年の白村江の戦いで、『 唐&新羅 』が『 百済&倭国 』に勝って、新羅の王族が日本を侵略して、天皇支配体制ができるのである。天皇より藤原氏の方が強いのは、藤原氏が唐から来た者と推理する。

★さて、今のところの結論は、『 北朝鮮とは大日本帝国であり 』、日本をカルト宗教により支配し、『 北朝鮮は新羅系の天皇制 』であり、古代の歴史を繰返し、新羅が朝鮮を統一したことが北朝鮮の朝鮮半島支配になるか?、次に、倭国を支配した、ということの、繰返しが起きるか!?と、いうこと。663年に唐と新羅が百済と倭国に勝ったことは、

 つまり、北朝鮮(背後に中国がいて)が日本を侵略してくる可能性が大きい!ということ

★終わりに、3,11からTPP、そして金正日が死んで金正恩になったのは計画(アジェンダ)的だと感じる。金正恩は明治天皇のように現人神となるだろう!北朝鮮が朝鮮半島を統一して、日本列島を支配すれば大日本帝国の蘇りであり、蘇った大日本帝国が、第三次世界大戦に向かうのでは!??

参考文献

 佐藤守著「 金正日は日本人だった 」

 古川利明著「 〈さるぐつわ〉の祖国 」

 鈴木琢磨著「 金正日と高英姫 」

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(以上、転載終わり)

【番外編・上情報関連画像】

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畑中理

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金策こと畑中理

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母の李方子(り・まさこ)と娘の横田早紀江 (李方子は皇族の一員として政略的に朝鮮・李王朝の李垠殿下に嫁がされた。)

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【理想的名君・上杉鷹山公】ケネディ元大統領が「最も尊敬する日本人」と激賞した、江戸時代屈指の名君”上杉鷹山”

-直江兼続と上杉藩の変遷を描いた2009年のNHK大河ドラマ『天地人』について、当ブログでも同ドラマの感想などを綴ってシリーズ記事化した。同ドラマ終了後も『米沢上杉藩物語』としてシリーズ化し、出来れば米沢藩中興の祖・上杉鷹山公の治世あたりまで見ていくつもりだったが、結局関が原合戦後上杉藩が会津から米沢に移封させられた景勝・兼続治世までしか続かなかった。また最近、安部増長との対比で、理想的政治家として古代ギリシャのペリクレスと古代ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリアスを引き合いに出したが、後で『しまった。日本史上の名君として上杉鷹山を挙げるのを忘れた』と後悔したのだった。そんな折り、大摩邇サイトに上杉鷹山を取り上げた投稿記事(元のサイトは「るいネット」)を見つけた。ちょうど良い機会なので、私の郷里の大偉人を改めて紹介したい。以後は私に引きつけた話で恐縮だがー。私の郷里町の山形県(旧)東置賜郡宮内町も、旧上杉米沢藩の領内だった。だから鷹山公の事跡については、養蚕を奨励したことなど小学校の頃から時折り聞かされて育った。また転載文中にもあるが、地域一の名門校・米沢興譲館高校は鷹山公が開設した藩校「興譲館」が前身である。同校は小学校高学年以来の憧れだったが、生来の勉強嫌いが祟って地域2番目の母校に入ったのだった。高校3年生の夏休みに、クラスの「郷土史跡めぐり」2回目企画として米沢市内の上杉藩史跡を回った事がある。その中に(今は別の場所に移築したらしいが)旧米沢上杉藩城跡内に上杉博物館があった。上杉藩ゆかりの物数々を展示してある館内を見ていく途中、一枚の書状に釘付けになってしまった。「鷹山公誓詞」(ネットを方々探したが画像見つからず)である。文面は、いよいよ上杉鷹山が米沢藩改革に着手するに当たっての不退転の決意を記したものである。達筆な直筆の決意文と共に、文末署名に血判が押してあった。その時公は弱冠17歳、既に18歳になっていた私より1歳若かったのである。歴史上の偉人と張り合っても詮無い話ながら、内心物凄いショックを受けたのである。そういう時決定的に打ちのめされてしまうタイプと、それを発奮材料として「為せば成る為さねば成らぬ何事も」(鷹山公の名言より)とポジティブに受け止めて伸びていくタイプがある。その頃(さらにはずっと後年まで)の私は前者の意気地なしタイプで、何かあるとすぐに『あゝダメだ』と簡単にあきらめてしまうタイプだった。『だが、今なら少しは違うぞ』と、遥か“後期青年者”になった今、改めて思う次第である。 (大場光太郎・記)-

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上杉鷹山公-上杉 治憲(うえすぎ はるのり、1751年9月9日 - 1822年4月2日)

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江戸時代屈指の名君”上杉鷹山”とは その①
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2005689.html#more
大摩邇(おおまに) 19:21   
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=319545


<転載開始>
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」どんなことでも強い意志を持ってやれば必ず成就するということで、やる気の大切さを説いたことば。これを教訓として江戸時代莫大な借財をかかえて身動きが取れない状態の米沢藩を復活させた上杉鷹山という男の正体とは!?

