【カバールイベントに表れた46】ユダヤ人にとって、その後2千年間の放浪を決定付けた「マサダ砦の攻防」は忘れられない 「46」はそれに密接する怨念の数字

-「マサダ砦の攻防」は歴史的事実として有名である。同砦は紀元前120年頃、死海西方の岩山に築かれた砦で当初から難攻不落といわれていた。そもそもマサダとは「要塞」という意味なのである。さてこのマサダ砦をめぐって、ローマ帝国軍とユダヤ人の激しい攻防が繰り広げられた。イエス処刑から三十余年を経た頃のことである。ユダヤ人は最後に死守すべき場所として集団でマサダ砦に立て籠もったのである。その数967人。中には女、子供も含まれていた。対してローマ軍団は1万5千人で同砦を包囲するも、元々が難攻不落である上、ユダヤ人の防御も鉄壁でおよそ3年間も攻め倦(あぐ)む。尋常な手段では攻略出来ないと悟ったローマ軍指揮官は、同砦西側崖に土砂を埋め込んで攻撃路を建設する。2年間もかけて完成した大土木工事であった。ここからのローマ軍侵入により、さしものユダヤ人も陥落を予知、前日までに「生き恥をさらすよりは」と集団自決、砦はやすやすと落ちたという。生きていたのは洞穴に隠れていた女2人と子供5人だけだったという。このマサダ砦の攻防戦は、何十年か前、米国で映画化されたからご覧になった人もおられるかもしれない。マサダ砦の陥落をもってユダヤ人は祖国から追われ、以後中近東や西洋での二千年近い放浪生活(ディアスポラ)に入っていくのである。と、今回のツイートはそのことに密接に関連する内容である。「46」日。これは同砦攻防戦で最も熾烈だった最後の46日間を意味するという。勘のよい人はすぐピンときたかもしれない。近年わが国と米国を襲った名だたるカバールイベントでこの「46」がいずれも使われたのである。阪神・淡路大震災、米国同時多発テロ(9・11)、東日本大震災(3・11)。これらはいずれも「46分」に発生しているのだ。やつらは「偽ユダヤ」に違いあるまいから、マサダ砦攻防に対する恨みの念などないはずだが、どういうわけかそれに密接に関連する数字を三大イベントに用いたのである。その上調子こいて、欅坂46や乃木坂46にまで使って弄んでいるのである。 (大場光太郎・記)-

【本日のツイート】

<非左非右> @shiroi_suna_ 1月18日


■阪神・淡路大震災…1995.1.17。5時46分
■米国同時多発テロ…2001.9.11。8時46分
■東日本大震災…2011.3.11。14時46分

 

どの震災やテロも「46分」に。欅坂46や乃木坂46に通じる46。どういう意味か、ご存知ですね❓ マサダの要塞でユダヤ教徒が“46”日の死闘の末、ローマ帝国に滅ぼされました。↓
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明日の世界  Q-Anon応援 <非左非右> @shiroi_suna_ 1月18日


3年間の籠城の末、最後には960人が集団自決した。ただ不思議なことに、今検索するとどのサイトにも“46”という数字が消えている‼️
も一つ不思議なのは、これはユダヤ教徒の怨念の話であり、先のテロ等を起こした偽ユダヤとは無関係の筈。彼らはユダヤ人を偽装しているのです。

59118
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明日の世界  Q-Anon応援 <非左非右> @shiroi_suna_ 1月18日


マサダの砦:
(因みに、“マサダ”という言葉自身が「砦」という意味だそう)
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(以上転載終わり)

