頑張っても報われない人がいる不公正な社会を正す必要性~上野千鶴子の東大入学式祝辞

-今回は12日に行われた東京大学入学式における上野千鶴子東大名誉教授の祝辞を取り上げる。この人がパイオニアという「女性学の権威」らしく「女性の学問の場等における差別問題」「東大の存在価値」などについて述べた同祝辞は、朝日新聞が全文を掲載したりして各方面で評判となったようだ。が一方で、木村太郎氏の「(女性差別を説いても)どうしたらいいのか解決策が提示されていない」、自身も東大卒だったと記憶している「半歩前へ」氏の「上野千鶴子は体制側の学者である」等の批判もある。そういう批判は別として私は全体を通して大変良い内容ではなかったか、これを直接聞いた東大新学生のみならず間接的にまた読みした読者らにも大いに考えさせられる祝辞ではなかったかと思う。以下に上野氏祝辞を全文掲載している「日本がアブナイ!」サイト(阿修羅掲示板投稿記事)を転載するので、各自お読みになりお考えいただきたい。また冒頭に東大公式ページの祝辞全文URLも掲げた。さて前回の早稲田大学編で述べた、この祝辞を聞いた側の東京大学新学生についても一言申し述べたい。下に掲げた画像でお分かりのとおり、早大同様圧巻の黒尽くめリクルートスーツ一色である。それに上野祝辞の内容にもなるが、早大では女子学生の姿がかなり目立ったが東大では良く見ないと女子学生が見つからない。かなり年配の私は男女共学体制で成長してきたが男子以上に出来る女子は結構いた。それは東大レベルでも同じだろう。が実態は半々とはなっていない。東大はまだまだ「男社会」なのだ。それが引いては各大学とも女性教授の少なさとなり、女性学長はいないという上野氏の指摘ともなるわけである。さらには高級官僚に女性はほとんど就いておらず、女性国会議員の数も少なくもちろんこの国にはまだ女性首相は誕生していない。思わぬ脱線をしてしまったが、ああそうだった、聞いた立場の東大新入生のことだった。天下の秀才の集まる東大入学式だ。中には本物の天才がいてもおかしくはない。が、群れと同じ行動をしないのが天才の天才たるゆえんだろう。なのにどこもかしこも金太郎飴のような没個性の画一的なスタイルはどうしたことだ。突出を嫌う。群れと同じでありたい。思うに「偏差値教育」なるものは突出した才能を殺すようにも作用するのだ。またしても皮肉を言うのだが、こんな子羊どもの群れの中から将来「本物の天才」が現れたとしたらそれこそ奇跡というものだ。 (大場光太郎・記)-

上野千鶴子東大名誉教授入学式祝辞
全文はこちらで(東大公式サイト)


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頑張っても報われない人がいる不公正な社会を正す必要性~上野千鶴子の東大入学式祝辞(日本がアブナイ!)http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/610.html
投稿者 笑坊 日時 2019 年 4 月 13 日 20:11:38:

https://mewrun7.exblog.jp/28193464/
2019-04-13 16:04

もう一つ、祝辞の記事を・・・

 社会学者の上野千鶴子氏(東大名誉教授)が、12日に開かれた東京大学の入学式で行なった祝辞だ。(・・)

 上野氏は、冒頭から「(入学制が受かった)選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう」と医科大の不正入試の話を持ち出して、東大入学者を含め、女子の比率が低いこと、様々な意味での女子差別があることをアピール。

 あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来ただろうが、それは周囲の環境が恵まれていたからだと。

 世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちや、がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいる。

 それゆえ「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」と

「恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」と訴えた。(・・)

* * * * *

 チョット長いけど、これからの社会にとって大事な話だと思うので、ここに全文アップしておきたい。<できればコピーして、全ての官僚や議員に送りたいぐらいの気持ちだ。(地方の自治体、議会の人にもね。^^;>

 東大関係者に限らず、老若男女がそれぞれの立場で、これからの社会のあり方、自分のあり方を考えて行く上で、いいヒントを提供できるのではないかと思う。

『上野千鶴子さんの祝辞全文は、以下の通り。

ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。

が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。

文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。

問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。

ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?

全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。

ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。

まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。

第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。

統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。

第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。

この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。

「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling down、すなわち意欲の冷却効果と言います。

マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。

他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。

東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、ひかれるから、だそうです。

なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。

なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。

女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?

愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。

この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。

「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。

わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。

この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。

ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。

その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。

女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。

私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。

女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。

女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。

どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?

...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。

今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。

女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。

東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。

そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。

ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。

これまであなた方は正解のある知を求めてきました。

これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。

学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。

あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。

大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。

知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

ようこそ、東京大学へ。』

平成は昭和よりはずっと女性や外国人、病気、障害などを持つ人たちが生活しやすくなったとは思うけど。次の時代は、本当の意味でお互いに理解し合って、共生して行ける社会が作られるといいな~と思うmewなのだった。(@@)

  THANKS

(以上転載終わり)

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【上級奴隷たちの入学式】早稲田大学入学式に見る皆がこぞって枠の中に入りたがる時代

-2回連続で、有名大学2校の今年の入学式の模様を取り上げてみたい。まずは早稲田大学の入学式である。百聞は一見にしかず。転載文冒頭の同校入学式の画像を見ていただきたい。男子も女子も全員が黒ずくめのリクルートスーツ姿なのだ。本当に入社式の予行演習のようだ。まさか学校側で事前にこの服装で出席するよう通達を出したわけでもあるまい。とするとこれは新学生たちの暗黙の了解なのだろうか。それにしても何千人かいる者たち全員が同じ格好なんだぞ。この画一性はいったいどうしたことだ。なんとも薄気味悪い“同調圧力”ではないか。これだけ大勢いるのだから中には詰襟の学生服に角帽姿、応援団長風の者がいてもよさそうなのに。そんなに枠からはみ出すのが怖いのか。転載元のまるこ姫さんも述べているが、早稲田大学といえばバンカラ、自由な校風が売りだったはずだ。以前、野坂昭如訃報記事で紹介したが、小沢昭一、野坂昭如、五木寛之、野末陳平、永六輔、青島幸男、大橋巨泉、寺山修司らは早稲田のかなり前の先輩たちである。皆々バンカラ気質で個性的で各方面で多彩な才能を発揮した人物たちである。もっともまともに卒業したのは小沢と野末くらいなもの、あとは「大学なんてくそ食らえ」とばかりの中退者なのだ。五木以外は皆鬼籍に入ったが、ずっと後輩たちのこの入学式の模様を眺めたらなんと言うだろうか。いや言う言葉すらないかもしれない。わが国は実を言うと世界一厳しい管理社会である。全国津々浦々「666の管理システム」が張り巡らされているのだ。偏差値教育もその成果の一つだ。この入学式に集(つど)った若者たちは高偏差値のお利口な管理社会の申し子である。この入学式はさながら葬式のような異様さである。死んだのは若々しさであり、自由であり、創造性であり、何よりもより良き日本である。ゾンビ社会の申し子たちに栄えあれ。ご愁傷さま。 (大場光太郎・記)- 

早稲田大学入学式に見る皆がこぞって枠の中に入りたがる時代(まるこ姫の独り言)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/605.html
投稿者 かさっこ地蔵 日時 2019 年 4 月 13 日 18:52:27:
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2019/04/post-a162ce.html
2019.04.13

 

皆が黒一色のリクルートスーツの異様な光景。

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これは早稲田大学の入学式の光景だそう。

入社式かと見まがうほど、みなが右向け右の没個性。

ロボットを見ているかのようだ。

(ニュースQ3)大学入学式、スーツ「黒一色」なぜ 
        4/12(金) 5:30配信 有料   朝日新聞デジタル

>4月から新年度。大学の入学式では、慣れないスーツに身を包んだ新入生が顔をほころばせる。ただなぜか、スーツは「黒一色」だ。

>7日午前、日本武道館であった明治大の入学式は4千人近い1年生が並んだ
圧倒的多数は黒か濃紺のスーツで、薄いグレーのスーツと青色の民族衣装の女子学生が1人ずついた程度だった。

>「悪目立ちするのは嫌」

>「一人違う格好をするのはかっこいいけど、ベージュとか着る勇気はないです」


昔はバンカラと言われた早稲田が、これだけ無個性の学生で満ち溢れている。

自由な校風が売りだった早稲田でさえもここまで来ている。

この委縮した発想はなんなんだろう。

もう、ベージュでさえ、着る勇気がないそうだ。

一番若さを発揮する時期に、「ベージュ」を悪目立ちするという発想は老人の集団の様で不気味だ。

一番若さを発揮する時期に、公式の場で、これだけ萎縮してしまっている今の若い世代が保守思考と言うのも頷ける。

お上に対して畏怖の念があるのか、権威主義であり、皆が枠の中に入りたがる、。

これじゃ、自由な発想など考えにもないだろう。

新元号を政府が発表すれば、こぞって老人も若者の右へ倣えのお祭り騒ぎ。

「令和」が何を意味するか考える事もせず、「令和」響きが良いよね。と大歓迎。

5年先の新札発行を、安倍政権が今、発表すれば称賛の嵐。

そして今日は、芸能人が右向け右で安倍首相の「桜を見る会」に参加している。

権力者にとって都合のよい国が出来上がりつつある。

それも、国民の方から進んで日本と言う狭い枠の中に入っていくようでは、本当にこの国に未来はあるのだろうか。

一方では、上野千鶴子の東大入学式の祝辞が、若い世代を勇気づけるような素晴らしい祝辞だったのに、肝心の若い世代が老人のように縮こまっている。

(以上転載終わり)

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【いくつあてはまる?】EQ(心の知能指数)が高い人に共通する5つの特徴

-前回はIQ(知能指数-Intelligence Quotient )に関する話題を取り上げた。衰退国とばかり思っていたわが日本が、なんと平均IQ107で世界148カ国中の世界一となったというものだった。「日本国民もまだまだ捨てたものではないぞ」と大いに喜ばしいことである。アフリカ諸国を見ても分かるとおり、その前提として高IQにも高い教育水準が不可欠である。が、世界一の高知能国民でありながら持てる能力、創造性がなかなか発揮できないばかりか、日々の生活では苦悩、苦労が絶えず豊かさや幸福実感が味わえないのはどうしてか、という深刻な問題にもメスを入れた。さてIQとは別に「EQ」という概念があることをご存知だろうか。EQ(Emotional Intelligence Quotient )とは「心の知能指数」ということである。フォーブスジャパンによる以下の転載文を丸写しするが、EQとは「自己や他者の感情を知覚、コントロールし、成功を収める能力を指すもの」と定義される。簡単に言ってみれば、IQが「頭脳的能力」とするなら、EQは「心的能力」とでも言えるものではないだろうか。そこでフォーブスジャパンはメーンとして「EQが高い人に共通する5つの特徴」を挙げている。これを読むと、むしろ人間的な幸せを求めるのならEQはIQ以上に重要な指数かもしれないと思われてくる。それを私自身に当てはめてみた場合、IQはともかくとしてEQは極めて低いのではないかと寒気がしてくる。自分勝手、人付き合い下手、協調性なし・・・。一つも当てはまらず、とても褒められたものではないからだ。が、よく考えてみると、高EQ人間とは結局仕事上手人間のことだ、とはたと気づかされる。極論すれば「大金儲け」「大成功」をしたければ高いEQ人間を目指すべし、ということなのだ。だったら「知るか、そんなもん」。俺は俺で自分勝手な低EQの道を独歩していくわ。 (大場光太郎・記)-