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■上杉鷹山とは
鷹山は、寛延4年(1751年)に日向高鍋藩主、秋月種美の次男として生まれました。

宝暦10年(1760年)、10歳で米沢藩8代藩主重定の娘幸姫の婿養子となりました。14歳の頃から細井平洲に師事し、君主としての知識を磨き、その後の藩政改革に役立てています。

鷹山は17歳で家督を相続しますが、当時の米沢藩は莫大な借財をかかえて身動きが取れない状態でした。この困窮した藩を立て直すには相当な決意が必要だったわけですが、藩主になった鷹山は、決意を表す誓詞を春日神社、白子神社に奉納しています。

また白子神社に奉納した誓詞には、大倹約を行って米沢藩を復興することを誓っています。

■数々の藩政改革
☆大倹約令の実施
明和4年(1767年)、鷹山はこの誓詞に誓った通り、12か条からなる大倹約令を発令しました。重役の一部からは、米沢藩の対面に関わると強い反対を受けましたが、鷹山は率先して節約を実行しました。江戸藩邸での藩主の生活費をおよそ7分の2とし、日常の食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中も50人から9人に減らしました。

☆農業開発と籍田の礼
大倹約令と並行して実施されたのが農業開発です。鷹山は安永元年(1772年)、中国の例にならい、遠山村で藩主が自ら田を耕す「籍田の礼」を執り行い、農業の尊さを身をもって示しました。以後、刀を鍬に持ち替え家臣あげて荒地開発や堤防修築などが次々に実施されました。

☆殖産興業
もともと米沢藩の特産品であった青苧を使い、武士の婦子女に内職として機織りを習得させました。その後、桑の栽培と養蚕を奨励し、絹織物に移行。出羽の米沢織として全国的に知られるようになりました。米沢織は現在も米沢の主要産業になっています。
 その他にも製塩、製紙、製陶などの産業も興しました。

☆藩校「興譲館」の創設
鷹山は「学問は国を治めるための根元」であるとの強い考えを持っていました。このため安永5年(1776年)、城下の元篭町に藩校「興譲館」を創設しました。創設にあたっては、鷹山の師である細井平洲の意見を求めました。
平洲は、学問は単なる考証や漢文を読めることではなくて、現実の政治や経済に役立つ「実学」でなければならないと教え、鷹山に「建学大意」という指導書を贈りました。
学生は有能な家臣の子弟から20名選んで無料で入館させました。
この興譲館からは、現在に至るまで多くの偉人が輩出されています。

☆天明の飢餓
 天明3年から続いた凶作は、当然米沢藩にも影響を与えました。天明4年の米価は1俵が平年の2倍から5倍にも跳ね上がり、このため鷹山は新潟や酒田から米1万俵を買い上げ領民に分け与えました。この政策により米沢藩は天明の大飢餓においても、1人の餓死者を出さずにすんだものの藩財政は大きな打撃を受けてしまします。

☆飢餓救済の手引書「かてもの」の発行
この経験をもとに藩政の重臣にいた莅戸善政は、日頃から代用食となる動植物の調査、研究が必要と藩の侍医矢尾板栄雪らに、食用となる動植物の研究を命じました。そして、自ら飢餓救済の手引書を執筆。その内容は、「いろは」順に、草木果実約80種類の特徴と調理法について、また、食料の保存法や味噌の製造法、魚や肉の調理法について詳しく書かれています。執筆から2年後の享和2年、鷹山の意をくんで「かてもの」(かて物・主食である穀物とともに炊き合わせ、食糧不足に陥った際に節約するための代用食となる食物)と命名され1575冊を刊行。藩内を中心に配布されました。