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浄土真宗を作った女真族の歴史

-女真(ジュシャン)族。初めてこの名前を聞く人にとっては「何それ?」だろう。世界史を丹念に学んだ人以外は知らないのではあるまいか。私も名前だけは知っていても具体的な民族的事跡は何も知らなかった。その一端を知ったのはつい最近である。ほかでもない。昨年後半読み耽った『水滸伝』関連でである。ただ水滸伝本伝にはほとんど登場しなかったのではないかと思う。実は私は水滸伝本伝(百二十回本、百回本)原作翻訳版以外に、『水滸後伝』(陳忱作、平凡社東洋文庫全三巻)も続いて読んだのである。宋江ら百八人の梁山泊軍は、宋朝の招安(しょうあん)を受け、(百二十回本)北方の遼(りょう)国、河北の田虎、淮西の王慶、江南の方臘を討伐する。が、最後の方臘討伐で多くの天命に導かれし同志たちが戦死する。つまりは都(東京開封府)に帰還したのは三十人にも満たなかったのである。宋江らは徽宗皇帝に拝謁し官爵を賜り各自別々の任地に赴くも、蔡京、童貫、高俅らの謀略で一年もしないうちに蘆俊義そして宋江は毒殺される。ついで李逵、呉用、花栄も死ぬ。悲惨な結末の本伝を受け継いだのが『水滸後伝』なのである。メーンとなるのは都に帰らなかった李俊らによる宋国脱出、南の島国の暹羅(しゃむ)国にわたり李俊はその王となることである。その前の段階として、生き残った二十数人が不思議な再会により再結集し、官軍と再び戦闘を交えたりする。それと関連して進行する話だが、北宋自体が大変な事態に見舞われる。遼を滅ぼした同じ北方騎馬民族の金(きん)が、勢いをかって北宋の領土に侵入してきたのである。遂に首都・東京開封府は陥落し、徽宗とその子の欽宗は捕虜となり金の領地に連行され、二人ともその地で没する。跡を継いだ高宗は杭州(建安府)に遷都し、その時から南宋となった。そんな宋国に見切りをつけた公孫勝、柴進、李応、朱仝、戴宗、阮小七、燕青、朱武、楽和ら全員は(武松だけは魯智深、林冲二人の墓を守りたいからと辞退)、李俊らのいる暹羅国に入り栄華の余徳に預り高官となるのである。長々と述べてきたが、ここでようやく女真族の出番である。ほかでもない、「金」国は女真族の国なのである(遼は契丹族)。そしてこの女真族、なかなかに驚きの民族なのだ。紀元前30世紀以前からユーラシア大陸の端から端までを渡り歩いたというのである。そしてとどのつまりは日本にまで押しかけ浄土真宗をこしらえたと。さらに創価学会の大幹部は女真族の末裔だと。『んっ?創価の池田は成太作(ソン・テチャク)なる半島人と知ってはいたが、まさか・・・』である。以下の転載文全体をお話として楽しくお読みいただければと思う次第である。 (大場光太郎・記)-


浄土真宗を作った女真族の歴史
http://www.asyura2.com/15/cult14/msg/423.html
投稿者 れめく 日時 2015 年 4 月 02 日 09:57:14:

女真族の名は一般的に知られておらず、非常に地味な民族と思われがちだが、じつは数千年に渡る長い歴史があります。その証拠に、女真(ジュシャン)と言う名はイランの古代都市スーサ(シュシャン)が起源なのだ。

女真族の直接の祖は古代ギリシアに存在した「アカイア人」である。2万年ほど前、アカイア人はその名から分かるとおり、古代ギリシャで「カオス」「ガイア」を祀り、創価学会の前身のような活動をしていた。アカイア人は数多くの神を作り出した。その中でも、女真族に直結する「女神テミス」を祀った一派は、ハタミ人と共にブリテン島に移住した。テムズ河の由来はテミスである。
その後、テミスを祀るアカイア人はBC31世紀頃にハタミ人、エラム人と共にブリテン島を発ち、メソポタミアに侵攻。エラム王国を建てました。
この時、アカイア人はシュメール人に勝利した記念にスーサの名を取り「シュシャン人」を称した。ちなみに、ハタミ人とエラム人はアラビア半島南部にハドラミー王国を建てている。

女真族の主な部族連合に「建州女直」と「海西女直」があります。シュシャン人は満州に到達するまでにも、海の民ウェシュシュ人として地中海を荒らし、女神イシスを祀り、エジプトにサイス朝を建てたりした。だが、マケドニア人がBC4世紀にギリシアに侵攻したのを機に、ソフィストやタナー家を連れて地中海を脱出します。
ソフィストとは、「徳を説く見返りに金銭を要求する」創価学会のような詐欺集団でした。賢人ソクラテスは何人のも仲間や弟子がこの卑怯なソフィストとタナー家に食い物にされたため強く批判するが、自殺に追い込まれてしまいました。

シュシャン人の船団は一旦はインドに逃れたのだが、アレキサンダー大王の軍がインドにも迫っていることを知り、恐れおののいた彼らは更に遠くへと逃げるべく、満州への移住を決行しました。
このときに、シュシャン人とソフィストは「建州女直」を結成し、タナー家は「段部」としてモンゴルに移住して鮮卑に参加しました。建州女直はいくつかの部族に分かれますが、「フネヘ」が日野家として浄土真宗・西本願寺を起こし、タナー家が大谷家・東本願寺となります。そして、「ワンギヤ」が明智光秀や池田大作ら稀代の卑怯者の祖先となります。

一方、海西女直はインドを経由してギリシアから来たヘレネス人である。古代ギリシア時代、「天空神ウラヌス」を祀っていたアカイア人はウラヌスを由来に「ヘレネス人」に改称。そして、インドに移住した時に定めた拠点をヘレネスを由来にヴァラナシと呼んだ。海西女直はヴァラナシから来たのだ。
海西女直も幾つかの部族に分かれており、「ホイファ」からは久我家が出て曹洞宗を起こし、「ハダ」からは戸田城聖が出て、牧口常三郎から創価学会を強奪し、曹洞宗の信者を大量に入信させて一気に巨大教団に育て上げました。