いくつ当てはまる? EQ(心の知能指数)が高い人に共通する5つの特徴
https://forbesjapan.com/articles/detail/13866/1/1/1
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Photo by victorsaboya / Shutterstock.com

心の知能指数(EQ)は、自己や他者の感情を知覚、コントロールし、成功を収める能力を指すものだ。複数の研究で、EQと仕事での成功には関連があることが示されている。誰もが生まれながらにして持っているものではないが、EQは知能指数(IQ)と違って、習得したり訓練によって高めていくことが可能だ。

EQが高い人というのはどのような人なのか? 以下に、5つの特徴を紹介しよう。

1. 批判に冷静に対処できる

EQの高さを示す顕著な特徴の一つは、自己認識力が高いことだ。自分が何に怒りや幸福感を覚え、何に興味を持っているかなどを深く理解しており、失敗も含めあらゆることについて、正直かつ明瞭に、自分自身を評価することができるのだ。

そもそも、批判に対する反応は人によって異なる。即座に「この人はなぜ今、私を批判したのか」という疑問を抱き、「この批判が、職場における私たちの今後の関係にどのような影響を及ぼすのか」を理解しようとする人もいる。問題の根本的な原因に目を向け、たった今、批判を受けた問題に至るまでの全てのステップを系統立てて詳細に調べる人もいる。

EQの高い人は、失敗してそのことを批判されても感情的になったり動揺したりすることはない。彼らにとってそれは、注意を払い、分析をして修正をすべき事実にすぎないのだ。だから、否定したり他人を責めたり、言い訳をしたり不安に陥ったりしないのだ。

2. オープンマインドである

EQの高い人々は自己認識能力が高いため、物事に対して偏見を持たずに耳を傾ける。自分と違うからという理由で、他人のアイデアを自動的に否定することはない。

そのため彼らは、トラブルが発生したとき、ただ親身になって話を聞いて欲しいときに頼れる人として人気が高い。彼らは一日中お喋りをしているわけでも、我慢して後ろ向きな人々の相手をしているわけでもないが、人々を手助けして、事態を改善する才能を持っている。

3. 聞き上手

優れた聞き手であるためには、事実を解釈を分けてとらえるという成熟した姿勢が必要だ。EQの高い人々は、どのような感情が“聞く力”を妨げるかを知っているためそして、それらの感情を切り離し、開かれた心で相手の言葉に耳を傾けることができるのだ。

4. 不都合な真実を隠さない

EQを高くするには、他者の感情を認識することが必要だ。だがこれは、相手に真実を告げるのを避けたり、厳しいフィードバックによって受ける打撃を緩和するために策略を用いたりすることとは違う。EQの高い人は、厳しいメッセージをきちんと伝えることの重要性を知っている。

会話を打ち切るような露骨な言い方はしないが、こんな風に明確なメッセージを伝えるのだ。「君に厳しいことを言わなければならない。君のことを思って言っているのだということを、理解して欲しい。この問題を修正しなければ、ここでの君のキャリアが危険にさらされることになるからだ」

5. 自分が間違っていたときは謝罪する

自分が間違っていると気づいたとき、EQの高い人は、貴重な時間を費やして自分の正当性を証明しようとすることはない。言い訳を探すのではなく、簡潔かつ正直に謝罪して、迅速に軌道修正を行う。例えばこんな言い方だ。「申し訳なかった。つい君を攻撃するような言葉を選んでしまった。そんなつもりはなかったんだ。もう一度、言い直させてくれないか」

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最新版の全世界知能指数調査で、日本は「平均 IQ107で 148カ国中第1位」……なのに、なんで私たちの国と私たち日本人は日々こんなに苦悩or苦労している?

-アベノミクス大失敗のせいで金融危機の足音が忍び寄っている気配が漂い、はたまた世界に類を見ない超高齢少子化の時代にいかに対処すべきか、その糸口さえ見つからず、将来に暗い影を投げかける日本&日本人にとって久々に自信を取り戻させてくれそうなニュースである。最新版の全世界知能指数調査で、日本は「平均 IQ107で148カ国中第1位」になったというのだ。テレビのお笑い番組に如実に現れているように、戦後70余年の長きにわたるGHQ由来の「3S愚民化政策」を跳ね返すほどの底力を日本国民は秘めていたということなのだろう。それにしても世界一の高能力国としては、現状は甚だお寒い国情である。幸せだ、豊かだという実感には乏しく、逆に「幸福度IQ」なるものがあるとするなら、日本は世界的にずっと下位の方にランクされるのではないだろうか。理由は明らかだ。いかに能力の高い国民であろうと、それを押さえつけている「お上」の権力が強いからだ。そしてそのお上のトップに君臨している安倍晋三のIQが国民平均以下であることは今や周知の事実である。そんな馬鹿をパペットとして使い国民資産を根こそぎ収奪しまくっている、米国を中心としたハザールマフィア勢力のせいなのだ。そんな腹いせに、問題の安倍総理のIQを推定してみたい。「ずる賢さIQ130、言語性IQ60、動作性IQ60、全平均IQ82」 よって「世界の平均IQ82」に滑り込みセーフのレベル。80位ブラジルの平均IQ83と同程度となり、これでは安倍晋三は高知能の日本国民をリードできるわけがなく、今すぐ荷物をまとめて官邸を引き払い、パナマだかケイマン諸島だかスイスだかに隠し持っている秘密資金をかき集め昭恵とともに夜逃げ同然でブラジルに移住、大資金をばら撒いてかの国の名誉非国民にしてもらうべきである(爆笑)。 (大場光太郎・記)-

最新版の全世界知能指数調査で、日本は「平均IQ107で148カ国中第1位」……なのに、なんで私たちの国と私たち日本人は日々こんなに苦悩or苦労している?
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2103454.html
18:44  大摩邇

In Deepさんのサイトより
https://indeep.jp/world-iq-82-and-no-1-is-japan-107/
<転載開始>
投稿日:

2019年3月の国際基準による世界148カ国のIQ値より

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World IQ 82 Becker update V1.3.2

IQと幸福度がリンクしていれば問題はないのでしょうけれど…

各国の知能指数(以下、IQ)を比較するということにどれほどの意味があるのかということは別としまして、今日、海外のブログで、

「世界の IQ 平均は 82 」

というタイトルの記事があったのですね。

これは、どんなものかといいますと、リチャード・リンという人が、2002年に世界の IQ を計算するデータベースとして作成した基準がありまして、それを元に、毎年、世界 148カ国の「 IQ 値」が改訂されているもののようなのです。そのプロジェクトのページには、以下のように記されています。

World's IQ

世界の IQ

このプロジェクトでは、科学者リチャード・リン氏と精神分析学者タトゥ・バンハネン氏の 2002年と 2012年の著作「世界の国々の富とIQ (IQ and the Wealth of Nations)」で作成された IQのデータセットの手法により、各国の IQ を毎年改訂している。

主な目的は、厳密に標準化された方法を使用して、それぞれの国家の IQ を再評価し、計算と推定をしやすくするためにある。

そういうものなのだそうですけれど、 3月26日に改訂された「世界の各国 IQ 値」では、世界の IQ の平均値は「 82 」ということになったことが記されていました。

それで、「上位は?」とランキングを見てみましたら、冒頭にありますように、「 1位は日本」なのですね。

「へえ」と、やや意外感を持ちつつ、それを眺めていたのですけれど、冒頭の表では小さすぎて、ほとんど読むことができないと思いますが、こちらのリンクに、オリジナルの表があります。

このようなランキングに意味があるのかどうかはともかく、馴染みのある国や、主要国はどのような感じなのかを記させていただきますと、以下のようになります。

1位から10位まではすべて掲載いたしまして、あとは適度に抜粋させていただきます。

ちなみに、上位は、ほぼ東アジアです。

主要国のIQと世界順位

カッコ内が IQ 値

1位 日本 (107)
2位 台湾 (106)
3位 シンガポール (106)
4位 香港 (105)
5位 中国 (104)
6位 韓国 (102)
7位 ベラルーシ (102)
8位 フィンランド (101)
9位 リヒテンシュタイン (101)
10位 ドイツ (101)

18位 オーストラリア (99)

20位 イギリス (99)

27位 アメリカ合衆国 (97)

44位 イスラエル (92)

56位 タイ (89)

80位 ブラジル (83)

82位 ベネズエラ (83)

96位 イラン (80)

110位 サウジアラビア (76)

112位 インド (76)

120位 ジンバブエ (74)

137位 イエメン (63)

148位 ネパール (60)

こういうようなことになっていました。

表そのものは以下のようになっています。

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日本が1位なのは、めでたいと言ったほうがいいのか、釈然としない部分があるといったほうがいいのかは難しいですが、調査自体は、多少の誤差はあったとしても、一定のルールでおこなわれているようです。

ちなみに、世界地図で色分布でも示されていまして、以下のようになっています。

世界のIQの分布(色が青いほど高い)

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World IQ 82 Becker update V1.3.2

この地図を見ていますと、何だかこう「中世のヨーロッパによる侵略国の色分布」みたいな感じもありますが、ともかく、世界の IQ はこのような分布となっていました。

それにしても、これがそれぞれの国の国民の平均した「知能」なのだとすれば、日本を含めた上位のアジアの国々は、今どうしてこんにいろいろと大変なのか…という気は正直します。

 

まあ・・・しかし、この「日本は  IQ が世界で最も高い」ということを、もう少し前向きにとらえてもいいのかもしれないとも思いました。

というのも、これからの時代は、本当に考えなければならない時代が長く続くと予想されるからです。

 

日本はもとより、世界のどんな人たちも、賢明に考えないと生き残ることさえ難しくなるような時代が来ないとも限らないです。

少子超高齢化をひとつとっても「どうする?」と言われて、すぐに解決するようなことではない……。

身体や精神疾患の増大も「どうする」と言われて、すぐに解決する問題ではない……。

環境の崩壊も「どうする」と言われて、すぐに解決する問題ではない……。

日本の負債ひとつとっても、「どうするべ」と方言で聞かれても解決は難しい。

今後の社会は、ものすごく考えていかなければ、数十年後には、私たちは存在しないかもしれないです。

いや、主要国はわりと同じような問題を持っているはずで、みんなが考えなければ生き残ることができない時代となっていきます。

 