■ジョン・F・ケネディが最も尊敬する日本人
アメリカのジョン・F・ケネディ元大統領は、ある時、日本人記者団の「あなたが最も尊敬する日本人は誰ですか」という質問に答えて、即座に、「それはウエスギヨウザンです」と答えたという。ところが残念なことに、日本人記者団の方が上杉鷹山という人物を知らず、「ウエスギヨウザンとは一体誰だ」と互いに聞きあったというエピソードがある。ケネディは、日本の政治家として、何よりも国民の幸福を考え、民主的に政治を行い、そして「政治家は潔癖でなければならない」といって、その日常生活を、文字通り一汁一菜、木綿の着物で通した鷹山の姿に、自分の理想とする政治家の姿をみたのである。

その2へ続く


江戸時代屈指の名君”上杉鷹山”とは その②
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=319546
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」どんなことでも強い意志を持ってやれば必ず成就するということで、やる気の大切さを説いたことば。これを教訓として江戸時代莫大な借財をかかえて身動きが取れない状態の米沢藩を復活させた上杉鷹山という男の正体とは!?

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つづき

■人の心の赤字を克服した改革
上杉鷹山が、藩主として米澤藩の藩財政改革を行ったのは、江戸時代における不況の時期で、江戸時代の三大改革のひとつである“寛政の改革”が行われた寛政の時代である。
 寛政3年(1791)上杉鷹山は、二度目の改革を行った。彼は単にバランスシートの貸方借方の赤字を克服しただけでなく、むしろ、人の心の赤字を克服した。そのために、藩の財政を再建するために、絹織物の生産など新たな産業の振興策をとりつつも、同時に「そういうことが行えるのも結局は人が決めてだ」という観点に立って、「人づくり政策」をもうひとつの重要な柱とした。
 心の赤字を克服するということは、他人に対してもっと関心を持ち、弱い人や苦しんでいる人間に優しさやいたわりや思いやりを注ぐことである。「人間というのは、もともとその性は善である。しかしその善が表に現れないのは、容れ物である環境が劣悪であるからである。従って、自分の行う経営改革としては、そのような基盤整備をしないわけにはいかない」という信念をもって具体的には次のよな改革を推し進めた。

①藩民が総ぐるみで行う体質改善活動を目指し、推進体としてプロジェクトチームを編成した。

②そして藩民にも、自分なりの範囲で理解協力することを求めた。これはジョン・F・ケネディが大統領就任演説の時に言った次の言葉に通じるものがある。「私たちが活力と信念を注いで渾身の努力をすれば、我が国と、我が国に奉仕する人々の道を照らすこととなり、炎のような輝きが真に世界を明るくするはずです。ゆえに、国民の皆さん、自分のため国が何をしてくれるかを問うのではなく、自分が国のために何ができるかを問うてください。」(*)

③新しい状況を認識して、思い切って事業の見直しをしなければならない、と考え、上杉家に伝わる色々な虚礼、習わし、必要以上にお金のかかる行事などを、全部廃止した。

④改革の実は、自分が真っ先に行わなければならないと、トップの垂範を示した。江戸の藩邸にいた時、自分の生活費を十分の一に縮めた。これは、心ないトップが、部下にだけ倹約を求め、自分は今までの生活を守り抜くといったぬくぬくとした態度を自ら誡めたといってよい。

⑤心の赤字を克服した。
 改革を行うために米澤に向かう途中の板谷峠における“火種(ひだね)のエピソード”は有名だ。真冬の板谷宿は米澤藩の衰退を反映して廃墟と化していた。江戸の藩邸で、藩の累積赤字が巨額であることは承知していたがしかし百聞は一見にしかず。この有様を見て、やる気が失せそうになった。そう思った彼は何の気なしに、目の
前にあった灰皿をかき回してみた。中には未だ消えていない小さな炭火があった。それを見ると彼の目は輝き、脇から新しい黒い炭をとって小さな炭火を基にして、フウフウ吹きつけた。火が移った。これを見た彼は江戸からついて来た部下に言った。「私がこの小さな炭火になる。火種になる。おまえたちはこの火を受けてくれ。そして明日米澤城に入ったら、各職場で火種運動を起こしてもらいたい。-------そうなれば、町や村の人も火を受けて理解協力してくれるであろう」。
 この運動は盛んになった。彼が奨励した産業政策では、武士たちが進んで鍬を握り、土を耕した。-------「意識改革」と「自分に潜在する新しい能力の開発」を藩士の一人一人が行い始めたということである。