戦後当時、女真族はアメリカに協力した見返りに戦後日本の王者としての地位を認められていたが、海西女直がこのような行動に出たのを見て建州女直が異を唱えた。
創価学会にワンギヤの池田大作が送り込まれ、建州女直の一味は戸田城聖を暗殺し、浄土真宗の信者を大量に入信させて創価学会を更に大きくしました。これは、ある種の女真族内部の内紛でした。日本人には全く知られていない事実です。

女真族には強力なカースト制度が敷かれています。つまり、下層カーストは上層カーストの言うことは何でも聞きます。そんな最高の奴隷を従えた浄土真宗・曹洞宗・創価学会がアメリカの威光を背に日本に君臨しているのです。
まとめると、建州女直が浄土真宗・西本願寺・創価学会に、大谷家が東本願寺に、海西女直が曹洞宗・創価学会に君臨しています。

建州女直 満州を由来に「北」が付く姓を名乗る(例:北側一雄、北川知克、北村茂雄)
建州女直/ジェチェン 「中」「塩」「沢」「土」「種」「村」「長」「町」が付く姓を名乗る(例:塩川正十郎、中村是正、山形有朋、西村康稔、中原八一、塩崎恭久)
建州女直/スクスフ 「杉」「坂」「塚」「崎」「岸」が付く姓を名乗る(例:坂口力、神崎武法、岸伸介/婿養子、菅義偉、岸田文雄、杉田和博、坂本哲治、岸信夫、坂井学)
建州女直/フネヘ 「船」「柳」「羽」「米」が付く姓を名乗る(例:近衛文麿)
建州女直/ワンギヤ 「荻」「秋」「池」「沖」「明」「赤」「若」「岡」「川」「河」「福」が付く姓を名乗る(例:若月礼次郎、池田大作、明智光秀、IH発明者荻野、岡田広、福井照、赤羽一嘉、若林健太、赤沢亮正、秋野浩三、若宮健二)
建州女直/ドンゴ 「竹」「武」「徳」「高」が付く姓を名乗る(例:高木毅、武田良太、竹内譲、高鳥修一、徳田毅)
建州女直/イシハ 「石」「市」が付く姓を名乗る(例:石破)

段部/大谷家 「谷」が付く姓を名乗る(例:谷公一、谷川弥一)

海西女直 満州を由来に「北」、フルン・グルンを由来に「林」が付く姓を名乗る(例:伊藤博文、林芳生)
海西女直/ウラ 「浦」「原」「新」「荒」が付く姓を名乗る(例:原敬、清浦奎吾、新藤義孝、木原稔)
海西女直/ナラ 「成」「楢」が付く姓を名乗る
海西女直/ホイファ 「穂」「岩」が付く姓を名乗る
海西女直/ハダ 「畑」「畠」「片」が付く姓を名乗る(例:横畠裕介)
海西女直/イェヘ 「上」「家」「植」が付く姓を名乗る
海西女直/エホ 「青」「大」が付く姓を名乗る(例:太田昭広、大隈重信)

例に該当する人物を探したのだが、現安倍政権が特に参考になりました。さすが建州女直の政権ですね。
   
(以上、転載終わり)

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【欧州の2大支配勢力】古代ローマ以来の貴族系とフェニキア以来の金融系

-現世界システム、わが国の政治状況を含めた現下の世界情勢を理解する上で参考になると思われるネット記事を見つけた。それが以下に転載する一文である。冒頭に「昨年から始まった金融破綻」とあるのは2008年のリーマンショックを指している。このように同記事は2009年のものであるが、それ以降特段世界構造が変わったわけでもなく、今日でも十分通用すると思われる。ハプスブルグ家、ベネチィアの黒い貴族、ロスチャイルド財閥、英国王室など欧州王族等々、いわゆる総体として「カバール」と呼ばれる悪魔勢力相互の関係が今ひとつ分からなかった。が、今回の転載記事によりかなり闡明になったのではないだろうか。いずれにせよ、「貴族系」は古代ローマ、「金融系」は古代フェニキィアと、共に起源は古いのである。これは推察であるが、さらに遡ればこの両者とも古代バビロニア、古代ユダヤの悪魔部族にまで行き着くのではないだろうか。現歴史の始まりとともに「人類支配」はスタートしていたのである。今「彼ら」が目指しているNWOはその完成形か。これをいかにして阻止するかが、この重苦しい人類支配構造の呪縛を断ち切り、まっさらな真に自由な地球世界創造をするための喫緊の課題である。 (大場光太郎・記)-


欧州の2大支配勢力:古代ローマ以来の貴族系とフェニキア以来の金融系
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/08/000888.html
2009年08月08日 縄文と古代文明を探求しよう!