そのような中で、本当は私たち日本人は今よりもっと「知能を使える民族」なのだと認識しながら、なぜ、

「最近の日本人はそんなふうな民族に見えなくなってしまったのか」

ということを考える機会なのかもしれないです。

そもそも、知能というのは、自由で伸びやかな状態や環境でこそ開花するもので、グリグリに押さえつけらたり抑圧されている中では、IQ がどうであろうと、「良い智恵」というものは出ない気がします。

これからの社会や世界を生きるためには、特に私たち日本人は考えなければならないことが山ほどあるわけですから、私たちは、ここでむしろ「私たち日本人は本来こんなに賢明な民族なのだ」と開き直りながら先に進むのも悪くないのかもしれません。

たとえば、大げさな言い方かもしれないですが、これが天のようなものから与えられた天賦的なものなのだとすれば、それを自由に開花させていない状態は、何だか残念な気がします。

現在の「やや抑圧と不自由と不寛容が突出している時代」が、今後少しでもそうではない方向へと変化していけば、未来の日本人はきっと、このような知性を金儲けとか物質社会の肥大の方向だけではないものにも向けられるような気がします。

そうすれば、多くの日本人が本来持っているこの知性が、社会と地球に対して大変に素晴らしい働きをする時代が来ると思いたいです。

そして、いつかはこのランキングに見合う日本社会に日本人みんなが暮らすことができればと。


<転載終了>

 
 

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【深刻!】日本語の問題文が理解できない中学生が43%&京大NO1教官が教える「勉強することのホントの意味」

-「漢字読めない、書けない」の「#安倍過ぎる」政権そのものが最たる悪例だと思われるが、「教育の良し悪し」は国の将来を左右する重大問題である。当たり前ながら、子供たちの教育成果レベルが高ければ国の発展は保証され、その逆なら国は衰退の一途をたどる。そこでなのだが、今この国の教育は深刻な状況にあるという。1番目転載の『半歩前へ』氏文がその現実に鋭く迫っている。中学生への問題に対して、易しいはずの日本語文が理解できないというのだ。質問文の文意が理解できずにどうして正解が導き出せようか。どうしてこうなってしまったのか。当ブログでも以前から指摘してきた処だが、子供たちに「本を読む」習慣がついていなかったからだと、半歩前へ氏も述べている。こんな子供たちの大量生産では「国際競争力」どころの話ではない。安倍晋三の「中国包囲網」は完全に破綻したが、人口15億人ともいわれる中国には潜在的に東大クラスが1千万人以上、早慶クラスだと数千万人以上いるという推計もある。中国は多くの面で既に日本を追い抜きつつあるが、今後彼我の差は開く一方だろう。

 翻って、次の転載文は、「出来る子たち」を対象とした、京大NO1教官による「勉強することのホントの意味」についての講演内容である。対象生徒は中高一貫校の大阪四天王寺校の女子中学生たち。ちなみに同高校は70~72の超高偏差値である。近年は格差社会どころか「階級社会」とまでいわれているが、多くの落ちこぼれ生徒たちをよそに少数の「出来る子」たちも確実に存在するわけである。ここでの最大の問題は、落ちこぼれと出来る子は「親の年収」に比例する、よって階級化が何代にも渡って固定化される懸念があるということだ。が、これはまた別の深刻な社会問題になるので、ここでは触れない。いずれにせよこういう優れた講演が聞け、かつそれを咀嚼できる能力がある子たちは、そこから自分の将来についての重要なヒントを掴めもするのだから幸せである。児童・生徒のみならず、「自己啓発は生涯に亘るワークである」とか「成長に終りはない」といわれる。京大瀧本教官が同校生徒たちに語った内容は、私たち大人も噛みしめて味わうべき内容ではないかと思われる。 (大場光太郎・記)-

【追記】
 是非少し触れておきたいと考えていた事を書き忘れた。滝本教官は、「でも実は、皆さんが今学校で習っているのも、ハリーたちと同じ『魔法』なんです」と述べている。これはこれで大正解の表現だと思う。が、私はさらに「今学校で習っているのは『オカルト』なんです」といいたい。ここでのオカルトとは「隠された知恵」という(正式の)意味である。今は小学校レベルでも、100年前の人たちからすれば十分オカルティクな内容を日々教え、学んでいるのである。

【よく噛みしめたい名言】

「学ぶ力の背景としての国語力のあるなしで、他の教科の理解力も違う。数学も物理でも、深く踏み込んでテーマの真髄に近づいていこうとする力こそが国語力。それは「生きる力」と置き換えてもいい。」(灘校「奇跡の授業」の故・橋本武先生談)

深刻!日本語の問題文が理解できない中学生が43%!
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/207.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 12 月 15 日 01:18:05
http://85280384.at.webry.info/201712/article_132.html
2017/12/15 01:00 半歩前へ

▼深刻!日本語の問題文が理解できない中学生が43%!

 多くの中、高生が優しい日本語の文章が理解できない。国立情報学研究所の調査結果で明らかになった。「文章が理解できない」?つまり意味がわからないというのだ。由々しき出来事である。

 文科省は英語を来年4月から小学3年と4年で必修科目とする。進む国際化への対応だそうだ。しかし、肝心の日本語が分からないで英語重視と言うのはいかがなものか? どの国でも母国語を理解出来た上での外国語ではないのか。

 日本語の問題文が理解できない実例を挙げよう。問題は中学教科書からの引用だ。

 「幕府は1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」が、同じ意味かどうかを尋ねた。

 これを「同じ」と、間違って答えた中学生が43%もいた。高校生でも28%が不正解だった。こんな短い日本語が理解できない。しかもテストの問題文だ。これでは救いようがない。社会に出て、どうするのか?

 例えば新型のスマホを買うにしても、契約書や説明書が付いている。何が書いてあるか分からなければお話にならない。「読解力不足」では済まない。

 なぜ、こんな“未完成品”が多いかと言うと、子どものころから本を読む習慣がなかったからだ。親が子供に本を与えない。そんな家庭で育った子供は理解力が著しく劣る。

 そのまま成長すれば中、高生になっても“未完成品”だ。なぜ、そんな子供が高校に進学で来たかと言えば、少子化の中で「生徒の質は問わない」と言う高校が少なくない。

 大学にも「自分の名前だけ書ければ合格」と言うところがある。商売だから授業料さえいただければOKだ。

 このように幼児期に本と親しむか否かで将来、大きな知的格差が生まれる。日本語で書いた文章が理解できないと、子供たちは将来、まともな仕事に就くことも難しいだろう。

 「幼児期の育て方がいかに大事か」、分かろうというものだ。優しい日本語の文章が理解できない。すべては親の責任である。

京大ナンバーワン教官が教える「勉強することのホントの意味」 これがミライの授業だ
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/305.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2017 年 12 月 12 日 13:36:42
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53586

現代ビジネス編集部

推古元年(西暦593年)4月、聖徳太子は現在の大阪・四天王寺に、仏法修行の場として「敬田院」を開設した。

この日本で初めてつくられた公教育施設である敬田院の精神を受けつぎ、社会に貢献する女性の育成に力を入れているのが、学校法人四天王寺学園が運営する四天王寺中学・高校である。

2017年11月6日、その四天王寺中学の女子中学生約500名に、「なぜ勉強するのか」と題した講演が行われた。

演台に立ったのは、京都大学ナンバーワン人気教官の瀧本哲史氏。同氏は『ミライの授業』『武器としての決断思考』などのベストセラー作家としても知られている。

「ミライ」を生き抜いていかねばならない彼女たちに、瀧本氏は何を語り、どんなメッセージを贈ったのか。
どうして勉強しないとダメなのか

「どうして勉強しなければならないのか?勉強しなければならない理由とはなにか?」

今を生きる多くの大人も、かつては抱いたであろうこの疑問。大阪市内の伝統ある女子名門校として知られる四天王寺中学だが、その講堂に集まった約500人の女子中学生たちも、日々感じているに違いない。瀧本氏はその答えを解き明かすために、「まず最初に、いま世の中で起きている大きな変化について、説明したいと思います」と講義を始めた。

「みなさん、資本主義って言葉、聞いたことあるでしょう。資本主義というのは、一言でいえば『好きなものを、誰でも自由にお金で買える社会』のことです。日本やアメリカをはじめ、いま世界のほとんどの国がこのシステムを採用しています。それに対して『社会主義』というシステムもあります。

社会主義の国では、どこかにいる偉い官僚や政治家が『みんなはこれを買いなさい』と決める仕組みで社会を運営しようとしました。しかし、これはほとんどの国でうまくいきませんでした」

資本主義の社会では、何かを作るのが得意な人が、自分の好きなものを作り、それを自由に売ることでお金が儲けられる。

そのことによって企業や人々の間で健全な競争が起こり、世の中が便利に進歩していくというシステムだ。しかし近年、この資本主義システムが世界中で急速に進行したことによって、「あらゆる人が世界中から一番良いものを一番安く買えるようになり、そのことが日本経済の低迷をもたらした」と瀧本氏は語る。

「iPhoneを作っているアップルは、どこの国のメーカーだかわかりますか?」ステージ上から中学生たちに問いかけると「アメリカ!」とあちこちから声が上がった。

「そうです。でもじつはiPhoneの中の部品は、ほとんどが日本や台湾、韓国製です。スマホの組み立て自体も中国や台湾で行っていますから、『どこの国で作っている』と一言では言えないんですね。

スマホを持っている日本人のうち、今は半分ぐらいの人がiPhoneを使っています。富士通やNECなどの日本メーカーもスマホを作っていますが、シェアはiPhoneに比べれば非常に小さい。

昔はメイド・イン・ジャパンが『世界最高品質』の証明でしたが、今やそんなブランドイメージはゼロになってしまったんです」

資本主義が進んだ結果、現在の世界は、iPhoneのようなそれまでにない、まったく新しくて画期的な製品を最初に作りあげた企業だけが、儲けを独占する構造となっている。かつて世界の市場を制した多くの日本企業が、この10年で苦境にあえぐようになったのも、彼らが作る製品が「世界一」ではなくなったからだ。

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資本主義の進歩と歩調を合わせ、社会に巨大な変化を起こしているのが、「テクノロジーの進歩」だ。人々の働き方にも巨大な変化をもたらしているその実例として、瀧本氏はスクリーンに二人の男性の写真を投影した。

「この人たちは何をしているんでしょうか?」
「駅員さん」「キップを切ってます」

片方の写真の駅員は、何十枚も並んだキップを前にして座っている。昔は駅に自動販売機が無かったので、乗客の行き先を聞いて、その値段のキップを駅員が手売りしていたのだ。

「それが今はどの駅もこうなっていますよね」と、瀧本氏は自動改札の写真を次に投影する。

「駅員さんだけではありません。最近AIの進化にともない、あらゆる仕事がどんどんコンピュータ化されています。皆さんが大人になる頃には、『答えが決まっている仕事』のほとんどは、コンピュータや人工知能を搭載したロボットが行うようになることが確実です」