⑥改革の途中、彼は徹底的に各町や村を見て歩いた。現場を見て考えた。そして領民たちと対話した。初めのうちは警戒していた領民たちも、鷹山の誠意に打たれるようになった。「この殿様は、決して嘘をうかない」と感じるようになった。
 この現場主義は、日本的な品質管理の基本のひとつであり、カルロスゴーン氏も実践した。

⑦改革のスピードはアップし、数年後、これも有名な現象、「棒杭(ぼうくい)の商い」が起こる。人気のない過疎地で、棒杭がポツント立っている。杭の下には品物が並べられているが、売る人間はいない。棒杭には値段表がぶらさげてあった。買う人はこの値段表に応じて、自分の必要な物をきちんと支払って持ち帰った。勘定はピタリとあった。これは、即ち単に棒杭が商いをしているというだけでなく、そこには人々が信頼しあうと言う心の黒字を生じていたことを物語る。

⑧彼は、改革の成功が自分ひとりの功績だとは決して思わなかった。陰で彼の改革を助け、推進したグループの存在である。彼に有名な言葉がある。皆様もお聞きになったことがあるだろう。
「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」
 やる気さえあれば、何事でもしとめることができる、ということである。


<転載終了>


 以下の「伝国の辞」は、総理大臣以下のすべての与野党国会議員、中央官庁官僚、さらには都道府県市町村首長&議員、各地方公務員のすべてが肝に銘じてもらいたい言葉である。

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若者への応援歌(4. ケネディが敬愛した 『上杉鷹山』 )
http://kamuimintara.blogspot.jp/2013/11/6.html
今こそ上杉鷹山を知る~東日本大震災~
https://www.enbridge.jp/blog/2011/04/11/671/

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徳川家康「サンカ」(山窩)出身説 !?

-余裕のあるとき、阿修羅掲示板拍手ランキングをたどっていると、拍手の少ないずっと後の方に意外にも面白い過去投稿記事がひょっこり顔を出している事がある。今回転載するのもその一つである。2002年9月投稿だから今から14年も前である。ずっと奥の方にこういう記事が眠っているから、阿修羅は貴重な情報の宝庫なのである。さて、かの徳川家康がサンカ出身か?というのだ。「サンカ」(山窩)とは、「日本の山地や里周辺部で過去に見られたとされる不特定の人々を指す言葉である。その指し示す範囲は広く、回遊職能民であったり特殊な窃盗団など、時代や立場によって定義や趣旨も大きく変わり、語義を明確にすることは難しい。」(ウィキペディアより)とされる、一定居住地に定住せず村々を移動して生活していた、いわば日本版ジプシーのような存在といえばいいのだろうか。いわば当時賎民とされた「異形の民」の一種といえるだろう。八切史観では徳川家はサンカだったわけではなく、その遠祖は南朝系・後醍醐天皇に与した新田義貞の末裔としているという。ただ家康の先代頃にはすっかり落ちぶれ、家康は「願人坊主」の息子だったと。願人坊主は大道芸で露命をつなぐ芸能賎民のことらしい。サンカにせよ願人坊主にせよ、このような異形の民と日本史上最大・最長の幕府を樹立した徳川家康が結びつくとなると、事は穏やかではなくなる。高度経済成長期にもてはやされた山岡荘八『徳川家康』など、いっぺんに吹っ飛んでしまうほどの大衝撃だ。その徳川家康が天下統一し徳川家の天下が二百数十年も続き、大政奉還、明治維新から百数十年後の平成今日でも「徳川家」「松平家」と言えば超名門セレブでとおっているのだが。日本史の闇に新たな光を当てたのは、後醍醐天皇をテーマとした網野善彦著『異形の王権』が嚆矢だ。以来歴史の通説が次々に覆されているのは、「真日本史」を知る上で重要なことである。 (大場光太郎・記)-

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尾瀬のサンカ集落

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サンカの子供たち

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願人坊主

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網野善彦著「異形の王権」

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(左から)織田信長、豊臣秀吉、徳川家康

徳川家康サンカ説
http://www.asyura2.com/2002/dispute2/msg/640.html
投稿者 デスラー総統 日時 2002 年 9 月 15 日 20:02:02:

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三名についてはその出自について日本の闇の勢力との関連が噂されている。
経済人類学者栗本慎一郎によると織田信長は山人の手先として、当時の日本社会の秩序に対する革新を遂行したという。
最後に余り調子に乗りすぎて山人勢力に消された。
織田家は系譜をたどると織田剣神社の宮司家で、剣という名前から白山信仰とかかわりがあると思われる。八切止夫は信長八つの民説を唱えた。
信長が本能寺の変で殺されたのは、私見によれば天皇制廃絶をたくらんで返り討ちにあった。
秀吉サンカ説勧進聖説は月海黄樹氏が唱えている。
最後の家康も闇の勢力との関係は深い。八切止夫によると徳川家は新田氏の末裔であり、願人坊主としておちぶれていた。願人坊主の息子世良田元信は岡崎松平家を乗っ取り出自をかくして戦国大名としてスタートした。この世良田元信こそ後の家康本人である。水戸徳川家にみられる熱烈な南朝思慕はもし家康が新田家の子孫だったならよく説明がつく。
例の水戸光圀など南朝の子孫熊沢家と関わりをもち、一緒に京都まで行っている。
飛鳥昭雄というフリーメーソンの手先によると、新田子孫説ではなく、京都賀茂神社の神官が松平家の先祖であり、参謀役の本田正信も同じく賀茂神社の神官である。葵の紋は賀茂氏の紋である。
家康が天下をとってから自らの出自を知る賀茂神社の関係者を皆殺しにしたという。こういうところはマンガカムイ伝の描く世界と似てくる。

(転載終わり)
関連記事
サンカ (八切史観)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/555.html
中沢新一『悪党的思考』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-38b7.html

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【天皇家】南朝と北朝の関係

-日本人である以上「天皇問題」は避けて通れない重大かつ深刻な問題である。好き嫌いは別として、一般国民の預かり知らぬところで厳然と天皇家は存在していたし、皇室は現にあり続けているのだ。天皇家神話では伝説の初代天皇・神武が国を開いてから今は皇紀2672年になるのだそうだが、神武天皇の実在性は今日の歴史学では疑問視されている。が、実在が確実視されている応神天皇、仁徳天皇という親子の天皇以降の上古の天皇の出自が朝鮮半島であった事は、今や定説になっている。だから神話中の高天原もわが国ではなく半島のどこかであった可能性が高いのだ。以来半島出身の天皇が代々この国を知ろしめてきたことになる。しかも一筋縄でいかないのは、同じ天皇家が南朝と北朝という二つの別の系統に分かれていることである。歴史的にも北と南とに分裂しそれぞれが正統性を主張した南北朝時代があったほどである。以後50数年して室町時代初期の頃、北朝系に統一されて江戸末期まで続いたのである。現皇室も建前では北朝系とされているが、既に何度も見てきたとおり、明治天皇は英国ロスチャイルド了承の下、その手下の薩長による替え玉であり、実は南朝系とみられるのだ。それでは「南朝と北朝の関係はどうなっているのか?」という問いについて、朝鮮半島にその解を求めたのが今回のテーマである。 (大場光太郎・記)-

【参考図】
216

2161

2162


南朝と北朝の関係
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=312274
るいネット 16/02/13 PM09 

南北朝と東国と西国と田布施
リンク

「天皇はどこからきたのか?」
「天皇=仏教だったのに、なぜ天皇=神道になったのか?」

普通の人に説明する時は、この2つの視点が一番わかりやすいかな?

・歴史上は「北朝が正統なのに、なぜか明治以降の皇室は南朝を正統としている」こと。
 
ようは、すり替え=明治維新=南朝復興であって、そのために仏教=天皇から、キリスト教の三位一体を作り変えた国家神道を設立し、反対した奴らは廃仏毀釈で叩き潰したということがあったこと。
 
後者の視点に対する説明は、これ以外に説明はつかない。
そもそも、グラバーなどの海外勢力と連携して「尊皇攘夷」なんて、「傀儡政権を作る」以外の目的では、ありえんだろうと。
攘夷が佐幕でなく、討幕になるっておかしいだろと。
 
(中略) 
 
その傀儡を作る上で一番簡単でありふれた話が、暗殺による摩り替えである。
 
北朝を7度生まれかわっても倒すという皇居の楠木正成、南朝崇拝のためクーデター首謀者でも崇められる西郷隆盛、南朝崇拝教育の元祖、水戸学派の副将軍(そんな役職はない)=水戸黄門の権威主義。
昔の人なら、戦前までは国賊として敵視された足利尊氏の事は知ってるだろう。
今だって教科書を開けばいい。
すり替えがないとした場合の正統である北朝を掲げたはずの武将、足利尊氏が、なぜあんな無精ひげで、毛むくじゃらの「ひどい」挿絵になっているか。
 