昨年から始まった金融破綻後、水面下で世界は大きく動いている。近代以降、世界を動かしてきたのは圧倒的な資金力を持つ金貸し(ロスチャイルドやロックフェラーetc)だった。しかし昨年の金融危機で、アメリカの背後にいる金貸しの力が衰え、世界は多極化しつつある。
この多極化を主導してきたのは、欧州勢。独首相メルケルが金融規制を唱え金貸しを抑えると共に、同時に英仏首脳がG7→G20を誘導してきた。彼らは何を狙っているのか?
この欧州政治家の背後に古くからの欧州貴族がいる。世界を動かす欧州貴族勢力について、彼らの基盤を含め大きな構造を把握しておきたいと思います。これは世界史を正確に読み解くにしても不可欠な構造だと思います。

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まず彼らの力の基盤は?世界中から略奪した莫大な金銀財宝を握っており、それを元手に市場や情報支配を行っている。
●欧州支配勢力は世界中の富を略奪している。
・12~13世紀 十字軍によりイスラムから略奪
・15~16世紀 スペイン・ポルトガルによる新大陸(インカ・マヤ文明)からの略奪
・16世紀以降 オランダ・イギリスによる植民地支配、インド・中国からの略奪
このようにして世界中の金銀・財宝がヨーロッパに集積される。そして主にスペイン・ハプスブルグ系とイギリス系の2つに集積された。

※その集積を元手にイギリスで1694年にイングランド銀行が設立され、さらに19世紀には産業革命が起こり、欧州発で近代市場が爆発的に拡大していく。
●欧州支配勢力には大きく2つの勢力(貴族系)が存在する
この構造は古く12世紀頃の神聖ローマ帝国に遡り、さらに古代に遡る。以下はユースタス・マリンズによる本の引用です。

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14世紀 ヨーロッパ地図 (色分けされているがイベリア半島や東欧の過半も神聖ローマの皇帝(ハプスブルグ系)が持っている。)
『世界権力構造の秘密』 より
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中世を通じてヨーロッパのさまざまな権力の中枢は二つにまとまっていた。一つは神聖ローマ帝国王家(1138年~1254年)のホーエンシュタウフェン家を支持するギベリン派〔皇帝派〕。もう一つは、神聖ローマ帝国の支配を巡ってフリードリッヒと競ったドイツのベェルフ大公から出たゲルフ派〔教皇派〕である。その時ローマ教皇は、ゲルフ派と同盟し、ギベリン派と対決した。そして結局、教皇側が勝利を収めた。近代史のすべては、この2つの勢力のあいだの抗争から直接に派生したものである。
ゲルフ〔教皇〕派は、またの名を「ネリ」「黒いゲルフ」「黒い貴族」とも呼ばれ、11世紀にイングランドを征服したノルマン人たちも、実はゲルフ派であった。ロバート・ブルース(1274年~1329年)のスコットランド征服を後押しし、またオレンジ公ウィリアムがイングランドの王位を簒奪するのを支援したジェノバ人たちも、ゲルフ派だった。
ウィリアムの勝利はイングランド銀行と東インド会社の設立という結果を生んだ。そして、この二つの組織が17世紀以来世界を支配してきた。それ以後に勃発したクーデター・革命・戦争はいずれも、ゲルフ派がその権力を維持し、増強するための闘争であった。そしていま、これが世界権力と呼ばれているのである。
ゲルフ派の権力は、銀行業と国際貿易を支配することによって成長してきた。その権力は、イタリアの中部を経てフィレンツェの北方ロンバルディア地方に拡大し、ここが金融の一大中心地となった。その結果、ジェノバ、ヴェネツィア、ミラノを含む全イタリアの銀行が「ロンバルト」と総称された。今日でもドイツ語では、ロンバルトといえば「質屋」「動産質貸付銀行」という意味である。ロンバルトたちは、中世世界全体を相手にする銀行家であった。近代史はかれらが北上して、ハンブルグ、アムステルダム、を経て、最終的にロンドンへと営業活動を移動したことから始まっている。
「偉大なアメリカの富」も、元をたどれば、ゲルフ派が植民地を相手に行った奴隷貿易から発生したものである。
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(引用以上)
このゲルフ派系統は現在もヨーロッパの多くの国々の王室を形成している。
灼熱 より
>今日、ヨーロッパを支配する各王室および、領国をもたない王室もすべて、オレンジ公ウィリアム三世の直系子孫である。すなわち、オランダのユリアナ女王、デンマーク女王マルガレータ、ノルウェーのオラフ五世、スウェーデンのグスタフ、ギリシアのコンスタンティン、モナコのレニエ大公、ルクセンブルク大公ジャンなどである。
(※注:ハプスブルグの支配したスペイン・オーストリア・ドイツなど欧州中核部はここに含まれていない。ゲルフ派と別系統の貴族系(皇帝派)が支配している。)
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神聖ローマ帝国は古代ローマ貴族の以来の貴族連合体に近く、完全な権力を形成しようとする皇帝派とそれに不満を持つ貴族と大きく2つの勢力に分かれ抗争していた。
さらにこの神聖ローマ帝国系と別系統に金融系が存在する。
★皇帝・貴族系 
ローマ帝国→神聖ローマ帝国 
        →2大貴族の抗争                
         ・ギベリン派(皇帝派) ―→ハプスブルグ系
         ・ゲルフ派(黒い貴族)   (タクシス・サヴォイなど)
              └――→ 英王室