そうした未来に生きていく子どもたちは、どのような力を身につければ良いのだろうか。
ハリー・ポッターと「君たちの将来」

瀧本氏が次に映し出した写真に、場内から歓声が上がった。「ハリー・ポッターだ!」。投影されたのは、映画『ハリー・ポッター』シリーズの登場人物、ハリーやハーマイオニーたち魔法学校の生徒が横並びに立つ写真である。

「そうだね、皆さん、毎日勉強していて『なぜこんな何の役にも立ちそうにない、三角関数とか平行線の証明とかをやらなきゃならないんだろう』と思いませんか?」

無言でうなずく生徒たち。

「でも実は、皆さんが今学校で習っているのも、ハリーたちと同じ『魔法』なんです」

瀧本氏がそう言うと、生徒たちは「どういうこと?」と言いたげに、ぐっと席から体を乗り出して耳を傾けた。

「現代の魔法というのは、科学と技術です。過去の偉人たちが発見した偉大な真理や発明が、いまの私たちの生活を支えています。例えば飛行機。150トン以上もある鉄の塊が、日本とアメリカの間の空を飛んでいくなんて、江戸時代の人が見たら『魔法だ!』とびっくりしますよね。そうした技術を支えている根本は、皆さんの多くの人が嫌いな『数学』なんです」

もしも人類が三角関数を発明していなければ、飛行機を飛ばすことも船を運行することもできない。電車のモーターや車のエンジンを作ることも不可能だ。現代社会の「魔法」はここ20年でさらにスピードを上げて進化し続けている。

「今から34年前に描かれた漫画のドラえもんに、『おこのみボックス』というひみつ道具が出てきます。小さな箱に『テレビになあれ』というとテレビになって、レコードで音楽を聞くことも、カメラにもなる。

それってつまり、皆さんが持ってるスマホですよね。スマホはさらに、ゲームもできれば電話やLINEで友だちと連絡を取り合ったりもできます。わずか30数年前の『夢の道具』が、それ以上の性能で、現実になっているんです」

医学の進歩でいえば、これから人間の平均寿命は100年を超える時代になるとも言われている。米国の起業家イーロン・マスクが経営するスペースX社は、人類を火星に送り込むことを真剣に目指してロケットを開発している。

今日の瀧本氏の講義を聞く彼女たちが大人になる頃には、道路を走る車の多くはAIにより自動運転になっている可能性が高い。20年前に今のスマホの隆盛を予見できた人は誰もいなかった。テクノロジーの進歩がもたらす未来は、現在を生きる我々の想像力をきっと超えるだろう。
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「そうした技術の元になっているものこそ、今、皆さんが学校で習っている数学や自然科学です。つまり今、皆さんは学校で、『魔法の元』を習っているんです」

瀧本氏は、学校で教えてくれる学問の重要性について、次のような小咄を例に解説する。

「昔、中国の田舎に、数学がすごくできる中学生がいました。ある数学の研究者がその子の才能を見抜いて、『君は都会の学校に行って、数学の勉強をするべきだ』とアドバイスしました。しかし、その子の親は『うちで農業を手伝わせます』と進学を止めたのです。

何年かして研究者がその子に再会すると、彼はこう言いました。『先生、僕はすごい発見をしました。この公式を使うと、あらゆる2次方程式が解けるんです』。彼が見せたのは、皆さんが中3で必ず習う『解の公式』でした」

生徒たちがどっと笑う。「ゼロから車輪を再発明する」ようなことは、時間の無駄でしかない。すでに解明されている真理や、かつての人々が見出した知見、発明された技術は、できるだけ効率的に学ぶことが、新しいものを生み出すためには必要なのだ。

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ナイチンゲールが偉大なワケ

「この人の顔は、きっと見たことがあると思います」

そう言って瀧本氏が映し出したのは、今から200年近く前のイギリスで、当時の世間の「常識」と戦い、医療の進歩に多大な影響を与えた女性、フロレーンス・ナイチンゲール(1820〜1910)である。

「ナイチンゲールという人は、何をした人?」
「看護をした人」
「そう、みんなそう思いますよね。でもそれはナイチンゲールの偉大な功績の、実は半分でしかありません。意外なことにナイチンゲールは、皆さんの多くが好きではない、数学の専門家だったんです」

看護と数学? いったいどういう関係があるのだろう、と生徒たちの顔にとまどいの表情が浮かぶ。

「兵士が戦争で死ぬのは、鉄砲で撃たれたことが理由だと思うでしょう。でも実際には、その30倍もの兵士が『きちんと看病されないこと』で死んでいたんです。ナイチンゲールはロシアとオスマン帝国の間で起きたクリミア戦争に派遣されたとき、重症を負ったわけではないのに、死ぬ兵士があまりにも多いことに気づきました。

床や壁は腐り、ゴキブリが這い回って悪臭が立ち込める戦地の病院には、医療物資や薬品も足りなかった。その不衛生な環境で、抵抗力の弱った兵士たちは感染症にかかって、ばたばたと死んでいたのです。

ナイチンゲールがすごいのは、そのことに気づいた後で、兵士たちを看護するだけでなく、彼らの死因をきちんとした統計データにとり、一目でわかるグラフにしたことにあります」

その当時は、棒グラフも円グラフも普及していない。ナイチンゲールは独自に「コウモリの翼」と呼ばれる円グラフを作り、兵士たちの死因の統計を1000ページ近くにもなる報告書にまとめ、イギリス女王が直轄する委員会に突きつけたのである。

ナイチンゲールがこの時に明らかにした、客観的なデータにもとづく医療施設の衛生環境の改善がなければ、現代の病院における死亡率も大きく変わっていたかもしれないのだ。ナイチンゲールは裕福な家庭に生まれたことから、幼少の時から最高の教育環境を与えられ、語学や文学、そして数学や統計学を学んでいた。

彼女がやり遂げた人類史に残る大きな「仕事」は、彼女が看護師になるずっと以前に学んだ「数学」と「統計学」によって達成されたのである。

続いて瀧本氏がナイチンゲールと比較の対象として、「残念だった人」として紹介したのが、文学者としては超一流の作品を残した森鴎外だ。当時最先端のドイツ医学を学んだ森鴎外は、明治時代に国民病と呼ばれた「脚気」の原因を、「脚気菌」という細菌が起こしている結核やコレラと同様の伝染病だと考えた。

「しかし脚気の本当の原因は、ビタミンB1の不足であることは今では常識です。当時も、ビタミンB1を多く含む麦を食べている人は、脚気にならないことがわかっていた。しかし陸軍軍医のエリートであった森鴎外は、その事実を無視して『食事なんて関係ない』と主張し続けた。

その結果、日清・日露戦争で何万人もの兵士が脚気が原因で命を落としました。多くの人々の役に立つ、新しいことを発見するポイントを、私たちはナイチンゲールから学ぶことができます。それは『思い込みではなく、誰もが納得するデータを集めること』なんです」

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憲法ってナニ⁉

瀧本氏が次に紹介したのは、ベアテ・シロタ・ゴードン(1923〜2012)という女性だ。瀧本氏が「皆さんこの人を知っていますか?」と問いかけるが、誰からも手が上がらない。しかしこの女性こそが、わずか22歳にして、男尊女卑で女性が虐げられていた終戦直後の日本社会に「男女平等」という概念をもたらした人物だ。

「このベアテという女性はオーストリア生まれのユダヤ人で、親がピアニストでした。幼い頃から日本をふくむ世界中で暮らしたことから、日本語、フランス語、ドイツ語、英語など6ヶ国語に堪能となり、太平洋戦争の開始後その語学力を活かして、アメリカ陸軍の情報部や『タイム』という雑誌社で働きました」

ベアテはタイム社で働いていたとき、非常に優秀でありながら女性であるという理由で、リサーチ・アシスタントとしての仕事しか与えられなかった。当時のアメリカも男女平等の国ではなかったのである。

太平洋戦争が終わると、ベアテはGHQの職員に応募し、両親が暮らしていた「第二の故郷」である日本に帰ってきた。そして民主国家として日本が生まれ変わるための「日本国憲法」の草案づくりに携わる。

ベアテらに与えられた草案づくりの期間は、わずか9日間。彼女は持ち前の語学力と、リサーチャー時代に培った調査力を活かし、世界の国々の憲法を読み比べて、日本国憲法に明記されることになる「男女平等」の理念の土台を作ったのである。
日本国憲法第24条
一婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
二配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

「いま皆さんがこれを読むと『当たり前』と思うかもしれません。しかし戦前は、まったく当たり前ではなかったのです。まず女性には『財産権』という自分の財産を持つ権利が認められていなかった。

日本だけでなく、当時、世界でも男女平等の国はほとんどありませんでした。イギリスで1813年に刊行されたジェーン・オースティンの『高慢と偏見』という小説は、夫がいない女性が、父親が死ぬと財産が国に没収されてしまうので、急いで良い結婚相手を見つけうようとする、という筋書きです。日本国憲法ができた1946年の時点でも、ベアテが草案を作ったこの2つの理念を憲法に明記した国家は、世界でもきわめてまれでした」

重要なのは、「日本国憲法というのは、日本人だけで作った憲法ではない」ということだと瀧本氏は言う。
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「日本国憲法は、アメリカやドイツをはじめとする世界中の憲法の『いいとこどり』をして作った憲法なんです。ベアテは6ヶ国語ができたから、世界中の憲法を集めて読み込み、日本国憲法に活かすことができた。ベアテがもしいなければ、日本国憲法に男女平等を明記した24条が明記されることは、ほぼ無かったでしょう」

実際、草案についての話し合いで日本政府側は、24条について『日本には男女同権の土壌はないから受け容れられません』と反対したという。だがGHQ側のリーダーが「この条文は日本で育ち、日本をよく知っている通訳のシロタさんが書いたもので、日本にとって悪いことが書かれているわけがありません。彼女のために通してもらえませんか」と主張して、残されることになったのである。

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ルールを作るのはあなたたち

「ちなみに憲法の『いいとこどり』をしたのは、ベアテだけではありません。皆さん、『憲法』という言葉を日本で最初に使ったのは誰だかわかりますか?