南朝は崇拝されて、北朝は貶められる。
これが明治以降の日本の天皇教の根幹である。
現皇室の言うとおり、南朝正統であるというのなら、真言立川流でも崇拝してろと言いたい。後醍醐天皇の正統宗教である。
 
おっと、「なぜ天皇=神道になったのか?」の答えがこれ以外では説明できない。
 
この視点の説明から、前者の視点、「天皇はどこから来たのか?」、天皇の起源を理解する事に繋がる。
 
それには、今出てきた区分け、南朝と北朝の区別、理解も必要になってくるわけ。  
 
その結論が、北朝=高句麗、南朝=百済である。
今日は、そこらへんの補足。
 
世界ではユダヤ教の識字率が領土統治の要になったように、日本で昔は、中国の漢文が使われてたように、中国の朝鮮統治支局ともいえる高句麗との関係が、日本で果たした役割は大きい。
 
天皇と仏教で国を統治しようとした=聖徳太子の仏教の先生も高句麗の出身である。
この高句麗と百済を大量に招き入れるきっかけになったのが、660年の白村江の戦いである。
 
唐+新羅 VS 高句麗+百済+日本の戦いであり、唐と新羅の連合軍に日本側が負けることで、百済、高句麗の戦争難民を日本が大量に迎える形になる。
 
天皇自身が百済の血を混じってるという発言をして韓国でTOP記事になっても、日本ではマスコミが完全スルーなわけで、ここらへんは日本のタブーである。  
 
ここからが今日の本文。
北朝=高句麗、南朝=百済、この日本の南北朝の表現も中国の南北朝からきている。
日本の南朝と北朝、それぞれは、大覚寺統とか持明院統とかの読み方の違いが判断基準でもなく、吉野と京の違いでもない。
 
北朝と南朝に別れる前に、東国と西国という派閥に分かれていた時期が日本にはある。
 
 
東国(長野、新潟などを含む、愛知や三重などより東)→ 北朝
西国(地域というより反東国だが、主に九州北部、山口県などの地域)→ 南朝
 
南朝の武将、楠木正成が東国からの出身という説もあるように、綺麗に分かれるわけではないが、まあ基本的には「南朝=西国、北朝=東国」で間違いはない。
 
白村江の戦い以前の6世紀から、高句麗から長野や新潟に多く渡来し、豪族を形成していた。
大昔の漢文=統治手法としての字、高句麗からの渡来人。
これが、東国=北朝=高句麗勢力の基盤である。
 
逆に、白村江の戦いの本営があった場所=北九州を中心に、百済難民が後の南朝となる西国の基盤となる。  
 
新潟、長野への朝鮮(高句麗)からの移民は、続日本記などでも確認できる。まあ今の北朝鮮(高句麗)と新潟の関係も、この大昔からの延長である。
逆に、西国の基盤は、南朝を経由して、周防国(山口県東部)などの大内氏の勢力(毛利家もその一つ)、で、出来上がった「すり替え天皇=明治維新」の構図は、田布施という特別な地域を作り上げ、現在にも繋がる薩長支配に繋がるわけである。

田布施=山口県南東部=周防国=西国。
 
そして周防国の支配者=大内氏は、別名=多々良=百済の日本語読みである。山口県の旧多々良学園とかもそうだよ=百済。
ね、西国に多数に亡命したのが百済なわけだよ。  
 
ね、簡単でしょ?
多々良浜ある福岡も薩摩も長州も、大内氏の勢力地域、まあ南朝=西国=百済の簡単な構図。
 
(中略)
 
西国と多々良、そして現在の田布施にまで繋がる話。
毛利とグラバーと南朝にも繋がる事。
 
逆に、北朝=高句麗=中国の朝鮮半島統治支部から漢文のわかる貴族を朝鮮から招き入れて「天皇=渡来人」、新潟などを含む東国=北朝を作ったこと。
統治に字が必要だったこと=西洋と共通の話や、聖徳太子の仏教の先生などの話でも整合性が取れるわけね。
 
で、その北朝の天皇から、西国である薩長が南朝にすり替え、天皇自身が韓国=百済の血を引いていますよと発言し、日本では隠蔽されるという形になってるわけ。
だから、こんなもんがあるわけで。
 
広辞苑より
からのかみ【韓神】 朝鮮から渡来した神の意。守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴(オオナムチ)・少彦名(スクナビコナ)二神をさすという

(転載終わり) 

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