他にゲルフ派と合流した国際金融家の系統が存在                     
★金融系(ユダヤ・フェニキア起源)
  フェニキア →ベネチィア・ジェノバ 
    → ロンバルディア →スイス(ここでゲルフ派と合流?) 
       ↓           ↓
       スペイン・ポルトガル―→ オランダ・イギリス―→アメリカ   

以上のように大別されるだろう。
 中世からスペイン・ポルトガルによる大航海時代までは貴族系(皇帝派)が優位。
そして、イギリスが覇権を掌握した後は、ゲルフ派+国際金融系統が世界を動かしてきた。イギリス、アメリカを通じて、金融・軍事・思想を武器に17世紀以来の近代史を動かしてきた。
彼らの手先としてフリーメーソンが蠢き、欧州中核部の王室解体のためにフランス革命が行われ、アメリカ独立やロシア革命も彼らが企画したものだ。(ロスチャイルドやロックフェラーもゲルフ派+国際金融家から派生。)

しかし近代以降拡大を続けてきた金融市場も、近年ついに行き詰まってきた。この状況を踏まえて、金貸しの背後にいたゲルフ派貴族、そしてもう一方の欧州貴族系勢力が再び前面に登場してきたのだ。冒頭の英仏によるG8→G20への誘導は、欧州の2大支配勢力が合流して多極化を進めていることを示している。
近年のEU設立、環境保護主義の台頭も彼らの戦略の一環。
彼らは砂上の楼閣と化した金融市場をから、実物資産を握るため、世界資源(石油・食料・水)の支配を目指していると思われる。

彼らは、どのような出自・経歴を辿り、どのような力(資産、諜報・情報力)を持っているのだろうか?
継続しながら、世界の支配勢力の動きと、彼らの歴史を追及してみたいと思います。応援よろしくお願いします。
by Hiroshi

(以上、転載終わり)

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【世界史のタブー】ユダヤ人とは何か? 東洋系(オリエンタル)ユダヤ人と白人系ユダヤ人のルーツ 

-世界中の厄介者の代表格である「ユダヤ人」についてみておきたい。ただ一言言い添えれば、ユダヤ人といっても多くのユダヤ人は善良なのである。ごく一部のユダヤ人が極悪で大問題なのだ。さてそれではその極悪ユダヤ人とはどういうユダヤ人なのかということをこの際きちんと理解しておこう。そのための格好の記事が阿修羅掲示板に出ていた。2009年投稿だが、今でも十分有効な記事である。さてユダヤ人の一般的捉え方は、その始祖といわれているアブラハムの末裔たちと思いがちである。私もずっとそう思ってきた。覆ったのは同じ09年、期待を一身に背負って米大統領になったばかりのバラク・オバマが一転、パレスチナを無差別攻撃したイスラエルに一定の理解を示した出来事によってである。当ブログで抗議記事を公開するに当たり、必要上ユダヤ人についてウィキペディアで調べてみた。と、(本転載記事中にもあるが)何とユダヤ人の定義は「ユダヤ教徒であれば誰でもユダヤ人」というのだ。それに該当する者は、黒人でも日本人でもユダヤ人なわけである。これには当時驚かされた。が、今回問題にするのはそれではない。そういう特殊なケースを除いたユダヤ人は、東洋系と白人系に大別される。前者は辿ればアブラハムに行き着く正当なセム族「スファラディ系ユダヤ人」であまり問題のない人たちである。問題は後者の「白人系」である。転載記事でも大いに触れているが、元々のユダヤ人が白人であるわけがないのである。欧米主体のキリスト教世界では、絵画等でイエスキリストを金髪碧眼の西洋人として描いている類いの面妖な話なのである。白人系を「アシュケナジー系ユダヤ人」と称するが、その代表格がロスチャイルドでありロックフェラーである。何世紀にも渡って血の交配を重ねてきた欧州、英国王室にもこの血が入っている。これがいわゆる「偽ユダヤ」であり、世界中を不幸に陥れている元凶なのだ。記事ではそのルーツを、西暦7~12世紀に存在した中央アジアの「ハザール王国」に求めている。キリスト教、イスラム教の近隣強国に挟まれ、苦肉の策としてユダヤ教に改宗、後にモンゴル帝国によってかの地を追い出されヨーロッパに移住、そこで徐々に異様なパワーを発揮、後に米新大陸にも触手を伸ばし今日に至っているわけである。ハザール王国は、さらに遡れば“弟アベル殺し”のカイン→サタン王ニムロデの末裔と見られている(有島武郎に『カインの末裔』という名作がある)。ロス茶、ロクフェ、英国王室などのいわゆる「悪魔の十三血流」のすべてがこの血流と見ていいのだろう。超邪悪な地球外爬虫類型生命体の血流なのである。 (大場光太郎・記)-