しばらく生徒たちはざわざわと話し合ったあと「……聖徳太子?」という声が上がった。

「そのとおりです!じつは聖徳太子も、憲法をゼロから自分で作ったわけではなく、よその国の憲法を『いいとこどりして』十七条憲法を作っています」

聖徳太子の生きた時代、日本は海を隔てた中国大陸の大国・隋に脅かされていた。隋の周辺にあったアジアの国々は、隋に対する朝貢を欠かさず、日本もその例外ではなかった。

聖徳太子は、国家として日本がきちんとした仕組みを整えなければ、いずれ隋に征服されてしまいかねないと考え、隋と同レベルの国となるために、十七条憲法や冠位十二階などの制度を整えた。瀧本氏は「それらはほとんど隋の制度や条文を『いいとこどり』したものです」と指摘する。

「十七条憲法の中でもっとも有名な言葉、『和をもって尊しとなす』も、中国の偉大な思想家・孔子の『論語』に出てくる言葉からとっています。しかし聖徳太子のすごいところは、隋という当時の世界最大の国から、いちばん良いところを学び、その本質的な精神を自分たちのものにしたところなんです。

ちなみに真似された隋という国のほうは、法を作ってもきちんとそれを実行しなかったため、社会も政治も乱れ、わずか30年で唐に滅ぼされてしまいます。聖徳太子は十七条憲法をもとに、その法に流れる精神をちゃんと実行した。だからこそ『和をもって尊しとなす』の精神は、今も日本に残り続いているわけです」

瀧本氏は、四天王寺中学の礎である敬田院を作った聖徳太子について、解説を続けていく。

「皆さん、聖徳太子って、どういうイメージですか? なんとなく昔からの伝統とかを重んじる人、という感じを抱いていませんか。それは、ぜんぜん違います」

聖徳太子の事跡のなかでも、後の日本の歴史に多大なる影響を与えたことの筆頭といえば、仏教の国教化が挙げられるだろう。もともと仏教は、当時の日本に存在しなかった宗教だ。それまで日本は太古からの自然信仰に基づく、八百万の神を奉じる国だった。国家としての祭りや祈りも、すべて神に奉じられていたのである。

「しかし聖徳太子は、『これからは仏教の時代だ』と宣言して、十七条憲法の中にも『三宝を敬え』と書き、各地に寺を建立して広げていったわけです。もちろんこの改革に猛反対にあいます。

聖徳太子は、伝統の破壊者であり、創造者だった。四天王寺に学ぶ皆さんには、ぜひ聖徳太子の根本にある『他のところから良いことを学ぶ』『伝統に従うのではなく、自ら伝統を作り出す』精神を学んで欲しいと思います」

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講義のなかで、瀧本氏は、「鉄の女」と呼ばれたイギリス首相のマーガレット・サッチャーや、63歳で国連難民高等弁務官になり、多くのクルド難民を救った緒方貞子氏らの軌跡を紹介していった。

そして最後にまとめとして、次のように語った。

「今日の話では、22歳の女性でも国の根本を変えるような憲法が作れるし、国連でまったく働いたことがない高齢の女性でも、ルールを変えて人を救うことができることを話しました。つまり『新しいこと』は、いつも世の中の新人が始めるんです。

昔のヨーロッパで、天動説が地動説に変わったのは『世代交代』が理由でした。天動説の信奉者は、結局死ぬまでそれを信じていた。『天動説はおかしい』と考える、新しい考え方を持つ若い人が世の中の多数派となったとき、初めて地動説が『定説』になったのです。

皆さんは若くてどこの世界に行っても新人です。でもそれゆえに、世の中を変えられる可能性が、大人よりもずっと大きいんです」

いつの時代も新しい発見は、常に若くて古いパラダイムに染まっていない新人によってもたらされる、と瀧本氏は力強く語った。

「では、今日の最初の質問に戻ります。皆さんは、何のために勉強するんでしょうか?」

誰かいるかな、と瀧本氏が広い会場を見回すと、おずおずと手を上げる一人の生徒がいた。マイクを渡された彼女は、次のように述べた。

「……私たちは今は何者でもないけれど、未来には何にでもなれる可能性があると思います。だからこそ、今興味が持てないことでも、勉強する価値がある、ということではないでしょうか」

答えを聞いた場内の女子中学生たちから「すごーい!」という声があがり、大きな拍手が湧き起こった。瀧本氏が今日の講義に込めた思いは、確実に彼女たちに伝わったようだ。
瀧本先生のメッセージ

「そのとおりです。皆さんはまだ若いから、自分たちの物語を作ることができる。自分で脚本を描いて、自分が主役を演じることができる。どこにでもいる女子中学生で、何者でもないからこそ、何者にもでもなれる可能性を持っている。

でも『何者か』になるためには、世の中のみんなが知っていることを知る必要があるし、みんなが知っていることを、違う角度から見られるようになる必要がある。そのためにも、今皆さんが取り組んでいる勉強を、がんばってください。今日の講義はこのへんで終わりです。くれぐれも、数学が大切ということは忘れないでくださいね」

そう締めくくり、瀧本氏は壇上を去った。会場からは生徒と父兄から万雷の拍手が鳴り響いた。

終了後、この日の瀧本氏の講義を聞いた2年生の女子二人に、感想を聞いた。Aさんは「世の中で活躍する人は男性が多いと漠然と考えていましたが、女性で世の中を変えた人がたくさんいることを知りました。将来、私は医学の道に進みたいと思いますが、コンピュータにはできないゼロからイチを生み出す仕事をしたいと思います」と語った。

Bさんは「知識だけが必要な仕事は、やがてAIに置き換わると聞いて、そのとき求められる力は、『自分の考えを言葉にして、他の人に伝えていくことなのではないか』と感じました。今日聞いた緒方貞子さんの話のように、自分が正しいと信じる道を実現するために、今の勉強をがんばりたいと思います」と述べた。

「ミライの授業」で瀧本氏が女子学生たちに伝えたメッセージは、きっとそう遠くない将来、この世界のさまざまな場所で、大きく花開くことだろう。

(取材・文/大越裕)   

(以上、転載終わり)

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【日本語を考える】小学生の英語教育は必要か&敬語の美と誇り

-恒例の時事記事について転載したいものが見つからず、たまたま興味深く読んだ阿修羅掲示場と大摩邇サイトの、日本語について考えさせられる投稿記事があったので転載する。1番目の森本卓郎氏文のテーマは「小学生の英語教育は必要か」というものである。これは2020年以降、小学校3年生から必修化されるという英語教育の是非について論じているものである。森本氏は、これについては「百害あって一利なしだと考えている」という。理由の一つは、その前にみっちり国語力を身につけさせるべきだというのだ。森本氏がさらに指摘するように、「言葉というのは最も大切な文化」であるのに、「国語力もろくに出来上がっていない小学生」に英語を学ばせる事は、子供たちの情操を養う上でも人格形成上も危ういものがあるし、この国の文化継承にとって大変危ういと思われる。「言葉というのは最も大切な文化」であることを、「敬語」という観点からさらに掘り下げて論考しているのが次の「心に青雲」サイト記事である。尊敬語、謙譲語、丁寧語をきちんと誤りなく使えているかとなると、私自身甚だ心もとない。敬語は奥深いものなのである。敬語を「階級的言語」として極力教えないようにしてきたのが日教組だという。ヤジ将軍・安倍増長のように何の関連もない民主党(当時)の国会質問に「日教組、日教組」とヤジるのもいかがなものかと思うが、この日教組方針は敬語の何たるかを知らない妄言と言うべきだ。敬語のみならず、戦後日教組がよりよき日本語教育を阻害してきたのは否めない事実だと思われるのである。それと同サイト指摘のように、日本語破壊を強力に推し進めてきたのはテレビ局、特に民放の低俗番組だ。実害としては日教組よりこちらの方が遥かに深刻かもしれない。同サイトが引用・紹介している林秀彦氏は、「日本人と日本語の関係は魂の結びつきの関係にあり、民族のアイデンティティと一体である」と述べているがまさに至言である。その破壊こそがGHQ・3S政策の眼目だったわけだが、だからと言って安倍政権が進めようとしている修身・道徳教育の復活などはこれぞ「百害あって一利なし」だ。森本氏主張どおり、小学生からの英語教育もそう。必要なのは、ポダムCIA正力の日本テレビ開設以来、自民党政権と癒着してきたテレビ局低俗番組の廃止(いっそすべてのテレビ局そのものの廃止)と、灘校・橋本武先生が「国語力はすべての学科のベース」「国語力は生きる力」とまで言い切った国語教育の抜本的改革である。また個々人としては、お互いロクな国語教育を受けてこなかったのだから、今ここから自らが真摯な気持ちであらためて日本語を学び直す意志も必要だろう。 (大場光太郎・記)-


森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 小学生の英語教育は必要か(週刊実話)
http://www.asyura2.com/16/hasan112/msg/630.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 9 月 01 日 19:16:05
http://wjn.jp/article/detail/6741701/
週刊実話 2016年9月8日号

 小学生に対する英語教育が、2020年以後、3年生から必修化、5年生から教科化されることになった。現在と比べると、時間にして約3倍に増えるという。「グローバル化が進む中で、英会話能力の育成は不可欠」だと考える国民は多いだろうし、自分自身の英会話能力の低さを振り返ると、小学生時代から英会話の教育を受けておけばよかったと考える国民は、多数派だろう。

 しかし、私は小学生からの英語教育は、百害あって一利なしだと考えている。第一の理由は、小学生時代の外国語能力獲得は、その後に大きな成果を残さないということだ。

 私は、父親が新聞社の外信部で働いていたため、小学校1年生をアメリカで、4年生をオーストリアで、5年生をスイスで過ごし、すべて現地の公立小学校に通った。最初は英語で、次いでドイツ語、最後はフランス語だった。子供は語彙が少ないから、半年も経てば、普通に会話ができるようになる。しかし、それで何が残るのかということだ。私はいま、ドイツ語もフランス語も話すことができない。英語は少し話せるが、それは中学以降の学習の中で身に付けたものだ。

 もちろん、私は外国語教育が必要ないと言っているのではない。自国語とスタイルの違う言語が存在することを学ぶことは、とても重要だ。しかし、それが意味を持つのは、まず自国語をしっかりと勉強した後のことだ。

 私が小学生からの英語教育に反対するもう一つの理由は、そもそも英会話を必要とする国民がどれだけいるのか、ということだ。

 確かに、エリートビジネスマンに英語は不可欠となっている。ただ、そこでの英語能力は、中学生からでも十分身に付けることができる。現在、日本で働き、流暢な日本語を操る外国人のほとんどは、小学校時代に日本語を学んでなどいない。日本のビジネスマンに欠けているのは、語学力ではなく、外国人と話題を共有できる教養のほうだ。

 一方で、世界中のどの国を見ても、一般庶民は自国語のみを使って生活している。それで問題は起きていないのだ。

 それでは、日本語もろくに出来上がっていない日本の小学生になぜ英語を教えるのかといえば、私には米国企業にとって使いやすい労働力を育てたい、もっと言えば、米国への隷従を深めるためではないか、と考えている。

 1945年9月2日、日本が降伏文書に署名した直後、GHQは日本政府に「三布告」の即時実施を突きつけた。幸い、外務官僚の機転と命を賭した交渉によって実施は見送られたが、そこに書かれていたのは、通貨発行権と司法権をGHQが握るとともに、公用語を英語にするということだった。占領とは、そういうものなのだ。

 小学校のときから英語を学べば国際感覚が養われるというのであれば、例えば、学ぶべき外国語を英語のほかに、ドイツ語、フランス語、中国語といった選択式にしてもよいはずだが、そうした話は一切出てきていない。

 言葉というのは最も大切な文化だ。英語で考えると英語の発想になってしまうからだ。いま初等教育に一番必要なことは、日本語をきちんと教えることではないだろうか。


敬語の美と誇り(1/3) 心に青雲さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2004133.html 
大摩邇 20:54
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/441094745.html

<転載開始>

《1》
 林秀彦氏の『失われた日本語、失われた日本』(草思社 2002年刊)の、敬語に関する論考は、林秀彦さんの思想の真髄を示していて、私は何度もここを読み返しては、ときに涙ぐむのを禁じ得ない。これほど見事な心のこもった「敬語論」を読んだことはない。おそらくこれは敬語論では世界一と言ってよいかと思う。以下引用させていただく。

     ※      ※

 尊敬語、謙譲語、丁寧語、男言葉、女言葉といったものの抹殺は、そのなかでももっとも悪質な陰謀です。敗戦後サヨク系の人々から貼り付けられた日本語に対するレッテルは、「階級的言語」というものでした。これらの言葉が被差別を強制しているという評価でした。
 なんという亡国的、売国的発想だったことでしょう。 

 例えば恋は、お互いの敬語から始まるものです。それは決して女性だけが男性に対して強制されるようなものではありません。男性にとっても、敬語をもって接することができないような女性は、恋の対象にならないのです。

 男女相互の敬意は、恋だけではなく。良い夫婦関係にとっても不可欠なものです。日本人はどのような人間関係のなかにも、相手への敬意をにじませるという民族的な習性を持っていたのです。それは遠慮や、忖度や、気遣いや、いたわりや、寛容といった形で外に現われ、言葉がその細かなニュアンスを表現させる機能を持っていました。 

 敬語は人を大切にするためのもっとも的確で、かつ美しい表現です。私たちの祖先は何千年もかけ、民族性にもっともフィットした言葉を作りだし、いつくしみ、洗練させてきました。言葉は先祖たちの知恵の塊です。
 敬語は差別ではなく、美意識です。自分自身の謙虚さを美しいと感じる喜びの表出です。同時に相手に対する最高のいたわりです。
 それこそが、日本人としての愛の表現でした。西洋人の言う愛とは違う愛です。尊敬語、謙譲語、丁寧語こそ、日本人の愛なのです。


     ※      ※

 このように、林氏は説くのである。
 敬語は、サヨクから「階級的差別」とか「封建的」と貶められた。そのあげく、昨今の若者は、敬語を使わなくなったどころか、意図的に汚い言葉を使ってお互いを罵るように、バカにしたように会話し、上司だろうが年長者だろうが、敬語無視の友達感覚でしゃべっている。英語には敬語がないから、それが合理的で民主的だなどと吹き込まれたせいだろうか。

 私は、本来的には天皇に対する特別の敬語はあって良いと考えている。だが昨今の、裕仁も明仁も徳仁も、とてもじゃないが敬語をつかう気になれない。天皇への敬語は、ここで林さんが言っているのと同じ理由による。後醍醐院みたいなゲスは別として、日本人は天皇への敬意をにじませることが出来た、そういう関係が続いた。

 しかるに最近は英語をまねて、要するにフラットでフランクな話し言葉をつかうようになった。一言で言えば、ガサツなのである。当然、若い人は手紙などの文書が書けない。会社に入ると、さすがに商売上、「お客様にはこう言え」と教育されるから、そこでやっと敬語を習得するようだが、それも商売上の言葉に限られるから、日常ではすぐに馬脚をあらわす。

 林秀彦氏は、この本のタイトルのように、日本語が失われれば、それは日本人が日本人でなくなることだとおっしゃる。「日本人と日本語の関係は魂の結びつきの関係にあり、民族のアイデンティティと一体である」とも書いておられる。その通りである。それがどういうことなのかは、この『失われた日本語、失われた日本』を読んでいただきたい。

 「恋は、お互いの敬語から始まるものです」と林さんは説くが、これは実に美しい言葉である。この一言を読んで、あなたは胸が痛みませんか? 失われた日本を思って目頭が熱くなりませんか? 熱き心がある人なら、きっとそうなるはずなのだが…。
 そのとおり恋はお互いの敬語から始まる。昨今はそうではなく、なれなれしいところから恋愛を始めてしまうのではないだろうか。友情も恋も人を選ぶものだ。簡単に自分をさらけだすものではない。そういう人間はレベル低く思われる。だから見知らぬ男女が出会ったら、敬語を遣い、自分を低くは見せないものである。

 「秘すれば花」とはよく言ったものだ。恋愛もそういうものだ。互いに秘するものがあればこそ魅かれる。互いに相手を一目置く。ところが結婚して敬語を遣わなくなると、簡単に互いの中身がさらけだされ、実は秘するものは何にもなかったとわかって、すぐ恋も冷める。恋だけが冷めるならまだしも、その人間の文化性が簡単に淡雪のごとく消える。

 日本語を破壊してきたのは第一にサヨク、日教組どもであるが、もうひとつ重要な勢力があった。それはテレビ局であった。内容はともかくNHKは言葉遣いに関しては悪くなかったし、NHK放送があったればこそ全国に標準語が定着することになった功績は認めなければならぬ。しかしCIAの手先として始まった日本テレビ以下、民放はこと言葉遣いに関してはひどいことになった。

 NHKのアナウンサーは厳しく言葉遣いを鍛えられたが、民放はいい加減だった。民放アナはそれなりに指導はされただろうが、おちゃらけ番組ばかりやるようになって崩れ、可愛コちゃんならいいと女子アナがしゃべるようになって、いっそう乱れた。
 さらにテレビ局が面白がって出演させた大阪芸人らもその共犯である。

 敬語がなくなり、日本語がメチャクチャにされた結果のもっともラディカルな例がボクシングの亀田一家である。謝罪会見でさえ敬語をつかわない無教養。それを識者の誰も咎めなかった。あいつらの言葉遣いを軽薄にも面白がり、また中立的立場でものわかりの良い姿勢をとる奴は、日本人の恥であり、文化の破壊者である。
 日本文化を貶めても無神経でいられるのは、在日朝鮮・韓国人が使嗾しているのだろう。亀田一家も大阪出だが、とくに在日の多い大阪の芸人がテレビなどで、日本語の美しさをぶち壊してきたと思う。

 テレビタレントの多くは在日かオガミヤであるから、関東、関西の別なく彼らは平然と日本語を壊してきた。
 大阪には上質の文化はあるし、敬語がないなどとは言っていない。問題は大阪の庶民文化を体現した人間(とくに芸人)であって、よく「関東の人間は、敬語をつかって上品ぶっているから好かん」と言う。敬語をつかうことが気取りや、上品ぶっていると僻みを込めて彼らは思っているのか。

 せんだってあるテレビ局で、大阪のおばちゃんに街中で面白いインタビューしていた。「あなたは女優の松坂慶子さんですか?」と(真顔で)尋ねるのだ。「松坂慶子さんに似ていますね」ではない。すると、聞かれたおばちゃんは必ず「そうや。わたし松坂慶子やねん」と照れもせず答える。関東では絶対にあり得ない返答なので驚いた。これを大阪人は「ノリがいい」と称するようだが、関東人に言わせれば、慎みゼロ、奥ゆかしさゼロ、謙虚さゼロ、品がない! と断ずるであろう。
 大阪の庶民には「恋は、お互いの敬語から始まるもの」といっても通じないのだろうか。

(以上、転載終わり)

関連記事
敬語の美と誇り(2/3)
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2004132.html
敬語の美と誇り(3/3)
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2004131.html

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【見よ、この落差】識字率世界一の江戸のまち&恥かしい!世界に日本の若者のバカぶりが露呈

-わが国では、江戸時代から「寺子屋」という制度により小学校レベルの教育が広く行き届いていた。それどころか、(豊かな武家・町人の男子だけだったが)頭脳優秀な年長者には郷校、藩校さらには私塾に学ぶ道も開けていた。この世界に類を見ない「学びのシステム」が、明治以降短期間でわが国を列強国入りさせ、また戦後も世界トップクラスの経済大国にのし上がる原動力となったと言われている。しかるに、2番目の転載文のとおり、現在の若者たちの状況は甚だお寒い状況である。嘘か本当か、九九も満足に言えない大学生がいると聞いた事がある。もちろん良書・名著など読んだことのない若者、当用漢字さえまとも書けない若者はざらにいることだろう。これぞGHQ占領政策の一環としての「3S政策」の大成果であり、日本衰退の指標の一つであり、そのメーンはテレビにあるのだから、「子供にはテレビを見せるな」「大人も見るな」という主張は至極当然なのである。ところで英国教育専門誌が、毎年各国大学の世界ランキングを発表している。その2016年結果で、それまでアジア一を誇ってきた東京大学が、シンガポール大学、北京大学などに抜かれ7位に陥落したのである。原因は資金不足と国際観の低さが挙げられているが、最大原因は学生の質の低下にあるのではないかと思われる。今の大学を含めた学校教育は「仏作って魂入れず」の感がある。単なる知識の詰め込みである。江戸時代から戦前教育のバックボーンは漢学・儒学にあった。当時一定以上の教養人は四書五経を当たり前に読みこなし、重要な一節は暗誦も出来たのだ。それが日本人にとっての骨太の精神性を形成してきたのである。今どき漢学も儒学もないだろうが、今の物質主義偏重の詰め込み教育は是正していかなければならないと思う。と言って、安倍カルト一派のように戦前の修身教育を復活せよと言うのではない。ただ物質・肉体中心主義にとどまっている限り、東大卒だろうが何だろうが、人間はたいした事は出来はしない。入れるべき魂とはずばり「スピリチュアリズム(霊性、精神性)」である。なかんずく「原因結果の法則」。これはすべての宗教に普遍的な教えだと思うが、これを小学校低学年時から分かりやすく段階を踏んで説いていくべきだと思う。 (大場光太郎・記)-

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識字率世界一の江戸のまち
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=317860
るいネット 投稿者:望月宏洋( 25 会社員 ) 16/07/31 AM01 

 寺子屋といった教育文化が発展していた江戸時代は、なんと世界一の識字率であったと言います。
 この識字率の高さが、世界有数の技術を長らく伝承できた理由かも知れません。