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(上肖像の謂れなど)画像元記事
イエス・キリストの本当の顔
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-a2f9.html

世界史のタブーである東洋系(オリエンタル)ユダヤ人と白人系ユダヤ人のルーツ 【ユダヤ問題特集 第2章】
http://www.asyura2.com/09/wara6/msg/144.html
投稿者 愚民党 日時 2009 年 1 月 13 日 16:28:49:

http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1000.html

<ユダヤ問題特集 第2章>

世界史のタブーである
東洋系(オリエンタル)ユダヤ人と
白人系ユダヤ人のルーツ

 

●なぜか不思議なことに、「ユダヤ人」という語の定義は、学問的にも政治的にも非常にあいまいな状態に置かれている。

このテーマを取り上げると必ず、「ユダヤ人という民族はそもそも存在しないのだ」とか「ユダヤ人は人種ではなく、ユダヤ教に改宗した者がユダヤ人になるのである」という主張が一般の研究者の間から出て来る。彼らはそれを主張してやまない。

●ユダヤ人国家イスラエル共和国においてはどうかというと、移民に関する法律「帰還法」において「ユダヤ教徒=ユダヤ人」という定義を正式に採用している。しかし、本人がユダヤ教徒でなくても、母親がユダヤ人ならばユダヤ人であるが、母親が非ユダヤ人である場合、父親がどうであろうと、本人はユダヤ人ではないという、チンプンカンプンでややこしい定義になっている。ちなみにユダヤ人が他の宗教へ改宗した場合、ユダヤ教ではその人を終生ユダヤ人とみなすという。

●いずれにせよ彼らの定義に従えば、他の民族が「ユダヤ人」になるには、ユダヤ教に改宗すればいいわけで、インド人でも黒人でもユダヤ教に改宗してユダヤ人になろうと思えばなれるというわけだ。しかし、ユダヤ教に改宗するためには聖書やヘブライ語を学ぶほか、ユダヤ教の宗教法に従って、ラビ(導師)の指導を受けながら、改宗の手続きを取っていくのだが、審査は非常に厳しいという。

実際に、日本ではおもに結婚を理由に、男女合わせて数十名がユダヤ教に改宗しており、最近では名古屋市の牧師が、宗教的信条ゆえにユダヤ教に改宗した例もある。もっとも、ユダヤ教は伝道活動をしないので、改宗者が大幅に増えることはないという。

●ところで、ノーベル賞受賞者の3分の1以上はユダヤ人といわれているが、ハイネ、マルクス、フロイト、アインシュタイン、チャップリン、キッシンジャーなどなどといった数多くの有名ユダヤ人たちは、不思議なことにほとんど白人系である。一体どうして世の中には「白人系のユダヤ人」が数多く存在しているのか? 本当のユダヤ人は白人では決してないはずである。

『旧約聖書』に登場するユダヤ人に白人は1人もいない。彼らは人種的に「セム系」と呼ばれ、黒髪・黒目で肌の浅黒い人々であった。モーセやダビデ、ソロモン、そしてイエスもみな非白人(オリエンタル)だったと記述されている。

 

英BBCが放送した「イエスの顔」

マンチェスター大学法医学教室が、
エルサレムで大量に発見された紀元1世紀の
ユダヤ人の人骨群の中から、当時の典型的な
ユダヤ人男性の頭がい骨を選出して復元した
ものである。中東男性の顔つきをしている。

 

●一般にユダヤ社会では、白人系ユダヤ人を「アシュケナジー系ユダヤ人」と呼び、オリエンタル(アジア・アフリカ系)ユダヤ人を「スファラディ系ユダヤ人」と呼んで区別している。

アシュケナジーとは、ドイツの地名にもなっているように、もとはアーリア系民族の名前であった。一方、スファラディとは、もともと「スペイン」という意味だが、これは中世ヨーロッパ時代のユダヤ人たちの多くが地中海沿岸、特にイベリア半島(スペイン)にいたことに由来している。

8世紀以前の世界には、ごくわずかな混血者を除いて、白人系ユダヤ人はほとんど存在していなかった。それがなぜか8~9世紀を境にして、突然、大量に白人系ユダヤ人が歴史の表舞台に登場したのである。いったい何が起きたのか?

●自らアシュケナジー系ユダヤ人であった有名な思想家アーサー・ケストラーは、「白人系ユダヤ人の謎」に挑戦した。彼は若い頃からユダヤ問題に関心を持ち、シオニズム運動に参加し、ロンドン・タイムズのパレスチナ特派員を経て、1957年にはイギリス王立文学会特別会員に選ばれていた。彼は白人系ユダヤ人のルーツを丹念に調べ、1977年に最後の著書として『第13支族』を著した。彼はアシュケナジー系ユダヤ人の歴史のカラクリを指して、歴史が犯したひどいジョークだと言っていたという。

ケストラーの『第13支族』が出た当時、世界的に有名な新聞などがこの著書を絶賛してやまなかった。この本は、科学や思想が中心のケストラーの著作としては異色の書で、その内容は世界史の常識・認識を根底から揺さぶるほどの問題作であり、あまりの衝撃ゆえ、翻訳出版を控えた国も出た。1983年3月にケストラーが夫人とともに謎の自殺を遂げた時、当時の新聞の死亡記事に記載された彼の多くの著作リストの中には、この『第13支族』は省かれていた……。

 

 
(左)有名なユダヤ人思想家アーサー・ケストラー
(右)1977年に出版された彼の最後の著書『第13支族』。
彼はこの本の中で、白人系ユダヤ人のルーツは
ハザール王国にあると主張した。

 

●今日、白人系ユダヤ人のルーツは多くの研究者によって研究されており、当時の書簡や記録に基づいた綿密な学術的研究によって、以下に記すような歴史的事実が現在明らかとなっている。

 

 

●7世紀頃、コーカサスからカスピ海北岸に、総人口が100万の「ハザール王国」という巨大王国が存在していた。住民はトルコ系白人(コーカソイド)で、商人・職人・武人として優れていたが、周囲の国とは違ってこれといった宗教を持っていなかった。

不運なことに、キリスト教を国教とする東ローマ帝国とイスラム教を国教とするイスラム帝国は、ハザール王国をはさむ形で、政治的にも宗教的にも対立していた。そのためハザール王国は、次第に両国の「宗教的な干渉」を受けるようになり、どちらの宗教に改宗しても、国全体が戦火に巻き込まれるのは必至という状況に陥った。

ふつう国が瀕死の状態になったときには、どちらか強い方の勢力を選んでしかるべきだが、ハザール王国の王オバデアは、こともあろうに国民まとめて「ユダヤ教に改宗」させてしまったのである。

●彼らはユダヤ教に改宗しただけでなく、自分たちは「血統的にもアブラハムの子孫」であるとした。いわばユダヤの仮面をつけてしまったのである。彼らがそこまでユダヤに同化した理由は、キリスト教もイスラム教もユダヤ教を母体にした宗教だから、ユダヤ教に改宗してしまえば、両国からの宗教的干渉を回避できると計算したためであったという。

●この、8世紀末から9世紀にかけて、全国民がユダヤ教に改宗してしまうという、世界史上、例を見ないことを成し遂げてしまったハザール王国は、なんとか持ちこたえたものの、東ローマ帝国と新たに台頭してきたモンゴル帝国の攻撃を受け、12世紀前後に滅亡してしまった。

この時に発生した大量の難民(改宗ユダヤ教徒ハザール人)は、西へ西へと移住し、東欧に住み着いた。この東欧に住み着いた難民たちこそが「アシュケナジー系ユダヤ人」と呼ばれるようになった人々である。祖国を失ったハザール人は、この時から“ユダヤ人”として生きることとなったのである。

●国家的な「ユダヤ化政策(改宗政策)」を推し進めたハザール王オバデアから200年たったヨセフ王時代の書記は、以下のような記録を残し、ハザール人は全トルコ民族の先祖であるトガルマを通じ、ノアの長男セム(黄色人種)ではなく第3番目の息子ヤペテ(白人種)の直系子孫であることを断言している。

「……我々の父祖の系図から、トガルマには10人の息子があったことを知った。その子孫の名前はウィグル、デュルス、アヴァル、フン、バシリー、タルニアク、ハザール、ザゴラ、ブルガル、サビールである。我々は7番目の息子ハザールの子孫である。」

●このことに関し、イスラエルのテルアビブ大学でユダヤ史を教えていたA・N・ポリアック教授は、イスラエル共和国が建国される以前の1944年に『ハザリア』という著書を出版し、次のような見解を発表していた。

「……これらの事実から、ハザールのユダヤ人と他のユダヤ・コミュニティの間にあった問題、およびハザール系ユダヤ人がどの程度まで東ヨーロッパのユダヤ人居住地の核となっていたのか、という疑問について、新たに研究していく必要がある。この定住地の子孫――その地にとどまった者、あるいはアメリカやその他に移住した者、イスラエルに行った者――が、現在の世界で“ユダヤ人”と言われる人々の大部分を占めているのだ……」