以下、リンク より

>日本は世界一の識字率を誇る。
江戸時代の日本は、庶民の就学率、識字率はともに世界一だった。
嘉永年間(1850年頃)の江戸の就学率は70~86%で、裏長屋に住む子供でも手習いへ行かない子供は男女ともほとんどいなかったという。
また、日本橋、赤坂、本郷などの地域では、男子よりも女子の修学数の方が多かったという記録もある。
もちろん、寺子屋は義務教育ではない。寺子屋制度は、庶民自身の主体的な熱意で自然発生した世界的にも稀有なものだった。
当時の日本は、重要なことは役所や国がやるべきだなどという発想はなく、自分にとって重要であるならば、自分たちで自治的に運営するのが当たり前という感覚を持っていた。
これに対し、1837年当時のイギリスの大工業都市での就学率は、わずか20~25%だった。
19世紀中頃の、イギリス最盛期のヴィクトリア時代でさえ、ロンドンの下層階級の識字率は10%程度だったという。
フランスでは1794年に初等教育の授業料が無料となったが、10~16歳の就学率はわずか1.4%にすぎなかった。<『大江戸ボランティア事情』(石川英輔・田中優子著、講談社)より>
江戸時代の幕末期では、武士階級はほぼ100%が読み書きができたと考えられている。
町人ら庶民層でみた場合も、男子で49~54%、女子では19~21%という推定値が出されている。
江戸に限定すれば70~80%、さらに江戸の中心部に限定すれば約90%が読み書きができたという。<『「奇跡」の日本史』(歴史の謎研究会編、青春出版社)より>

>多くの外国人が、日本人の識字率の高さに驚嘆し、記録を残している。
1853(嘉永3)年に黒船を率いてアメリカからやって来たペリー提督は、日記(『日本遠征記』)に日本について「読み書きが普及していて、見聞を得ることに熱心である」と記している。
ペリーは日本の田舎にまでも本屋があることや、日本人の本好きと識字率の高さに驚いた。
<『日本絶賛語録』(村岡正明著、小学館)より>
また、1860(万延元)年に日本との間に通商条約を結ぶために来日したプロイセン海軍のラインホルト・ヴェルナー(エルベ号艦長)は、航海記で次のように述べた。
「子供の就学年齢はおそく7歳あるいは8歳だが、彼らはそれだけますます迅速に学習する。民衆の学校教育は、中国よりも普及している。
中国では民衆の中でほとんどの場合、男子だけが就学しているのと違い、日本ではたしかに学校といっても中国同様私立校しかないものの、女子も学んでいる。日本では、召使い女がたがいに親しい友達に手紙を書くために、余暇を利用し、ボロをまとった肉体労働者でも、読み書きができることでわれわれを驚かす。民衆教育についてわれわれが観察したところによれば、読み書きが全然できない文盲は、全体の1%にすぎない。世界の他のどこの国が、自国についてこのようなことを主張できようか?」<『エルベ号艦長幕末記』(ラインホルト・ヴェルナー著、新人物往来社)より>
1861(文久元)年に函館のロシア領事館付主任司祭として来日したロシア正教会の宣教師、ニコライは、8年間日本に滞在した。そして、帰国後に、ロシアの雑誌『ロシア報知』に次のような日本の印象を紹介した。
「国民の全階層にほとんど同程度にむらなく教育がゆきわたっている。この国では孔子が学問知識のアルファかオメガであるということになっている。だが、その孔子は、学問のある日本人は一字一句まで暗記しているものなのであり、最も身分の低い庶民でさえ、かなりよく知っているのである。(中略)どんな辺鄙な寒村へ行っても、頼朝、義経、楠正成等々の歴史上の人物を知らなかったり、江戸や都その他のおもだった土地が自分の村の北の方角にあるのか西の方角にあるのか知らないような、それほどの無知な者に出会うことはない。(中略)読み書きができて本を読む人間の数においては、日本はヨーロッパ西部諸国のどの国にもひけをとらない。日本人は文字を習うに真に熱心である」<『ニコライの見た幕末日本』(ニコライ著、講談社学術文庫)より>
トロイアの遺跡発掘で有名なドイツのシュリーマンは、1865(慶応元)年に日本を訪れた時の印象を、著書で次のように記した。「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」<『シュリーマン旅行記 清国・日本』(ハインリッヒ・シュリーマン著、講談社学術文庫)より>
1908(明治41)年、日本人781人が初めてブラジルへ移住を始めた。同年6月25日、『コレイオ・パウリスターノ』紙のソブラード記者は、ブラジルにやってきた日本人の様子をまとめたレポートを新聞で紹介した。記事の中で、ソブラード記者は、驚くべき清潔さと規律正しさや、物を盗まないこと等とともに、日本人の識字率の高さについて、「移民781名中、読み書きできる者532名あり、総数の6割8分を示し、249名は無学だと称するが、全く文字を解せぬというのではなく、多少の読書力を持っているので、結局真の文盲者は1割にも達していない」と報じた。<『蒼氓の92年 ブラジル移民の記録』(内山勝男著、東京新聞出版局)より>
 
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(都議選のさなか、「ポケモンGO」で新宿御苑に集結した若者たち。有力候補者の聴衆顔負けだが、この者たちのどれだけが都知事選投票したのだろう?)

恥かしい! 世界に日本の若者のバカぶりが露呈
http://www.asyura2.com/16/senkyo210/msg/329.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 7 月 28 日 22:45:05
http://79516147.at.webry.info/201607/article_174.html
2016/07/28 半歩前へⅡ

▼娯楽ニュースへの関心度
 ロイター通信社が毎年発行する「デジタル ニュース レポート」の2016年版が公表された。政治や経済など硬派ニュースに関心を寄せる割合では日本が49%と最低だった。ところが、芸能やスポーツなどの軟派ニュースでは逆に日本が突出。ロイターは「極めて特異な現象だ」と首をかしげている。

 ニュースの硬派とは、政治や国際、経済などのニュースだ。一方、軟派とは、エンターテイメントをはじめとした文化・芸能、スポーツといった分野を指す。

 硬派の割合はギリシャが81%、スペイン77%、ドイツ76%、米国74%と高いのに対し、日本は49%と調査した26か国の中で最低。

 ギリシャのように金融危機、失業、難民など切羽詰まった身近な問題を抱えた国では、硬いニュースをもっと知りたくなるのは当然かもしれない。だが、日本も、高齢化、財政破綻、格差社会など多くの問題が山積しているはずだが、とロイター。

 その反面、日本では軟派ニュースに関心を持つ人の割合が34%と、26か国の中で最も高かった。さらに注目すべきは、若者の割合が日本では極端に高いことだ。

 18~24歳の若者で軟派ニュース寄りの割合を国別で比較すると、英国が17%、スペイン18%、ドイツも18%、米国23%、イタリア29%に対し、日本は58%と断トツの値を示した。

 ロイターに指摘されるまでもなく、日本の異常さが目立つ。日本は政治や社会の問題に無関心な者が多過ぎる。これだから国粋主義者の安倍政権が高支持率を続けるわけだ。

 それにしても、いつまで経っても幼児化から抜け出ることが出来ない日本の若者たち。スマホ片手に朝から晩までゲームに熱中している若者。本の一冊もまともに読めない若者。

 これから国際化の波をどうやって、乗り切っていくのだろう?基礎的な常識、教養を身に着けていないと、後で苦労すると思うよ。

 今回の調査結果は、いみじくも日本の現状をさらけ出した。こんな「異質なニッポン」を、世界は「魔訶不思議な国」と思っているだろう。

(以上、転載終わり)

(関連記事)

アジア大学ランキング、東大がトップ陥落、7位に 課題は資金と国際化
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1606/21/news083.html
GHQ日本占領-「3R・5D・3S」政策
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-6366.html
新宿御苑がもはや地獄絵図………………………ピカチュウ効果 ポケモンGO
http://www.asyura2.com/16/hasan111/msg/279.html

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偏差値導入した政治家は従順な国民を作ることを目指した

-邪(よこし)まな目的をもって偏差値導入を画策したのは自民党政治家だった。ここまで日本をダメにした諸悪の根源は自民党にあり。この問題一つ取ってもそう断罪せざるを得ないのである。-

 今の世の中すっかり「偏差値ばやり」です。学校偏差値ばかりではないのです。以前の記事でも取り上げましたが、「就職偏差値」というのがあります。

 そればかりではありません。昨年秋頃だったか、『日刊ゲンダイ』で当世風俗嬢事情についての興味深いシリーズ企画がありました。その中で何と「風俗嬢偏差値」なるものまであると知り、驚いてしまいました。この大不況下、風俗嬢のなり手がわんさかで過当競争気味で、超売れっ子の高偏差値風俗嬢は月何百万も稼げるかと思うと、稼げない風俗嬢がゴロゴロいて食うに食えないアップアップ状態だというのです。

 かように何でもかでも偏差値が幅を利かせている世の中ですが、やはり問題となるのは学校偏差値です。時に「偏差値偏重教育の弊害」などと言う言葉を耳にします。が、私はこの問題をさほど深刻に考えず、当ブログでは興味半分に『全国高校偏差値ランキングから』『山形県内高校事情』など偏差値がらみの記事を過去に公開してきました。

 しかし偏差値導入に当たっては、以下に転載する『NEWSポストセブン』記事のように由々しき悪目的があったというのです。その目的とは「従順な国民を作ること」。これについては当ブログでも『日本国民は、なぜおとなしくなってしまったのか』記事で別の観点から考察しましたが、こちらもなるほど言われてみれば、確かに。

 導入を画策したのはまたしても自民党政治家です。ここまで日本をダメにした諸悪の根源は自民党にあり。この問題一つ取ってもそう断罪せざるを得ないのです。

 (大場光太郎・記) 


偏差値導入した政治家は従順な国民作ること目指した
http://megalodon.jp/2015-0217-2007-26/www.news-postseven.com/archives/20130828_207309.html
NEWSポストセブン2013.08.28 16:00

 本来、日本人はポテンシャルが高いはずなのに、なぜ日本の国はこれほど落ちぶれてしまったのか。この疑問をとくカギ「偏差値(学力偏差値)」について、大前研一氏が解説する。

 * * *
 偏差値とは、周知の通り、入学試験で合格可能性を示す数値である。1960年代から受験業界で学力成績の指標として使用されるようになった。しかし、実は偏差値は単なる学力の物差しではない。“お上”が明確な意図を持って導入したものである。私はかつて、偏差値導入を主導した政治家から話を聞いたことがある。

 ベトナム反戦・第二次反安保、学園民主化などで大学闘争が活発化して東大安田講堂事件(1968~1969年)が起きた後、私が「日本はこのままいくと若い人たちが不満を募らせて、クーデターを起こすのではないか」と懸念を示したところ、その政治家は「大前さん、その心配はないですよ。国にもアメリカにも逆らわない従順な国民をつくるために『偏差値』を導入したのですから」と答えたのである。

 私は偏差値がそれほど重要な意味を持っているとは思っていなかったので非常に驚いたが、偏差値はそういう目的で導入された「システム」にほかならないのだ。

 偏差値によって、たしかに事前に効率よく学生を割り振って受験させることが可能になった。だが、学校側の工夫次第で、偏差値に関係なく才能ある学生を選ぶことは可能だ。実際、世界のほとんどの国には偏差値などなく、学生は自由に学校を選んで受験している。