●アシュケナジー系ユダヤ人N・M・ポロックは、自然科学の教科書の翻訳者であり、出版会社から頼まれて本の校正もしていた学者であった。その彼が1966年8月、イスラエル政府に抗議したことがあった。彼はその当時のイスラエル国内の60%以上、西側諸国に住むユダヤ人の90%以上は、何世紀か前にロシアのステップ草原を徘徊していたハザール人の子孫であり、血統的に本当のユダヤ人ではないと言ったのである。

イスラエル政府の高官は、ハザールに関する彼の主張が正しいことを認めたが、後にはその重要な証言をもみ消そうと画策。ポロックは自分の主張を人々に伝えるため、その生涯の全てを費やしたという。

●このように「アシュケナジー系ユダヤ人」は、『旧約聖書』に登場するユダヤ人(セム系民族)とは「血縁的に全く関係のない民族(ヤペテ系民族)」であり、国をあげてユダヤ教に大改宗して以来、現在に至るまで“ユダヤ人”になりきってしまっているのである。

「アシュケナジー系ユダヤ人」が非セム系民族であるとすると、現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上が、本来のヘブライ人とは全く関係のない異民族ということになってしまうが、これは恐るべき事実である。この「ニセユダヤ人問題」(ちょっと言葉が悪いが)が世界史のタブーであることがうなずけよう。

●と同時に注意(考慮)するべき点は、「白人系ユダヤ人問題」というセンセーショナルな問題を扱う場合、幾ら「ニセユダヤ人」とはいえ、彼らは長い間“ユダヤ人”として生き、オリジナル・ユダヤ人と同じ「キリスト殺し」の汚名を背負い、悲惨な迫害を受け続けて来たわけであり、同情に値するという点であろう。

●さて、白人系ユダヤ人がまだ登場していない紀元1世紀前後、古代ローマ帝国でユダヤ独立戦争があり、大敗を喫したオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)たちは徹底的に追放されたわけだが、この迫害により離散したユダヤ人のうち、イベリア半島(スペイン)に移住したオリエンタル・ユダヤ人(セム系民族)の子孫を「スファラディ系ユダヤ人」という。

彼らは中世において世界のユダヤ人の約半数を占め、ラディノ語を話しアラブ・イスラム文化とも同化し最も活動的であった。ちなみにこの頃、既に彼らの間では「ハザール人のユダヤ教改宗」はよく知られており、有名なユダヤ人の詩人・哲学者であるユダ・ハレビは、ハザール人の改宗について「ハ・クザリ」という詩で歌っていたという。

しかし1492年に、スペインでキリスト教への改宗を拒否したユダヤ人に対して、徹底的な追放政策がとられると、約25万人が北アフリカ、イタリア、オスマン帝国に移住。オスマン帝国はユダヤ人を喜んで受け入れたので、「コルドバ」に代わって「テサロニケ」がスファラディ系ユダヤ人の中心地となった。

●ところで、アラブ人は「アブラハムの次男イサクの子ヤコブの子孫(イスラエル12支族)」ではないが、「アブラハムの長男イシュマエルの子孫」である。そういうこともあって、オリジナル・ユダヤ人とアラブ人とは、同じ「アブラハムの血族(セム系民族)」として昔から仲が良かったのである。事実、20世紀初頭に第一次世界大戦が起こるまでのパレスチナでは、アラブ人とユダヤ人とは仲良く共存しあっていた(ユダヤ人は少数民族であった)。

●しかし、そんな彼らが現在のような血生臭い中東問題を起こしているのはなぜなのか?

なぜユダヤ人国家イスラエル共和国は「ユダヤ人」という語の定義をあいまいなままにして、民族的混血状態を放置しているのだろうか? なぜ神に選ばれた選民として、『旧約聖書』に忠実に生きようとしないのか? そもそもなぜイスラエル共和国はアラブ人の土地に強引に建国され、しかもアラブ人と共存しようとしないのであろうか?

これらの素朴な疑問を解決するには、イスラエル共和国がユダヤ人の民族的自立のために建国されたというよりも、西側諸国の中東支配戦略の一環として誕生したという、非常に人為的で特殊な歴史的背景を理解する必要があるだろう。

●この特殊な歴史的背景に関しては、あとあとで触れるが、それにしても一般に“ユダヤ人”と呼ばれている人間のほとんどがハザールをルーツにしているとすると、一体全体、現在の地球には本当の選民、つまり『旧約聖書』で活躍し神に愛された「イスラエル民族」の真の末裔たちは、どのくらい生き残っているのであろうか? もしかすると、とっくのとうの昔に、ほとんど消滅してしまっていて、ごくわずかしか現存していないかもしれない……

 

http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1000.html

(以上、転載終わり)

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