 結局、日本で導入された偏差値は自分の「分際」「分限」「身のほど」をわきまえさせるための指標なのである。そして政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを上から規定された若者たち(1950年代以降に生まれた人)の多くは、おのずと自分の“限界”を意識して、それ以上のアンビション(大志)や気概を持たなくなってしまったのではないか、と考えざるを得ないのである。

※週刊ポスト2013年9月6日号   (転載終わり)

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続・『銀の匙』と灘校名物国語教師

 -子供たちの学力低下が深刻な今こそ、橋本先生の教育手法に学ぶべし-

 今年6月10日の、灘校の橋本武先生による「銀の匙教室」紹介文の続編です。『確か3ページ目に良い事が書いてあったのになぁ』と残念に思っていましたが、その『週刊ポスト』(昨年3月某日号)関係記事の3ページ目のコピーが最近見つかったのです。
 そこで今回は、同ページの内容を中心に紹介していきたいと思います。

 戦後間もなくの荒廃した世情を憂えた橋本先生は、「こんな時代に生徒たちに夢と希望を与える授業とは何か?」と思い悩み、たどり着いたのが、中勘助の名作『銀の匙』を3年間かけて読み進めていく授業法なのでした。
 テキストとして『銀の匙』を採用した理由を、橋本先生は次のように語っています。
 「主人公の成長と重ねて読めるし、美しい日本語があった。新聞連載されていたので一章が短く、数字が振ってあるだけで章名も付いていない。各章に生徒に表題を付けさせれば、親しみある自分の作品に変わっていく。授業にぴったりだと。」

 『銀の匙』は(明治10年代頃の)東京下町が舞台です。関西にある灘校の生徒にはなじみのない言葉や方言がそこここに出てきます。そこで物語を読み解く手助けとして、ガリ版刷りの手書きのプリントを用意して生徒たちに配りながら、橋本先生は文庫本を手にしてその部分を朗読し、ポイントとなる箇所を丹念に説明していくという授業スタイルを取ったのです。

 橋本先生は生徒たちが退屈しないように、脱線できる仕掛けも用意していました。前編でも紹介した、教え子の一人の現日弁連事務総長の海渡雄一氏は回想しています。
 「『銀の匙』の中に寿司屋のシーンが出てくるんだけど、そこで先生が『魚偏の漢字は678あります。集めてみましょう』という課題を与えた。で、図書館に行って調べたり、寿司屋で包み紙をもらったりしてね、魚偏のノートを作って。」

 また文中に「ねずみ算」という言葉が出れば、橋本先生は黒板にねずみの絵を描きながら、次のように続けました。
 「正月に夫婦のねずみが子を12匹生む。2月にはその子どもが12匹ずつ子を生む。では合わせて?」と訊ねます。生徒が「98匹」と答えると、「では、このペースでいくと、12月には?」。
 考え込む生徒たちに先生はしたり顔で教えます。「276億8257万4402匹。正解の人は?」

 時には紙袋から取り出した、赤や青や色とりどりの駄菓子を全員に配って、主人公の心情を追体験させました。橋本先生は配り終わると、ざわつく教室を制するように、「もういっぺんこの部分を読みます。食べながらでいいので聞いてください。」といいます。
 読み上げたのは、主人公が駄菓子屋で飴を食べる場面でした。
 
 「飴のなかのおたさんは泣いたり笑ったりしていろいろな向きに顔をみせる。青や赤の縞になったのをこっきり噛み折って吸ってみると鬆(す)のなかから甘い風が出る。」 (『銀の匙』前編 十三)

 私立である灘校は中高6年一貫校で、6年間の教育方針が教師の裁量に任されているといいます。自由である反面、「結果が出なければ責任を取らなければならない」(橋本先生)という厳しさがあります。

 しかし「銀の匙教室」を始めた昭和25年入学組の生徒たちは6年後、15名東京大学に合格し、見事な結果を示したのです。昭和24年は、東大合格ゼロだったことを考えると大躍進です。
 そして3代目の昭和37年入学組は、私立校として初めて東大合格者数日本一の132名合格の快挙を成し遂げたのです。
 だが橋本先生は、「私の力なんか何も関係ない。東大を意識した進路指導をしたこともない」と控え目です。

 では、橋本先生が生徒たちに植え付けた一番の財産とは何だったのでしょうか?
 「“学ぶ力の背骨”です。国語力のあるなしで、他の教科の理解度も違う。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの神髄に近づていこうとする力こそ国語力です。それは、“生きる力”と置き換えてもいい。」

 まさにこれですよね、国語力とは。そして教育の神髄とは。英語で教育を「education」(エデュケーション)といいますが、語源は「educate」という動詞にあり、この言葉には「引き出す」という意味があります。
 橋本先生の「銀の匙教室」を体験した生徒は千人余にも上るそうです。先生は、彼ら生徒たちが潜在的に有していた「学ぶ力」「生きる力」をうまく引き出し、有為の人材として世に送り出したのです。
 橋本武先生こそは、「日本一の教育者」と言っていいのではないでしょうか。

 その橋本先生は、今年百歳を迎えられました。先生の近況を最近のNHKが番組で取り上げたようです。
 橋本先生は現在でも、朝5時に起床し、午前中は家事をこなし午後には文化教室の教壇に立ち、夜7時に夕飯を食べた後は、深夜1時まで勉学に励んでいるというのです。先生は、「人間には寿命とか年齢による限界というものはないのだ」ということを、身をもって示しておられるようです。

 橋本武先生の益々のご健勝とさらなるご長寿、心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『週刊ポスト』(昨年3月某日号)<教育再考>伝説の灘校教師の「奇跡の教室」
関連記事
『「銀の匙」と灘校名物国語教師』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-762a.html
『年齢という恐るべき共同幻想』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9e9d.html

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『銀の匙』と灘校名物国語教師

-文部省(当時)指導要綱などくそくらえ。名物先生の「銀の匙」教室について-

 中勘助(なか・かんすけ)という作家の『銀の匙』という作品をご存知でしょうか。ためしに私が持っている岩波文庫カバーの、『銀の匙』紹介文は以下のとおりです。

 - 古い玩具に混じって大切にとっておかれた銀の匙。少年時代の思い出を自伝的に綴ったこの作品には、大人が追想した子どもの世界ではなく、子ども自身の感情世界が、子どもが感じ、体験したままに描き出されている。漱石が未曾有の秀作として絶賛した名作。-

 音に聞こえたあの灘校で、かつてこの『銀の匙』の文庫本(多分私のと同じ岩波文庫かと)一冊だけを、3年間かけて読み込む国語の授業を行っていた名物先生がいたというのです。
 おそらくそれ以前もそれ以後も、全国どこの高校でも行われなかったであろう極めてユニークな授業を進めたのは、今年で百歳をお迎えになる橋本武先生です。灘校で50年間教鞭を執り、昭和59年に同校を去りました。
 橋本先生が退職して28年ほど経過したことになります。しかし今でも「銀の匙」教室は、伝説の授業として語り草になっているというのです。

 「生涯心の糧となるような教材で授業がしたい」。橋本先生のその思いは、当時公立校のすべり止めに過ぎなかった灘校を、全国トップレベルの進学校に導き、数多くのリーダーを生み出してきたのです。
 2010年12月には、この「究極のスロー・リーディング」授業の誕生と実践を描いた『奇跡の教室』(伊藤氏貴著、小学館刊)が刊行されベストセラーとなり、「偏差値教育」「脱ゆとり教育」で揺れ動いている昨今の教育界に大きな反響を呼びました。

 戦前の東京高等師範学校を卒業した橋本武先生は、担当教員から灘校への赴任を命じられます。当時私立は公立の格下扱いでしたが、橋本先生は「公立ではできない面白いことが、ここではできる」と、逆転の発想で臨みました。
 そんな新米教師の希望を打ち砕いたのが太平洋戦争です。名作アニメ『火垂るの墓』でもリアルに描かれていたように、灘校のある神戸市は大空襲の被害に遭いました。終戦とともに巷には闇市が広がり、進駐軍のトラックが行きかう日常が続きました。

 「毎日、地獄絵図を目の当たりにした。GHQの指導(検閲)で、教科書は黒塗りになり、ぺらぺらですよ」(橋本先生談)
 こんな劣悪な環境で育つ子どもに、どんな授業をすればいいのか。思い悩んで行き着いたのが『銀の匙』だったのです。橋本先生自身、東京高師時代『銀の匙』と運命的な出会いをし、その作品世界に心酔していたのです。こういう経緯があって伝説の「銀の匙」教室が生まれたわけです。

 文科省指導要綱、日教組、教育委員会、PТAがかまびすしい今日では考えられませんが、教科書は一切使わず、文庫本『銀の匙』1冊を横道に逸れながら3年間かけて読み込んでいく国語の授業法です。
 しかし橋本先生の型破りで画期的な授業法の感化力は凄まじく、灘校がかつて東大合格数日本一に輝いた原動力になったと評価されています。それに巣立った教え子たちの社会的活躍も見逃せません。
 例えば、戦後生まれ初の(現)東大総長になった濱田純一氏。現日弁連事務総長の海渡雄一氏。元フジテレビキャスターで現神奈川県知事の黒岩祐治氏。

 『奇跡の教室』の中で、彼らは橋本先生を次のように懐かしんでいます。
 「いつも言葉に真実味があった。ただ、真剣だというのとも違って核心を押さえているというか」(濱田氏)
 「橋本先生からは“センス”を学んだ。気づくセンスこそが国語力って」(海渡氏)

 一々ご紹介できませんが、文庫本の中の言葉一つで授業は、日本の伝記伝承からアラビアンナイト、中国の故事にまで話は及んだといいます。
 2011年6月8日、25日、98歳にして灘校の特別授業「土曜講座」で27年ぶりで「銀の匙」授業を行ったそうです。

 数十年を経ても色あせない「銀の匙」教室。橋本先生自身は、こう語っています。
 「普通に読むだけでは、なあんにも残りませんから。自分が中学生のときに何を読んだかおぼえていますか?私は愕然としたんですよ。何も覚えていないって。先生への親しみはあっても授業の印象はゼロに近い……なんとかして、子どもたちの生活の糧になるようなテキストで授業がしたい、そう思ったんです」

 今回焦点の名作『銀の匙』。私は20余年前に同文庫のを求めながら、実はまだ読了したことがないのです。なかなか読めない本として、外国文学ではトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』でしたが昨年読了し、いつか記事にするため今再読中です。
 『銀の匙』も。これを機会にじっくり最後まで読み通してみようと思っています。

【追記】
 本記事は昨年3月上旬頃、たまたま買った『週刊ポスト』の中の記事を参考・引用してまとめたものです。その頃まとめるつもりでしたが、直後の3・11の発生、同週刊誌の紛失などにより諦めていました。それがつい先日同記事のコピーが見つかりましたので、今回こうして記事にできました。

 (大場光太郎・記)

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